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2009年12月28日

新春講演会および新年宴会

事務局 (17時01分)

日時: 2010年1月17日(日)16:15-18:00
場所: かながわ県民センター711号室(JR横浜駅駅西口徒歩5分)
〒221-0835 神奈川県横浜市神奈川区鶴屋町2-24-2 電話045-312-1121
講師: 熊沛彪氏(中国武漢大学日本研究中心教授)
演題: 「東亜国際体制の変遷と東アジア共同体について」(日本語で行います)
参加費: 会員・非会員ともに無料

*新年宴会
日時: 同日18:00-20:00
場所: 津多屋(かながわ県民センター 向かいビル地下一階)
電話045−290−1682
会費: 3,000円程度

2009年12月15日

地球宇宙平和研究所所報 第4号 発刊

事務局 (16時50分)

『地球宇宙平和研究所所報  第4号」地球宇宙平和研究所、2009年12月、定価1,200円 (会員価格 1,100円)

目次

論文
現代の再検討―ロシア革命を中心として―/中西 治
新時期における日中関係の特徴と展望―戦略的互恵関係の構築を中心に―/汪 鴻祥
日本問題としての「沖縄問題」―沖縄の歴史・基地・現在―/岩木 秀樹
新しい公共哲学を求めて―NPOと大乗仏教の役割と課題―/岩木 秀樹

エッセー
恨みと平和/三津木 妙子

2009年11月29日

所報第4号の発行、12月20日の地球社会論研究部会、1月17日の新春講演会について

中西 治 (9時25分)

皆さん

間もなく師走です。

『地球宇宙平和研究所所報』第 4 号の編集・校正が終わり、昨 11 月 28 日に印刷・製本にまわりました。2009 年 12 月 15 日の研究所設立 8 周年記念日までにお手元に届きます。研究所員 (正会員と賛助会員) に各一冊贈呈します。

執筆者、編集・装丁・校正・印刷・発送にかかわるすべての方々に厚く御礼申し上げます。

この号に私は論文「現代の再検討-ロシア革命を中心として-」を寄稿しました。この論文について、 12 月 20 日 (日) 午後 2 時から 4 時まで横浜洋光台の研究所事務所で開催される地球社会論研究部会研究会で私が報告します。参加費は会員・非会員を問わず無料です。遠いところですが、是非、お出かけ下さい。

研究会終了後、午後 4 時〜 6 時に都合のつく方で簡単な忘年会を開催します。それぞれ、お好みの飲み物と食べ物を一人分ご持参下さい。

年が明けて、 2010 年 1 月 17 日 (日) 午後に横浜駅西口のかながわ市民活動センターで新春講演会を開催します。講師は中国武漢大学国際関係研究院 (大学院) 日本研究中心執行主任熊沛彪教授です。日本語で講演します。その後に恒例の新年宴会をおこないます。

友人の方々から近しい人びとのご不幸をお知らせいただきました。遅ればせながら心からお悔やみ申し上げます。

寒さが厳しくなります。年末年始、くれぐれも御身大切にお過ごし下さい。

2009年11月16日

第5回グローバル・アカデミー報告

岩木 秀樹 (11時12分)

2009 年 11 月 15 日 (日) 13:30 から 17:00 まで、横浜市青葉区区民活動支援センター会議室 2 ・ 3 で、第 5 回「グローバル・アカデミー  GA (地球大学院)」を行いました。 11 名が参加され、有意義な議論をすることが出来ました。

1 コマ目 (13:30-15:05) には岡田邦生さん (ロシア NIS 経済研究所) が「日ロ経済関係の現状と展望」を、 2 コマ目 (15:15-17:00) には木村英亮さん (横浜国立大学名誉教授) が「ソ連経済における市場経済  中国の体制をどう見るか」を発表しました。地球宇宙平和研究所では来年度にロシア訪問を予定しており、タイムリーかつ 2 人の違った視点の発表によりロシアを見ることができ、興味深いものとなりました。

