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日米安保体制から日米平和友好協力体制に! ―ポツダム宣言受諾 63 周年にあたって

中西 治

1945 年 8 月 15 日正午に日本が米英ソ中国 4 か国のポツダム宣言を受諾することを発表し、第二次大戦が終結しました。 63 年が経ちました。日本国軍隊は無条件降伏し、完全に武装解除されました。日本国は連合国の占領下に置かれました。平和的傾向をもつ政府ができたとき、占領軍は撤退することになりました。

新しい日本国憲法が 1946 年 11 月 3 日に公布され、 1947 年 5 月 3 日に施行されました。憲法第 9 条は、戦争を永久に放棄し、陸海空軍その他の戦力を保持せず、国の交戦権を認めない、と宣言しました。日本から軍人は一人もいなくなりました。

1950 年 6 月 25 日に朝鮮戦争が勃発したあと、警察予備隊が創設され、日本は再軍備の道を歩み始めました。日本は強力な自衛隊を保持し、防衛省を持っています。

1951 年 9 月 8 日にサンフランシスコで調印された講和条約第 6 条は「連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、かつ、いかなる場合にもその後 90 日以内に、日本国から撤退しなければならない。」と規定していました。戦争が終わり、講和条約が結ばれれば、戦勝国は敗戦国から獲るものをとって、軍隊を引き揚げる。国際法の常識です。

同じ日に調印された日米安全保障条約第 1 条によって、米国は陸空海軍を日本国とその付近に配備する権利を日本国から許与されました。占領下に米国が講和条約とセットで日本に押しつけたものでした。稀なことです。

主権の回復後に日本が 1960 年 1 月 19 日に米国と締結した日米相互協力安全保障条約は、第 1 条で、日米両国は両国が関係することのある国際紛争を武力ではなく、平和的手段で解決することを約しました。日米不戦の誓いです。日本国憲法にも、国際連合憲章にも一致します。歓迎すべきことです。

本当のねらいは第 6 条でした。米国は陸空海軍が日本国において施設および区域を使用することを許されました。 米軍駐留を永続・恒常化する新しい条約に反対する運動が日本国中に広がりました。 60 年安保闘争です。

1951 年の条約では、米軍が日本に駐留するのは、極東の平和と安全の維持のため、日本の内乱を鎮圧するためでした。 1960 年の条約では、日米が共同で対処するのは、米軍基地を含めて日本が武力攻撃されたときだけです。米軍が日本の基地を使用できるのは日本と極東の平和のためだけです。内乱条項は削除されました。

在日米軍の現在の行動は、極東の範囲をはるかに越え、アフガニスタンやイラクにまで及んでいます。日本政府は「日米関係は同盟関係である」と言って、自衛隊をインド洋やイラクに派遣し、米軍を助けています。日米両国政府のこれらの行動は、日本国憲法に違反するだけでなく、 1960 年の条約にも違反しています。

同盟関係というのは、北大西洋条約機構 (NATO) のように、締約国の一または二以上に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなすものです。 1960 年の条約はこのような同盟条約ではなく、きわめて限定された安全保障条約です。

1940 年 9 月 27 日に日本はヒトラー・ドイツおよびムッソリーニ・イタリアと三国同盟を結びました。日独伊三国は、三国のうちいずれかの一国が、現に欧州戦争または日支紛争に参入していない一国によって攻撃されたときには、三国はあらゆる政治的、経済的および軍事的方法により相互に援助することを約束しました。三国の指導者の念頭にあったのは米国です。

時の松岡洋右外務大臣は、ドイツとイタリアの力を借りて、米国が日本の南方政策に介入するのを防止できる、と期待していました。この期待に反して、日米関係はいっそう悪くなり、 1941 年 12 月 8 日に日本は米国との戦争に突入しました。日米開戦の報を聞いた松岡洋右は「三国同盟の締結は僕一生の不覚であった」と慚愧の涙を流したといわれています。

日本人は三国同盟が戦争を拡大し、日本を敗戦に導いた苦い経験に学び、第二次大戦後は米国を含むいかなる国とも同盟を結ばなかったのです。いまも日本はどの国とも同盟条約を結んでいません。戦争を事とする国と同盟を結べば、破滅することを思い知らされたからです。

