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外来と伝統

わたなべ ひろし

近代における欧米の所産である「民主主義」というものは、欧米社会自身が近代国家を建設する上で自分たちの理念としたというばかりではなく、外へ向けてのひとつの発信でもあった。そしてその発信に呼応して、非欧米地域を含め、世界中からの返信がなされてきた。例えば中国の革命がそうであろう、ヴェトナム戦争がそうであろう、旧植民地の独立がそうであろう。

その結果、欧米諸国は、自分たちが創り出し、自分たちのものであると考えていた「民主主義」というものが、ある意味非常に発展というか、成長した姿を目の当たりにすることになる。「なるほど。我々の民主主義というものは、このような潜在力、可能性を持っていたものであったのか」という具合に。そしてそのことをもって、欧米諸国自身もまた自分たちの「民主主義」というものを、改めて問い直すことになる。

ただその際、返信をする側も、外来のものである「民主主義」の理解を全くの真空状態から始めるわけではないだろう。「欧米のこの考えは、我々のことばでいうと何に当たるのだろうか?」という具合に、その外来物に対する自身の理解を固めていくはずである(と思う)。そしてそこから自分たちの歴史や伝統に対する再認識も生まれてこよう。ここに良い意味でも悪い意味でも「伝統」と「外来」の結びつく背景がある。

コミュニケーションというものの核心は、「自分が相手に向けたことばが、その相手を通して自分に投げ返されてくるとき、それはより深い新たな真実をはらんで返ってくるという点」(岡本夏木)にある。そして「民主主義」を介した世界的な発信と応答の歴史は、まさにこのコミュニケーションの核心を地でいったものであった。このように人類は相互に影響し合いながら、「民主主義」というものを共通の財産として発展させてきたのである。

そして日本の近・現代史もまた、欧米諸国の発したことばの束(=文明)に対する呼応のひとつであった。日本は近代化=欧米化を国家的指針とし、その観点から欧米のあらゆる文物を精査すべき対象として吟味してきた。後追いするものが先行者に倣おうとする場合、先行者の有する特徴・本質を純粋化、あるいは極端化することで効率的に理解なり、受容しようとするものであり、日本の場合はその典型であった。つまり日本に入って来る欧米の文物は、いかなるものも純粋化、極端化を通って認識されることになる。

小西豊治『憲法「押しつけ」論の幻』を読んで、僕は今述べてきたようなことを考えた。小西さんは、日本政治思想史・日本法制史、特に自由民権期の憲法構想研究の専門家であり、そんな著者が「現行憲法を見れば見るほど、自由民権期憲法構想の精髄が表現されているように思えてならないのだが、誰も言おうとしないのが、不思議でならなかった」として、6~7年かけて著したのが本書であるという。

この本の中に次のような場面が出てくる。

「ノルマン氏が総司令部の人たちから「日本に民主主義的な伝統があったのか。」と聞かれたので、「あつた、植木枝盛という人がいた。ミスター鈴木はそれを研究している。」ということを彼らにすでに教えていたわけです。」(pp. 106~107)

「ノルマン氏」というのは、カナダ人の日本研究者であるハーバート・ノーマン(1909~57年)のことである。彼は当時カナダ外務省から少佐待遇で総司令部に派遣されていて、マッカーサーの信任も厚かったという。また「ミスター鈴木」というのは、大日本帝国憲法の成立史、特に自由民権期の私義憲法案の研究者(つまり小西さんの専門と一緒ということになる)鈴木安蔵(1904~83)のことで、当時彼は民間の「憲法研究会」に参加し、憲法草案の作成に励んでいた。そして鈴木が草案作成に際して依拠していたのが、自由民権運動期の私議憲法、なかでも植木枝盛の「日本国国憲案」であった。植木の「国憲案」は非常にラディカルなもので、その特徴はフランスに学んだ主権在民と人権保障の徹底であり、革命権や国籍離脱の自由まであったという。

ここから分ることは、当時の占領軍は自分たちの民主主義を被占領国である日本に一方的に押しつけるのではなく、日本に民主主義的伝統が存在するのであれば、それに根ざしたものを作ろうとしていたということである。そしてそのような意志があったが故に、ノーマンを介して鈴木安蔵の憲法草案と植木枝盛と彼を生み出した自由民権運動という日本の「民主主義的伝統」に辿り着くことができたのである。

ところで小西さんが本書を書くに当たって、もうひとつ別の裏テーマ(?)があったような気がする。それは「イラク戦争」である。

小西さんによれば、ブッシュ米大統領がイラク戦争に踏み切った理由として「イラクへの武力制裁」と「イラクの民主化」の2つがあり、「イラクの民主化」実現の裏づけとして、「第二次大戦後、ファシズム日本がデモクラシー国に生まれ変わったという成功体験がある」のだという。そして同じ戦後占領でもイラクの民主化は上手くいかず、日本の民主化は成功するに到ったその理由を、日本の民主化の成功には日本の近現代史に通暁したノーマンの存在が大きく、現在のイラン占領軍の中にはノーマンのような存在がいないためであると著者は述べている。

小西さんの言うように、確かにノーマンの不在ということは大きいと思う。しかしそれはイラク占領が上手くいかない原因なのではなく、現在のような占領政策からくる当然の結果なのだ。それは、はなからノーマンの存在など必要としてはいない。

