月別アーカイブ: 2012年8月

追記〈宇宙の誕生と哲学・物理学の発展〉

中西 治

追記:

地球は1日に1回自転しながら、太陽を1年かけて回っています。村山斉の『宇宙は何でできているのか』によると、その公転速度は秒速30キロメートル、時速10万8千キロメートルです。しかも、それだけではありません。実は地球を含む太陽系も秒速220キロメートル、時速79万2千キロメートル (約80万キロメートル) の猛スピードで動いています。

新幹線の時速は300キロメートルほど、飛行機の時速は800キロメートルほどの高速ですが、地球は超高速であり、太陽系は超々高速です。

それでも太陽系が天の川銀河系から離れてさまようようなことがないのは、太陽系が天の川銀河系全体の重力に引っ張られているからです。また、地球があらぬ方向に飛び去らないのは、地球が太陽の重力に引っ張られているからです。私たちが地球から振り落とされないのは、銀河系や太陽や地球をはじめとする、さまざまな物質の重力の相互作用の結果です。自然の妙です。

宇宙のすべてのものは時々刻々と動き、変化しています。宇宙の中で事物を見る場合には、あらゆるものを絶対化しないで、変化の中で相対的にとらえることが必要です。これが「相対論」の見方です。

むすび〈宇宙の誕生と哲学・物理学の発展〉

中西 治

むすび

20世紀以降の物理学の発展により宇宙の生成発展の過程が急速に明らかになっています。歴史学研究も世界史・人類史・地球史研究の枠を越え、宇宙史研究へと拡大しています。かつては神話的であったユニバーサル・ヒストリーも科学的な根拠にもとづく現代的な歴史学として蘇り、ビッグ・ヒストリーの研究機関や国際学会もロシア、米国などで組織されています。

日本でもユニバーサル・ヒストリーは私たちの特定非営利活動法人地球宇宙平和研究所で研究が進められ、2012年4月29日には研究所内に新たにユニバーサル・ユニバーシティーが設立されました。いまのところ私たちの研究・教育は日本内外の研究業績の紹介・普及にとどまっていますが、近い将来には独自の研究を組織し、独自のユニバーサル・ヒストリーを確立し、教育したいと考えています。

古来、哲学は諸科学の父であり、歴史学は諸科学の母といわれてきました。諸科学の基礎には哲学と歴史学にもとづく理念と展望があります。

ユニバーサル・ヒストリーの理念と展望は科学性と人間性と発展性です。私たちはこの理念と展望に立って、哲学者・歴史学者などの人文科学者や社会科学者、数学者・物理学者などの自然科学者のますます増大する業績に学び、それらを総合し、時代にふさわしい新しい学問として確立することをめざしています。それは単なる諸学問の成果の受け売りや寄せ集めではありません。

私たちの学問の目的は地球上での人間同士の戦争や殺し合いをなくし、この戦争や争いが宇宙に広がることを阻止し、すべての人間が幸せに生きられるように努力するとともに、異星人との平和的出合いと共生に備えることです。この目的を実現するのが私たちの使命です。


参考文献:

京都大学文学部西洋史研究室編『改訂増補西洋史辞典』17版、東京創元社、1974年。
N. コールダ著、山口嘉夫・岡村浩・中澤宣也共訳『宇宙を解く鍵――素粒子論と宇宙論――』みすず書房、1980年。
村山斉『宇宙は何でできているのか―素粒子物理学で解く宇宙の謎―』幻冬舎、2010年。
村山斉『宇宙は本当にひとつなのか―最新宇宙論入門―』講談社、2011年。
Newton別冊『大宇宙――完全版――』ニュートンプレス、2012年。
中嶋彰著、KEK(高エネルギー加速器研究機構)協力『現代素粒子物語―ヒッグス粒子から暗黒粒子へ―』講談社、2012年。
大栗博司『重力とは何か―アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る―』幻冬舎、2012年。

相対論〈宇宙の誕生と哲学・物理学の発展〉

中西 治

相対論

アインシュタイン (1879-1955年) がマイケルソンの実験結果を知っていたのかどうか定かでありませんが、彼は時間と空間についてのこれまでの考え方を根本的に変えることによって、ニュートンの力学とマクスウェルの電磁気学の矛盾を解消しようとしました。

