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二酔人四方山問答(30)

岩木 秀樹

B:メディナに移ってからのムハンマドはかなり変わったのかな。

A:メッカでの彼は、啓示の伝達者としての宗教的な側面が強かった。それに対して、メディナへのヒジュラ後の彼は、政治指導者、調停者、裁判官、立法者などの役割を担っていくようになった。メディナの10年間はイスラーム共同体(ウンマ)の制度化・組織化の歴史だった。

B:どのような制度化をしたの。

A:一番大きいのは、メディナ憲章を作ったことだろう。当時のアラビア半島は部族社会であり、中央集権的な国家やルールがなかったので、いったん抗争が始まるとなかなか終結させることができなかった。

B:そのような抗争を終結させる調停者として、ムハンマドはメディナに迎え入れられたんだよね。

A:そうだ。メディナでのアラブ部族やユダヤ教徒を結びつける協定がこのメディナ憲章だったんだ。これが抗争を生む部族主義の紐帯に代えて、信仰を基礎とする共同体を樹立し、宗教共存による安全保障の原理をうち立てるものであった。

B:具体的にどのような内容なの。

A:ムハンマドに司法、行政、外交の最高決定権を委ねて、対外的には団結して外敵にあたる集団安全保障がうたわれている。対内的には無差別報復の禁止、犯罪者の引き渡しと罰則の規定、信教の自由、正義の原則、財産権の保証、戦費負担の義務などが定めてある。

B:へー、かなり細かいこともあるんだね。

A:この憲章は、国家を創設する社会契約と言ってもよいだろう。メッカからの亡命者とメディナのムスリムだけでなく、非ムスリムの多神教徒やユダヤ教徒の自発的な合意の締結により、立憲連邦国家とも言うべき政体を作ったんだ。

B:こうして制度化を進めていくとともに、対外的にも広がっていくんだよね。

A:次第にアラビア半島全体を巻き込む軍事的な闘争となっていく。だからメディナ期は戦役の歴史とも言える。

B:メッカ勢力との最初の大きな戦いはいつだったの。

A:西暦624年のバドルの戦いだ。メッカ軍は600人くらいでメディナ軍より倍以上も多かったが、ムハンマドの卓越した戦略や信仰心に燃えたムスリムたちにより、メディナ軍が勝った。

B:その後、ムハンマドの威信は高まったんだろうね。

A:そう。戦利品や捕虜を得て経済力も高まり、発言権や威信を得て政治力も高まり、さらにムスリムに神の加護を確信させることになったので宗教的意義も大きかった。

B:その後もどんどん戦争をしていくんだよね。

A:625年ウフドの戦い、627年ハンダクの戦い、その後628年にはフダイビアの盟約と言われる和平もあったが、ついに630年に一万以上の軍勢を率いたムハンマドはメッカのカーバ神殿に無血入城し、全ての偶像を破壊したとされている。

B:その後イスラーム勢力はアラビア半島の覇権を確立したんだよね。

A:ムハンマドは神の使徒として様々の部族集団を宗教・政治・経済的に統轄することにより、部族間の闘争は終わり、平和の到来となった。これがパックス・イスラミカと言われるものだ。

(つづく)

二酔人四方山問答(29)

岩木 秀樹

A:メディナにヒジュラしたイスラーム教徒たちは、しばらくは様々な家に居候していたが、そうもいかなくなり自らの力で衣食住や財産を確保しなければならなくなった。

B:どうやってそれらを得たの。

A:メッカの隊商を攻撃して、金品を得たんだ。

B:えっ、そんな悪いことをしたの。

A:現在の価値観では犯罪だけど、当時は違っていた。人を必要以上に殺さないとか、ある一定のルールの上で行われていた。お互いに財産の移動くらいに理解していたのかもしれない。しかもメッカの隊商を攻撃することは一石二鳥だった。

B:どういうこと。

A:一つは当然、生活の糧を確保するということ、もう一つはメッカとの対立を鮮明にするという戦略的意義もあったんだ。

B:そうか。このあたりからメッカ勢との対決姿勢をはっきりさせ始めたんだ。

A:それにこのメディナ時代にイスラームにおける様々な制度化もなされたんだ。おもしろいのはキブラの方向、つまり祈りの方向がエルサレムからメッカに変わったということだ。

