ロシア」タグアーカイブ

安倍・プーチン共同声明に寄せて

中西 治

安倍日本国首相とプーチン・ロシア連邦大統領が昨日、2013年4月29日にモスクワで共同声明を発表した。この声明全文を読んで日本とロシアの交流が多面的に発展していることを知り、喜んでいる。両国首脳が第二次大戦後67年余を経て日ロ間で平和条約が締結されていない状態を異常と考え、平和条約を締結するとの決意を表明したことを歓迎する。

この「両国交流の発展」と「平和条約締結の決意表明」は両国国民の多年にわたる努力の結果である。

ここではプーチン大統領を政治家としてどのように評価するのかについてだけ書く。

私はプーチンが1999年8月9日に首相代行に任命されて以来この人物に注目してきた。エリツィンがプーチンを後継者に選んだのは、プーチンが「巨大な意志を持ち、巨大な決断ができる」人であると考えたからである。

プーチンはかつて「政治指導者のうちの誰に関心を持つか」との質問に「ナポレオン・ボナパルト」と答えている。彼は、ついで、フランスのドゴールとドイツのエアハルトを挙げ、エアハルトを「大変プラグマティックな人」と述べている。

私は当初「エリツィンはスターリン型、プーチンはアンドロポフ型の政治家である」と考えていた。2002年10月のモスクワでの劇場占拠事件への対応を見て、「プーチンはスターリン型の政治家ではなかろうか」と考えたことがある。

ロシアのジャーナリスト、アレクサンドル・ゴロフコフは2001年1月11日の『独立新聞』付録「人物と顔」で次のように書いていた。「反抗者ウラジーミル・レーニンの事業は法律を愛する彼と同じ名前の人(ウラジーミル・プーチン)によって最終的に閉じられるであろう。プーチンには、ロシアをこの地上には存在しない天国の光り輝くファンタジーへではなく、歴史的伝統とロシア市民の圧倒的多数の願望によって示された道に沿ってロシアを控え目にきちんと進ませることが約束されている」と。

「ウラジー・ミール」とは「世界を支配せよ」という意味である。

私はいまでは「プーチンはレーニン型である」と考えている。レーニンはその生きた時代のそれぞれの時期に、強い意志と決断力を持って、硬軟に対応した現実政治家であった。

プーチンは平和条約締結までたどりつく可能性がある。

安倍首相はどうであろうか。

Анна Политковская(アンナ・ポリトコフスカヤ)

宮川 真一

ロシアのチェチェン紛争でプーチン政権の弾圧政策を批判してきた著名な女性ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤ(48)が今月7日、モスクワ市の自宅アパートのエレベーターの中で射殺体で発見された。ポリトコフスカヤは反クレムリン派の新聞『ノーバヤ・ガゼータ』の評論員であった。1999年からチェチェン紛争の取材で現地入りを重ね、ロシア連邦軍による無差別攻撃の実態を暴露する記事を発表し続けていた。ポリトコフスカヤの名を一躍有名にしたのが、2002年に発生したモスクワ劇場占拠事件である。

2002年10月23日午後9時頃、ロシアで大評判の初の国産ミュージカル「ノルド・オスト」を上演中のモスクワ南東の文化宮殿(劇場)に、多数の武装集団が突然侵入し、観客、出演者など858人の人質を取って立てこもった。この武装集団はモブサル・バラエフ野戦司令官が率いるチェチェン武装勢力で、女性18人を含む総勢およそ50人であった。ロシア国民は彼らを狂人とみなした。

夫とともに人質となったロシアの通信社「インテルファックス」に勤務するオリガ・チャルチャニックは、「武装グループは、チェチェンで起きている悲劇を私たち人質に話し、特に子どもたちがたくさん殺されていることを強調して、だからこういう行動をおこしたと説明してました」と述べている。劇中でパイロットの役を演じていた俳優マラット・アブドラヒムは、女性ゲリラたちと会話を交わした。その中の1人「16歳」の「ズーラ」は、「家族は、殺されました。戦争を止めさせてロシア軍がチェチェンから出て行くなら、私は死んでもいい。死にに来たんです」と語った。アブドラヒムは子どもや体の弱い人の釈放を要請したという。するとある女性ゲリラが言った。「私は生後1ヵ月の赤ちゃんを残してここにやってきました。そうしなきゃならないほどチェチェンでは子どもも老人も殺されているのよ。」また別の女性ゲリラは「あなたたちも少しは我慢しなさい。私たちはロシアが軍事侵攻してから8年間我慢しています。あなた方を悪くは思っていない。ロシア政府に戦争中止を呼びかけたいだけなの」と話したという。世論調査では、人質奪取の動機はチェチェン戦争か国際テロリズムかで拮抗している。