アインシュタインは1905年に「特殊相対論」を発表し、1915年に「一般相対論」を発表しました。

前者が「特殊相対論」といわれるのは、この論は基本的に物体の等速直線運動を説明するものであり、さまざまな「力」が働く自然界では等速直線運動はかなり「特殊」な状態だからです。これに対して、後者が「一般相対論」といわれるのは、すべての物体がもつ重力が物体の運動にどのような影響を与えるかを明らかにするものだったからです。

彼は特殊相対論で「時間や空間は変化しない」というニュートン力学の考え方に対して、「時間や空間は伸び縮みする」という考えを提起しました。また、一般相対論で「物体の質量も空間を歪め、伸び縮みさせる」といい、「それらの変化が物体の運動に影響を与える」と主張しました。これこそが、アインシュタインが解明した重力の仕組みでした。

特殊相対論を発表した1905年はアインシュタインにとって「奇跡の年」でした。彼はこの年に原子と分子の存在を裏付ける「ブラウン運動」に関する理論と量子力学の基礎となった「光量子仮説」を発表しました。

「光量子仮説」は、それまで「波」だと思われていた光が「粒子」の性質を併せ持つことを示したものでした。この「光量子仮説」に1921年のノーベル物理学賞が与えられました。その授賞理由には「今回の授賞は、貴君の相対論や重力理論が将来検証された場合に、これらの理論に与えられるであろう価値とは無関係である」との文言が付け加えられていました。

しかし、アインシュタイン理論にも、ニュートン理論が水星の動きを正確に説明できなかったように、説明できない「局限状況」があります。

その一つが「ブラックホール」です。ブラックホールの多くは寿命を迎えて星が大爆発(超新星爆発)をおこしたあとにできるものです。その質量は太陽の数十倍程度です。天の川銀河の中心には太陽の400万倍もの質量を持つブラックホールがあります。さらに多くの銀河の中心には「超巨大ブラックホール」があります。「クェーサー(準星)」と呼ばれる天体です。その質量は太陽の1億倍から100億倍にも達すると考えられています。

「潮汐(ちょうせき)力」とは月の重力が地球の表面にある海水に潮の満ち引きをおこす力ですが、ブラックホールの重力は月とは比較にならないほど強く、有限の時間で無限大になります。この点を時空の「特異点」といいます。この「特異点」はブラックホールだけに生じるわけではなく、初期宇宙に必ずあります。そこでおきる現象を説明するには、アインシュタイン理論を超える理論が必要です。このことを指摘したのが、ペンローズ(1931-)とホーキンズ(1942-)です。

この問題について、大栗博司は前述の『重力とは何か』で物質の大きさを「人間の大きさ」の1メートルを基準とし、10億メートルを単位としてつぎの六つにわけて、それぞれのレベルに必要な物理学の理論が存在すると主張しています。

まず、物質の大きさです。

  第1は「人間の大きさ」1メートル。
  第2は「月の軌道」10億メートル。
  第3は「銀河の大きさ」10億×10億メートル。
  第4は「光が見える宇宙の果て」10億×10億×10億メートル。

以上は「人間の大きさ」から極大値へ向かっての数です。

つぎは「人間の大きさ」から極小値へ向かっての数です。
  
  第5は「ナノ・サイエンス」10億分の1メートル。
  第6は「素粒子の標準模型」≪10億×10億≫分の1メートル。
  
そして、それぞれのレベルに必要な物理学理論として次のような理論をあげています。

  「10億メートル」までの範囲の現象はニュートンの重力理論。
  「10億×10億メートル」の世界になると、アインシュタインの理論。
  「10億×10億×10億メートル」以上になると、アインシュタイン理論も「実力不足」であり、新しい理論が必要です。
  「10億分の1メートル」の世界では量子力学。

