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日本国憲法公布70年に寄せて

中西 治

今日は日本国憲法公布70年です。

1946(昭和21)年11月3日、戦争が終わって1年余、憲法が公布されたとき、私は13歳。疎開先の奈良県から大阪市に戻っていました。食べるのが大変、生きるのが大変な時期でした。

憲法第9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する。② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」は日本だけでなく、世界の人々に平和への希望をもたらしました。

18世紀のドイツの哲学者カントは1795年に『永遠平和のために』を著わし、恒久平和のためには「常備軍の廃止」が必要であると説きました。

それ以降150年間、人類は19世紀の一連の戦争と20世紀の第一次大戦および第二次大戦を体験し、カントのこの論が正しいことを理解しました。その結果が日本国憲法第9条です。

これは日本と米国を含む全人類の共同の産物であり、共通の財産です。現代の人類が未来の人類に託す貴重な財産です。

憲法記念日に寄せて

中西 治

NHKの憲法記念日特集討論「安全保障法制を問う!憲法9条の下で自衛隊“活動拡大”の是非は」を見ました。各政党の幹部が参加し、発言していました。

1945年に第二次大戦が終わったとき、世界の多くの人々は戦争の惨禍を前にして、いかに時間がかかり、困難であっても、紛争問題は話し合いで解決しなければならないと考えました。それが国際連合憲章を生み、日本国憲法を生み出しました。

ドイツの哲学者カントは1795年に著した『永遠平和のために』で戦争をなくすためには戦争の手段である常備軍を廃止しなければならないと説きました。日本国憲法第9条はカントのこの考えを150年後に実現したものでした。それは人類の理想の実現でした。日本はこの憲法のもと70年間、戦争で一人も他国民を殺さず、自国民を死なせませんでした。日本が為すべきことはこの憲法の理念を世界に広めることです。

ところが、昨年7月に安倍内閣は「積極的平和主義」と称して「集団的自衛権」の名のもとに日本の自衛隊を国外に派遣し、米国などとともに戦争をできるようにしました。今日の討論を聞きながら、このような主張をする人々は「実際の戦争」を知らないし、「戦争の真の恐ろしさ」を知らないと思いました。このような主張をする人々は日本が中国や韓国や朝鮮などの隣国と戦争を始めたあと日本がどのようになると考えているのでしょうか。また、アフガニスタンやイラクやホルムズ海峡などに日本の自衛隊を派遣したあと日本はどのようになると考えているのでしょうか。

私は第二次大戦を垣間見ています。戦争は「戦争の論理」により拡大します。それは「地獄」への道です。私はこれを阻止するために全力を尽くします。

憲法記念日に寄せて

中西 治

本日、5月3日は66年前の1947 (昭和22) 年5月3日に『日本国憲法』が施行された日である。

この憲法の基本理念は「国民主権」と「戦争放棄」と「基本的人権の尊重」である。

とくに重要なのは「戦争を国際紛争を解決する手段として永久に放棄し、陸海空軍その他の戦力を保持せず、国の交戦権を認めない」と規定した第9条である。

どのように困難であろうと、時間がかかろうと、紛争は平和的に話し合いで解決しなければならない。このための努力も大変であるが、双方の国民が戦争によって失うものの大きさに比べれば物の数ではない。戦争によって一時的に儲けるのは軍需産業ぐらいである。これも最後は戦禍にあう。

「いまの憲法は占領軍によってつくられ、日本に押しつけられた。」と主張する人がいる。確かに、そういう面はある。

にもかかわず、当時の日本国民の多くがこの憲法を歓迎したのは、悲惨な戦争を体験し、二度とふたたび戦争をしてはならないと考えたからであり、天皇主権の大日本帝国憲法よりはるかに良かったからである。

日本国憲法の基礎には明治の自由民権運動や大正デモクラシーなどの日本の民主主義の伝統と米国の独立宣言、フランスの人権宣言、さらにはドイツの哲学者カントが提唱した「永遠の平和のためには常備軍をなくさなければならない」という思想がある。

日本国憲法は恒久平和を願う世界の多くの人々によってつくりだされた人類共通の財産である。この憲法のもとで日本は本格的に外国に軍隊を送らず、外国で一人の人間も殺さず、平和を維持したのである。これは日本国民のたゆまぬ努力の結果である。もし、第9条が改定され、本格的に軍隊をつくり、公然と戦争をするようになったら、日本はふたたび滅びるであろう。