僕は現在のイラクにも鈴木安蔵や植木枝盛はいると思うし、「民主主義的伝統」(それは形は違うかもしれないが)は存在していると思う。問題なのは、「イラクに民主主義的な伝統があったのか。」と真摯に問う人間が、占領軍(つまり僕たち)の側にいないということなのである。そしてそれは、自分たちの「自由主義」や「民主主義」は絶対に正しいものとして、一方的にイラクに「押しつけ」ようとしている、今の占領軍(つまり僕たち)の閉じられた思考に原因している。そこでは自分で発している言葉に対する自省というものが決定的に欠落しているのである。

自分たちが呼号している「自由」や「平和」や「民主主義」ということばそのものを見つめ直してみることが、今必要なときなのである。そうすればイラクの人たちの声も聞こえてくるようになるのだろう。

陸上自衛隊のイラク撤退にあたって ―日本の自衛隊をふたたび外国に出してはならない―

中西 治

小泉純一郎首相は本日、2006年6月20日13時、イラク南部のムサンナ州サマワに派遣している日本の陸上自衛隊をイラクから撤収させると発表しました。私はアメリカ合衆国が2003年3月19日にイラクに対する戦争を開始した当初から、この戦争に反対し、これに加担する日本の自衛隊のイラク派遣に反対してきました。2003年12月9日に日本政府がイラクへの自衛隊の派遣を決めたあと、私は時に応じて何度も自衛隊のイラクからの撤退を求めてきました。いろいろと理屈をつけていますが、今回の戦争は米国のイラクに対する侵略戦争であり、米国の側に何の大義もありません。3年3か月の戦争のなかで攻撃をうけたイラクだけではなく、攻撃をした米国にも多数の犠牲者が出ています。日本人も外交官2人と民間人3人の計5人の文民が命を失いました。戦争はまだ続いています。殺し合いは終わってはいません。戦争は泥沼化しています。

米国、英国、オーストラリア、日本などは戦争からの出口を求めています。小泉首相はムサンナ州の治安維持の権限が英国とオーストラリアからイラク政府に委譲された機会をとらえて陸上自衛隊の撤退を決定しました。私は小泉首相のこの決定を、遅きに失したとはいえ、歓迎します。イラクでの戦争をただちに全面的に止めさせなければなりません。米国軍はイラクから出て行かなければなりません。自衛隊のイラク派遣は私たち日本人に多くのことを考えさせました。一部の日本人は人道支援という言葉に惑わされました。日本政府は今年(2006年)3月までにムサンナ州を中心に電力、保健、水・衛生などで15億ドル(約1720億円)の無償支援をしたといわれています。このような援助を行うために本当に自衛隊を派遣する必要があったのでしょうか。自衛隊よりも効果的にこのような支援を行う人材と組織は日本に存在しないのでしょうか。このさい自衛隊を災害時の人道支援のための救援組織に改組することを真剣に検討してみてはいかがでしょうか。人道支援・災害支援のために武器は必要ありません。イラクの問題はイラク人が、アラブの問題はアラブ人が、地域の問題はその地域の人々が解決すべきです。その地域の人々で解決が難しい問題を他の地域の人が簡単に解決できるわけはないのです。自衛隊が武器をもって紛争地域に行くのは今回を最初で最後としましょう。なかには恒久法を制定して、いつでも自衛隊を外国に派遣できるようにすべきだとの意見がありますが、これは論外です。外国に軍隊を送るのに慣れてはいけません。はじめは処女のごとく、おわりは脱兎のごとし、といいます。その道は戦争への道であり、日本をふたたび破滅させる道です。

イギリスの非暴力による平和の闘士 ―Brian Haw―

高橋 勝幸

今年の3月も全世界でイラク侵略と占領に反対するデモが繰り広げられた。そのデモに合わせて、一通のEメールがイギリスから届いた。ブライアン=ホーさんの支持者からのメールである。

私は2005年3月25日、その人に会った。昨年の3月19日、ロンドンの反戦デモに参加して、もらったカードを頼りに会いに行った。

ブライアンさんは議会広場に陣取って、平和を訴える。イギリスとアメリカのイラク政策に抵抗して、議会広場にいる。イラクに対する経済制裁、侵略、占領に反対して、2001年6月1日から居続けている。

私が日本から来たというと、ブライアンさんは、イラクで急増している白血病やガンに苦しむ子どもたちや奇形児の展示写真を案内してくれた。というのも、それらの写真は日本人が撮影したものだからである。フォトジャーナリストの森住卓氏が1998年より撮影した、湾岸戦争で米英軍が使用し た劣化ウラン弾で被爆したイラクの子どもたちがブライアンさんを抗議に駆り立てたのである。

「私は湾岸戦争の子どもたちによって目を開かれた。イギリス軍が犯した子どもたちへの放射能被爆に対してイギリス人として、一市民として本当に申し訳ない。かれらにはケアーが必要だ。私は抗議して4年間座り続けている」、と。

ブライアンさんが議会前に座り続けて、5年が経とうとしている。この間、ブライアンさんは何度も、逮捕によって立ち退かされ、展示物を取 り壊され、また、暴力を振るわれた。幾度も起訴され、勝訴した。2005年4月7日、ついに「2005年重大組織犯罪及び警察法」が成立した。この法律は 2005年5月5日の総選挙をにらんで、労働党が治安強化をアピールするために性急に法制化した、異議申し立ての自由を剥奪する悪法である。その第132 条は「議会広場から1km以内の、主務大臣が命令によって指定区域とした場所において、許可を受けていないデモを行うことを逮捕可能な犯罪とし、組織した 者には最高で51週間の拘禁刑と罰金2,500ポンドを科し、参加者には罰金1,000ポンドを科する」(岡久慶「2005年重大組織犯罪及び警察法− 「イギリスのFBI」設置へ」『外国の立法225』)と規定している。この規定の標的こそ、ブライアンさんなのです。これまで11人が警察の許可なしに議 会周辺のデモに参加したために有罪となり、その多くはブライアンさんの支持者であった。しかし、2001年6月から抗議しているブライアンさんには法律の 遡及効果がないと高裁は判定している。ブライアンさんは議会前での抗議の権利を守るためにも戦っている。