岡田さんの発表では、細かな数字や図表を用い、ロシアの現状と今後がわかりやすくパワーポイントを使用して報告されました。ロシア経済における総輸出額の 65% をエネルギーが占めており、近年まで原油高を背景に高い成長率を誇っていました。リーマン・ショック以後は、他の資本主義諸国と同様に経済的停滞を経験したが、依然として産出量も埋蔵量も豊富な資源大国であることに変わりはない。日本からロシアへの輸出は自動車が急激に増えており、日本への輸入は石油が増大している。今後、サハリンや北東アジア地域のパイプライン設置により、さらなる日ロ関係の緊密化が望まれる。

木村さんの発表では、これまでのソ連史研究に触れながら、市場経済という観点からソ連の社会主義を再考し、弱肉強食の新自由主義へのオルタナティブを提供するものでした。ソ連史においても市場経済はすでに試みられており、最初はネップによるもの、第二は利潤導入などのコスイギン改革、第三はゴルバチョフ改革であった。ソ連邦の崩壊は一国社会主義の破綻であり、本来社会主義とは国際的なものであり、またそれが経済状況にも適していることは様々に議論されてきた。ソ連の社会主義を当時の国際的・国内的状況を踏まえて理解することが大事であり、社会主義経済 70 年の経験を今後も貴重な財産とすべきであろう。

お二人の発表は、かたやロシアのあるべき資本主義の大きな可能性を示すもの、かたや社会主義経済の有効性とその遺産の正当な継承を訴えるものであり、一見水と油と考えられがちである。しかしいずれも、現在の金が金を生む行き過ぎた新自由主義経済を乗り越える第三の道を志向しているように思われた。質問や意見もそのそうなものが中心だった。人々の自由な意志や労働を保証しながら、生産力を高めつつ、環境にも配慮し、公正で公平な社会のための福祉・教育・医療等のセイフティーネットを強くしていく社会が望まれるだろう。またそれらは時代的・社会的条件の中で行われることも心に留めなければならない。

今年度から始まったグローバル・アカデミーも無事 5 回終了することができました。お忙しい中報告を引き受けていただいた講師の皆さん、また議論に加わっていただいた参加者の皆さん、大変有り難うございました。来年度へ向けて、ぜひ様々なご意見をお寄せください。個人的には、もっと議論の時間をとる、テーマを決めて行う、身近な地域で複数のグローバル・アカデミーを行うなどを考えております。今後とも何卒よろしくお願いいたします。

2009年11月14日

オバマ大統領の演説について

中西 治 (12時00分)

2009 年 11 月 14 日午前 10 時 10 分頃から 30 分間ほど、オバマ米国大統領のアジア政策についての簡潔な演説を NHK テレビで拝見・拝聴しました。私も簡潔に感想を述べます。

第一は、オバマ大統領が日米の友好関係の重要性を強調されたことを歓迎します。このところ「日米同盟」が喧伝されていますが、私は「日米同盟」とは「日米軍事同盟」ではなく、「日米友好同盟」であると考えています。それが 21 世紀のあるべき「日米関係」です。

第二は、沖縄の普天間基地について米国はこれまでの立場を大きくチェンジし、普天間基地を撤去すべきです。日本人の多くがオバマ大統領に期待しているのはこのことです。 1945 年 8 月の敗戦後の軍事占領とそれに続く日米安全保障条約によって、日本には、すでに 64 年余にわたって米軍基地が存在してきました。もう十分であると思います。

第三は、オバマ大統領が朝鮮戦争の完全終結と朝鮮半島の非核武装化および米朝国交の正常化によって、アジア・太平洋地域の平和と安定のため、また、核のない世界を実現するために大きな成果をあげられることを心から望んでいます。

2009年10月20日

第4回グローバル・アカデミー報告

岩木 秀樹 (13時48分)