B:えっ、祈りの方向は前からずっとメッカじゃなかったの。

A:それが違うんだ。ユダヤ教徒の慣習を取り入れてエルサレムに向いて祈っていた。それが西暦624年にメッカの方角に変わった。今までのエルサレムへの礼拝がユダヤ教徒との融和策としても機能していたとすれば、この時点でその役割が終わったということだろう。

B:ムハンマドを預言者とは認めないユダヤ教徒に見切りをつけたのかもしれないね。

A:そういう側面もある。それ以前は、ムハンマドは自分の説いている宗教がユダヤ教やキリスト教と同一のものと考えていたらしい。しかしここへきて、これらの宗教とは違う純粋な第三の一神教としてのイスラームを強調し始めることとなった。

B:新たな宗教の誕生だね。

A:さらに、この聖地変更によりイスラームはアラブの民族的伝統の上に基礎づけられることにもなった。

B:どういうこと。

A:イスラームは、モーゼのユダヤ教よりもイエスのキリスト教よりも遙かに古いアブラハムの純正な一神教の復活であり、一神教イスラームとアラブの民族的伝統としてのメッカの聖地性が見事に結びつくことになった。

B:なるほどね。

A:メッカをアラー信仰の中心地にし、メディナをイスラーム共同体の政治の中心にしたんだ。これからメディナにおいてイスラーム共同体建設のための様々な制度化が始まっていくことになる。

(つづく)

二酔人四方山問答(28)

岩木 秀樹

B:この夜の旅と昇天の旅の後、いよいよヒジュラ(聖遷)を迎えるんだよね。

A:西暦622年にムハンマドらはメッカからヤスリブの町に移住した。

B:えっ、ヤスリブって何。メッカからメディナに移ったんじゃないの。

A:当時はまだヤスリブという名前だったんだ。ムハンマドらがそこにイスラーム共同体を作った後で、メディナという名前になった。

B:メディナってどんな意味なの。

A:町という意味だ。この町の名前は正確には「メディナ・アンナビー」つまり「預言者の町」というものだが、省略されて「メディナ(町)」 となったんだ。町という名の町、町と言えば預言者のいる所なんだ。こういうのはアラビア語に他にもある。サハラとは砂漠という意味なんだ。だからサハラ砂 漠とは「砂漠砂漠」ということになるんだけれど、あの地では砂漠と言えば、やはりサハラなんだろう。

B:でもそもそも何でメディナに移住しなければならなかったの。

A:メッカからのプッシュ要因と、メディナへのプル要因がある。プッシュ要因としては、やはり妻や伯父を失い後ろ盾を無くしたムハンマドが迫害から逃れるためであり、メッカの人々から見れば厄介者を追放することが出来たということだ。

B:でも単に逃げたということではないんでしょ。

A:そう。プル要因もかなり大きかった。当時のメディナは抗争が絶えなく、調停をする者、和平と統一をもたらす指導者が必要であった。そこでムハンマドを調停者、指導者として迎えたんだ。

B:なるほどそういう背景があったのか。

A:他の要因をさらに言えば、メディナには当時ユダヤ教徒がかなりいて、一神教的な考え方には慣れていたのでイスラームを受け入れやすかっ た。またメッカではムハンマドの権威を受け入れることは彼の属するハーシム家の覇権を認めることになりそれへの抵抗はあったが、メディナはよその土地でも あり、家の権威は関係なく、ムハンマド個人の資質や教えに純粋に共感した人々が自然に彼に従っていけた。

B:このヒジュラはイスラームにとって重要なんでしょ。

A:そうだ。最も重要と言っても過言でないだろう。メッカにおける不安定で他律的なムスリム集団がイスラームの理想に従う自立的なイスラーム共同体であるウンマを創る契機となった。

B:この西暦622年がイスラーム暦の元年だよね。

A:ムハンマドの生誕の年でもなく、最初に啓示がくだされた年でもなく、このヒジュラがイスラーム暦の起点とされたことはそれがどれほど重要であったかが解る。ユダヤ教における出エジプトやキリスト教におけるイエスの誕生にも比すべき人類史的意味を持つものなんだ。

(つづく)

二酔人四方山問答(27)