ブライアンさんの行動と勇気は、平和と正義のための運動に元気を与え続けている。

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議会広場で子どもたちのために抗議を続けるブライアン=ホーさん (2005年3月25日筆者撮影)

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森住卓氏が撮影した、米英軍による劣化ウラン弾で被爆したイラクの子どもたちの展示

「イラク」抜きの平和論

わたなべ ひろし

フリーライターの永江朗さんが、自著である『批評の事情』の文庫化に伴い、その「あとがき」で、「9.11」に関連して次のように書いている。

同時多発テロの犠牲者は気の毒ですが、しかし、パレスチナではイスラエル軍によって毎日のように非戦闘員が殺されているのだし、キューバでは長期にわたるアメリカの経済封鎖によって人々は困窮しています。不幸なのはアメリカ人だけではない。(中略)正直いって私は、同時多発テロの犠牲者だけ特別に同情したりする気になれません。もちろん「ざまあみろ」とはいわないけれども、「そういうこともあるか」という程度なのが正直な気持ちです。そしてそれは、アメリカの同盟国である日本に住む私や私の妻や友人がテロの標的にされても「そういうこともあるか」と考えるしかない、ということでもあります。私たちはそういう時代に生きている、ということをあの事件は考えさせてくれました。

先ごろのロンドンでの「連続爆破攻撃」(僕はあれをテロとは言わないことにしている)の報道に接した際、僕が感じたことは永江さんと全く同じであった。ただ永江さんとのニュアンスの違いが若干ある。「私たちはそういう時代に生きている」のは確かかもしれないが、それはとりもなおさず僕たち自身が選択したものなのだということである。もし「日本に住む私や私の妻や友人がテロの標的にされても」、それは「アメリカの同盟国」としての道を選択した僕たち日本国民の責任だということである。

例えば今回の衆院選挙結果などを見たら、国内的にはイラク問題など全く争点にもならなかったが、国際的には「アメリカの同盟国」としてイラク派兵への道をあらためて支持するということを日本国民が表明したものとして受け取られるに違いない。だってイラク状況がこれだけ混乱している中での派兵当事国の国政選挙なのだから、それが争点にはならなかったなんて国際的にはきっと考えられないことだと思う。

もちろん僕自身、彼等の攻撃対象などになりたくはない。しかし僕たちは現在の消費生活を享受するために、数ある選択肢の中からイラクへの派兵を選び覚悟の上で「参戦」したのであるから、「日本に住む私や私の妻や友人」が彼等の攻撃対象になることは、全く理にかなった正当な行為なのである(極めて残念なことではあるが)。なぜなら、ブッシュ米大統領が言うように、これは「戦争」なのだから。そしてもちろん彼等の「爆破攻撃」は、イラク派兵に反対している日本人と、賛成している日本人とにえり分けて行なわれるわけではない。

僕はイラクにおける現在の戦争状態とそこに日本の軍隊が参戦しているという事実、そして日本国民全員が、「私や私の妻や友人」がいつ彼等の攻撃対象になるかわからないという形で日常的にその代償を負っているという事実を前提にしない反戦や平和の言論は信用しない。

月刊誌の『第三文明』が、解散総選挙決定直後の10月号で総選挙についての「緊急特別企画!!」を組んでおり、そこに政治学者の河合秀和さんが見開き2ページほどの談話を載せている。河合秀和という人は、例えばイギリスにおける政治哲学の泰斗である、I.バーリンの日本版選集の編訳者であり、日本におけるリベラリズムの最良の一人であると僕などは思っていた。

その河合秀和さんによると、「自民党は財界に支えられ、左翼政党は労働組合に支持を得ていた」のと同様に、公明党は「家庭の主婦たち」に支持された政党だという。なぜなら彼が公明党の講演会に招待された際、役員も誘導係もお茶をだしてくれたのも女性だったからそう考えるというのである。そして公明党に望むこととして、河合さんは福祉と共に「平和の推進」をあげ、公明党は平和を愛する女性を支持基盤にしている政党であるのだから、平和のために貢献できることは多いと述べていた。

いったいこれは何かを言ったことになるのであろうか。

河合秀和のような「立派」な政治学者が、与党である公明党と極めて関係の深い月刊誌の、解散総選挙決定直後の特集記事において、平和について語った文章の中に、イラクのイの字も触れられていないのである。

日本の偉い学者がこんな文章をヘラヘラ書いている間にも、イラクの状況は深刻化し、日本の派兵責任も抜き差しならない大きなものになっていっているのだ。そしてその代償を負っているのは、繰り返すが日本国民全員の「日常生活」そのものなのである。

二酔人四方山問答(11)

岩木 秀樹

B:衆議院解散で、日本の夏は暑くなってきたね。

A:いや日本だけでなく、イラクでもかなりヒートアップしている。

B:え、選挙でもあるの。

A:そうじゃなくて、イラクの治安が一層悪化していて、サマワでも8月7、8日に大きな銃撃戦があり、死者2名負傷者67名がでたそうだ。

B:そんなのニュースにでていたっけ。衆議院解散のニュースばっかりで気がつかなかったよ。

A:サマワは「非戦闘地域」ということで自衛隊が派兵されたんだけれど、もし騒乱が続き、自衛隊に何らかの加害や被害があれば、「郵政選挙」から「イラク選挙」に争点が移るかもしれない。

