わたなべ ひろし (15時32分)
今回の中国や韓国の「反日行動」に対する日本の報道を見ていて、僕が最も引っ掛かったのは、「外交カードとしての歴史認識」というような日本側の言い方である。
例えば町村外相の次のような言葉がその典型。
「中国、韓国の外相に『日本の戦後の活動をみれば、いかに戦前についての深い反省をしているのかがよく分かるでしょ』と話したが、なかなか『分かった』とは言わない。(歴史認識問題が)カードだから彼らはそう簡単に離さない」(毎日新聞 2005年5月27日 東京朝刊)
僕は中国や韓国の専門家はないので、彼らが自分達の言い分を正当化する目的だけで、外交上のカードとして「歴史認識」を持ち出してきているのかはよく分からない(多分違うと思うけれども)。しかし「外交カードとしての歴史認識」という考え方は、間違いなく日本の保守勢力やナショナリズムを宣揚する勢力には、つまり「何度土下座すれば気が済むんだ!」と声高に叫んでいる人たちには、とても都合の良い問題の立て方であるだろう。
以前、このコラムでネコクマさんが「内向きの理屈で強引に権力で押し切るドメスティックな手法は、もはや東アジアの問題解決には有効でない」ということを述べていたが、「外交カードとしての歴史認識」という日本側の認識も、全く同じ構図から出てきている言辞なのである。
僕は世界史の「トレンド」というものを、多様化(個人化)と普遍的価値の両方が、人類全体へと浸透していく過程として捉えている。つまり個々人の具体的な人生と人類全体の幸福が共存できるような一つの共同体として、人類社会は一体化していくということだ。昨今のグローバリゼーションなども、このトレンドの一局面に過ぎないと思っている。
世界史の方向性をそう捉えた上で、それでは「歴史認識」の問題をどう考えればよいのであろうか。それは日本の帝国主義による植民地支配という歴史的事実に対する被植民地の側からの、「人間としての尊厳の認知・回復を求めた訴え」として受けとめるべきであると僕は考えている。それは極めて「哲学的」というか、「倫理的」というか、まさに「人間的」な問題なのであり、ゼニ・カネ欲しさの(当然このことも日本の受けとめるべき責任として大切なことである)打算的行為としてのみ了解すべき問題ではないのだ。
この問題に正解やマニュアルなどは無いのである。これは戦争によって多くの生命を犠牲にしてきた人類にとっての、いわば加害者と被害者との開かれた関係を形成するという歴史的事業なのである。100年や150年くらい時間がかかってもしょうがない種類の課題なのだ。
発達心理学の岡本夏木さんは、自著で「誠実なることば」ということについて述べている。岡本さんの言う「誠実なることば」とは、「他者に向けて語りかけながら、そのことばが、より強く本人自身に語りかけることば」であるという。例えば「子供のために、教え子のために、友のために、病者のためにと他者に向けて懸命にしている行為(言葉)が、どれだけ自分自身への励ましとなり、生き甲斐となっていることか。誠実なる人間関係とはそういう相互性によってささえられて」いるのであり、そして「自分が相手に向けたことばが、その相手を通して自分に投げ返されてくるとき、それはより深い新たな真実をはらんで返ってくるという点」が大切であると指摘している。
他者に対して発した自分の言葉は、なによりも自分自身にこそより問い返されるべきであるという、このことの重みを何も考えていないカラッポな言動の累積が、現在の東アジアにおける日本の孤立化を招いているのである。
今必要なことは、中国や韓国の人たちの問いかけに対する、私たちの側の「誠実なることば」を介した応答なのである。
2005年7月9日 15時32分 | カテゴリー: コラム・論考
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宮川 真一 (15時27分)
7月7日、ロンドン中心部で、複数の地下鉄車両やバスでほぼ同時に爆発が起きた。警察当局は少なくとも33人が死亡、重傷45人、その他負傷者がおよそ300人と発表している。
