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二酔人四方山問答(8)

岩木 秀樹

B:イギリスではテロの余波がまだ続いているね。イギリスにあるモスクなどが焼き討ちにあったり、女性がナイフで斬りつけられたり、イスラーム教徒への暴力が強まっているらしい。

A:日本でも似たようなことがあった。朝鮮民主主義人民共和国が過激な行動をとると、日本国内の朝鮮人学校の女生徒のスカートが切られたりした。当該問題の行動を起こした主体とその周りの一般の人々をごっちゃにしているんだ。

B:そうだよね。例えば、アメリカ政府がイラク戦争などで、国際法を無視した犯罪行為をしたとしても、アメリカ人全員が犯罪者とは限らない。

A:それはそうだ。ただ政策決定の中枢にいた人、それを支持した人、黙認した人、反対した人などで、犯罪に関する責任の度合いが違うということはあ る。これは戦争責任論などで大きな議論になる。また被害者から見れば、同じ集団に属している者は、皆同じ犯罪者に見えてしまうのかもしれない。これはイス ラーム過激派側にも言える。西側に属する者は皆、イスラームに敵対する者だ、みたいに。それはそれとして、今回のように同じイスラーム教徒という理由だけ で、様々な暴力を受けるのは明らかにおかしい。このような暴力が続いていくと、穏健なイスラーム教徒も過激化する可能性がある。

B:新聞に載っていたんだけど、イギリスに住むイスラーム教徒へのアンケートで、「差別を受けた」との回答が2000年は約45%だったけれど、2004年は約80%になったそうだよ。明らかに、9・11事件やイラク戦争などが影響しているよね。

A:イギリスには約160万人のイスラーム教徒がいて、現在は2世3世が多い。彼らは失業や貧困にあえぎ、偏見とも闘わなくてはならない。そのよう な中から一部が過激化する。移民の1世は祖国をよりどころに出来るが、イギリス生まれの2世3世はイスラームに自己のアイデンティティを求める傾向にある そうだ。

B:差別や迫害を受けた社会には適合しようとせず、むしろ憎悪の対象にしてしまうのかな。

A:こんなアンケートもある。イスラーム教徒の中で、「イギリス社会の一員だ」と答えた人は41%、「一員ではない」と答えた人は27%だ。

B:一員ではないが27%か。これは多い数字だよね。

A:多いと思う。これからの課題は、貧困や失業などの対策を図り、平等性を高めることによって、穏健な人々を過激化させないということだ。イスラー ム教徒の多くはテロ行為には反対だ。西側諸国にも話し合いで解決しようとの流れも大きい。いわば「対話派」の人々の世界連合を作る必要がある。

B:でもアメリカの保守派は「文明の衝突」を声高に主張している。

A:アメリカの保守派もイスラームの過激派もどちらも文明の衝突になってほしいと考えている。どちらの側もキリスト教や自由、イスラームをイデオロギーとして利用し先鋭化している。

B:案外、敵同士だけれど、どちらの側もお互いの存在があって自分たちの存在証明をしている側面があるよね。

A:どちらも相手が必要なんだ。

B:そうそう、そのことを誰かがこう言っていた。なんだっけ。えーと。「ジハードとマックワールドの共謀関係」かな。

A:バーバーの言葉だね。彼によれば、ジハードとは自らの共同体に過剰なまでの誇りを持ち、敵対する者たちを聖戦で打倒する傾向。マックワールドとはアメリカに端を発し、英語を基幹言語として、資本主義経済、物質至上主義、消費文化を謳歌する傾向だ。

B:なるほどね。その二つは、一見全く逆の立場だけれど、共謀・共犯関係にあって、互いが互いを必要としているってことか。

A:おもしろい論だし、キャッチフレーズとしてもなかなかだと思う。でもジハードは本来このような意味ではないことは前回説明したとおりだ。イスラーム教徒から見ても、自分たちの宗教的用語を歪曲化されて使用されるのは侮辱と捉えるだろう。原理主義という用語もそうだけれど、本来はアメリカのプロ テスタントの一部の運動をファンダメンタリズムとしたが、それが他にも使用されるようになり、今ではイスラームの専売特許のように使用されている。本来の 意味を援用して学術用語として使用する際はもっと慎重にする必要があると思う。

B:マクドナルドだって怒るかもしれない。われわれはもっと高い理想を持っている、ってね。裁判沙汰にならないのかな。

A:でもマックだったら宣伝してくれて有り難う。マックはその通りだ、と言うかもね。

二酔人四方山問答(7)

