9.11」タグアーカイブ

9.11事件15年にあたって

中西 治

本日は2001年に9.11事件が起こってから15年です。

この事件のあと戦争の性質と形態が複雑になり、大規模となりました。

例えばシリア戦争です。

この戦争はアサド政権に対する反政府派の内戦として始まりました。ロシアが政権側を支持し、米国が反政府派を支持しました。そこへ「イスラム国」が加わりました。戦争は三つ巴となりました。

米国とロシアが「イスラム国」を攻撃し始めました。「イスラム国」に国境はありません。米国を支持するフランスが攻撃の対象となりました。攻撃の対象は世界の他の地域にも広がっています。世界中が戦場です。日本人も殺されるようになりました。

「一地域の戦争がただちに世界的な戦争になり、国家だけでなく、世界の民衆も直接巻き込む戦争となりました。」これが現代です。

もう一つ、緊張が高まっている地域があります。朝鮮半島です。

1950年6月に朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮と略称)と大韓民国(以下、韓国と略称)の間で戦争が起こりました。米国が韓国を支持し、中国が朝鮮を支持し、朝鮮半島全体が戦場となりました。

1953年7月に朝鮮・中国・米国の間で停戦協定が調印され、休戦となりました。韓国の李承晩大統領は「武力統一の機会が遠のく」と考えて調印を拒否しました。国際法的には朝鮮と韓国との間の戦争は終わっていません。

2000年6月15日に韓国の金大中大統領が平壌を訪問し、金正日国防委員長と会談しました。国の統一問題を同じ民族同士が自主的に解決することになりました。

2006年10月9日に朝鮮が「第1回地下核爆発実験」をおこないました。2016年9月9日に「核弾頭の威力を判定する第5回核爆発実験」を実施しました。両国の関係は再び悪化しました。

朝鮮半島での戦争を完全に終わらせ、朝鮮と米国との関係を正常化しなければなりません。

「今度の戦争は核戦争になる可能性があります。」

このようなシリアや朝鮮半島の状況に日本はどのように対処すればよいのでしょうか。

基本的には内政不干渉です。

それぞれの地域の問題を決めるのはそれぞれの地域に住む人民です。

日本はシリアと朝鮮半島での紛争を平和的に解決し、完全に平和を回復するのに協力するだけです。日本がこれらの紛争に軍事的にかかわれば、火に油を注ぎ、かえって戦争は拡大するでしょう。

現地の言葉も事情もよく分からない日本の自衛隊員がシリアに戦争に行って何ができるでしょうか。戦争に行くというのは「人を殺しに行く」ということです。実際は「殺し、殺される」ことになるでしょう。

1950年に朝鮮戦争が始まったとき、もし日本兵が朝鮮に来れば、韓国と朝鮮はすぐに戦争を止めて日本兵と戦うと言われていました。いまはどうでしょうか。韓国人は日本人が朝鮮人を殺すことを喜ぶでしょうか。平和的に統一をするか、否かを決めるのは朝鮮人と韓国人です。両国の最高指導者の資質が問われています。

海上自衛隊のインド洋からの帰国を喜ぶ

中西 治

石破防衛大臣は2007年11月1日15時に「テロ対策特別措置法に基づく対応措置の終結に関する自衛隊行動命令」を発し、インド洋上で米国、英国、パキスタンなどに給油活動をおこなってきた海上自衛隊に2日午前0時で活動を止め、帰国を命じた。合わせて航空自衛隊が日本国内外の米軍基地間で米軍の輸送支援活動をおこなっていたのも中止される。

私はこれを喜ぶ。

2001年9月11日の事件とアルカイダ、タリバン、アフガニスタンとの関係はいまだに定かでない。それを強引に結びつけて米国はアフガニスタンに出兵し、タリバン政権を倒したが、アルカイダの中心者と言われる人は見つからず、泥沼にはまり込んでいる。

同じことがイラクでも起こっている。イラクに大量破壊兵器があるといって米国はイラクを攻撃し、フセイン政権を倒し、フセイン大統領を殺したが、大量破壊兵器は見つからず、ここでも泥沼にはまり込んでいる。

アフガニスタンでもイラクでも事態は米国軍が介入する前よりも悪くなっている。

日本は先にイラクから陸上自衛隊を引き揚げたが、いままたインド洋から海上自衛隊を引き揚げた。残っている航空自衛隊もイラクから引き揚げるべきである。

海上自衛隊をインド洋から引き揚げることによって日米関係が悪くなると言われているが、そのようなことはない。ブッシュ大統領やそれを取り巻く一部の人は残念だろうが、米国人の多くはアフガニスタンとイラクからの米国軍の撤退を要求している。次の大統領は誰がなっても、アフガニスタンとイラクから米国軍を引き揚げることになるであろう。

