月別アーカイブ: 2011年3月

最近の国際関係学の動向と論争 ―おわりに

岩木 秀樹

21世紀に入って、平和と幸福を希求する国際関係学の業績が非常に増えている。特に権力、暴力、正義、主権などの既存の概念を批判する研究が注目されてきている。

米国が国際関係学を今まで牽引してきたが、政治と学問の癒着、非自省的現実主義、非主流的学問の疎外、覇権地位による権威主義的研究などが見受けられ、転換を迫られている。英国の国際関係学は、伝統的に哲学や歴史を重視し、一定の規範や制度により国際社会存立の可能性を志向している。日本における国際関係学は理論・歴史・地域の三位一体で行われ、良くも悪くも米国の影響をそれほど受けることなく発展してきた。米国流の現実主義ではなく、脱実証主義を受け入れる土壌が出来ており、日本における独自の国際関係学の構築が期待されよう。

本稿では構築主義、ポストモダン理論、批判理論、ジェンダー理論、オリエンタリズムなどを含んだ緩やかな包括的概念として脱実証主義という用語を使用した。脱実証主義は本質主義や素朴な客観主義と対峙するものとして、国際関係学の外部から入ってきたものであった。特に米国における行動科学主義、現実主義は権力や国家を所与のものと認識し、変化や動態を重視しなかった。さらに客観・中立・科学の名の下に自己省察をせず、権力と知の共犯関係を促したのであった。それに対して脱実証主義は、国際関係学が「米国の・男性の・白人の・豊かな人間の・先進国の・人間中心の」学問であったことを暴露したのである。脱実証主義は雑多なものの集合にすぎないが、既存の理論への批判、イデオロギーの可視化、権力と知の関係の解明に一定の貢献が出来よう。新しい国際関係学の一端を脱実証主義が担っているのである。

最近の国際関係学の動向と論争 (3) ―最近の脱実証主義論争

岩木 秀樹

今までの国際関係学をめぐる論争は、第一の論争として1920年代から1950年代までの理想主義と現実主義の論争、第二の論争として1950年代から1970年代までの伝統主義と行動科学の論争、第三の論争として1980年代から現在に至る実証主義と脱実証主義の論争が存在する。(35)この章では主に第三の論争を中心に議論をしていく。

国際関係学における第三の論争は、言うまでもなく言語論的転回によって導入された認識論的枠組みの変革をその背景としているのである。つまり第三の論争とは、国際関係学へポストモダン理論などの概念を挿入することから発生した実証主義国際関係学への対抗であった。(36)

言語論的転回の意味は国際関係学のみならず学問全体に大きな影響を与えた。20世紀の思想的な発見の一つはこの言語の発見であった。言語が自然的なものではなく、人為的で恣意的な差異の体系であった。言語が言語外的な指示対象物を意味したり伝達する道具ではなく、言語の産出をつうじて現実を構成する当の実践そのものであった。言語が心理的・内在的なものではなく、社会的・外在的なものであったのである。科学一般において、言語論的転回以降、素朴実証主義や生物学的決定主義を解体しようとしてきた構築主義などの脱実証主義の考え方は、すでに学問的常識となっている。その考え方は本質主義や素朴な客観主義と対峙するものなのである。(37)

国際関係学研究においても、遅ればせながら脱実証主義の潮流が1980年代より押し寄せてきた。特に米国における主要な学派であった新現実主義や新自由主義制度学派に対する批判として台頭してきたのである。(38)最初に国際関係学で脱実証主義として、構築主義(constructivism)という用語を使用したのはオヌフである。(39)

なお本稿では、constructivismの訳語として構成主義ではなく構築主義を使用し、さらに構築主義、ポストモダン理論、批判理論、ジェンダー理論、オリエンタリズムなどを含んだ包括的概念として脱実証主義という用語を使用することにする。かなり広く概念規定することにより、議論が散漫になるが、既存の国際関係学を先鋭に批判でき、脱実証主義の有効性を確認できるであろう。

まず実証主義とはどのようなものか見ておくことにする。実証主義は客観主義、合理主義、科学主義、経験主義を重視するものである。客観主義とは、世界についての客観的知識は可能であり、この知識が主観的経験に基づいていなくてもよいということである。自然主義とは、人間や社会は単一の自然秩序に属しており、自然の神秘が単一の科学的方法に従うということである。経験主義とは、世界についての知識を獲得することが、最終的には経験によってのみ検証されるということである。行動主義とは、社会科学の目的のためには「生命すらも単なる手足の動きにすぎない」ということである。(40)