絶対に戦争をしてはならない。これが明治以降の歴史の教訓である。

2013年5月3日

8政党党首への公開質問書の案内

中西 治

私も共同代表の一人を務めています「憲法9条をまもる 平和共同かながわ」は、自由民主党、民主党、公明党、日本共産党、社会民主党、国民新党、新党日本、新党大地の8政党の党首に、日本国憲法と日米安全保障条約の問題について、2008年9月23日付け公開質問書を送りました。

内容は、以下の「憲法9条をまもる 平和共同かながわ」のホームページに掲載されています。ご一読願えれば幸いです。

日米安保体制から日米平和友好協力体制に! ―ポツダム宣言受諾 63 周年にあたって

中西 治

1945 年 8 月 15 日正午に日本が米英ソ中国 4 か国のポツダム宣言を受諾することを発表し、第二次大戦が終結しました。 63 年が経ちました。日本国軍隊は無条件降伏し、完全に武装解除されました。日本国は連合国の占領下に置かれました。平和的傾向をもつ政府ができたとき、占領軍は撤退することになりました。

新しい日本国憲法が 1946 年 11 月 3 日に公布され、 1947 年 5 月 3 日に施行されました。憲法第 9 条は、戦争を永久に放棄し、陸海空軍その他の戦力を保持せず、国の交戦権を認めない、と宣言しました。日本から軍人は一人もいなくなりました。

1950 年 6 月 25 日に朝鮮戦争が勃発したあと、警察予備隊が創設され、日本は再軍備の道を歩み始めました。日本は強力な自衛隊を保持し、防衛省を持っています。

1951 年 9 月 8 日にサンフランシスコで調印された講和条約第 6 条は「連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、かつ、いかなる場合にもその後 90 日以内に、日本国から撤退しなければならない。」と規定していました。戦争が終わり、講和条約が結ばれれば、戦勝国は敗戦国から獲るものをとって、軍隊を引き揚げる。国際法の常識です。

同じ日に調印された日米安全保障条約第 1 条によって、米国は陸空海軍を日本国とその付近に配備する権利を日本国から許与されました。占領下に米国が講和条約とセットで日本に押しつけたものでした。稀なことです。

主権の回復後に日本が 1960 年 1 月 19 日に米国と締結した日米相互協力安全保障条約は、第 1 条で、日米両国は両国が関係することのある国際紛争を武力ではなく、平和的手段で解決することを約しました。日米不戦の誓いです。日本国憲法にも、国際連合憲章にも一致します。歓迎すべきことです。

本当のねらいは第 6 条でした。米国は陸空海軍が日本国において施設および区域を使用することを許されました。 米軍駐留を永続・恒常化する新しい条約に反対する運動が日本国中に広がりました。 60 年安保闘争です。

1951 年の条約では、米軍が日本に駐留するのは、極東の平和と安全の維持のため、日本の内乱を鎮圧するためでした。 1960 年の条約では、日米が共同で対処するのは、米軍基地を含めて日本が武力攻撃されたときだけです。米軍が日本の基地を使用できるのは日本と極東の平和のためだけです。内乱条項は削除されました。

在日米軍の現在の行動は、極東の範囲をはるかに越え、アフガニスタンやイラクにまで及んでいます。日本政府は「日米関係は同盟関係である」と言って、自衛隊をインド洋やイラクに派遣し、米軍を助けています。日米両国政府のこれらの行動は、日本国憲法に違反するだけでなく、 1960 年の条約にも違反しています。

同盟関係というのは、北大西洋条約機構 (NATO) のように、締約国の一または二以上に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなすものです。 1960 年の条約はこのような同盟条約ではなく、きわめて限定された安全保障条約です。

1940 年 9 月 27 日に日本はヒトラー・ドイツおよびムッソリーニ・イタリアと三国同盟を結びました。日独伊三国は、三国のうちいずれかの一国が、現に欧州戦争または日支紛争に参入していない一国によって攻撃されたときには、三国はあらゆる政治的、経済的および軍事的方法により相互に援助することを約束しました。三国の指導者の念頭にあったのは米国です。

時の松岡洋右外務大臣は、ドイツとイタリアの力を借りて、米国が日本の南方政策に介入するのを防止できる、と期待していました。この期待に反して、日米関係はいっそう悪くなり、 1941 年 12 月 8 日に日本は米国との戦争に突入しました。日米開戦の報を聞いた松岡洋右は「三国同盟の締結は僕一生の不覚であった」と慚愧の涙を流したといわれています。