岩木 秀樹

B:ところでその昇天の旅とはどんなものだったの。色々な預言者に会ったんでしょ。

A:それも歴史的事実かどうかはさておき、この昇天の旅が象徴しているのは、様々な預言者の系譜をたどっているということだ。

B:え、どういうこと。

A:歴代の預言者がアラーから命じられたのと同じ使命をムハンマドが担っていることを確認し、イスラームは怪しい新奇な教えではなく、アダム・ノア・アブラハム・モーセ・イエスなどから連綿と続く一神教の系譜に位置するということを主張するものなんだ。

B:そうか。イスラームは一神教の系譜の最後に登場した、最も純粋な一神教とされるんだよね。

A:だからイスラームは決して、ユダヤ教やキリスト教と全く異なった宗教ではないんだ。

B:でも今は「文明の衝突」とか言われて、ユダヤ教・キリスト教とイスラームが対立し、相容れないもののように報道されているね。

A:これらの宗教はセム的一神教と呼ばれ、祈っている対象である全知全能で世界を作った神は皆同じだ。おもしろいのはアラビア語をしゃべるキリスト教徒は自分たちの神のことをアラーと言っている。

B:へー、キリスト教徒が自分たちの神のことをアラーとね。

A:当然といえば当然だ。アラビア語で神のことをアラーと言うんだから。

B:まあ、言われてみればそうか。ところで預言者って予言者とは違うんだよね。

A:未来のことを予言する予言者とは異なり、神の言葉を預かる人ということで預言者と呼ばれている。その預言者の中でもムハンマドは預言者の封印、最大にして最後の預言者とされている。

B:あ、そうそう。最近そのムハンマドを風刺した漫画が問題になっているよね。

A:2005年9月にデンマークの新聞が、ムハンマドが爆弾の形をしたターバンを巻くなどした風刺漫画を掲載したことが発端だ。その後欧州各国の新聞などが「表現の自由」を掲げて、転載したことにイスラーム教徒は反発を強めている。

B:なぜそれほど反発するんだろう。欧州では英国王室やバチカンなども風刺漫画のターゲットになり、あまりタブーはないようだ。

A:色々要因はあるだろう。イスラームでは偶像崇拝が徹底的に禁止されており、アラーはおろか、預言者のムハンマドでさえ、何らかの形で物 象化することは禁じられている。また爆弾の形をしたターバンという表現は、現在蔓延しているイスラーム=テロとの印象を助長しかねない。そのオリエンタリ ズム的偏見にも怒ったのだろう。

B:そうか、様々な原因はあるんだ。

A:さらにさかのぼれば、近代西洋がイスラームに対して採ってきた政策により、イスラーム世界はずたずたになった。特に冷戦崩壊以後、イスラーム教徒は各国で虐殺され続けているとの思いがあるのも事実だ。

B:そのような背景があるから、一部に過剰なまでの暴力行為に走る人もいるんだ。イランではホロコーストを風刺する漫画を募集し始めたそうだね。

A:そうだ。2月7日の「ハムシャフリ」には、「言論の自由をたてにイスラーム教徒を侮辱した欧州が、ホロコースト問題で同様の自由を認め合うのかを問う」としている。

B:なんか嫌な雰囲気だね。文明の亀裂が深まりそうだ。言論の自由とは何か、もう一度考えなくてはならない。

A:僕は基本的に言論の自由は大事だと思う。タブー無く論議する必要がある。議論には暴力でなく議論で応酬する必要があると思う。

B:僕もそうあって欲しいと思うよ。

A:ただし議論にもルールがある。根拠がきちんと示せるか、偏見やステレオタイプはないか、相手の主義や信条にも一定の理解があるか、どのような歴史を有するものがどのような立場でその言説を述べているのか。

B:それになぜあれほどまでの反発があるのかも考えないといけないと思うよ。

A:欧米とイスラームは、近代の歴史の上でも、最近の経済力や軍事力でも等価なものではない。少なくとも多くのイスラーム教徒は自分たちは被害者でやられる側だとの認識がある。

B:なるほどね。ところで日本でもタブー無く議論ができるだろうか。

A:例えば、「東宮対秋篠宮 世継ぎをめぐる争い」の風刺画を新聞に出したらどうなるか。

B:んー、大きな問題になり、暴力沙汰になりかねないかも。あまり人のことばかり言ってられないね。

(つづく)

