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ネパール情勢II:「軍統合問題」について

植木 竜司

前回の投稿では,プラチャンダ首相の辞任について書きましたが,今回はその原因となった「軍統合問題」についてもう少し詳しく書きたいと思います。

「軍統合」は1996年より約10年続いた内戦のピースプロセスの中の一項目であり,内戦で対立していたふたつの「軍隊」であるネパール国軍とマオイスト・人民解放軍をいかに「処分」するかという問題です。この「統合」に関しては以下の問題点があげられると考えています。

第一に,軍統合をすればある特定の政党(=マオイスト)が特別な影響力を持つ「国軍」ができてしまいます。約10年にもわたる人民戦争,ゲリラ戦を続けてきたマオイストの狙いはここにあるのでしょうが,王制を廃止が実現できたのは,マオイストのみの力ではありません。ギャネンドラ国王の直接統治体制を崩壊させた「四月革命」と呼ばれる2006年4月の運動は,カトマンドゥをはじめとする多くの非マオイストの人びとが参加したことで実現しました。彼らの多くは,マオイストを支持したのではなく「国王独裁」に反対し「民主化」を求めていたのです。その人びとがマオイストの特別な影響下にある「国軍」の存在を受け入れられるでしょうか。

第二に,ネパール人国際弁護士バララム・シュレスタさんも述べられていたことですが(「ネパールの2008年回顧と2009年展望」 IGCP News Letter, No.17.),現在ネパールには南部地域を中心にマオイスト同様の政治的グループがたくさんでてきており,それらのグループは人民解放軍のような武装組織を持っています。軍統合の前例をここで作ってしまうことはそれらグループが拡大したときに再び同様の大きな問題を生むことになってしまいます。

第三に,ネパール国家に大きな影響力を持つ隣国インドが許さないでしょう。今回参謀長解任問題にしても,さまざまなチャンネルからインドの圧力があったと報道されています。国王軍の時代から軍にネパール軍に影響力を持っていたインドとしては,「インド共産党マオイスト」の問題も国内に抱えており,マオイストの強い影響下にある「ネパール国軍」など絶対に認められないはずです。「軍統合」を推し進めれば,インドから強力な干渉や圧力を招くことになり、二国間の関係が急激に悪化することが予想されます。しかしここで一点留意せねばならないことは,インドがネパールの内政に干渉すればするほど,ネパール国内のマオイスト支持者は増えるということです。

以上のことより,これからのネパールの「平和構築」ということかを考えれば,「軍統合」がいい選択とはいえないと思います。

ネパール国軍 (Nepalease Army) は,陸軍のみの志願制で,2009年現在の情報では正規軍兵力6万9000人とされています。ネパール国軍のホームーページには,王制が廃止された現在でも,この軍隊の設立者がプリチビ・ナラヤン・シャハ(昨年王位を剥奪されたギャネンドラ国王の先祖) であることが記載されています。プリチビは「ゴルカ王朝」という地方の一王朝の王から,当時この地域にいくつも存在していた王朝を「征服」して1769年に「国家統一」を果たした「建国の父」とされている人物です。つまり現国軍は一王朝の軍隊を歴史的起源に持つものであり,王室による支配が近年まで続いていたネパールでは(途中,その軍の将軍であったあるラナ一族が支配をしていた時期もあった),「軍改革」はほとんど行われず,ずっと「王様の軍隊」であったといえます。事実,複数政党議会制が導入された際に制定された1990年憲法でも,国軍(Royal Nepal Army)の最高指揮官は国王であると定められており,国王の同意が取れるまで当時の首相は軍をマオイスト対策に展開することは出来ませんでした。また参謀長の人事は「首相の勧告に基づいて国王が任命する」と記載されていたにもかかわらず,国王の意向によって国王に忠誠心の強い人物が参謀長に任命されていました。そのため軍は国王の大きな権力源でした。このようなことから私はRoyal Nepal Armyは「国軍」や「王国軍」ではなく,「国王軍」であったと考えております。2006年11月21日に結ばれた「包括的和平合意」の4.7項には,国軍の民主化等を暫定政府が実施することが書かれていますが,王制廃止後も主要幹部は「改革」は手付かずの状況でした。

