自衛隊」タグアーカイブ

葬られた憲法

その他

投稿者:沢入 恵子

憲法第9条は、これまで多くの解釈を弄することで、歪められ、虐げられてきた。しかし、それでもなお、ぎりぎりのところで踏みとどまっていたのだ……

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自衛隊のイラク派遣に反対する ―イラク派遣基本計画の閣議決定にあたって―

中西 治

2003(平成15)年12月8日は日本がパ−ルハーバー(真珠湾)を奇襲攻撃し、アメリカと戦争を始めてから62周年である。あたかもこの日が過ぎるのを待っていたかのごとく、小泉首相は翌12月9日午後5時から記者会見し、内閣がイラクへの自衛隊の派遣にかんする基本計画を決定したことを発表した。

小泉首相は冒頭に自衛隊は人道復興支援のためにイラクに行くのであって、武力行使や戦闘行為はしないと言明した。そして、日本国憲法前文の「いづれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」のくだりを引用し、自衛隊のイラク派遣が憲法のこの理念に基づくものであり、憲法に違反しないことを強調した。

しかし、同時に小泉首相は記者の質問に答えて武力行使や戦闘行為はしないことを再確認しながら、正当防衛は武力行使にあたらないとして自衛隊が実際には武力を行使し、戦闘行為をすることを認めた。

日本は1945(昭和20)年8月15日の第二次大戦終結後はじめて自衛隊を外国に本格的に派遣することになった。これはきわめて危険な戦争への道の始まりであり、日本がかつて歩んだ道の繰り返しである。

1867(慶応3)年の明治維新以降に日本が初めて外国に軍隊を派遣したのは1874(明治7)年のことであった。当時清国の領土であった台湾に漂着した琉球人66名のうち54名が原住民に殺害され、残りは清国人により助けられるという事件が起こった。明治政府はこの事件に対する報復として台湾に軍隊を派遣し、原住民と戦い、清国から50万両(テール)の金を受け取ることにして撤兵した。

第二の出兵は1875(明治8)年に日本の軍艦雲揚が朝鮮・韓半島西岸の江華島に接近して韓国側の砲撃を誘発し、過剰な報復を加え、韓国に大きな損害を与えた事件である。日本はこの事件を利用して韓国に開国を迫り、不平等条約を押し付けた。

その後、日本は1894-95(明治27-28)年に清国と戦い、台湾をとり、1904-5(明治37-38)年にロシアと戦い、朝鮮・韓半島と中国東北への進出の足場を築き、1910(明治43)年には韓国を併合した。さらに、1931(昭和6)年には「満州事変」を起こし、翌1932(昭和7)年には「満州国」をでっち上げた。日本は戦場を中国本土に拡大し、その行き着いた先が1941(昭和16)年のパールーハーバーであった。

第二次大戦後、日本国民は明治以後の歴史の教訓に学び、日本国憲法第九条において「国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」ことを決意した。日本は第二次大戦後一度も自衛隊を外国に送り、その地の人たちを殺してはいない。しかし、今やこれが「人道支援」の名の下に揺らいでいる。

私は2003年11月9日の日本の衆議院議員選挙の直後に発表した文章で「自衛隊が本当にイラクの人々を助けるために行くのであるならば、自衛隊は武器を持たないで行くべきである」と主張した。しかし、今回決まった基本計画では自衛隊は短銃や機関銃だけではなく、自爆テロでトラックが宿営地などに突入するのを防ぐためにと称して個人携帯用の対戦車弾や無反動砲を携行することになっている。

現に戦争が続いているイラクで走ってくるトラックが自爆するトラックであるのか、普通のトラックであるのかを瞬時にして見分けることは至難の技である。助けに行って、助けるべき人を殺めることになるであろう。

