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自衛隊はイラクからただちに引き揚げよ! ―3人の日本人の拘束・解放事件に寄せて―

中西 治

2004年4月8日夜に高遠菜穂子さん、郡山総一郎さん、今井紀明さんの3人の日本人が「サラヤ・アル・ムジャヒディン(神の兵士旅団)」と称する人々によってイラクで拘束され、日本政府が自衛隊を3日以内にイラクから撤退させなければ3人を殺すと声明したという報道が伝えられました。その後、4月11日早朝に3人が解放されることになりました。

ひと安心です。しかし、これで事件が終わったわけではありません。そこでこの機会にこの問題をめぐって表明された幾つかの意見について私の考えを述べたいと思います。

第一は3人の日本人が現に戦争がおこなわれているイラクに行ったことの是非についてです。私は戦争が起これば逃げよと学生に教えています。危険なところには身を置くなと言っています。君子危うきに近寄らずです。しかし、どうしても行かなければならないとしたら、また、どうしても行きたいのであるならば、自分の責任で行けと言っています。

私も何度も外国に行っていますが、危ないと思うときには行きません。大丈夫だと思って行っても外国では何が起こるか分かりません。だから、私は無事日本に帰ってきたときにはいつも自分の幸運について天に感謝しています。

3人の日本人はイラクの戦争を甘く見ていたと思います。3人の方はいずれもイラク戦争に反対で自衛隊のイラク派遣にも反対のようです。だから、自分たちは大丈夫だと思っていたのでしょう。しかし、日本が自衛隊のイラク派遣を決めた瞬間からアメリカの占領に反対しているイラク人にとっては私も含めて日本人はみんなアメリカの侵略の片棒を担ぐ敵なのです。しかも、自衛隊が現実に武装してイラクに行き、イラクの土地に陣取ったとき、それは紛れもなく占領軍なのです。わずかばかりの水を供給し、人道的な復興支援のために来たといっても、それが占領を覆い隠す美辞麗句であることはすぐに見抜かれるのです。

私はテレビで高遠さんのこれまでの活動を垣間見て、この人はイラクの子供の味方であり、この人を殺してはならないという声がイラク人のなかからあがることを期待していました。日本からもそのような声があがり始めていました。私もこの3人の日本人はイラク人の味方だ、この人々を殺してはならないの声をあげようと思っていました。私は3人を拘束した人々もそのことが分かったから解放することになったのだと思います。

人間は平素の行動が大切です。とくに外国に行くときにはその地の人々を、それがいかなる人であっても人間として尊敬し、敬意をもって接することが必要です。第二次大戦が日本の敗北で終わったとき日本が占領したり、日本が植民地にしていたところで占領者・支配者であった日本人に対する報復が起こりました。そのときでもその地の人々と親しく交わっていた日本人には、この人は他の日本人とは違うのだ、この人は自分たちの味方であった、といって守ってくれる現地の人がいたのです。

第二は自衛隊のイラクからの撤退はテロに屈服したことになるからしてはならないという意見です。こうした論を主張する人はアメリカがイラクに対する戦争で多くの無辜のイラク人を殺していることについては口を噤みながら、無辜の民を殺すテロはけしからんといっています。おそらくこれらの人々は今回の結末はテロに屈服しなかった成果であると主張するでしょう。

私もいかなる理由があっても人を殺すことには反対ですし、とくに関係のない人を殺すテロには反対です。それと同時に私はもっとたくさんの関係のない人を殺す戦争に反対です。いまのイラクはアメリカがイラク人の選挙によって選ばれたフセイン政権を武力で潰し、占領支配している状態です。現在イラク人の政府はありません。このような状態に対してイラクの多くの人が反対してたたかっているのです。これはアメリカをはじめとする占領軍とそれに反対するイラク人とのあいだの戦争です。

戦争はテロの国営化ですが、テロは戦争の民営化です。いずれも悪なのです。しかし、先に戦争を始めた方がより悪いのです。

小泉内閣は3人の日本人の命がかかっていたにもかかわらず即座にイラクからの自衛隊の撤退を拒否しました。3人の日本人の命よりもイラクに対する「人道援助」の方が重要だったのです。これに対して3人を拘束した集団は面目を失ってでも3人の解放を決定しました。どちらが3人の日本人の命を大切にしたのでしょうか。

第三はイラク戦争はこれからどのようになるのかです。私はアメリカはいずれ近いうちにイラクから追い出されるだろうと考えています。日本の自衛隊もイラク人から追い出されることになるでしょう。

2001年9月11日事件の直後にアメリカの外交雑誌『フォーリン・アフェアーズ』2001年11ー12月号に1986年から1989年にかけてアメリカ中央情報局(CIA)のパキスタン支局長を勤めたミルトン・ベアディンが「アフガ二スタン、諸帝国の墓場」と題する論文を寄稿し、西暦紀元前(B.C.)4世紀のギリシャのマケドニア王国のアレキサンダー大帝がB.C.334年に東征を開始し、インドに及ぶ広大な領域を支配下に収めたが、最後はB.C.323年に現在のイラクの首都バグダット近くのバビロンの地で没したごとくアフガニスタンを中心とする地域がアレキサンダ−大帝の帝国の墓場となったことを指摘し、それ以後ジンギスカン、ムガール帝国を経て19世紀の大英帝国、さらに20世紀のソヴェトに至るまでの諸帝国の墓場となったことを強調しています。