また牧野は実証主義の特徴として、次の点を挙げている。(41)世界は知識とは独立に存在する。社会科学も自然科学も同じ科学として扱えるとの方法的一元論に立っている。観察によって検証される仮説をつくることによって社会現象の間に法則性や規則的な関係を見出そうとする。超越論的実在論者と異なり観察できない深層の構造は存在しないと考える。経験的問題と規範的問題を区別すべきであると考えるのである。

このような実証主義は一定の有効性を有し、特に米国において行動科学的手法を用いて国際関係の事象に対して客観的研究が進んだのである。しかし過度な実証主義が進んだことにより、変化する国際情勢の動態を把握できなくなり、国家や権力を所与のものと見て、理念、規範やアイデンティティの側面を捉えることができなくなったのである。さらに客観・中立・科学・合理の名の下に、自己を省察することが少なくなり、権力と知の共犯関係を生み出したのである。国際関係学が「米国の・男性の・白人の・豊かな人間の・先進国の・人間中心の」学問であったことが脱実証主義により暴露されてきたのであった。

ポストモダン理論の思想家たちの国際関係学への影響として、近代が普遍ではないことの証明、「理性的選択の結果としての歴史」という考え方への懐疑、現実が社会的構築物であることの暴露、言葉が現実の反映なのではなく現実が言葉によってつくられているという考え方の採用、権力とアイデンティティ形成との関係の解明が挙げられる。(42)

脱実証主義の特徴として、政治・経済・社会・文化も人間の思考を離れて存在することは不可能であり、世界は人々の思想およびその実践によって構成されるのである。(43)また人間の忠誠心を形成し、直線的な歴史を構成し、社会的・政治的境界を押しつける「主権」が存在する。脱実証主義はその「主権」による解決に異議申し立てをするのである。(44)これまでの国際関係理論の主流は、軍事力や経済力などの物理的要因から事象の因果関係を説明しようとする傾向にあったが、脱実証主義はこれに異議を唱えるのである。国際関係は本質的に、理念や規範、アイデンティティなどの非物理的要因によって形成されるのである。この新しいアプローチは、冷戦終焉の予測に失敗した既存の国際関係理論に代わる新しい理論として注目を集めているのである。(45)

脱実証主義の主要な構成要素である構築主義をめぐって議論がなされている。構築主義の立場であるウェントは構築主義の研究者をモダン派とポストモダン派に分けて、自らを前者に位置づけた。その後に、構築主義の用語が国際関係学で普及したのはウェントによる構築主義の穏健化、急進的な構築主義と言えるポストモダン理論からの理論的差別化によるところが大きいのである。この背景には、ポストモダン理論のように「反科学的」と見なされれば、主流派からなかなか相手にされない米国学界の事情があるのである。(46)

このような状況の中で、合理主義(rationalism)に代表される実証主義と、省察主義(reflectivism)やポストモダン理論、フェミニズム、批判理論などの脱実証主義との間に構築主義が位置づけられると主張する研究者も存在する。(47)

さらに構築主義に関して厳しい見方も存在する。遠藤は、構築主義をいち早く取り入れたウェントの業績は新現実主義の理論に構築主義の観点から方法論的基礎を与えたものであるとしている。(48)南山は、構築主義を導入する国際関係理論の多くはむしろ実証主義に潜在する「権力の戦略」をより巧妙に隠蔽/強化する方向に機能している、と主張し、さらに、ウェントらの主流派の構築主義者には批判的な視座が欠如している、と述べている。(49)

確かにウェントの理論には現実主義的要素が強い。ウェントによれば、非国家主体は次第に重要になってきているかもしれないが、諸国家システムの理論がもはや必要ないというわけではないとしている。また国家が存在論的に諸国家間システムに先立っているとも主張しているのである。(50)前田によれば、ウェントは国家を実在する人格と見なし、国内社会/国際社会の二分法を維持したと主張しているのである。(51)

このようにウェントは構築主義者の中でもモダン派に属し、現実主義的傾向が強いのであるが、全ての構築主義がウェントの考えに還元できるわけではない。構築主義一つをとってもかなり多様性を有しているのである。構築主義のいわゆるポストモダン派は権力と知の関係に焦点を当て、国際関係学に潜むイデオロギー性を暴露しているのである。またこのような構築主義は批判理論とも強い親近性を有しているのである。(52)いずれにしても、構築主義は「構築主義的転回」と言われているほど国際関係学に大きな影響を与えているのである。(53)