B:サマワの騒乱の原因は何なの。

A:一向に回復しない電気や水の供給を求めて、1500人という過去最大規模の民衆がムサンナ州知事庁舎前でデモを行い、その一部が暴徒化したようだ。それにはシーア派のムクタダ・サドル師支持者も参加し、対戦車ロケット砲や手投げ弾が使用され、激しい銃撃戦もあった。

B:すごい状況だな。

A:まだある。迫撃砲弾2発が州庁舎付近に打ち込まれ、警察幹部が武装勢力に射殺され、警察車両3台が焼かれた。そのような中、州議会は知事の解任を決議し、知事は夜間外出禁止令を出した。

B:このような状況って、ほとんど戦争じゃないの。誰が考えても非戦闘地域ではないよ。ところで自衛隊は何をしているの。

A:危険なので、当然駐屯地にこもりきったまま。

B:何をしにいったんだ自衛隊は。電気や水の供給もままならず、民衆の不満は高まり、治安は悪化するばかり。危ないときは逃げて、オランダ軍やイギリス軍に守ってもらう。

A:自衛隊をなんとしても海外へ派兵したいと思っている右派勢力の思惑による派兵だ。アメリカの要請でもあるから、断れないとの言い訳もで きる。行かされる自衛隊員もかわいそうだと思う。自衛隊法第3条には「自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に 対しわが国を防衛することを主たる任務とし」とある。遠いイラクのサマワの地で任務に就くことが、わが国を防衛することなのか、疑問に思っている隊員も多 いし、その問題が日本各地で裁判になっている。

B:命令だから嫌々来て、サマワの人々からはそれほど喜ばれず、危ないときには他国の軍隊に守ってもらうなんて、自衛隊員も忸怩たる思いだろうな。

A:いや戦闘行為に勇ましく参加し、戦果を挙げるよりましかもよ。ところでサマワだけでなく、8月に入ってイラク各地で戦闘行為が続いている。

B:へーそうなんだ。

A:3日にはバグダード北西200キロのところで、海兵隊員14人と通訳1人が死亡した。道路爆弾による米兵犠牲者としては最大だ。6、7 日にかけて、米軍兵士やイラク人警察官が30人以上亡くなった。このような状況の中、アメリカの最新の世論調査では、ブッシュ大統領のイラク政策に対する 支持が過去最低の38%になった。

B:アメリカの世論もそろそろ潮時だと判断する日も近いような気がするよ。日本も撤退戦略を考えた方がいいんじゃないかな。

A:そうだね。今まで述べたこれらの数字は米兵を中心としたもので、イラク人の被害はほとんどカウントされていない。アメリカでも日本でも報道されていない。つまり人間扱いされてないということだ。このことがイラク戦争の本質を象徴していると思う。

B:そうそう、ある人が言っていたけれど。イラク戦争の始めの頃、米国の第何軍がイラクのこの町を落とし、海兵隊があの町を包囲しなどと、どのマスコミもイラク全土を俯瞰図で説明していた。あの視点は米軍の司令官の視点だと言っていた。

A:その通りだと思う。私たちも爆弾が空から降ってきて、地獄絵図となるイラクの民衆の視点ではなく、アメリカの軍人の視点でイラク戦争を見てしまった。現在の報道もあまり変わっていない。そのことは重々自戒してイラク情勢を見なければと思う。

イギリスの平和マーチに参加して

高橋 勝幸

2005年3月19日土曜日の正午、イラク攻撃2周年の前日、平和マーチはハイドパークからスタートした。私は前日の朝、新聞で、「反戦行進」の小 さな見出しに偶然にも目を留め、戦争協力阻止の強い意志を首相に示すデモが行なわれることを知った。夕刻帰途に地下鉄の駅前で、英軍撤退要求署名運動があ り、すかさず署名した。その場で、翌日の平和デモのチラシをもらった。

私は公文書館で資料を収集するために3月初旬にイギリスの地を初めて踏んだ。ロンドンは数日前からすっかり春めき、当日は汗ばむほどの陽気で、デ モに絶好の日和であった。私はハイドパークの入り口で、世界一のテロリストと書かれたブッシュの肖像のプラカードをもらい、アメリカ大使館を経由して、ト ラファルガー・スクエアまで、約6キロを約2時間かけて練り歩いた。老若男女、皮膚の色を問わず、大勢の人々が意気揚々と行進した。参加者があまりにも多 いため、アメリカ大使館を過ぎるまでは、遅々として行進が進まない。参加者は警察の推定によると4万5千人だが、主催者側は20万人と発表した。グラス ゴーとスコットランドでも平和デモが行なわれた。私は日頃の運動不足がたたり、多くの人に先を越された。しかし、歌あり、シュプレヒコールありのデモに励 まされ、何とかゴールまで辿り着くことができた。

新聞の報道によると、デモが行なわれた2005年3月19日までに、110人のイギリス人が命を落とし、その内イギリス兵はイラクで 86人が死亡した(アメリカ1,512人)。開戦時に45,000人を派遣し(全軍170,000人)、3月の時点で、8,930人の英兵が駐留していた (全軍175,000人)。2937人が負傷して引き上げ、その内824人は心的傷害を負った。(インディペンデント紙)もちろん、デモで配布されたビラ はイラクの被害者を強調し、イギリス派遣軍の撤退とブッシュによる戦争の阻止を求めた。