イギリスは第一次大戦後オスマン帝国に代わってパレスチナ地域を委任統治しましたが、アラブ人とユダヤ人の抵抗と両者のあいだの紛争に手を焼き、最後には治安確保のための軍隊の維持費も出せなくなって投げ出し、中近東地域から追い出されました。私はアメリカもイギリスと同じような運命をたどるだろうと思っています。すでにアメリカ国内でもイラクからの撤退論が出始めています。

小泉首相はたしかに傲慢です。テロに屈するとか屈しないとかといった面子論ではなく、このさい謙虚に冷静に現在のイラクの情勢とアメリカの国内状況などを勘案し、イラクから自衛隊をただちに引き揚げればよいと思います。小泉さんはアメリカへの義理立てはもう十分以上に果たしたのですから。それとももっともっと大きな問題が生じなければ踏み切れないのでしょうか。

自衛隊のイラク派遣に反対する ―イラク派遣基本計画の閣議決定にあたって―

中西 治

2003(平成15)年12月8日は日本がパ−ルハーバー(真珠湾)を奇襲攻撃し、アメリカと戦争を始めてから62周年である。あたかもこの日が過ぎるのを待っていたかのごとく、小泉首相は翌12月9日午後5時から記者会見し、内閣がイラクへの自衛隊の派遣にかんする基本計画を決定したことを発表した。

小泉首相は冒頭に自衛隊は人道復興支援のためにイラクに行くのであって、武力行使や戦闘行為はしないと言明した。そして、日本国憲法前文の「いづれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」のくだりを引用し、自衛隊のイラク派遣が憲法のこの理念に基づくものであり、憲法に違反しないことを強調した。

しかし、同時に小泉首相は記者の質問に答えて武力行使や戦闘行為はしないことを再確認しながら、正当防衛は武力行使にあたらないとして自衛隊が実際には武力を行使し、戦闘行為をすることを認めた。

日本は1945(昭和20)年8月15日の第二次大戦終結後はじめて自衛隊を外国に本格的に派遣することになった。これはきわめて危険な戦争への道の始まりであり、日本がかつて歩んだ道の繰り返しである。

1867(慶応3)年の明治維新以降に日本が初めて外国に軍隊を派遣したのは1874(明治7)年のことであった。当時清国の領土であった台湾に漂着した琉球人66名のうち54名が原住民に殺害され、残りは清国人により助けられるという事件が起こった。明治政府はこの事件に対する報復として台湾に軍隊を派遣し、原住民と戦い、清国から50万両(テール)の金を受け取ることにして撤兵した。

第二の出兵は1875(明治8)年に日本の軍艦雲揚が朝鮮・韓半島西岸の江華島に接近して韓国側の砲撃を誘発し、過剰な報復を加え、韓国に大きな損害を与えた事件である。日本はこの事件を利用して韓国に開国を迫り、不平等条約を押し付けた。

その後、日本は1894-95(明治27-28)年に清国と戦い、台湾をとり、1904-5(明治37-38)年にロシアと戦い、朝鮮・韓半島と中国東北への進出の足場を築き、1910(明治43)年には韓国を併合した。さらに、1931(昭和6)年には「満州事変」を起こし、翌1932(昭和7)年には「満州国」をでっち上げた。日本は戦場を中国本土に拡大し、その行き着いた先が1941(昭和16)年のパールーハーバーであった。

第二次大戦後、日本国民は明治以後の歴史の教訓に学び、日本国憲法第九条において「国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」ことを決意した。日本は第二次大戦後一度も自衛隊を外国に送り、その地の人たちを殺してはいない。しかし、今やこれが「人道支援」の名の下に揺らいでいる。

私は2003年11月9日の日本の衆議院議員選挙の直後に発表した文章で「自衛隊が本当にイラクの人々を助けるために行くのであるならば、自衛隊は武器を持たないで行くべきである」と主張した。しかし、今回決まった基本計画では自衛隊は短銃や機関銃だけではなく、自爆テロでトラックが宿営地などに突入するのを防ぐためにと称して個人携帯用の対戦車弾や無反動砲を携行することになっている。

現に戦争が続いているイラクで走ってくるトラックが自爆するトラックであるのか、普通のトラックであるのかを瞬時にして見分けることは至難の技である。助けに行って、助けるべき人を殺めることになるであろう。

小泉首相はいろいろと言葉を弄しているが、その言わんとするところは、結局は、アメリカが始めた戦争を最初に支持したので金だけではなく、人も出さざるを得ないということにつきる。ここに自国の意思に反して戦争に引きずり込まれる「同盟」の危険性がはっきりと表われている。