既存の国際関係学は基本的に実証主義の流れに位置するものであり、脱実証主義とはそれへの対抗として生まれたものであり、きちんとした学派ではなく、いわば雑多なものの集合である。しかし旧来の国際関係学への強い批判ともなっており、新しい時代の新しい国際関係学への胎動にもつながっているのである。冷戦崩壊後、旧来の国際関係学への批判が強まり、実証主義と脱実証主義の論争が強まった。(54)批判理論は主権国家の安全保障追求から全てを見るような見方への疑問を投げかけ、構築主義は歴史的に形成・継承されている記憶・価値・規範などを重視し、ジェンダー理論は男性だけで作られてきたかのような国際関係学に対する根源的な疑問が強く提出されたのである。(55)

これらの批判理論、構築主義、ジェンダー理論、ポストモダン理論、オリエンタリズムなどはいずれも既存の理論への批判、イデオロギー性の暴露、権力と知の関係の解明などの点で、親近性を有しており、脱実証主義という言葉である程度くくることが出来るであろう。(56)脱実証主義は、理論が常に特定の誰かのために、特別なある目的のために存在していると見ているのである。(57)また現在の覇権体制の中で知識特に国際関係学が果たしてきた機能がどのようなものであるのか、換言すれば国際関係学それ自身と覇権との共犯関係に、脱実証主義は焦点を合わせるのである。(58)このように脱実証主義は伝統的学問の正統性に対して根本的に変容を迫るものなのである。(59)

既存の実証主義的国際関係学が注目したのは物理的な「力」であり、変容する現実を認識できなかったり、軽視・無視する傾向であった。(60)今後の脱実証主義的国際関係学は伝統的学問の正統性の打破、学問上の境界の脱構築、今まで異端として扱われてきた事柄の容認を進めるであろう。(61)


(35) なお第二の論争と第三の論争の間に、新現実主義/新自由主義と新マルクス主義の論争を入れて四つの論争とすることもあるが、ここでは三つの論争とする。Jackson, op. cit., p. 30.
(36) 大賀哲「国際関係論と歴史社会学-ポスト国際関係史を求めて-」『社会科学研究』第57巻3/4号、東京大学社会科学研究所、2006年、42ページ。
(37) 上野千鶴子編『構築主義とは何か』勁草書房、2001年、i-iiiページ。樫村愛子「現代社会における構築主義の困難-精神分析理論からの再構築可能性-」『社会学評論』第55巻3号、日本社会学会、2004年、190ページ。高田、前掲書、37ページ。
(38) Baylis et al., op. cit., p. 161.
(39) Nicholas G. Onuf, World of Our Making: Rules and Rule in Social Theory and International Relations, University of South Carolina Press, 1989. 宮岡、前掲論文、77ページ。
(40) Martin Hollis, “The last post ?,” Steve Smith, Ken Booth & Marysia Zalewski eds., International theory: positivism & beyond, Cambridge University Press, 1996, p. 304.
(41) 牧野裕『現代世界認識の方法  国際関係理論の基礎』日本経済評論社、2008年、16ページ。
(42) John A. Vasquez,  The Power of Power Politics: From Classical Realism to Neotraditionalism, Cambridge University Press, 1998, pp. 214-220. (未見)押村、前掲書、14ページ(序章注3)。
(43) 清水、前掲『暴力と文化の国際政治経済学  グローバル権力とホモソーシャリティ』6ページ。
(44) アンドルー・リンクレイター「国際関係論の次段階の問題-批判理論からの見方」猪口、前掲『国際関係リーディングズ』101ページ。
(45) 吉川直人「国際関係理論序説」吉川、前掲書、23-24ページ。
(46) Alexander Wendt,  ” Anarchy Is What State Make of It: The Social Construction of Power Politics,” International Organization, 46-2 (Spring), 1992, p. 394.(未見)Wendt, Social Theory of International Politics, p. 1.宮岡、前掲論文、80-81、85ページ。
(47) 佐藤敦子「コンストラクティビズム」吉川、前掲書、246ページ。
(48) 遠藤誠治「国際政治における規範の機能と構造変動  自由主義の隘路」藤原帰一他編『講座国際政治4  国際秩序の変動』東京大学出版会、2004年、94ページ。
(49) 南山、前掲書、100,103ページ。
(50) Wendt, Social Theory of International Politics, pp. 18, 198.
(51) 前田幸男「国際関係論におけるコンストラクティビズムの再構築に向けて-アレクサンダー・ウェントの批判的検討を中心として-」『社会科学ジャーナル』57 COE特別号、国際基督教大学、2006年、157ページ。
(52) リチャード・プライス、クリスチャン・ルース=スミット「批判的国際関係論と構成主義は危険な関係か」猪口、前掲『国際関係リーディングズ』201、204、209ページ。
(53) Remgger and White, op. cit., p. 4.
(54) Jackson and Sorensen, op. cit., p. 279
(55) 猪口孝「編者あとがき」猪口、前掲『国際関係リーディングズ』464ページ。
(56) スミスは脱実証主義の中に、批判理論、ジェンダー理論、ポストモダン理論などを含めている。ジャクソンらも批判理論、ポストモダン理論、規範理論を同じく含めている。ジャービスも第三の論争において、ジェンダー的観点を国際関係学に注入したとしている。さらに重政は省察主義と脱実証主義の親近性も指摘している。Steve Smith, “Positivism and beyond,” Steve Smith, Ken Booth & Marysia Zalewski eds., op. cit., p. 25. ” Methodological Debates, ” Robert Jackson and George Sorensen, op. cit., p. 286.Jarvis, op. cit. , 23.重政公一「批判的国際理論」吉川、前掲書、312ページ。
(57) 星野、前掲『世界政治の弁証法』7ページ。
(58) 清水、前掲『暴力と文化の国際政治経済学』65ページ。
(59) リンクレイター、前掲「国際関係論の次段階の問題-批判理論からの見方」87ページ。
(60) 清水、前掲『暴力と文化の国際政治経済学』viiiページ。星野、前掲『世界政治の弁証法』55ページ。
(61) リンクレイター、前掲「国際関係論の次段階の問題-批判理論からの見方」88ページ。