マオイストによる非人道的行為は多く指摘されていますが,同様に国王軍も人民戦争中に多くの人びとを殺し,拷問・誘拐等の人権侵害行為を行っていたことが人権NGOなどの調査で明らかになっています。そのため,マオイストは和平合意をし議会政党になったのであるから,人民解放軍は武装解除し解散すべきであるとの意見はわかりますが,マオイストのみが武装組織を解散する,または吸収合併されるというのは戦後の「平和構築」の方法として公平なやり方ではないでしょう。王制が廃止されたのであるから,その国王の権力の源泉であった軍隊もしかるべき「処分」がなされるべきです。人民解放軍が解散するのであれば国軍も解散させ,ネパール国家に軍隊が必要なのかというところから議論を開始すべきです。

南部地域に存在するものを含め,ネパールに存在する「武装組織」について考える際踏まえねばならないことは,この問題はそれら組織に属している人びとの「生活」と「雇用」の問題そのものであるということです。プラチャンダ氏が「軍統合」に向けて今回の参謀長解任問題で強硬な姿勢をとったのも,UNMIN (国連ネパール支援団) に対して人民解放軍の人数を「水増し」して登録させたのも,人民解放軍に属する人びとの生活を保障し,党内の不満を抑える必要があったからです。そのためこの問題を解決するには,それら人びとの雇用の受け皿となる非軍事の第三の組織を編成し,武器を持たなくても生活ができ,政治的プロセスにも参加できる体制を作ることを考えるべきでしょう。国際社会もそのための支援を行っていくべきだと思います。

駐日ネパール大使の講演を聞いて

植木 竜司

2009年4月18日,日本橋公会堂で行われた「=フォーラム= 王政から連邦民主共和国へ  ネパールの現在と未来への展望」というプログラムに行ってきました。このプログラムの主催者は「21世紀国際交流会 (IEA21)」で,IGCPの木村英亮元副理事長が代表理事を務められている団体です。木村さんは,当日の司会・進行をされていました。

大使の講演の前に,麻布大学獣医学部教授で,ネパール国立トリブヴァン大学の客員教授でもある小林好作さんより「私のネパール定点観測: 人々の仕事と暮らし」と題された講演がありました。この講演では,小林さんご自身が撮影された写真のスライド上映を中心に,ネパールの特に農村の人々の暮らし,農業,自然環境の説明がされました。

その後,ネパール特命全権大使 ガネシュ・ヨンザン・タマン (Ganesh Yonjan Tamang) さんの講演となりました。

私は大使と昨年一度食事をご一緒させていただいたことがあり,お会いするのは今回が二度目でした。大使は1959年生まれの50歳で,英国レディン大学大学院で地方社会開発を研究され,2000年には米国リンカーン大学より「社会開発および先住民知識システム」で博士号を授与されており,ネパールでは社会運動家として著名な方です。

大使は,第一にネパールは国名が「王国」から「連邦民主共和国」となったが「連邦」とは何かまだ不明確であり一番の論点となっていること,第二に異なるカースト/民族が存在するネパールでいかにそれらが調和をはかっていくかが一番の課題であること,この2つの問題意識を挙げられ,二部構成で講演をされました。

一部目は “State Restructuring: Indigenous Nationalities/Caste Group Population Composition” と題された,ネパールの民族/カースト的,文化的,言語的多様性についての講演でした。そこではネパールの統計調査をもとに,ネパールに100以上の民族,90以上の言語,13の文字が存在することが述べられ,地理的分布も説明されました。

二部目は “From Unitary and Centralized State to Federal Democratic Republic of Nepal -Present and future prospect-” と題された昨年起きた国家体制の転換と,現在のネパールの課題についての講演でした。一部に続きネパールの概要の説明の後,「政治的発展と現在のシナリオ」「国際関係」「新国家建設の努力」「開発の戦略と優先順位」「国際社会の役割」「まとめ」という順で説明がされました。

「政治的発展と現在のシナリオ」では,ネパールは「人民戦争 (People’s war)」で政治的に多くのことを得たが,払った犠牲(犠牲者約13,000人,行方不明者約21,000人,インフラ破壊,肉体的・精神的被害,軍事化など)も多かったことが述べられました。そして人民戦争の原因として,政府からの排除,社会的・経済的格差,所得・仕事の欠如,保守・革新の二極化を挙げられました。