10月25日夜、事態が急変した。ワシントンでチェチェン問題の会議に参加していたポリトコフスカヤが急遽帰国し、武装集団との交渉を開始したのである。彼女が「あなたたちにも生き残ってほしい」と呼びかけると、バラエフは「われわれの目的は、戦争を止めさせること、ロシア軍を撤退させることだ。そのためにここに来たんだ。それができないならここで死ぬ」と声を荒立てた。「もっと要求を細かく出さないと解決しません」とのポリトコフスカヤの提案に、彼らは要求事項をノートに書き記した。それは「第1に大統領が戦争を止める意思を表明する。第2に、大統領発言から24時間以内にチェチェンのどの行政区域でもよいからロシア軍が撤退をはじめる。その動きが始まったことを国際監視員が確認する。この時点で人質を全員解放する」というものであった。ポリトコフスカヤはこの2つの条件を事件対策本部に伝えた。

人質の1人であったタチアーナ・ポポーヴァによれば、この交渉の後で武装ゲリラたちはどこかに旅立つ準備を始めた。荷物をまとめた後、彼らは互いに握手を交わし、抱き合ったりし始めた。舞台上の旗は引き降ろされ、丁寧にたたまれた。バラエフは舞台に上がり、幾分陽気とも思える調子でこう語った。「諸君に秘密を明かしてやろう。明朝11時には全てが解決するはずだ。連中は妥協し始めたようだ。我々の要求をのむことを承諾した。11時にカザンツェフが来ることになっている。もしも11時に万事が上手くいけば、諸君は全員生きたまま帰れる。俺が保証しよう。従って苛立つんじゃない。」

しかし、翌26日午前5時半頃、正体不明のガスが突然ホール内に入ってきた。そしてロシア内務省特殊部隊が劇場内に強行突入し、人質の大半を解放した。特殊部隊は武装グループの3人を逮捕、女性全員を含む残りを射殺、事件はおよそ58時間後に終息した。世論は劇場急襲という決定を支持している。モスクワ市のユーリー・ルシコフ市長はこの日正午すぎの報道で「ヴィクトル・カザンツェフが大統領の連邦南部地域における全権代表として、本日の10時に犯行グループとコンタクトする予定だった。我々はこの話し合いを平和的解決の体制の中で行おうとしていた」と語った。だが、武装集団は「不安定な心理状態に陥り、その状態の中で彼らは人質を殺害し始めた」と指摘し、これが強行突入の開始の原因となったと強調した。一般市民の64%はこの報道を鵜呑みにしているが、市長が真実を語っていないことはポポーヴァが証言している。「事件が起きた当時ホール内にいた人間の1人という立場から、私は、彼らが私達を公衆の面前で射殺しようとはしなかったと言わねばなりません。」モスクワ市が27日に発表したところでは、人質のうち銃弾による死者1人(これは偶発的な発砲で、処刑ではなかった)を除き、116人全員が特殊ガスを原因とする死亡であることが判明した。特殊ガスの使用はごく一部の医師に突入直前になって知らされただけで、救急病院のほとんどの医師は知らなかったという。従って解毒剤も用意されていなかった。それでもロシア市民はマスメディアを通した政治家たちの「ノルド・オスト」をめぐる言葉を信じる向きにある。