そもそも今回のアメリカのイラクに対する戦争には大義がない。9.11事件とイラクとの関係はなんら立証されていない。戦争開始の口実とされた大量破壊兵器も見つかっていない。しかも、大量破壊兵器を持っているとされる国はイラクだけではない。アメリカは世界最大の大量破壊兵器の所有国である。フセイン体制の抑圧性・独裁性が指摘されるが、抑圧的・独裁的な体制はイラクだけではない。何のことはイラクの石油資源を巡る戦争である。

二人の日本人外交官がイラクで亡くなったことに同情が集まっている。これは人間の自然な情である。しかし、この二人の死を「無駄にしないために」自衛隊をイラクに派遣するようなことがあってはならない。明治以降の歴史は最初は少数の犠牲であったのが、それに報復するなかで犠牲者が増え、1904-5年のロシアとの戦争では「幾万の生霊(死者)」が出るに至った。そして、さらに、この生霊にこたえるために戦争を続け、ついには幾百万人の悲惨な死を招いたのである。

日本はここで立ち止まるべきである。イラクに自衛隊を派遣してはならない。それは後に続く長い長い戦争への第一歩である。

生命と政治

その他

投稿者:小林 宏紀

出来うる限り生命に視点を向けて、この文章を書きたい。

去る11月12日発表の、「自衛隊は武器を持たないでイラクへ」と題された中西提言の全てに、筆者は賛同するものである。人道的支援というものを今日のイラクにおいてどこまで出来うるのか、いかにして行なうものなのか、上記提言の中に、その信条と、立案と、実行の仕方と、期待できる成果の全てが収められている……

本文はPDFファイルでご覧いただけます。

自衛隊は武器を持たないでイラクへ ―2003年11月9日の総選挙を終えて―

中西 治

2003年11月10日に小泉首相は自民・公明・保守新党の与党3党が総選挙で安定多数を確保し、国民の支持を得ることができたので、状況が許せば自衛隊を早期にイラクに派遣したいと言明した。朝日新聞が11月11日の朝刊で伝えた日本政府のイラクへの自衛隊派遣についての基本計画案によると、日本政府は陸海空3自衛隊と文民の計1200人程度を今年の12月下旬から順次イラクに派遣するようである。

ところが、同紙の同日夕刊によると、政府は当初この計画案をアメリカのラムズフェルド国防長官が来日する11月14日に閣議で決定し、11月19日に召集される見込みの特別国会に報告する予定であったが、イラク治安の悪化や総選挙での民主党の躍進を受けて国会での審議を避けるために閣議決定を特別国会後に先送りするという。

自衛隊のイラク派遣は日本が第二次大戦後はじめて本格的に自衛隊を海外に送りだすという日本のこれからの運命にとってきわめて重大な問題であり、選挙の大きな争点となった問題であるにもかかわらず、新たに選出された国会の場で審議されないようにするというのは許しがたいことである。政府の自信のなさを表わしている。

有権者の投票行動が一つの要因だけによって行われるものでないことは多言を要しないが、小泉首相の論理に従ったとしても、今度の選挙結果によって日本国民が自衛隊のイラク派遣を認めたことにはならない。今回の選挙で自衛隊のイラク派遣を推進している自民・公明・保守新党の与党3党が得た票よりもこれに反対している民主・共産・社民の野党3党が獲得した票の方が多い。

与党3党が今回の選挙で得た票は比例区においておよそ自民党が2066万、公明党が873万、合わせて2939万である。それぞれの得票率は35.0%と14.8%、計49.8%である。小選挙区においては自民党が2608万、公明党が88万、保守新党が79万、合わせて2775万である。それぞれの得票率は43.8%、1.5%、1.3%、計46.6%である。

他方、野党3党の得票は比例区において民主党が2209万、共産党が458万、社民党が302万、合わせて2969万である。得票率は民主党が37.4%、共産党が7.8%、社民党が5.1%、計50.3%である。小選挙区においては民主党が2181万、共産党が483万、社民党が170万、計2834万である。得票率はそれぞれ36.7%、8.1%、2.9%、計47.7%である。

比例区と小選挙区のいずれにおいても民主・共産・社民の野党3党が得票数と得票率の両者において自民・公明・保守新党の与党3党を上回っている。小泉首相流に言えば、日本国民は自衛隊のイラク派遣に反対している。

私は与党3党に投票した人がすべて自衛隊のイラク派遣に賛成しているとは思わないし、野党3党に投票した人がすべて自衛隊のイラク派遣に反対しているとも思わない。前者のなかに反対の人もいるだろうし、後者のなかに賛成の人もいるであろう。

重要なのは、いずれの党に投票したにしろ、自衛隊のイラク派遣に賛成する人々の多くが自衛隊のイラク派遣は戦争で困っているイラク人を助けるためのものであって、イラク人を殺すためのものではないと考えていることである。

小泉内閣も自衛隊の派遣はイラクの復興を助けるためであると言い、前記の基本計画案でも自衛隊の活動として浄水・給水、医療、生活物資の配付、輸送活動を挙げ、文民の活動として電力供給、医療、教育などを挙げている。私はこのような救援活動に賛成である。しかし、そのために自衛隊を派遣する必要はないと考えている。