日本人は三国同盟が戦争を拡大し、日本を敗戦に導いた苦い経験に学び、第二次大戦後は米国を含むいかなる国とも同盟を結ばなかったのです。いまも日本はどの国とも同盟条約を結んでいません。戦争を事とする国と同盟を結べば、破滅することを思い知らされたからです。

「日米関係は同盟関係である」と言う人は、同盟の持つ重大な意味と大きな危険を認識していないのです。

日本の再軍備と米軍駐留継続への道は、朝鮮戦争の開始とともに始まりました。その戦争が、長い停戦状態を経て、南北朝鮮・米国・中国のあいだで完全に終わろうとしています。日本でも長期にわたって日米安保体制を支えてきた自由民主党が参議院で少数派に転落し、政権の座から滑り落ちようとしています。米国でも変化を唱える大統領が選出される可能性が生まれています。

日本は長いあいだ米軍の異常な駐留に付き合ってきました。もう十分に日本は米国に対する義理を果たしました。米国のような大きな国が日本のような小さな国に「思いやり予算」などと言われるのは、大国としての沽券にかかわるでしょう。

戦後に区切りをつけ、新しい日米関係をつくるべきときがきています。日米相互協力安全保障条約を廃棄し、米軍基地をなくし、在日米軍をなくすときです。衆参両院が日米相互協力安全保障条約の終了を可決し、米国に通告すれば、 1 年後にはそうなるのです。

ポツダム宣言受諾 63 周年にあたって、私は、 20 世紀の日米安保体制から 21 世紀にふさわしい新しい日米平和友好協力体制に転換するよう、呼びかけます。

「憲法 9 条をまもる 平和共同かながわ」総会と基地問題意見交換会の成功を喜ぶ

中西 治

私も参加する「憲法 9 条をまもる  平和共同かながわ」の第 2 回総会と「米軍再編と神奈川の平和運動」についての意見交換会が昨日 (2008 年 7 月 21 日) 、横浜で開かれました。これには多数の人々が参加し、熱心な討論が展開されました。大成功でした。私も多くのことを学びました。

総会については追って事務局から正式に報告されますので、ここでは意見交換会についての感想を述べます。

神奈川県大和市議会議員大波修二さんの映像を交えての報告は簡潔かつ説得的でした。かつて沖縄を二度訪問し、北から南まで自動車で訪ね、大きな沖縄の中に小さな基地があるのではなく、大きな基地の間に小さな沖縄があると感じました。嘉手納飛行場での米軍機の荒っぽい離着陸を見、爆音を聞いて、これはひどいと思いました。厚木基地でも同じようです。

厚木基地には横須賀に入った米国の航空母艦の艦載機だけではなく、岩国の海兵隊機、韓国の空軍機なども飛来し、航空母艦に無事に離着艦できるような訓練をうけ、すさまじい騒音をまき散らしています。米軍機の使用の合間に日本の自衛隊機も訓練しています。

大和市の測定によると、厚木基地の滑走路北約 1 キロメートルの住宅地における 70 デシベル以上、5 秒以上の継続音は今年 5 月に 2227 回起こっています。最高音は 117 デシベルとのことです。環境基本法にもとづく騒音についての基準値は住宅地で昼間 55 デシベル以下、夜間 45 デシベル以下です。厚木基地周辺の住宅地の最高騒音は基準の 2 倍を超えています。

航空騒音については、デシベルを元に時間帯などを考慮して再計算した WECPNL が使われています。大波さんはこの値 75 を爆音被害値とし、厚木基地では面積約 100 平方キロメートル、8 自治体、人口 70 万人、5 年前より 10 万世帯増え、現在、24 万世帯が精神と肉体に被害をうけていると指摘しています。嘉手納爆音訴訟の判決では、受忍限度対象地域が WECPNL85 以上に引き上げられ、原告 1600 人余りの賠償が退けられました。

爆音問題は厚木だけではなく、嘉手納、普天間、小松、横田、岩国にもあることがよく分かりました。基地問題は沖縄だけではなく、神奈川にもあるのです。

私は 1987 年以来、4 次にわたって訴訟を起こし、闘っている厚木基地爆音防止規制同盟の皆さんに心から敬意を表します。大波さんはこの同盟の書記長です。今年の 5 月 12 日に横浜地方裁判所で始まった第 4 次原告団は 2458 世帯、7054 人です。

米国の原子力航空母艦ジョージ・ワシントンが横須賀に配備されれば、厚木基地の爆音はいっそう激しくなるでしょう。大波さんは原子力空母の母港化に反対し神奈川の基地撤去をめざす県央共闘会議の代表も務めています。

基地問題を抜本的に解決するために、日米安全保障条約を再検討すべき時期がきていると思います。

9条を守る人を首相に!