「新国家建設の努力」では,ピース・プロセス下での団結の重要性,特に政党間協力を大使の考えでは少なくとも10年は続ける必要があること,政府軍(旧国王軍)とマオイストの人民解放軍の統合問題解決,連邦制度の確立,法秩序の強化・新憲法の起草と公布,資源活用と経済開発に焦点を当てる必要性,等について言及がありました。

「開発の戦略と優先順位」では,特にインフラ=交通網(道路・空路・鉄道)の開発に力を入れるべきであり,それらが産業開発のキーファクターとなり,外国直接投資を促進することになると述べられていました。

「国際社会の役割」では,ピース・プロセスのサポート,水力発電・インフラの開発促進,民主化促進の支援,個人の自由と公正実現のサポートが国際社会に期待されるとのお話でした。

印象に残ったのは「マオイストによる内戦でネパールはほぼ “failed state “になった」との言及,近年ネパールに政治的影響を及ぼしている国家・地域として「インド,米国,中国,EU」として米国が二番目に挙げられていたこと,国家開発戦略として「土地改革」が挙げられていたこと,そして水力発電のポテンシャルを非常に強調されていたことです。

大使の講演はネパールの複雑な情勢が非常に簡潔に説明されており,ネパールの政治について詳しく知らない聴講者にも非常にわかりやすいものになっていたと思います。

ネパールでは1990年頃から経済の自由化が進められ,それに伴って経済格差が顕著になり,貿易依存率60%前後が隣国インド一国に集中するようになりました。そんな中1996年より共産主義(毛沢東主義)の革命運動が起こり,昨年王制が打倒され,選挙によって共産党マオイストを中心とした制憲議会政府が発足しました。金融危機が世界中に大きな影を落としている中で,この政変はもっと注目されていいのではないかと考えております。その意味では,共産主義政党が第一党となった意義,マオイストが政権に就いたことによる「ネパール-中国」関係への影響などについて,もっと突っ込んだ話が聞きたかったと感じました。

ネパール情勢 III:〈インタビュー〉ネパール制憲議会選挙の結果と今後の見通し

植木 竜司

前回「ネパール情勢 II:制憲議会選挙結果について」で書いたようにネパールでの制憲議会選挙の結果が出揃った。そこで、日本在住ネパール人、バララム・シュレスタさんに今回の選挙結果についてインタビューを行った。シュレスタさんは、ネパールで著名な弁護士で、ネパール政界にも幅広い人脈を持つ方である。マオイストの躍進の理由は何だったのかや、今後の新政府の課題などについて聞いた。

植木:4月10日にやっと制憲議会選挙が実施されました。小選挙区でも比例区でもネパール共産党マオイスト(以下、マオイスト)が一番議席を獲得した政党となりました。マオイストの躍進の原因は何であったと思われますか。

シュレスタ氏:第一に、ネパールでは8年間総選挙が行われませんでしたが、ネパールでは16歳から選挙権があり、その間も「新しい有権者」が増え続けた、ということがあると思います。この8年間ネパール・コングレス党(以下、コングレス)もネパール共産党マルクス・レーニン主義(以下、UML)も選挙活動をやってきませんでした。そのため特に、農村では「マオイストのことしかよく知らない」という状況の人が大変増えました。第二に、コングレスの候補者も、UMLの候補者も、国民にとっては「前と同じ顔」であった、ということがいえたと思います。もちろんコングレスにもUMLにも悪いことをした人もいれば、いいことをしたひともいるわけですが、結果として1990年以降彼らが政治をやった結果が現在の状況なのであり、そのことが「新しい人」「新しい党」に投票すること! につながったのだと思います。第三に、マオイストは選挙活動期間中に、「もし選挙に負けたらジャングルに戻りゲリラ活動を再開する」ということを言っていたことがあげられます。10年以上内戦が続いており、ネパール国民の中には、誰が政権をとってもいいから、平和になって欲しい、安定して欲しいという想いがあったのでしょう。