日本の一部には現在国会に提出されている補給支援特別措置法が参議院で否決された場合、衆議院で三分の二で再議決し、可決すべきであるとか、自衛隊の恒常的な海外派遣のための法律を制定すべきだとの論があるが、これらは論外である。それは先の参議院選挙で示された主権者である日本国民の意思に反する。

テロも悪いが、戦争はもっと悪い。テロは私的な集団や個人がおこなう戦争であり、戦争は国家がおこなうテロである。戦争でテロを根絶できない。

日本は自衛隊を派遣するのではなく、地球上の各地に住む人間の生活の安定と向上に資し、テロの根元を絶つ努力をすべきである。

世界の流れを変えるときである。

「イラク」抜きの平和論

わたなべ ひろし

フリーライターの永江朗さんが、自著である『批評の事情』の文庫化に伴い、その「あとがき」で、「9.11」に関連して次のように書いている。

同時多発テロの犠牲者は気の毒ですが、しかし、パレスチナではイスラエル軍によって毎日のように非戦闘員が殺されているのだし、キューバでは長期にわたるアメリカの経済封鎖によって人々は困窮しています。不幸なのはアメリカ人だけではない。(中略)正直いって私は、同時多発テロの犠牲者だけ特別に同情したりする気になれません。もちろん「ざまあみろ」とはいわないけれども、「そういうこともあるか」という程度なのが正直な気持ちです。そしてそれは、アメリカの同盟国である日本に住む私や私の妻や友人がテロの標的にされても「そういうこともあるか」と考えるしかない、ということでもあります。私たちはそういう時代に生きている、ということをあの事件は考えさせてくれました。

先ごろのロンドンでの「連続爆破攻撃」(僕はあれをテロとは言わないことにしている)の報道に接した際、僕が感じたことは永江さんと全く同じであった。ただ永江さんとのニュアンスの違いが若干ある。「私たちはそういう時代に生きている」のは確かかもしれないが、それはとりもなおさず僕たち自身が選択したものなのだということである。もし「日本に住む私や私の妻や友人がテロの標的にされても」、それは「アメリカの同盟国」としての道を選択した僕たち日本国民の責任だということである。

例えば今回の衆院選挙結果などを見たら、国内的にはイラク問題など全く争点にもならなかったが、国際的には「アメリカの同盟国」としてイラク派兵への道をあらためて支持するということを日本国民が表明したものとして受け取られるに違いない。だってイラク状況がこれだけ混乱している中での派兵当事国の国政選挙なのだから、それが争点にはならなかったなんて国際的にはきっと考えられないことだと思う。

もちろん僕自身、彼等の攻撃対象などになりたくはない。しかし僕たちは現在の消費生活を享受するために、数ある選択肢の中からイラクへの派兵を選び覚悟の上で「参戦」したのであるから、「日本に住む私や私の妻や友人」が彼等の攻撃対象になることは、全く理にかなった正当な行為なのである(極めて残念なことではあるが)。なぜなら、ブッシュ米大統領が言うように、これは「戦争」なのだから。そしてもちろん彼等の「爆破攻撃」は、イラク派兵に反対している日本人と、賛成している日本人とにえり分けて行なわれるわけではない。

僕はイラクにおける現在の戦争状態とそこに日本の軍隊が参戦しているという事実、そして日本国民全員が、「私や私の妻や友人」がいつ彼等の攻撃対象になるかわからないという形で日常的にその代償を負っているという事実を前提にしない反戦や平和の言論は信用しない。

月刊誌の『第三文明』が、解散総選挙決定直後の10月号で総選挙についての「緊急特別企画!!」を組んでおり、そこに政治学者の河合秀和さんが見開き2ページほどの談話を載せている。河合秀和という人は、例えばイギリスにおける政治哲学の泰斗である、I.バーリンの日本版選集の編訳者であり、日本におけるリベラリズムの最良の一人であると僕などは思っていた。

その河合秀和さんによると、「自民党は財界に支えられ、左翼政党は労働組合に支持を得ていた」のと同様に、公明党は「家庭の主婦たち」に支持された政党だという。なぜなら彼が公明党の講演会に招待された際、役員も誘導係もお茶をだしてくれたのも女性だったからそう考えるというのである。そして公明党に望むこととして、河合さんは福祉と共に「平和の推進」をあげ、公明党は平和を愛する女性を支持基盤にしている政党であるのだから、平和のために貢献できることは多いと述べていた。