そもそも、この事件はロシア側の挑発だったことが明らかになりつつある。2003年4月28日付のロシア紙『ノーバヤ・ガゼータ』は、ポリトコフスカヤがハンパシャ・テルキバエフという30歳のチェチェン人からとったインタビューを掲載した。彼はこの占拠事件でゲリラの1人として襲撃に参加し、特殊部隊突入の寸前に姿を消した人物で、ロシア特務機関員である疑いが濃厚だ。彼はインタビュアーに「僕はチェチェン人たちのモスクワ入りをアレンジして、劇場に一緒に入った」と語っている。ポリトコフスカヤは次のように結論した。占拠事件の犯人グループの中には、テルキバエフらロシア特務機関員が混ざっていた。ロシア市民もうすうす気付いているように、事件の発生をロシア当局は予期していた。しかし予防しようとはしなかったのだ。2003年4月17日、ロシアのセルゲイ・ユシェンコフ下院議員が自宅前で暗殺された。元ロシア連邦保安局大佐のアレクサンドル・リトビネンコは「私はユシェンコフに、テルキバエフについての詳細なデータを渡した。彼はそのために処理されたのだ」と話している。テルキバエフもその後、交通事故で命を絶つのである。

(アンナ・ポリトコフスカヤ[三浦みどり訳]『チェチェンやめられない戦争』日本放送出版協会、2004年。)

ロシア・ネオナチと平和運動

宮川 真一

2002年4月にはロシアで右翼過激主義者による犯罪が急増した。在ロシア日本大使館は「スキンヘッズにご注意を」とのチラシを配り、議会では「ロシア連邦過激主義活動対策法」が成立した。私も、夢の中でロシア・ネオナチの襲撃事件に遭遇したことを覚えている。

現在の右翼過激主義に典型的なイデオロギーを構成する要素は、次の4点に整理できる。1、ナショナリズム。「極端な」あるいは「民族的に 基礎づけられた」ナショナリズムであり、固有の国家が他の国家より優れているという見方としてのナショナリズムである。2、権威主義。社会次元では服従の ための服従、政治次元では国家を社会の上位に位置付けることであり、「指導者」への期待がある。3、反多元主義。これは民族と国家を統一体として融合する 自然秩序とみなす「民族共同体」イデオロギーの中に位置付けられる。4、不平等のイデオロギー。これは固有の集団に属さない人間の排除と軽視に結びついて いる。人種主義、外国人敵視、強者の権利の主張などがその内容である。

また、現在の右翼過激主義の危険性を総合的に把握するためには、次の4つの次元を考慮する必要がある。1、右翼政党の政治的、組織的発 展とその政治社会へのインパクト、とくに選挙過程における右翼政党の成果。2、右翼過激主義者の非政党的な組織的ネットワーク化、とくに出版物の社会的影 響。3、青年文化やサブカルチャーなどの前政治的領域の動向、例えば「スキンヘッズ」による右翼過激主義的暴力行動。4、一般市民の間での右翼過激主義へ の支持の潜在力、である。1999年の時点で、ロシアにおける右翼過激主義勢力は選挙という政治次元では縮小傾向にあった。しかし、社会次元ではその影響 力を維持しており、一般市民の意識次元では右翼過激主義を支持する十分な潜在力が存在したのであった。

2004年7月に成立した「過激主義活動対策法」は、新生ロシアで初めて過激主義を法的に定義し、ナチズムを禁止する。国家体制変革、 人種・民族・宗教紛争を起こす団体を非合法化し、それを助長する報道も規制することになった。しかし、過激主義の原因・条件・予防についてはおざなりな規 定にとどまっている。新法は過激主義活動に対する対症療法に過ぎないといわざるをえない。2002年10月下旬、モスクワ劇場占拠事件がこの立法を嘲笑う かのように発生した。このコラムでもいずれ「第二次チェチェン戦争」に触れたいと思っている。2002年12月の調査では、モスクワに住む外国人の安全を 脅かすものは第1にスキンヘッズ、第2に警察官、第3に運転手である。2002年中にスキンヘッズの勢力は強まってきており、新法が短期的に効力を発揮し ているとは言いがたい。

さらに、この法律には、社会・宗教団体の活動が抑圧されるという批判が殺到した。2002年12月、『ガゼータ』紙は政府内部で検討さ れている宗教的過激主義に関する法案レポートを公表した。そこでは、国民の安全保障に対する5つの宗教的脅威として、第1に正教徒を改宗させようとする ローマ・カトリック教会、第2に人道的援助を装うプロテスタント組織、第3にエホバの証人・サイエントロジーといった外国擬似宗教共同体、第4にイスラム 過激主義、そして第5に「文明の衝突」およびキリスト教・イスラム教間の避けられない紛争という考えを促進する試みが列挙されている。こうした政府の動き は、新法に対する批判が的外れでないことを示している。

