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書籍紹介: 中西治『ロシア革命・中国革命・9.11 ―宇宙地球史の中の20‐21世紀』

遠藤 美純

はじめに

私たちが生きるこの21世紀初頭は、大きな転換を遂げつつある特別な時代に思われる。いやそう思い知らされているのかもしれない。かつての当たり前が通用しなくなることは、しばしば神話の崩壊に例えられてきた。しかし、この変化の原動力は人間である。科学技術とナショナリズムが人間の力を増大させ、グローバリゼーションが人間の力の新たな接触をもたらしている。

本書は、本地球宇宙平和研究所の中西治理事長の11冊目の著作である。本書の出版にあたって、私はその編集・校正でお手伝いをさせていただいた。ここでは本書の内容と意義について若干の解説を加え、大著である本書の読みどころをページ番号を付して紹介したい。

現代における大転換と革命、そして人間

「現代」とはいかなる時代か。著者は「工業革命から運輸通信情報革命にいたる一連の科学技術革命が急速に進展し、同時に独立革命と民主主義革命が進行し地球が一つの人類共同体に成りつつある時代」(pp.121-122)とする。科学技術によって水平・垂直両方向に人間の結びつきが拡大された。その拡大のあり方は科学技術などの進度によって制約されてきたが、主権国家とナショナリズムは一定の地域統合と平和をもたらし、その枠組みがグローバル・スタンダードとなることで地球上は主権国家システムで覆われた。著者はこの現代の始まりを1776年のアメリカ独立宣言と1789年のフランス人権宣言に見る。外部からの政治的従属を脱するという独立革命は約200年かかって公式には地球上でほぼ完了する。内部における一方的な政治的従属を脱するという民主主義革命はいまだ進行中である。さらに1917年のロシア革命が平和の問題と経済的従属の問題に焦点を当てた。いずれの革命も科学技術の発展と社会の変化に対応した国内秩序、国際秩序をつくりだそうとする試みである(pp.249-250)。

私たちが生きる21世紀はこの変化と革命の延長線上にある。しかし、20世紀後半からの科学技術のとりわけ急速な革新は、人間の生き方についての考え方とそれとの間のギャップを著しく増大させている(p.19)。戦争技術の発展はその最たるものである。ナショナリズムの規模とグローバリゼーションとの衝突も顕著になった。地球規模の問題が極めて重要になっている。人間は地球の外に一歩を踏み出してもいる。脳科学などの新たな研究は人間や世界といった概念そのものを根本から揺るがしかねない。これまでにない大きな変化に対しては、これまで以上に大きな枠組みでの捉えなおしと取り組みが必要である。「21世紀は人間・科学技術・社会の総合革命が進行する時代である。」「21世紀は20世紀までとは質的に異なる社会を作り出す時代」であり、「それにふさわしい智恵と知識と技術をあわせもつ人間」が必要とされるのである(p.250)。

総合史としての宇宙地球史

本書は二つのアプローチからこの問題に取り組む。一つはより大きなアプローチである。国民国家を世界の単位とする国際政治学・国際関係論を遥かに超え、本書は総合史としての宇宙地球史を提唱する(p.66)。グローバリゼーション(地球一体化)に加えてコスモナイゼーション(宇宙一体化)という概念が提示され、そこに私たちが生きる 20‐21 世紀が位置づけられる(pp.120-122)。本書では宇宙・地球・生命の誕生(第3章)から、思想家・宗教家による宇宙観・世界観(第4章)や、グローバル・ヒストリーの業績(第2章)までが網羅的に取り上げられる。本書が描くのはいわゆるグローバル・ヒストリーをも超えるビッグ・ヒストリー(大きな歴史)である。本書はこうした取り組みに関する総合的かつ入門的な単著として、日本における最初の一冊である。

ここで大きく提示されるのは、客観世界における脱人間中心主義であり、主観世界における人間中心主義である。前者によれば、人間はビッグバン以降に生じた元素によって構成された生物の一つに過ぎない。人間という存在は宇宙・地球に依存する。人間は万物の霊長ではないのである(p.367)。しかし、人間にとって人間は重要である。著者の歴史的評価における多数者の重視(p.33)や、理論における論者のポジショナリティの重視(p.361)、人間が神や仏を作る(p.16)といった考え方は後者によるものである。