岩木 秀樹

B:また大規模なテロがあったね、ロンドンで。今まで色々イスラームについて聞いてきて、少しは偏見が無くなったように感じたけれど、でもイスラームの名で多くの人を殺すなんて恐ろしい宗教だなと正直思った。

A:いやあれは、イスラームの中の一部の過激な人々がやっていることだ。ただイスラームに限らず、宗教や様々なイデオロギー中には、正しいもののた めには自分や相手が死ぬことは間違ったことではなく、特に自集団や自分の教義を守るためには「悪」と命を賭けて戦うことを奨励する例は多い。

B:イスラームにもジハードと言う言葉があるよね。

A:あるよ。でもジハードは宗教的に様々な努力をするという意味なんだ。弱い自分に打ち勝つための精神的ジハードも含まれるんだ。このようなジハードの中の一部に、自分たちのイスラーム共同体を守るための狭義のジハード、私たちがよく使う聖戦がある。

B:へーそうなんだ。ジハード=聖戦ではないんだ。

A:しかもその聖戦という意味のジハードの中にも、拡大ジハードと防衛ジハードがある。 拡大ジハードとは文字通りイスラーム共同体を異教徒の土地に広めること。もちろん広め方は武力ばかりでなく、商人や様々のイスラーム教団が広めたりしたん だけど。また武力による場合でも徐々に改宗させていったんだ。そして防衛ジハードとは自分たちの共同体を異教徒から守ることだ。

B:現在のイスラーム教徒はやっぱり防衛ジハードをやっているという意識が強いのかな。

A:そうだと思う。そもそも拡大ジハードを宣言できるのはカリフの専権事項だから、最後のイスラーム帝国であるオスマン帝国が崩壊した後、カリフは いなくなったので、理念的には拡大ジハードはできなくなった。それに現実的にはパレスチナでもアフガニスタンでもイラクでもチェチェンでも、世界の様々な 場所で行われていることは、米国を中心とした国々からイスラーム共同体とイスラームの同胞を守るための戦いだという意識がある。つまり防衛ジハードを行っ ているというわけだ。

B:でも今回のテロは防衛ジハードと言えるの。

A:言えないと思う。世界のイスラーム教徒の多くは、9・11の時もそうだったけれど、今回のような無差別テロは許していない。多くの人々は話し合 いによって解決しようとしている。しかし、無差別テロという方法は間違っているが、自分たちイスラーム教徒が様々な局面で抑圧を受けていることを世界中に 知らせ、出来れば改善したいと考えているのは確かだ。だから無差別テロを見て、それは間違っているとは言うが、その後に、ただね……と言う言葉が続くん だ。そのような不満を強く持つ人々の一部が過激化して、自分たちがやられたことをやっているんだという報復攻撃にでているのかもしれない。

B:一部にもそのような人がでるということは、ある程度イスラームが暴力性を内包しているからじゃないのかな。

A:それを完全に否定することは難しいかもしれない。もっと言えば、イスラームのみならず、宗教と暴力の関係という大きな問題にぶつかる。ただこう いう例もある。ぼくが中東に留学していたときに、オウム真理教の地下鉄サリン事件があったんだ。これはまだ公判中で真実はまだはっきりしないけれど、当時 ぼくの友人のイスラーム教徒は日本人は恐ろしいことをする、仏教徒は怖いと言っていた。

B:え、あれは仏教徒の仕業なの。

A:中東のような遠い地に住む人から見れば、東洋的な宗教の小さな差異はわからないんだ。仏教的な言説を使っていたのでそう見えたのだろう。なぜ日本人の仏教徒が不特定多数の同胞を毒ガスで虐殺したのか理解できなかったようだ。

B:そう見えるのか。ぼくもなぜ彼らが無差別テロをしたのか全然理解できない。

A:それに比べ、イスラーム教徒による様々の抵抗運動は、因果関係ははっきりわかる。イギリスの三枚舌外交に対するもの、アメリカのダブルスタン ダードに対するもの、イスラエルの不法占領に対するもの、米英らによる国際法無視の戦争などに対抗するために攻撃を仕掛けている。

B:一般のイスラーム教徒は無差別テロという方法には反対するが、それを行う人々の心情を全く理解できないというわけではないのかな。

A:だから中東から見れば、どのような恨みや抑圧があるのか外から見たらわからず、自宗教の教義内から発したものによって、同胞を殺した日本人の仏 教徒の方がよほど残虐で恐ろしいということになる。でも国際社会では、仏教テロリズムとは言われなかった。また世界の様々のキリスト教徒によるテロもキリスト教テロリズムとは言われない。イスラーム教徒の一部によるテロのみイスラームテロリズムと言われるのは、明らかに国際社会に存在する偏見だと思う。

