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伝染病とグローバリゼーション

中西 治

新型インフルエンザA (H1N1) が世を騒がしている。伝染病が世を震撼させるのは昨日今日に始まったことではない。

私はすでに『地球宇宙平和研究所所報』第3号 (2008年12月) で紹介しているが、ギリシアの歴史家トゥキュディデスはアテネとスパルタとのペロポネソス戦争の結果としての疫病に注目し、英国の歴史家ギボンはローマ帝国の興亡を論じたなかで「バーバリアン (異教徒・野蛮人)」がキリスト教徒に勝った理由として病気をあげている。

最近では米国の歴史家アルフレッド・クロスビーが1972年に出版した『コロンブスの交流:1492年の生物学的・文化的結果』でコロンブスのアメリカ大陸到達後にヨーロッパ人が天然痘、はしか、コレラなどの伝染病を持ち込んだためにカリブ海諸島とアメリカ大陸のたくさんの先住民が死亡したことを明らかにしている。また、1990年の『アメリカの忘れられた流行病:1918年のインフルエンザ (邦訳『史上最悪のインフルエンザ:忘れられたパンデミック』)』で1918年にアメリカで発生し、流行したインフルエンザはヨーロッパからもたらされたものであり、1919年の病気の終息までに全世界で1億人が亡くなったと述べている。これは第一次大戦中に戦死した軍人の数、およそ860万人の10倍以上である。

さらに、米国の生物学者ジャレッド・ダイアモンドは1997年の『銃・病原菌・鉄:人間社会の運命 (邦訳『銃・病原菌・鉄:1万3000年にわたる人類史の謎』)』でユーラシア大陸を起源とする病原菌が世界各地の先住民の人口を大幅に減少させた例として次のような事実を挙げている。たとえば、1492年にコロンブスがやってきたときにおよそ800万人であったイスパニョ−ラ島(ハイチとドミニカ)の先住民の数は1535年にはゼロになっている。また、ハワイ島の人口はクック船長が到達した1779年に50万人であったが、クック船長とともに梅毒、淋病、結核、インフルエンザが上陸し、1804年に腸チフスが流行り、そのあともちょっとした伝染病が続いた結果、1853年には8万4000人に激減した。さらに天然痘が流行って1万人が亡くなった。

異なる社会の接触は相互に大きな影響を与えるが、言語、宗教、芸術様式、病気などが異なる社会では、それを受け入れる社会により大きな影響を与える。とくに疫病は免疫のある人が免疫のない人にうつした場合、免疫のない人と社会の歴史を変えるほどの大きな影響を与えることがある。たとえば、現在のメキシコにあったアステカ帝国は1520年にコルテス将軍率いるスペイン軍の最初の攻撃には耐えたが、そのあとに大流行した天然痘によって大打撃をうけ、皇帝クイトラワクも亡くなり、1521年に滅亡している。

それから500年。近年も鳥インフルエンザや豚インフルエンザが起こっている。人間は鳥や豚を恨んではならない。今回のインフルエンザは人インフルエンザと鳥インフルエンザと豚インフルエンザの混合であるという。人・鳥・豚はみな同じ動物である。人間は鳥や豚など他の動植物の恩恵をうけて生きている。

伝染病の流行はグローバリゼーション (地球一体化) 現象の一つである。人間は伝染病について多くのことを経験し、学び、この問題に冷静に科学的に対応できるようになっている。私は人間の英知を信じている。

星野昭吉著『世界政治の弁証法』紹介

中西 治

私たちの研究所の同僚、獨協大学法学部教授星野昭吉(ほしの あきよし)さんが、また新著『世界政治の弁証法』(亜細亜大学購買部、2009年3月16日)を出版しました。星野さんはこれまでにも多数の日本語と英語の著作を上梓しています。今回の著書はこれらの業績を踏まえて、世界政治を現状維持志向勢力と現状変革志向勢力の弁証法的ダイナミクスとして描いています。

星野さんは、いま流行りのグローバリゼーションとは何かについて「それは国民国家を超える社会関係の地球的規模の広がり」とする一般的な規定を引用しています。そして、この広がりが、好ましい秩序的・協調的・統合的関係網だけでなく、それ以上に悪しき無秩序的・対立的・分裂的な関係網からも成っており、後者が世界政治システムを支配し、人類的危機を構成・展開・強化している、と指摘しています。

星野さんは2008年の前著『世界政治と地球公共財』で、前者が地球公共財を作り出し、後者が地球公共悪を生み出している、と主張しています。地球公共財とは平和・安全保障、世界人権保障、地球環境、知識体系など、地球公共悪とはテロや地域紛争、核兵器をはじめとする大量破壊兵器、貧困・飢餓、環境破壊、人権抑圧、社会的不正義などです。

