もっと新着情報を見る お知らせ・新着情報 研究所について 講演会 研究会・シンポジウム 連続講義・連続講座 映像 宣言・署名 研究部会 コラム 論文・エッセイ 刊行物

2008年7月4日

9月の訪中と8月の訪朝について

中西 治 (18時01分)

7月=文月、いよいよ本格的な夏です。いかがお過ごしでしょうか、お伺い申し上げます。

地球宇宙平和研究所では当初、今年度は9月に中国訪問、それに続いて、朝鮮訪問を予定していましたが、諸般の事情により、朝鮮訪問を8月、中国訪問を9月に実施することにしました。いずれの旅行も、研究所員でない方々の参加を歓迎します。

朝鮮訪問については、8月13日(水)ー16日(土)の3泊4日とし、成田発、瀋陽経由で、平壌に入る計画で朝鮮側と折衝しています。朝鮮旅行の日程と費用が決まり次第、メールでお知らせします。

中国旅行については、すでに案内を差し上げています。私も参加します。締め切り日が迫ってきましたので、できるだけ早く岩木事務局長に連絡をお願いします。

2008年6月18日

ベトナム戦争を遠く離れて

わたなべ ひろし (19時04分)

先月行なわれた当研究所の総会記念講演で、東大の古田元夫教授のお話しを聞かせていただいた。古田さんの専門はベトナムとのこと。

古田さんのお話しによれば、2000年以降のベトナムの経済成長は著しいものがあるようで、平均成長率は8%に達するという。そしてベトナムの経済成長の特徴として、古田さんは外資の流入とIT化を上げていた。これが両輪となって、ベトナムを「貧困な発展途上国」から「現代的な工業国」へと押し上げているということであった。

僕などが特に面白かったのは、現在のベトナムは社会主義か否かという点についての古田さんのお話しであった。ベトナム自身は、自分たちの経済を「社会主義指向の市場経済」と規定しているそうだが、いかにも苦しい感じ。一方、古田さんもベトナムを社会主義国として定義づけておられるのだが、その理由はといえば、資本主義以外の選択肢が存在しない現在の世界において、「あえて」(このカギ括弧は古田さんのレジメより)社会主義の国号を名乗っているのであるから、それは社会主義とみなしてよいのではないかというものであった(と思う)。

古田さんのような良い方(スミマセン、そうお見受け致しましたもので)に、ベトナムはがんばって社会主義を名乗っているのだからそれを認めてあげようと言われても、当のベトナムの「社会主義者」の方々は、非常に複雑な思いを抱くのではないだろうか。

1960年代、ベトナム戦争と向き合うことで(古田さんなどもそのお一人であったのだろう)、日本の反戦平和の思想がどれほど「豊か」なものになったことか、僕はベトナムと聞くとまずこのことを考える。そのことで、いわゆる「アジア」というものが僕たち日本人の視野に入ってくるようになり、それまでの被害者意識に立った「戦争体験」に依拠していた日本人の反戦平和意識というものが、自分たちのかつてのアジア侵略に対する加害者責任を伴ったものへと転換していく重要な契機となったと思うからである。

そして、例えば米国の日本研究者であるトーマス・ヘイブンズの『海の向こうの火事―ベトナム戦争と日本1965-1975』などを読むと、当時の「ベ平連」などに代表される日本の反戦運動が、米国で展開されていたベトナム反戦運動からどれほど多くのことを学んでいたかということがよく分かる。戦後の日本の「平和」は、日本一国のみで成立したわけでは決してないのである。

2008年の現在から、ベトナム戦争に関連してある種の感慨を持って思い出すのは、1971年のニクソン米大統領による、いわゆる「ドル・ショック」である。

米国はベトナム戦争の戦費を賄うためドルを垂れ流し、その結果国際基軸通貨としての信用を失い、金との交換停止を宣言することで、為替が固定相場制から変動相場制へと移行する。そしてこの変動相場制による為替市場の出現と、その後のITの発達を背景として、90年代以降の金融市場至上主義のグローバリゼーションが出来することになった。