「≪10億×10億≫分の1メートル」よりも小さい世界で起きる現象は素粒子の標準模型では説明できないことがまだいくつもあり、ここでも新しい理論が必要です。

これまではニュートン力学やアインシュタイン理論で対応できましたが、現在では「極大値」についても、「極小値」についても「新しい理論」が求められています。この要求にこたえる理論として、一般相対論と量子力学を融合する「Superstring Theory (超弦理論または超ひも理論) 」が登場しています。

さらに、宇宙の構成要素の23%を占めるといわれる「暗黒物質 (Dark matter) 」と72%を占めるといわれる「暗黒エネルギー (Dark energy) 」、合わせて95%の物質とエネルギーの研究が現在、大きな課題となっています。実は、私たちが長いあいだ目にしてきた恒星や銀河などを構成する陽子や中性子などの普通の物質 (バリオン=Baryon) は宇宙全体の4-5%しか占めていないのです。

万有引力・電磁気力〈宇宙の誕生と哲学・物理学の発展〉

中西 治

万有引力

ガリレイが亡くなった年に生まれたのが英国の物理学者・天文学者ニュートン (1642-1727年) です。彼は「リンゴが木から落ちるのを見て重力を発見した」といわれていますが、大栗博司は『重力とは何か』で「そうではありません。もっと古くから、人間は物体が地面に落ちる現象を不思議に感じ、その理由を考えてきました。」と次のように書いています。
  
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、物質そのものに「本来の場所に戻る性質」があると考えていました。また、当時、物質には火、水、土、空気の四元素があり、土の成分の多い物体ほど地球の中心に戻ろうとして速く落ちるとされていました。ヨーロッパではこの考えが中世まで続いていました。しかし、この考えでは太陽、月、星などの天体の動きは説明できません。そこで天界は火、水、土、空気ではない「第五の元素」からできており、地上とは異なる法則によって支配される別世界だと考えていました。

ニュートンはこの考え方を根底から覆しました。彼は「物体」の運動を変えるものは「力」であると考えました。力が作用しなければ。手から離れた石は空中に浮かんでいるはずですが、それが地面に向かって動くのは、地球からの引力という「力」によって石の運動が変化するからなのです。この引力は「万有」です。木から落ちるリンゴも地球を引っ張っているのです。さらに、天界の太陽や月や星もたがいに引力で引っ張り合い、運動しているのです。

ニュートンは石やリンゴが地面に落ちる地上の現象と月が地球のまわりを回る天界の現象とを同じ一つの理論で説明し、これまで別世界と考えられてきた地上と天界とを初めて理論的に統一しました。

ニュートンは物理学を物体とそこに働く力による現象を記述する学問として確立し、近代的自然観を総合・完成しました。しかし、「力」がどうして生じるのかまでは説明しませんでした。

電磁気力

ニュートン力学とは別に、「電気」と「磁気」を同じ方程式で記述し、両者の力を統一して「電磁気力」とし、その働きを解明したのがマクスウェル (1831-1879年) です。この方程式から電場が磁場を誘起し、磁場が変化して電場が生まれるというように両者が絡み合って「電磁波」をつくることが明らかになりました。この電磁波を利用して20世紀初頭には大西洋を横断する電磁通信がおこなわれました。

この電磁波が光の速さで伝わったことから光が電磁波の一種であることがわかりました。

電波と光だけでなく、赤外線・可視光線・紫外線・X線・ガンマ線も電磁波です。

ここで困った問題が起こりました。

ニュートン力学では物体の速度は「足し算」(速度の合成則)で変わるのです。たとえば、時速40キロメートルの車の中から進行方向に時速20キロメートルでボールを投げると、道ばたで立って見ている人にはボールは自動車の時速40キロメートルとボールの時速20キロメートルを加えた時速60キロメートルで飛んでいるように見えます。

ところが、時速9億キロメートルの車の中から進行方向に懐中電灯で光を発射すると、ニュートン力学では光の時速(光速は秒速30万キロメートルなので、時速約11億キロメートルとなります)が加算されて9億キロメートル+11億キロメートル=20億キロメートルになります、しかし、マクスウェルの方程式では車の時速は加算されないので、光速の時速11億キロメートルだけとなります。