2009 年 10 月 18 日 (日) 13:30 から 16:40 まで、横浜市青葉区区民活動支援センター会議室 2・3 で、第 4 回「グローバル・アカデミー GA (地球大学院) 」を行いました。会員でない方が 4 名も参加され、合計 14 名の方々によって、有意義な議論をすることが出来ました。

1 コマ目 (13:30-15:00) には汪鴻祥 (創価大学教授) さんが「現代中国外交の再考 ―その変化、特徴、課題などについて―」を、 2 コマ目 (15:10-16: 40) には徳永雅博 (江東区議会議員) さんが「民主党政権の誕生の背景と今後について」を発表しました。いずれのテーマも、中華人民共和国建国 60 周年と日本における政権交代という非常にタイムリーかつ興味深いテーマでした。

汪さんの発表では、まず建国以来 60 年間の外交の変化が論じられ、半植民地国家から独立自主国家へ、革命の外交から平和の外交等への変遷が概観された。さらに最近の中国がグローバル化の受益者、国際秩序の建設者になったことも指摘された。その後、中国外交の特徴として、目標・周期・理念・風格・形態・構図に分けて分析され、最後に今後の課題として、「調和世界」の構築や周辺・国境問題の処理、さらに国際貢献の向上などの重要性を指摘された。非常にわかりやすい報告で中国外交 60 年を総括的に概観でき、今後の中国の行く末をより見通すことができたと思います。

徳永さんの発表では、まず 2009 年 8 月 30 日の衆議院選挙結果の特徴として、政権交代の実現、自由な言論環境の誕生、官僚中心からの脱却、閣僚への労働者の代表の就任を挙げ、また政権交代の背景として、新自由主義への怒りと二大政党制への期待があると指摘された。さらに政権交代の社会的経済的背景として、所得の低下、労働環境の悪化、自殺者の増大、利益誘導型政治の限界等を考察された。民主党が目指すものは、政治主導の地域主権国家であり、従来の 55 年体制によるイデオロギー論争から生活者の視点へのパラダイムシフトであると述べられた。細かい数字に裏付けられた説得的な発表であり、今後の日本の将来を指し示すものであったと思います。

2009年10月4日

古田元夫著『ドイモイの誕生』紹介

中西 治 (16時35分)

私たちの友人である古田元夫さんが、新著『ドイモイの誕生』青木書店、を2009年9月10日に上梓しました。

古田さんは2008年5月18日に私たちの研究所の第7回総会で「今日のベトナムとアジアの平和」と題して記念講演をしました。古田さんは、また、私たちの研究所代表団が2009年9月1-8日にベトナム社会主義共和国を訪問するにあたって種々ご指導下さいました。

古田さんのおかげで、私たちの代表団はハノイでベトナム社会科学院と学術交流をすることができました。

その古田さんが、新著で、ベトナム共産党が1986年12月の第6回大会で「ドイモイ(刷新)」と呼ばれる改革を本格的に開始するまでの過程を明らかにしています。

1986年といえば23年前。

その前年の1985年3月にゴルバチョフがソビエト共産党書記長に就任し、1986年2-3月の第27回党大会を経て、同年6月の党中央委員会総会で「ペレストロイカ(ベトナム語訳では改組)」を打ち出し、7月に「ペレストロイカは革命である」と述べました。その最初の具体的な政策が同年11月の「個人勤労活動法」の採択でした。それまで禁止されていた「白タク」が公認されました。

ベトナムの「ドイモイ」はソビエトの「ペレストロイカ」の影響をうけたものとされてきました。

古田さんは、ペレストロイカがドイモイ路線の形成に影響を与えていることは事実であるが、「それをドイモイ路線形成の主たる要因として扱うことは問題である」と主張しています。

古田さんは「ドイモイ路線形成には、まずベトナムの一般の人びとや、地方の下級の共産党組織による「下からのイニシアティブ」が重要な役割を果たし、これを受けて共産党の最高指導部のなかに生まれたチュオン・チン(長征、本名ダン・スアン・ク)を中心とする改革推進勢力が、より保守的な、あるいはより慎重な他の指導者を、ある時には説得し、ある時にはその反対を押し切って、ドイモイ路線の形成にいたった」ことが決定的に重要な意味をもっている、と強調しています。