小泉首相はいろいろと言葉を弄しているが、その言わんとするところは、結局は、アメリカが始めた戦争を最初に支持したので金だけではなく、人も出さざるを得ないということにつきる。ここに自国の意思に反して戦争に引きずり込まれる「同盟」の危険性がはっきりと表われている。

そもそも今回のアメリカのイラクに対する戦争には大義がない。9.11事件とイラクとの関係はなんら立証されていない。戦争開始の口実とされた大量破壊兵器も見つかっていない。しかも、大量破壊兵器を持っているとされる国はイラクだけではない。アメリカは世界最大の大量破壊兵器の所有国である。フセイン体制の抑圧性・独裁性が指摘されるが、抑圧的・独裁的な体制はイラクだけではない。何のことはイラクの石油資源を巡る戦争である。

二人の日本人外交官がイラクで亡くなったことに同情が集まっている。これは人間の自然な情である。しかし、この二人の死を「無駄にしないために」自衛隊をイラクに派遣するようなことがあってはならない。明治以降の歴史は最初は少数の犠牲であったのが、それに報復するなかで犠牲者が増え、1904-5年のロシアとの戦争では「幾万の生霊(死者)」が出るに至った。そして、さらに、この生霊にこたえるために戦争を続け、ついには幾百万人の悲惨な死を招いたのである。

日本はここで立ち止まるべきである。イラクに自衛隊を派遣してはならない。それは後に続く長い長い戦争への第一歩である。

生命と政治

その他

投稿者:小林 宏紀

出来うる限り生命に視点を向けて、この文章を書きたい。

去る11月12日発表の、「自衛隊は武器を持たないでイラクへ」と題された中西提言の全てに、筆者は賛同するものである。人道的支援というものを今日のイラクにおいてどこまで出来うるのか、いかにして行なうものなのか、上記提言の中に、その信条と、立案と、実行の仕方と、期待できる成果の全てが収められている……

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自衛隊は武器を持たないでイラクへ ―2003年11月9日の総選挙を終えて―

中西 治

2003年11月10日に小泉首相は自民・公明・保守新党の与党3党が総選挙で安定多数を確保し、国民の支持を得ることができたので、状況が許せば自衛隊を早期にイラクに派遣したいと言明した。朝日新聞が11月11日の朝刊で伝えた日本政府のイラクへの自衛隊派遣についての基本計画案によると、日本政府は陸海空3自衛隊と文民の計1200人程度を今年の12月下旬から順次イラクに派遣するようである。

ところが、同紙の同日夕刊によると、政府は当初この計画案をアメリカのラムズフェルド国防長官が来日する11月14日に閣議で決定し、11月19日に召集される見込みの特別国会に報告する予定であったが、イラク治安の悪化や総選挙での民主党の躍進を受けて国会での審議を避けるために閣議決定を特別国会後に先送りするという。

自衛隊のイラク派遣は日本が第二次大戦後はじめて本格的に自衛隊を海外に送りだすという日本のこれからの運命にとってきわめて重大な問題であり、選挙の大きな争点となった問題であるにもかかわらず、新たに選出された国会の場で審議されないようにするというのは許しがたいことである。政府の自信のなさを表わしている。

有権者の投票行動が一つの要因だけによって行われるものでないことは多言を要しないが、小泉首相の論理に従ったとしても、今度の選挙結果によって日本国民が自衛隊のイラク派遣を認めたことにはならない。今回の選挙で自衛隊のイラク派遣を推進している自民・公明・保守新党の与党3党が得た票よりもこれに反対している民主・共産・社民の野党3党が獲得した票の方が多い。

与党3党が今回の選挙で得た票は比例区においておよそ自民党が2066万、公明党が873万、合わせて2939万である。それぞれの得票率は35.0%と14.8%、計49.8%である。小選挙区においては自民党が2608万、公明党が88万、保守新党が79万、合わせて2775万である。それぞれの得票率は43.8%、1.5%、1.3%、計46.6%である。

