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エッセイ 67 スターリン、毛沢東と読書

木村 英亮

花田清輝はスターリンについて1955年に、かれくらい自我をもっていなかった人間はすくなく、チーム・ワークをとるだけのみ存在していたようだ、「おそらくかれは、かれのまわりにいる人間のほうが、かれよりもはるかに有能だということを、つねに忘れたことはなかっただろう。それがスターリンの政治家としてすこぶる老練なところなのだ」(粉川哲夫編『花田清輝評論集』、岩波文庫、1993,146ページ)、それに比べヒトラーは、シロート政治家で自分を天才ではなかろうかと思い独断専行、ついに没落した、と書いている。

スターリンは本好きで、歴史、戦史に関するものをよく読んだが、自分が粛清した「人民の敵」の書いたものもよく読み、「(19)30年代中頃、この国でたった一人の自由な読書家、ということになった」(メドヴェージェフ『知られざるスターリン』、現代思潮新社、2003,354ページ)。フルシチョフは読書家ではあったが系統性がなく、ブレジネフ、エリツィンは読書嫌いであった。

毛沢東は、スターリンとかなり違ったパーソナリティをもっており、まわりにいる人間のほうが有能だと考えていたとは思えないが、意外に共通の面も多いようである。それは、相手の言い分を注意深く聞くこと、読書好きというところである。いつも大きなベッドに、四季を通じてタオルケットだけで休んだが、ベッドの半分には中国の歴史書を積んでいた(林克他『「毛沢東の私生活」の真相』、蒼蒼社、1997,168ページ)。

毛沢東は、蒋介石を打倒したことと文化大革命を発動したことを、自分の2つの大仕事といっていた(厳家家祺他『文化大革命十年史』下、岩波現代文庫、202,440ページ)。文革は人権を蹂躙したが、同時にあらゆる伝統と習俗を徹底的に破壊した。「今日の中国大陸の空前の、権力と金の交易、汚職腐敗、風紀の乱れなどに直面するとき、人々は『文革時代』がまるで奇跡のような汚職腐敗が絶無の時代、エロ文化一掃の時代だったことを発見するであろう」(444ページ)。

ロシア人もスターリン時代を顧みて、似たような感慨をもつのではないであろうか。

毛沢東について

中西 治

地球宇宙平和研究所の皆様

おはようございます。

中国湖南大学の王邦佐先生一行4人が4月5日午後に横浜洋光台の私たちの研究所を訪問され、夜には横浜の中華街で研究所主催の歓迎会に出席されました。

今日はその席でも話題になりました毛沢東について書きます。

私たちの今回の訪中団は湖南省の長沙にある湖南大学を訪れたあと、王邦佐先生のお勧めで、長沙近郊の韶山にある毛沢東の故居を見学しました。「韶」は中国語で「美しい」という意味であり、「韶山」とは「美しい山」のことです。

毛沢東の生家は豊かな農家でした。昨年の夏に訪れた平壌の金日成の生家は貧しく小さな農家でした。そこは狭い一部屋のオンドルの上で家族が雑魚寝するような家でした。それにかまどと物置がある程度でした。

毛沢東の生家は入ったところに客間がありました。両親の居間の他に毛沢東を含めて3人の息子たちの居間が別々にあり、それぞれに中国風のカーテンのかかったベッドがしつらえられていました。かまどの部屋、食料の保管場所、水の保管場所、足踏みの石臼による精米・製粉の場所、動物を飼育する場所などがありました。中農といったところでしょうか。

毛姓は中国では由緒のある姓氏です。その淵源を辿れば、伝説の帝王である黄帝に至ると言われています。毛氏は最初、黄河流域に住んでいましたが、のちに中国の南部と西部に広がりました。

1990 年の統計によると、中国には1万1939の姓氏がありますが、毛姓はその中で第63位を占め、韶山、とくに毛沢東の故居のある韶山冲(村)では毛姓の人が3000人以上いました。

毛沢東の父、毛順生が生まれたのは清の同治9(1870)年のことでした。ロシアの革命家レーニンが生まれた年と同じです。阿片戦争(1840-1842)が始まってから30年、太平天国運動(1850-1864)が失敗して6年経っていました。

