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「地球宇宙平和研究所 中国東北・朝鮮訪問団」の募集

事務局

中国東北・朝鮮訪問の詳細が添付資料のように決まりましたので、お知らせいたします。瀋陽滞在中の日程は参加者の希望によって決める予定です。

本研究所の理事でもある神保さんが旅行社の担当であり、下記のようなメールが来ていますが、希望者はまず研究所事務局の岩木までご連絡いただき、その後旅行社への手続きをしてください。研究所への参加希望の締め切りは7月31日(木)といたします。

なお旅行代金のほかに、土産代・チップ代・企画料等として、一人1万円を研究所まで振り込んでいただきたいと思います。なにとぞよろしくお願いいたします。

一人でも多くの方に参加いただきたいと思いますので、ご友人等をお誘いいただいても結構です。よろしくお願いいたします。

6者協議と南北朝鮮首脳会談の成功を喜ぶ

中西 治

昨日、2007年10月3日に朝鮮・韓国・中国・米国・ロシア・日本の6者協議の合意文書が発表されました。 朝鮮の非核武装化と米朝国交正常化に向けて具体的に一歩前進しました。

続いて今日、10月4日に廬武鉱大韓民国大統領と金正日朝鮮労働党総書記は平壌で「南北関係発展と平和繁栄のための宣言」を発表しました。この宣言で双方は停戦状態にある朝鮮戦争を終わらせ、恒久的な平和体制を構築するために、朝鮮・韓国・中国・米国のうちの3者または4者の最高首脳によって戦争の終結を宣言する会議を朝鮮半島で開くことにしました。

私は6者協議と南北朝鮮首脳会談の成功を心から喜んでいます。朝の鮮やかな国、朝鮮にやっと鮮やかな朝が訪れます。

朝鮮半島での平和の回復はアジアの情勢、世界の情勢を変えるでしょう。

第二次大戦後の日本の再軍備と日米安全保障条約にもとづく米国軍の日本駐留への道は、1950年の朝鮮戦争の勃発とそれにともなう台湾情勢の緊張から始まりました。朝鮮戦争が完全に終わろうとしている今日、それは日本の内外政策にも影響を与えるでしょう。

日本は朝鮮民主主義人民共和国との国交を正常化しなければなりません。日本は日米安保条約と米国軍の駐留そのものを見直さなければなりません。

世界の歴史は私たちの目の前で急速に変わっています。

第5回6者協議の成功をよろこぶ

中西 治

北京でおこなわれていた中国・朝鮮・韓国・ロシア・日本・米国の第5回6者協議が2007年2月13日に朝鮮半島の非核化についての合意を確認する文書を採択して閉幕した。

朝鮮半島の非核化について6者協議は2005年9月19日の第4回会議ですでに合意に達していたが、その後、朝鮮がロケット実験や核実験と称する実験をおこなったために、この合意が反古になったかの感があった。それが今回の合意で生きていることが確認された。私はこのことを心からよろこんでいる。

朝鮮は前回はすべての核兵器と核計画を放棄する代償に軽水炉型原子力発電所の提供を受けることになっていたが、今回はすべての核施設を解体するかわりに重油100万トンに相当する経済・エネルギー・人道支援を受けることになった。朝鮮は米国からテロ支援国家の指定を取り消し、対敵国通商法の適用を止め、金融制裁問題を30日以内に解決するとの約束を取り付けた。朝鮮と米国との国交正常化交渉がニューヨークでおこなわれることになった。

1950年6月の朝鮮戦争勃発以来戦争状態にあり、1953年7月の休戦協定締結後も敵対関係にあった朝鮮と米国との関係が正常化し始め、朝鮮半島は大きく平和の方向に動き出した。

朝鮮は多くのものを得た。朝鮮外交は強かである。

日本と朝鮮との国交正常化交渉もおこなわれることになった。拉致問題が両国関係の大きな障害となっているが、このさい発想を転換し、あらたな対応が必要である。そうでないと、この問題そのものも解決しないし、日本は北東アジアの平和と安全の機構から疎外され、孤立する可能性がある。日本人の理性と英知が問われている。