このようにロシア政府の対策が功を奏していないどころか事態が悪化する兆しさえ表面 化している以上、今後の取り組みとしてまず新法の改正も含めた政策の再検討が必要とされよう。とともに長期的・抜本的対策として、ロシア右翼過激主義の土 壌となっている、政治・経済・社会・文化の混乱が終息し、民主的な政治、公正な経済、開かれた社会、「平和の文化」が構築されなければならない。そして、 右翼過激主義がナショナリズム、権威主義、反多元主義、不平等のイデオロギーに立脚する以上、それらに対抗するヒューマニズム、民主主義、多元主義、平等 の理念を掲げた平和運動こそ、今のロシア社会には求められているであろう。
(拙稿「現代ロシアにおける右翼過激主義対策—『過激主義活動対策法』をめぐって—」創価大学社会学会編『ソシオロジカ』第29巻、第1・2号、2005年3月。)

ロシア連邦過激主義活動対策法

宮川 真一

ロシアで右翼過激主義が台頭していた2002年4月29日、プーチン大統領は「ロシア連邦過激主義活動対策法案」を下院に提出する。ロシアで「過 激主義」を初めて法的に定義するという画期的なこの法案は6月6日、下院総会の第一読会において、賛成271(60.2%)、反対141(31.3%)、 棄権1(0.2%)、無投票37(8.2%)で承認された。この法案には議会の内外から様々な批判が寄せられていた。しかし、6月9日に開催されたサッ カー・ワールドカップの日本・ロシア戦で、ロシアの敗北を機にモスクワの広場に集っていた過激な若者集団が暴徒化するという事件が発生する。右翼過激主義 のネオナチ党員が混じって煽動していたとされるこの暴動により、下院の建物も損害を被り、118人が逮捕、警官20人を含む100人以上が入院する事態と なった。この事件も立法過程に影響し、6月20日の下院総会では、賛成272(60.4%)、反対126(28%)、棄権2(0.4%)、無投票50 (11.15%)で第二読会を通過。6月27日には賛成274(60.9%)、反対145(32.2%)、棄権0、無投票31(6.9%)で第三読会を通 過し、この法案は下院で採択されるにいたった。概ね6割の与党議員が賛成、3割の野党が反対しており、共産党、農業党のほぼ全員と「ヤーブロコ」所属議員 の約半数は反対にまわっている。その後7月10日に法案は上院で承認され、7月25日にプーチン大統領が署名し、速やかに成立した。

この法律は第1に、「過激主義活動」を次のように規定する。「社会および宗教団体、またはその他の組織、またはマスメディア、または 自然人の活動で、次のことに向けられた計画、組織、準備および遂行を指す。憲法体制の原則を暴力的に変更すること、およびロシア連邦の一体性の侵害。ロシ ア連邦の安全保障の破壊。全権の強奪若しくは奪取。非合法的な武装部隊の創設。テロ活動の実行。人種的、民族的若しくは宗教的不和、並びに暴力若しくは暴 力への訴えに関連する社会的不和の煽動。民族的尊厳の侮辱。イデオロギー的、政治的、人種的、民族的若しくは宗教的憎悪または敵意、並びに何らかの社会集 団に対する憎悪または敵意を動機とした、大規模騒乱、無頼行動および野蛮行為の実行。宗教に対する態度、社会的、人種的、民族的、宗教的若しくは言語的帰 属の特徴に関する市民の優位性、優位または下等の宣伝」。このように過激主義を大変広く規定しているが、ここから新法がテロリズム・分離主義をも射程に入 れていることが読み取れる。第2に、ナチズムも法的に禁止され、ナチの付属物またはシンボルの宣伝および公的な誇示を過激主義と位置付ける。「ドイツ国民 社会労働党、イタリア・ファシスト政党指導者の著作」は「過激主義資料」と規定される。第3に、過激主義の予防について。「過激主義活動対策の基本方向」 は過激主義活動の予防措置を講じ、過激主義の原因と条件を明らかにして除去することである。また「過激主義活動の予防」として「過激主義活動の予防に向け られた養育、宣伝を含む予防措置を講じる」と規定しているが、これらの詳細については触れられていない。第4に、社会・宗教団体について。「ロシア連邦で は目的若しくは行動が過激主義活動の実行に向けられた社会および宗教団体、その他の組織の創設および活動は禁止される」と規定し、「大衆行動遂行の際にお ける過激主義活動実行の不許可」について定めている。第5に、マスメディアについて。マスメディアを通じての過激主義資料の散布およびそれらによる過激主 義活動の実行は禁止され、マスメディアが過激主義活動を実行した場合にはそのマスメディアの活動は停止されることがある。