国境なき医師団や海外青年協力隊などをはじめとしてそのようなことを専門とする人々や集団はたくさんあるし、今も活発に活動している。政府はこのような活動を積極的に支援するとともに、イラクの現状にそくした文民の救援活動を展開すれば良い。

自衛隊が本当にイラクの人々を助けるために行くのであるならば、自衛隊は武器を持たないで行くべきである。自衛隊は日本の災害復興支援のときには武器を持って行かないであろう。そのような物は救援活動の邪魔になるだけである。

現に戦争が続いているイラクで復興支援を行うことは危険である。それは当たり前である。だからといって、赤十字や国境なき医師団は武器を持っては行かない。どうしても現地の人々の理解が得られず命が危険にさらされるときには引き揚げれば良い。助けに行って、助けることを続けるために助けるべき人を殺してはならない。それでは何のために行ったのかわからない。人道的援助は人道的に行うべきである。

小泉内閣は自衛隊に短銃や機関銃に加えて自爆テロ対策として携帯式の対戦車弾や無反動砲を携行させるといわれている。これは復興支援の道具ではなく、人を殺し、物を破壊する道具である。このような兵器を装備した自衛隊員を見たときにイラクの人々はどのように思うであろうか。復興支援のためではなく、アメリカ軍を助けてイラク人を殺すために来たと考えて何の不思議があろうか。

自衛隊は武器を持たないでイラクに行き、復興支援に従事することによって日本国憲法の下での自衛隊が果たすべき役割を世界に示すことになる。災いを転じて福とすることができる。

今回の選挙で当選された衆議院議員が参議院議員とともに国会の場でこの問題を真剣に審議されることを皆さんを国会に送りだした主権者の一人として強く要求する。

「特定非営利活動法人地球宇宙平和研究所」正式発足1周年記念日にあたって

中西 治

私たちの研究所は2002年5月2日に正式に発足しました。それから1年が経過しました。この間に私たちの研究所は目覚ましい発展を遂げました。設立総会時に45名であった会員は現在では正会員68名、賛助会員13名、計81名の大きな研究所になりました。これもひとえに皆様のご支援・ご努力の賜物であると深く感謝しています。心から厚く御礼申し上げます。

私たちの研究所はこの1年間に多くの活動をしましたが、この機会に今回のイラク戦争をめぐって研究所の内外から寄せられた多くの貴重なご意見に関連して私の考えを述べさせていただきます。それは私たちの研究所の性格と今後の活動に大いにかかわっているからです。

研究所の中にはイラク戦争に反対する声明を研究所として出すべきであるとの強い意見がありました。これはもっともなことです。地球と宇宙の平和をめざす研究所として現に起こっている戦争について意見を表明することは当然です。しかし、私たちの研究所は声明を出さないで、別の方法を選びました。研究所の内外を問わず、この問題についての意見を研究所のホームページを通じて交換するという方法でした。何故このような方法を採ったのでしょうか。

私たちの研究所は地球上に住むすべての人に開かれています。私たちの一致点は地球と宇宙の平和を大切にし、人間の幸せを望むということです。私はこのような考えを持つすべての人に私たちの研究所に入っていただきたいと願っています。

私たちの研究所にはさまざまな考えをもっている方がおられます。今回の戦争についても地球と宇宙の平和を望みながらも、サダム・フセインの支配を覆すためにはイラクに対する攻撃が必要であると考えている方もおられるでしょう。もしも私たちの研究所が今回の戦争を非難する声明を出したとしたならば、その方々の考えを無視し、排除したことになります。私は会員の方が不愉快な思いをされるようなことをしてはならないと思っています。

私は今回の戦争について二度私の考えを率直に述べさせていただきました。その考えはいまも変わっていません。しかし、私は私の考えで研究所の意見をまとめるつもりは毛頭ありません。私は私たちの研究所がすべての人にあらゆる問題について自由に意見を述べる場を提供したいと考えています。そして、それをお読みになられた方々が自分の考えを固められ、それぞれの場で活動されても良いし、活動されなくても良いと考えています。

私自身は2001年の9・11事件に続くアフガンのタリバン政権に対する戦争と2003 年のイラクのフセイン政権に対する戦争などの問題を根本的に解決する方策として、すでに国際連合の拡充・発展と個人およびその集団による新しい地球安全保障機構と地球経済財政金融機構および地球警察の創設を提案しています。また、東アジアの平和を強化するために具体的な提案をし、活動をするつもりです。

歴史は指導者によって作られているように見えますが、実際は民衆によって作られています。指導者が民衆を使っているように見えますが、実際は指導者は民衆によって使われているのです。民衆の願いを正しく理解し、その実現のために努力するとき指導者は英雄となり、天まで持ち上げられますが、民衆の願いから離れ、それに反する行動をするようになったとき指導者は地獄にまで突き落とされるのです。しかも、同じ民衆によってです。私はそのような場面をこれまで何度も見てきました。