朝鮮の「核実験」問題によせて

中西 治

朝鮮が昨10月9日に「地下核実験を安全に成功裏におこなった」と発表しました。

私はこれまで折りに触れて政治的問題について意見を表明してきました。小泉内閣が退陣し、安倍内閣が登場したのを機会にメーリングリストを通じての政治的意見の表明を止めようと思いました。

昨日來、多くの方から朝鮮の核実験問題について意見を求められました。早速、禁を破ってこの問題についての私の考えを明らかにします。

私は朝鮮の先日のロケット実験も今回の核実験も「こけおどし」だと考えています。

ロケット実験も当初は大陸間弾道弾の発射実験として騒ぎ立てられましたが、実際は朝鮮の近海に落ちています。今回の核実験も朝鮮は核実験といっていますが、韓国も、日本も、米国もいまだに核実験とはいっていません。

本当の核実験ならば、すくなくとも米国はただちに核実験と認定します。今回はあまりにも規模が小さいためににわかに核実験とは断定できないのです。

韓国の観測ではマグニチュード3.58~3.7、TNT火薬換算で0.4~0.8キロトン程度といわれています。

包括的核実験禁止条約が想定しているのはおよそ1キロトン以上の地下核実験です。これは広島型原爆(濃縮ウラン型)の約15分の1、長崎型原爆(プルトニウム型)の約20分の1です。

今回の朝鮮の実験は長崎型原爆の50分の1程度といわれています。これは核実験とはいえないのです。

朝鮮は周りが大騒ぎしてくれたおかげで、この程度で核保有国に仲間入りしたのです。

朝鮮の「思うつぼ」です。

朝鮮がたとえ一発のミサイルを持ったとしても、一発の核兵器を持ったとしても、朝鮮半島をめぐる情勢は基本的には変わりません。周辺の中国、ロシア、米国軍はたくさんのミサイルと核兵器を持っているのです。

私は朝鮮は無駄なことをしていると思っています。朝鮮は虚勢を張っています。

私はすべての核爆発実験とすべての核兵器の保有に反対です。私は改めてすべての核保有国にすべての核兵器の廃棄を求めます。

自国は思う存分核実験をし、大量の核兵器を持ちながら、他国は一回の核実験もしてはならないというのは理に合わないでしょう。朝鮮の核実験を非難するものは率先してすべての核兵器を廃棄すべきです。

今回のこともふくめて朝鮮半島をめぐる諸問題を話し合いで平和的に解決しなければなりません。私はそのために努力します。

中国での質疑応答

中西 治

今日は私の湖南大学での講義と復旦大学での報告に対する質疑応答を紹介します。

論議された第一の問題は小泉首相の評価についてです。

中国は小泉首相の靖国神社参拝を激しく非難していますが、「靖国神社」参拝反対という用語は適切ではなく、正しくは「A級戦犯がまつられているところ」に参拝するのに反対と言うべきであるとの意見が中国側から出されました。

つまり、靖国神社に参拝することが問題ではなく、A級戦犯がまつられているところに参拝することが問題なのです。A級戦犯がまつられていなければ靖国神社に行っても良いということです。

私は靖国神社への首相の参拝そのものが問題であると考えていますが、中国側のこの意見は問題を解決するための一つの論であるように思います。

「中国脅威論」について小泉首相が「中国は脅威ではない」と言っていることを中国側は好意的に受け止めています。

私は小泉さんには積極的な面と否定的な面があることを指摘しました。

積極的な面は朝鮮民主主義人民共和国との国交正常化のための日朝平壌共同宣言であり、朝鮮への経済制裁の実施を求める声をおさえていることです。

私は郵政民営化に反対ですが、日本国民のなかに公務員が民間人よりも優遇され、公務員の数が多すぎるという不満があります。小泉さんはこの不満をうまく利用して実際には郵政公社は税金を使わず独立採算で運営されているにもかかわらず「民でできることは民へ」「官から民へ」のスローガンを叫び続けました。有権者は小泉さんのこの気力に負け、去年の選挙で自民党を勝たせました。