古田さんが言うように、現在のベトナムの経済成長を支えているのが外資の流入とIT化であるとすると、そもそもそれをもたらしたグローバリゼーションそのものを生み出す遠因を作り出したのがベトナム自身なのであるから、現在の彼等の経済成長もむべなるかなということなのかもしれない。

2008年6月1日

訪中のお知らせ

事務局 (21時10分)

研究所では 2008 年 9 月 1 日 (月) から 9 月 8 日 (月) まで、北京および東北への中国訪問をいたします。

中国東北は研究所としても初めての訪問となります。また北京大学や東北部の大学研究機関との学術交流も予定いたしております。

なお旅行代金のほかに、おみやげやチップ代および企画・運営料として一人 1 万円を研究所に振り込んでいただきます。何とぞよろしくお願いいたします。

募集締め切りは 7 月 15 日といたします。希望者は事務局までご連絡ください。ぜひ多くの方のご参加をお待ちいたしております。

2008年5月28日

武漢大学訪問と研究部会開催について

中西 治 (16時51分)

今週末、5月31日(土)から6月6日(金)まで1週間、中華人民共和国武漢大学に客座教授として集中講義に行きます。中国の大地震に心を痛めていますが、武漢は大丈夫なようです。講義は3回おこないます。
「私の歴史研究と国際関係研究」、「日本文化について」、「日中関係について」です。

講義のために論文「私の歴史研究と国際関係研究-歴史・歴史哲学・地球史・宇宙地球史-」を書き下ろしました。帰国後に本年度最初の「地球社会論」研究部会を下記により開催します。地球宇宙平和研究所の会員でない方の参加も歓迎します。

地球宇宙平和研究所「地球社会論」研究部会研究会

とき:2008年6月29日(日)午後2時ー4時
ところ:地球宇宙平和研究所事務所(横浜市磯子区洋光台1-9-3)

報告者:中西 治
テーマ:歴史とは、歴史哲学とは、地球史とは、宇宙地球史とは
参加費:会員無料、非会員500円

2008年5月20日

総会報告

事務局 (15時39分)

2008年5月18日(日)午後5時半より7時まで、かながわ県民活動サポートセンター604号室で、総会記念講演会が開かれました。講師は東京大学の古田元夫教授で、演題は「今日のベトナムとアジアの平和」でした。

講演では今日のベトナムの発展状況が数値をもとに示され、ベトナムを社会主義国家とみなして良いとの見解が示され、欠陥だらけの社会主義ではあるが、理念より歴史上存在した社会主義により関心が持たれるべきであると主張されました。

アジアの平和とベトナムの関係が考察され、分断された朝鮮と比べて、1975年のベトナムの独立と統一が今日の平和と繁栄につながっていると述べられました。

質疑応答も活発にされ、過去から中国との紛争は多々あったが、自国領内では頑強に抵抗するが、中国領内に入ってまで中国軍を追うことはせず、むしろその後、朝貢をして友好関係を構築するなど、巧みな外交を展開した。ベトナムに軍隊を送った国は12カ国あるが、これらの国々と敵対関係が続くと経済発展は考えられない。ベトナム戦争では約300万人が犠牲になったが、そればかりに固執しているとよりよい未来は開かれない。このようなベトナムの人々の未来志向のたくましさは歴史の中で鍛えられたと述べられました。

7時から7時45分まで同室で総会が開かれ、委任状を含めて正会員44名と賛助会員2名が参加されました。

第1号議案2007年度事業報告、第2号議2007年度収支報告、第3号議案2008年度事業計画、第4号議案2008年度収支予算、第5号議案会費滞納および理事会の件がいずれも満場一致で承認されました。またキューバ関連書籍の発刊の具体的計画や、中国・朝鮮訪問の計画も報告されました。

総会後、講演会講師の古田元夫教授も懇親会に参加され、ここでも活発に議論の花が咲きました。

出席された方、また委任状をいただいた方に深く感謝いたします。

2008年5月17日

古田教授の講演会にお出でを

中西 治 (17時03分)