植木:マオイストはそのような「脅し」を含めて、全体としてコングレスやUMLより選挙活動がうまかったということが言えるのでしょうね。

シュレスタ氏:そうですね。特に農村や地方ではマオイストは草の根の組織を持っていますが、コングレスやUMLは村の奥の方までは行かなかったし、行けなかった。彼らはカトマンドゥだけで選挙活動をやっていたのも同然の状況でしたから。

植木:マオイストの躍進とは対照的に、前評判の高かったUMLは小選挙区で党首のM・K ネパール氏がマオイストの候補に敗れ辞任を表明するなど、議席を伸ばせていませんが、こちらの原因は何であったと思われますか。

シュレスタ氏:1990年以降のUMLを見ても、彼らが党として「わが党はこれをやる」と何かを決めたのを私は見たことがありません。またUML自身は、自己を「コミュニスト」と言っていますが、それは「新しいコミュニズム」であり「民主主義的なコミュニズム」であると定義しています。これらの態度が国民には非常に中途半端に見えたのだと思います。現在ネパール国民は「コミュニスト」と言えば「マオイスト」を連想し、UMLを連想する人はほとんどいません。だから共産主義支持の人々の票はほとんどマオイストに流れたのではないのでしょうか。それに加え、1990年以降議会政党としてUML がやってきたことからは、経済や社会、平和の希望がまったく見られなかったし、それらの発展を実現したことがなかったこともあげられると思います。

植木:新政権には様々課題が山積しているわけですが、私が注目しているのはマオイストの人民解放軍とネパール国軍をどうするのかという点です。人民戦争で交戦していた両武装組織ですが、マオイストは両者を統合することを以前から主張しています。私はこの提案は無理があると思いますが、シュレスタさんはこの問題についてどうすべきであると考えておられますか。

シュレスタ氏:マオイストは、人民解放軍と国軍の統合を何としても実現したいと考えているでしょうね。確かにこのことは非常に難しいことだと思います。世界中にはライバル同士の軍隊が統合したケースなどほとんどないでしょう。しかし、これまでなかったからといって、これからも実現できないということでもない。私は、そのことによって国の内戦がなくなるのであれば、統一もいいと思っています。そもそも人民解放軍の兵士も、国軍の兵士も両者とも同じネパール人なのですから。

植木:しかし、もし統合が成功したとしたら、ある一つの政治政党(=マオイスト)が特別な影響力を持つ軍隊ができてしまうことになりますよね。

シュレスタ氏:そうですね。しかし私は、もしそのことをマオイストが政治の場で利用するようなことがあれば、国民が立ち上がり、抗議活動を行い、その悪用に歯止めをかけることになると思います。なぜならネパール国民は240年続いてきた国王の軍隊を打ち負かす力を持っていたのですから。マオイストがそのようなことをすれば、同じことになると思います。

植木:軍隊の問題とともに、最近大きく取り上げられているのが、マイノリティの問題、特にマデシの運動が活発化していることです。マオイストは1996年からの武装闘争の中で、地方のマイノリティの支持を得ながら勢力を拡大してきた面もありますが、今回中央政府に入ることで、「国家の側」に立って政治を運営していかねばならないわけで、これまでの為政者と同様マイノリティ問題には苦慮することが予想されます。この点についてはどのようにお考えになられますか。

シュレスタ氏:私は、今回の選挙を、「部族」や「民族」といった集団の台頭が非常に目立った選挙であったと感じています。マオイストも十数年前は彼らと同じ「マイノリティ=少数派」だったわけですが、もしマオイストの新政府が彼らの意見を取り入れることをしなければ、彼らは「第二、第三のマオイスト」となって、同様の反乱を起こす可能性が高いと思います。

植木:制憲議会が開かれれば240年続いてきた王制が廃止される予定です。今回、王制廃止を主張し人民戦争を行ってきたマオイストが大勝し、王制派政治家がことごとく議席を獲得できていない選挙結果を見ると、やはりネパール国民が王制廃止を支持していると見ることができると思いますが、シュレスタさん自身はどのような意見をお持ちですか。