新著で星野さんは、グローバル政治の現実と理論を相互に連動・浸透する相互構成関係として把握し、理論は単に現実を説明するだけでなく、現実を変容させ、変革させる、と考えています。星野さんは「理論や知、規範、思想などによって、世界政治の現実を構成したり、現実世界を変容させたり、変革したり、また、現実世界に大きな影響を及ぼしたり、規定することができる」と述べ、理論が果たす役割を重視しています。

この現実と理論との関係は、現状維持志向的現実と現状変革志向的現実および現状維持志向的理論と現状変革志向的理論のそれぞれの関係についても言えます。実際の現実は現状維持志向的現実と現状変革志向的現実の弁証法的展開過程の産物であり、実際の理論は現状維持志向的理論と現状変革志向的理論の弁証法的展開過程の産物なのです。

星野さんはこのような観点からグローバリゼーション、世界政治、世界経済、権力、知識体系、制度勢力、倫理、勢力などの諸問題を論じています。現在の世界の金融・経済危機と関連して私がとくに関心をもったのは、世界経済の問題を扱った第3章、および、コミュニタリアニズムとコスモポリタニズムを倫理の問題として取り上げた第7章です。

星野さんは最後に「地球的規模の問題群や紛争群を統治し、また、解決し、人類の誰もが便益を享受できるためには、地球公共財の供給を理解し、方向づけることが必要となる。そのことが、グローバル政治において、脱現状維持志向勢力、つまり、現状変革志向勢力が支配的地位を占めることを意味する」と結んでいます。星野さんは現状変革志向勢力の側に立っています。

星野さんの考え方を簡単に要約すると、次のようになります。まず現状があり、それについて現状を守ろうとする人とそれを変えようとする人がせめぎ合います。その過程で現状は弁証法的に変わっていきます。そのさいに現状を変えようとする人の理念が重要な役割を果たします。

現在、世界では、オバマさんが「変革」を掲げて米国大統領に当選したように、現状変革志向勢力が台頭しています。他方ではこれに対して現状維持志向勢力が必死に抵抗しています。そのなかでオバマさんの内外政策は揺れ動いています。試されているのはオバマさんの理念です。問われているのは私たちの理念でもあるのです。

星野さんは学のある人です。星野さんは欧米諸国のたくさんの資料を渉猟しながら、「本に読まれる」ことなく、「本を読み」、独自の論を展開している数少ない日本の優れた研究者です。いまのようなときにこそ星野さんの本は読まれるべきです。

グローバリゼーション再考

ねこくま

グローバリゼーションについて学生諸君と議論する機会があったのでそこで気がついた論点をメモ的にいくつか上げておきます。最大のポイントはグローバリゼーションは貧困を解決するのか、あるいは貧困を生み出すのか?これがグローバリゼーションを価値判断する上で最も重要な基準だと思います。

次のポイントはグローバル政体が存在するなら、われわれをいかなる主体がどうやって代表するのかという問題です。トインビーの「所属しているけれど、代表していない」プロレタリアートの状態が、現在の国民国家より優れた統治システムとはとても思えません。

こうなると「帝国システム」なる広域支配システムの中心が何処に存在するのかという問題か、国際関係研究者の間でこれほど関心を集めるようになった理由が理解できます。

最後にグローバリズムと「靖国参拝」の関係について私はこれを国際問題として捉えています。理由は、アメリカ主導のグローバル秩序に挑戦可能な東アジア共同体形成可能性を阻止するために「靖国」は極めて重要な問題だからです。

日本が靖国参拝を繰り返し、侵略戦争の歴史を肯定する主張を続けるかぎり、中国・韓国は言うまでもなく現在のASEAN各国はアジアは「共通の家」形成に踏み出すことは不可能でしょう。

日本をアジアから遊離させ、アメリカのグローバルな国益に全面的に組み込むために「靖国参拝」が要請されていると見た方が合理的なのです。

しかし現実の政策立案の上からは、アメリカのプレゼンスを排除した東アジア共同体形成という選択肢は現実的はありません。東アジア共同体をアメリカ主導のグローバルな世界秩序を牽制するための対抗手段として構想することを選択してはなりません。

アメリカとの共存共栄の枠組みの中で穏やかに変化していく必要があります。中国の韜晦(とうかい)戦略、爪を隠す戦略は短期的には正しいのでしょうが、相応の国力を得た後を考えると早めに成長の芽を摘むという対抗的な長期戦略を呼び寄せてしまう可能性があります。