最近の国際関係学の動向と論争 (2) ―米国、英国、日本の国際関係学の特徴

岩木 秀樹

国際関係学の研究者は、地域という存在拘束性を帯びているのである。(21)地域により、歴史、社会、言語、文化、世界的影響力などが異なるので、当然のことながら国際関係学の特徴もかなり違ってきているのである。

まず米国の国際関係学の特徴について概説する。米国において、国際関係学は社会科学の一分野、特に政治学の一分野とされ、地域研究は比較政治学の枠組みにされたのである。また実証主義が現実主義と政策科学に結合しているのである。(22)米国以外の研究者では、主要な国際関係学のアプローチとして現実主義をとる傾向はそれほど高くはないが、米国では現実主義、実証主義の流れが強いのである。(23)さらに帝国主義、国民国家、従属論、あるいは資本主義世界体制に通じたマルクス主義者を抱えた大学は少ないというのも特徴である。(24)

このような米国の特徴の要因として、科学的手法の問題解決能力に対する米国社会の信頼やヨーロッパからの知識人の流入などの社会科学の隆盛、知的羅針盤への需要などの大国としての地位、学術研究と現実政治の近接性、財団からの積極的助成などの研究環境などが挙げられよう。(25)

米国が世界の国際関係学研究を牽引してきたのは事実であり、これからも主導的役割を果たすであろうが、それを超えることが必要であろう。米国の国際関係学における政治との密接な関係、現実主義志向、自らの視座を根本的に批判する機会の少なさ、建国の理念と例外国家としての過度な自信、そして現実の国際政治における覇権的地位が権威主義的研究となっている可能性がある。

次に英国の国際関係学の特徴について簡単に説明する。米国では政治学の一部として教授されていたが、英国ではそれとは一線を画すものとして扱われている。(26)また英国では歴史、法、哲学などを重視した古典的手法が多く見られるのである。(27)

猪口によれば、英国の国際関係学は米国の国際関係学と違うことを誇張し、米国の国際関係学の過度な単純主義、過度な実証主義、過度な分析主義などを批判することで存在価値を示している。英国の国際関係学は伝統を強く引きずりながらも、多様性を包容している。歴史と哲学を重視し、記述の正確さと抑制のきいた判断などがその長所として広く認められていると言えよう。(28)

英国で活躍する国際関係学の研究者の緩やかな一団を英国学派と総称され、マニング、ワイト、ブル、ジェームズ、ヴィンセントらが中心人物である。(29)

英国の国際関係学は、主権国家内は秩序が保たれているが国際社会は弱肉強食の無秩序な世界であるとの議論に批判の目を向け、一定の規範や制度により国際社会も成立しうることを主張した点で、評価されよう。

このような英国の国際社会論が米国でも改めて見直される一方、規範やアイデンティティ、理念といった主観的・文脈的要素の重視を提唱するいわゆる構築主義が一大潮流となり、古典的な国際関係学の再検討も進められることになった。(30)