ニュートンとマクスウェルのどちらが正しいのでしょうか。

米国の物理学者マイケルソンとその協力者モーリーは地球が太陽の周りを秒速30キロメートルで公転していることを利用して光の速さが変化するかどうか実験しました。その結果、秒速30キロメートルという地球の速度は「足し算」されないことが分かり、マクスウェルが正しいことが明らかになりました。この実験をしたマイケルソンは1907年のノーベル物理学賞を受賞しました。

それでも問題は残りました。

ニュートンの理論は光速以外では正しいのですから、これをどのように評価すればよいのかです。これを解決したのはマクスウェルが亡くなった年に生まれたアインシュタインでした。アインシュタインは光速が変わらず、一定になるのならば、時間や空間の方が変わればよいと考えました。

天動説・地動説〈宇宙の誕生と哲学・物理学の発展〉

中西 治

3.天動説から地動説、万有引力、電磁気力、相対論への物理学の発展

天動説

古代にも地球が太陽の周りを回っていると考える「地動説」はありましたが、聖書が普及し、キリスト教が広がるにつれて、神が大地をつくり、光をつくり、大空をつくり、海をつくり、地に草木を生えさせ、水の中と地の上に生きものをつくり、最後に神にかたどって人をつくったという考えが多くの人々の心をとらえるようになりました。こうして神がつくった地球が宇宙の中心を占め、地球の周りを天が回るという「天動説」が支配的となりました。

地動説

このような時代に古代人の思想を復活して太陽中心の天文体系を樹立し、近代的地動説を提唱したのは、ポーランドの天文学者コペルニクス (1473-1543年) でした。彼は僧職にあり、その思想は多分に中世的特色を持っていましたが、地球を宇宙の中心から太陽の周りを回る惑星の一つに降格させました。「コペルニクス的転回」です。彼は、以後、ニュートンまでの1世紀半にわたる漸次的な地動説形成運動の創始者となりました。

悲劇的であったのはイタリアの哲学者ブルーノ (1548-1600年) でした。彼はコペルニクスの地動説に同調したために捕らえられ、1593年にローマの異端審問所に移されました。7年間の獄舎生活の後もその主張を変えなかったために焚刑に処せられました。

ドイツの天文学者ケプラー (1571-1630年) は地動説に親しみ、遊星の長円軌道説を構想し、「ケプラーの三法則」を樹立しました。これは天体の円軌道への伝統的信念からの解放であり、宇宙の調和に関する根本概念の転換でした。しかし、彼は神秘思想も濃く、中世的世界観から近代的世界観への過渡的存在でした。

地動説を確立する上で重要な役割を果たしたのはイタリアの科学者ガリレイ (1564-1642年) です。彼はアリストテレス (前384-322年) を批判し、コペルニクスの地動説を公然と擁護しました。

ガリレイは1609年から自作の望遠鏡で木星の衛星や金星の公転、地球の自転など地動説に有利な事実を発見し、発表しました。このために異端とされましたが、彼は当初、自説を曲げませんでした。しかし、法王によって召還・投獄され、ついに自説の放棄を誓わされました。その後も監視下で天体観測を続けましたが、1637年に失明しました。

2009年が「世界天文年」とされたのはガリレイが初めて空に望遠鏡を向けた400周年を記念したものでした。

古代ギリシャの哲学者は宇宙をどのように見ていたのか〈宇宙の誕生と哲学・物理学の発展〉

中西 治

2.古代ギリシャの哲学者は宇宙をどのように見ていたのか

人間は昔から天空を見ながら、この宇宙はいつでき、どこまで広がり、どのようになっているのであろうかと考えていたことでしょう。N. コールダ著、山口嘉夫他訳『宇宙を解く鍵』、京都大学文学部西洋史研究室編『改訂増補 西洋史辞典』、村山斉『宇宙は何でできているのか』によると、古代ギリシャの哲学者たちは宇宙をつぎのように見ていました。

ミレトス学派

西暦紀元前7世紀から6世紀にかけて小アジアのギリシャ人の植民地イオニアのミレトスにギリシャ最古の哲学者のグループ「ミレトス学派」が生まれました。彼らは万物の始源である物質を求めました。