テロリズムは、単なる暴力や殺人とは異なる。第1に、暴力の行使が社会的恐怖と結びつく点にその本質がある。暴力がメッセージ性を帯びてさらなる暴力を予期させつつ、人々を戦慄させ麻痺させて影響を及ぼそうとする。第2に、個人的で偶発的な暴力ではなく、政治的・社会的背景をもつ、組織性と計画性を伴った系統的暴力の発動となる。第3にテロリズムは暴力と恐怖という手段を発動してまで達成したい何らかの目的をもっているのである。テロリズムとは「組織的暴力による恐怖を強制の手段として用いようとする思想や行動」と定義できる。
現代世界を覆うテロリズムの根本原因として坂本義和氏は、貧困という要因をも含む社会の抑圧構造と、それに対応する被抑圧意識をあげている。今日の世界のこうした抑圧構造には、次の3つの側面があるという。第1に、米国を頂点とする超大国や大国のグローバルな政治的・軍事的優越や、グローバル・キャピタルの経済的優越に結びついたグローバルな格差・抑圧構造。第2に、それと連繋した、とくに途上国での国内的格差・抑圧構造。第3に、そうした二重の格差・抑圧から脱しようと国境をこえて相対的「先進国」に大量に移動する人々が随所に当面するトランスナショナルな格差・抑圧構造である。
マジッド・テヘラニアン氏は、多様なテロリズムを次のように分類する。第1に、多くの民族解放運動における反体制集団によって実行されるような「抵抗テロリズム」である。この例としては、アメリカの軍事プレゼンスに対するテロ、イスラエル市民に対するパレスチナの暴力行為などがあげられる。第2に、「表示テロリズム」は世界に衝撃を与えて特定の政治的不満と課題を認めさせようとするものである。「9・11」米国同時多発テロ、モスクワ劇場占拠事件はこれに含まれよう。第3に、宗教的信条に動機づけされた「救世主テロリズム」である。1993年テキサス州でのブランチ・デビディアン事件、1995年東京での地下鉄サリン事件などがこれに該当しよう。第4に、「国家テロリズム」はあるレジームによってそれ自身における無辜の市民や「敵」に対して日常的に行使される。イラクのクルド人に対する化学攻撃、イスラエルのレバノンとヨルダン川西岸地区における軍事報復などが良く知られた事例である。
今回のテロ事件は、G8サミットが開催されたその日、その国を選んで実行された。前日には、2012年のオリンピック開催都市にロンドンが選ばれ、国中が沸き立っていた。この都市は五輪招致活動に60億円を費やしたという。「7・7」は、「イラクとアフガニスタンでの虐殺に対する報復」 との犯行声明からすれば「抵抗テロリズム」であろう。しかし、そこには、国際社会の格差・抑圧構造に目を向けよ、とのメッセージも読み取ることができる。 「表示テロリズム」の側面を併せ持っている。「9・11」からはや4年の歳月が経とうとしているが、国際社会はあの惨劇の教訓から何も学んではいないのかもしれない。
2005年7月9日 15時27分 | カテゴリー: コラム・論考
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木村 英亮 (15時37分)
いま業績主義となり、大学でも教員に1年間に書いた論文などの数を届けさせるようになった。大学のニュースなどにも前年度の業績表が載せられている。これらの業績の数を給与などに反映させようとする。しかし、これだけでは、質より量ということになりかねない。数年に一回画期的な業績を生むような研究者よりも、毎年平凡な論文を書く者の方が評価されることになりかねない。また、このように言って研究していないことを弁解する者もでてくる。
また、大学院生の論文を活字にするためといって、自分の名であるいは連名にして紀要などに載せ、業績にカウントさせるようなことも生ずる。
わたしは、大学の主な仕事は教育にあるので、教員の評価はそちらに重点を移すべきではないかと思う。大部分の大学は、教育機関であることを忘れている。もちろん、研究していない教員の講義は魅力を欠くであろうが、それは第一に講義を通して、学生によって評価されるべきであろう。学生には、そのような力はないという教員もいるが、全体としてみると、学生の評価はあたっているように思われる。それは、政治の世界の選挙で、民衆の判断があてにならないという意見と似たところがある。
受験生や社会も、大学を評価するとき、教員の学界における活動状況だけでなく、教育の面での評価の方法も考える必要である。
また、研究者として優れているが、教育者としては適当でない人のために、大学院だけや研究所のポストを拡充すべきであろう。