シュレスタ氏:シャハ王朝は240年続いたわけですが、この240年間で彼らは国のため国民のために何をやってきたか。他の国々はこの240年間で非常に発展しましたが、ネパールでは他国に比べたらまったく開発が進みませんでした。240年の間に義務教育制度の実現さえできなかった。国民が選んだ政治家が240年間政治をやっていれば、もっと発展できたかもしれない。結果として、王制は240年間でなにできなかったわけであり、そのことから国民は、国王は国を守れないし、経済発展も実現することができないと判断したのだと思います。

植木:最後に、今後マオイストを中心とした政府が発足することがほぼ確実ですが、マオイストはどのように政権運営を行っていくべきであるとお考えですか。

シュレスタ氏:マオイストの議員たちは、選挙で国民に選ばれたのであり、彼らにはもちろん政府を作る権利があります。しかし現実的にはマオイストに反対する人々も非常に多いです。選挙結果を見ると、マオイストは第一党ではあるが過半数は取れませんでした。マオイスト以外の政党に投票された票を全部足せば、マオイストの得票数より多くなります。マオイストはこのことをよく理解する必要があります。マオイストは小さな政党の意見、つまり少数派の意見を大事にしていく必要があると思います。

プロフィール:
バララム・シュレスタ (Balaram Shrestha)
1972年ネパール生まれ。インターナショナル・ロー・ソサエティ・フォーラム (International Law Society Forum, Kathumandu) 所属の弁護士。1995年ネパール・ロー・カレッジ卒。1996年弁護士資格取得。1997年ネパール国立トリブバン大学大学院修士課程修了、修士(政治科学)。2003年に来日し、現在、在日ネパール人協会中国地方代表を務める。山口県在住。

ネパール情勢 II:制憲議会選挙結果について

植木 竜司

ネパールで4月10日に行われた制憲議会選挙の結果が出揃った。正式に当選者が確定するのは各政党が提出する名簿を選挙管理委員会が承認してからであり、承認後3週間以内に制憲議会が開かれることとなっているから、5月中には開会する見通しである。

結果は日本でも報道されているとおりネパール共産党マオイストが220議席(比例100 )を獲得し第一党となった。以下、ネパールコングレス党が110議席(比例73)、ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義が103議席(比例70)、マデシ人権フォーラムが52議席(比例22)、タライ・マデシ民主党が20議席(比例11)、ネパール友愛党9議席(比例5)と続いている。小選挙区で議席を獲得できなかった王制派政党国民民主党も比例区で8議席を獲得した。

マオイストは比例区でも最も議席を獲得した政党となったが、小選挙区では240選挙区中120選挙区で勝利したのに対し、比例区では335議席中100議席、得票率29.28%であり伸び悩んだといえるであろう。

結果、マオイストは第一党を獲得したが、定数601、(非選挙枠/政府推薦議員26議席)に対し、過半数には遠く及ばなかった。もともと暫定憲法では制憲議会選挙における首相指名等には全議席の三分の二が必要であったため、これから連立工作が行われることとなる。その際、ネパール南部タライ地域を基盤とした政党である第4、第5党であるマデシ人権フォーラム、タライ・マデシ民主党がキャスティングボートを握ることとなるであろう(ちなみに第6政党ネパール友愛党もタライ地域を基盤とした政党)。今回、海外報道ではマオイストが第一党になったことばかりに注目が集まっているが、ネパール国内では特にマデシ人権フォーラム、タライ・マデシ民主党といった南部の地方/民族政党が議席を多く獲得したことにも大変注目が集まっている。

ネパールは地形区別(高度)では山岳部・丘陵部・平野部に、開発地域別(東西)では東部・中部・西部・中西部・極西部にわけることができるが、今回の小選挙区で特に開発地域別では中西部と極西部、地形区別では山岳部でマオイストが強さを見せた。

