月別アーカイブ: 2012年6月

4.中西治の学習・研究の進展: ユニバーサル・ヒストリーと宇宙・地球・人間の将来

中西 治

1945年8月15日、日本がポツダム宣言の受諾を発表し、第二次大戦での日本の敗北が明らかになったとき、私は中学1年生でした。私は小学校時代から日本の歴史が好きでした。戦後、旧来の権威と体制が崩壊し、新しい体制が生まれ出る過程を目の当たりにし、歴史への興味が深まり、とくに、世界史への関心が強まりました。

大学でロシア語を学び、ロシアとソヴェトの歴史を研究し、卒業論文はソヴェトの農業政策についてでした。大学卒業後に日本の通信社や放送局でソヴェト関係ニュースの記者として働き、大学院で国際関係論を専攻しました。専門はソヴェト研究であり、修士論文はソヴェト政権初期の対米政策についてでした。研究はソヴェトと米国との関係からヨーロッパ諸国、中国、日本などとの関係へと広がりました。私の最初の著書は1971年に上梓した『ソ連の外交』です。大学で国際関係論や国際社会論を教え始めました。比較文明論や近代化論、収斂論に関心を持ち、米中ソ日社会の比較についても講じました。これらの研究を集大成した書が2003年に出版した『現代人間国際関係史――レーニンからプーチンまでとローズヴェルト、チャーチル――』です。

私が宇宙に強い関心を持つようになったのは、1957年にソヴェトが人工衛星「スプートニク」を打ち上げたときでした。1986年に米国のレーガン大統領が「スター・ウォーズ」を口にするようになったとき、私は地球の戦争を宇宙に広げさせてはならないとの思いから、国際地球宇宙平和研究所を設立し、1990年に『国際関係論――地球・宇宙平和学入門――』を出版しました。さらに、1999年に『新国際関係論』を出版しました。この研究所は2001年に特定非営利活動法人地球宇宙平和研究所となりました。この研究所での研究の成果として、私は2011年に『ロシア革命・中国革命・9.11――宇宙地球史の中の20-21世紀――』を上梓しました。

2012年4月29日、この研究所のなかにユニバーサル・ユニバーシティーが設置され、本格的なユニバーサル・ヒストリーの教育・研究が始まっています。この講義はこのユニバーシティーの開校講義です。

このように、私の歴史への関心は、幼いときの身近な日本史から世界史、ソヴェト史、国際関係論、国際社会論、地球宇宙平和学、宇宙地球史へと発展し、いまや、ユニバーサル・ヒストリーへと進んでいます。

私と同じようにロシア・ソヴェト史の研究から出発し、ビッグ・ヒストリー研究へと進んだ人がいます。オーストラリアの歴史家デイヴィッド・クリスチャンです。次にこの人の著作を検討します。

3.1946年におけるH.G.ウェルズの世界史認識 : ユニバーサル・ヒストリーと宇宙・地球・人間の将来

中西 治

H. G. ウェルズは1946年の『世界史概観』の冒頭で次のように述べています。

われわれの世界の来歴は、まだきわめて不完全にしか知られていない。200年ほど前には、ほんの3000年前あまり過去からの歴史のほかは、わかっていなかった。世界は紀元前4004年に突然に創造されたものと信じられ、また、教えられていた。この誤解は、旧約聖書のあまりにも文字どおりの解釈と神学的仮定とにもとづくものであった。

このような考えは、すでに久しく、説教する人たちによっても放棄されている。最近50年間に、わが地球の年齢と起源とについて、きわめて興味ある探求が科学者たちの間でおこなわれてきた。地球は20億年以上の長期間にわたり、太陽の周囲を旋回する遊星として独立の存在を保ってきたということは、いまや妥当らしく思われる。いや、もっと長いかも知れない。

地球の歴史の初期の状態を見ることができるならば、現在のような光景ではなくて、むしろ溶鉱炉の内部のような、または、冷却して凝固する以前の溶岩の流れの表面のような、光景が見られるであろう。100万年、また100万年とたつにつれて、徐々に、こうした火炎の光景もその爆発的白熱を失うであろう。地球はしだいに、われわれの現に住む地球に似たものになり、最後には、最初の雨が降りそそぐ時代がくるであろう。しかし、地球上にはまだ何らの生物もなかった。

このあと、ウェルズは生物の誕生と進化の経過をたどり、「最初の人間らしい生物がこの遊星上に生活したのは、長い全世界的寒冷期の雪のただなかであった。」と言います。この寒冷期は四つの氷河時代に分かたれています。第一氷河時代は60万年以前にやってきたとされており、第四氷河時代は約5万年前にその最盛期に達したとされています。しかし、「人間らしい生物」とはいかなる生物であり、それが生活したのは「長い寒冷期」のうちのどの時代であったのかは明確ではありません。