いったいこれは何かを言ったことになるのであろうか。

河合秀和のような「立派」な政治学者が、与党である公明党と極めて関係の深い月刊誌の、解散総選挙決定直後の特集記事において、平和について語った文章の中に、イラクのイの字も触れられていないのである。

日本の偉い学者がこんな文章をヘラヘラ書いている間にも、イラクの状況は深刻化し、日本の派兵責任も抜き差しならない大きなものになっていっているのだ。そしてその代償を負っているのは、繰り返すが日本国民全員の「日常生活」そのものなのである。

2005年9月11日に思う

宮川 真一

あの日、米国ニューヨークの世界貿易センタービルに多数の乗客を乗せた航空機が激突する映像に接したとき、人はそれをアクション映画の1コマと錯覚するか、「文明の衝突」というシナリオを想起するかのいずれかだったのではないだろうか。2001年8月末から9月9日にかけて、南アフリカのダーバンで反人種主義・差別撤廃世界会議が開催された。ダーバン会議では人種主義を 歴史的に形作ってきたのは植民地主義と奴隷制であることが確認され、人権の問題が南の立場から取り上げられた。EUは植民地主義と奴隷制についての謝罪に も合意した。ただし、これは補償などの代償なしの謝罪でよいという条件つきの妥協であった。しかし、アメリカはこの謝罪にすら参加しなかったのみならず、 会議でイスラエルのパレスチナに対するテロが議題に上るや、会議の途中でイスラエルとともに退場した。イスラム世界では、アメリカがダーバン会議から席を けって退場したことに対する絶望感が広がっていた。それが「9・11」のひとつの近因になったと考えられる。この会議に参加していた武者小路公秀氏は、「ビン・ラディンらイスラム・ゲリラ組織が何かするだろうと漠然と感じていた」という。(武者小路公秀『人間安全保障論序説―グローバル・ファシズムに抗して―』国際書院、2004年。)

ヨハン・ガルトゥング氏は次のように述べる。「第二次世界大戦後、米国の介入によって殺された犠牲者の数は、低く見積もっても、ペンタゴ ン(米国国防総省)の公然の行動によるものが600万人、CIAの隠然の行動によるものが600万人である。これらの合計は1200万人となる。これに構 造的暴力の犠牲者が加えられるべきである。重大な欠陥を有する経済構造によって基本的必要が奪われることにより、少なくとも日々10万人の人々が命を落と している。このうち一部分は、経済的な『悪の枢軸』との密接な関係によって、米国に起因するであろう。殺された1人に対して残された者が最低10人いると して、われわれは反米感情の強い1億を超える人々、おそらく5億の人々を語ることができるだろう。こうした強い憎しみの中のどこかで、報復への渇望が燃え 上がっている。それはイスラム原理主義者をして、怒りを行動に変えさせる。それはキリスト教原理主義者をして、米国の行動に目をふさぎ、耳を閉じ、感覚を麻痺させる。」

ガルトゥング氏によれば「9・11」は、「文明の衝突」ではなく、「文明内にある2つの原理主義の衝突」である。彼によれば、「世界は 今や対立する2つの原理主義によって翻弄されている。それはイスラムのスンナ派に属するワッハービズムと、キリスト教のプロテスタントに属するピューリタ ニズムである。両者とも中心のコアにおいて数百年の歴史をもっている。しかも彼らには自由に使用できる威力ある武器がある。兵器としての航空機の使用によ る自爆攻撃と、核兵器の使用をも含む絨毯爆撃である。」(ヨハン・ガルトゥング/藤田明史編『ガルトゥング平和学入門』法律文化社、2003年。)

池田大作氏は2002年1月に発表した平和提言において、テロリズムが多発する「9・11」以後の現代社会を覆っているものは「『自己』 も『他者』も輪郭の定かでない『人間不在』という現代の悪霊」であると指摘する。「真に脅威なのは、戦わなければならない相手は、貧困、底知れぬ憎しみ、 そして最強の敵、『人間不在』という現代の悪霊であり精神病理そのもの」である。従って、「テロリズムは、軍事力を中心としたハード・パワーだけで根絶で きるような単純なものではなく、ソフト・パワーも含め、国際社会が足並みをそろえて対処していかねばならない広がりと性格をもっている」という。

「9・11」以後の国際社会における問題状況のタテ軸には、軍事的・政治的・経済的な権力悪がある。ヨコ軸には、異文化に対する偏見と いう文化摩擦がある。そして、それらの根底には「人間不在」という精神病理が潜んでいる。この「人間不在」という悪霊を駆逐し、「生命尊厳」、「人間復 興」の潮流を興していくことが、いま切実に要請されているのではないだろうか。その上で、ヨコ軸においては分断から結合へ、破壊から創造へと、時代のベク トルを大きく変えるために、人間にそなわる善性を信じ、そこに呼びかけ、働きかけていく「文明間の対話」をあらゆるレベルで重層的に進めていくことが求め られる。タテ軸にあっては、21世紀を「教育の世紀」にしゆく挑戦の中に「生命尊厳の地球社会」を開く鍵があるのであり、一人一人の内なる無限の可能性を 開き鍛える「人間教育」、国家を超える視野を持った「世界市民の教育」が平和の礎となる。