トラファルガー・スクエアでの集会では、平和運動団体、労働組合、学校、各種運動グループの代表がスピーチした。息子を戦場で失った母親は、「ブ レア氏は、私たちが黙ってはいないことを知らなければならない。軍隊を撤退させる時である。たった一人の母親がそう言っているのではない。世界中の母親の 言葉である」と(ガーディアン紙)。午後5時過ぎには、歌と踊りの祭典になった。集会は、国立美術館前の広場で開催されたこともあって、観光客も加わっ た。ブレア退陣や米英軍撤退を要求するプラカードをもって記念撮影する光景も見られた。

3月18日から20日にかけて、世界各地で反戦デモが展開された。イギリスでは今回のような全国規模のデモはイラク戦争以来11回目になる。主催 団体は戦争ストップ連合(Stop the War Coalition)、核兵器撤廃運動(CND)、イギリス・ムスリム協会で、これに社会主義労働者党(Socialist Workers Party)、Respect党、緑の党、共産党やパレスチナ解放支持団体などが参加した。5月5日の総選挙をにらみ、イラク攻撃に賛成した政党を不利に し、賛成した議員を落選させることも意図した。選挙直前に、法務長官がイラク戦争の合法性に疑義を進言した機密文書が暴露され、イラク戦争は大きな争点と なった。残念ながら労働党が辛勝し過半数を占め、ブレアの続投となった。しかし、小選挙区制のため議席には反映しないものの、労働党の得票率は与党として 最低の36.2%(47議席減の356)、イラク戦争に賛成の保守党は33.2%(+33の197)、イラク戦争に反対した自由民主党(+11の62議 席)は22.6%と前回より3.8%増やし、180人が次点であった。Respect党(社会主義労働者党、戦争ストップ連合が支持。議席1)などイラク 戦争に反対した候補者が活躍した。(毎日新聞)

イギリスのデモは象徴的な意味を超えて、小選挙区制度では選挙の争点になりにくい国際問題に対する国民の厳しい批判を、3期目のブレアに突きつけた。イラク参戦の責任はブレアの頭上に重くのしかかっている。

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プラカードを手に、ハイドパーク・コーナーを出発しようと待機する市民たち。

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トラファルガー・スクエアで登壇者のスピーチを聞き入る人々。背景に国会議事堂のシンボル、ビッグベンが覗く。

二酔人四方山問答(1)

岩木 秀樹

学生時代同級生だったA君とB君は考え方やバックボーンもどこか違うが、何故か気が合い、今日もまた酒を飲みながら様々な四方山話で盛り上がっている。A君は国際問題やイスラーム情勢に詳しい大学院生で、B君は会社員である。

B:最近イラク情勢の記事は一時期のことを思えば、あまり目に付かなくなったね。だいぶ安定してきているのかな。

A:そんなことないよ。むしろ治安は悪化している。4月末にイラク移行政府が発足し、シーア派とクルド人が実権を握ったことから、旧政権で実力を持っていたスンニ派の中の過激なグループや外国人勢力の活動が活発化している。移行政府発足後の死者は5月末で米兵49人を含めた610人にのぼるとされているよ。

B:へーそんなに!

A:その上、イラク人の死者数はきちんとカウントされてないんだ。5月29日には移行政府は国軍4万人を動員してバグダードを包囲し、武装勢力を掃討する「バルク(稲妻)作戦」を開始した。それに対して首都周辺地域では武装勢力による自爆攻撃などが後を絶たず毎日のように多くの死者が出ているよ。

B:そういえば、ほら日本人で警備会社に勤めている人がイラクで拘束された事件はどうなったんだろう。はっきりしたことはわからないけど、絶望的だと報道されていたよ。今回は以前ボランティアで行った人たちと違って、自己責任論はあまり聞こえなかったようだけど。最初からあきらめムードだったからかなー。

A:それもあるかもしれないけれど、自衛隊出身者でアメリカ軍を支援する警備会社、いや民間軍事会社や戦争請負会社と言った方がいいかもしれないけれど、そのような背景があるからあまり政府も非難できなかったのかもしれない。

B:今回初めて知ったよ、そんな会社があるなんて。新聞には、今世紀に入って急に民間軍事会社が増え、現在100社近くあり、報酬も要人警護をすると1人1日20万円もらえると書いてあった。正規軍に所属する人がどんどんこちらに転職するわけだ。

A:しかも米軍にとっても都合がいいんだ。米軍兵士が亡くなると内外から強い反発を受けるし、大儀の無くなった戦争に米兵の士気は落ち、治安の悪化から米兵は疑心暗鬼になり全てが敵に見え、多くの民間人を殺害している。このような状況に民間軍事会社は渡りに船というわけだ。

B:正規軍の死傷者が多くなり、傭兵に頼り、さらに民間に委託する。最近、戦争の民営化とか戦争の外注化などと言われているね。民間軍事会社にとって、現在のイラクは魅力的な市場で、治安が悪化すればするほど、自社を高く売りつけられるという構図があるらしい。

A:そうだね。イラクの復興事業費は米国だけで2兆円近くで、このうちの20%前後が警備費に回されている。民間軍事会社は巨額の事業の受注を今か今かと待っている。さらに政治家もこれらの企業の顧問などをして、治安の悪化を金儲けの道具にしている。

B:それって、戦争商人じゃないの!