古田さんがこの書を歴史学研究会のシリーズ「民族を問う」の一冊として世に問うたのは、ドイモイ路線の形成がベトナムにおける社会主義の「民族化」の道を切り開くものであり、社会主義と民族という問題が交差する性格をもっていると考えているからです。

1965年以降、米国軍の爆撃が恒常化するなか北ベトナムでは農業が集団化され、大半の農家が高級合作社に参加し、国家がその作物を安い価格で買い取り、都市に提供していました。

都市では配給制度が実施され、国家が米や布をはじめ生活必需品を安い値段で労働者をはじめとする市民に提供していました。ソビエトや中国からの無償の援助物資が大きな役割を果たしていました。

「丸抱え(配給制度)時代」、「貧しさを分かちあう社会主義」、ベトナム版「戦時共産主義」でした。

1975年4月にサイゴンが陥落し、1976年7月に南北ベトナムが統一し、ベトナム社会主義共和国が発足したあと、いつまでも戦争中の制度を維持することはできませんでした。

1977年には中国との関係が悪化し、中国からの援助物資が来なくなりました。ソビエトや東ヨーロッパ諸国からの援助も減り、生活必需品は通常の貿易で入手しなければならなくなりました。

国内での食糧生産量は籾換算で1976年に1349万トン、1977年に1262万トン、1978年に1227万トン、1979年に1398万トンであったのに、国家徴収量は1976年に204万トン、1977年に169万トン、1978年に159万トン、1979年に145万トンと激減していました。もはや、戦時中のように農村から安価な食糧を調達できなくなりました。

地方の党と政府が米を農民から高い値段で買い入れるとか、配給制で安価に提供してきた生活必需品の価格を引き上げ、その代わりに賃金を引き上げるとかの「地方の実験」を始めました。これをハノイの中央の党と政府は簡単に認めませんでした。

この1970年代末から1986年の「ドイモイの誕生」にいたる時期を、古田さんは「ベトナムにおける改革路線の形成過程」として、近年公刊された「党文献」や「未公開資料」および「著者によるインタビュー」などを使って詳細に明らかにしています。

古田さんは「地方の実験」に対して当初、否定的であったチュオン・チンがこれに肯定的になり、第6回大会では党書記長として「ドイモイの生みの親」に変身する過程を描き出しています。同志たちとの一連のやり取り・論争は一編のドラマです。

1985年6月のレ・ズアン書記長の発言、「自らの理論のなかで、マルクスはプロレタリア独裁を、レーニンは労農同盟に言及したが、ベトナムは集団主人公と言っている。」、という言葉や1986年4月のチュオン・チンの発言、「第6回大会は、観念のドイモイ、知識のドイモイ、発想のドイモイ、とくに経済の発想のドイモイ、ホーおじさんの作風にならっての仕事のしかたのドイモイという面に体現される、基本的で重要なドイモイの一歩を記す大会にならなければならない。」という言葉は心に残ります。

私はこの本を読んで、ソビエトの「戦時共産主義」から「新経済政策(ネップ)」への転換、「独ソ戦争」から「スターリン死後の改革」、「ゴルバチョフのペレストロイカ」から「ソビエト体制崩壊」への過程、中国の「文化大革命」から「改革開放政策」への転換、「朝鮮とキューバの現在の状況」などを思い浮かべています。

日本やドイツのように戦争に負けた国では、否応なく戦時中の体制が破壊され、新しい体制を作ることになります。

戦争に勝った国、負けないで持ちこたえた国は、非常時の体制から平時の体制への切り替えがきわめて困難です。人びとは貧困と生活の不自由さから変革を求めます。指導者はその体制で戦争に勝利したのですから、体制に愛着を持っています。