何千年も続いてきた「力の支配」と暴力思考を変えるのは、容易なことではない。しかし人間は、なくせないと言われてきた奴隷制度を終わらせ、ホロコーストを終わらせ、アパルトヘイトを終わらせた。戦争もテロも、根絶やしにすることは不可能ではないと思う。

(拙稿「池田大作先生の『9・11』認識と『人間主義』平和構想」創価大学通信教育部学会編『創立者池田大作先生の思想と哲学』2005年。)

『華氏911』に知識人の真骨頂を見る

中西 治

華氏 911 コレクターズ・エディション

マイケル・ムーア監督の映画『華氏911』を見た。きわめて真面目な娯楽記録映画である。しかも、現代アメリカ社会の構造とその動態を見事に描き出している。

アメリカ社会の頂点に立ち、ホワイトハウスの主となっているのはテキサスの石油屋ブッシュ一族である。この一族はサウジアラビアの石油王サウド王家や富豪ラディン一族と利権で固く結びついている。2001年9月11日のあの日、首都ワシントンの超高級ホテルでアメリカの軍需産業カーライル・グループの株主総会が開かれていた。ブッシュ大統領の父ブッシュ元大統領や大株主のラディン一族が出席していた。

あの事件を実行したといわれる19人のうち15人はサウジアラビア人である。しかも、9月15日にアメリカははやくもラディン一族のオサマ・ビン・ラディンをあの事件の主犯と断定し、9月20日にはアフガニスタンのタリバン政権に対してオサマ・ビン・ラディンと彼の組織アルカイダの全員の引き渡しを要求していた。

ところが、出国規制が厳しかった9月14日から24日までのあいだにブッシュ政権は在米サウジアラビア人142人を最優先で帰国させ、さらに9月29日にはラディン一族24人の緊急出国を認めている。そのあと10月7日にアメリカはアフガンに対して爆撃を開始している。

何とも奇妙な話しである。もし、アメリカがあの事件を究明し、ことの真相を明らかにしようというのであるならば、出国規制はもっと厳格に実施しなければならなかったであろうし、アメリカがあの事件に報復しようというのであるならば、それはアフガンに対してではなく、サウジに対してであるし、タリバンに対してではなく、ラディン一族に対してであったであろう。

ブッシュに対抗するゴアもなんとも頼りない。2000年の大統領選挙でブッシュと戦い、最後は連邦最高裁判所まで争ったゴアが最終場面では道化役を演じている。選挙後の議会で選挙結果に異議を唱える一連の民主党の下院議員の発言をゴア副大統領は上院議長として阻止している。その理由はこれらの下院議員の動議に賛同して署名する上院議員が一人もいないということなのである。ゴアを含めて民主党にこれらの動議に賛同する上院議員が一人も居ないというのであろうか。

ゴアとしては連邦最高裁判所の決定のあと選挙での敗北を認め、ブッシュが大統領となることを承認した以上、問題を再び議会で蒸し返すのをいさぎよしとしなかったのであろうが、つい先日まで議場で発言している下院議員と同じことを喋っていたゴアが今度は壇上の議長席から同僚の発言を封じている光景は一場の喜劇である。いや、悲劇である。

ブッシュ大統領の戦争を熱烈に支持しているのは庶民である。激烈に反対しているのも庶民である。ライラ・リプスコムはムーアの故郷ミシガンのフリントで若者の職業指導に従事している白人女性である。夫は黒人である。フリントはグローバリゼーションの嵐の中で工場が次々と賃金の安い国に移転し、町の産業は空洞化し、荒廃し、失業率は実質50%といわれている。この街でライラは戦争に賛成し、若者たちに軍隊に入るように勧めていた。彼女の長男も軍隊に入った。ところが、長男はイラクで戦死した。ライラは戦争反対者になった。

ムーアはこうした事実を淡々と描いている。映像の持つ力は素晴らしい。知識人がもつ力は大きい。

私はムーアがさまざまな困難を乗り越えて、現職の大統領をかくも痛烈に批判し、非難し、罵倒する映画を作った勇気に心から敬意を表する。知識人の真骨頂を見る思いである。果たしてムーアのような日本人がどれくらい存在するのであろうか。