A:そうだよ。戦争の継続、治安の悪化を望む会社や政治家がいるのは確かだ。それが新たな戦争原因になり、戦争形態を変えているのも事実なんだ。

ブッシュ大統領の再選、大変残念です ―2004年11月2日の米国大統領選挙結果によせて―

中西 治

ブッシュ大統領が再選されました。大統領の交代によって米国の対イラク政策の転換を願っていた私は大変残念です。しかし、全投票者のおよそ半数の5500万人以上の人がブッシュさんの戦争政策に反対したことは救いです。ブッシュさんもこの国民の意志を無視することはできないでしょう。

ブッシュさん以外なら誰でもよいといわれた大統領選挙がどうしてこのような結果になったのでしょうか。

第一は候補者の問題です。選挙はどんな選挙でも最後は候補者です。私はブッシュさんがアメリカ合衆国大統領にふさわしいとは思いませんが、「テロとの戦争」では一貫していました。私はケリ−さんは最初からもっと毅然として「イラク戦争反対」を掲げるべきであったと考えています。米国民は意志の強い指導力のある大統領を求めています。ケリ−さんはブッシュさんにくらべてひ弱に見えたのです。ケリ−さんには最後まで大衆的な人気が沸きませんでした。

第二は投票日直前の2004年10月29日にオサマ・ビン・ラディンが米国民への呼び掛けを発表し、第二の「マンハッタン」事件が起こる可能性を示唆したことです。米国民は改めて2001年9月11日の第一の「マンハッタン」事件を思い出し、ブッシュさんへの投票を増やしたと思います。米国民にとって9/11の後遺症は重いのです。選挙の流れが最後の段階で急に変わりました。オサマ・ビン・ラディンはブッシュさんへの大変な助っ人でした。

選挙結果は米国の世論が戦争と平和の問題をめぐって真二つに分れていることを示しています。

ケリーさんを支持したのは主として大西洋に臨む米国北東部の11州と中西部の4州、西部大平洋岸の3州それにハワイを合わせて19州と首都ワシントンです。獲得した大統領選挙人は252人、得票率は48%です。ブッシュさんを支持したのは主として米国の内陸中央部を占める29州とアラスカの合わせて30州です。獲得した大統領選挙人は279人、得票率は51%です。前回は民主党のゴアさんがとった中西部のアイオワ(大統領選挙人7人)は集計機械の故障でまだ結果は出ていません。

ケリ−さんを支持した地域は一般的に都市部であり、同性同士の結婚を認めるなどの人間の生き方の多様性を容認する自由主義的な傾向が強いところです。それに対してブッシュさんを支持した地域は一般的に農村部であり、同性同士の結婚などを認めない保守的な傾向が強いところです。前者と後者では自然の条件、生活の基盤、生活の仕方、ものの考え方、価値観が違います。銃に対する考え方も違います。前者は新しい米国であり、後者は古い米国です。古い米国がなお根強く存在するのです。

今回の選挙で民主党のケリ−さんを支持した州と共和党のブッシュさんを支持した州は前回の2000年の大統領選挙で民主党のゴアさんを支持した州と今回と同じ共和党のブッシュさんを支持した州とほとんど変わっていません。前回と違ったのは2州だけでした。前回はブッシュさんがとったニューハンプシャー(大統領選挙人4人)が今回はケリ−さんのものとなり、前回はゴアさんがとったニューメキシコ(大統領選挙人5人)が今回は、米国紙『USA TODAY』によると、ブッシュさんのものとなりました。共和党有利のもとで両党の地盤の固定化が進んでいます。

この固い地盤を掘りくずすためには民主党はもっと大胆な方策を講ずべきでした。たとえば、ヒラリー・クリントン上院議員を大統領候補者に起用するという思いきった策があっても良かったと思います。私は米国で最初の女性大統領が生まれるとしたら差し当たり彼女ではないかと思っています。まだ上院議員としての任期が残っており、上院議員にニューヨークから立候補するさいに選挙民に上院議員の任期途中で大統領選挙に出馬することはないと約束していましたので、彼女自身が大統領選挙への立候補を言い出すことはできませんでした。だから周りのものが今回は特別重要な意味をもつ選挙であるからといってニューヨークの選挙民を納得させて彼女を強引に引っ張り出さなけらばならなかったのです。しかし、個性豊かな人には敵も多いです。そのような動きは起こりませんでした。民主党はチャンスを逸しました。

イラク戦争の是非を大統領選挙の重大な争点とし、選挙で決着を付けたことは良かったと思います。

米国では1860年の大統領選挙で奴隷制の廃止をかかげた共和党のリンカーンが当選したときに、奴隷制の廃止に反対する南の11州がアメリカ合衆国から離脱し、それを切っ掛けとして、これらの「南」の州と「北」の23州とのあいだで戦争が起こりました。南北戦争です。このときは奴隷制維持の南の民主党が負け、奴隷制廃止の北の共和党が勝ちました。ことの是非は戦争によって決められました。

今回はイラク戦争をめぐって米国内に意見の対立が起こり、イラク戦争に反対する「東西」の民主党が負け、イラク戦争を支持する「南北」の共和党が勝ちました。今回は選挙によって米国内では決着がつけられました。

選挙は戦争よりは良い制度です。これは140年余にわたる米国の歴史の進歩と米国社会の成熟を物語っています。

米国内では一応決着がついたとしても、イラクでは問題は残っています。イラクでは米国に対する抵抗が強まるでしょう。米国は早々にイラクから撤兵すべきです。そうでなければ米国はイラクからイラク人民によって追い出されることになるでしょう。

米国は国内の問題だけでなく、国外の問題も平和的に解決する方途を考えるべきです。

アメリカ合衆国は50のステート(州=国)から成るユニオン(同盟)です。それをまとめるのは大変です。そこにはさまざまな人種の人間が住んでいます。そこには強大なエネルギーが渦巻いています。大統領選挙もこの強大なエネルギーが生み出したものであり、強大なエネルギーを消費します。それは4年ごとに行なわれる祭りです。そこで政治に対する日頃の鬱憤も晴されるのです。しかし、いまのようなやり方ではたして本当に立派な人が政治家を志すようになり、大統領になるのでしょうか。