ロシア革命・中国革命・9.11

その一方、本書ではこのような大きな歴史の中で、20‐21世紀の大きな具体的出来事、ロシア革命(第5 章)、中国革命(第6章)、9.11 (第8章)ならびにその淵源としてのイスラエル建国(第7章)に検討が加えられる。これが本書のもう一つのアプローチである。その問題関心は、資本主義やナショナリズムなどによって分断された現代世界の統合と平和、その可能性の模索にある。

ロシア革命はアメリカ独立革命、フランス民主主義革命の延長線上に、新たに平和と社会主義の問題を提起するものであった(p.249)。それは資本主義がもたらしてきた世界の従属関係を新たに再構成しようとする試みであったがゆえに、20世紀における転換点となるものであった。共産主義の社会主義からの決別は、第一次大戦に反対したかどうかにあった。ナチス・ドイツに対する勝利へのソヴェト連邦の功績は決定的なものであった。さらにソヴェト連邦は宇宙に初めて人間を送り込んだ。だが、ソヴェト連邦は平和時における市場化・情報化に失敗し、人々の支持を失い崩壊した(p.243)。独立革命として始まった中国革命はその教訓に学びながら、工業化・市場化を進めている。アメリカ革命・フランス革命を含め、いずれの革命もまだ終わっていない未完の革命である。

イスラエル建国は9.11の淵源の一つであるが、それにはソヴェト連邦のスターリンとモロトフが大きな役割を果たした(p.344)。ソヴェト連邦はナショナリズム・ファシズム・レイシズムに対するオルタナティブを体現しようとしていた。しかし、イスラエルが建国されると、ソヴェト連邦のユダヤ人はソヴェト連邦を捨てイスラエルへと移住した。スターリンは裏切られた思いをした(p.350)。インターナショナリズムにナショナリズムが優ったのである。時代はナショナリズムの時代であった。

21世紀に至り、9.11はグローバリゼーションの結果を十二分に利用して計画され、組織されて、実行された。それへのアメリカ合衆国の対応は、アフガニスタンやイラクを攻撃するという旧来の対応であった。著者はアメリカ独立革命から現代が始まると考えるが、そのアメリカ合衆国が古さを体現し、9.11実行者が新しさを体現している。その意味で9.11は20世紀までの歴史と、21世紀以降の歴史を分かつ出来事なのである(p.362)。

おわりに

大転換の時代は、物質的・経済的な苦しみとともに、今までの信念体系の崩壊という精神的な苦しみをももたらす。なぜ自分だけが、なぜ今になって……、そう問わざるをえない裏切られたとの思いは、ときに陰謀論に回収されもする。しかし、そのときにこそ、宇宙地球史の中に20‐21世紀を論ずる本書は、新たな旅立ちのための灯明となるだろう。

母が1945年8月15日の玉音放送直後に「三代目は国を滅ぼしましたね」と父にひそひそと語っていた。これは驚きであった。私にとって昭和天皇は神武天皇以来124代目であったが、明治生まれの両親にとって昭和天皇は明治・大正に続く三代目であった。母のこの言葉が私の戦後思想への旅立ちとなった(p.12)。

確かに現代の私たちはある種の行き詰まりに至っているのかもしれない。しかし、その行き詰まりに気付くところに、新しい思想そして新しい時代への旅立ちがある。万物は流転する。その意味で絶対というものはない。今はとりわけそういう時代である。新しい宇宙地球時代にふさわしい人間が求められている。

むすび : 「双頭」のロシア -2008年〜2011年- : 現代ロシア社会論 (2)