山岳部では22選挙区中16、中西部では33選挙区中27、極西部では21選挙区中15の選挙区で議席を獲得している。これは「識字率」や「出生時平均余命」の数値と比較するとたいへん興味深い。少し古いデータとなるが2000年のネパール国内の識字率は地形区別では山岳部44.5%、丘陵部55.5%、平野部46.8%であり、開発区別では東部56.6%、中部49.8%、西部51.67%、中西部では47.8%、極西部では43%となっている。また出生時平均余命は地形区別では山岳部49.8年、丘陵部65.1年、平野部62.4年であり、開発区別では東部62年、中部61.3年、西部62.8年、中西部53.2年、極西部52.1年となっている。つまり、識字率も出生時平均余命も山岳部、中西部、極西部で数値が悪くなっているのである。このことはインフラが整っていない経済的にも社会的にも排除されている地域でマオイストが支持を広げていることを意味しているといえるであろう。

マオイストはもともと中西部を基盤として人民戦争を展開し、根拠地を築きながら全国に勢力を広げてきた。特に、これまでのネパールの政治政党と異なり、都市からではなく「農村から都市へ」、まさに毛沢東主義理論を利用して勢力を拡大してきたのである。

貧しい農村を基盤とし、共産主義、毛沢東主義を掲げるマオイストが、今後国政でどのような政策を実施していくのか、特に経済政策をどうするのかは、ネパール国民のみならず、世界中から注目されている。ただ、複数政党議会制の中でどれだけマオイスト色のある政策を実施できるかは未知数である。

ネパール情勢:ネパールにマオイスト政権発足か!?

植木 竜司

南アジア、ヒマラヤの麓に位置する国ネパールで4月10日、制憲議会選挙が実施された。1996年からのネパール共産党マオイスト(以下、マオイスト)による「人民戦争」で約1万3000人の犠牲者を出し、2005年のギャネンドラ国王によるクーデターなどさまざま混乱が続いてきたが、今回やっと制憲議会選挙の実施に至った。

この制憲議会選挙は幾度も延期され、今回も正常に選挙が実施されるか懸念されていた。投票日当日は政党関係者間の衝突や投票所への放火があり、数名の死者を出し、約数十カ所の投票所で選挙延期・再投票も決定しているが、ポカレル選挙管理委員会委員長は選挙は成功だったとし、国連の潘基文事務総長も「おおむね秩序ある、平和的な雰囲気のなかで実施された」と祝福する声明を発表した。

大勢判明は4月20日頃、結果発表には2~3週間かかる見通しであるが、都市部を中心に小選挙区の結果が少しずつ判明してきている。

今回選挙が行われた制憲議会は定数601、そのうち比例区335、小選挙区240、非選挙枠(政府推薦議員)26議席である。投票率は約60%と発表され、日本でも報じられているように「人民戦争」を行ってきたマオイストが第一党を取る勢いで議席を獲得している。

ネパールの新聞「The Himalayan Times」がウェブサイトで選挙速報として選挙結果を更新しており、日本時間の4月14日午前1時の時点で小選挙区127議席の結果が発表されている。そのうちマオイストが70議席を、G・P・コイララ暫定政府首相率いるネパールコングレス党(以下、コングレス)が19議席を、ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義(以下、UML)が20議席を獲得している。前評判の高かったUMLは、マオイストと選挙協力を行わなかったことでマオイストと票を食い合うこととなり、マオイストの躍進により議席を落とす結果となっているようである。UMLとマオイストの票の食い合いで、有利になるとされていたコングレスもマオイストの躍進で議席が伸びていない。

この選挙でマオイストが負ければ、マオイストが再びジャングルに戻りゲリラ活動を再開するのではとの懸念があったが、この結果からその可能性はなくなったといってよいであろう。共産主義政党であり、毛沢東主義を掲げるマオイストが政権を握るということで、世界中で様々論議を起こしそうであるが、プラチャンダ(プスパ・カマル・ダハル)書記長は、選挙前より複数政党制を受け入れることを表明しており、12日にも改めてマオイストによる一党独裁を懸念する必要はないと強調している。

選挙には王制派政党も参加しているが、少数の議席しか獲得できない見込みで(4月14日午前1時時点で0議席)、有力者の落選も報じられている。現在の暫定憲法では、制憲議会の初日に議会で連邦共和制であることが承認されることになっている。つまりこのまま何事もなく選挙結果が判明し、制憲議会が開かれれば、約240年間続いてきた王制が廃止され共和制に移行することになる。今後、選挙結果とともに、ギャネンドラ国王の動きにも注目である。