「7・7」英国同時多発テロ事件

宮川 真一

7月7日、ロンドン中心部で、複数の地下鉄車両やバスでほぼ同時に爆発が起きた。警察当局は少なくとも33人が死亡、重傷45人、その他負傷者がおよそ300人と発表している。

テロリズムは、単なる暴力や殺人とは異なる。第1に、暴力の行使が社会的恐怖と結びつく点にその本質がある。暴力がメッセージ性を帯びてさらなる暴力を予期させつつ、人々を戦慄させ麻痺させて影響を及ぼそうとする。第2に、個人的で偶発的な暴力ではなく、政治的・社会的背景をもつ、組織性と計画性を伴った系統的暴力の発動となる。第3にテロリズムは暴力と恐怖という手段を発動してまで達成したい何らかの目的をもっているのである。テロリズムとは「組織的暴力による恐怖を強制の手段として用いようとする思想や行動」と定義できる。

現代世界を覆うテロリズムの根本原因として坂本義和氏は、貧困という要因をも含む社会の抑圧構造と、それに対応する被抑圧意識をあげている。今日の世界のこうした抑圧構造には、次の3つの側面があるという。第1に、米国を頂点とする超大国や大国のグローバルな政治的・軍事的優越や、グローバル・キャピタルの経済的優越に結びついたグローバルな格差・抑圧構造。第2に、それと連繋した、とくに途上国での国内的格差・抑圧構造。第3に、そうした二重の格差・抑圧から脱しようと国境をこえて相対的「先進国」に大量に移動する人々が随所に当面するトランスナショナルな格差・抑圧構造である。

マジッド・テヘラニアン氏は、多様なテロリズムを次のように分類する。第1に、多くの民族解放運動における反体制集団によって実行されるような「抵抗テロリズム」である。この例としては、アメリカの軍事プレゼンスに対するテロ、イスラエル市民に対するパレスチナの暴力行為などがあげられる。第2に、「表示テロリズム」は世界に衝撃を与えて特定の政治的不満と課題を認めさせようとするものである。「9・11」米国同時多発テロ、モスクワ劇場占拠事件はこれに含まれよう。第3に、宗教的信条に動機づけされた「救世主テロリズム」である。1993年テキサス州でのブランチ・デビディアン事件、1995年東京での地下鉄サリン事件などがこれに該当しよう。第4に、「国家テロリズム」はあるレジームによってそれ自身における無辜の市民や「敵」に対して日常的に行使される。イラクのクルド人に対する化学攻撃、イスラエルのレバノンとヨルダン川西岸地区における軍事報復などが良く知られた事例である。

今回のテロ事件は、G8サミットが開催されたその日、その国を選んで実行された。前日には、2012年のオリンピック開催都市にロンドンが選ばれ、国中が沸き立っていた。この都市は五輪招致活動に60億円を費やしたという。「7・7」は、「イラクとアフガニスタンでの虐殺に対する報復」 との犯行声明からすれば「抵抗テロリズム」であろう。しかし、そこには、国際社会の格差・抑圧構造に目を向けよ、とのメッセージも読み取ることができる。 「表示テロリズム」の側面を併せ持っている。「9・11」からはや4年の歳月が経とうとしているが、国際社会はあの惨劇の教訓から何も学んではいないのかもしれない。

イスラム過激派とオウム真理教

その他

投稿者:重川 利昭

私は今、9.11テロの実行犯だったアタと、地下鉄サリン事件の実行犯だったオウム幹部のことを考えている。

イスラム教は立派な宗教に違いない。オウム真理教は仏教(密教)の亜種であり、仏教も立派な宗教に違いない。オウム幹部もオウム真理教の忠実な信徒であったし、アタもまたイスラム教の敬虔な信者であった。麻原教祖は仏陀の使徒として振る舞い、フセインもアラーの僕として振る舞う。麻原には5000名を超える熱狂的な信者がおり、当時の宗教家も宗教学者も、全面的ではないにせよ一定の評価をしていた。フセインには献身的な親衛隊がおり、周辺諸国のイスラム教徒やアラブ民族から一定の評価を受けている。麻原は日本政権の打倒を訴え、フセインは米国打倒を訴える。オウムは大量破壊兵器を開発・保持し、霞ヶ関を狙い、サリンをまいた。アタは、貿易センタービルに民間機を突入させた。仏教の亜種たるオウム幹部はテロの成功を喜び、イスラム教の亜種たる過激派は、9.11を神の祝福とした。