小泉さんは強かなプロの政治家です。民主党の岡田さんは駆け出しのアマチュア政治家です。

否定的な面は小泉さんの言葉に重みがないことです。不誠実です。靖国神社参拝問題でこれだけ国の内外から批判の声があがっているのに聞く耳を持たないのです。謙虚さがありません。

小泉さんが首相のあいだ日中の国家関係の改善は望めません。こういう時にこそ人民レベルの交流を深めなければなりません。そう思って私は中国を訪ねました。

指導者の過ちは人民が正さなければなりません。

第二はポスト小泉の問題です。私はいま話題になっている人々が次の自民党総裁となり、日本国の首相となる可能性はそれほど大きくないと考えています。自民党にはもっと老練な政治家がいますし、日本国にはもっと思慮深い政治家がいます。

この点について日本側参加者のなかから世代間の争いや世代交代の問題が指摘されました。私も人の世には必ず世代交代があることを認識しています。

問題は若い世代の政治家が必ずしも進歩的でなく、むしろ保守的であり、視野が狭いことです。「中国脅威論」や「対朝鮮経済制裁論」が行き着く先を彼らは理解しているのでしょうか。

前原さんは民主党代表の地位を投げ出しました。前原さんは小泉さんの敵ではありません。小泉さんにとって前原さんは赤子の手をねじるようなものです。

私は中国で岡田さんや前原さんは政治的に未熟であると指摘しました。次は民主党も老練な政治家を出してくるでしょう。そうなると、自民党もますます老練な政治家を出さざるを得なくなるでしょう。

私は誰が次の首相になっても対中・対韓政策は変わり、日本と両国との関係は改善されると思っています。袋小路に入った日本外交の抜け出る道はそれ以外にないからです。

日本政治はいよいよ本格的な政界再編成の時期に入りました。

再編の核になるのは憲法9条への態度です。

第三は第二次大戦後に日本はどうしてあのように急速に復興し、経済大国になったのかです。私は日本人が天皇制の圧政から解放されたこと、憲法9条のもとで平和に徹したことであると答えました。

政策の良否、革命の良否を判断する基準は社会の生産力の発展と人民の生活水準の向上です。生産力が増え、生活が良くなる政策や革命は良い政策であり、良い革命です。その逆は悪い政策であり、悪い革命です。

第四は台湾で事が起こったときに日本はどう出るのかです。私はいまの憲法のもとでは日本は自衛隊を台湾に派遣することはできないし、派遣しないであろうと答えました。

しかし、日本のなかには憲法9条を改定して自衛隊を自衛軍として海外に派遣しようと目論んでいる人がいるし、米国のなかにも日本の軍隊を朝鮮半島と中国で戦わせたいと願っている人がいます。

私はこのような考えは実現しないと考えています。それは中国と南北朝鮮の人民も政府も戦争を望んでいないからです。

軍人は最悪の事態に備えて対処するのが仕事ですが、一般の人々が戦争を前提として考え始めたときに戦争はすぐそばまで来ています。私たちは戦争を前提として考えてはならず、平和に徹しなければなりません。

第五は朝鮮半島の統一問題です。日本側の参加者のなかから南北朝鮮の経済格差が大きいので統一は難しいのではないかという意見が出されました。同じような疑問は東西ドイツの統一のときにも出ました。しかし、いまでは統一ドイツの首相は東ドイツの女性です。

中国国内の格差もきわめて大です。だからといって、中国の統一が難しいとか、分裂するということにはなりません。

経済格差は統一を促進する要素になります。統一は格差の是正を促します。格差があるから統一が必要なのです。これは地球全体の統一=グローバリゼーション(地球一体化)についても言えます。