ともかく、現在の大学は、青年の3-4割が進学するという条件に合っていない。
2005年7月8日 15時37分 | カテゴリー: コラム・論考
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岩木 秀樹 (15時41分)
B:ユダヤ教徒の間でも、またイスラエルにおいても多様な意見があり、共存へ向けての歩み寄りがあることを聞いてほっとしたよ。
A:今までユダヤ・イスラエルに関してマイナスの側面ばかりを見てきたけれど、もちろんそればかりではないんだ。トインビーは、ユダヤ教徒を土地に固執しない遠隔地においてネットワークを結ぶ民として、ユダヤモデルを提起した。
B:へーそうなんだ。でもなぜ土地に固執しなかったの。
A:固執できなかったと言った方がいいかな。ヨーロッパにおいてはユダヤ教徒は差別されていたため、それほど土地を持てず、公職など重要な職には就けなかったんだ。だからキリスト教徒が嫌う商業や金融業で生計を立てるようになった。ユダヤ教徒にとって財産とは、土地や地位などではなく、お金や信用そして知識だった。
B:知識も重要視していたの。
A:そうだよ。科学・医学・芸術・文学・学問の知識があれば、迫害の中でも何とか生き抜くことが出来たんだ。だからユダヤ出身の科学者、学者や音楽家などが今でも多いのはそうしたことが理由の一つになっているだ。
B:知識が命を救ったのか。感慨深いなー。生きていく知恵だね。
A:これからの世界においてもこのユダヤモデルは非常に重要になっていくと思う。移動をそれほど苦にしない人々は、境界や私有の概念をあまり持っていないんだ。
B:え、何で私有の考えがあまりないの。
A:簡単だよ。移動するときには金銀財宝や自分の所有物はそれほど運べないから。だから遊牧民は今でも私有の概念はうすいよ。その代わりに共同や平等という意識は強い。
B:なるほどね。定住民の考え方とはその辺りが少し違うのかな。
A:ユダヤ教徒は非定住民としての迫害の歴史だった。しかし今ではそのことは、時代を先取りする志向性を持っていると考えられている。今まで非定住はデメリットだったかもしれないが、メリットに転じる可能性がある。境界や私有の概念を越える非定住的ネットワーク志向は注目され、国民国家システムを変容させるだろう。そしてこれは全世界のイスラームや華人ネットワークとも共通している。
B:デメリットがメリットか。禍福はあざなえる縄のごとし。人間万事塞翁が馬だ。
A:ただ喜んでばかりもいられないんだ。このような非定住マイノリティとしての迫害の経験から、これを否定しようとする人々もいたんだ。それがイスラエル建国を目指した人たちだ。つまり同質性と定住を前提とする西欧国民国家システムを作ることによってのみ、自分たちの迫害の歴史に終止符が打てると考えた。自らの同質性と定住を維持するためにパレスチナ人を追い出した。つまり自分たちの歴史を反面教師としたんだ。
B:もちろんそうじゃない人もいるんだよね。
A:そうだよ。同質性、定住、境界、私有よりも多様性、移動、非境界、共同、共有を重視するユダヤ教徒やイスラエル人も多いよ。キブツ(集団農場)などはその一例かもしれない。ところでさっき、ユダヤ・ネットワークとともにイスラーム・ネットワークと言ったけれど、イスラームはどちらかというとキリスト教よりユダヤ教の方に似ているんだ。
B:へー。例えばどういう点。
A:キリスト教は神は三つ存在し三位一体などと言うが、ユダヤ教イスラームともに唯一神で、それぞれヤーウェとアラー。啓典としてトーラーとコーラン、口承伝承としてタルムードとハディース、宗教法であるハラハーとシャリーアなどかなり類似点があるんだ。
B:歴史的にも、ユダヤ教徒とイスラーム教徒はかなり共存していたしね。
A:そうだね。でもキリスト教徒も中東地域では、イスラーム教徒やユダヤ教徒と比較的うまくつき合っていた。だからキリスト教の非寛容性は、キリスト教の教義そのものに存在するというよりも、キリスト教がヨーロッパ化した過程や、近代西欧国民国家体制の持つ閉鎖性や同質性にあるのではないかと最近考えているんだ。
2005年7月7日 15時41分 | カテゴリー: コラム・論考
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今井 康英 (15時44分)