始祖タレスの場合、それは「水」でした。その弟子アナクシマンドロスの場合は「無規定的なもの」でした。さらに、その弟子アナクシメデスの場合は「空気(アエル、実は霧のようなもの)」であり、これが稀化すれば火となり、濃化すれば水、さらに土になるとしました。

アナクシマンドロスは「無規定的なもの」から運動により万物が生成すると考え、大地は円筒形で宇宙の中心に静止すると考えました。

イオニア学派

この3人の「ミレトス学派」にエフェソスのヘラクレイトスを加えた4人を「イオニア学派」といいますが、この学派の特徴は「万物の根源を唯一の物質とし、自然法則によってそれから万物が生成する」と考えたところにありました。

ヘラクレイトスは「万物は流転する(宇宙の万物は流れており、つねに運動し、変化している)」という言葉で有名ですが、彼は火を基本的物質とし、火・空気・水・土は相互に絶えず入れかわっていると考えていました。彼は「水にとって土になることは死である」というように、生成を同時に消滅として把握していました。万物は対立するものの闘争である。そして、このような変動を支配する秩序があり、真の知はこの秩序を知ることにあると考えていました。

このような「万物は流転する」という完全な流動性の考えを否定し、完全な固定性の考えを主張したのが「エレア学派」です。

エレア学派

西暦紀元前6世紀末から5世紀にかけて南イタリアのエレアに生きた「エレア学派」の祖パルメニデスは「理性のみが真理の基準であり、在るものは在り、無いものは無い」と考え、虚空の存在を前提とする生滅や多の存在を否定し、存在者は永遠に不変の不可分的一体の球であると主張しました。

彼はこのような考えにもとづき、宇宙はいたるところ満たされていると宣言しました。宇宙の中に不均一さがあると、それはある場所が他の場所に比べてより空虚であることを意味するからです。宇宙はガラスの球のようなもので、完全に球形で一様であり、運動も変化も含まず、初めも終わりもないと考えていました。

レウキッポスとデモクリトスの原子論

西暦紀元前460年頃から370年頃にかけて生きたトラキアのアブデラの哲学者デモクリトスはその師レウキッポスの原子論を継承し、完成させました。彼は不変不滅の極微のアトモン (atomon=分割され得ぬもの) と虚空の存在を主張し、無限の虚空の中で無数のアトモンが運動して集合することによって物ができ、世界ができるのであり、アトモンはすべて同質であるが、形や大きさが異なり、配列が異なったりするので、多様な物体ができると説明しました。

この論は「完全な固定性」と「完全な流動性」をつなぐものでした。個々の原子は固定性と無限の持続性を持っていますが、莫大な数の原子は流動性を持っているのです。

また、これまでの哲学者は自分の知っているものを「物質の根源」と考えていましたが、デモクリトスは目に見えないものを想定しました。素粒子物理学者はしばしば未知の粒子の存在を予言しますが、この分野で最初の「予言者」はデモクリトスでした。

ヒッグス粒子とは何か〈宇宙の誕生と哲学・物理学の発展〉

中西 治

ヒッグス粒子とは何か

ヒッグス粒子は宇宙誕生直後に、光速で飛び回る素粒子に対した水あめのように作用して、動きにくくしたといわれていますが、『大宇宙――完全版――』には「ヒッグス粒子」は一度も登場しません。

村山斉は2010年に出版した『宇宙は何でできているのか』で「まだ正体のわからない(本当にあるかどうかもわからない)粒子に名前をつけるのは問題があるので、私は勝手に「暗黒場」と呼んでいます。」と書き、2011年に出版した『宇宙は本当にひとつなのか』で「もし、重力子やヒッグス粒子がないということになると、素粒子理論を書き替えることになりますが、影響はそれだけではありません。宇宙の枠組みも変わってしまうほど大きな事件となるのです。」とヒッグス粒子の重要性を指摘しています。そして、「ヒッグス粒子か 発見」の報をうけて、2012年7月5日の『朝日新聞』朝刊に「21世紀の物理の新たな扉を開いた」との感想を寄せています。