歴史家の認識は200年前にはまだ3000年前まででした。世界は紀元前4004年に突然に創造されたものと信じられていました。それが20世紀のなかばには20億年前までさかのぼり、その視野は地球全体に広がりました。20世紀後半にこの認識は130億年前にまでさかのぼり、視野は宇宙全体に広がりました。丁度この時期に私の歴史研究は始まりました。

2.H.G.ウェルズの『歴史のあらまし(世界文化史大系)』と『世界史概観』: ユニバーサル・ヒストリーと宇宙・地球・人間の将来

中西 治

ハーバート・ジョージ・ウェルズ (Herbert George Wells) は1866年9月21日にイングランドで生まれました。父は小さな雑貨商を営むかたわら、セミ・プロのクリケット選手をしていました。ウェルズが10歳の時に父が骨折し、クリケットができなくなり、収入が減り、ウェルズが14歳の時に一家は離散しました。ウェルズは服地屋の小店員になりましたが、努力して1883年にグラマー・スクール (中学校) の代用教員として勤めるようになりました。翌年には科学師範学校に入学し、進化論者のトマス・H・ハクスリーに学びました。平和主義的社会主義者ウェッブ夫妻とも知り合いになり、1890年に「フェビアン協会」に入りました。1895年に『タイム・マシン』、1897年に『透明人間』といった空想科学小説を発表し、一躍、有名となりました。

ウェルズは1902年に『歴史のあらまし (The Outline of History) 』を出版し、新たに歴史家として登場しました。この本は後に2巻本の大著となり、1919年から1920年にかけて出版され、日本では『世界文化史大系』全5巻として1921年から1922年にかけて翻訳・出版されました。訳者は佐野学、北川三郎、波多野鼎、新明正道です。英国の女性歴史家クロスレイ (Pamela Kyle Crossley) はこの書を「大きな影響力のある地球史 (global history) の一つ」と評価しています。

ウェルズはさらに1922年に『世界史概観 (A Short History of the World) 』を出版しました。これは前著『歴史のあらまし (世界文化史大系) 』の単なる抜粋、ないしは、圧縮ではありません。それはいっそう広い展望をもった歴史であって、彼が新たに計画して書き下ろしたものでした。それは人類の偉大な冒険に関する自分の色あせた、または、断片的な概念を新鮮にし、また、修復したがっている多忙な一般読者の要望に応じようとしたものでした。

この書は後に二度改版されています。最初の改版は1946年8月13日の死の直前にウェルズ自身がおこなったものです。二度目の改版は1965年に科学者である子息のG. P. ウェルズと歴史家レイモンド・ポストゲート (Raymond Postgate) がおこなったものです。私はここで第二次大戦直後のH. G. ウェルズがどのような世界史認識をもっていたのかを明らかにするために、長谷部文雄・阿部知二訳『世界史概観』上下、岩波新書、1966年によって、著者自身による最初の改版を検討します。これによっていまから65年ほど前、第二次大戦終結直後の英国の歴史家の世界史認識を知ることができます。

1.ナザレチャンの「ユニバーサル・ヒストリーとは」: ユニバーサル・ヒストリーと宇宙・地球・人間の将来

中西 治

先程も申しましたが、ビッグ・ヒストリーとメガイストリヤはまったく同じです。メガイストリヤはビッグ・ヒストリーのロシア語訳です。

つぎにビッグ・ヒストリーとユニバーサル・ヒストリーです。

ロシアのナザレチャンは2003年にモスクワで出版された『地球学、百科事典』で「ユニバーサル・ヒストリー」の項目を担当し、ユニバーサル・ヒストリーとビッグ・ヒストリーは同義語である、まったく同じものであると書いています。つまり、ビッグ・ヒストリーとメガイストリヤとユニバーサル・ヒストリーの三つはまったく同じものなのです。

ナザレチャンによると、仮説的なビッグ・バンから今日までの全宇宙の歴史であるユニバーサル・ヒストリーの概念は1980年代から1990年代にかけてロシア、米国、オーストラリア、ベルギー、オランダなどの研究者によって形成されました。これが形成された背景には二つの事情がありました。

第一は、ロシアの物理学者であり、数学者であったフリードマンが1920年代につくりだした進化論的・相対論的宇宙構造論が、空間と時間において無限で不変な、均質的・恒常的宇宙についての考えを自然科学的世界像から排除したことです。

第二は、宇宙物理学的な宇宙、地殻、生物圏、社会の連続した変化のなかに一貫した諸ベクトルが観察されることが明らかになったことです。

こうして、地球と太陽系を進化過程の限られた分野として検討することが中止され、過去の総合的なモデルが、相対論までの科学で考えられていたよりもはるかに大きな空間と時間の規模を要求するようになった、とナザレチャンは言います。

