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書評 デーヴ・グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫、2004年)

遠藤 美純

「あなたは敵兵と銃を持って向き合った。あなたは撃つか。それとも撃たれるか。」という問いかけがある。これは一つのジレンマであり、ゆえに「だから戦争はいけない」という倫理的主張でしか応えられないかにも思える。しかし、戦場の実際は、この問いの立て方そのものに問題があることを示している。敵兵と向き合ったとき、兵士は何をなすのか、何をなせるのか。本書では、心理学者であり、歴史学者であり、軍人であった著者が、兵士からの直接の聞き取りや、豊富な事例、統計に基づき、戦争における人殺しの実際を明らかにする。そこでは、なぜ人は人を殺せるのかが問われるとともに、人はなぜ人を殺せないのかが問われる。というのも、戦場において兵士が敵兵を殺せなかったという歴史的事実が数多くあるからである。本来的に、人は人を殺せないようにできているのである。

第二次世界大戦下の米軍兵士の発砲率はわずか15~20%であった。実に80%以上の兵士が敵兵に向かって銃を撃つことができなかった。発砲は自由意志の制御の下にはないのである。このことは米軍だけでなく第二次世界大戦下のあらゆる軍の兵士に当てはまるという。さらに、発砲した場合もその弾のほとんどは敵に当てられなかった。発砲者は故意に的を外すのである。接近戦が長引き、敵味方が互いに知り合ってしまうようになると、殺し合いができなくなることもしばしばあった。驚くべきことに、第一次世界大戦中1914年のクリスマスに、軍司令部の掛け声もむなしく、前線のイギリス兵とドイツ兵はプレゼントを交換し、写真を撮り合い、サッカーの試合さえしていた。人には人を殺すことへの強烈な抵抗感が本来的に備えられている。人は、自分の命を落とすこと以上に、敵兵を殺すことを恐れるのである。さらに、敵兵を殺さないことで恐れるのは、自分の命を落とすことよりも、戦友である味方が殺されることであった。撃つに耐えられず、撃たざるにも耐えられない。後悔や自責を感じずに人を殺すことができる兵士はわずか2%に過ぎない。それも人殺しを好むような精神病質者ではない。強制された場合もしくは正当な理由を与えられた場合に、強烈な抵抗感なしに人を殺すことができるというのが、この2%なのである。

先の「撃つか。撃たれるか。」という問いは、「撃てるか。撃てないか。」と問われるべきである。またそのジレンマは、自分の生命と敵兵の生命との間のジレンマではなく、敵兵の生命と味方の生命との間のジレンマなのである。そして、第二次世界大戦以前、ほとんどの兵士は銃の発砲によって敵兵を殺すことができなかった。戦場に行き、そこで敵に銃を構えて撃ったとしても、人は最後の最後で良心的懲役拒否者となりうる。これは人という種に対する希望であろう。

もちろん、実際の戦争では多くの兵士が殺し、民間人を含め殺されている。凄惨な虐殺も起こる。では、本来的に人を殺せない存在である人が、人を殺せる条件とは何であろうか。大きく三つある。一つ目は権威者の要求である。兵士の発砲理由に関する研究によれば、発砲の最大の理由は「撃たないと撃たれるから」ではなく、「撃てと命令されるから」であった。第二次世界大戦の事例において、戦闘中に指揮官がその場を離れると発砲率は15~20%低下した。人には人に服従したいという欲求がある。国家の正統な権威に基づく合法的な要求に、人が抗うことは難しいのである。

二つ目は集団免責である。一人では殺せないが、集団なら殺せるのである。戦場において人を殺す第一の動機は、自己保存本能ではなく、戦友に対する強力な責任感である。互いに強く結びついた集団内においては、同輩の圧力が働くものである。ましてや、命を互いに託すような軍隊における戦友との結びつきは、特別な愛情の一種として、強力に人に働きかける。さらに、集団は匿名性の感覚を育てることで人殺しを可能にする。複数人で操作する古代の戦車や、現代の機関銃などは、その武器としての威力はもちろんであるが、何よりも集団で操作することによって、敵兵を殺す抵抗感を薄めることに大きな意味があった。

三つ目は犠牲者との総合的な距離である。相手の顔を見たら、目を見たら殺せない。逆に相手が背中を見せて逃げた場合は殺せる。これは本能的なものである。その意味で物理的距離の存在は、人殺しにおける抵抗感の低下に重要な役割を果たす。そして、この距離は人にとって心理的なものである。そのような心理的距離には、人種・民族の違いから相手の人間性を否定するという文化的距離、自らの倫理的優越・正当性を信じることによって生じる倫理的距離、特定の階級を人間以下とみなす社会的距離、大砲や爆撃機、ディスプレイなどを介する機械的距離がある。いずれも相手が人であることを忘れさせることで、人殺しの可能性を高めるのである。

そして、人が人を殺せる条件を知ることは、その条件を用意すれば人が人を殺せるようになることを意味する。第二次世界大戦後、軍上層部に非発砲者の存在が明らかになると、この問題は急速に解決が進められる。人の本質が変えられようとしたのである。米軍において第二次世界大戦下に15~20%であった発砲率は、朝鮮戦争では55%、ベトナム戦争では90~95%へと「向上」される。そこで導入された新たな訓練方法は、脱感作、条件付け、否認防衛機制の三つの組み合わせであった。