ライラの長男は死ぬ前に「みんながあいつ(ブッシュ)を再選しないように」と書き残している。アメリカ国民は今回の大統領選挙で死者のこの声にどのようにこたえるのであろうか。

書評と質問に答える

中西 治

現代人間国際関係史―レーニンからプーチンまでとローズヴェルト、チャーチル

斎藤治子さんが拙著『現代人間国際関係史』(南窓社、2003年)を『ロシア・ユーラシア経済調査資料』2003年8月号(No.854)で紹介して下さった。お忙しいなか貴重な時間を拙著のために割かれ、精読されたことに感謝している。一連の批判を頂戴したので、それにお答えしたい。第一は「不問に付」されてはいるが、「人間の研究から始める」のにホッブス、ルソー、マルクス、エンゲルス、レーニンの5人だけで良いのかの問題である。私はかつて『現代共産主義の基礎知識』(明学出版社、1974年)を上梓し、そのなかでモア、ルソー、マルクス、エンゲルス、レーニンの5人を取り上げた。私の思想は基本的にはこれらの人々の延長線上にあるが、今回はモアに代えてホッブスを入れた。政治的人間を分析するのにはホッブス的な人間観を理解することも必要であると考えたからである。抽象的な人間論に深入りせず、この部分は簡潔にし、具体的な人間をして政治的人間を語らしめるようにした。

人間の全面的解明のためにはこれだけでは十分でない。次に世に問う書においてはより広く深く人間を見つめてみたい。

第二はレーニンに関する記述についての幾つかの問題である。ここの部分は私が1980年と1971年に発表した文章が基本をなしている。前半は高校生向けの『受験の世界史』(聖文社、1980年4-12月)、後半は一般読者向けの新書『ソ連の外交』(潮出版社、1971年)に掲載したものである。いずれも最初の発表時には注が付いていなかったが、今回は注を在外研究先のアメリカ合衆国で付した。

斎藤治子さんが提起されている問題は(1)ロシアの貧困化がヴィッテの工業化そのものによってもたらされた面が強調され、農奴解放の不徹底による農民の負担過重のなかで資本主義化が進められたロシアの特殊な条件が出ていないこと、(2)第一次大戦開戦後、ほとんどの社会民主党は祖国防衛主義となって戦争支持の立場に変わる中で、レーニンなどきわめて少数が戦争反対の立場を変えず、それが厭戦気分の国民の欲求と合致したことを軽視できないこと、(3)コルニ−ロフの反乱は「ケレンスキーの政策にあきたらず」というよりも反革命を志向し、二月革命の成果をひっくりかえそうとするものであったのでレーニンは四月テーゼの「ソヴィエトへの平和的な権力移行」から「力による権力獲得」に変更し、これをめぐるボリシェヴィキの内部論争で執拗な説得をしてまわったことには触れていないこと、(4)ブレスト・リトフスク講和をめぐる論争で講和推進派のレーニンがトロツキーの折衷案である「戦争も講和もしない」に基づく交渉結果に「非常に満足したといわれる」のは信じがたいことなどである。

(1)についてはロシアの貧困化(私の言葉では「民衆の生活はかえって苦しくなった」)がヴィッテの工業化だけでなく、農奴解放の不徹底による農民の負担過重によってももたらされたことはその通りであろう。私もヴィッテのところで農民の過重負担に触れ、ストルイピンのところで対農民政策の問題点を指摘した。ただ、これを「ロシアの特殊な条件」といえるのかどうかである。遅れて工業化の道に入ったロシアや日本などの国では「工業化のための投資の大部分は人民の生活を犠牲にし、人民の中から引き出されたのである。」

(2)については私もまったく同意見である。レーニンもこのことをよく自覚していた。だから、どのような犠牲を払っても戦争から離脱し、民衆に平和を与えることが必要だったのである。

(3)についてはその通りであろう。

(4)について斎藤治子さんは「非常に満足したといわれる」の後に(典拠無し)と記しておられるが、私は「トロツキーの回想によると、ソヴェト代表団はドイツは攻撃をしかけて来ないという予測を持って、ブレストからモスクワに帰ってきた。レーニンはドイツが攻撃を再開するのではないかと危惧しながらも、この結果に非常に満足していたといわれる。」と書いておいた。典拠は注記(4)のトロツキーの回想録『我が生涯』である。この文言の評価について様々な意見があって当然である。