たしかに、ナザレチャンが言うように、ビッグ・バンによる宇宙の始まりから今日までの歴史を説くユニバーサル・ヒストリーは20世紀に生まれましたが、宇宙の始まりから今日までを語る歴史は古くからありました。たとえば、『ウィキペディア』「普遍史」によると、天地創造から最後の審判にいたる聖書の記述にもとづく普遍史はキリスト教成立時の古代ローマ時代に遡ることができます。古代的な普遍史はアウグスティヌス (354年-430年) の著作『神の国』によって完成されました。それは「救済史観」でした。

中世において普遍史を再構築したのはオットー・フォン・フライジング (1114年-1158年) でした。彼は著作『年代記』でアウグスティヌス以降の時代を説明しました。

14世紀末から15世紀初めにかけて始まったイタリア・ルネサンスとヨーロッパの宗教改革、1492年のコロンブスのアメリカ大陸到達に象徴される地理上の発見によって、事態は大きく変わり始めました。

「新大陸とそこに住む人類」の発見は聖書にもとづく普遍史的世界観を揺るがしました。聖書はアメリカ大陸とそこに住む先住民について何も書いていませんでした。彼らは何者か。彼らを人間と認めることによってヨーロッパ以外にも人間が住んでいたことになりました。ヨーロッパ中心の普遍史的世界観は転換を迫られました。

中国の存在が明らかになったことも大きな衝撃でした。聖書ではアダムとイヴで始まった人間はノアの大洪水で絶滅し、方舟で生き残ったノアとその一族の計8人だけで再出発しました。地球上に住んでいる人は彼ら8人のいずれかの子孫でした。その子孫に中国人はいませんでした。ところが、中国ではこの大洪水の以前にも、以後にもたくさんの人間が住んでいたのです。

普遍史に引導を渡したのはアウグスト・ルートヴィッヒ・フォン・シュレーツァー (1753年-1809 年) でした。彼は1785年に発表した『世界史』で普遍史は聖書文献や世俗文献を研究する補助分野であり、歴史学を構築するには諸事実を系統的に集成し、「世界史 (Welt Geschichte) 」を叙述すべきであると主張しました。普遍史から世界史への転換です。時代は啓蒙期でした。

ここまで「普遍史」と言ってきたのは、実は英語では「ユニバーサル・ヒストリー」と呼ばれた歴史です。岡崎勝世はシュレーツァーの書 Universale Historie の中の訳語「普遍史の観念」で初めてこの語に触れたと述べ、後に、伝統的なキリスト教歴史観を指して Universal History という表現が多く使われていることを確認していますが、この用語は充分に一般化していなかったようです。

Asia University NII-Electronic Library Service によると、日本でも中野泰雄 (中野正剛の子息) は亜細亜大学国際関係学部で「比較社会思想史」の講義を担当してきましたが、1994年1月13日に最終講義「ユニバーサル・ヒストリーにおけるアジアとヨーロッパ」をおこなったさい、これまでマックス・ウェーバーの「ユニバーサルゲシヒテ」の訳語にとらわれてユニバーサル・ヒストリーを普遍史としてきたが、最終講義では「ユニバーサル」を「宇宙的」Time-Space (時空) までも含む仮名コトバとして使うと述べています。これは中野の31年間にわたるユニバーサル・ヒストリー研究の結果でありますが、同時に、彼が講義を始めた1960年代初めと最後の1990年代初めとのユニバーサル・ヒストリーについての世界の認識の変化をも反映したものです。

ナザレチャンはユニバーサル・ヒストリーを、かつての神話的な宇宙史観と絶縁したものとし、新しいユニバーサル・ヒストリーと旧来のユニバーサル・ヒストリー (普遍史) とを別のものとし、新しいユニバーサル・ヒストリーだけをユニバーサル・ヒストリーとしています。しかし、私はこの二つを分けないで、聖書と聖書にもとづく歴史叙述もユニバーサル・ヒストリーとし、それらを3000年前から2000年前の人間の英知が生み出したものと考えています。

時代が進むにしたがって人間の知識が増大し、それまでのユニバーサル・ヒストリーと現実が一致しないことがたくさん出てきました。天地創造の部分は神話となり、歴史から消え去り、世界史は考古学や文書によって立証できるところから論じられるようになりました。