中嶋彰は『現代素粒子物語』で「ヒッグス粒子がつくり出すヒッグス場は宇宙の真空にもともと存在していた」といいます。それは私たちが暮らす現実の空間に目に見えない水蒸気があるようなものです。水蒸気の一部は雨(水滴)になります。それと同じように真空中のヒッグス場も自らを変質させ、周囲に影響を与えはじめ、クォークなどの粒子の運動にブレーキをかけ出したとしています。

何故そうなるのか。中嶋彰は「自発的対称性の破れによってヒッグス場の強度がゼロからある水準まで強まり、それに応じて弱荷を備えた粒子には次第に質量の発生・増大という影響が及んでいく」という説を紹介していますが、専門家もよく分かっていないようです。ヒッグス粒子を発見するのも大変難しかったのですが、その役割を説明するのも大変困難なようです。今後の研究が期待されます。

宇宙はどのようにして誕生したのか〈宇宙の誕生と哲学・物理学の発展〉

中西 治

宇宙はどのようにして誕生したのか

Newton別冊『大宇宙――完全版――』によると、宇宙は「無」から生まれたとされています。生まれた瞬間の宇宙は原子 (1ミリメートルの1000万分の1ほど) や原子核 (1ミリメートルの1兆分の1ほど) よりも小さかったといいます。

誕生直後、このミクロな宇宙が「10の36乗分の1秒(1秒の1兆分の1の、1兆分の1の、さらに1兆分の1)ほど」の間に「10の43乗倍(1兆の1兆倍の、1兆倍の、さらに1000万倍)」の大きさになったといわれています。これを「インフレーション」といいます。

このインフレーションのあとに物質(素粒子)と光が誕生し、自由に飛びかい、高温の世界になりました。この灼熱状態の宇宙の誕生が「ビッグバン」です。そのときの温度は1兆度以上あったと考えられています。

ここでは「ビッグバン」という用語は現代宇宙論の標準的な言葉の使い方として「インフレーション後におきた“灼熱状態の宇宙の誕生”」という意味で使われていますが、このインフレーションの時間は宇宙誕生後「1秒の1兆分の1の、1兆分の1の、さらに1兆分の1」というきわめて短い時間であり、実際には、宇宙の誕生と同時に、インフレーションと灼熱状態がおこっているといってよいでしょう。したがって、入門書などでは「ビッグバン」は「宇宙の誕生」をばくぜんと指す言葉として使われ、さらに、「ビッグバンによって宇宙が誕生した」とさえいわれています。私もそのようにも使っています。

「無からの宇宙の創生論」もまだ証明されたわけではなく、仮説にすぎません。宇宙の誕生についてはまだはっきりしたことはわかっていませんので、あまり断定的にいわない方がよいでしょう。これからも変わる可能性があります。

話しをもどして、宇宙誕生10000分の1秒後に大きな変化がおこりました。宇宙の膨張によって温度が約1兆度に下がってきました。すると、ばらばらに飛びかっていた素粒子 (クォーク) どうしが結びついて原子核の構成要素である陽子と中性子が誕生しました。水素の原子核は陽子一つなので、このとき、水素という元素 (元素記号はH、原子番号1) が生まれました。ただし、宇宙に水素原子 (陽子の周囲を電子がまわっている状態) が誕生するのにはもう少し時間が必要でした。

宇宙誕生3分後に宇宙の温度が10億度まで下がり、ようやく水素以外の元素も誕生し始めました。「核融合反応」(元素の合成) がおきはじめたのです。

「核融合反応」とは原子核 (陽子と中性子を含む) どうしが衝突・融合する反応のことです。ばらばらに飛びかっていた陽子や中性子が融合し、さらにそうしてできた原子核にほかの原子核が融合し、やや大きな原子核ができていきました。