二酔人四方山問答(26)

岩木 秀樹

A:このように既存の社会との思想的・社会的対立が深刻になった頃、ムハンマドにとって大きな危機の時代を迎えたんだ。

B:どんなことが起こったの。

A:619年には妻ハディージャ、その後間もなく伯父アブー・ターリブが亡くなったんだ。

B:そりゃ大変だろうな。身近な人の死に直面したんだ。

A:最初のイスラーム教徒であり夫の良き理解者で励まし役でもあったハディージャの死は、ムハンマドの宗教者としての生活に精神的打撃を与えた。ハーシム家の家長でもあり、ムハンマドを庇護してきたアブー・ターリブの死は、政治的打撃だった。

B:精神的打撃と政治的打撃か。この後、反ムハンマド、反イスラーム勢力から色々な攻撃が加えられたんだろうな。

A:そうなんだ。ただこのような危機の時期にある宗教的体験をするんだ。

B:へー、おもしろいね。危機や迫害の時期が転機になったり、重要な宗教的意味合いを持つということは他の宗教にも見られるよね。どういう体験をしたの。

A:このような困難な時期にムハンマドは夜の旅と昇天の旅を経験したんだ。それはムハンマドとイスラームにとって大きな転機を迎える622年のヒジュラ(聖遷)のおよそ1年前であったとされている。

B:夜の旅と昇天の旅ってどんなことなの。

A:夜の旅とは、一夜のうちにムハンマドがメッカからエルサレムへ往復したことであり、昇天の旅とは、その時エルサレムにおいて、かつてのソロモンの神殿から七層の天に昇り、諸預言者たちに出会い、ついにはアッラーの御許に達するというものだ。

B:えー、でも当時は飛行機も無かったのに、有り得ないよ。

A:確かにそうなんだけれど、夜の旅が歴史的事実で肉体を伴う現実的な体験であったのか、または宗教的体験もしくは脳内現象で魂の飛翔による旅であったのかは、それほど問題ではないのかもしれない。

B:まあ、現代の科学で全ての社会現象が把握できるとは考えないけれど、やはり人知の及ばない神秘的な感じがするな。

A:イスラームは秘蹟やミラクルの少ない比較的合理的な宗教だと言われているが、この夜の旅と昇天の旅は、やはり神秘的なものだろう。

B:そういえば、キリスト教では秘蹟などをよく聞くけれど、イスラームではあまり聞かないね。

A:ただイエスは医学の知識がある程度あったということを聞いたことがある。医学の知識があれば、例えばこのつぼを押せば病気が治るとか、止血点を押さえれば血が止まるということがある。医学の知識がない人から見れば、それはミラクル、マジカルに見えるだろう。

B:なるほど。逆に怪しいとされている風習や宗教的儀式が人間によい効果をもたらすということが科学的に証明できるかもね。

A:それはある。香をたくことは、害虫よけやアロマテラピー効果がある。風水などで、台所は東向きがよいなどと言われるのは、昔は電気が無く、朝早くから炊事をするためには日光が差し込まなくてはならなかったからだ。

B:なるほどね。案外、科学的根拠があるものがあるんだ。

A:だから一概に宗教的体験が怪しいとしてはいけないんだ。そもそも宗教実践者は怪しいなどとは思っていない。

B:ただその態度もどうかと思うな。利用されたり騙される危険性があるんじゃないかな。

A:その通り。だから宗教実践者も自宗教を客観的に見つめ直すということも重要だ。宗教と科学、実践と客観の往復作業が大切だと思う。

(つづく)

二酔人四方山問答(25)

岩木 秀樹

B:ムハンマドに啓示がおりたのはどのような状態だったの。

A:西暦610年のラマダーン月(第9月)に、いつものようにヒラー山の洞窟で、瞑想後に仮眠をしていると、突然大音声によって呼び覚まされたんだ。それがアッラーによる大天使ジブリール(ガブリエル)を通じてムハンマドにくだされた最初の啓示だった。