中西 治

現在のロシアはソヴェト時代から次の時代に移る過渡期

一国の社会は政治体制が変わっても、一挙にがらりとは変わらない。社会の前面に登場する人物も、主役は変わっても、他の登場人物はあまり変わらない。

たとえば、日本である。明治維新によって徳川幕藩体制が崩壊し、主役は徳川将軍家から天皇家に変わったが、他の登場人物はさして変わらず、そこへ新しい人間が出てくる。登場人物がそう変わらないのは、体制が変わっても、旧体制時代の人が全員いなくなるわけではないからである。

同じことは第二次大戦の敗戦前後の日本についても言える。私は1960年代末からよく外国に出かけたが、あるとき、外国でいまの日本の天皇は誰だと聞かれたことがある。私が「ヒロヒト」だと答えると、その人は怪訝な顔をして、「あのヒロヒトか」と尋ねた。私が「そうだ」というと、その人はびっくりして「日本は何という国だ」と言って驚いていた。その人が驚いたのも無理はない。あの戦争を引き起こしたヒトラーやムッソリーニはとっくの昔にいなくなっているのに、日本では戦後30年以上経っても、依然としてあの人は健在で、その地位にいたからである。

日本では1867年の大政奉還と王政復古以来、1868年の明治維新、1889年の大日本帝国憲法の発布、1890年の第1回帝国議会召集、1894年の日清戦争、1904年の日露戦争、1914年の第一次大戦、1931年の柳條湖事件(満州事変)、1937年の廬溝橋事件(支那事変)、1941年の対米英戦争(大東亜戦争)、1945年の第二次大戦での敗北、1946年の日本国憲法の公布を経て今日に至っている。

第二次大戦後65年、そろそろ戦前生まれの人々が歴史の彼方に去り、社会の後景に引き下がるときである。

ロシアでは1861年の農奴解放以来、1905年の第一次革命、1906年の国家基本法と第一国会、1914年の第一次大戦、1917年の第二次革命(2月革命と10月革命)とソヴェト政権発足、1918年のソヴェト憲法の公布、1822年のソヴェト同盟の結成、1924年の憲法公布、1936年の新憲法(スターリン憲法)制定、1941年の独ソ戦争勃発、1945年の第二次大戦での勝利、1953年のスターリンの死、1877年の新憲法(ブレジネフ憲法)制定、1985年のゴルバチョフ書記長登場と1990年の大統領就任、1991年のソヴェト同盟解体を経て今日に至っている。

ソヴェト同盟解体からまだわずかに20年、プーチンやメドヴェージェフのようなソヴェト時代に生まれた人が活躍しても不思議はない。それはまだ当分続くであろう。現在のロシアはソヴェト時代から次の時代に移る過渡期である。

プーチンとメドヴェージェフはソヴェト体制が生み出した人材

1991年12月にソヴェト同盟がなくなってから今日までの20年間のうち最初の10年間、エリツィンの時代は、旧体制が解体する過程と新体制が建設される過程が進行した時期であった。次の10年間、プーチンとメドヴェージェフの時代は、エリツィンが作った体制を手なおししながら新しい体制を確立しつつある時期である。エリツィンはソヴェト時代の指導者、プーチンとメドヴェージェフはソヴェト時代に生まれ、育ち、教育をうけた、ソヴェト体制が生み出した人材である。

プーチンはソヴェト同盟共産党員であり、党そのものがなくなったので、離党も脱党もしていないと言っている。メドヴェージェフは彼自身が大学時代に青年共産同盟の委員を務めており、普通なら、共産党員になっていたであろうが、時はソヴェト体制の末期、この時期に彼は洗礼をうけ、ロシア正教徒になっている。だから、共産党員になっていたがどうか確言はできないが、父方の祖父と彼に対するメドヴェージェフの考えを知ると、共産党に近い若者であったことは確かであろう。

メドヴェージェフの年次大統領教書や予算教書はソヴェト時代でもそのまま通用する、大学の研究者・教育者らしい、論理的な、なかなか読ませる文章である。

プーチンは2008年2月、8年間の大統領の任期が終わるのを前にしてかく語った。「この8年間ずっと私はガレー船の奴隷のように、朝から晩まで、耕し続けた。私は全力を傾注してこれをおこなった。」45