他方、野党3党の得票は比例区において民主党が2209万、共産党が458万、社民党が302万、合わせて2969万である。得票率は民主党が37.4%、共産党が7.8%、社民党が5.1%、計50.3%である。小選挙区においては民主党が2181万、共産党が483万、社民党が170万、計2834万である。得票率はそれぞれ36.7%、8.1%、2.9%、計47.7%である。

比例区と小選挙区のいずれにおいても民主・共産・社民の野党3党が得票数と得票率の両者において自民・公明・保守新党の与党3党を上回っている。小泉首相流に言えば、日本国民は自衛隊のイラク派遣に反対している。

私は与党3党に投票した人がすべて自衛隊のイラク派遣に賛成しているとは思わないし、野党3党に投票した人がすべて自衛隊のイラク派遣に反対しているとも思わない。前者のなかに反対の人もいるだろうし、後者のなかに賛成の人もいるであろう。

重要なのは、いずれの党に投票したにしろ、自衛隊のイラク派遣に賛成する人々の多くが自衛隊のイラク派遣は戦争で困っているイラク人を助けるためのものであって、イラク人を殺すためのものではないと考えていることである。

小泉内閣も自衛隊の派遣はイラクの復興を助けるためであると言い、前記の基本計画案でも自衛隊の活動として浄水・給水、医療、生活物資の配付、輸送活動を挙げ、文民の活動として電力供給、医療、教育などを挙げている。私はこのような救援活動に賛成である。しかし、そのために自衛隊を派遣する必要はないと考えている。

国境なき医師団や海外青年協力隊などをはじめとしてそのようなことを専門とする人々や集団はたくさんあるし、今も活発に活動している。政府はこのような活動を積極的に支援するとともに、イラクの現状にそくした文民の救援活動を展開すれば良い。

自衛隊が本当にイラクの人々を助けるために行くのであるならば、自衛隊は武器を持たないで行くべきである。自衛隊は日本の災害復興支援のときには武器を持って行かないであろう。そのような物は救援活動の邪魔になるだけである。

現に戦争が続いているイラクで復興支援を行うことは危険である。それは当たり前である。だからといって、赤十字や国境なき医師団は武器を持っては行かない。どうしても現地の人々の理解が得られず命が危険にさらされるときには引き揚げれば良い。助けに行って、助けることを続けるために助けるべき人を殺してはならない。それでは何のために行ったのかわからない。人道的援助は人道的に行うべきである。

小泉内閣は自衛隊に短銃や機関銃に加えて自爆テロ対策として携帯式の対戦車弾や無反動砲を携行させるといわれている。これは復興支援の道具ではなく、人を殺し、物を破壊する道具である。このような兵器を装備した自衛隊員を見たときにイラクの人々はどのように思うであろうか。復興支援のためではなく、アメリカ軍を助けてイラク人を殺すために来たと考えて何の不思議があろうか。

自衛隊は武器を持たないでイラクに行き、復興支援に従事することによって日本国憲法の下での自衛隊が果たすべき役割を世界に示すことになる。災いを転じて福とすることができる。

今回の選挙で当選された衆議院議員が参議院議員とともに国会の場でこの問題を真剣に審議されることを皆さんを国会に送りだした主権者の一人として強く要求する。

유사법제 3법의 일본국회통과에 대해 ―지구상의 모든 곳에 평화의 소리를 높이자.

中西 治

2003년6월 6일, 일본의 국회는 유사법제 3법을 성립시켰습니다. 1977년 8월 당시, 후쿠다 카케오 자민당내각이 일미방위협력소위원회의 협의에 입각해 공식으로 유사입법의 연구를 시작했을 때부터, 4반세기를 거쳐 자민당은 그 목적을 달성했습니다. 유사입법이 지향하고 있는 것은 일본의 자위대를 국외에 파견, 아메리카군과 함께 싸우게 하려는 것입니다. 후쿠다 카케오수상을 정치의 스승으로 우러러 보는 고이즈미수상과 원수상의 아들인 후쿠다 카케오의 내각에 있어서 이것이 실현된 것은 우연한 일이 아닙니다. 그들은 스승과 아버지의 정치적유언을 실현한것입니다.