サダム・フセインにしてもしかりです。彼が多年にわたってイラクの最高指導者としての地位を維持できたのにはそれなりの理由があったからです。彼はそれまで外国の欲しいままにされてきたイラクの石油をイラク国民のものに取り返したのでした。彼は確かに専制的な指導者でした。しかし、専制的という点ではお隣のサウジアラビアの方がはるかに専制的であるし、アジアには朝に王を批判すれば夕方には捕まって獄に入れられるという国が今でもあるのです。アメリカはサウジアラビアの王侯はアメリカの言うことをよく聞くから守り、サダム・フセインはアメリカの言うことを聞かないから潰すということをしているのです。だから、アラブの多くの人々は怒っているのです。

2003年4月の統一地方選挙で私たちの研究所の方がお二人それぞれ異なる政党から立候補され、見事に当選されました。私はこれを心から喜んでいます。私は近い将来に私たちの研究所の方々が地方公共団体においても国政においてもあらゆる政党から、または、政党に属さずに立候補され、当選され活躍されることを願っています。私は日本国だけではなく地球社会全体でも私たちの研究所の方がさまざまな面で活躍されることを祈っています。そのような人が増えたときに地球と宇宙の平和はより確かなものになるでしょう。

21世紀は地球上に住むひとり一人の人間が地球社会の主人公の時代です。私は私たちの研究所をこの時代にふさわしい組織にしようと願っています。これまでの多くの組織は組織の長を頂点とする階層的な垂直的構造であり、構成員を組織に合わさせようとしてきましたが、私たちの研究所はすべての構成員が平等である水平的構造であり、構成員を組織に合わせるのではなくて、組織をひとり一人の人間に合わせるような研究所にしたいと願っています。現在はひとり一人の人間が地球社会に直接影響を与えることのできる時代です。

私は新たな気持ちをもって正式発足2年目に入る研究所の活動にいっそう積極的に取り組むつもりです。皆様の変わらぬご指導・ご支援をお願い申し上げます。

イラク問題についてはここで一旦論議を打ち切ります。次に朝鮮・韓半島の情勢と有事立法の問題についてご意見をお寄せ願えれば幸いです。

欲望の肥大化から生まれる戦争 ―米国の対イラク戦争

吉野 良子

私は、世界平和を希求する市民として、イラク戦争の即時停戦を強く求めます。イラク市民と双方の若い未来ある青年を、無駄に死なせるわけにはいきません。と同時に、イラクのみならず、核兵器を含む世界中の大量破壊兵器の撤廃を要求します。

この原稿を書いている今この瞬間にも、突如空から降ってくる「怒りのかたまり」に対して、身を守るためのなんら有効な手段を持たない市民が、私と同じような生身の人間が、無惨に殺されていく姿を想像するだけで、怒りで心がふるえます。

しかしながら、このような悲惨な現実も、イラク市民にとっては「日常」なのです。湾岸戦争以来、イラクは断続的に空爆を受け続けています。イラク国民に してみれば湾岸戦争から今日にいたるまで、「戦争は一度も終わっていない」のです。空からの直接的攻撃だけでなく、経済制裁という名で正当化された間接的 攻撃もまた、国民生活に与える影響は大きい。1982年には4219ドルだった国民一人あたりの年間平均所得は、93年には485ドルにまで落ち込み、今 日では約300ドル程度と考えられています。時に激しく、そして、じわりじわりと国際社会、特に米国は、「打倒フセイン政権」「民主主義の確立」という キャッチフレーズのもとにイラク国民を抑圧し続けてきたのです。

それだけでは飽きたらず、ブッシュ大統領は、自国民のみならず世界中の民衆が戦争反対の意思を示し続けたにもかかわらず、戦争を開始しました。「大量破 壊兵器」の解体および「テロリスト」の撲滅、イラクの民主化など、戦争を正当化するための美辞麗句が掲げられました。しかしながら、湾岸戦争以降派遣され てきた国連査察団による報告では、「イラクの大量破壊兵器開発システムは湾岸戦争で破壊され、すでにイラクは武器を作れない状態」にあると1998年の段 階ではっきりと述べられています。また、過日行われた安保理でのブリクス委員長の報告も、イラクに対してより誠実な対応を求める傍ら、査察と大量破壊兵器 の解体が徐々にではあるが進行しており、査察継続が有効であるとの認識を示すものでした。それにもかかわらず、「大量破壊兵器」を理由に攻撃を開始しよう とするのは、実際には、中東地域における覇権の確立、石油資源の確保、そして支持母体の一つとされている軍需産業からの強い圧力がその最大の理由だからで はないかと思わざるをえません。

2001年5月に発表された国家エネルギー政策策定グループの報告書であるチェイニー報告によれば、米国の外国石油依存度は、同年総消費量の52%から 2020年には66%に増加する見込であり、エネルギー政策の重要な課題として石油資源の輸入を説いています。先進国人口は減少傾向にあるにもかかわら ず、エネルギー消費量が増大する理由は何でしょうか。これこそまさに、人間の「欲望」の肥大化の現れではないでしょうか。