最後に、日本における国際関係学の動向を見ておくことにする。国際関係学は米国では政治学の一分野であるのに対して、日本においては伝統的に理論研究、歴史研究、地域研究が三位一体の形で進められてきた。(31)

猪口によれば、政治学が極めて重要な専門分野的枠組みを提供する米国の国際関係学とは違い、日本の国際関係学は、外交史、国際法、国際経済、地域研究、政治理論といった多様な専門分野の伝統を受け入れるのである。また西洋によって植民地化された経験がないため、言語も含めて西洋的国際関係学がそれほど浸透しなかったのである。特に米国の国際関係論の影響は、インド、パキスタン、マレーシア、フィリピンなどは言うまでもなく、韓国、台湾、中国と比べてみても、日本は小さいのである。日本の研究者が米国の国際関係学の概念や手法に従うことはもちろん、それに触れる度合いもこれらのアジア地域に比べはるかに低いのである。学生の教育、教授の採用、研究成果の評価に関する日本の制度は、アジア地域の中でも最も米国のシステムと折り合いが悪いのである。(32)このような日本の閉鎖的環境は改善し、正しい意味のグローバル・スタンダードに近づける努力は必要であろうが、何も米国の下請け的国際関係学を目指す必要もない。むしろ日本独自な米国的でない国際関係学構築を目指すべきであろう。

日本において、行動科学論争、ネオリアリズム対ネオリベラリズムの論争、さらに構築主義を中心とする論争は、米国に比べそれほど起こらなかったと言われている。ただこの三番目の構築主義について、日本には元来フランス現代思想の影響が強く、すでに構築主義的意識は存在しており、とりわけ新鮮であるようには思われなかった背景がある。(33)確かに、論文数などを調査してみても、日本においては米国と対照的に、合理主義的研究より構築主義的研究の方が優勢であり、米国で構築主義が台頭する以前から、構築主義と親和性のある研究が存在したのである。構築主義は自然科学のような一般化はそれほど求めず、時や場所の特定の状況、立場、視座を強く考慮に入れるという点で、日本で盛んな歴史研究や地域研究と共通点を有するのである。(34)この構築主義の議論についてはこの次の章で詳しく扱うことにする。


(21) Crawford, op. cit., p. 2.
(22) 猪口孝『国際関係論の系譜』東京大学出版会、2007年、7-8、213ページ。
(23) Vendulka Kubalkova, “A ‘Turn to Religion’ in International Relations ,”Perspectives, Vol. 17, No. 2, 2009, p. 18. Crawford, op. cit., p. 373. ただ米国における国際関係学の多様性にも注目しなければならない。強い平和主義も米国には存在し、ノーム・チョムスキー、エドワード・サイード、アンドレ・グンター・フランク、イマヌエル・ウォーラステインなどは全て米国人である。猪口、前掲『国際関係論の系譜』8-9ページ。
(24) H. R. アルカーJr.、トマス・ビアステイカー「世界秩序の弁証法-国際問題を研究する未来の発掘学者たちへの覚え書き-」猪口、前掲『国際関係リーディングズ』64ページ。
(25) 石田淳「国際関係論はいかなる意味においてアメリカの社会科学か-S・ホフマンの問い(1977年)再考-」日本国際政治学会編『国際政治  国際政治研究の先端7』160号、2010年。Stanley Hoffmann,”An American Social Science: International Relations,” Daedalus: American Academy of Arts and Sciences, Vol. 106, No. 3, 1977, pp. 41-60.
(26) Brown, op. cit., p. 6.
(27) Nicholas Remgger and Ben Thirkell- White,”Still critical after all these years ? The past, present and future of Critical Theory in International Relations,”Review of International Studies, 33, British International Studies Associations, 2007, p. 3.
(28) 猪口、前掲『国際関係論の系譜』10ページ。
(29) H・スガナミ「英国学派とヘドリー・ブル」日本国際政治学会編『国際政治  冷戦の終焉と60年代性』126号、2001年、200ページ。
(30) 中西寛「国際政治理論  -近代以後の歴史的展開」日本国際政治学会編『日本の国際政治学1  学としての国際政治』有斐閣、2009年、37ページ。
(31) 大芝、前掲書、5ページ。
(32) 猪口、前掲『国際関係論の系譜』182-183、210ページ。
(33) 田中明彦「日本の国際政治学-『棲み分け』を超えて」前掲『日本の国際政治学1  学としての国際政治』10-12ページ。
(34) 富岡勲「コンストラクティビズム-実証研究の方法論的課題」同上書、82-82、92ページ。