以上のような問題を有するにもかかわらず敢えて20年前、30年前の文章を若干の補正をしたが、ほぼそのまま(追加したのは「レーニンをめぐる女性たち」だけ)再録したのはソヴェト体制崩壊後も私のレーニンについての考えが変わっていないからである。 政治家は自己の置かれている政治的状況に応じて特定の過去の人間に対する評価を変えるが、研究者はそうであってはならない。言葉で生きる者は言葉を大切にしなければならない。状況によって言葉が変わるようでは言葉だけではなく、人間も信じられなくなる。同じことはスターリンについての評価でも言える。

私がロシア語を学び始めたのは1952年4月、スターリンがまだ健在であり、「ヴェリ−キー・ヴォ−シチ(偉大な指導者)」といわれた時代である。翌1953年3月にスターリンが亡くなったときにソヴェト人は長蛇の列を作ってその死を悼んだ。それからわずかに3年、1956年2月のソヴェト共産党第20回大会で厳しい批判にさらされたのである。

私は戦前・戦中に神と崇められた昭和天皇が戦後に人間となるのを見てきたのでこれには驚かなかった。政治家の毀誉褒貶の激しさを知った。私はいかなる人間も生きているうちは神とは思っていない。人間は人間である。生きている人間が亡くなった人間を神や仏にするのである。

私は2002年12月30日に古稀を迎えた。還暦を迎えるころから人間がやっと少し分かり始めた。そのころから文章が比較的楽に書けるようになった。70歳に近くなってこれまで雲の上の人のように思われたレーニンやスターリンやローズヴェルトやチャーチルが身近に見えるようになった。レーニンが亡くなったのは54歳、スターリンが亡くなったのは74-5歳、ローズヴェルトが亡くなったのは64歳、チャーチルが亡くなったのは91歳。

私が主として扱った時期のこれらの政治家はすべて今の私よりは若い。なるほどこの歳ではこれくらいのことしか考えられないのかと思えるようになった。

私がこの本を出したのは第二次大戦が遠い昔の物語となり、多くの事実が明らかにされないまま歴史のかなたに消え去ろううとしているからである。国際関係論の専門家を自称する人でも第二次大戦について正確な事実を把握しているとは言い難い人が増えている。この時代を生きてきた日本人研究者の一人としてどうしてもこの本は出しておきたかった。第二次大戦の性格とその戦後処理の経過・結果、戦後冷戦の起源などを正しく理解することなしに20世紀後半の国際関係を解明し、21世紀の地球社会を考えることはできない。

斎藤治子さんと私は第二次大戦中の主要な論点についてほとんど意見が一致している。

斎藤治子さんの書評とは別に、私がかつて勤めていたNHK報道局の先輩で、久しくご指導いただいている元参議院議員・衆議院議員の上田哲さんから次の二つの質問をいただいた。

第一の質問は、1907年の亡命、その後のパッとしない動静のレーニンが1917年4月3日、ペトログラードに帰国した時、儀仗兵が出迎えボリシェヴィキ、メンシェヴィキの代表が挙って歓迎した…という評価、つまり彼が遅れて来たのに「リーダー」になった経緯がよくのみこめないのです、である。

第二の質問は、「19世紀において世界政治に直接大きな影響を与えたのは国家の指導者であった。20世紀には国家の指導者とともに大衆運動組織の指導者も影響を与えるようになった。21世紀には個々の人間が地球社会の運命に直接影響を与え得るようになっている」はじつに的確な洞察です。その一例が「9.11」であるというあてはめがもう少し追いつけません。私も9.11なかりせば、イラクも今回の有事法制もなかったと思いますし、私自身、ニューヨークの現場へ行きました。それだけにこの例示をもっとよく人に伝えたいと思います、である。

第一の質問についてレーニンは亡命中の活動でロシア社会民主労働党のボリシェヴィキ(多数派)の指導者の一人として地位を確立しつつあったが、ロシアの革命運動のなかではまだ小さなグループの指導者にしか過ぎなかった。レーニンを出迎えたのは首都で革命を推進したペトログラード労働者・兵士代表ソヴェトの議長チヘイゼと副議長スコべレフなどであり、儀仗をしたのはクロンシュタット要塞の水兵たちであった。臨時政府の首相や副首相ではなく、正式の儀仗隊ではない。

チヘイゼとスコべレフはロシア社会民主労働党のメンシェヴィキ(少数派)に属した。名称は少数派でも当時の状況のもとではボリシェヴィキよりも多数派であり、影響力は大きかった。ボリシェヴィキとメンシェヴィキは党の組織のあり方や革命の路線で対立し、別々の組織になっていたが、革命的高揚のなかで統一への動きが出ていた。