この立法には様々な批判が寄せられた。「権利擁護ネットワーク」のセルゲイ・スミルノフによれば、新法は民主的でも人権を擁護するもの でもない。過激主義活動の極めて広い定義、規定された措置が法廷外の性格をもつことなどから、新法は市民に向けられた危険な道具となっている。人権研究所 の専門家であるレフ・レビンソンは新法が「リベラルな社会団体法に含まれている、社会団体擁護の機能を破壊している」と述べ、この法律が社会・宗教組織の 活動を統制下に置くことを目指していると指摘する。人権研究所所長のバレンチン・ゲフテルによれば、この法律は諜報機関が気に入らない組織に制裁を加える ことを可能にしており、「グリーンピース」のエコロジー行動、反グローバリストのデモンストレーション、反戦行進などが「過激主義活動」とされかねない。 下院社会団体・宗教組織問題委員会副議長のアレクサンドル・チュエフによれば、この法律は個々の市民のみならず、「良心の自由および宗教団体法」に従って 登録済みの宗教組織の権利をも制限しており、ロシア連邦憲法に違反するものである。

それでは、右翼過激主義の台頭にはいかなる対策が適切であるか、次の機会に検討したいと思う。
(拙稿「現代ロシアにおける右翼過激主義対策—『過激主義活動対策法』をめぐって—」創価大学社会学会編『ソシオロジカ』第29巻、第1・2号、2005年3月。)

スキンヘッズにご注意を

宮川 真一

ヨーロッパでは1980年代半ば以降、ロシアでは1990年代に入ってから右翼の台頭が社会を騒然とさせている。「9・11」米国同時多発テロ事 件の衝撃を受けたロシアでは、2002年にも右翼の伸張が顕著であった。2003年6月に沖縄大学で開催された日本平和学会春季研究大会で、私はこの問題 について研究報告をさせていただいた。今にして思えば、亜熱帯の沖縄で極寒のロシアを語らなくても良かったかもしれない。

2002年4月4日、モスクワの在留邦人に日本大使館から「ヒトラーの誕生日が近づいています。スキンヘッズにご注意を」とのチラシが 配布された。2002年に入り、「ロシア・ネオナチ」を自称する10代の青年が外国人を襲撃する事件が頻発している。4月20日のヒトラー生誕の日を前 に、「ネオナチ」の活動は過激化した。モスクワではアフガニスタン人が殺害され、外国人が経営する商店が略奪された。モスクワ中心街の地下鉄で、内務省通 訳官のアフガン人がスキンヘッドに襲撃・殺害される事件が発生した。在ロシア・アフガン大使館はロシア政府に抗議している。ウクライナのキエフでは、スキ ンヘッドの50人がユダヤ教のシナゴーグを襲撃したことが明らかになった。CIS諸国の在ロシア外交当局は、「ネオナチがCIS国民を脅かしている」と外 務省に申し入れている。米国やアフリカ諸国からも自国民保護の要請が相次ぎ、ロシア政府も事態を放置できない状況に追い込まれた。グリズロフ内相は、治安 警察による取締りの強化を発表。プーチン大統領は年次教書演説で、「過激主義の台頭はロシア社会にとって深刻な脅威だ」と警鐘を鳴らしている。

社会学の概念では、「急進主義」は規範もしくは手段次元の表出として把握され、「過激主義」は価値もしくは目的次元の表出として把握さ れる。具体的には、「急進主義」は憲法の認める政治紛争の社会的な手段を拒否し、とくに暴力との親近性を展開させている。これに対し、「過激主義」は民主 主義的諸価値を肯定する程度に関わるものである。こうした過激主義の運動を発生させる社会構造的特質は、次のようなものである。