脳梗塞についての山本勇夫先生のご意見

中西 治

横浜市立脳血管医療センター長 山本勇夫先生から拙稿「脳梗塞にならないために、脳梗塞を再発しないために」に関連して2通のメールを頂戴しました。第一信は(1)をお読み頂いたあと、第二信は(2)(3)をお読み頂いたあとのものです。先生のお許しをいただいて転送させていただきます。

山本勇夫先生、ありがとうございます。厚く御礼申し上げます。

中西 治


第一信

退院後もリハビリ、執筆活動などご多忙のことと存じます。早速「脳梗塞にならないために、脳梗塞を再発しないために」を読ませていただきました。実は先生が2年前にも今回の発作と類似した麻痺があったことを初めて知りました。おそらく今回の脳梗塞の前兆としての一過性脳虚血発作 (TIA: Transient Ischemic Attack) が既に2年前から存在していたものと思われます。

最近TIAは脳梗塞患者の多くが脳梗塞発症前にTIAを発症していること、かつ発症直後に脳梗塞を発症するリスクが最も高いことが確認され、2009年小生も参画して作成した脳卒中治療ガイドラインで、「TIAを疑えば、可及的速やかに発症機序を確定し、脳梗塞発症予防のための治療をただちに開始しなければならない」とさせていただきました。TIA診断の困難さは軽微なものは最新のMRIなどの診断機器を用いて異常所見を捕えられないケースがあることです。したがって詳細な病歴聴取が極めて重要なことです。最近の医療はややもするとハイテク機器に頼りがちですが、やはり原点である患者さんからの病歴聴取の重要性を思い知らされます。

また、アルコールの摂取方法ですが、脳梗塞、中でも動脈硬化による血栓形成や血流低下による、アテローム血栓性脳梗塞は血流量が低下したり、血圧が比較的下がる夜間に発症しやすいので、少量のアルコールなら結構ですが、量が増えますと、循環を良くするよりも、利尿効果により脱水傾向となり、むしろ血液粘度が高くなることも脳梗塞発症の引き金になる可能性があります。

少しでも参考になれば幸いです。次回の「脳梗塞にならないために――」を楽しみにしています。

横浜市立脳血管医療センター
山本勇夫


第二信

早速「脳梗塞にならないために、脳梗塞を再発しないために (2)、(3)」を読ませていただきました。

脳梗塞にならないために重要なことは、“TIAを見逃さない”ことです。前回も書かせていただきましたが、実際脳梗塞の再発よりも、TIAが脳梗塞へ移行する頻度の方が高いことは明らかになっています。しかし、現実には軽傷のTIA、たとえば神経症状が10秒以内に改善する様な症例(特に最初の発作)では、患者さんが専門医を受診することが比較的まれであるのが現状です。

また、2007年英国で行われたEXPRESS研究では、TIAが疑われた患者を直ちに専門医へ送るという方針で、脳梗塞の発症率が大幅に減少したという報告があり、米国のCincinnatiでは「FAST」というテレビコマーシャルを行い、一般の方々へのキャンペーンを行って効果を上げており、わが国も脳卒中協会が中心となり、この普及運動を行っているところです。

すなわち、「F=Face」は顔のゆがみ(顔面神経麻痺)、「A=Arm」は腕、手足のまひにより、手足の脱力、「S=Speech」は言語障害(呂律がまわらず、うまく喋れない) の3つのうち1つでもあれば、70%の確率で脳卒中が疑われるということです。「T=Time」は時間が重要ということで、治療は早ければ早いほど、神経細胞が壊死に陥る可能性が低く、特に血栓溶解療法はその開始を3時間以内にしなければ効果がないという時間の縛りがあることです。以前小渕首相が記者会見の場で突然喋らなくなり、10秒程で回復しましたが、その日の夜間脳梗塞となり、血栓溶解療法を行いましたが、結局脳梗塞が命取りとなりました。したがって、TIAを見逃すな、仮に一過性でも「FAST」の症状があれば一刻も早く専門医を受診することを、われわれがもっと啓蒙する必要があると感じています。

また、先生の(3)に「壊死を阻止するのが点滴である」との記載がありますが、これはt-PAという血栓溶解療法で、3時間以内といっても早ければ早いほど神経細胞が壊死に陥っている範囲が狭いため、神経細胞を回復させ、機能予後もよくなるわけです。実際現在行っているリハビリは、壊死に陥った神経細胞を活性化するのではなく、壊死した細胞の周りにある、脳梗塞の直前までは休止していた神経細胞を活性化することです。したがって脳梗塞になったらすぐに専門医のところで治療(リハビリも含めて)することが重要である点について述べてみました。