中西 治

日本政界の再編劇が始まりました。

まだ幕は開いていません。

プレリュード(前奏曲)が奏でられました。

2007年11月2日に自民党の福田総裁は民主党の小沢代表と会談し、両党の連立に向けての話し合いを始めるように提案しました。小沢さんは党に持ち帰ったあと、これを断りました。

参議院議員選挙で大敗し、参議院で少数派に転落した自民党は、政策を実行するために、選挙で大勝し、多数派となった民主党に助けを求めるより他に方法がないのです。

ここまでは定石です。福田さんにまず石を置かせました。小沢さんはこれを止める石を置きました。さあ、これからです。

福田さんは次へ進むための儀式を終え、インド洋での給油を再開するために具体的な行動に入ります。給油を再開しないという手もあるのですが、福田さんにその勇気はないでしょう。福田さんはまず今国会の会期を延長します。その後に幾つかのシナリオがあります。

一つは参議院で否決されたときに、小泉さんの郵政民営化のひそみにならって、衆議院を解散し、総選挙に打って出ることです。柳の下で二匹目の泥鰌を探します。

もう一つは衆議院で三分の二以上の多数によって再議決し、給油再開法を可決したあとで解散・総選挙をすることです。

いずれにしても、安全保障問題を争点として、給油をしないと日米関係が悪くなると言って危機意識を煽ることでしょう。

さらにもう一つは国会の会期終了後に内閣を改造し、来年の解散・総選挙に備えることです。

いまのところ給油再開の福田さんか、国連の決議があれば自衛隊をアフガニスタンに送り出すという小沢さんか、二つに一つの選択です。

私はもう一つの選択肢があっても良いと思っています。

それは日本国憲法第9条を守り、自衛隊を国外に出さない人を日本国首相にすることです。このような人が多数いる国会議員の中にいないわけはないと思っています。

いよいよ安全保障問題をめぐって政界再編劇の幕が上がります。

「9条を広める会」の世話人になって下さい

中西 治

皆さん

残暑お見舞い申し上げます

今日は8月8日、立秋です。暦の上では秋に入りましたが、連日、酷暑が続いています。

私たち有志は、3年前の2004年8月15日に「日本国憲法第9条を支持する宣言」を発表し、内外の多数の賛同を得ました。さらに、私たちは、2年前の2005年8月15日、第二次大戦終結60周年記念日に、「日本国憲法第9条の精神を地球全体に広める会(略称「9条を広める会」)」を設立し、今井康英、岩木秀樹、上田順子、近藤泉、高橋勝幸、竹本恵美、中西治(五十音順)の7人が会の世話人となりました。

署名者は日本から韓国、中国、ネパール、タイなど地球上の諸地域に広がり、2007年8月7日現在で139人です。

このところ内外の情勢は急速に進展し、私たちに新たな活動を求めています。

そこで世話人のあいだで意見を交換した結果、来る2007年8月15日を期して、会の活動をいっそう活発にするために、新たに多くの方々に世話人になっていただこうということになりました。

「9条を広める会」として事務局を確立し、ホームページを開設・管理し、日本語だけではなく、数か国語で広報をおこない、いつでも自由に「日本国 憲法第9条を支持する宣言」に署名ができ、闊達に意見が交換できるようにしようとの声が上がっています。また、このさい、代表世話人を決めてはとの意見もあります。

戦争のない、平和な日本と地球を創り出すため、輝かしい未来のために、ぜひ「9条を広める会」の世話人になって下さい。世話人になっていただける方は8月13日(月)までに中西治に一報願えれば幸いです。

楽しい良い日々を!