人びとと指導者とのあいだには常に認識と意識の相違があります。人びとの認識と意識が進んでいる場合、「下からの改革」となり、指導者の認識と意識が進んでいる場合、、「上からの改革」になります。

いずれの場合も下と上とのあいだで衝突が生じます。これを上手く処理したとき、体制は持ちこたえ、新たな発展をします。上手く処理できなかったとき、体制は混乱し、崩壊します。

1986年段階で、改革はベトナムの方がソビエトよりも先を進んでいました。ベトナムではいまも体制は維持されていますが、ソビエトでは体制は崩壊しました。

ベトナムを初めて訪れて、「百聞は一見に如かず」と思いました。その後、この本を読んで、「一見は一読に如かず」と感じています。本は人間の認識と意識を変えます。

古田さん、おめでとうございます。ありがとうございます。

2009年9月21日

第3回グローバル・アカデミー報告

岩木 秀樹 (1時59分)

2009 年 9 月 20 日 (日) 13:30 から 16:40 まで、横浜市青葉区区民活動支援センター会議室 1 で、第 3 回「グローバル・アカデミー GA (地球大学院) 」を行いました。 10 名の方が参加され、様々な議論をすることが出来ました。

1 コマ目 (13:40−15:00) には遠藤美純 (地球宇宙平和研究所理事) さんが「近代世界システムにおけるヨーロッパの台頭」を、2 コマ目 (15:10−16: 40) には王元 (地球宇宙平和研究所理事) さんが「中国の周期的社会動乱の再考:古典周期の終焉について」を発表した。

遠藤さんの発表では、ヨーロッパの発展において、ヨーロッパは特殊であるとの近代化論とヨーロッパを相対化する従属論に分けて、様々の研究者の論点をわかりやすくまとめ、1800 年が大きな画期であり、その時点で世界が一つになり、近代世界システムが構築されたことを考察した。その際、交通・通信などの科学技術とグローバリゼーションとの関係が非常に重要となることを指摘した。討論では、1492 年のコロンブスのアメリカ大陸到達や 1800 年頃の技術革新は大きな変革をもたらしたこと、世界システム論では戦争の問題が捨象されていること、米国をどう位置づけるか、ヨーロッパの台頭要因などが議論された。

王さんの発表では、1911 年からの現代中国における社会動乱の周期を 8 年から 1 2 年として、現代中国の事件を説明し、動乱の担い手として知識人や大学生に着目し、社会的圧力の高まりが一定の周期性にしたがって爆発することを考察した。その論拠として、様々の研究者や現代史の重大事件、また経済学や社会学の分析方法も用い、さらに自然災害や 5 年おきに開催される党大会まで視野を広げて説明された。現在、中国社会の成熟や経済発展、大学生の大衆化やノンポリ化などにより、この周期も最近は変容しつつあることが論じられた。討論では、大学生の進学率が相当高くなったことによる大学生の変化、動乱には外国からの武力侵攻も含めるのかといった動乱の定義の問題、時期区分の問題と「古典周期」という用語の妥当性、8 年から 12 年サイクルの論拠としての大学生活 4 年間についてなどが論議された。

いつも思うのであるが、発表をし議論をすることの重要性を感じる。ややもすれば自分の頭のなかで完結していると思えることが、他者の意見によりそれが崩され、大いに参考になることがある。まさにグローバル・アカデミーもそのような機会のひとつであろう。最近あるところで読んだものに、「本当の教養ある人とは、問答無用を否定する人である」というのがあった。対話や議論なきところに、文化や思想はないであろう。これからも大いに、権力関係や利害関係がない空間で言いたいことを言い合いたいと思う。今後とも、そんなグローバル・アカデミーにしていきたいと思っている。

2009年9月19日

ベトナム社会主義共和国訪問記 2009年9月1日〜8日

浪木 明 (21時56分)