今回は、「核廃絶」について述べます。来月の今日は、60年目のヒロシマの日であり、9日は60年目のナガサキの日です。 そして、60年目の8月15日を迎えます。今年も全国各地で平和行進や原爆展などが実施されています。
7月2日には、ナガサキで「ストーンウオーク」がスタートした。西日本新聞(7月2日)などによると、これは、日本では初めての取り組みだが、長崎の爆心地公園から広島の原爆ドームまで、「UNKNOWN CIVILIANS KILLED IN WAR」(戦争で犠牲になった無名の市民)と刻まれた碑石を台車に載せて運ぶというもので、8月4日に広島市の平和公園に到着後、日本語の同じ言葉を石に刻むことになっている。長崎市の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館などを訪れたことがある「ピース・アビー」のドット・ウォルシュさんは「坂の多さや夏の暑さを考えるとウオークは難しいと思ったが、被爆体験談で聞いた『お母さん、お母さん』と呼ぶ声が耳から離れず、日本でやらなくてはならないと考えた。国や人を結びつけるプロジェクトを成功させたい」と力強く語った。同時テロで夫を亡くしたアンドレア・ルブランさんが「被爆者と同じように家族を失った者として、怒りや報復ではなく、平和を祈る運動を成功させましょう」と訴えた。長崎の実行委代表を務める大学講師、前川智子さんは「一人でも多くの人に石を運んでもらい、平和の重みを実感してほしい」と話した。なお「ストーンウオーク・ジャパン 2005」の公式HPは、 http://homepage2.nifty.com/tomokonet/stonewalk/
同じ日に、ヒロシマでは女優の吉永小百合さんによる原爆詩の朗読会が開かれた。時事通信(7月2日)によると、原爆詩の朗読は、吉永さんにとって1986年から続けているライフワーク。詰め掛けた100人の被爆者らを前に、「日本人全員で、原爆の恐ろしさ、核兵器は二度と使われてはいけないということを、 あきらめず、粘り強く訴えていかなければと、60年の節目に改めて思っています」と語り掛けた。また中国新聞(7月4日)によると、3日には、吉永さんによる山口県内で初めての原爆詩の朗読会が行われた。ここでも吉永さんは、県内の被爆者百人を含む五百人の参加者に向け「特に若い人は原爆詩を学校や職場で紹介して、二度と核兵器が使われてはいけないという思いを伝えてほしい」と呼び掛けた。
若者たちは、こうした呼びかけにどう応えてくれるのだろうか。毎日新聞(7月5日)によると、戦後60年を記念し、習志野市は今月から、市内全7中学校で、被爆者の体験談を聞く事業を始めた。4日は、市立第四中(岡本治之校長、生徒558人)の全校生徒が、12歳の時に広島市で被爆した女性(72)の体験談に耳を傾けた。3年の木村雄太君(14)は「深い苦しみを知り、今後自分が何をすべきかを考えなくてはいけないと思った」と話した。
毎日新聞(7月4日)によると、被爆地・長崎から核兵器廃絶と平和を訴えようと3日に長崎市で「ながさき平和大集会」(同集会実行委主催)が開かれた。同実行委は98年から、「高校生平和大使」をスイス・ジュネーブの国連欧州本部などに派遣している。今年の平和大使として選ばれた活水高3年、平湯あゆみさんは「被爆60年は再出発の年だと思う。長崎に育った者の使命として被爆体験を受け継ぎ、発信していきたい」と抱負を語った。このほか、高校生1万人署名活動に参加している高校生らが、活動報告や歌を披露した。
京都新聞(7月5日)によると、原爆の恐ろしさを学び、平和を考える「戦後60周年記念原爆展」が5日から京都市北区の佛教大で始まった。社会福祉学部の学生が企画、7日までの期間中、被爆者の体験を聞く催しもある。原爆展実行委員会代表の浦ひろ子さん(3年)は「戦争の実体験がない私たちですが、原爆の悲惨さを受け止めることで、戦争や平和について考えることができた。これを出発点に同じ若い人にもっと学んで、考えていこうと呼びかけたい」と話している。
