月別アーカイブ: 2013年3月

ムハンマドの生涯とイスラームの成立

岩木 秀樹

イスラームはユダヤ教やキリスト教の伝統を受け継ぐ厳格な一神教である。しかしキリスト教とは異なって預言者に神性はなく、ムハンマドでさえも「市場を歩くただの商人」にすぎないとされている。またイスラームを受け入れた信徒は、部族や民族などの血縁的な絆を断ち切って一つの共同体を構成し、コーランの教えにしたがって判断し、行動するものとみなされた。ここには、イスラームがやがて世界宗教として発展していくための基本的な原理が、明快な形で示されているのである。(屋形 1993:102)イスラームは、偶像崇拝しない純粋な一神教であり、部族を超える宗教共同体を作り、宗教と政治、経済、生活を分離しない宗教である。

ビザンツ帝国とササン朝ペルシアの狭間に位置するアラビア半島は、長らく国家を持たない政治的空白地帯であった。そこに生まれた新しいイスラームという原理が、それまでにない型の世界帝国を短期間に生み出したことは、歴史的な大事件であった。この事件が興味深いのは、この帝国を築いたのがイスラームという宗教だったからであろう。(小杉 2006:15)

ここではイスラームの創唱者で最後の預言者でもあるムハンマドの生涯を見ていき、イスラーム成立の歴史的経緯を考察する。

目次

  1. 預言者と啓典
  2. ムハンマドの誕生と結婚
  3. 預言者ムハンマド
  4. 危機の時代
  5. ヒジュラの意味
  6. メディーナ憲章
  7. ムハンマドの死

引用文献

小杉泰『イスラームとは何か』講談社、1994年。
小杉泰『ムハンマド』山川出版社、2002年a。
小杉泰「イスラーム」『岩波イスラーム辞典』岩波書店、2002年b。
小杉泰『イスラーム帝国のジハード』講談社、2006年。
小杉泰『『クルアーン』語りかけるイスラーム』岩波書店、2009年。
小杉泰『イスラーム文明と国家の形成』京都大学学術出版会、2011年。
佐藤次高『世界の歴史8 イスラーム世界の興隆』中央公論社、1997年。
佐藤次高他「アラブ・イスラーム世界の形成」佐藤次高編『西アジア史 アラブ』山川出版社、2002年。
佐藤次高編『西アジア史 アラブ』山川出版社、2002年。
清水芳見『イスラームを知ろう』岩波書店、2003年。
中田考『イスラームのロジック』講談社、2001年。
中村廣治郎『イスラム教入門』岩波新書、1998年。
三浦徹編『イスラーム世界の歴史的展開』放送大学教育振興会、2011年。
屋形禎亮他『西アジア』朝日新聞社、1993年。

山極晃・河合秀和・百瀬宏ほか編 『国際関係論と歴史学の間で 斉藤孝の人と学問』に寄せて

中西 治

斉藤孝先生遺稿・追悼集編集委員会は2012年11月2日に彩流社から山極晃・河合秀和・百瀬宏ほか編『国際関係論と歴史学の間で 斉藤孝の人と学問』を上梓した。

斉藤孝先生は1928年11月2日に東京の品川で生まれ、2011年1月28日に亡くなった。82歳であった。この書は先生の友人たちが先生を偲び、先生の84年の生誕記念日に出版したものである。

同書は先生の学習院大学での最終講演と遺稿、先生の学問の紹介、先生を偲ぶ文、先生の年譜と著作目録の四部から成っている。私はこの書によって斉藤先生の人柄、学問の広さと深さなどを改めて認識した。

私が斉藤先生と初めてお会いしたのは1960年4月に東京大学大学院社会科学研究科国際関係論専門課程に入学したあとであった。先生は当時、同大学助手としてベルリン自由大学に留学中であった。先生は1960年8月に帰国後、1961年10月に同大学講師、1963年2月に助教授となり、大学および大学院で講義を始められた。