1 日 (火) 曇り。中西、鈴木、徳永、浪木、浪木 (香) 、山口の 6 名、 18:05 日本航空 759 便にて成田空港出発。出入国カード健康申告、税関申告書記入。 22:15 ホーチミン着。前日現地入りしていた馬場と合流。コンチネンタルホテル泊。 10000 円を 1,936,500 ベトナム・ドンに換金。

2 日 (水) 曇り。現地在住の村山女史と合流。参加者 8 名全員揃う。 64 年目の国慶節 (建国記念日) 。ホテル前に、送迎のマイクロバスを長時間 (10 分程度) 駐車したとして、 50,000 ドン罰金を途中支払う。約 70km 離れたクチへ向かい、クチトンネル歴史遺跡区を見学。市内へ戻り水上人形劇を鑑賞。市内レストランで食事。

3 日 (木) 曇り。バンラン大学訪問。 1995 年設立され、急速に成長したベトナム私学の一つで、「道徳心、意志、創造」をモットーとする。国際協力プログラムを重視。意見交換では、独立とグローバリゼーション、社会主義の維持、教育と生活様式、外国語・愛国教育、ホーチミン思想、信教の自由等を議題に活発な話し合いが行われた。通訳はグエン・ティ・ハイン・トゥック女史とチャン・クァン・トゥエ氏。午後、レ・クイ・ドン中学校を訪問し日本語クラス見学。戦争証跡博物館見学後、在ホーチミン日本国総領事館を表敬訪問。水城幾雄総領事と会談。夜は、ホーチミン日本商工会の小須田森仁会長と会食。

4 日 (金) 曇り。視覚障害者学校見学。政府からの援助はなく、点字書籍販売等で学校を維持運営。子供たちによる楽器・合唱の心温まる歓迎があった。日本食レストランで昼食。午後、人文社会科学大学訪問。グエン・バン・ティエップ人類学部長を中心に討議。 WTO 加盟とグローバリゼーション、対仏・対米戦争におけるベトナム共産党の役割、格差と住宅問題、儒教精神などをめぐり話し合いが行われた。

5 日 (土) 曇り。 10:30 ベトナム航空 218 便にてホーチミン空港発。 12:30 ハノイ空港着。エアバス機で軽食も出され、快適な国内移動だった。ホライゾンホテルにチェックイン。午後、市内観光 (文廟、ホーチミン博物館) 。夜、ホアンキエム湖岸のレストランにて夕食。満月が美しかった。現地法人経営者の村山文雄氏、ベトナムガイド誌「ビナ BOO 」の芝きくよ女史が同席。

6 日 (日) 晴れ。 7:30 ホーチミン廟拝観。防腐処理を施されたホー・チ・ミンの遺体が補修のため翌日からモスクワに搬送され、約 2 ヶ月間この廟は閉館されるとのこと。午後は世界遺産ハロン湾見学。観光船を貸し切って 4 時間の贅沢なクルージングを堪能。船内で海産物の昼食、途中洞窟見学をする。ハノイ市内に戻り、歴史ある一軒家を改築したレストラン「シーズン」にて夕食。ベトナム・ソークレス株式会社の池田英知氏が同席。

7 日 (月) 晴れ。ホテルチェックアウト後、ベトナム社会科学院を訪問。緊急に首相と会うことになったドー・ホアイ・ナム院長に代わって出席したヴォー・ハン・ヴィン副院長他 9 名の皆さんが歓迎。中央政府のみならず地方政府の政策策定を行い、経済発展に寄与し、大学院レベルの人材育成に取り組まれているとの紹介があった。ベトナムの交通戦争、エネルギー不足、中越関係、日本の民主党政権とアジアなどについて活発な論議が行われた。通訳はヴー・ティ・ホン・ミン女史。昼食にベトナムのフォーをいただいた後、午後双日株式会社アジア・大洋州副総支配人の渡邊理史氏とベトナムと日本の経済関係等について懇談。在ベトナム日本国大使館を表敬訪問し、眞鍋寛参事官と会談。外務省、大使館、 NGO の文化交流における役割、資金協力援助について貴重なアドバイスをいただいた。夜、ハノイ空港内の海鮮レストランで夕食。馬場、村山女史に別れを告げて 23:29 日本航空 752 便にてハノイ発。