B:どんな内容だったの。

A:突然アラビア語で「詠め!」とムハンマドに叫んだ。驚いた彼はとっさに「私は詠む者ではありません」と答えた。当時のアラビア半島の人々と同じく、彼は読み書きが出来なかった。この問答が三度繰り返された後、ムハンマドはついに観念し、アッラーは詠むべき内容を以下のように彼に言ったと されている。詠め!「凝血から人間を創造し給うた汝の主の御名において」詠め!「汝の主はペンによって教えた給うた最も尊いお方」「人間に未知のことを教 え給うたお方」であると。

B:へー、でもムハンマドもびっくりしたろうな。突然そんなことがあるとは。

A:そうなんだ。彼はこれが神の言葉であることを信じることが出来なかった。恐れおののく彼を励まし、断続的にくだされる言葉は神の啓示に他ならないと信じたのは妻ハディージャだった。

B:そうか奥さんの励ましと理解がなければ、ムハンマドが神の使徒として自覚することはなかったかもしれないね。

A:洋の東西を問わず、配偶者のサポートは重要だね。このようなことからハディージャはイスラームに帰依した最初の人物とされている。

B:その後どうやってイスラームを広めていたの。

A:最初、身内やごく近しい人々に自分の思うところや体験を説いていたんだ。その後ムハンマドは614年頃から、メッカの辻々に立って大衆伝導を始めた。

B:どのような内容を説いていたの。

A:最初説いたのは、メッカ社会における貧富の格差の増大による大商人たちの拝金主義、享楽主義、利己主義、そして人々のモラルの退廃への警告だった。

B:そうするとメッカの商人たちや旧来の勢力から強い反発が予想されるね。

A:そうなんだ。メッカの人々、特に大商人たちはこのような布教に大きく反対した。

B:何でもそうだけれど、新しいことを始めるとそれに抵抗する守旧派はいるよね。

A:さらにムハンマドの運動が、彼らの政治経済的利害や部族的伝統にまで抵触するようになっていったんだ。

B:前にも聞いたけれど、イスラームは部族主義を越えて、自立した一人一人が神と直接向き合う宗教だよね。当然、部族主義とは対立するよね。

A:当時、メッカの人々は遊牧の生活をやめ、商業に従事するようになって、血縁的つながりよりも個人の経済的利害を優先させるようにはなってきつつあった。しかしまだまだ旧来の伝統は生き続けていた。

B:イスラームはその意味で時代先取りの宗教だったんだね。

A:そう。時代の転換点に人々を魅了する考え方を提示したと言える。このように時代の画期にこそ新しい思想や宗教は生まれるんだ。

(つづく)

二酔人四方山問答(24)

岩木 秀樹

B:ムハンマドは西暦570年頃生まれたといっていたけれど、どんな人物でどんな生涯だったの。

A:メッカの有力部族クライシュ族のハーシム家の生まれで、父アブドゥッラー、母アーミナの子として誕生した。ただ父はムハンマドが誕生する以前に、母も6歳頃に亡くなった。

B:えー、そうだったの、かわいそうに。

A:幼い頃からそういうような経験をしたので、指導者になれたのかもしれない。その後孤児として祖父アブドゥルムッタリブ、その死後は伯父のアブー・ターリブに育てられた。確かに両親を早くに亡くしたことは寂しいことであったかもしれないが、孤児を一族で育て保護するということは、イスラーム社会では当たり前のこととなっている。

B:へー、孤児を一族で保護するということがあるんだ。

A:トルコ共和国建国の父ムスタファ・ケマル・アタテュルクやイラクの前大統領サダム・フセインも孤児として伯父に育てられた経験を持つ。イスラーム社会では、孤児や旅人、貧しい人、病人などは手厚くもてなされる雰囲気とシステムが現在でも存在する。

B:僕も聞いたことがあるよ。イスラーム圏に旅行すると嫌というほどもてなしを受けるということを。

A:ホスピタリティの厚い社会と言えると思う。そのような中で育てられたムハンマドは富裕な商人ハディージャに雇われ、隊商貿易に従事した。彼女はムハンマドの人柄と手腕を見込んで結婚を申し込んだとされている。

B:ムハンマドが何歳の時。

A:ムハンマド25歳、ハディージャ40歳。

B:えっ、15歳も年上の姉さん女房。

A:しかも彼女は2度の結婚経験があるんだ。

B:えっ、ばつ2。今の日本だってそんなケースは稀だよ。僕の母だったら許してくれるかな。

A:離婚にうるさいカトリックだったら、あまり考えられないことだろうな。イスラームは預言者ムハンマドにしてこうだから、そのあたりは非常に大らかだ。性に関しても忌み嫌い恥ずかしいものという雰囲気はあまりない。