栗原優『現代世界の戦争と平和』について

中西 治

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私たちの研究所の仲間である栗原優さんが新著『現代世界の戦争と平和』(ミネルヴァ書房、2007年6月20日)を上梓されました。この本は栗原さんのこれまでの膨大なドイツ現代史にかんする研究を簡潔に集大成し、かつ、戦争と平和についての新たな分野を開拓した、読みやすく、分かりやすい力作です。そこで今日はこの本を紹介します。

栗原さんのこの本は1945年の第二次大戦の終結後60年以上にわたって続いてきた日本の平和とは何だったのだろうかという問題から出発しています。このことについては二つの立場があります。一つは平和憲法の存在を重視する立場であり、もう一つはアメリカが守ってくれたからだという立場です。栗原さんは前者の立場に立ち、後者の考えを論破するために本書は書かれています。

栗原さんはまず第二次大戦後の世界の戦争と平和の実態を分析し、欧米の先進諸国がことごとく平和であったのに対して、世界の後進地域では戦争につぐ戦争であったという事実を明らかにします。そして、この第二次大戦後の「先進国の平和」のもとを辿り、1871年に行き着きます。

この年の1月28日にプロイセンがフランスを破ってパリを占領し、同じ日にヴィルヘルム1世がヴェルサイユ宮殿鏡の間で戴冠式を挙行し、ドイツ帝国が発足しました。欧米先進国の世界がほぼ完成し、本格的な植民地獲得競争が始まりました。「帝国主義時代の開幕」です。

一般にはこのときから帝国主義戦争の時代が始まり、その延長線上に20世紀の第一次世界大戦と第二次世界大戦があるとされています。栗原さんはそのようには考えません。栗原さんはこのときから「先進国の平和」の時代が始まったと主張しています。

栗原さんは、この「先進国の平和」は二度の世界戦争で中断されつつも、これを貫いて第二次世界大戦後の世界に連続していると考えるのです。なぜか。それは1871年以降、先進国間では戦争が起こる原因が消滅しつつあるからです。そこで疑問が生じます。それでは二度の世界大戦はなぜ起こり、どのような性格の戦争であったのでしょうか。

栗原さんは二つの世界大戦をドイツが意図的に引き起こしたとする通説は誤っていると主張し、二つの戦争はともにドイツが後進地域に対する「安全な戦争」として開始したが、それが計画通りに行かなくて、世界大戦に発展してしまったのであると説明しています。ついでながら、栗原さんが「管理された世界戦争」と名付けているベトナム戦争はアメリカが対象をベトナムに限定することに成功した戦争であるということになります。

そこで栗原さんは戦後日本の平和が維持されたのはなぜかという本書の出発点にもどります。栗原さんは戦後の先進世界はもはや常に食うか食われるかのホッブス的な世界ではないことを指摘し、戦後日本の平和は「先進国の平和」の一環であり、「現実主義者」が言うように、アメリカが守ってくれたからではないと主張します。平和憲法はこの事実を理想主義の言葉によって先取りしたものであるということになります。

栗原さんの新著は論争的で論理きわめて明解です。二つの大戦の起源について吟味された多くの知識を与えてくれます。私はこの本から強烈な知的刺激をうけました。二つの大戦については大いなる論議を呼ぶでしょうが、私はこのような新しい観点と問題を大胆に提起する著作こそいま求められていると考えています。本書を読んで改めて多くの外国語を習得する必要を痛感しています。

栗原優さん、新著刊行、おめでとうございます。

爆笑問題・太田光がんばれ。

高橋 勝幸

2006年10月2日の新聞の全面広告「安倍さん、本当に憲法 変えちゃう気ですか。」少なくとも朝日と読売には広告が掲載されました。太田光と中沢新一が並んで腕を組んで立っていました。カラーです。「安倍さん、本当に憲法 変えちゃう気ですか。」このメッセージが広く届いたことを期待したいと思います。

爆笑問題の太田光はなかなかいいと思います。私はファンです。太田光は1965年生まれで、私と同じ年であります。この世代は、高校、大学で60年安保世代あるいは70年安保世代の教員の影響を受けているのではないかと思われます。

終わっちゃいましたけど、日本テレビ系の「爆笑問題のススメ」も面白かったです。いろいろな作家、文芸人を呼んで、対談する番組でした。ここでも、自民党批判、平和擁護、戦争反対の舌鋒をふるっていました。