「日米関係は同盟関係である」と言う人は、同盟の持つ重大な意味と大きな危険を認識していないのです。

日本の再軍備と米軍駐留継続への道は、朝鮮戦争の開始とともに始まりました。その戦争が、長い停戦状態を経て、南北朝鮮・米国・中国のあいだで完全に終わろうとしています。日本でも長期にわたって日米安保体制を支えてきた自由民主党が参議院で少数派に転落し、政権の座から滑り落ちようとしています。米国でも変化を唱える大統領が選出される可能性が生まれています。

日本は長いあいだ米軍の異常な駐留に付き合ってきました。もう十分に日本は米国に対する義理を果たしました。米国のような大きな国が日本のような小さな国に「思いやり予算」などと言われるのは、大国としての沽券にかかわるでしょう。

戦後に区切りをつけ、新しい日米関係をつくるべきときがきています。日米相互協力安全保障条約を廃棄し、米軍基地をなくし、在日米軍をなくすときです。衆参両院が日米相互協力安全保障条約の終了を可決し、米国に通告すれば、 1 年後にはそうなるのです。

ポツダム宣言受諾 63 周年にあたって、私は、 20 世紀の日米安保体制から 21 世紀にふさわしい新しい日米平和友好協力体制に転換するよう、呼びかけます。

「憲法 9 条をまもる 平和共同かながわ」総会と基地問題意見交換会の成功を喜ぶ

中西 治

私も参加する「憲法 9 条をまもる  平和共同かながわ」の第 2 回総会と「米軍再編と神奈川の平和運動」についての意見交換会が昨日 (2008 年 7 月 21 日) 、横浜で開かれました。これには多数の人々が参加し、熱心な討論が展開されました。大成功でした。私も多くのことを学びました。

総会については追って事務局から正式に報告されますので、ここでは意見交換会についての感想を述べます。

神奈川県大和市議会議員大波修二さんの映像を交えての報告は簡潔かつ説得的でした。かつて沖縄を二度訪問し、北から南まで自動車で訪ね、大きな沖縄の中に小さな基地があるのではなく、大きな基地の間に小さな沖縄があると感じました。嘉手納飛行場での米軍機の荒っぽい離着陸を見、爆音を聞いて、これはひどいと思いました。厚木基地でも同じようです。

厚木基地には横須賀に入った米国の航空母艦の艦載機だけではなく、岩国の海兵隊機、韓国の空軍機なども飛来し、航空母艦に無事に離着艦できるような訓練をうけ、すさまじい騒音をまき散らしています。米軍機の使用の合間に日本の自衛隊機も訓練しています。

大和市の測定によると、厚木基地の滑走路北約 1 キロメートルの住宅地における 70 デシベル以上、5 秒以上の継続音は今年 5 月に 2227 回起こっています。最高音は 117 デシベルとのことです。環境基本法にもとづく騒音についての基準値は住宅地で昼間 55 デシベル以下、夜間 45 デシベル以下です。厚木基地周辺の住宅地の最高騒音は基準の 2 倍を超えています。

航空騒音については、デシベルを元に時間帯などを考慮して再計算した WECPNL が使われています。大波さんはこの値 75 を爆音被害値とし、厚木基地では面積約 100 平方キロメートル、8 自治体、人口 70 万人、5 年前より 10 万世帯増え、現在、24 万世帯が精神と肉体に被害をうけていると指摘しています。嘉手納爆音訴訟の判決では、受忍限度対象地域が WECPNL85 以上に引き上げられ、原告 1600 人余りの賠償が退けられました。

爆音問題は厚木だけではなく、嘉手納、普天間、小松、横田、岩国にもあることがよく分かりました。基地問題は沖縄だけではなく、神奈川にもあるのです。

私は 1987 年以来、4 次にわたって訴訟を起こし、闘っている厚木基地爆音防止規制同盟の皆さんに心から敬意を表します。大波さんはこの同盟の書記長です。今年の 5 月 12 日に横浜地方裁判所で始まった第 4 次原告団は 2458 世帯、7054 人です。

米国の原子力航空母艦ジョージ・ワシントンが横須賀に配備されれば、厚木基地の爆音はいっそう激しくなるでしょう。大波さんは原子力空母の母港化に反対し神奈川の基地撤去をめざす県央共闘会議の代表も務めています。