中国は半封建社会・半植民地となり始めていました。

毛順生は1885年、15歳の時に3歳年上の文氏の娘(正式の名はなく、文家の七番目の女児という意味の「文七妹」と呼ばれていました)と結婚しました。順生は家の借金を払うために兵隊になりました。借金は数年で返すことができました。順生は実戦には参加しませんでした。

1893年12月26日に毛沢東は生まれました。翌1894年8月1日に甲午中日戦争(日清戦争)が起こりました。

中国は大戦争と大革命の時代に入りました。毛沢東は時代の子でした。

順生は学校教育は2年ぐらいしか受けていなかったようですが、家を豊かにするために全力を尽くしました。順生は商才があり、大いに稼ぎました。質に入っていた土地を取り戻し、毛家は豊かになりまた。

順生は怒りっぽくて、気短で、剛腹でした。軍隊生活が順生の一生に大きな影響を与えました。

母は優しい仏教徒でした。母は婚約と同時に13歳で毛家に入り、18歳で正式に結婚したのですが、学校教育は受けていませんでした。

母は出産後、子育てを実家ですることを望みました。毛沢東は8歳で韶山の学校に入るまで母方の文家で育ちました。母方の祖母や親戚の人々は毛沢東を大変可愛がりました。

毛沢東はお母さん子です。母から憐憫、同情、博愛の心を学びました。

父は旧式の中国農民でした。伝統を重んじました。中国封建社会の伝統、韶山毛氏の伝統。中国封建社会は崩壊し始めていたのに、韶山冲では依然として封建的な一族支配が続いていました。

父と子が大衝突しました。毛沢東が10歳のときでした。

これが毛沢東が革命家になったきっかけであるとする説がありますが、それは単純でしょう。

優しさだけでは革命家は成功しません。厳しさが必要です。毛沢東は父と母の子です。

私はレーニンやスターリンがなぜ革命家になったのかを研究しました。

毛沢東の故居を訪れたのを機会にこれから毛沢東がなぜ革命家になったのかを調べてみたいと思っています。

民主党の代表に小沢一郎さんがなりました。小沢さんの登場は小泉さんが登場したときに似ています。あのとき自民党にはすでに最高指導者になる人がいませんでした。だから、「自民党をぶっ壊す」といった人を総裁にしたのです。小泉さんは短期的には自民党の救世主になりました。

小沢さんはどうでしょうか。小沢さんは岡田さんや前原さんのように小泉さんと同じ土俵で改革を競い合っては小泉さんに負けます。小沢さんは小泉さんとは違う土俵で勝負しなければなりません。

その一つの大きな土俵が憲法9条の改定問題です。小沢さんが憲法9条の改定反対の態度を明確にすれば、民衆の支持は集まるでしょう。民主党から抜ける人も出てくるでしょうが、民主党に入る人も出てきます。

小沢代表、菅代表代行、鳩山幹事長の新しい執行体制がどう出るか。見物です。

今日も一日、良い日を!

中西 治

エッセイ 31 新しい毛沢東像

木村 英亮

私の毛沢東観は、エドガー・スノーの『中国の赤い星』 によってつくられており、文化大革命によって若干修正されたとはいえ、スターリンとはかなり違った指導者と考えてきた。しかし、最近翻訳された、ユン・チアンらの『マオ』(講談社)を読むと、毛沢東もまた、恐怖政治で団結を維持してきたようである。結局このようなやり方でしか、統一と革命を成功させること はできなかったのであろうか。

成し遂げたことは偉大であったが、その方法は桁外れに残酷であった。日本史のなかの人物としては織田信長と共通のところがあるようである。

また、毛沢東をはじめとする中国革命の指導者が、革命の過程でも現在でも、かなり特権的な生活をしており、それを当然と思っていることに は違和感がある。たとえば長征のとき、毛沢東は自分の考えた担架で移動したと書かれているが、このようなことは、欠くことのできない人のためには許される のであろうか。文化大革命のときも現在も、最高指導者は中南海という隔離された別世界に住んでいるという。これは必要悪なのであろうか。社会主義市場経済 のなかで、腐敗が拡がっていると報じられているが、これも必要悪と考える人がいてもおかしくない。

比較的格差の少ない日本では、理解しがたいことである。