でも、まあ、戦争をするよりは良いとしましょう。

過ちを改むるに憚ることなかれ ―香田証生さんの死によせて―

中西 治

香田証生さんがイラクで殺されました。香田さんは2003年3月にイラクで戦争が始まってから日本人としては5人目の犠牲者です。心から深い哀悼の意を表します。

なぜこういうことになったのでしょうか。それは小泉内閣が米国のイラク攻撃を率先して支持し、イラクに自衛隊を派遣したからです。イラクではこの戦争によって首都バクダットをはじめとして多くの町や村が破壊され、たくさんの人が殺されました。その数は1万人とも10万人ともいわれています。このことにイラクの人びとが怒り、戦争を始めた米国を恨み、自国の軍隊をイラクに派遣して米国を積極的に支持している国々を恨んでいるのです。

イラク戦争の直接の原因とされているのは2001年9月11日の出来事です。しかし、あの事件を実行したといわれる19人のうち15人はサウジアラビア人です。事件が起こった4日後の同年9月15日に米国があの事件の主犯と断定したのはサウジアラビアの富豪オサマ・ビン・ラディンでした。あの事件ともっとも深い関係にあったのはサウジアラビアです。イラクはあの事件ともオサマ・ビン・ラディンとも直接何の関係もありませんでした。

だから米国がことの真相を明らかにし、真犯人を罰したいというのであるならば、米国はまずサウジアラビア政府に対してオサマ・ビン・ラディンの引き渡しを要求すべきでした。オサマ・ビン・ラディンがアフガニスタンにいて引き渡せないというのであるならば、米国はサウジアラビア政府と協議し、アフガニスタン政府からオサマ・ビン・ラディンを引き渡させるようにすべきでした。米国はサウジアラビアとはことのほか親しい関係にあるのですから。

ところが、米国はそのような手順を踏まないで、同年9月20日に直接アフガニスタンのタリバン政権に対してオサマ・ビン・ラディンの引き渡しを要求し、アフガニスタンがそれに応じないからといって、10月7日にアフガニスタンに対して攻撃を開始しました。タリバン政権は潰れましたが、オサマ・ビン・ラディンは捕まえられませんでした。

ついで米国は2003年3月にイラクに対して同国が大量破壊兵器を隠し持っていると称して攻撃を始めました。しかし、ここでもサダム・フセイン政権は打倒されましたが、大量破壊兵器は見つかりませんでした。

米国のアフガニスタンとイラクに対する戦争の目的は、米国の思うようにならない両国の政権を打倒し、両国を米国の支配下に置くということだったのです。

権力を預かるというのは人の命を預かることです。人の命を預かるというのは人に衣食住と安全を保障することです。それも、自分を支持する人だけではなく、自分を支持しない人も含めてすべての人の衣食住と安全を保障しなければなりません。

香田さんの場合、この時期にイラクを旅する危険を十分に理解していなかったという不注意はありますが、そのことは決して権力を預かるものが香田さんの安全を守らなくてもよいということを意味しません。いかなる場合も権力を預かるものは国民の安全を守る義務があります。

香田さんが自衛隊をイラクから引き揚げなければ、自分の首が斬られると訴えているとき、小泉さんがそれでもテロに屈しないと公然と言うのは、香田さんは殺されても良いと公言しているようなものです。小泉さんにとっては自国民の命よりもブッシュさんとの約束の方が大事なようです。

オサマ・ビン・ラディンは2004年10月29日に11月2日の米国の大統領選挙を前にして米国民への呼び掛けを発表し、2001年9月11日の「マンハッタン」の爆破事件が1982年のイスラエル軍によるレバノンの高層ビルの爆破事件に対する報復であることを明らかにしています。さらに彼は「あなたたちが私たちの安全を台なしにするのなら、私たちはあなたたちの安全を破壊する。あなたたちの安全はブッシュでも、ケリ−でも、アルカイダでもなく、あなたたち自身の手にある。」と述べて、第二の「マンハッタン」事件が起こる可能性を示唆しています。

第二の「マンハッタン」事件を起こさせてはなりません。テロに対して国家のテロである戦争で対処し、さらに、これに対してテロでこたえるといった悪循環を断ち切らなければなりません。そのためにはまず隗より始めよ(自分から始めよ)です。日本は自衛隊をイラクから即時に引き揚げるべきです。小泉さん、もうこれ以上、イラクの人びとを殺すのに手を貸してはなりませんし、日本人に犠牲者を出してはなりません。自衛隊員もあなたが守るべき日本国民です。過ちを改むるに憚ることなかれです。

小泉内閣はイラクからただちに自衛隊を引き揚げよ! ―第20回参議院議員選挙結果によせて―

中西 治

2004年7月11日の第20回参議院議員選挙に参加した日本の有権者の半数以上は小泉内閣の内外政策に「ノー」という意思表示をした。

2001年4月26日に発足して以来、小泉内閣は落ち目になっていた自由民主党を上向きに転じさせたが、今回の参議院議員選挙で2003年11月9日の衆議院議員選挙に続いて手痛い敗北を喫した。自由民主党は小泉内閣発足前の2000年6月25日の衆議院議員選挙の水準に逆戻りした。