ビッグバンから20分ほどたつと、あまりに高温になったので原子核と電子はばらばらに空間を飛びかい、核融合反応は終わってしまいます。核融合反応がおきるには、適度な高温と適度な密度が必要です。水素に加えてできた元素はヘリウム (He、原子番号2) とリチウム (Li、同3) くらいでした。このあと3億年程度の間、宇宙にはこれだけの元素しか存在しなかったのです。現在の宇宙にはウラン [U] までの92種類からウンウンクオクチウム [Uno] までの118種類の元素が存在するとの説があります。

宇宙誕生38万年後に宇宙がさらに膨張したことによって、宇宙の温度は3000度程度にまで下がりました。

温度が下がることは電子や原子核の飛びかう速度が遅くなることを意味します。電子は負の電気をおび、原子核は正の電気をおびています。そのために遅くなった電子は電気的な引力によって原子核に“つかまる”ようになります。こうして、電子は原子核の周囲をまわるようになりました。「原子」が誕生しました。

このとき、もう一つ重要なことがおきました。原子が誕生する前、光はまっすぐ進めませんでした。空間を自由に飛びかう電子とぶつかっていたためです。しかし、原子が誕生して空間を自由に飛びかう電子がなくなると、光がまっすぐに進めるようになりました。「宇宙の晴れ上がり」がおこりました。

ビッグバン理論の裏づけとなった宇宙背景放射はこの「宇宙の晴れ上がり」のさいに放たれたもので、およそ137億年後に米国の電波望遠鏡に飛び込みました。これにより宇宙は137億年前に誕生したことが確認されました。

以上が宇宙誕生の初期の状況です。このなかで「物質に質量を与えるヒッグス粒子」はいつ現れ、どのような役割を果たしたのでしょうか。

素粒子とは何か〈宇宙の誕生と哲学・物理学の発展〉

中西 治

1.素粒子とは何か、宇宙はどのようにして誕生したのか、ヒッグス粒子とは何か

素粒子とは何か

古代ギリシャ時代には原子 (アトム) がこれ以上分割することのできない基本的粒子であるとされていましたが、今では原子はさらに小さな粒子から成り、万物の「素」は素粒子であると考えられています。

たとえば、水素原子の中にはマイナスの電荷を持つ電子とプラスの電荷を持つ陽子が存在し、ヘリウム原子の中には陽子と中性子から成る原子核と電子が存在することが明かになっています。この電子や陽子や中性子などが素粒子です。その後、次々と新しい素粒子が発見され 現在、素粒子は全部で次の17種類となりました。

中嶋彰の『現代素粒子物語』によると、第一は「物質を構成する粒子」です。これは陽子や中性子を構成する「クォーク」6種類と電子やニュートリノなどの「レプトン」6種類、合わせて12種類から成っています。

第二は「力を伝える粒子」です。これは強い力を伝える「グルーオン」と電磁気力を伝える「光子」、および、弱い力を伝える「W粒子」と「Z粒子」などの4種類から成っています。

第三は「物質に質量を与える粒子」です。これが今回発見されたといわれている「ヒッグス粒子」です。

この17種類の素粒子は宇宙にどのようにして現れたのでしょうか。

はじめに〈宇宙の誕生と哲学・物理学の発展〉

中西 治

2012年7月22日にユニバーサル・ユニバーシティにて行われた講義の草稿を、複数回に分けて掲載いたします。―事務局

2012.7.22 講義草稿 中西治

宇宙の誕生と哲学・物理学の発展
―「ヒッグス粒子発見か」に寄せて―

はじめに 

この講義草稿は2012年7月4日にヨーロッパ合同原子核研究機関(CERN)が「ヒッグス粒子」と見られる新しい素粒子を発見したと発表したことと関連して、2012年7月22日にユニバーサル・ユニバーシティーでおこなった講義をまとめたものです。

ここでは、まず、素粒子とは何か、宇宙はどのようにして誕生したのか、ヒッグス粒子とは何か、などについての最新の説を紹介し、続いて、古代ギリシャの哲学者は宇宙をどのように見ていたのか、天動説から地動説、万有引力、電磁気力、相対論へと物理学はどのように発展したのか、物理学が直面している課題はなにか、などの問題を検討し、最後に、ユニバーサル・ヒストリー研究者・教育者の果たすべき役割について考えます。