一つ目の脱感作とは、殺す相手を同じ人間とみなすその感覚を捨てること、すなわち心理的な距離を人為的に作ることである。「殺せ、殺せ、殺せ」と唱えながら走り込みを行うような訓練プログラムはその代表的なものである。スタンリー・キューブリック監督のベトナム戦争映画『フルメタル・ジャケット』では、その主要なシーンは内地における異様な訓練であった。しかし、それこそ現代戦争の要である、自国の兵士に対する心理戦なのである。二つ目の条件付けとは、パブロフの犬のような、特定の刺激に一定の反応を条件づけることである。定期的に飛び出たり、引っ込んだりする人型の標的を用い、それを目にした瞬間に考えることなく反射的に銃を撃てるように訓練するのである。三つ目の否認防衛機制とは、この条件付けの副次的な効果である。訓練を繰り返すことによって、実際の戦闘において人を殺しても、自分が実際に人を殺しているという事実をある程度否認できるようになる。敵は人ではなく、訓練における単なる標的なのだと思い込もうとし、自らの精神を防衛するのである。

このような人殺しを可能にするさまざまな要因や訓練は、人殺しに対して人が備えている強烈な抵抗感を実際に回避させた。しかし、人が人を殺せないという本質までは変えられなかった。結果として、それには途方もなく高い代償がついた。回避された抵抗感は、後に大きなトラウマとなって兵士に、そして社会に背負わされたのである。発砲率が極めて「向上」させられたベトナム戦争はまさしくそういう戦争であった。ベトナム帰還兵の多くがPTSDに苦しめられた。さらにそれに追い打ちをかけたのが、その苦しみを認めない社会的圧力であった。ベトナム戦争が不正義な戦争とみなされることによって反戦運動が高まると、前線の兵士には恋人や時には妻さえからも絶縁状が送られ、帰還兵は唾を吐かれた。戦場における人殺しのプロセスとその代償の大きさを、社会こそ理解しなければならない。

さらに、兵士の訓練プログラムと同様の脱感作や条件付け、否認防衛機制は、テレビや映画やゲームといったメディアを通して、一般社会にも深刻な影響を及ぼしていると著者は警告する。人殺しを可能とする技術を社会は遠ざけなければならない。このことは、例えば死刑制度や安楽死・尊厳死に関しても、その死をもたらす側の問題という新たな視角を提示するであろう。人はなぜ人を殺せるようになるのかを理解することによって、人を殺すプログラムが生み出された。同様に、人はなぜ人を殺せないのかを理解することによって、人を殺せなくするプログラムを生み出すことも可能である。人殺しの心理学の必要性はここにある。戦争における人殺しには、人の本質と、その変容が見て取れる。本書は戦争について、そして人について学ぶための必読書である。

最後に、最初の問いに戻ってみよう。「あなたは敵兵と銃を持って向き合った」そのとき、どのような行動の可能性があるのだろうか。最悪の行動は、敵兵に背中を見せて逃げ出すことである。敵兵はあなたを撃つであろう。互いに生き残ることは、条件付けの訓練がなされている現代では困難である。しかし、いくつかの条件が重なり、かつ例えばわずかでも互いに躊躇する間が空いたような場合には、双方ともに生き残ることは不可能ではない。不用意な行動を避け、まずは相手の顔を見る。目を見る。その時間を長くする。それから、そのまま互いに後ずさる、あるいは一歩を踏み出し、敵兵に声をかけ、煙草を差し出すのである。そして、このような光景は第二次世界大戦以前にはしばしば見られたのであった。

地球宇宙平和研究所所報 第7号 発刊

事務局

 『地球宇宙平和研究所所報 第7号』地球宇宙平和研究所、2012年12月、定価1,000円。

10周年記念巻頭言
全世界の共同学術研究所をめざして! /中西 治

10周年記念講演会
地域の安全と繁栄からみる安定した中日関係の構築 /王 邦佐
20世纪以来世界历史的发展趋势与中日关系的走向 /胡 德坤
20世紀以来の世界史の発展趨勢と中日関係の行方 /胡 德坤
最近の中国の群集事件 /謝 岳

10周年記念エッセイ
研究所と私 /木村 英亮
ヒロシマから生命を繋ぐ /近藤 泉
10周年記念号によせて /岩木 秀樹
中国大連市民の経済状況と大学生の生活 /竹本 恵美
地球宇宙平和研究所と私 /中島 光子

論文
第三の一神教イスラーム誕生前史 /岩木 秀樹

研究ノート
ベルジャーエフと純粋コモンズ /片山 博文
タイと日本の平和運動 1950-52年 /高橋 勝幸
スマートグリッドの可能性 /植木 竜司

書評
デーヴ・グロスマン著『戦争における「人殺し」の心理学』 /遠藤 美純

詩 /中島 光子

研究所の活動
編集後記

UU2012年度第5回講義を行いました

中西 治

本日、下記の講義を「新しい出発点に立って」と題しておこないました。師走最初の日曜日、ご多忙のところはるばるお出でいただいた方々に心から御礼申し上げます。

研究室が狭く、椅子の数も限られているため失礼した方々に深くお詫びします。本年度の私の講義は本日をもって終了とします。来年3月末まで冬眠します。良い年をお迎え下さい。

中西 治

UU2012年度第5回講義のご案内

下記によりユニバーサル・ユニバーシティー(UU)2012年度第5回講義をおこないます。

  1. 日時:2012年12月2日(日)午後2時~4時
  2. 場所:UU横浜洋光台キャンパス
  3. 講師:中西 治
  4. 演題:未来を見つめ、80年を振り返る  ――株式会社中西節子記念会設立に寄せて――