小泉首相が登場する前の2000年6月の衆議院選挙比例区での自民党の得票は1694万(28%)であった。それが小泉首相登場後の2001年7月の参議院選挙の比例区で自民党は2111万票(38%)を獲得し、20議席を得た。ところが、2003年11月の衆議院選挙の比例区での得票は2066万(35%)となり、今回の2004年7月の参議院選挙ではさらに減り、比例区で1679万票(30%)しか得られず、獲得議席は15にとどまった。2001年7月の参議院選挙では当時連立政権の一角を担っていた保守党が比例区で127万票(2%)を獲得し、1議席を得ていたことを勘案すると、今回の自民党の敗北はより大きなものとなる。

もう一つの与党である公明党は2001年7月の参議院選挙比例区で818万票、8議席を獲得し、2003年11月の衆議院選挙では比例区で873万票を得、今回は1000万票をめざしていたが、862万票、8議席にとどまった。同党はこれまで選挙ごとに得票を伸ばしてきたが、今回は10万票とはいえ前回の衆議院選挙比例区より得票を減らした。これは同党の将来にとってきわめて重要な意味をもつ出来事である。

なぜこうなったのか。漢書に「綸言(りんげん)汗(あせ)のごとし」という言葉がある。君子の言葉は汗のようなもので、一度口から出れば、取り消すことができないという意味である。誰にとっても言葉は重いが、君子の言葉はことのほか重い。小泉さんの言葉には首相の言葉としての重みがない。

小泉さんは憲法9条や自衛隊のイラク派遣、年金問題のような国民の死活にかかわる重要問題についてまともに答えようとせず、はぐらかし、茶化し、主権者である国民を侮辱している。国民はこれに怒っている。今回の選挙結果はこのことを示している。

小泉さんは第二次大戦後初めて多くの日本国民の声を無視して武装した自衛隊を人道支援のためと称して現に戦争が行なわれているイラクに派遣した。すべての侵略戦争は武装した軍隊の海外派兵に始まる。本当に人道支援のためであるならば、自衛隊を派遣する必要はない。人道支援のために武器は必要ない。

案の定、日本を敵視したイラクの武装勢力は日本人の若者3人を人質とし、自衛隊のイラクからの撤退を要求した。小泉内閣はこれを拒否し、3人の日本人の生命を危険にさらした。幸いにして、彼らは彼ら自身の平素のイラク国民に対する善意の行動が理解されて解放され、命を失わないですんだ。これに対して自国民の安全に責任を負う日本政府は何をしたのであろうか。彼らを言葉の石をもってぶったのは誰であったか。

不幸にして、その後、2人の日本人ジャーナリストが犠牲になった。にもかかわらず、彼らの遺族たちはイラク人に対する善意の行動を続けている。こうした日本人の善意の行動がイラクにおける自衛隊の安全を守っていることが小泉さんには分からないのであろうか。自衛隊が日本人の安全を守っているのではなく、多くの善意の日本人の行動が自衛隊の安全を守っているのである。

このようなことはいつまでも続かない。形式的なものにしろ2004年6月28日の米軍主導の占領当局からイラク暫定政府への主権の移譲は自衛隊を引き揚げる絶好の機会であった。実際にイラクから軍隊を引き揚げている国がある。しかし、小泉さんはこの機会を逃がし、国会に諮ることもなく勝手に、主権移譲後もイラクに駐留する米国を中心とする多国籍軍に参加することを決めた。

主権移譲後もイラク国内での戦争は続き、米兵の死者は25人に達し、2003年3月のイラク戦争開始後の米国などの外国軍兵士の死者は1000人を越えている。主権移譲後のイラク人の死者もおよそ200人にのぼっており、イラク戦争開始後のイラク人の死者は最大で1万3118人に達するといわれている。戦争はまだ続いており、日本の自衛隊が攻撃の対象となっても何の不思議もない。そのときに自衛隊はどのように対応するのであろうか。人道支援に行って、支援すべきイラク人を殺すことになるのであろうか。

そのことを避けるためにも自衛隊はただちにイラクから引き揚げるべきである。このことを今回の参議院選挙に参加した日本の有権者の多くが要求している。自衛隊のイラク派遣に賛成している自民党と公明党が比例区で獲得した票はそれぞれ1679万と862万、合計2541万、それに対して自衛隊のイラク派遣に反対している民主党、共産党、社民党に投ぜられた票はそれぞれ2113万、436万、299万、合計2848万である。反対の方が賛成よりも300万票ほど多い。

1996年10月に小選挙区制を導入した新しい制度のもとで衆議院選挙が実施されてから今回の参議院選挙を含めて衆議院選挙が3回、参議院選挙が3回行なわれた。この結果、衆議院選挙だけでなく参議院選挙でも2大政党化の傾向が強まっている。このことにより共産党や社民党の退潮にみられるように少数意見が排除される可能性が増大している。これは多様な意見を尊重し、社会を健全に発展させるという点で由々しい問題をはらんでいる。

このことはまた共産党や社民党に対して新しい状況に応じた新しい活動の形態を求めている。この点で教訓的なのは今回の選挙における沖縄県の経験である。ここでは自民党と公明党が推す候補者に対して現地沖縄の地方政党の女性指導者が民主・共産・社民・みどりの会議などの支持を得て無所属で立候補し当選した。沖縄の米軍基地を縮小し、沖縄を平和な島にするという点で一致して行動するならば勝利することを示した。

憲法改定が具体的な政治課題となりつつある今日、今回の選挙結果は憲法9条の精神を守り、それを地球社会全体に広めようとするものが一致して行動するならば、その事業が成功することを教えている。私は今回の選挙結果に大いに力づけられ、励まされている。