5月5日の立夏も過ぎ、暦のうえでは夏が始まっています。このところ、冬に戻ったような寒さのあとに、初夏らしい温かい天気が続きます。いかがお過ごしでしょうか、お伺い申し上げます。明18日は下記のように、私たちの研究所の一年一回の総会の日です。総会に先立って総会記念講演会が開催されます。講師は古田元夫(ふるた もとお)東京大学教授です。古田教授は東京大学教養学部長を経て東京大学副学長を今年3月末まで務められました。

大学院時代からの友人です。ベトナム問題の専門家であり、日本ベトナム協会の会長です。べトナムの現状とアジアの平和について貴重なお話しが聞けると期待しています。来年は私たちの研究所からベトナムに代表団を送ろうと思っています。是非お出で下さい。会員でない方も大歓迎です。お待ちしています。

2008年5月2日

ネパール情勢 III:〈インタビュー〉ネパール制憲議会選挙の結果と今後の見通し

植木 竜司 (15時22分)

前回「ネパール情勢 II:制憲議会選挙結果について」で書いたようにネパールでの制憲議会選挙の結果が出揃った。そこで、日本在住ネパール人、バララム・シュレスタさんに今回の選挙結果についてインタビューを行った。シュレスタさんは、ネパールで著名な弁護士で、ネパール政界にも幅広い人脈を持つ方である。マオイストの躍進の理由は何だったのかや、今後の新政府の課題などについて聞いた。

植木:4月10日にやっと制憲議会選挙が実施されました。小選挙区でも比例区でもネパール共産党マオイスト(以下、マオイスト)が一番議席を獲得した政党となりました。マオイストの躍進の原因は何であったと思われますか。

シュレスタ氏:第一に、ネパールでは8年間総選挙が行われませんでしたが、ネパールでは16歳から選挙権があり、その間も「新しい有権者」が増え続けた、ということがあると思います。この8年間ネパール・コングレス党(以下、コングレス)もネパール共産党マルクス・レーニン主義(以下、UML)も選挙活動をやってきませんでした。そのため特に、農村では「マオイストのことしかよく知らない」という状況の人が大変増えました。第二に、コングレスの候補者も、UMLの候補者も、国民にとっては「前と同じ顔」であった、ということがいえたと思います。もちろんコングレスにもUMLにも悪いことをした人もいれば、いいことをしたひともいるわけですが、結果として1990年以降彼らが政治をやった結果が現在の状況なのであり、そのことが「新しい人」「新しい党」に投票すること! につながったのだと思います。第三に、マオイストは選挙活動期間中に、「もし選挙に負けたらジャングルに戻りゲリラ活動を再開する」ということを言っていたことがあげられます。10年以上内戦が続いており、ネパール国民の中には、誰が政権をとってもいいから、平和になって欲しい、安定して欲しいという想いがあったのでしょう。

植木:マオイストはそのような「脅し」を含めて、全体としてコングレスやUMLより選挙活動がうまかったということが言えるのでしょうね。

シュレスタ氏:そうですね。特に農村や地方ではマオイストは草の根の組織を持っていますが、コングレスやUMLは村の奥の方までは行かなかったし、行けなかった。彼らはカトマンドゥだけで選挙活動をやっていたのも同然の状況でしたから。

植木:マオイストの躍進とは対照的に、前評判の高かったUMLは小選挙区で党首のM・K ネパール氏がマオイストの候補に敗れ辞任を表明するなど、議席を伸ばせていませんが、こちらの原因は何であったと思われますか。

シュレスタ氏:1990年以降のUMLを見ても、彼らが党として「わが党はこれをやる」と何かを決めたのを私は見たことがありません。またUML自身は、自己を「コミュニスト」と言っていますが、それは「新しいコミュニズム」であり「民主主義的なコミュニズム」であると定義しています。これらの態度が国民には非常に中途半端に見えたのだと思います。現在ネパール国民は「コミュニスト」と言えば「マオイスト」を連想し、UMLを連想する人はほとんどいません。だから共産主義支持の人々の票はほとんどマオイストに流れたのではないのでしょうか。それに加え、1990年以降議会政党としてUML がやってきたことからは、経済や社会、平和の希望がまったく見られなかったし、それらの発展を実現したことがなかったこともあげられると思います。