세계 제 2차 대전에 의해 전쟁의 참전을 체험한 일본은, 일본군이 또 다시 외국에 나가, 그 곳의 사람들을 죽이지 않는 일을 맹세하고 무력을 포기했으며, 전체적인 분쟁문제를 평화적인 대화을 통해 해결하도록 했습니다. 이것이 일본국헌법의 정신이자 제 9조의 규정입니다.

일본은 식료있어서도, 또 석유, 천연가스에 있어서도 많은 외국에 의존하고 있는 것은 물론, 평화의 테두리속에서 밖에 살아갈 수 없는 나라입니다. 일본은 전쟁하에서는 살아갈 수 없습니다. 일본인의 다수는 그 사실을 잘 알고 있고 , 전쟁을 전제하는 유사입법을 오랫동안 거부해 왔습니다.

1990년대에 들어가면서 정세는 급속히 변화하기 시작했습니다. 1991년 1월의 제 1차 타이완 전쟁의 흔적으로, 자유대의 청해선이 페르샤만에 출동하고 1992년 6월에는 국연평화유지활동협력법이 성립되었습니다. 2002년 12월에는 이지즈함이 인도해에 출동하고, 이어 유사법제3법이 채택되었습니다.

어떻게 해서 이렇게 되어 버렸는가. 제 1의 이유는 1990년 8월 2일에 이라크에 의한 쿠웨이트 진공이후전쟁이 빈발하고, 많은 일본인이 전쟁의 위험을 가깝게 느낄수 있도록 되었기 때문입니다.1991년 1월의 제 1차 타이완전쟁, 1998년12월의 제 2차 타이완전쟁, 1999년3월의 코스보전쟁, 2001년 9월11일의 사건에 이어, 같은 해 10월의 아프가니스탄의 타리반정권에 대한 전쟁, 2003년 3월의 이라크의 후세인정권에 대한 전쟁등입니다.

제2의 이유는 전쟁에 대한 일본인의 의식의 변화입니다.일찍이 전쟁은 제 1차 대전, 제 2차 대전, 한국전쟁,베트남전쟁, 아프가니스탄전쟁 같은 장기간에 걸친 지상전을 수반하는 비참한 것입니다. 그러나 , 지금의 전쟁은 제 1차 타이완 전쟁이래 하이테크 기술을 구사하는 단기간의 텔레비전게임같이 되어 버렸습니다. 그것으로 인해 죄없는 다수의 사람들이 잔혹하게 죽음을 당하고 있는 것을 볼 수 없게 되었습니다.

그럼에도 불구하고 2002년 4월에 유사법제3법안이 국회에 상정되었을 때, 일본인은 그 성립을 용서하지 않았습니다. 그러나 그로부터 겨우 1년후의 지금, 이 법안은 여당뿐만아니라 야당의 다수의 의원도 포함한 찬성에 의해 중의원, 참의원 양원을 통과했습니다. 여기에는 2002년 9월의 일조 평양선언이후 명확해진 납치라는 불길한 사건이 큰 영향을 끼치고 있습니다.

일본과 조선 한반도 사이에는 옛부터 밀접한 관계가 있습니다. 양지역의 관계는 각각의 지역의 사람들의 생활과 평화, 안전에 큰 영향을 끼쳐왔습니다. 양지역간에는 도쿠가와막부체제아래의 쇄국의 시대에는 유호적인 교류가 있었습니다. 근현대에 있어서의 그 불행한 관계는 일본이 1910년 8월에 일한 병합조약에 의해 한국을 식민지화하고,그 지역을 조선이라고 칭하게 된 때에 시작되었습니다.일본에 의해 중국에의 침략전쟁이 확대되어가는 속에 1939년 7월에 히라누마키이치로우내각은 조선인노동자내지이주에 관한 건을 통첩하고, 조선인을 강제적으로 일본에 연행했습니다.그 수는 일본에 의해 식민지지배가 끝나는 1945년8월까지의 약 150만인에 달한다고 합니다.