私は南北朝鮮の統一はすでに始まっていると考えています。南北朝鮮間の鉄道はすでにつながり、陸路は運用を開始しています。南との境に近い北のケソン(開城)ではすでに南北朝鮮の共同開発事業が進んでいます。交流の拡大は双方の発展を促し、社会を急速に変えています。

私は2010年を統一の目処にしています。

論議は尽きませんでした。続きは日本でしましょうと約して別れました。

早速、私たちの研究所の顧問である王邦佐先生をはじめとする湖南大学代表団が今日、4月2日に来日されます。私たちの研究所は4月5日(水)午後に一行を横浜にお迎えします。

日程が決まり次第、連絡します。

毛沢東の生まれ故郷、韶山の故居を訪ねました。

次回は彼について書きます。

二酔人四方山問答(17)

岩木 秀樹

A:平壌の郊外の大城山には、抗日戦争で亡くなられた方の銅像が何百と並んでいる革命烈士陵があるんだ。ここに行ったときには日本人として悲痛な気持ちになった。

B:そうだろうな。僕も北京の中国人民抗日戦争記念館に行ったときにも同じような気持ちになったよ。

A:ここを訪れる朝鮮人の日本人に対する冷たい目線をなんとなく感じたよ。思い過ごしかもしれないけれど。

B:当然かもしれないよ。僕が朝鮮人だったら、冷たい目で見るかもしれない。僕のおじいちゃんを帰せ、現在の朝鮮半島の状況は日本にも責任があるんだぞって。

A:確かにそうだね。日本軍によって多くの人が殺されたり、100万人以上の人が強制連行されたり、その後の朝鮮戦争では双方400万人以 上の死者を出し、現在も1000万人の離散家族を抱えている朝鮮半島のことを考えると、近代日本の歩んだ歴史が現在の朝鮮半島に大きな影響を及ぼしている のは確かだ。そうそう、金日成主席の両親も日本軍によって虐殺されたんだ。

B:そうなんだ。両親を殺されたら、僕でも抗日パルチザン闘争に入るね。

A:やはり日本人はまず革命烈士陵を訪れるべきだと思う。小泉首相も平壌に来たとき、すぐにここに来るべきだったということを、朝鮮社会科学者協会の先生方にも言っておいたよ。

革命烈士陵
革命烈士陵

B:でもこういう施設は、ナショナリズムの高揚に利用されやすいって、どこかに書いてあったよ。

A:まあ、過去の戦争にまつわる施設やモニュメントは、現在の政権の正当化や、ナショナリズム宣揚に利用されるのは、どこの国でも大なり小なりやっていることだ。そんなことは折り込み済みで、それも含めて見に行った方がいい。特に日本人は加害者としての当事者だから。

B:そうだよね。

A:朝鮮は高句麗以来の古い歴史があって、そのことに大きな誇りを持っていた。そうそう歴史といえば、開城の高麗歴史博物館に行ったとき、ガイドが「開城の寺院は豊臣秀吉によって焼かれました」と説明していた。今から400年以上前の歴史が現在でも語られていた。

B:ああ、秀吉の「朝鮮征伐」か。この「征伐」という言い方も自己中心的な発想だよね。

A:このガイドの話を聞いて、はっとさせられた。そういえば日本史で習ったということを思い出した、秀吉軍が朝鮮を「征伐」したということを。このあたりから、朝鮮人の歴史への誇りとそれを壊す日本人という構図が徐々に芽生えてくるのかなと思った。

B:何でも、やった方はそれをすぐに忘れるけれど、やられた方はいつまでも忘れないということもあるしね。

A:同じアジアの隣国なのに、歴史を共有していない、むしろ対立的な歴史観を感じたことは他にもあった。

B:え、どんな点。

アリラン祭
アリラン祭。上の方に8.15と60の文字がある。

A:1945年8月15日は、日本にとって敗戦記念日だけど、朝鮮にとっては戦勝記念日であり、解放記念日であり、まさに光復なんだ。アリラン祭にもこの日が大々的に映し出されていたし、色々なモニュメントにも刻まれてあった。