こんな拙文でよろしければ、ご自由にお使いください。

横浜市立脳血管医療センター
山本勇夫

最近の国際関係学の動向と論争 (1) ―21世紀の国際関係学の動向

岩木 秀樹

まず日本で刊行された最近の国際関係学の動向を概観することにする。

21世紀に入り、まとまったシリーズものがいくつか刊行された。(2)特に日本国際政治学会編『日本の国際政治学』は、理論、地域、歴史、非国家主体の観点から、日本における国際関係学の現段階が示されている。

次に国際関係学のテキストであるが、多くの書籍が刊行されており、非常に多様性に満ちている。(3)特にユニークなものとして、日本発の平和学と国際関係論で、日本の問題や日本がもたらした影響などがわかりやすく書かれていて、後者は漢字にルビをふり、日本で学ぶ留学生にも配慮した試みをしている。(4)他に、内外の著名な研究者の論文を集めたリーディングズ(5)や歴史学と政治学の架橋を試みたもの(6)ガイドブックとして有用なもの(7)などがある。

今まで日本においては国際関係理論はあまり重視されなかったが、最近になって理論関係の業績が多く出版されるようになってきた。国際関係学の権力と知について考察したもの(8)帝国の観点から国際システムとアメリカを見たもの(9)国際関係学の様々な理論を分析したもの(10)権力や暴力を扱った清水の一連の業績(11)などがある。また9・11事件以後、正義や戦争に関する思想的問題を絡めた国際関係学の書籍も出てきている。(12)イデオロギーの可視化が国際関係学にも影響を与えており、ジェンダー的観点からの国際関係学も多くなっている。(13)さらに近代日本と国際関係学のあり方や秩序・認識を論じたものも刊行されている。(14)

星野は現状変革志向の強い平和を重視する国際関係学を目指し、21世紀に入ってからでも多数の書籍を出版している。(15)土佐は批判的国際関係学の視点から安全保障や暴力の問題を扱った一連の業績を発表している。(16)最近、欧米、特に英国学派の書籍の翻訳がかなり見受けられる。(17)弱肉強食の新自由主義や現実主義への批判、主権国家の枠組みの流動化、アメリカの攻撃的単独主義への懐疑などにより、英国学派が注目されているのだろう。

次に簡単に英米における国際関係学の成果を瞥見しておく。まず、テキストとして有用であり、様々な学派、ディシプリン、イッシューを扱ったものが数多く出版されている。(18)日本においてはそれほど多くはないが、英米において国際関係思想や理論に関する業績は相当出されている。(19)また脱実証主義や構築主義関連のものも出版され、理論やディシプリンに関する議論が相当進んでいる。(20)この点について、詳しくは次章以降で論ずる。