  1. 前近代的集団が政治単位になっているなど社会の構造が未分化な場合、あるいは宗教、人種、民族といった社会的断絶が集団間の差別を補強している場合。
  2. 支配構造が硬直したり機能不全に陥る場合。ツァーリズムなどのような支配の一元化、未熟な革命レジームの試行錯誤、または国家と個人を媒介する中間集団が有効に機能しない大衆社会状況など。
  3. 多様な社会的断絶が集中し重なって固い障壁を創出し、社会的移動が抑制されている場合。都市貧困層、下層移民、植民地被支配者、少数民族などは過激主義の母体となる。
  4. 要求および抗議を有効に表出する制度上のルートがなかったり、あっても閉塞している場合。

ソ連邦の消滅という劇的な政治・社会変動を経験したロシアでは、急激な市場経済への移行、競争社会への突入は、高まる失業率、社会保障の 打ち切り、経済格差の拡大、生活水準の低下となって庶民の生活を直撃した。政治システムが弱体化し、社会的弱者や一般民衆の間に社会的没落と被排除の意識 が強まった。経済の自由化は国際経済システムへの参入を意味するため国民の運命が外国の手に委ねられる結果となり、無力感を生んだ。ロシア社会では「個人 化」状況、アノミー状態が西欧諸国よりも直接的な形で現れている。また、ソ連解体の結果としてイデオロギー上の目標を喪失したことから精神的に動揺してお り、国家イデオロギーを新たに定義する必要に迫られてもいる。ロシアを混乱の極みに陥れた近代化それ自体に対する反発が高まるとともに、無秩序な政治・経 済・社会・文化の中で「自分は何者なのか」を規定するアイデンティティの模索が始まった。その中で、誰からも奪い取られず、自らも脱ぎ捨てることができな い「自然」の集団カテゴリーが重要視されてくる。宗教が目覚しく復興し、ナショナリズム、人種主義が高揚するとともに「外国人嫌い」の風潮が蔓延するので ある。

こうした事態にロシア政府がいかに対処しているか、次の機会に取り上げたいと思う。
(拙稿「現代ロシアにおける右翼過激主義対策—「過激主義活動対策法」をめぐって—」創価大学社会学会編『ソシオロジカ』第29巻、第1・2号、2005年3月。)

正教文化の基礎

宮川 真一

いまロシアの公教育では、宗教教育をめぐる熱い闘いが繰り広げられている。1990年初頭、ロシア教育省はロシアの学校にキリスト教の倫理と道徳を強調するカリキュラムによる宗教学習の導入を決定した。1992年12月、ロシア教育大臣とアメリカ共同使節団執行委員会は「意向に関する議定書」に調印した。そこでは共同使節団を「キリスト教社会プロジェクト」と記述し、「教育と社会の精神的刷新の分野における協力を発展させるため」、両者はロシア公立学校の道徳と倫理の課程とカリキュラムを発展させることが記されている。やがて、ロシア教育省はロシア正教会との提携を進展させる。1997年から1999年にかけて、ロシアのいくつかの地域では州行政機関の資金で公立中学校に正教の教義を教える正規の科目が導入され始めた。1999年2月、モスクワ総主教庁の提案に沿って、教育に関する世俗・宗教委員会が教育省内に創設された。また1999年8月には、「ロシア連邦教育省とロシア正教会モスクワ総主教庁との協力に関する契約」にフィリポフ教育大臣とアレクシー二世総主教が署名した。

2002年初頭、アラ・ボロジナ著の教科書『正教文化の基礎』が出版された。これには「ロシア連邦教育省とロシア正教会モスクワ総主教庁との統一行動に関する調整評議会推薦」の公印が押されている。2002年10月22日、フィリポフ教育大臣は科目「正教文化」の模範的な教授法計画の要約を付与した書簡に署名した。この書簡は地方の教育局にも発送され、ロシア各地の学校で「正教文化の基礎」が集中的に導入され始めたのである。グレブネフ教育次官も2004年1月、中学校の必修プログラムに「正教文化の基礎」コースを導入するべきとの考えを明らかにした。2月3日の記者会見でフィリポフ教育相は、中学校に選択科目としての正教教育を導入する方針を再度表明した。