毎日新聞(6月24日)によると、今年5月、米国ニューヨークで行われた核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせて訪米し、現地で被爆者らと交流した京都精華大2年の越智裕希美さん(19)と土井彩子さん(19)が、京都市内の大学や平和集会などで帰国報告会を続けている。土井さんは広島、長崎の被爆者を先頭に、約4万人が参加したという行進に触れ「草の根から核廃絶を望む声は世界共通でとても力強かった。平和運動は確実に前進していると実感した」と話す。一方、約1カ月に及んだ会議は核保有国と非核国の間で成果のないまま決裂。越智さんは「とても悲しいこと。どういう部分で物別れに終わったのかもう一度見つめ直し、決裂したからこそ声を上げていかなければ」と運動継続の必要性を強調している。
私も、このような若者や学生が続々と現れることを念願しつつ、微力ながら地元で「国本平和学習会」の活動に取り組んで行きたいと思います。
2005年7月6日 15時44分 | カテゴリー: コラム・論考
木村 英亮 (15時46分)
研究を推し進める主な力は、好奇心であって、必ずしも収入になるからではない。それは、音楽や美術、文学と同じように、人間の本性にもとづく営み で、いわば遊びの要素がある。これは、物理学者の朝永振一郎が1965年に書かれていることであるが、まったくその通りであると思う。
いま社会全体で、経済的に引き合わない研究が排除される傾向にある。もちろんひとりよがりの研究や、どのような成果がもたらされるかわ からない研究もあるであろう。しかし、経済的、技術的に必要な分野のみの研究でいいのであろうか。それでは研究に大きなゆがみが生まれるのではないかと危 惧される。
たしかに、科学の発達によって、経済的に豊かになったばかりでなく、医学は寿命をいちじるしくのばした。しかし、他方では殺戮の手段も 度外れに大きくなった。また、国家が核兵器など軍事科学に膨大な予算を投入することによって、それ以外の研究分野を圧迫するという現象もおこっている。さ まざまな分野の研究があってこそ、人類のためになるのであって、目先の必要にばかり応えていては、科学は大きくゆがみ、バランスがくずれる。環境や資源、 食糧の問題として、緊急の課題になっていることの根元は、ここにあるのではなかろうか。
文科系の大学においても、いまは経営学や法律学などいわゆる実学を学ぶ学生が増加し、カリキュラムでも、哲学や文学などは縮小される傾向にある。教養教育はないがしろにされ、専門学校化しつつある。
人間の生活は、経済的発展によって余裕が大きくなってしかるべきであるのに、かえって貧しくなっているように思われるのである。
2005年7月5日 15時46分 | カテゴリー: コラム・論考
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近藤 泉 (15時48分)
◆私は歴史が苦手なので、中学生の娘の教科書でちょっと勉強してみるかと気軽にぱらぱらめくってみたら、びっくり。楽しくて釘付けになりました。
今の教科書はカラー写真の豊富なこと。細かい字を読むのが滅法苦手になった母には、とても嬉しい。歴史の案内役は可愛いアニメアイドル風、楽しい雰囲気でお堅い歴史の世界に誘われます。ところが、読み始めるとかなり高度な内容で、高校の教科書かと思うほどです。
「世界大恐慌」から「太平洋戦争の終結」まで19ページもあるのには、正直びっくりしました。日本のかつての教科書を閲覧できる所があるそうなので、自分の頃の薄っぺらだった教科書と見比べてみたいと思いました。
さらに私が感心したのは、子ども達が勉強に飽きないように工夫されているのか、はたまた子ども自身が歴史を観る眼を養えるよう尽力されているのか、学習のポイントをがっちり押さえた「質問コーナー」がところどころにあるのです。そして、それが結構むつかしい。
この質問にきちんと答えられるように、思春期の中学生を指導するのは大変だろうけれど、改めて教師の仕事は素晴らしいことだと思いました。
◆その1 <不景気と戦争の不安>
- 歴史上最大の不景気は,どのようにしておこったのだろうか。
- ファシズムが台頭した理由をかんがえてみよう。
- 世界大恐慌は,日本にどのような影響をあたえたのだろうか。
- 各国の景気対策には,どのようなちがいがあったのだろうか。
(日本書籍「わたしたちの中学社会 歴史的分野」より)
◆ちなみに教科書の扉にはこんな素敵な言葉が載っています。
「歴史を勉強すると何の役に立つのですか。」