TBSラジオの深夜番組(火曜。正確には水曜、午前1時)「爆笑問題カウボーイ」も昨年の8月(24日)、9月(14日)あたりは「シリーズ、太田はこう思う」(少なくとも10回)という特集を組んで、太田光が2時間ぶっ続けで戦争、平和、憲法9 条、靖国、テロ、イラク戦争、総選挙について毒舌を発していました。今年の8月はそれもなく、残念でした。お笑いで、がんばっているけれども、なかなか引き締めが厳しいのだろうと、想像します。

最近ではやはり日テレ系金曜午後8時から「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」で毒舌を聞けます。これは模擬国会で、提出された法案をディベートします。可決されたものは実際に国会にもっていくことになっているそうです。10月6日の番組では、「『憲法9条の日』という祝日をつくります」という提案を太田総理が提出しました。太田総理は「これが何十年後か、何百年後かわからない。でも、その先には憲法9条というものが実は全然ばかばかしくない時代がおそらく来るだろう。・・・・・・憲法9条は究極の理想だから、これを何とか変えないように」と主張しましたが、否決されました。番組では、しばしば自衛隊、憲法9条をめぐって、石破茂元防衛庁長官と議論を戦わせますが、太田光も守りの姿勢に追い込まれ、平和を語ることの難しさを感じさせます。

爆笑問題、とりわけ、太田光の活躍は大きいと思います。爆笑問題は、いわゆる漫才師系の芸能人であり、テレビの露出度も高く、人気もあります。幅広い年齢層、人々に大きな影響力があります。太田はよく本を読んでいます。方向性も好きです。

憲法九条を世界遺産にさて、太田光と中沢新一の対談『憲法九条を世界遺産に』は21万部を突破しました。一方、本物の安倍総理の『美しい国へ』は48万部で2倍以上です。

対談集の中で、太田光は言います。「今、憲法9条が改正されるという流れになりつつある中で、10年先、20年先の日本人が、「何であの時点で憲法を変えちゃったのか、あの時の日本人は何をしてたのか」となった時に、僕達はまさにその当事者になってしまうわけじゃないですか」(16 -17頁)。これだけは、私は避けたいと思います。平和憲法を改悪した当事者になって、後生の人々から批判されるのは御免です。あの忌まわしいアジア太平洋戦争において、「こんなことになるのなら、なぜあのとき、もっと反対しなかったのか」といった件が、『きけわだつみのこえ』にあったと思います。私は、大学で、「言うべきことを、言うべき時に言うこと」を教わりました。しばしば、TPOを間違えますが。戦争は不条理です。人を殺すことがよくないということがわかっていても、殺さなければ相手か、上等兵によって殺される、身内や仲間が殺されれば復讐の炎が燃え上がります。戦争は絶対に許されません。

中沢新一は答えます。「現在の国際情勢などというものに押されるようにして憲法を改正してしまうと、僕たちの時代は将来の日本人にたいしてひどい汚点を残すことになってしまうでしょう」(17頁)。

中沢は言います。「あいかわらず、まともな異論を唱えようとする人々を黙らせてしまおうとする、嫌な精神土壌はそのまま生き続けているでしょう」(18頁)。

中沢は語ります。「平和憲法は世界の憲法の中の珍品だと思います。ところがいま、この世界の珍品を普通のものに変えようとして、改憲論が吹き荒れているわけです」(54頁)。

太田は言います。「この憲法は、アメリカによって押しつけられたもので、日本人自身のものでないというけれど、僕はそう思わない。この憲法は、敗戦後の日本人が自ら選んだ思想であり、生き方なんだと思います」(96頁)。

中沢は答えます。「日本の仏教は価値があるといえる。その仏教を日本人は大事に守ってきた。今さら、あれはインドからきたものだからダメだとか、中国人が途中で漢文のお経を入れたからダメだなんて、誰も考えないでしょう」(61頁)。

中沢は主張します。「そういう(憲法9条-筆者注)場所があることを知って、そこに心を向けることで、世界は正しい方向に向かっていける」(78頁)。「そういうものを簡単に捨ててしまったりしたなら、日本人は、大きな精神の拠り所を失うと思います。この憲法に代わるものを僕たちが新たに構築するのは、不可能です」(79頁)。

「安倍さん、本当に憲法 変えちゃう気ですか。」私は憲法9条を世界遺産にするのではなく、世界に広め、活かすべきであると考えます。憲法とは、我々が進むべき方向を示します。我々の意思であり、その実現のために不断の努力が必要であります。私たちは、平和憲法が世界の中で普通のものになるように、世界を変えなければなりません。