그 불행한 역사가 아직 완전히 끝나지 않았다는 일을 최근의 일어날 일이 다시금 명확히 보여주고 있습니다. 일본인이 먼저 그 과거의 식민지 지배에 대해 솔직하고 겸허하게 반성하지 않으면 안됩니다. 그러나,상대방이 나쁘기때문에 라고 이야기하면서 자신도 그 나쁜일을 한다면 똑같이 나쁜사람입니다. 조선민주주의 인민공화국도 납치에 대해 겸허히 반성해야합니다.핵무장등은 해서는 안되는 일입니다.그 지역의 긴장을 높게 하는 것 뿐입니다. 고이즈미 내각은 일본인의 안에 퍼져가고 있는 동국에 대한 의심과 반감과 비난을 계략적으로 이용하면서 25년이래의 과제를 완수했습니다.

일본은 전쟁을 하지 않는 국가에서 전쟁을 하는 국가가 되었습니다. 일본국의 질은 변했습니다. 다음은 헌법개정이 구체적인 정치일정에 다루워지는 일일것입니다. 전쟁을 전제로 한 생각, 전쟁에 대비하게 되는 때, 전쟁은 바로 가깝게 와 있는 것입니다. 쌍방이 전쟁에 대비하기 시작할 때에 전쟁은 일어납니다. 이미 선제공격에 관하여 조차 논의 되고 있습니다.

1938년 4월의 국가총동원법의 공포가 상기되었습니다. 그로 부터 1941년 12월8일에 진주만공격까지 겨우 3년 8개월 남짓입니다. 만약, 똑같은 일을 겪는 일이 되면 또다시 많은 인명을 잃어버리고 일본은 폐허화될 것입니다.이번의 유사법제3법에 찬성한 사람들의 책임은 극히 중대합니다.

어떻게 대처할 것인가.우리들은 전쟁의 논리에 말려들어서는 안됩니다.전쟁이 일어나면 어떻게 할까가 아니라 전쟁이 일어나는 원인을 잡아내기 위해서는 어떻게 할까에 대해 생각해야만 합니다. 우리들의 연구소는 모두 중한인민공화국,대한민국, 조선민주주의 인민공화국, 러시아 연맹, 아메리카합중국등의 뜻을 같이한 사람들과 협력해 지구상의 평화, 특히 동아시아의 평화와 번영을 확보하기위해 구체적인 활동을 시작하고 있습니다.

우리들의 연구소는 강력한 도구를 가지고 있습니다. 메일igcp@mlc.nifty.com과 홈페이지http://www.igcpeace.org/입니다. 그 도구를 유효하게 사용해,평화의 소리를 백, 천 만 억의 사람들에게 알려갈 것입니다. 지구상의 모든 곳에 평화의 소리를 높여갈 것입니다.정의는 전쟁의 측면이 아니라 평화의 측면에 있습니다.평화를 소중히 하는 사람들이 협력해 연대를 맺는 다면, 정의는 반드시 실현됩니다.평화는 반드시 확보됩니다.우리들의 연구소는 그것을 위해 만들어 진 것입니다.