植木:新政権には様々課題が山積しているわけですが、私が注目しているのはマオイストの人民解放軍とネパール国軍をどうするのかという点です。人民戦争で交戦していた両武装組織ですが、マオイストは両者を統合することを以前から主張しています。私はこの提案は無理があると思いますが、シュレスタさんはこの問題についてどうすべきであると考えておられますか。

シュレスタ氏:マオイストは、人民解放軍と国軍の統合を何としても実現したいと考えているでしょうね。確かにこのことは非常に難しいことだと思います。世界中にはライバル同士の軍隊が統合したケースなどほとんどないでしょう。しかし、これまでなかったからといって、これからも実現できないということでもない。私は、そのことによって国の内戦がなくなるのであれば、統一もいいと思っています。そもそも人民解放軍の兵士も、国軍の兵士も両者とも同じネパール人なのですから。

植木:しかし、もし統合が成功したとしたら、ある一つの政治政党(=マオイスト)が特別な影響力を持つ軍隊ができてしまうことになりますよね。

シュレスタ氏:そうですね。しかし私は、もしそのことをマオイストが政治の場で利用するようなことがあれば、国民が立ち上がり、抗議活動を行い、その悪用に歯止めをかけることになると思います。なぜならネパール国民は240年続いてきた国王の軍隊を打ち負かす力を持っていたのですから。マオイストがそのようなことをすれば、同じことになると思います。

植木:軍隊の問題とともに、最近大きく取り上げられているのが、マイノリティの問題、特にマデシの運動が活発化していることです。マオイストは1996年からの武装闘争の中で、地方のマイノリティの支持を得ながら勢力を拡大してきた面もありますが、今回中央政府に入ることで、「国家の側」に立って政治を運営していかねばならないわけで、これまでの為政者と同様マイノリティ問題には苦慮することが予想されます。この点についてはどのようにお考えになられますか。

シュレスタ氏:私は、今回の選挙を、「部族」や「民族」といった集団の台頭が非常に目立った選挙であったと感じています。マオイストも十数年前は彼らと同じ「マイノリティ=少数派」だったわけですが、もしマオイストの新政府が彼らの意見を取り入れることをしなければ、彼らは「第二、第三のマオイスト」となって、同様の反乱を起こす可能性が高いと思います。

植木:制憲議会が開かれれば240年続いてきた王制が廃止される予定です。今回、王制廃止を主張し人民戦争を行ってきたマオイストが大勝し、王制派政治家がことごとく議席を獲得できていない選挙結果を見ると、やはりネパール国民が王制廃止を支持していると見ることができると思いますが、シュレスタさん自身はどのような意見をお持ちですか。

シュレスタ氏:シャハ王朝は240年続いたわけですが、この240年間で彼らは国のため国民のために何をやってきたか。他の国々はこの240年間で非常に発展しましたが、ネパールでは他国に比べたらまったく開発が進みませんでした。240年の間に義務教育制度の実現さえできなかった。国民が選んだ政治家が240年間政治をやっていれば、もっと発展できたかもしれない。結果として、王制は240年間でなにできなかったわけであり、そのことから国民は、国王は国を守れないし、経済発展も実現することができないと判断したのだと思います。

植木:最後に、今後マオイストを中心とした政府が発足することがほぼ確実ですが、マオイストはどのように政権運営を行っていくべきであるとお考えですか。

シュレスタ氏:マオイストの議員たちは、選挙で国民に選ばれたのであり、彼らにはもちろん政府を作る権利があります。しかし現実的にはマオイストに反対する人々も非常に多いです。選挙結果を見ると、マオイストは第一党ではあるが過半数は取れませんでした。マオイスト以外の政党に投票された票を全部足せば、マオイストの得票数より多くなります。マオイストはこのことをよく理解する必要があります。マオイストは小さな政党の意見、つまり少数派の意見を大事にしていく必要があると思います。