こうした教育省の政策により、中等教育における正教教育の導入に対する賛成 派と反対派が形成されることになる。賛成派には、当事者であり推進者であるロシ ア正教会、ロシア教育省を別とすれば、地方・連邦権力機関の一部、ロシア・ナショ ナリストの社会・政治組織のいくつか、正教徒または金銭的に利害関係を有する教 師の小グループという主として3つの勢力が挙げられる。反対派は主に次の4グルー プから構成される。新しい負担を重荷と感じる児童。児童への宗派教育を望まない 両親。道徳についての自身の見識をもつ大多数の教師。リベラルな社会-政治組織 であり、彼らは社会制度においてロシア正教会の影響が強まることはロシアの民主 的発展に対する脅威であり、他の宗教・宗派の権利侵害であるとみなす。人権組織 に所属するポノマリョフとイハロフは、ボロジナの反ユダヤ主義を糾弾し、彼女に対する刑事上の取り調べを開始させた。この件に関してモスクワでは10以上の裁判が行われたのである。

「世論」基金が2004年12月にロシア全土で実施した調査において、学校では世界「宗教史」と「正教文化の基礎」のどちらを教えるべきかを尋ねている。およそ半数の回答者がどちらも教えるべきであるとし、「宗教史」のみが1~2割、「正教文化の基礎」のみが1割弱、どちらの科目も教えるべきでないとする人が1割程度であった。さらに、「宗教史」または「正教文化の基礎」を必修科目にすべきとする人は2割、選択科目が5~6割、どちらも教えるべきでないとする人が1割程度となっている。これら調査から、「宗教史」と「正教文化の基礎」の両方を選択科目で教えることを世論は支持しているようである。
2005年9月21日、ロシア科学アカデミー世界史研究所のチュバリヤン所長は、宗教史に関する学校教科書が完成したことを明らかにした。フルセンコ教育科学大臣は以前から児童が全ての世界宗教を学習することを保証しており、9月初頭にはロシアの学校における『正教文化の基礎』教育のテキストを取り替える方針を表明している。これを受けてロシア正教会の外郭組織である正教市民同盟は22日声明を発し、これは偉大な正教大国ロシアの正教市民に対する挑戦であると訴えている。しかし教育科学相は10月4日、テキスト『宗教史』が本年中には承認され採択される見通しを語った。こうしたロシア教育科学省の政策を歓迎しつつ、新たな年もこの問題から目が離せないように思われる。

この1年、私の拙いコラムに目を通して下さった皆様に厚く御礼申し上げます。

(拙稿「現代ロシアの公教育における宗教教育―『正教文化の基礎』コース導入をめぐって―」ロシア・東欧学会第34回大会自由論題Ⅰ報告、西南学院大学、2005年10月16日。)

ロシアの「新しい」アイデンティティ

宮川 真一

10月15日、16日の両日、ロシア・東欧学会2005年度(第34回)大会が福岡県の西南学院大学で開催された。今回の共通論題は「スラブ・ユーラシアの新しいアイデンティティ」であり、「ロシア」、「CIS」、「文学」、「中・東欧」それぞれのアイデンティティの模索、再編が論じられた。私も「自由論題Ⅰ」の部会で、現代ロシアの公教育における正教教育について報告する機会を頂戴した。多くの貴重なコメントや質問を寄せていただくとともに、思いのほか高く評価していただき恐縮している。報告ではロシアのナショナル・アイデンティティについて、比較文明学の視点から論及した。

ソ連共産党の解体、ソ連消滅、冷戦の終焉によりロシアは再び世界史の舞台に登場した。帝政時代におけるロシアの統合原理は「専制・正教・民族性」であり、ソ連時代にその原理は「共産党一党独裁・共産主義イデオロギー・ソビエト人」に置き換わった。ソ連解体後、ロシア連邦の統合原理はいまだ定まっておらず、この国はアイデンティティ・クライシスの状態に陥っている。

かつてロシア文明は、ビザンツ文明の周辺文明として出発した。10世紀末から11世紀にかけて、キエフ・ルーシは大公ウラジーミル一世の治世に蛮族の状態から文明へと這い上がった。この時期に東方正教という高度宗教を国教として採用し、それまでの異教と置き換えて文明統合の基礎的価値、基礎的制度とした。また、ビザンツ文明を受け入れたことでキリスト教的法意識とビザンツ的法規範が浸透し、従来の氏族的風習や慣習法を徐々に凌駕していく。さらにビザンツ様式の建築や美術を受け入れ、ギリシア文字を借用してロシア文字を創出するのである。