この報告書では、将来の石油調達先としてアゼルバイジャン、カザフスタン、アンゴラ、ナイジェリア、コロンビア、メキシコ等が挙げられています。これら の地域はいずれも政情不安定か強い反米感情が見られる地域です。ブッシュ大統領が着任以来進めている米国軍隊の近代化および増強は、米国本土の防衛もさる ことながら、これらの政策目標実現に向けた手だてだと考えられないでしょうか。2004年の国防予算案は前年度比の4.4%増と見込まれています。さら に、9・11以後米国は「大量破壊兵器を使いそうな敵性国家に対する予防的軍事力の行使を可能とする」という新たな概念を戦略思考に加えました。

これら一連の流れから推察されうることは、ハンプシャー大学マイケル・クレア教授が的確に形容したように、今回の戦争が「米国の支配のための戦争」では ないかということです。G・ジョン・アイケンベリーはもっと明確に、米国の「野望」を「米国がそれに匹敵する競争相手を持たず、世界の指導者・庇護者・用 心棒として、いかなる国家も同盟も挑戦できない一極支配の世界」の確立だと、フォーリン・アフェアーズに書きました。ここから、自らの欲望を肥大化させ、 ついには大きくなりすぎて滅びゆく帝国の末路を想像することは、性急に過ぎるでしょうか。トインビーの文明論はアメリカには当てはまらないのでしょうか。

しかしながら、このような動きはあくまでも米国における一部の突出した部分でもあることを、私たちは見逃してはならないと思います。というのも、米国政 権内部には従来、「体制の変化により中東地域の安定が回復に至る」と考える現実路線と、「イラクを中東地域の自由主義と親米主義のオアシスに変えることを 目標とする」新保守主義の対立が存在してきたからです。また、70を超える米国市議会が反戦決議を採択し、今後約100の市議会も可決予定との報道もあり ました。すでに起こってしまった戦争に対してノーと叫び続ける市民運動の台頭も無視できない存在です。

日本はどうでしょうか——。中東とも良好な関係を維持する日本は、今こそ平和憲法の精神をかかげ、平和のためのリーダーシップを発揮すべきです。戦争の始まりを止めることはできなかったとしても、戦争の終わりの始まりを押し進めることはできると思うのです。

爆弾が降ってくる空の下には、いたいけな子どもたちや、たくましく日々の生活を営んでいる母、家族を守り支えている父が、そこにもまたいることを私は決して忘れません。

歴史に学べないブッシュ大統領 ―民衆が立ち上がったベオグラード―

その他

投稿者:小林 宏紀

はじめにイラク−アメリカ間からは視点を移して、イラク戦争に対する意見を述べる。

筆者は、このたびのイラク攻撃に反対であり、即時停戦を要求する。過去に実行された、人道的介入と称された軍事の展開や支配者への武力制裁の実態をこの 目で見てきたからである。それは相手国を焦土と化する戦略であり、一般市民の殺害以外のなにものでもなかった。同じことがまた始まったのである。

1999年のNATO軍によるユーゴスラビア空爆を想起されたい。

コソボ紛争の根源は深いが、コソボのセルビア化を進めたミロシェビッチ氏がその火付け役と言える。90年代前半、ユーゴスラビア中央政府と独立を宣言し たコソボのアルバニア人は一触即発の状態となる。ミロシェビッチ氏はユーゴスラビア連邦大統領となるや、アルバニア人による反中央政府のデモを弾圧する。 これに対しアルバニア人組織コソボ解放軍はテロで対抗する。98年3月、ミロシェビッチ氏のセルビア軍はコソボ北部に侵攻。米英仏ロ独伊のグループが仲介 を試みるも効果なく、セルビア軍のコソボ弾圧は続く。コソボ解放軍側もアルバニアからの支援を受けて盛り返し、コソボ紛争は激化する。そして多くの難民が 生まれた。同年9月にはアメリカ主導の国連安保理がセルビア軍の即時撤退と停戦を勧告し、NATO軍による空爆をほのめかされたミロシェビッチ氏はひとた びこれを受諾する。しかしこの年の暮れにはセルビア軍とコソボ解放軍との間で再び武力衝突が始まる。99年に入りミロシェビッチ氏は、停戦を監視していた OSCE(欧州安保協力機構)部隊の撤退を要求し、コソボのアルバニア人に向けての虐殺も始まった。アメリカはNATOを通じて交渉を行なうが、コソボに いかほどの自治権を与えるかで話はまとまらず、3月24日、NATO軍によるユーゴスラビア空爆が開始されるのである。空爆は78日間続いた。空爆を停止 した後、NATOが組織するコソボ平和維持部隊がコソボに駐留し、国連はユーゴスラビアの主権を認め、同時に国連コソボ暫定統治機構を組織する。コソボの 独立については未確定のままであった。

NATO軍による空爆、それはユーゴスラビアのインフラを徹底的に破壊するものであった。日米における報道では、誤爆につぐ誤爆。病院、学校、中国大使 館、あらゆるものが破壊された。多くの市民が犠牲となった。攻撃は政府・軍事施設に対してピンポイントで行っているはずであったが、市街地にクラスター爆 弾が投下され、民間人の乗る列車に向けて誘導ミサイルが発射された。当然現地において誤爆などという捉えはない。延命したミロシェビッ氏がセルビアの勝利 宣言さえする中、この空爆は、NATO軍の駐留地の拡大以外、何を達成したといえようか。