8 日 (火) 曇り。 6:29 成田着。中西、鈴木、徳永、浪木、浪木 (香) 、山口の 6 名無事帰国。解散。

最後に今回のベトナム訪問の所感を述べたい。

  • ベトナムの国慶節記念週間及び大学の夏休み期間にもかかわらず、多くの研究者との学術交流が実現し、今後の一層の交流促進を固く約し合うことが出来た。
  • 今回の学術交流は全てベトナム語と日本語の専門通訳 3 名を介して行われた。
  • 短期間に現地社会で活躍されている方々から有益な情報を得ることが出来た。
  • 今回は 8 名 (会員 5 名・非会員 3 名/ 男性 4 名・女性 4 名) の参加だったが、コストパフォーマンスに優れ、移動・食事等の点で適正人数であった。また全員がそれぞれの役割を全うし、密度の高い充実したベトナム訪問だった。

2009年9月16日

鳩山由紀夫内閣の発足に寄せて

中西 治 (17時00分)

2009 年 9 月 16 日午後に民主党代表鳩山由紀夫さんが衆議院で 327 票、参議院で 124 票を獲得し、衆参両院で内閣総理大臣に指名されました。鳩山由紀夫内閣が民主党・社会民主党・国民新党の 3 党連立内閣として発足することになりました。

第二次大戦後の日本政治史上、画期的な出来事です。

戦後日本政治史は次の五つの時期に分けることができます。

第一は、最後の戦時内閣であり、敗戦処理内閣であった鈴木貫太郎内閣 (1945.4-8) のあと、旧憲法のもとで東久邇宮内閣 (1945.8.17-10) 、幣原喜重郎内閣 (1945,10-1946) 、第一次吉田茂内閣 (自由党) (1946.5-1947) と続きました。

第二は、1946 年 11 月 3 日公布、 1947 年 5 月 3 日施行の新憲法下、最初の総選挙で社会党が第一党となり、片山哲内閣 (社会党) (1947.5-1948) が発足し、そのあと、芦田均内閣 (民主党) (1948.3-10) 、第二次〜第五次吉田茂内閣 (自由党) (1948.10-1954) 、第一次〜第二次鳩山一郎内閣 (民主党) (1954.12-1955) と続きました。

第三は、1955 年に自由党と民主党が合同し、自由民主党となり、第三次鳩山一郎内閣 (自民党) (1955.11-1956.12) が発足してから 1993 年 7 月の総選挙で敗北し、野党に転落するまで続いた自民党単独政権の 38 年間です。

第四は、1993 年 8 月に非自民連立政権の細川内閣が成立したあと羽田内閣に引き継がれたものの、いずれも短期政権に終わり、 1994 年 6 月に自民党が社会党と組んで政権に復帰し、連立相手を変えながら今回の総選挙で敗北するまで続いた非自民連立政権と自民連立政権の 16 年間です。

第五は、今回の鳩山由紀夫内閣の発足によって始まりました。今回も連立政権ですが、主役が自民党から民主党に代わりました。

完全に崩壊した「 1955 年体制」は自民党内の政権交代システムでした。この体制は宇野内閣・海部内閣あたりから綻びが見え始めていました。安倍内閣・福田康夫内閣・麻生内閣などは正常な統治能力を喪失していました。

小泉内閣以降の政府が推進したネオリベラリズム (新自由主義) 経済政策は、すべてを損得・金銭で計り、弱肉強食のゆとりのない、ぎすぎすした、潤いのない社会をつくりだしました。医療や教育までもが「仁術」ではなくなり、「算術」になりました。人々は生活に苦しみ、将来への希望を失ない、一日に 100 人近くの人が自ら命を絶つ異常な社会になりました。