B:どんなところに。

A:例えば凱旋門。これはパリの凱旋門より大きいらしいんだけれど、門の左側には1925、右側には1945と刻まれていた。1925年は金日成が日本からの独立を勝ち取るために、万景台の生家を出たとされる年で、1945年は独立を達成し、平壌に凱旋した年だ。

万景台(金日成主席生家跡)
万景台(金日成主席生家跡)

B:1945年8月15日は二つの国でこれほど対照的なんだ。

A:ただ皮肉なことに、戦勝国は分断され、敗戦国は分断されず、その後日本は朝鮮戦争によって大きな経済的利益を受けることになるんだ。

二酔人四方山問答(16)

岩木 秀樹

A:朝鮮で、私たちが泊まったホテルやレストラン、お土産屋は全て外貨が使えた。ユーロ・ドル・中国の人民元、日本円など。基本的な表示はユーロだった。

B:やっぱり、アメリカとの敵対関係があるから、ドル表示をしないのかな。

A:世界的に見てもドルよりもユーロの方が使われるようになってきている。中東でもその傾向がある。やはりアメリカの単独主義的軍事・外交政策に対する反発があると思う。

B:日本円はどうだったの。

A:もちろん使えたよ。私たちが行くところはどこでも使えた。硬貨まで使えた。世界中で日本円が使えるところは多少あるかもしれないが、硬貨まで使用可能なのは、朝鮮くらいじゃないかな。

B:へーすごいね。

A:もっとすごいのが、朝鮮のお金を見ることも、手にすることも無かったことだ。普通の海外旅行では考えられないことだ。だから私たちに とっては外貨が使えるというよりは、外貨しか使えないということだった。でも無理を言って、「お釣りは朝鮮ワォンでください」と言ったら、奥の方から持っ てきてくれた。ちょっと嫌な顔をされたけどね。その時初めてレートを知った。だいたい1円は1,3ウォンくらいかな。

朝鮮の100ウォンと50ウォン
朝鮮の100ウォンと50ウォン

B:やっぱりその国に行ったら、その国のお金を見てみたいし、使ってみたいよね。ところで平壌の街並みをどうだった。

A:広い道路に車はわずかで、信号機は一つも無かった。平壌に無いのだから、朝鮮には一つも信号が無いんだろう。車が少ないのは、「わが国 は公共交通が発達しているから車が必要ないのです」との公式見解があった。そうそう信号がない代わりに、美しい婦人警官が交通整理をしているんだけれど、 機械的な動きでおもしろかった。

北朝鮮:交通整理をする婦人警官
交通整理をする婦人警官

B:ところで、他の交通手段は何。

A:バスやトローリーバス、地下鉄、そして自転車に徒歩だ。そうそう地下鉄とトローリーバスに乗ったよ。

B:どうだった。

A:トローリーバスは私たちだけの貸し切りになった。停車場で待っている人が恨めしそうに見ていた。申し訳なかったな。

B:そうだったんだ。地下鉄はどうだった。

A:地下100メートルにあったよ。これほど深ければ、核シェルターや防空壕としても使えるかもしれない。ただ平壌には大同江という川があ り、地盤が緩いので深く掘る必要があると言っていた。駅構内にはシャンデリア、壁画、彫刻などがあり、地下宮殿とも呼ばれているらしいよ。

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地下鉄のホーム

B:へー、それはすごいね。

A:地下鉄にしてもトローリーバスにしても旧社会主義圏の車両を使ったり、駅などの雰囲気もそのような国に似ていると同行の先生方は言っていた。そうそう、平壌の街並みも 大きなアパートや巨大なモニュメントが多く、これまた旧ソ連の街並みにそっくりだとも言っていた。