私は最近、グローバリゼーションが生み出すマイナス局面を補完し、地域の人々に平等で豊かな生活を保障する地球規模の共同体構想を、正面から主張していくほうが王道なのかもしれないと考えるようになりました。

マーケット・メンタリティ

わたなべ ひろし

平日の深夜などにテレビのチャンネルを変えていると、ときおりテレビ東京の経済ニュース番組で小谷真生子さんを見かける。10年ぐらい前、彼女は 「ニュースステーション」に準レギュラー出演していて、久米宏さんの隣りでステキに知的な笑顔を見せていたのを憶えているが、このテレビ東京の番組ではメ インキャスターを勤めており、いつも眉間に3本ぐらいのシワを寄せて、横にいるナントカ総研のおじさんを相手に、「それではこの点に関して、マーケットは どのように反応すると思われますか?」とかきいている。

株には手をださないようにというのは僕の両親の遺言でもあるのだが、そんな小谷さんの「変貌」を見るにつけ、彼女を変えてしまった「マーケット」などというものとは、一生かかわりあいになりたくはないものだと思っていた。

しかし現在進行している金融市場による世界の一体化は凄まじいものがあるようだ。英国の社会学者であるロナルド・ドーアさんによると、国際貿易取引額と外国為替取引額の比率は1対200であるという。つまり、一所懸命モノを作ったり売ったり買ったりした「実経済」の200倍ものマネーが、思惑だけで投機的に世界中を徘徊しているのだ。

なんにしても実経済の200倍の規模である。この国際金融市場の獲得を目指し各国はしのぎをけずっており、そして自国の投資環境を整えることが、現在では国家の重要な役割となっている。

そう考えれば、ブッシュ大統領のイラク侵攻も含めた数々の「マッチョ」な対外政策にしても、どう見てもブッシュ大統領よりは頭の良さそうな英国のブレア 首相の対米追随姿勢にしても、またロシアのプーチン大統領のチェチェン問題を始めとする強気の政策にしても、その幾分かは自国の投資環境の整備の一環とい うことなのかもしれない。

つまり、今世界中の政治家にとって、有権者の他にもうひとつ顔を向けておかなければいけない相手として、「マーケット」というものがあるということであ る。そして政治家である彼(彼女)らにとって必要な資質とは、「強気の一貫性」ということのようだ。決して「マーケット」に不安を与えてはいけないのである。

そしてわが小泉純一郎首相である。まだ解散が決まる前、次のような雑誌のコラムを目にした。

解散・総選挙の結果、小泉純一郎首相が指導力を喪失した場合、海外を含む市場の目が財政危機に向くリスクが高まる。膨大な公債発行残高に 加え、基礎的財政収支の黒字化のメドさえつかない悲惨な状況の暴発を防ぎ、長期金利の上昇を抑えているのは、構造改革によって小さな政府を実現すると言い 続ける、小泉首相のぶれない姿勢にかかるところが大きい。(『週刊ダイヤモンド』2005年8月5日号 p7)

このコラム氏によれば、「独裁的といわれる小泉首相の手法」は、「官僚と自民党族議員が結び付き、そこに総理総裁が乗るというボトム アップ型の政策意思決定システム」を改革するための「必然」だとのこと。もちろんこのコラムの主旨は構造改革を支持するものであるし、「独裁的といわれる 小泉首相の手法」を、「海外を含む市場の目」に対して「ぶれない姿勢」を示すものとして評価しているのである。

金融関係の「専門家」たちによる、このような小泉評価は一般的のようで、その後テレビや新聞で何度も目にした。

僕はこのような小泉評価は、賛同はできないが納得はできる。

「マーケット」にとって、例えば靖国もイラクも憲法も善悪の問題ではない。損得(投機)の判断材料としてのみ意味がある。そして実際に投 資をやるかやらないかはともかく、こういうメンタリティをもった人たちは確実に増えているのではないだろうか。そもそもそういう方面のセンスや知識を幾分 かでも持ち合わせていなければ、普通の日常生活を送ることにも支障をきたすような方向に、社会そのものがむかっているのであるから。

戦争や平和というものが社会の中で語られる文脈というか、基盤そのものが変わってきているということを、最近とくに強く感じる。

為政者はグローバル化の進行を理解せよ

ねこくま

ある研究会で韓国人研究者が靖国参拝をめぐる小泉総理の発言や行動は、総理個人の資質なのか、あるいは何らかのもくろみがあってのことなのかと問いただした。わが日本国の総理は単なる愚か者なのか、それともアジア再侵略の戦略的意図を有しているのか問われたと考え、「総理は東アジア共同体形成を快く思わないアメリカの意図を汲んで、日本とアジア各国の融和に障害となる『靖国参拝』を続けている。」との私の見方を示した。