イラクへの自衛隊の派遣と「新憲法草案」の自民党大会での採択などは、憲法 9 条をまもり、平和に徹する多くの人々の琴線に触れました。日本国民の多くは憲法改悪・戦争参加への道に危機感を覚えました。いくら口で平和を唱えても、実際に戦場に軍隊を送り、それを戦争でないと強弁する政治家を人々は信じなくなりました。それを如実に示したのが今回の選挙結果でした。

新たに誕生した「 2009 年体制」は民主党と自民党のあいだ、保守党間の政権交代システムです。このシステムが今後どのようになるのかは、主権者の意志と行動によって決まります。

今回の選挙結果を議席数で見ると、民主党 308、自民党 119、公明党 21、共産党 9、社民党 7、みんなの党 5、国民新党 3、新党日本 1、新党大地 1、無所属 6、計 480 です。

前回、 2005 年 9 月 11 日の小泉さんの郵政選挙と比べて、民主党 195 増、自民党 177 減、公明党 10 減、共産党・社民党・新党日本・新党大地 0 (増減なし) 、国民新党 1 減、諸派・無所属 12 減、です。民主党の一人勝ちです。自民党・公明党の大敗です。小泉さんは公約通り見事に政権党・自民党を潰しました。

これほど大勝したのに民主党が社民党および国民新党と連立政権を組まなければならないのは、参議院において民主党が過半数の議席を有していないからです。それだけではありません。今回の総選挙で民主党は得票数で有権者の過半数の支持を得ていません。

比例区の得票数で見ると、民主党 2984 万・前回比 881 万増 (千以下切り捨て、以下同様) 、自民党 1881 万・707 万減、公明党 805 万・93 万減、共産党 494 万・2 万増、社民党 300 万・71 万減、国民新党 121 万・3 万増、みんなの党 300 万・前回なし、新党日本 52 万・112 万減、新党大地 43 万・0 (増減なし) 、改革クラブ 5 万・前回なし、です。

自民党の減った分 707 万のうち 300 万はみんなの党に投じられたとすると、実質減は 407 万、これと公明党の減った分を加えて 500 万、さらに、社民党と日本新党の減った分 183 万、合わせて 683 万がそっくり民主党に移り、さらに、新しい票 198 万を民主党が獲得したことになります。

それでも自公を合わせると、2686 万、これにみんなの党と改革クラブを加えると、 2991 万です。自公などが民主を 7 万上回っています。得票数において民主党は決して圧勝していません。衆議院での民主党の多数は少数者排除の現在の選挙制度がうみだした虚構です。

現在の日本政治の方向を決定するもう一つの重要な要素は、共産・社民・国民・日本・大地などの合計 1010 万です。これらの勢力が民主・自公のいずれにつくのかによって日本政治の方向が決まります。

今回は社民・国民・日本・大地の 516 万が民主につくことによって民主は 3500 万となり、自公などの 2991 万を抑えて政権を預かることになりました。大臣職を社民党と国民新党に一つずつ渡したのは当然です。この枠組は流動的です。

早速、衆議院での首班指名選挙で鳩山さんに民主党 308・社会民主党 7・国民新党 3・新党日本 1・新党大地 1、計 320 の他に、みんなの党 5 と無所属 2、計 7 が投票されたようです。

みんなの党はいまのところ参議院議員を持っていないので民主党の連立の対象になっていません。民主党が欲しいのは参議院議員です。みんなの党が参議院で議席を持つようになると、どのようになるか分かりません。

「綸言汗の如し」といいます。天子の言葉は汗のようなもので一度出れば、戻せないのです。君主の言葉は重いのです。公約は重いのです。

期待が大きいだけに民主党がそれに応えられなければ、次の選挙でまたひっくりかえります。

当面の問題は鳩山由紀夫内閣がいかなる政策を実行するのかです。まずは、来年、2010 年の参議院議員選挙までです。

私はじっくりと新政権の政策を観察し、時に応じ、主権者の一人として発言し、行動します。

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