B:今じゃあ、旧ソ連の大都市も変わって、ネオンぎらぎらで利益やお金が最優先されているようだけれど、そのうち朝鮮もそうなっちゃうのかな。

A:それはそれで寂しいね。将来、「古き良き平壌の街並みよもう一度」なんて懐かしむ時代が来るかもね。今は電力の問題で夜の平壌は真っ暗だけど、将来ネオンでぎらぎらになったりして。

B:夜は真っ暗なんだ。

A:だから電力問題を解決するために、原子力発電所が必要だと言っていた。真っ暗だけど、人はずいぶん歩いていた。女性も1人で気楽に歩いているところを見ると、治安はかなり良さそうだ。

B:考えてみれば、夜は暗いのが当たり前で、何十年か前の日本もそうだった。夜が明るすぎるのも問題だよね。

二酔人四方山問答(15)

岩木 秀樹

A:朝鮮を旅して驚いたことは、思っていたより外国からの物や人の流れが多いということだ。

B:朝鮮ってほとんど鎖国状態じゃないの。

A:それが違うんだ。まず1番目に付くのは団体の中国人旅行者。朝鮮には風光明媚な観光地が多いから、それを目当てに純粋な観光として来ているようだ。それに中国人料金は日本人よりかなり安いので、それが拍車をかけているみたいだ。

B:へー。君たち日本人料金はいくらくらいだったの。

A:8泊9日で北京滞在費用も含めて、1人約30万円だった。

B:んー。少し高いかな。韓国だったらパック旅行でこれくらいの滞在だったらその半分だろう。でも日本人は高いって差別じゃない。

A:そうは思わないよ。国の物価も違うし、金持ちから多く取るということはそれほど差別じゃないと思う。むしろ誰からも同様の金額を取るということの方が差別かもしれない。イスラーム地域でも定価という概念はうすくて、物の価値は売る人と買う人の関係の中で形成されるものとされている。

B:なるほどね。他にどんな人が来ていた。

A:ヨーロッパ人も来ていた。ゴルフをしに来たり、観光を楽しんだり、アリラン祭を見たりしていた。僕らのように学術交流や朝鮮社会の現実を見るという雰囲気ではなく、気楽な普通の旅行をしているようだった。あと日本の朝鮮大学校の学生が修学旅行で来ていた。彼らは万景峰号で来て、数ヶ月滞在すると言っていた。そうそう韓国からの旅行か仕事かわからないけれど、その団体を開城の高麗博物館で見かけた。たぶん陸路で入ってきたんだと思う。

B:ずいぶんと交流があるんだな。

A:物流もかなり活発で、中国側から鴨緑江を越えて多くのトラックが物資を積んで入っていた。経済封鎖を日本一国でやっても意味がないなと思った。ちなみにホテルには日本のお酒やビール、ちょっとしたスナックもおいてあったよ。

B:へー、物流もどんどん盛んになりそうだね。

平壌のスーパー兼おみやげ屋
平壌のスーパー兼おみやげ屋

A:そうそう、平壌最後の夜に、ホテルのバーに入ったら、日本語の歌を歌っているグループがいたんだ。酔っぱらった1人のおじさんに絡まれて、踊りまで一緒に踊らされたんだ。名刺をもらって少し話したんだけど、韓国からの農村振興の研究開発グループだったんだ。その人は農学博士でかなり立派な肩書きを持っていた。平壌の夜のバーで、日本人と朝鮮人のガイドや通訳の方と韓国人が日本語の歌を歌うなんて、おもしろい光景だったよ。

B:ところで、板門店にも行ったんでしょ。どうだった。

板門店
板門店。手前は休戦会議場、真ん中に境界線がある。向こうは韓国の自由の家。A:分断の象徴だし、今でも約1000万人の人々が分断されていることを思うと、悲痛な気持ちになったよ。板門店には韓国側から入ると、「見学中負傷ないし死亡しても補償は請求しない」という誓約書を書かせられるし、写真もそれほど自由に取れないのに対して、朝鮮から入ると、誓約書もないし、写真やビデオも自由だった。