「歴史を学ぶことで,わたしたちはどう生きたらよいかとか, どんな世の中にしたいかを考える力がつきます。 さあ,これから歴史の舞台をたずねてみましょう。」
2005年7月4日 15時48分 | カテゴリー: コラム・論考
浪木 明 (15時49分)
「大学合格のために英単語を8000語覚える」とか「辞書を覚えたページから破って食べる」といった涙ぐましい(と言うよりも異常な)決意をされた方には、英語が大きな苦痛の種だったことでしょう。
これからお話する内容は、科学的な裏付けはありませんが、少なくとも個人的な体験や経験から、外国語学習が美容と長寿を実現するというユニークな視点を提供するものです。
ある外国語を徹底的に音読練習すると、徐々にその言語を母語とする人の顔つきに変わっていきます。中国語に堪能で天安門広場で警官に現地人と間違 われた友人。ブラジルのサンバのリズムで血が騒ぐセニョリータ。フランスのエスプリの香りが瞳に漂うマドモアゼル。数多くの日本人が異文化の雰囲気を醸し 出しています。これは日本語では使わない発音器官の使用が原因の一つなのだそうです。内なる美容整形かもしれません。
今、私は生徒の女子中高生たちと「英語の音読練習を通じて、ダイエット目標を立て、セレブを目指す」誓いを立てています。A子さんはこの夏休み終 了までにマイナス2キロ。B子さんはマイナス3キロ。ちなみに私はマイナス2・5キロ。たいていの女性が関心を持っている美容(特にダイエット)と英語学 習とのコラボレーションなのです。
音読練習は見方を変えれば、有酸素運動です。したがって食事上の不摂生がなければ、効果的なダイエットの立派な手段となり、セレブへの道を開くのです。
では具体的にどう練習するのか?ウィスパーとモニターです。前者は囁きながら音読をします。横隔膜を使うので腹式呼吸法の体得とともにウエストを 引き締め、「軽くヤバイ」貴女にも効果大です。後者は利き手を耳にヘッドホンのようにかざし、自分の発音を自己チェックするのです。
私は3年前に「76歳まで生きよう!」と決めましたが、最近、「100歳まで生きよう!」に変わりました。外国語は日本語では使わない脳の部分を活性化し、アルツハイマー病や認知症に罹りにくくするので、一つでも多くの外国語に取り組めば長寿につながっていくようです。
「長生きのリスク」という言葉があります。これは年金・医療・介護の必要性に直結しますが、どちらかと言えば悲観的な考え方でしょう。人生は楽し むためにあるのです。異文化、異性と積極的に交流し、一日でも長く生きようとすることです。日本は世界一の長寿国ですが、その質が問われています。
私はある宇宙語を三千万回以上音読してきました。その結果、25年間カゼをひかず、健康状態も問題なく、何よりも落ち込んだことが一度もありませ ん。外国語はありがたいことに狭い意味の美容のみならず、質の高い長寿をも提供してくれるのです。自分の顔と体を鏡に映してビフォーアフターを楽しみませ んか?
さあ、あなたは何キロ減量して何歳まで生きようと思いますか?今日はあなたの余生の初日です。人生は一度だけですが、変身は十分可能です。この世には60億以上の多様な生き方があるのですから。次回は「多重人格・中観主義」について語ります。
2005年7月3日 15時49分 | カテゴリー: コラム・論考
事務局 (0時00分)
役員
理事長: 中西 治
副理事長: 木村 英亮
理事: 岩木 秀樹、王 元、汪 鴻祥、川崎 高志、近藤 泉、澤入 恵子、神保 泰興、竹田 邦彦、竹本 恵美、徳永 雅博、林 亮
監事: 浪木 明、渡邊 宏
顧問
顧問: 王 邦佐 (中国上海市)
事務局
事務局長: 岩木 秀樹
(続きを読む)
2005年7月1日 0時00分 | カテゴリー: 役員
その他 (0時00分)
投稿者:かかし
もしも力があったなら、やらなきゃならない事がある。
大雨降りの新潟の
あふれる水をすくい上げ
四国の田んぼに運びます
おじいさん 雨降り田んぼは 危ないよ
かかしが代わりに見回って
大事な稲を守ります
やっと実ったさくらんぼ
根こそぎ盗る人ひどい人
かかし見張って捕まえます
寝てる時 熱中症が心配な
ひとり暮らしのおばあさん
かかしが傍で扇ぎます
(酷暑のみぎり、農業国日本を支えて下さる皆さまのご健康を祈りつつ。 研究所の皆さまも、どうぞ充分な水分補給と休息を・・・)
2005年7月1日 0時00分 | カテゴリー: コラム・論考