2000年9月、ユーゴスラビア大統領直接選挙が実施される。ミロシェビッチ氏の人権抑圧行為を理由として経済制裁が課され、度重なる戦争とでユーゴス ラビアの経済疲弊は当然激しいものであった。而して選挙は野党連合の圧勝。ミロシェビッチ氏は選挙の無効を主張し、やり直しを要求する。セルビア民主野党 連合は全国規模でゼネストを決行。コシュトゥニツア候補は第一次投票において当選を認めない連邦選管と政府に対して抗議する。10月5日、首都ベオグラー ドにおける野党連合の集会に集まった民衆は数十万と言われる。怒りの民衆が大統領府を取り囲む。まずユーゴ軍指導部がミロシェビッチ氏側に立つことを放 棄。翌6日、ミロシェビッチ氏は敗北を認める。民衆の行動が、民衆の祈りがユーゴスラビアの政治を変えたのである。

2003年3月22日、ニューヨークでは10万人規模の反戦デモが行なわれた。真実を知ってからのアメリカ市民の行動はさすがである。しかしブッシュ大 統領には中東の平和を語る資格は一切ない。イスラエル軍はあれほどまでに国連決議を無視してパレスチナ占領を続けてきた。にもかかわらず、アメリカ政府は イラクを攻撃しているこの今、更にイスラエル政府に対して100億ドルもの軍事資金を与えているのである。

日本政府は、フセイン大統領への武力制裁を支持するならば、なぜもっとその方法論についてアメリカ政府に意見できなかったのか。—フセイン大統領が武装 解除しないならばイラク市民の死は致し方ない—このような論理を通らせるしか手立てがなかったと言うのか。日本政府はアメリカ政府を支持しても、武力行使 の方法の議論において、イラク市民の生存が確保できないならば、これを理由に攻撃の実行には待ったをかけるべきであったのだ。湾岸戦争の後、日本国民の税 金で築いたイラク社会を破壊し、何より市民の生命を奪う行為を支持するとは何事であるか。

20世紀の人類は二度にわたる世界大戦をはじめ多くの戦争を起こした。しかし人類は、問題をあくまで話し合いで解決することの価値にようやく気づき始め た。様々な取り組みを必死に行い、新たな国際法、新たな国際機関を構築してきた。先のミロシェビッチ氏が送られた国際刑事裁判所などもその一つである。仮 に騙されても裏切られても、あくまで対話を試みるという姿勢を知ったことは、人類の大きな成熟である。これを放棄してはならない。

戦争と市民の力

その他

投稿者:佐藤 智子

戦争とは、生身の人間が意味もなく殺されること。私の単純な定義です。

どんな新型爆弾が開発されようと、軍事技術がどれほど精密化しようと、使えば人が死ぬでしょう。一人も死なせず戦争ができるでしょうか。

イラク戦争が始まって10日が過ぎました。イラクの民間人にも米兵にも毎日のように死者が出ています。3月24日、パウエル国務長官はFOXテレビに出 演して、「今のところ犠牲者は大した数ではない」と語ったようですが、「大した数」と「大したことではない数」の線引きはどこでするのでしょうか。米兵に 死者が出て、ブッシュ大統領はショックを受けたという報道もありました。自分で戦争を吹っかけておいて、事前にそんなことすら思い巡らさなかったのでしょ うか。なんと乏しい想像力かと思います。

テレビに流れる映像で戦争を実感するのは難しい。でも、もし、ミサイルが投下されるその地に自分がいるとしたらどうでしょうか。そんな危険にさらされる恐怖を少しでも想像してみたら、許せるでしょうか。耐えられるでしょうか。

今年に入って、反戦運動がかつてなく世界的に広がりました。国連査察団は査察の継続を要望していましたし、国連安全保障理事会も武力行使は容認できない という方向に傾いていました。世界的にみて、戦争は阻止すべきだという声が、細い渓流から少しずつ水かさを増しているように見えました。もしかしたら、こ の戦争はなんとか回避されるかもしれないと、私はひそかに期待していました。淡い期待だったようですが。

なぜ、ブッシュ大統領の暴走を止められなかったのでしょうか。この戦争で私がいちばん考えていることです。その問いかけは、政治家でも外交官でもない者が戦争を阻止するために何ができるか、何をすべきかという答えにつながると思うからです。

ブラジルの作家、パウロ・コエーリョさんが「ありがとう、ブッシュ大統領」というメッセージを世界の主要メディアに寄せています。一部を抜粋しますと、こんな内容です(原文ポルトガル語、訳:旦敬介、『朝日新聞』3月19日夕刊)。

「ありがとう、今世紀、ほとんど誰にもなしえなかったことを実現してくれて——世界のすべての大陸で、同じひとつの思いのために闘っている何百万人もの人を結びあわせてくれて。その思いというのは、あなたの思いとは正反対のものであるのだが」