そして、いま、4年間の首相職が終わるのを前にしても、おそらく同じことを語るであろう。彼は真面目な努力家である。

私はこの講義の冒頭でプーチンをアンドローポフ型の政治家であり、エリツィンが作った体制の改革者であり、体制の効果的な運用をはかる行政官であり、実務家であると評した。プーチンはエリツィンが作った市場化・民営化の枠内での改革に徹した。プーチンもソヴェト経済の計画・管理体制が機能不全に陥っていることをよく知っていた。したがって、石油と天然ガスの私物化に反対し、これを公のものにしたかったが、だからといって、ソヴェト型の管理体制には戻さず、市場化・民営化の枠内で処理した。ここがプーチンのプーチンらしいところである。

プーチンはテロやチェチェン戦争では蛮勇を奮った。プーチンはエリツィンが期待した「政治闘争に必要な巨大な意志と巨大な決断」を発揮できる人であった。私はプーチンの11年余にわたる大統領と首相としての実績を見て、彼はレーニンとスターリンが持っていた「強い意志と決断力と行動力」を持っていることを知った。プーチンはソヴェト体制が生み出した有能な共産党員であり、諜報部員であり、軍人であり、政治家である。

メドヴェージェフのアブハジアと南オセチアの独立承認は「英断」

メドヴェージェフはプーチンの強烈な個性の前で影が薄い。しかし、メドヴェージェフ大統領がおこなったアブハジアと南オセチアのグルジア共和国からの独立承認はきわめて重要な意味をもっている。独立国「南オセチア」がロシア連邦に属する「北オセチア」と合併し、「オセチア共和国」となり、独立を宣言した場合、ロシア連邦はどのように対応するのであろうか。「南オセチア」の独立を承認したロシア連邦は「オセチア共和国」の独立承認を拒否するのは難しいであろう。同じことはチェチェンについても言える。

「アブハジアと南オセチアの独立承認」は、メドヴェージェフが最初に考えていた「連合国家」構想とは違うようであるが、これは結果として「英断」であった。この決定は、チェチェン問題の再燃をはじめ今後さらにつぎつぎと起こる可能性のある民族独立問題を、血を流さないで解決するだけでなく、新たな統合への出発点となりうるものである。

「カティンの森事件」はソヴェト軍とドイツ軍による二つの銃殺事件が重なったもの

「カティンの森事件」を正しく理解するためには、ロシアとポーランドとの長い複雑な歴史を知らなければならない。

帝政時代、ポーランドはロシア帝国の一部であり、ロシア人がポーランド人を支配していた。ソヴェト政権樹立後、ポーランドはロシアの支配から解放されたが、1920年に再び労農赤軍の攻撃をうけ、これに抵抗して勝利し、ポーランドは多数の赤軍兵士を捕虜とし、多くのソヴェト領をポーランドのものにした。

その後、1939年にソヴェト軍はドイツ軍と呼応してポーランド領に入り、ポーランドを分割、20年間ポーランド領となっていた多くの失地を回復し、多くのポーランド軍人・憲兵・警察・刑務所看守などを捕虜とした。そのうち農民と下層の出身者は即座に解放され、他の多くはアンデルス指揮下のポーランド軍に編入されたが、赤軍捕虜を虐待した者、反乱を企てた者、ソヴェト軍兵士を攻撃した者、その他の犯罪行為をした者は罰せられた。なかには銃殺された者もいた。カガノーヴィチ元政治局員によると、その数はほぼ3500人と言われている。46

ロシア側もいまでは「カティンの森事件」の一部はソヴェト軍が銃殺したことを認めている。私は、この事件はソヴェト軍による銃殺とドイツ軍による銃殺の二つの事件が重なっている、と考えている。

メドヴェージェフとプーチンの「双頭」体制は人為的に作られたもの

最高指導者というのは、その地位に就かせてみないと分からない。期待していたのが、期待に応えない場合があるし、期待していないのが、案外、うまくやる場合がある。

メドヴェージェフは走り始めたばかりであり、この先まだどうなるのか分からないが、アブハジアと南オセチアの独立承認や政治制度改革などをみると、メドヴェージェフはプーチンの枠を越えようとしているようである。