B:朝鮮人民軍兵士がつくんでしょ。

A:そう、JSA(共同警備区域)に入る頃から、将校1人と兵士2人がガイドと護衛のためについた。将校はガイド役で人民軍の中佐だった。温厚な人で国際情勢などにもかなり詳しく、色々話を聞かせてくれた。ある一定以上の人は外国の情報も熟知し、国際社会の現状をかなり理解しているんだなと思った。

B:外国の情報は完全にシャッターアウトされているのかと思っていた。

A:ただインターネットはあるけれど、外国には飛べないらしい。

B:それはインターネットとは言わないじゃないの。

A:でもEメールはしかるべきところに行けば外国とのやりとりができるから、もしかしたら外国のインターネットもある地位以上の人は見ているのかもしれない。そうそう、Eメールを使って朝鮮の若者同士がチャットをするのが流行っているとも言っていたよ。

B:この時代、外国からの情報は完全に遮断できないよ。

A:そう、情報が社会や政治を変える可能性もある。物・人・金・情報の交流により、大きな変化があるかもしれない。

二酔人四方山問答(14)

岩木 秀樹

B:朝鮮の旅で最も印象に残っているのはどんなことなの。

A:いろいろあるけれど、あえて一つだけあげると、子供達かな。モラン第1高等中学校や少年宮での演奏や演舞、アリラン祭も多くは生徒や学生がやっていた。どれも大人顔負けのほとんどプロといってもよかった。

B:あー、たまに日本のテレビでも放映されているものか。でもちょっと作られた笑顔が子供っぽくないけど。

A:確かにそういう側面はあるけれど、どこでどのような笑顔をし、どこでお客さんの手を引くのかを熟知していた。私たちの心を和ませるプロだった。それにあれほどの技術を身につけるのは一朝一夕には出来ないだろう。あの笑顔の裏には相当の努力があったと思う。

B:そうか。普段の学校生活も見たの。

A:まだ夏休みだったようだけれど、私たちのためにわざわざ来てくれた人もいたようだ。 教室ではブラウスに赤いスカーフをした小学校高学年くらいの子供達が歓迎してくれた。モラン第1高等中学校はたぶんエリート校だと思うんだけど、理科室や生物の剥製や視聴覚室、講堂などずいぶん充実していた。日本の私立学校並だったように思う。

B:そうなんだ。

A:帰りに校庭を見たら、数十人の男子生徒がサッカーをしていた。その光景は万国共通だと思った。そうそう、話は変わるけれど、屋外での青 年舞踏会も平壌市内各所で行われていた。8月28日が青年の日か何かで、それを記念して行われるそうだ。その舞踏会が男女の出会いの場になるというのがお もしろかった。日本などで報道されてる朝鮮のイメージとは違う、普通の青年たちの生活や恋愛を少し見たような気がした。日本人も飛び入り参加していたよ。

主体思想塔前での舞踏会
主体思想塔前での舞踏会。向こうの川は大同江。

B:へー、おもしろそうだね。

A:アリラン祭は圧巻だった。10万人以上が入る巨大なスタジアムで、マスゲームや人文字が行われた。単に見せるだけではなく、民族の苦難の歴史を表現しているので、飽きなかった。しかも10月までこれをほぼ毎日やっているというのを聞いて、とてもびっくりした。

B:アリランてどういう意味なの。

A:「あー、リラン」という意味で、リランは男の人の名前。リランとある女性は恋人同士で、ある時リランは村からでることになった。リラン がいなくなった後に、地主がその女性に言い寄ってきた。その現場にちょうどリランが出くわし、再び村を後にした。リランを追っかけて、その女性は「あー、 リラン、あーリラン、いかないで、戻ってきて」と叫んだそうだ。大体こんな話がベースになって、アリランが生まれたそうだ。