「ありがとう、すでに起動してしまっている歯車をなんとか止めようとして街路を練り歩く名もなき軍勢である私たちに、無力感とはどんなものかを味わわせてくれて。その無力感といかにして戦い、いかにしてそれを別のものに変えていけばいいのか、学ぶ機会をあたえてくれて」

反戦運動は弱まることなく今も続いています。日本でも各地で即時停戦を求める声があがっています。たとえば、WORLD PEACE NOWのホームページを見ますと、さまざまな参加の形態があることがわかります。人々を動員して、一つにまとめて抗議行動を起こすといった運動ではありません。ピースウォークに参加したいと思えば、一人でも友だちとでも参加でき、大きな声を出 すもよし、静かに歩いてもよし、音楽を奏でてもよし。反戦映画上映会のお知らせもあれば、高校生の活動も紹介されています。

また、国連には「平和のための結集」と題する決議があります。これは、「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為」に直面した安保理が常任理事国の全 会一致の合意が得られない場合、総会を緊急に招集できるよう規定したもので、この決議の発動を日本の国連大使にネット上で要請することもできます。

一人ひとりの行動は一見ばらばらで、それで力になるのかと疑問視する向きもあるでしょうが、お仕着せでないから、個人が自分の意思で参加するから力にな りうるのではないでしょうか。たとえ、まだ力不足だとしても。無力感に陥らず、私は市民の力を信じたい。そして、そういう市民の一人でありたいと思ってい ます。

イラク攻撃に思う

その他

投稿者:木我 公輔

イラクの隣国シリアに昨年から在住しています。今回の米国主導の対イラク戦争に私は反対です。侵略者は米英の側です。反対の理由は、戦争による犠牲と他国 の武力による体制転覆が国際社会にもたらす弊害です。イラクの現体制によって、イラク国民が抑圧されているのは確かですが、彼らの大統領は彼らが決めるべ きです。イラク国民は抑圧的なサッダーム=フセイン体制に不満を持っていますが、空爆による死を求めていません。

米英のイラク侵攻開始から9日が過ぎました。私は毎日自宅でこの戦争の報道を見ています。1991年の湾岸戦争とこの戦争が大きく異なるのは、カタルの 衛星放送アルジャジーラなどによってミサイルや爆弾の飛んでいく方向、攻撃を受けるイラク国民の様子が同時に世界に発信されていることでしょう。11年前 の湾岸戦争の際、私は高校生で米軍の艦船からミサイルが次々と発射され、飛行機が爆撃を加えていく映像を見せられました。当時の私にはこれがまるでテレビ ゲームのように感じられました。

日本では規制のため、放映されていないかもしれませんが、バスラの病院の様子が撮影され、放映されていました。運び込まれた子供の腕の肉が剥ぎ取られ、骨が見えていたのです。空襲で殺されたバグダード市民の死体も見ました。

ブッシュ大統領は小泉首相との電話会談で「罪なき人々の最小限の犠牲」で勝利すると述べました。これら犠牲になったイラク国民は何のための犠牲なので しょうか。大量破壊兵器の発見、破壊でしょうか。しかし、大量破壊兵器を失くすための戦争で、大量破壊兵器が使用されているのです。しかも、米軍は300 箇所以上の疑わしい大量破壊兵器関連施設のリストをもっていて、イラクの大量破壊兵器開発の証拠を探すのだといいます。なぜ、このリストを国連査察団に渡 さなかったのでしょうか。実際に米国が査察団に渡したのは稚拙な偽造文書でした。

多くのシリア人が、アラブの石油支配こそが米国の真の戦争目的であると考えています。しばしば、彼らはイスラエル建国以来のアラブに対する一貫した米国 の陰謀を指摘します。彼らは学者でもなんでもなく、普通の市民の直感的な考えです。私には今回の戦争を見て、こうした考えがかなり本質をついているように 思えます。

現地での対日感情も微妙なものになっているようです。シリア人はそれほどでもありませんが、シリア国内のパレスティナ人たちの中には、日本人に日本政府 の攻撃支持をなじる人もいたそうです。小泉首相の攻撃支持表明はこちらでも報道されています。こちらの人たちは日本政府の態度も日本での反戦デモのことも 報道を通してよく知っています。

日本は中東で植民地をもった経験がありません。だから、中東の人々は大変親日的で、欧米諸国との関係とは違うのだとよく言われてきました。しかし、今回 の攻撃支持表明で中東で日本は初めて手を汚したように思えます。アラブ世界の人々の恨みを買うことは日本の国益にかなえるとは私は思えません。北朝鮮の脅 威が支持の理由とされていますが、武装解除に応じても攻撃されるのでは、誰が軍縮に応じるというのでしょうか。むしろ、中途半端な武装ではなく、核武装を もって攻撃を抑止する方向に向かうのではないでしょうか。

戦争が始まってしまった現在、求められるのは、停戦と米英軍のイラク領内からの即時撤退です。その上で、査察団の望む期間をもって査察を再開し、イラクの復興・民主化に向けた国際社会の努力が為されなければならないと私には思えるのです。