基地問題を抜本的に解決するために、日米安全保障条約を再検討すべき時期がきていると思います。

栗原優『現代世界の戦争と平和』について

中西 治

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私たちの研究所の仲間である栗原優さんが新著『現代世界の戦争と平和』(ミネルヴァ書房、2007年6月20日)を上梓されました。この本は栗原さんのこれまでの膨大なドイツ現代史にかんする研究を簡潔に集大成し、かつ、戦争と平和についての新たな分野を開拓した、読みやすく、分かりやすい力作です。そこで今日はこの本を紹介します。

栗原さんのこの本は1945年の第二次大戦の終結後60年以上にわたって続いてきた日本の平和とは何だったのだろうかという問題から出発しています。このことについては二つの立場があります。一つは平和憲法の存在を重視する立場であり、もう一つはアメリカが守ってくれたからだという立場です。栗原さんは前者の立場に立ち、後者の考えを論破するために本書は書かれています。

栗原さんはまず第二次大戦後の世界の戦争と平和の実態を分析し、欧米の先進諸国がことごとく平和であったのに対して、世界の後進地域では戦争につぐ戦争であったという事実を明らかにします。そして、この第二次大戦後の「先進国の平和」のもとを辿り、1871年に行き着きます。

この年の1月28日にプロイセンがフランスを破ってパリを占領し、同じ日にヴィルヘルム1世がヴェルサイユ宮殿鏡の間で戴冠式を挙行し、ドイツ帝国が発足しました。欧米先進国の世界がほぼ完成し、本格的な植民地獲得競争が始まりました。「帝国主義時代の開幕」です。

一般にはこのときから帝国主義戦争の時代が始まり、その延長線上に20世紀の第一次世界大戦と第二次世界大戦があるとされています。栗原さんはそのようには考えません。栗原さんはこのときから「先進国の平和」の時代が始まったと主張しています。

栗原さんは、この「先進国の平和」は二度の世界戦争で中断されつつも、これを貫いて第二次世界大戦後の世界に連続していると考えるのです。なぜか。それは1871年以降、先進国間では戦争が起こる原因が消滅しつつあるからです。そこで疑問が生じます。それでは二度の世界大戦はなぜ起こり、どのような性格の戦争であったのでしょうか。

栗原さんは二つの世界大戦をドイツが意図的に引き起こしたとする通説は誤っていると主張し、二つの戦争はともにドイツが後進地域に対する「安全な戦争」として開始したが、それが計画通りに行かなくて、世界大戦に発展してしまったのであると説明しています。ついでながら、栗原さんが「管理された世界戦争」と名付けているベトナム戦争はアメリカが対象をベトナムに限定することに成功した戦争であるということになります。

そこで栗原さんは戦後日本の平和が維持されたのはなぜかという本書の出発点にもどります。栗原さんは戦後の先進世界はもはや常に食うか食われるかのホッブス的な世界ではないことを指摘し、戦後日本の平和は「先進国の平和」の一環であり、「現実主義者」が言うように、アメリカが守ってくれたからではないと主張します。平和憲法はこの事実を理想主義の言葉によって先取りしたものであるということになります。

栗原さんの新著は論争的で論理きわめて明解です。二つの大戦の起源について吟味された多くの知識を与えてくれます。私はこの本から強烈な知的刺激をうけました。二つの大戦については大いなる論議を呼ぶでしょうが、私はこのような新しい観点と問題を大胆に提起する著作こそいま求められていると考えています。本書を読んで改めて多くの外国語を習得する必要を痛感しています。

栗原優さん、新著刊行、おめでとうございます。

再論:東アジア共同体の形成に向けて

ねこくま

アメリカ政府は東アジア共同体形成を自国の繁栄への脅威と見なしているようだ。分割して統治せよ。しかしその施策は金のタナゴを産む鶏を自ら絞め殺す愚行でしかないのかもしれない。

アメリカの意志を受けて中国台頭を阻止しようとする日本の小泉政権は靖国参拝を強行することで、東アジア各国が協調しつつ発展する道を閉ざし続けている。同地域の経済一体化はすでに後戻り出来ない水準に近づき、人々に大きな生活の変化を強いている。日本でも中国でも、おそらく東南アジア各国に拡がる格差が生み出す社会的緊張もその一つに過ぎない。

経済は一体化しても政治的には不一致である状況がまともであるはずはない。各国の政治的協力によって得られるべき利益が何ら得られることなく、痛みばかりが各国の社会を襲う。例えば同地域の政治的協調関係が順調に形成されていれば、軍事費の大幅な削減と、ういた予算を統合によって苦しむ市民の社会保障にも産業構造の転換にも転用可能なのである。