韓 智姫(ハン ジヒ)訳

有事法制3法の日本国会通過にあたって ―地球上のすべてのところで平和の声を高めよう―

中西 治

2003年6月6日に日本の国会は有事法制3法を成立させました。1977年8月に時の福田赳夫自民党内閣が日米防衛協力小委員会の協議に基づいて公式に有事立法の研究を始めてから四半世紀を経て自民党はやっとその目的を達しました。有事立法がめざしたものは日本の自衛隊を国外に派遣し、アメリカ軍とともに戦わせることです。福田赳夫元首相を政治の師と仰ぐ小泉首相と元首相の子息である福田官房長官の内閣においてこれが実現したことは偶然ではありません。彼らは師と父の政治的遺言を実現したのです。

第二次大戦によって戦争の惨禍を体験した日本は日本の軍人がふたたび外国に出て、その地の人々を殺し傷つけないことを誓い、武力を放棄し、すべての紛争問題を平和的な話し合いによって解決することにしました。これが日本国憲法の精神であり、第九条の規定です。

日本は食料にしても石油・天然ガスにしてもその多くを外国に依存しており、平和のもとでしか生きられません。日本は戦争のもとでは生きられません。日本人の多くはそのことを良く知っており、戦争を前提とする有事立法を久しい間拒否してきました。

1990年代に入って情勢が急速に変わり始めました。1991年1月の第一次湾岸戦争のあとに自衛隊の掃海艇がペルシャ湾に出動し、1992年6月には国連平和維持活動協力法が成立しました。さらに1999年5月には周辺事態法、2001年10月にはテロ対策特別措置法が成立しました。2002年12月にはイージス艦がインド洋に出動し、ついに有事法制3法の採択となりました。

どうしてこのようになったのでしょうか。第一は1990年8月2日のイラクによるクウェート進攻以降戦争が頻発し、多くの日本人が戦争の危険を身近に感じるようになったからです。1991年1月の第一次湾岸戦争、1998年12月の第二次湾岸戦争、1999年3月のコソボ戦争、2001年9月11日の事件に続く同年10月のアフガニスタンのタリバン政権に対する戦争、2003年3月のイラクのフセイン政権に対する戦争などです。

第二は戦争に対する日本人の意識の変化です。かつて戦争は第一次大戦、第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争などのような長期にわたる地上戦をともなう悲惨なものでした。しかし、いまでは戦争は第一次湾岸戦争以来ハイテク技術を駆使した短期のテレビゲームのようなものになっています。そこでは罪のない多数の人々が残虐に殺されていることが見えてきません。

それでも2002年4月に有事法制3法案が国会に上程されたときには日本人はその成立を許しませんでした。しかし、それからわずか1年後の今回はこれらの法案は与党だけではなく、野党の多数の議員も含む賛成によって衆参両院を通過しました。これには2002年9月の日朝平壌宣言以後に明らかになった拉致という忌わしい出来事が大きな影響を与えています。

日本と朝鮮・韓半島との間には古来密接な関係があります。両地域の関係はそれぞれの地域の人々の生活と平和と安全に大きな影響を与えてきました。両地域の間には徳川幕藩体制下の鎖国の時代にも友好的な交流がありました。近現代における不幸な関係は日本が1910(明治43)年8月に日韓併合条約によって韓国を植民地化し、この地域を朝鮮と称するようになったときに始まりました。日本による中国への侵略戦争が拡大するなか1939(昭和14)年7月に時の平沼騏一郎内閣は「朝鮮人労働者内地移住に関する件」を通牒し、朝鮮人を強制的に日本に連行しました。その数は日本による植民地支配が終わる1945(昭和20)年8月までにおよそ150万人に及んだと言われています。

この不幸な歴史がまだ完全に終わっていないことを最近の出来事は改めて明らかにしました。日本人がまずこの過去の植民地支配に対して率直に謙虚に反省しなければなりません。しかし、相手が悪いからといって自分も悪いことをすれば同じく悪い人です。朝鮮民主主義人民共和国も拉致について謙虚に反省すべきです。核武装などはすべきではありません。この地域の緊張を高めるだけです。小泉内閣は日本人のなかに広がっている同国に対する疑念と反感と非難を巧みに利用しながら25年来の課題を果たしました。