1917年8月8日のボリシェヴィキの大会で戦争に反対するトロツキーやルナチャルスキーなどのグループ「メジュライオンツィ(統一社会民主主義者地区連合組織委員会)」がボリシェヴィキに加わる形で戦争に反対する社会民主主義者の統一が拡大していた。この大会にはレーニンは官憲の追及を受けて出席できなかった。マルトフが国際主義派メンシェヴィキ中央ビューロを代表して祝辞を送った。

同年11月7日に権力を握ると宣言した第2回全ロシア労働者・兵士代表ソヴェト大会にもマルトフは出席していた。同大会で人民委員会議(臨時労農政府)議長にレーニンが選出されたが、ペトログラード・ソヴェト議長兼同軍事革命委員会議長となっていたトロツキーが外務人民委員、ルナチャルスキーが教育人民委員となった。

前述のトロツキーの回想碌によると、レーニンは首都の革命の最高指導者であり、臨時政府を打倒し権力を掌握したと宣言したトロツキーに議長となるように勧めたが、トロツキーはユダヤ人であるが故に断り、レーニンが議長に就任することになったといわれている。最初のソヴェト政府は平和を実現するための統一戦線政府であった。

1917年4月から11月の間にボリシェヴィキは急速にその勢力を拡大し、影響力を強め、レーニンの権威も高まっていたが、それは激しい政治闘争の結果であった。それでもレーニンはトロツキーと並ぶボリシェヴィキの指導者の一人であった。ブレスト・リトフスクの講和をめぐる論争はこれを示している。この段階でもレーニンは絶対的な権力者ではなかった。

第二の質問について私は「同時多発テロ」という用語を使っていない。それは一般に個人やそのグループが行う暴力行為であるテロはいかなるものも認められず悪いものであるが、国家が行う戦争は最後の手段として認められ、良いものもあるとされているからである。

私はテロも戦争も関係者だけでなく、関係のない人も不幸にする悪い行為であり、両者に反対である。テロは戦争の民営化であり、戦争は国家が行うテロである。

9.11は起こるべくして起こっている。私は当初クリントン政権では起こらず、ブッシュ政権だから起こったのではないかと考えていたが、アメリカ合衆国で1年間生活し研究する過程でブッシュ政権の登場は事件の発生を早めた可能性はあるが、それはアメリカ合衆国が多年にわたってイスラエルの側に立ってアラブの人々を抑圧してきた必然の結果であると考えるようになった。

9.11は悪い結果をもたらしている。それはアメリカ合衆国をアフガニスタンのタリバン政権に対する戦争、イラクのフセイン政権に対する戦争へと導き、紛争を拡大し、より多くの人間をいっそう不幸にしている。しかし同時に、朝鮮戦争やベトナム戦争がアメリカ合衆国における公民権革命を促進し、アメリカ社会を質的に変える重要な要因になったように、アフガニスタンとイラクに対する戦争もその実行者の意志に反してアメリカ合衆国を再び質的に変える重要な要因となるのではないかと考えている。

私は9.11の出来事がその一例となると指摘したあとに「人間はこの時代にふさわしい人間とならなければならない」と述べている。

21世紀は個々の人間が地球社会の運命に良きにつけ悪しきにつけ直接影響を与え得るようになっているから人間は良い影響を与えるように努力しなければならない。これが私が言わんとしていることである。

さらに別の方から、ソヴェト体制とエリツィン、プ−チンについて語ったところでゴルバチョフについて論じた部分が少ないのではないのか,彼をどのように評価するのか、との質問を受けている。

私はゴルバチョフについては別に一書『ソ連邦から共同体へ』(南窓社、1992年)を書いており、このなかで合格点を60点から50点に下げ、彼に50点をつけている。ぎりぎりの合格点である。彼が意図してソヴェトを解体させたのならば、100点であるが、彼は決してそれを望んではいなかった。だから、零点である。しかし、人間を解放したこと、世界戦争の危険を遠のけ、核ミサイル兵器削減の第一歩を踏み出し、ドイツ統一を促進したことなどを評価し、点を加え、50点とした。あとは読者にそれぞれの点をつけていただくようにお願いしている。政治とはむずかしいものである。

イスラム過激派とオウム真理教

その他

投稿者:重川 利昭

私は今、9.11テロの実行犯だったアタと、地下鉄サリン事件の実行犯だったオウム幹部のことを考えている。

イスラム教は立派な宗教に違いない。オウム真理教は仏教(密教)の亜種であり、仏教も立派な宗教に違いない。オウム幹部もオウム真理教の忠実な信徒であったし、アタもまたイスラム教の敬虔な信者であった。麻原教祖は仏陀の使徒として振る舞い、フセインもアラーの僕として振る舞う。麻原には5000名を超える熱狂的な信者がおり、当時の宗教家も宗教学者も、全面的ではないにせよ一定の評価をしていた。フセインには献身的な親衛隊がおり、周辺諸国のイスラム教徒やアラブ民族から一定の評価を受けている。麻原は日本政権の打倒を訴え、フセインは米国打倒を訴える。オウムは大量破壊兵器を開発・保持し、霞ヶ関を狙い、サリンをまいた。アタは、貿易センタービルに民間機を突入させた。仏教の亜種たるオウム幹部はテロの成功を喜び、イスラム教の亜種たる過激派は、9.11を神の祝福とした。