約束された利益は何ら与えられず、変化に伴う痛みだけが押しつけられる。その社会的不満の解消に扇情的なナショナリズムがあおり立てられる。これが現在の東アジア地域における最大の不安定材料である。

アメリカは自国の経済的繁栄の基礎がアジアの生産力とその勤勉な労働力によっていることを自覚すべきである。彼らがアジアの状況をさらに煽り立て放置するなら、アジアの生産力が破壊される可能性さえ予想される。

日本と同盟したアメリカによる侵略の可能性は、植民地のくびきから逃れて半世紀も経たないアジア各国にとって現実の悪夢であることをアメリカはきちんと認識するべきである。

東アジア共同体と言ってもグローバル経済の一部である。アメリカが支配するグローバルな安全保障秩序のインフラの上に成り立つ極めて複雑な経済の複合体なのだ。おそらく現在のアメリカのグローバルな安全保障秩序を全面的に拒絶する国は存在しないだろう。少しばかりの不満、異論をアメリカが中心となって利害調整するシステムを再構築しさえすればよいのだ。

東アジア共同体は地域経済政治中心の存在として、アメリカが支配するグローバルな安全保障枠組みの議論とは分離して勧めるべきだ。この場合6者協議は重要な秩序形成の枠組みとなる。

自国の経済的繁栄を支える東アジア地域の安定と発展の維持のために、アメリカは東アジア共同体に関する対外戦略を真剣に考え直すべきだ。

中国の主導する普遍的国際秩序形成の可能性

ねこくま

「戦後60年と東アジアの平和」シンポジュウムに参加してきました。専門的、包括的で東アジア安全保障の枠組みが今後いかなる方向性をもって再編成されるかについて示唆に富んだ報告の数々でした。5名のパネラーの報告は、いま私が研究しているアジア太平洋地域あるいは東アジアの安全保障秩序がどうなるかという問題を考える上で、非常に参考になりました。とくに清水学先生の「上海協力機構」に関する報告が、私にとっては一番参考になりました。

「上海協力機構」とは、中国がロシアと、旧CIS共和国の何カ国かが、安全保障上のコンセンサスをとりまとめるために締結した組織です。ところが一時アメリカのイラク侵攻に際して、ロシアやこれらイスラム系共和国が基地を提供するなど積極的に協力したために有名無実化したものと見なされていました。これが中国が主導したか、ロシアが主導したのか見えないのですが、米軍基地を地域から撤退させるという決議を実行し、中国が地歩を取り返した訳です。

まあ、今回はこれら中近東地域をめぐる中国の逆襲といった趣ですが、米軍基地の撤退、同機構へのインド、パキスタンの加盟認可、さらにオブザーバーながらアメリカから敵視されるイランを加えたことで「上海協力機構」の意味合いが大きく変化したと思われます。

ここから先は、今年末に発刊予定の某学会誌「グローバリゼーション特集号」に書いた論文の内容に関わるわけです。この論文で私は、中国がアジア太平洋地域で東アジア共同体を指向し、安全保障面ではARF(ASEAN地域フォーラム)や TAC(東南アジア友好協力条約)に積極参加している状況を、私は「アメリカ主導のグローバル秩序と東アジアの地域的安全保障枠組みの角逐」と捉えました。しかし、清水先生の提起した「上海協力機構」をめぐる中国安全保障枠組みの拡大の試みは、アジア太平洋地域での中国の試みと結びつくと、アメリカのグローバル安全保障秩序と平衡する新たな地球規模の安全保障枠組み形成試みの一貫と解釈できるようになります。

タイトで画一的な価値に支えられたアメリカ主導のグローバル秩序と、多元的で緩やかな結びつきによる秩序の主導権をめぐる競争が始まっていると理解できるわけです。国際社会の歴史は非常に早いテンポで変化しつつあり、アメリカ中心のグローバル秩序が何時までその有効性を保てるのかも不透明です。

地球大の安全保障秩序を普遍的に保持しようという努力に費やされるエネルギーはいかほどのものなのでしょうか。緩やかで協調的な国際秩序の方が、現実的で実効的なグローバル秩序の資格を有しているのではないでしょうか。今回のシンポジュウムに出席してASEAN的な緩やかな求心力による秩序こそ、冷戦とグローバリゼーションで傷ついた世界が求めている秩序ではないかと感じました。