プロフィール:
バララム・シュレスタ (Balaram Shrestha)
1972年ネパール生まれ。インターナショナル・ロー・ソサエティ・フォーラム (International Law Society Forum, Kathumandu) 所属の弁護士。1995年ネパール・ロー・カレッジ卒。1996年弁護士資格取得。1997年ネパール国立トリブバン大学大学院修士課程修了、修士(政治科学)。2003年に来日し、現在、在日ネパール人協会中国地方代表を務める。山口県在住。

2008年5月1日

どこに問題があるのか ーガソリン税などの暫定税率復活法の再可決によせてー

中西 治 (18時11分)

2008 年 4 月 30 日、日本国の衆議院本会議は、参議院で審議中の税制関連の 5 法案を、衆議院が本年 2 月 29 日に可決したにもかかわらず、参議院がまだ結論を出していないのを、「参議院が否決したものとみなす」と決定した。これは日本国憲法第 59 条④の「参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取った後、国会休会中の期間を除いて 60 日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。」に基づいている。

そのうえで、衆議院本会議は、ガソリン税などの暫定税率を復活させる税制関連法案を、民主党、社民党、国民新党が欠席し、共産党が出席するなか、賛成 337 、反対 12 で再可決した。これは憲法第 59 条②の「衆議院が可決し、参議院がこれと異なった議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数でふたたび可決したときは、法律となる。」に基づいている。 かくして、税率は 5 月 1 日から引き上げられる。

法的に問題はない。

どこに問題があるのか。与党の政治的対応である。

自民党と公明党の与党は、昨年の参議院議員選挙で敗北し、参議院の多数派から少数派に転落したことを率直に認めるべきである。参議院が駄目だというものは駄目である。それが衆参二院制のルールである。衆議院の三分の二以上での再可決は緊急避難行為である。それを繰り返すのは参議院の存在の否定である。

国や地方公共団体の歳入が減るというならば、減った範囲でやるべきである。どの家庭でも収入が減れば、減った範囲で生活を立て直すのが常識である。それをしないと、一家は路頭に迷う。

与党の多くの議員は、衆議院で再議決に賛成しながら、先日の山口県第 2 区衆議院議員補欠選挙の結果を、「明日は我が身」と考えていたであろう。民主党と社民党などの野党の議員は、再議決の場に出席し、堂々と論陣を張り、再議決に逡巡している与党の議員を味方につける努力をすべきであった。

現在の政治状況は末期的である。正常な判断力を失っている。これを正すのは私たち主権者である。

2008年4月29日

ネパール情勢 II:制憲議会選挙結果について

植木 竜司 (22時31分)

ネパールで4月10日に行われた制憲議会選挙の結果が出揃った。正式に当選者が確定するのは各政党が提出する名簿を選挙管理委員会が承認してからであり、承認後3週間以内に制憲議会が開かれることとなっているから、5月中には開会する見通しである。

結果は日本でも報道されているとおりネパール共産党マオイストが220議席(比例100 )を獲得し第一党となった。以下、ネパールコングレス党が110議席(比例73)、ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義が103議席(比例70)、マデシ人権フォーラムが52議席(比例22)、タライ・マデシ民主党が20議席(比例11)、ネパール友愛党9議席(比例5)と続いている。小選挙区で議席を獲得できなかった王制派政党国民民主党も比例区で8議席を獲得した。

マオイストは比例区でも最も議席を獲得した政党となったが、小選挙区では240選挙区中120選挙区で勝利したのに対し、比例区では335議席中100議席、得票率29.28%であり伸び悩んだといえるであろう。

結果、マオイストは第一党を獲得したが、定数601、(非選挙枠/政府推薦議員26議席)に対し、過半数には遠く及ばなかった。もともと暫定憲法では制憲議会選挙における首相指名等には全議席の三分の二が必要であったため、これから連立工作が行われることとなる。その際、ネパール南部タライ地域を基盤とした政党である第4、第5党であるマデシ人権フォーラム、タライ・マデシ民主党がキャスティングボートを握ることとなるであろう(ちなみに第6政党ネパール友愛党もタライ地域を基盤とした政党)。今回、海外報道ではマオイストが第一党になったことばかりに注目が集まっているが、ネパール国内では特にマデシ人権フォーラム、タライ・マデシ民主党といった南部の地方/民族政党が議席を多く獲得したことにも大変注目が集まっている。