20世紀に入り、時代はさらに大きく変わりました。人工衛星が地球の周りを回り、人間が月面に立ち、宇宙空間に滞在するようになり、宇宙が身近になりました。宇宙生成・拡大や人間進化の過程も相当程度分かり、未来もある程度予測できるようになりました。ユニバーサル・ヒストリーが蘇り、ふたたび人々の大きな関心を集め始めました。今度は「普遍史」ではなく、「宇宙地球史」です。「宇宙地球史」は私の命名です。ユニバーサル・ヒストリーは空想から科学へと発展しました。

ユニバーサル・ヒストリーの盛衰と復活は人間の知恵と知識が豊かになり、人間の生活圏が宇宙空間にまで広がった結果です。私をこれらのすべての人間の英知に学びながら、21世紀においてこれをいっそう発展させ、22世紀以降の人間に引き継ぎでいきたいと願っています。

私のユニバーサル・ヒストリーについての時期区分は次の通りです。この図表は辻村伸雄がバリー・ロドリーグの助言を得て作成したものです。

ユニバーサル・ヒストリーの時期区分 (最新版、2012年6月)

次に、19世紀末から20世紀なかばまでの世界史の研究状況を検討します。

ユニバーサル・ヒストリーと宇宙・地球・人間の将来

中西 治

2012年6月10日の総会記念講演の草稿を複数回に分けて掲載いたします。―事務局

特定非営利活動法人 地球宇宙平和研究所 2012.6.10 講義草稿 中西治

ユニバーサル・ヒストリーと宇宙・地球・人間の将来
――ユニバーサル・ユニバーシティー開校講義――

はじめに ――ビッグ・ヒストリー、メガイストリヤ、ユニバーサル・ヒストリー

皆さんこんにちは。中西治です。本日はようこそお忙しいなかはるばる会場までお出でいただき誠にありがとうございます。また、インターネットを通じて日本をはじめ世界各地でこの講演を見ていただいている方、聴いていただいている方、ありがとうございます。うまく映っているでしょうか、聞こえているでしょうか。質問や意見などお寄せ下さい。お答えします。

本日は皆さんを1時間ほどの短い時間ですが、130億年以上前の宇宙の誕生から今日まで、さらに、今日から「10の10乗の76乗年後」の宇宙消滅までの宇宙への旅にご案内します。もちろん、宇宙消滅のときには地球も、人間も一人もいません。実は地球と人間がなくなるのはもっと早いのです。太陽がなくなるのは、これから40億年後、50億年後、80億年後といろいろな説がありますが、とにかく、なくなるのです。

太陽はなくなる前にいまよりも大きくなり、もっと高熱を発し、地球では人間が生きられなくなります。この段階ではまだ地球から他の惑星に移り住むという手があるのですが、多くは死に絶えるのです。そして、地球もなくなり、太陽もなくなるのです。でも、そうなるのは、早くても30億年先です。人間の寿命はせいぜい100年です。30億年先のことを考えていまからくよくよし、悲観しても仕方がありません。楽しく生きましょう。

私は「悠々楽々」をモットーとして生きることにしています。「悠々」は「ユニバーサル・ユニバーシティー (UU) 」、「楽々」は「楽しく楽しく生きる」に因んだものです。

今日も楽しく喋り、皆さんに楽しく聞いていただこうと思っています。新しい知識を得ることほど楽しいことはないと私は思っています。この講義を準備し、しゃべり、きいて(私は自分の講義を聞きながら喋っているのですが)、もっとも学んでいるのは私です。教えることは学ぶことであるとつくづく感じています。

さて、このところビッグ・ヒストリー (大きな歴史) の論議が国際的にも盛んです。2010年8月にイタリアの地質観測所での会合で国際ビッグ・ヒストリー学会 (International Big History Association=IBHA) の設立が決められました。この学会は2011年4月に米国ミシガン州の非営利活動法人として認可され、2012年8月に同州で第1回会議を開くことになっています。会長はオーストラリアのクリスチャンです。

また、2011年5月にロシアでもロシア科学アカデミー東洋学研究所の一部としてユーラシア・ビッグ・ヒストリー&システム予測センター (Eurasian Center for Big History & System Forecasting=ECBSF) が組織されました。ロシア語ではビッグ・ヒストリーのことをメガイストリヤと言います。センター長は同研究所のナザレチャンです。同センターが中心となって2012年2月にモスクワで国際会議「地球の将来――2045年:世界的規模の動態をモデル化し、予測する:人間とユニバーサル・ヒストリーの展望」が開催されました。ビッグ・ヒストリー、メガイストリヤ、ユニバーサル・ヒストリーの登場です。

そこで、このビッグ・ヒストリー、メガイストリヤ、ユニバーサル・ヒストリーとはいかなる歴史であるのか、これらはどうちがうのか、という問題からこの講義を始めることにします。お手元のレジュメをご覧下さい。講義はほぼこの順番で進めていきます。