17世紀末になると、ピョートル大帝は全面的「欧化」政策に踏み切った。ロシアは世俗化した西洋文明を受容せざるを得ず、今度は西洋文明の周辺文明に転落した。それ以来、ロシアの150年におよぶ無自覚な「欧化」を初めて根本的に自覚させたのが、1836年に発表されたチャアダーエフの『哲学書簡』である。これは「ロシアとは何か」を主題とし、ナショナル・アイデンティティの問題をロシアに突きつけた。そして1840年代における「西欧派」と、ロシア土着派としての「スラブ派」の論争が起こるのである。それ以来、ロシア人とは何者か、ロシアの民族的特殊性は何か、ロシアの世界における使命とは何かが問われ続けてきた。

西欧派とスラブ派の論争は、ソビエト時代には影を潜めていた。そして、ソ連が消滅した今日、封じ込められていたこの論争が形を変えて再燃するであろうことをハンチントンは予測している。彼によれば、現代世界では文明への帰属をめぐって国家が「引き裂かれる」事態がありうるのであり、最も重要な引き裂かれた国家はロシアである。神川正彦によれば、19世紀〈近代〉に〈中心文明〉にのし上がったヨーロッパ文明は決して唯一の普遍文明ではない。今日の世界では「〈中心文明〉としてのヨーロッパ文明の〈脱中心化〉と、したがって同時に〈周辺文明〉としての非ヨーロッパ文明の〈脱周辺化〉」が進行しているのである。

ナショナル・アイデンティティとはネイションへの帰属意識であり、ネイションの自己規定でもある。ポスト近代と呼ばれる現代世界では、ミクロレベルでは家族が、マクロレベルでは国際社会が脱近代化していくなか、国民国家という近代文明の所産も変動を免れることはできない。政治的側面を重視し、統合を志向した国家ナショナリズムは動揺している。とともに、文化的側面を重視し、分離・独立を志向する非主流派民族のエスノ・ナショナリズムが覚醒した。そして、人種的側面を重視し、排除を志向する主流派民族の極右ナショナリズムが台頭するのである。さらに、脱近代化は再聖化も促した。世界各地で宗教的ナショナリズムが形成されつつある。現代世界におけるナショナル・アイデンティティは多元化、再聖化という変容を遂げつつある。そして、これらナショナリズムのどの要素に自己を同一化するかによってナショナル・アイデンティティは異なったものになるため、複数のそれが矛盾・葛藤・分裂を起こすことは珍しくない。

現代ロシアが選択しうる国家的理念としては、次の4つが提示されている。

  1. 自由主義や民主主義の原理に基づく国家的理念。ここでは、内政次元では自由民主主義、外交次元では大西洋主義、宗教次元では政教分離、民族次元では国民主義となる。
  2. ソ連時代への郷愁から生ずる「ソビエト国家」への回帰志向。内政は共産党一党独裁、外交は帝国主義、宗教はマルクス・レーニン主義、民族はソビエト人を志向する。
  3. 東西に跨るロシア独自の文明哲学であり、復古主義・大国主義的なユーラシア主義。内政は国家主義、外交はユーラシア主義、宗教はロシア正教重視、民族は多文化主義を採る。
  4. 革命前の帝政ロシアを理想視する復古主義的な国家的理念。内政はツァーリ専制、外交は帝国主義、宗教はロシア正教、民族はロシア民族主義である。

現代ロシアのナショナル・アイデンティティは様々な次元において「ユーラシア主義」「帝政ロシア」に傾斜しつつある。21世紀を迎えたロシア文明は、西洋化から土着化への傾向を強めている。この土着化はグローバリゼーションという西欧近代文明の挑戦に対するロシア文明の応戦であり、ロシア文明の発するSOSでもある。そして、周辺文明としてのロシア文明は脱周辺化し、中心文明としての西洋文明から自立しつつあると私には思えてならない。この地域の「アイデンティティ」が日本においても熱く論じられる所以である。