オウム真理教とイスラム過激派とは同根である。そしてオウムこそ真正の密教と信じる人々がいたのと同様、イスラム過激派こそ真正のイスラム教と信じる人々がいる。アフガン侵攻の取材にあたった友人は、パキスタンのタリバンがいかに敬虔なイスラム教徒であり、どれほどアタを誇りに思っているかを熱心に語ってくれた。アタをヒーローにする人々とオウム幹部の相違を見つけるのは難しい。

イスラム過激派が大量破壊兵器を保持する恐怖を、日本人はオウム真理教と重ねて理解する必要がありはしないか。我々は、権力がオウムのような宗教と、どう対峙することを望むのか。オウムは国内にとどまった。アタは国境を越えた。防衛ラインも国境を越えた。いま上九一色村は、砂嵐のまっただ中にある。仮装国家の規模が桁外れなだけに、人質もまた桁外れに多い。砂嵐の上九一色村では、いったい何人の坂本さんを殺したろう。そしていったい何人の苅谷さんが捕らわれ、無垢な信者がどれだけいるのか。機動隊は米英軍に代わったが、ガスマスク姿は不変である。おそらく精密な人工カナリヤ(毒ガス探知機)も携帯していることだろう。

問題は、人質に出る犠牲である。浅間山荘事件の時、政府はどうしたか。1人の人質を救出するために重火器の使用を制限し、機動隊員らに多数の犠牲が出た。映画「突入せよ」を見て改めて思った。今だったら世論はこの矛盾を放置しておくだろうか。機動隊員にも家族がいる。美談には悲しい続きがあるのだ。

この点、欧米は日本とは異質に思える。人質は犯罪者と戦う勇敢な戦士である。誰かに解放されるのを待つだけの非力な赤子ではない。死しても英雄となる。たとえ味方の弾に倒れようともそれは同じである。9.11を悼む米国民の姿は、同じく多数の犠牲者を出しながら当事者意識が欠落したかのような一般の日本人の反応とは違う。誰人であれ戦士であることを求められる社会なのだ。問われるのは勇敢であったか、臆病であったかである。この峻厳な立ち位置こそ、戦闘によって培われた狩猟民族の血である。二大政党の対決を望まず、「和をもって尊し」「寄らば大樹」を処世訓とした農耕民族とはそもそも違う。犯罪者との戦いに双方の犠牲は当然であり、戦わずに犯罪者を放置するのは臆病者の証なのだ。これが欧米の常識だろう。仏は遠くムルロア環礁で核実験を行う国だ。他国には無関心でも自国に被害があれば米国以上に反応しかねない。

戦争には反対である。そのためには丹念に一つ一つ争いの芽を摘むしかない。いま最大の問題はイスラム過激派である。これはパレスチナ問題に行き着く。パレスチナの平和共存以外に、過激派の芽は摘めない。平和共存の条件は、貧富の格差の是正である。日本のように安定した社会では、オウムは5000人以上には増えない。極端な教義は不安定な社会で力を得る。

だから問題は、果たして民主主義と資本主義は貧富の是正に役立つシステムなのかということになる。またこのシステムは万人が望むものなのか。金利ひとつとってみても、これはイスラムが望むシステムではない。民主主義と資本主義は、弾圧の中から這い上がってきたユダヤが、アーミッシュを置き去りにして、成長神話の成就のために望んだシステムなのだ。だから世界にはこのシステムの根付かない国が多数ある。日本はむしろ特別だ。米国のいう解放は、欧米でスタンダードとなったユダヤシステムの押し売りにちがいない。

しかし、このシステムの恩恵を最大限に享受した国が、その拡散に反対したのでは筋は通るまい。日本が本気で戦争反対を貫くのであれば、ユダヤシステムからの離脱を前提にすべきである。まずは、マハティールのように経済封鎖すること。そして八百神の国土にふさわしい独自のシステムを組み直し、他国に対しても独自システムの開発と運用を勧めることだ。貿易立国の日本と我々に、果たしてその覚悟があるのか。成長神話からの棄教こそが我々に求められた問題の本質である。戦争反対はぐるっと回って、ここに来る。宮崎駿のテーマでもある。