これに対し参加者の一人から県議会の裏話とともいえる衝撃的な発言があった。島根県議会「竹島の日」制定の目的は、単に県が国に漁業補償を出させるためだったと言うのである。いかにも日本的なドメスティックな手法は完全に裏目に出て、もはや国際問題化した状況で島根県が漁業補償を得る見込みは消滅し、同時に日韓自治体間の文化交流も友好関係も経済協力もすべて吹き飛んでしまった。補助金目当てという説明は悪い冗談のように聞こえるかもしれないが、日本人にとっては「アメリカ一辺倒の小泉政権」より遥かに深刻で恐ろしい説明である。

JR宝塚線の悲惨な事故で証明されたばかりだが、昨今の内向きの理屈で強引に権力で押し切る手法は日本社会に体制疲労を強いて事件や事故を続発させている。今回の事故も「旧国鉄の悪習」が原因と言いたげなJR西日本経営陣の発言は、小泉ばりの強圧とごまかしの手法の焼き直しである。国鉄解体以来の「生活」を人質にとった強引な人減らしと、すり替えによる責任回避の手法は日本国内では現在に至るも通用してきた。

しかし日本の為政者たちのやり方は直接の利害関係を持たない隣国の国民には何ら効力は発揮しない。中国も韓国もグローバリゼーションでアメリカに直接結びつき、日本の頭越しに幾らでも商売が可能だと考えているだろう。アメリカ留学組の両国のエリートたちはもはや日本を習得すべき近代化のお手本とは見なしていない。

しかもグローバル化で情報はまさに自国と同時に隣国に伝わる。民主化の進行した両国では国民の意志を政府は無視できない。それなのにドメスティックな手法もすり替えの理屈も通用しない国際社会の現実に日本の政治家たちは気がついていない。

どうか日本の為政者には正気と良心を取り戻して頂きたい。日本と中国と韓国はすでに経済的には利害を共有する運命共同体である。広く東アジアから世界に視野を拡げ、グローバリゼーションの流れの中でEUなど地域共同体が並立する新たな時代に備えるべきである。日本は今一度失った信頼を取り戻し、平和と共存のパートナーとしてアジアに認められる必要がある。そのためには憲法9条を初めとする豊かで穏やかな社会関係を目指してきた日本の「戦後」を再評価して、その平和な未来への継承を図るべきだ。

グローバリゼ−ション・エンパイア・インペリアリズム —アメリカ合衆国は帝国か、その政策は帝国主義か— (PDF)

中西 治

グローバリゼ−ション(globalization)とエンパイア(empire)それにインペリアリズム(imperialism)についての論議が盛んである。グローバリゼ−ションは1980年代初めから使われ始めた比較的新しい用語である。それに対してエンパイアは古くから使われている用語であるが、最近のエンパイア論の火付け役はイタリアの社会科学者で実践家のアントニオ・ネグリとその若い同僚マイケル・ハートが2000年に出版した『エンパイア』である。火に油を注いだのが、2001年9月11日の事件に対するアメリカ合衆国(以下、米国と略称)の対応である。この事件のあと米国は帝国に変貌したとの説がある。このことと関連してインペリアリズムも論議の対象となっている。

そこで本論文では初めにグローバリゼ−ションとは何であるのかを考察し、それが多義的な概念であることを明らかにする。ついで、エンパイアとは何であるのかを検討し、欧米で使われているエンパイアという用語と日本で使われている帝国という用語の意味内容は完全には一致せず、帝国はエンパイアの意味の一部であることを指摘する。そのあと、インぺリアリズムとは何であるのかを歴史的に検討し、インぺリアリズムがきわめて政治的な用語であること、インぺリアリズムの時代が第二次大戦後に終わったことを解明する。それがいまふたたび蘇っている。それとの関連で最後に米国は帝国か、その政策は帝国主義かの問題を検討する……

本論文は会員の方のみPDFファイルで閲覧可能です。

  1. はじめに
  2. グローバリゼ−ションとは何か
  3. エンパイアとは何か
  4. インぺリアリズムとは何か
  5. 米国は帝国か、その政策は帝国主義か
  6. むすび

『ソシオロジカ』創価大学社会学会, Vol.29, No.1・2 (通巻49号) に掲載