ネパールは地形区別(高度)では山岳部・丘陵部・平野部に、開発地域別(東西)では東部・中部・西部・中西部・極西部にわけることができるが、今回の小選挙区で特に開発地域別では中西部と極西部、地形区別では山岳部でマオイストが強さを見せた。

山岳部では22選挙区中16、中西部では33選挙区中27、極西部では21選挙区中15の選挙区で議席を獲得している。これは「識字率」や「出生時平均余命」の数値と比較するとたいへん興味深い。少し古いデータとなるが2000年のネパール国内の識字率は地形区別では山岳部44.5%、丘陵部55.5%、平野部46.8%であり、開発区別では東部56.6%、中部49.8%、西部51.67%、中西部では47.8%、極西部では43%となっている。また出生時平均余命は地形区別では山岳部49.8年、丘陵部65.1年、平野部62.4年であり、開発区別では東部62年、中部61.3年、西部62.8年、中西部53.2年、極西部52.1年となっている。つまり、識字率も出生時平均余命も山岳部、中西部、極西部で数値が悪くなっているのである。このことはインフラが整っていない経済的にも社会的にも排除されている地域でマオイストが支持を広げていることを意味しているといえるであろう。

マオイストはもともと中西部を基盤として人民戦争を展開し、根拠地を築きながら全国に勢力を広げてきた。特に、これまでのネパールの政治政党と異なり、都市からではなく「農村から都市へ」、まさに毛沢東主義理論を利用して勢力を拡大してきたのである。

貧しい農村を基盤とし、共産主義、毛沢東主義を掲げるマオイストが、今後国政でどのような政策を実施していくのか、特に経済政策をどうするのかは、ネパール国民のみならず、世界中から注目されている。ただ、複数政党議会制の中でどれだけマオイスト色のある政策を実施できるかは未知数である。

2008年4月23日

第4期理事会第7回会議

事務局 (10時17分)

2008 年 4 月 20 日 (日) 午後 4 時から 5 時 45 分まで、かながわ県民活動サポートセンター 708 号室で、第 4 期理事会第 7 回会議が開催されました。出席理事は書面表決者も含めて、 11 名で、オブザーバーは 1 名でした。

まず 2007 年度事業報告案と収支報告案について説明があり、監事から収支報告案が間違いのないものであることが報告されました。また年会費の納入率が大幅に上がったことを評価した上で、まだ赤字体質を引きずっているので、新しい事業を興すなど事業収入の増加が求められました。

次に 2008 年度事業計画案と収支予算案について説明があり、出版活動の多様化により、事業が分散されるおそれがあるので、今後、委員会等で検討し、総会に提案することになりました。また中国訪問はオリンピックの関係から 2008 年 9 月初旬から行うことになり、キューバ訪問も今後検討をした上で今年度に行う可能性があることが報告されました。また会費の長期滞納者の扱いは今後検討した上で、総会に諮ることになりました。さらに理事会の開催を 3 か月に一回程度開催することになりました。

理事終了後、同室で午後 6 時から 8 時 15 分まで合同研究会が開催され、非会員 4 名を含む 18 名の方が参加されました。報告者 (敬称略) とテーマは以下の通りです。

  • 王  元「家族主義の視点から見る現代中国最高指導体制の変遷 ―中国共産党政治局を中心として―」
  • 木村英亮 「趙宏偉『中国重層集権体制と経済発展』について」
  • 中西  治「日本、中国、朝鮮、キューバ: どこまで来たのか、どこへ行くのか」

いずれもタイムリーな話題で、時間もかなり超過をして議論ができました。今後も理事会に合わせて合同研究会等を開催し、活発にコミュニケーションを行い、さらに充実した事業を行っていきたいと考えています。

合同研究会後に懇親会も開かれ、各自が近況を述べるなど、和やかなひとときを過ごしました。参加していただいた方に感謝いたします。

全 57 ページ: « 最初 ... « 1 2 3 [4] 5 6 7 » ... 最後 »