日本は戦争をしない国から戦争をする国になりました。日本国の質が変わりました。つぎは憲法改定が具体的な政治日程に上ることでしょう。戦争を前提として考え、戦争に備えるようになったとき戦争はすぐ側まで来ています。双方が戦争に備え始めたときに戦争は起こります。すでに先制攻撃についてさえ論議されています。

1938(昭和13)年4月の国家総動員法の公布が思い起こされます。それから1941(昭和16)年12月8日のパールハーバー(真珠湾)攻撃までわずかに3年8か月余りでした。もしも、同じような道を歩むことになれば、ふたたび多くの人命が失われ、日本は廃虚に化するでしょう。今回の有事法制3法に賛成した人々の責任はきわめて重大です。

どのように対処すべきでしょうか。私たちは戦争の論理に巻き込まれてはなりません。戦争が起こればどうするのかではなく、戦争が起こる原因を取り除くためにはどうするのかについて考えるべきです。私たちの研究所はすでに中華人民共和国、大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、ロシア連邦、アメリカ合衆国などの志を同じくする人々と協力して地球上の平和、とくに東アジアの平和と繁栄を確保するために具体的な活動を始めています。

私たちの研究所は強力な道具を持っています。メーリングリスト (igcp@mlc.nifty.com) とホームページ (http://www.igcpeace.org/) です。この道具を有効に使い、平和の声を百、千、万、億の人々に広げていきましょう。地球上のすべてのところで平和の声を高めましょう。正義は戦争の側ではなく、平和の側にあります。平和を大切にする人々が協力し連帯するならば、正義はかならず実現します。平和はかならず確保されます。私たちの研究所はそのために作られたのです。

有事法制の権威性への憂い

その他

投稿者:小林 宏紀

無辜の民を犠牲にしない政治が日本においてどれほど試みられているか。この一点についての公憤とともに、以下筆を執るものである。

冷戦終結後、世界で唯一の超大国となったアメリカに対し、その脅威の一方で、 法と民主主義に基づいたリーダーシップが期待され、求められてもいた。しかし漸次姿を現したアメリカの一国主義的行動は、特に同時多発テロ以後顕著なものとなった……

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有事法制を考える

岩木 秀樹

現在、有事関連三法案(武力攻撃事態法案、自衛隊法改正案、安全保障会議設置法改正案)が衆議院を通過しようとしている。多少の修正はあったが、根本的問題は解決されていない。

有事とは戦時であり、有事法制の整備とは戦争のできる国作りのことである。戦時体制下において、国民の安全・自由を守るものではなく、むしろ制限し、自衛隊と米軍を円滑に運用し、戦いやすい状況を作り出すものである。日本国憲法における武力行使の放棄や平和主義に反するのはもちろんのこと、基本的人権の尊重や国民主権にも大きな制約を加えるものである。

そもそも有事法制が本当に必要なのかを問わなくてはならない。日本が武力攻撃を受けるような事態は、外交の失敗を意味し、あってはならないことである。「有事法制を整えておくことは法治国家として当然のことだ」との議論があるが、それではなぜ今までほっておいたのか。当然の義務を怠った政治の責任は重く、今になってその論法を振りかざすのは自己欺瞞に満ちている。「冷戦崩壊後はテロの多発などで状況が変わった」という言い方もされるが、いつの時代でも脅威は喧伝されていたのであり、状況は関係ないのである。

さらに今回の法案は冷戦崩壊後の状況に対応しておらず、時代錯誤ですらある。陣地を築いて防御するということは地上戦を戦うということであり、これがどのようなことを意味しているのかは、沖縄での地上戦の犠牲を見れば明らかであろう。日本は人口密度が高く、資源に乏しく、多くの原子炉を抱える国である。到底戦争を前提にしては存在できる国ではない。戦争になると、死体の埋葬が間に合わないので、墓地以外でも埋めたり火葬できるようにするこの法案は地獄の法律であり、そのような状態はすでに破滅的であり、絶対に起こしてはならない。大量の人が亡くなった後に、どうやってまたどこで焼くかを規定する法案は、悲惨を通り越して、ブラック・ユーモアになってしまう。このようなことを前提に考えるのが、武と軍の論理である。