オウム真理教とイスラム過激派とは同根である。そしてオウムこそ真正の密教と信じる人々がいたのと同様、イスラム過激派こそ真正のイスラム教と信じる人々がいる。アフガン侵攻の取材にあたった友人は、パキスタンのタリバンがいかに敬虔なイスラム教徒であり、どれほどアタを誇りに思っているかを熱心に語ってくれた。アタをヒーローにする人々とオウム幹部の相違を見つけるのは難しい。

イスラム過激派が大量破壊兵器を保持する恐怖を、日本人はオウム真理教と重ねて理解する必要がありはしないか。我々は、権力がオウムのような宗教と、どう対峙することを望むのか。オウムは国内にとどまった。アタは国境を越えた。防衛ラインも国境を越えた。いま上九一色村は、砂嵐のまっただ中にある。仮装国家の規模が桁外れなだけに、人質もまた桁外れに多い。砂嵐の上九一色村では、いったい何人の坂本さんを殺したろう。そしていったい何人の苅谷さんが捕らわれ、無垢な信者がどれだけいるのか。機動隊は米英軍に代わったが、ガスマスク姿は不変である。おそらく精密な人工カナリヤ(毒ガス探知機)も携帯していることだろう。

問題は、人質に出る犠牲である。浅間山荘事件の時、政府はどうしたか。1人の人質を救出するために重火器の使用を制限し、機動隊員らに多数の犠牲が出た。映画「突入せよ」を見て改めて思った。今だったら世論はこの矛盾を放置しておくだろうか。機動隊員にも家族がいる。美談には悲しい続きがあるのだ。

この点、欧米は日本とは異質に思える。人質は犯罪者と戦う勇敢な戦士である。誰かに解放されるのを待つだけの非力な赤子ではない。死しても英雄となる。たとえ味方の弾に倒れようともそれは同じである。9.11を悼む米国民の姿は、同じく多数の犠牲者を出しながら当事者意識が欠落したかのような一般の日本人の反応とは違う。誰人であれ戦士であることを求められる社会なのだ。問われるのは勇敢であったか、臆病であったかである。この峻厳な立ち位置こそ、戦闘によって培われた狩猟民族の血である。二大政党の対決を望まず、「和をもって尊し」「寄らば大樹」を処世訓とした農耕民族とはそもそも違う。犯罪者との戦いに双方の犠牲は当然であり、戦わずに犯罪者を放置するのは臆病者の証なのだ。これが欧米の常識だろう。仏は遠くムルロア環礁で核実験を行う国だ。他国には無関心でも自国に被害があれば米国以上に反応しかねない。

戦争には反対である。そのためには丹念に一つ一つ争いの芽を摘むしかない。いま最大の問題はイスラム過激派である。これはパレスチナ問題に行き着く。パレスチナの平和共存以外に、過激派の芽は摘めない。平和共存の条件は、貧富の格差の是正である。日本のように安定した社会では、オウムは5000人以上には増えない。極端な教義は不安定な社会で力を得る。

だから問題は、果たして民主主義と資本主義は貧富の是正に役立つシステムなのかということになる。またこのシステムは万人が望むものなのか。金利ひとつとってみても、これはイスラムが望むシステムではない。民主主義と資本主義は、弾圧の中から這い上がってきたユダヤが、アーミッシュを置き去りにして、成長神話の成就のために望んだシステムなのだ。だから世界にはこのシステムの根付かない国が多数ある。日本はむしろ特別だ。米国のいう解放は、欧米でスタンダードとなったユダヤシステムの押し売りにちがいない。

しかし、このシステムの恩恵を最大限に享受した国が、その拡散に反対したのでは筋は通るまい。日本が本気で戦争反対を貫くのであれば、ユダヤシステムからの離脱を前提にすべきである。まずは、マハティールのように経済封鎖すること。そして八百神の国土にふさわしい独自のシステムを組み直し、他国に対しても独自システムの開発と運用を勧めることだ。貿易立国の日本と我々に、果たしてその覚悟があるのか。成長神話からの棄教こそが我々に求められた問題の本質である。戦争反対はぐるっと回って、ここに来る。宮崎駿のテーマでもある。