ロシアにおいて大統領制は馴染み深いものではない。それはソヴェト同盟共産党の統治体制が機能しなくなったところで急に出てきたものである。私は共産党がこれまで果たしてきた役割を現在はどこが果たしているのかに注目してきた。いまではそれを果たしているのは大統領府であると考えている。

かつて、ソヴェト同盟共産党中央機関はクレムリンの外にあり、国家・政府機関はクレムリンの中にあった。ロシア連邦共和国の国家・政府機関はクレムリンの外、通称「ホワイト・ハウス」にあった。

いまでは、ロシア連邦の大統領府はクレムリンの中にあり、国家・政府機関はこれまで通り、「ホワイト・ハウス」にある。そして、いまは、メドヴェージェフ大統領を頂点とする大統領府が、かつて共産党が果たしてきた内外政策の基本を企画・立案・決定する役割を果たしている。政策を実行するのはプーチン首相をはじめとする政府である。

私はロシア連邦大統領を2期8年間も務めた大物のプーチンが大統領退任後に、普通は降格と見られる、首相に就任したのは、エリツィン大統領の時代を振り返り、大統領制が持っている独断専行の可能性を除去するために、ソヴェト時代に存在した「双頭」体制を人為的に復活させたのではないかと考えている。

大統領制が有効に正常に機能するためには、強力な議会が必要である。米国では大統領と議会(上院および下院)の「双頭」である。しかし、現在のロシアでは連邦会議(上院)議員は連邦構成主体議会の第1党の推薦によるものであり、与党優位にあり、国家会議(下院)も与党「統一ロシア」が過半数をはるかに超えており、これは次の選挙でも変わりそうにない。ロシア連邦共産党のイリューヒンは議会支配の復活と大統領制の廃止を求めているが47、差し当たり、これは実現しそうにない。となると、大統領の独断専行を抑えるためにプーチンのような大統領経験者が首相職に就くというのは、案外良い方法であるかも知れない。

4人の指導者は「融けつつある氷山」の上に住む、崩壊しつつあるインペリアの指導者か

この講義でしばしば引用してきたジャーナリスト・ソロヴィヨーフと政治学者ズロービンの著書はゴルバチョフ、エリツィン、プーチン、メドヴェージェフの4人の指導者を「融けつつある氷山」の上に住む、崩壊しつつあるインペリアの指導者と評している。それはなぜか。

それは、ソヴェト同盟が各同盟構成共和国の国境にしたがって、きちっと分解・崩壊したと考えるのは単純である、からである。というのは、これらの各共和国は多くの場合、当時存在していた民族的、宗教的、文化的、軍事的もしくは経済的区分けを考慮しないで、主観的に作られたからである。だから、これらの国境の再検討はこれからも起こりうるし、それがソヴェト同盟崩壊後の地域の不安と不安定を増幅させるからである。この地域に形成された政治地図は最終的なものではない。これはロシア自身にとっても良いことである。国境が維持されるというのは事実ではない。したがって、心理的、政治的、軍事的にこれに備えなければならないというのである。48

私もそのように思っている。だから、チェチェン問題のように、独立を認めないのではなく、アブハジアと南オセチアの場合のように、独立を認めることが必要なのである。人間は一方では独立を求めながら、他方では統合を求める。

私はこの20年間ほどのロシアをそれほど異常だとは考えていない。あれほど大きな国、多民族の国では世の中が変わるのに時間がかかるのは当然である。やっと、ロシア社会も落ち着き始めた。まだ揺れ動いているが、私はロシアを「融けつつある氷山」の上にある国とは考えていない。ロシアは「雄大なユーラシア大陸」の上にある国である。

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45 『プーチン、かく語りき』Eksmo社、モスクワ、2011年(ロシア語)、154−155ページ参照。
46 前掲、イリューヒン『プーチン。知らない方がよい真実』131−132ページ。
47 同上書、32ページ。
48 前掲、ソロヴィヨーフ/ズロービン共著『プーチン − メドヴェージェフ 次は何か』172ページ。