長崎」タグアーカイブ

「アンゼラスの鐘」を観て

その他

投稿者:社会派かあちゃん

被爆60周年平和祈念作品「NAGASAKI・1945 ~アンゼラスの鐘~」完成披露上映会に行く機会を得た。

これは、自ら被爆しながら負傷者の救護活動に携わった秋月辰一郎医師(88)と周囲の人々の苦闘の日々を描いた長編アニメである。学校上映を含む全国1,000会場での上映をめざすと同時に、英語を始めとする各国版DVDを作成し、未来を担う世界中の子どもたちにも届け平和を訴えたいという。

浦上天主堂から北東へおよそ1キロの浦上第一病院は、カソリックの神学校だった。病院に迎えられたたった一人の医師秋月辰一郎は仏教徒だが、その誠実で飾らぬ人柄はカソリックの信者たちの敬愛を得ていく。再びあってはならないはずの原爆の投下――浦上天主堂は無惨に破壊され、美しい鐘を響かせていたアンゼラスの鐘も吹き飛ばされ、瓦礫の中に埋もれる。秋月医師は仲間たちと共に懸命に医療活動を続ける。ふたたびアンゼラスの鐘が長崎の空に響き渡る、「復活」のときを信じて…。

「NAGASAKI・1945 ~アンゼラスの鐘~」製作委員会公式ホームページ

製作委員会・アニメーションを製作した虫プロ社長・監督達が舞台挨拶をする中で、主役の秋月医師を担当した声優の次のような言葉が真摯で心に響いた。「私は戦争を知らない世代であるし、アニメといっても架空の世界ではなく現実に起きた事を描く作品でもある。悩みながらも秋月先生の心を感じながら必死で頑張った。」実際、登場人物達の声には微塵の空々しさも嫌味もなく、秋月医師の苦悩と人々を救わずにはいられない強い意志、被爆した人々の家族愛や未知の病への恐怖が真っ直ぐに伝わってくる秀作だった。そしてアニメとは言え画面の閃光爆風に涙が溢れた。製作委員会代表の「原爆投下の時、動く映像で残されているのはきのこ雲だけである。他には何も残っていない。何一つ見ることができない。この作品はそれを映像にした。」との言葉は、そこに熱い思いが込められているが故にずしりと重い。

戦争を体験した者は、文字を使い、絵に描き、声を振り絞り、「作られた地獄」と「自らが築く平和」を命がけで後世に残そうとしている。それは後継者に受け止められてこそ完結する。この作品も今後の上映活動で多くの若い世代に観てもらうことで、初めてその使命を果たすことになる。各地での上映会は製作時と同じようにボランティアと募金により、これから進められていく。上映会の成功を祈りたい。そして、浦上第一病院で闘病中の秋月医師の心安き平和の日が一日も早くやってくることを。

被爆60年目の長崎

とらたぬき

tora1-1l.jpg
8月9日11時2分、私は長崎の平和公園で、多くの人々とともにすべての戦争犠牲者と原爆犠牲者に黙祷を捧げ、核の廃絶と不戦の誓いを新たにした。

60年前のこの日、人口約24万人の街の上空で爆発した原子爆弾は、一瞬にして半径1キロを廃墟にし、半径3キロを焼き尽くした。1945年12月末までに死者が73,884人、負傷者が74,909人を数えた。

原爆を投下した国の指導者は、同じ信仰を持つ人々が多く住む街であること、そして同胞が捕虜として収容されている事実を知っていた。当時 浦上の街に住んでいたキリスト教徒約1万2000人のうち8500人が犠牲となり、爆心地から500メートルにあった、東洋一の規模を誇る天主堂は、わず かばかりの壁を残して倒壊した。

被爆した人々は、後遺症に苦しみながら生き抜いてこられた。多くの方々がさまざまな病気と闘いながら、原爆反対、戦争反対の運動を続けている。

この日の午後に開かれた世界平和を祈る会合で、81歳になるご婦人の被爆体験をうかがった。みずから後遺症に苦しみ、ご子息も被爆の影響 と思われる病気で亡くしながら、やがて世界平和のために自らの体験を語りはじめ、ニューヨークの国連本部でも被爆体験を訴えられた。現在でも多くの学校に 招かれ、子ども達に戦争の悲惨さ、核廃絶の思いを語っておられるという。

半世紀を超えて、長崎は平和を学ぶ多くの青少年が訪れている。またこの日ともに祈りを捧げた中には、中国語、ハングル語、英語、ドイツ語など、私が見聞しただけでも多くの海外の人々の姿があった。

核廃絶への思いは世界の多くの民衆に拡がっている、いやもっと拡げていかなくてはならない。国家としては核保有に関してさまざまな思惑があるだろう。しかし、実際に戦争の被害を受けるのは、いつも間違いなく戦争に荷担していない市民が圧倒的に多いのだ。

「長崎を最後の被爆地に‥。」二度と核兵器による惨禍をこの地上にもたらさない、という強い決意から発せられた言葉である。世代を超えて、どんなに困難でも核兵器のない世界を、そして戦争のない地球と宇宙を、同じ志をもつ人々と連帯しながら築いていきたい。

tora1-2l.jpg tora1-3l.jpg

ふるさとの祭りから

とらたぬき

つい先日、旅行ガイドをやっている友人から「長崎くんちって何?」と訊かれた。もちろんわが郷土のお祭りなので、すぐに「えーっと、くんちは長崎の諏訪神社の秋のお祭りで‥‥、いろんな出し物がある。」とお答えした。

言葉に詰まったのにはわけがあり、出し物の名称が、踊りには「龍踊(じゃおどり)」や「おらんだ万才」、曳き物という船の形の引きものには、「唐人船」「龍船」「阿蘭陀船」「南蛮船」などなど知らない人にとっては「???」のオンパレードなのだ。さらには、さまざまな名称やかけ声も方言がならんでおり、これらを標準語で説明しても祭りのイメージは伝わらないのだ。

このような独特の出し物を生むにいたった背景には、長崎という街の歴史が影響しているのはいうまでもない。

江戸時代の鎖国政策のもと、天領として海外との窓口となった長崎は、出島に暮らすオランダ人と唐人街に住む中国人がいた国際都市であった。長崎の人々は両国の文化やファッションをありのままに受け入れ、またそれらを「かっこいいもの」として祭りに取り入れた結果、国際色に富んだプログラムが出来上がっていったのである。そしてその伝統を今日まで受け継いでいるのだ。

異文化を拒絶したり差別するのではなく、共存し吸収する。ゆったりとしたおおらかなわが郷土の伝統のように、グローバリゼーションの時代においても異文化を理解し受容する人間でありたいものだ。