B:イスラームって厳格で怖い宗教だという印象が強かったけれど、そうでもないんだ。

A:世俗や現世に対して非常に肯定的に捉える傾向が強い。ところでムハンマドは結婚後も妻とともに隊商に従事していた。普通の家庭生活を送っていたわけで、そのあたりがキリストや釈迦と異なる。

B:そうなんだ。日常生活を送っていたわけか。

A:ただよく思索にふけることが多くて、メッカの郊外のヒラー山の洞窟で瞑想をすることが多かったらしい。彼が40歳になった頃、そこで神から啓示がおりたんだ。

B:良き家庭人、商人としてのムハンマドに預言者としてのムハンマドが加わるんだね。

二酔人四方山問答(23)

岩木 秀樹

B:イスラームの創唱者のムハンマドはちょっと前にはマホメットと言われていたよね。

A:そうだね。学校の教科書にもマホメットと書かれていた。これも相手のことを知らなかったり、欧米の受け売りが原因だ。

B:え、どういうこと。

A:アラビア語読みではムハンマド、オスマン帝国時代にトルコ語になまってメフメット、 それがヨーロッパに入ってさらになまってマホメットになり、それを日本が輸入したんだ。

B:なるほど。他者認識の甘さから由来する、一種のオリエンタリズムとも言えるかもね。

A:そうだ。最近はできるだけ当該地域での呼称を使うようになってきている。コーランはクルアーン、メッカはマッカのように。

B:そういえば、前にマホメット教という言い方を聞いたことがあるけれど、あれもおかしな言い方なの。

A:明らかにヨーロッパ人の自己認識を他者認識に投影した結果だ。

B:んー。よくわからないよ。

A:キリスト教では三位一体でキリストも神なので、イスラームもムハンマドが開いた宗教であるから神であろうと勝手に思いこみ、マホメット教と呼んだんだ。しかしムハンマドには何ら神性はなく、コーランにも、ムハンマドは市場を歩く普通の人間といった表現もある。

B:そうなんだ。日本は何も考えず、欧米の間違った知識を受け入れてきたんだ。

A:最近はずいぶん修正されてきているけれどね。ところでイスラームという言い方もずいぶん論争されているよ。

B:そういえば、前はイスラム教という言い方の方が多かったように思う。

A:そう。でも最近は「ラ」の後にアラビア語の長音記号があるので、現地語読みに忠実にということでイスラームになった。

B:イスラム教の「教」が無くなったのはどういうことなの。

A:ふたつの要因が考えられる。一つはイスラームの意味は絶対帰依という意味で、すでにイスラームの中に宗教という意味が内包されているか らだ。二つ目はイスラームは単なる宗教にとどまらず、生活や政治、経済などを包含するものだからだ。これを指してイスラームをトータル・システムと言う人 もいる。ただこの二つの要因はやや矛盾するけどね。

B:確かにイスラームは宗教と政治などを分割して考えないと聞いたことがあるし、それを理由に欧米はイスラームを世俗化していない前近代的国家だと批判している。

A:そうだね。欧米の価値観からするとそうなるね。政治の世界においてとりあえず宗教をかっこに入れるという考えは、17世紀のヨーロッパを血に染めた30年戦争などが影響している。

B:宗教戦争をし続けると、ヨーロッパが殲滅してしまうのではないかと考え、ウェストファリアの主権国家システムを作ったんだよね。

A:そう。宗教と政治を分け、領域内においては教会などではなく国家のみが最高の権力つまり主権を有するということだ。当時のヨーロッパにおいてはこのシステムはある程度機能したように思う。

B:でも当のヨーロッパは現在ではこの主権国家システムを脱して、EUを作っているよね。

A:そうだ。ヨーロッパにおいてすらも、この近代西欧国際体系が機能しないということがわかってきた。いわんやヨーロッパ以外にこのシステ ムを押しつけることにより、全世界で大きな問題になり、紛争の原因にもなっている。中東など、民族や宗教が多様でモザイク状況になっている地域は特にそう だ。