B:へー、「あー、リラン」だったのか。男女の話と民族の歴史をだぶらせて、アリランの公演は行われているのか。

アリラン祭
アリラン祭の一場面

A:そうそう、「南男北女」という言葉知っているかい。

B:なにそれ。知らない。

A:李氏朝鮮の頃から言われているらしいんだけど、男は朝鮮の南の方がハンサムで、女は北の方が美人とされている。ほとんど迷信かもしれな いけれど、でも確かに美しい女性が多かった。外国人と接するスチュワーデス、ガイドやウェイトレス、ホテルの従業員には才色兼備の女性を配置しているよう に思う。物腰も柔らかく、あーアジアの女性だなと感じた。

B:なんかだんだん朝鮮に行ってみたくなってきたよ。恐ろしい国だとばかり思っていたよ。

二酔人四方山問答(13)

岩木 秀樹

A:この前、朝鮮民主主義人民共和国に行って来たんだ。

B:え、本当、大丈夫だった。

A:みんなそんな風に言うんだ。行く前から、ちゃんと帰ってこれるのか。拉致されるんじゃないか。などと異口同音に言われたよ。

B:でも今の日朝関係や、世界情勢を見ても、そのような心配は当然出てくると思うよ。

A:それはそうかもしれないし、確かに普通の海外旅行とは少し異なった緊張感はあったことは事実だ。ただ現にこうやって元気に帰って来られたので、そのような心配は杞憂だった。

B:で、どうだった北朝鮮は。

A:その北朝鮮という言い方は、日本では略称として使われがちだけど、蔑称としてのニュアンスも混じっているため、朝鮮民主主義人民共和国では使われず、自分たちのことを共和国などと呼んでいる。ちなみに大韓民国のことは南朝鮮と言っていた。

B:へー、そうなんだ。

A:朝鮮民主主義人民共和国の地図、Map of Koreaでは、大韓民国を含む朝鮮半島全体が描かれ、南北国境線は他の道の境界線と同じ太さで描かれている。また朝鮮観光地図帖の朝鮮行政区域図には、朝鮮半島全体が行政区域とされている。

B:で、印象はどうだったの。

A:街はとてもきれいだった。確かに建物は老朽化し、道路もがたがたしているところが多かったけれど、みんなで協働で清掃しているからかゴミ一つ落ちていなかった。世界の大都会でこんな街もかなり珍しいんじゃないかな。

ホテルより平壌遠景
ホテルより平壌遠景。下は大同江。

B:へー、旅行者を狙うスリなんかはいるの。

A:スリや置き引きやボッタクリのたぐいの心配は全くなかった。旅行者がそのような心配もせずに旅行できる国はこれまた世界でも本当に少ないと思うよ。

B:じゃあ良いことばかりだったの。

A:予想に比べ、かなり快適だったことは事実だ。ホテルも日本と変わりなく、日本のBS放送も見られた。ただ自由な行動があまりとれなかっ たこと、入国と出国の審査ではスーツケースまで開かれ検査させられたことは残念だった。特に携帯電話を持ち込むことと、印刷物を持ち込むことは非常に神経 をとがらせていたようだ。

B:カメラの撮影はどうだった。

A:デジカメやビデオの撮影はほとんど自由だったから、色々なところを取った。ただ私たちが行ったところは、平壌と開城と板門店だけで朝鮮社会のほんの一握りしか見ていないけれど。

平壌の街並み。
平壌の街並み

B:やはりマスコミで報道されているように、かなり貧しい様子だった。

A:地方の様子は分からないけれど、平壌を見た限りではそれほど貧困にあえぐという状況ではなかった。商店やレストランは社会主義経済のせ いなのか、看板もでておらずどこにあるのかわかりずらかったけれど、汚い建物をいったん入ると、豪華なレストランがあったりしていた。単に道路から見てい ると、商店もレストランもないように見えるが、中にはいるとそれなりに商品が並んでいた。

B:なるほどね。また続きは聞かせてよ。