講義の一つは「ソヴェト外交史」であった。私は早速、この講義を受講した。先生の講義は明解であった。とくに、ブレスト・リトフスクの講和(第一次大戦中のドイツとロシアとの講和)をめぐるロシアのボリシェヴィキ党内における論争は大変興味深かった。私が1971年に出版した最初の著書『ソ連の外交』は斉藤先生のこの講義を発展させたものである。

斉藤孝先生との個人的な付き合いは1970年4月に先生が東京大学を辞め、学習院大学に移られてからである。当時、先生はしばしば「耳学問の会」を開かれた。私はほぼ毎回これに参加した。会の後には必ず新宿の飲み屋に席を移し、夜遅くまで先生の話しを聞いた。この会は1981年7月に先生が脳溢血で倒れられるまで続いた。その後ふたたび年1回、八王子近辺で「斉藤先生を囲む会」が開かれた。この会にも私はほぼ皆勤した。私が2010年6月に脳梗塞になるまでこの会への参加は続いた。

この書では歴史学、世界史、国際関係論、帝国主義、植民地論、スペイン内戦史、第二次世界大戦史、冷戦研究、マルクス主義など学問上の諸問題も多々論じられている。私はここではマルクス主義と江口朴郎先生および斉藤孝先生との関係についてだけ簡単に記しておく。

斉藤先生は「江口朴郎さんも、私もマルクス主義者ではなく、マルクス的です」と言われていた。江口朴郎さんとは斉藤先生が学部時代から師事し、大学院で直接指導をうけていた教授である。私の大学院での指導教授でもある。

私は江口先生にお会いするまで江口先生をマルクス主義者と思っていた。ところが、江口先生にお会いし、お話しをお聞きすると、江口先生は私が考えていたようなマルクス主義者ではなかった。時には「江口先生はマルクス主義者ではないのではないか」と思うことがあった。先生も「卒業生から先生はマルクス主義者と誤解されていますと言われた」と言って笑っておられた。

江口先生はマルクスの考えを包括的な世界観として評価し、それをきわめて柔軟に解釈されていた。たとえば、次のように語っておられた。

「毛沢東は数ある思想の中からマルクス主義を中国革命のために利用できる思想と考えて、使った人である。」

「現実に適応するものはマルクス主義であり、適応しないものはマルクス主義ではない。」

「マルクス主義は絶対に正しいと教条主義的に信じないと天皇制下の弾圧には耐えられなかったのです。」

私が田中角栄首相の日本列島改造論を「資本の論理によるもの」と批判したとき、先生は「資本の論理によるのは悪いですか」と問われた。

私はこのような江口朴郎先生から共産主義についての本を書くように言われた。私の二冊目の本『右にも左にも片よらない現代共産主義の基礎知識――親が子に語る共産主義の話――』明学出版社、1974年、である。この本の執筆依頼はまず出版社から江口先生にきた。それを江口先生が私に回されたのである。後に私は上智大学が創立100周年記念に出版した『新カトリック大事典』の「共産主義」の項を担当した。

マルクスとエンゲルスが偉かったのは、彼らが人間の歴史をその最初から見ようとしたところにあった。19世紀前半ではそれは奴隷制社会であった。19世紀後半ではそれは原始共同体であった。21世紀初頭の現在では20万年前のホモ・サピエンス(知恵の人)の登場であり、人間がゴリラやチンパンジーなどと枝分かれした700万年前の人類の誕生である。地球上の生命の誕生は40億年前、地球と太陽の誕生は46億年前、宇宙の誕生は137億年前である。

私が歴史学研究から国際関係論研究に進み、さらに、ユニバーサル・ヒストリー(宇宙地球人間史)研究へと進んでいるのは、人間と生命と地球と宇宙をそれぞれの誕生のときから研究・理解し、宇宙地球人間学を新しい総合的学問として確立したいからである。

私は江口朴郎先生から思想の捉え方と使い方を学んだ。斉藤孝先生から新しい学問を創り出す方法を学んだ。私は江口先生と斉藤先生の学恩に深く感謝し、両先生の主要な著書を中華人民共和国武漢大学国際問題研究院図書館に寄贈した。両先生の教えは中国においても花開くであろう。