「有事法制は自衛隊が勝手に行動することを防ぐためのものである」との主張は、つまり現行の自衛隊法では自衛隊は何をするか解らないということである。そのようなシビリアンコントロールされていない軍隊は即刻無くすべきである。

有事法制が軍の超法規的行動を防ぐということも疑問である。有事法制が整備された戦前の日本の行きついた先は、焼け野原と多大な民衆の犠牲であった。現在でも強力な有事法制をもつ国が民主的である例は少ない。個人や企業、地方公共団体の権利や自由を奪うのがこの法案である。軍隊に超法規的行動をとらせないために、国民に対して超法規的措置を強要するのは矛盾もはなはだしい。

「公共の福祉のために、自由は制限される」との議論はすり替えである。「戦争は公共の福祉であり、従って自由や権利は制限され、戦争協力の義務を押しつけ、逆らえば投獄される。」この論理は真に国民の生命と財産を守るものではない。武力行使を放棄した日本国憲法において、公共の福祉のなかには戦争は当然含まれていない。

「もし敵が攻めてきたら」との言説そのものが、自己中心的発想である。日本が攻めてくると想定しているのは、アジアの諸国である。しかしかつて日本はそこを侵略したのである。むしろアジア諸国の方が、日本がアメリカと協力して再び介入してくるのではないかと危惧するのは当然であろう。冷戦崩壊後の日本では、周辺事態法、新ガイドライン関連法、テロ対策特措法等が作られ、戦時体制の整備が進められてきた。さらに歴史認識問題、靖国公式参拝、国旗国歌法など国家主義的傾向が強まっている。アジア諸国が日本に対して不信感を抱くのもうなずける。

さらに政府答弁ですら、外国軍が日本に対して侵略することは想定できないとしている。不審船は海上保安庁が行う国境警備問題であり、拉致は外務省と警察が対応すべきであり、「テロ」は警察が行うべき治安維持の問題である。このような問題と軍事組織が対応すべき有事とを混同すべきではない。

未だに「戸締まり論」や「もし誰々が攻めてきたら」ということが言われるが、多くは具体的な状況判断を前提としていない空論が多い。そもそも家庭における戸締まりとのアナロジーは、国家におけるパスポートコントロールや税関である。家庭において外敵からの攻撃を防ぐためにピストルや刀を日本ではもたないのと同様に、国家においても対外的に友好関係を築いていけば、過度な武力は不必要である。

「備えあれば憂いなし」との陳腐なスローガンは、暴力を基準にした考えである。備えが充実していれば安全であるとは言えない。世界第一の軍事力を持ったアメリカでさえ、9・11事件において経済と軍事のシンボルが破壊され、多くの人が亡くなったのである。合理的な理由もなく軍事的な備えをすれば、むしろ周辺の警戒や不信が高まり、憂いを招くこともある。憂いを招かないためには、軍事的備えではなく、様々な平和的備えが必要である。

今回の有事法制は対米支援のための基盤整備でもある。これができれば、米国の単独主義的な先制攻撃に日本も巻き込まれ、自衛隊だけでなく自治体や企業、国民も総動員される。まさに自衛隊と米軍に超法規的特権を与えるとともに、米国の戦争に協力させるために国民の権利を制限し、罰則つきで戦争協力を強制するものである。さらに自衛隊の海外での武力行使を合法化し、集団的自衛権まで踏み込むものである。

このように多くの点で問題のある有事法制は、大多数の国民が納得できるものとはなっていない。国家の根幹にかかわる安全保障問題であり、憲法にも抵触することが明らかであるので、今回の有事関連三法案は廃案もしくは凍結をし、さらなる国民的な論議が必要であろう。