(2) 藤原帰一他編『国際政治講座』全4巻、東京大学出版会、2004年。猪口孝編『シリーズ国際関係論』全5巻、東京大学出版会、2007年。日本国際政治学会編『日本の国際政治学』全4巻、有斐閣、2009年。
(3) その中でも主要なものをここでは取りあげる。小林誠他編『グローバル・ポリティクス』有信堂、2000年。関下稔他編『クリティーク  国際関係学』東信堂、2001年。羽場久美子他編『21世紀国際社会への招待』有斐閣、2003年。百瀬宏『国際関係学原論』岩波書店、2003年。山田高敬他編『グローバル時代の国際関係論』有斐閣、2006年。高田和夫『新時代の国際関係論』法律文化社、2007年。藤原帰一『国際政治』放送大学教育振興会、2007年。大芝亮編『国際政治学入門』ミネルヴァ書房、2008年。村田晃嗣他著『国際政治学をつかむ』有斐閣、2009年。
(4) 安斎育郎他編『日本から発信する平和学』法律文化社、2007年。初瀬龍平他編『日本で学ぶ国際関係論』法律文化社、2007年。
(5) 猪口孝編『国際関係リーディングズ』東洋書林、2004年。
(6) Colin Elman and Miriam Fendius eds., Bridges and Boundaries : Historians, Political Scientists, and the Study of International Relations, The MIT Press, 2001, コリン・エルマン他編、渡辺昭夫監訳『国際関係研究へのアプローチ  歴史学と政治学の対話』東京大学出版会、2003年。
(7) 岩田一政他編『国際関係研究入門  増補版』東京大学出版会、2003年。
(8) 南山淳『国際安全保障の系譜学  現代国際関係理論の権力/知』国際書院、2004年。
(9) 山本吉宣『「帝国」の国際政治-冷戦後の国際システムとアメリカ』東信堂、2006年。
(10) 信夫隆司『国際政治理論の系譜-ウォルツ、コヘイン、ウェントを中心として』信山社、2004年。吉川直人他編『国際関係理論』勁草書房、2006年。
(11) 清水耕介『市民派のための国際政治経済学  多様性と緑の社会の可能性』社会評論社、2002年。清水耕介『暴力と文化の国際政治経済学  グローバル権力とホモソーシャリティ』御茶の水書房、2006年。
(12) 佐藤幸男他編『世界政治を思想する』全2巻、国際書院、2010年。押村高『国際政治思想』勁草書房、2010年。
(13) Cynthia Enloe, The Morning After, Sexual Politics at the End of the Cold War, The Regents of the University of California, 1993, シンシア・エンロー、池田悦子訳『戦争の翌朝  ポスト冷戦時代をジェンダーで読む』緑風出版、1999年。土佐弘之『グローバル/ジェンダー・ポリティクス』世界思想社、2000年。Sandra Whitworth, Feminism and International Relations: Towards a Political Economy on Gender in Interstate and Non-Governmental Institutions, Houndmills: Macmillan, 1997, サンドラ・ウィットワース、武者小路公秀他監訳『国際ジェンダー関係論』藤原書店、2000年。Ann Tickner, Gender in International Relations, Columbia University Press, 1992, アン・ティックナー、進藤榮一他訳『国際関係論とジェンダー  安全保障のフェミニズムの見方』岩波書店、2005年。Cynthia Enloe, Maneuvers, The International Politics of Militarizing Women’s Lives, Berkeley: The University of California, 2000, シンシア・エンロー、上野千鶴子監訳『策略  女性を軍事化する国際政治』岩波書店、2006年。土佐弘之他編『国際法・国際関係とジェンダー』東北大学出版会、2007年。
(14) 酒井哲哉『近代日本の国際秩序論』岩波書店、2007年。芝崎厚士『近代日本の国際関係認識  朝永三十郎と『カントの平和論』』創文社、2009年。
(15) 星野昭吉『世界政治の原理と変動-地球的規模の問題群と平和-』同文舘出版、2002年。星野昭吉『グローバル社会の平和学  「現状維持志向平和学」から「現状変革志向平和学」へ』同文舘出版、2005年。星野昭吉『世界政治の理論と現実-グローバル政治における理論と現実の相互構成性-』亜細亜大学購買部、2006年。星野昭吉『世界政治と地球公共財-地球的規模の問題群と現状変革志向地球公共財-』同文舘出版、2008年。星野昭吉『世界政治の弁証法-現状維持志向勢力と現状変革志向勢力の弁証法的ダイナミクス-』亜細亜大学購買部、2009年。星野昭吉『世界秩序の構造と弁証法-「コミュニタリアニズム中心的秩序勢力」と「コスモポリタニズム中心的秩序勢力」の相克-』テイハン、2010年。
(16) 土佐弘之『安全保障という逆説』青土社、2003年。土佐弘之『アナーキカル・ガヴァナンス-批判的国際関係論の新展開』御茶の水書房、2006年。
(17) Hedley Bull, The Anarchical Society: A Study of Order in World Politics, 2nd ed., Macmillan Press Ltd., 1995, ヘドリー・ブル、臼杵 英一訳 『国際社会論  アナーキカル・ソサイエティ』岩波書店、2000年。Martin Wight, International Theory: The Three Traditions, Leicester University Press, 1991, マーティン・ワイト、佐藤誠他訳『国際理論  三つの伝統』日本経済評論社、2007年。Ian Clark, Globalization and International Relations Theory, Oxford University Press, 1999, イアン・クラーク、滝田賢治訳『グローバリゼーションと国際関係理論  グレート・ディヴァイドを超えて』中央大学出版部、2010年。Kenneth Waltz, Theory of International Politics, McGraw- Hill, 1979,  ケネス・ウォルツ、河野勝他訳『国際政治の理論』勁草書房、2010年。
(18) その中でも主要なものをここでは取りあげる。Walter Carlsnaes eds., Handbook of International Relations, SAGE Publications, 2002. John Baylis, Steve Smith and Patricia Owens, The Globalization of World Politics: An Introduction to International Relations, 4th Edition, Oxford University Press, 2008. Mario Telo, International Relations: A European Perspective, Ashgate Publishing Limited, 2009. Robert Jackson and George Sorensen, Introduction to International Relations: Theories and Approaches, 4th Edition, 2010. Cynthia Weber, International RElations Theory : A Critical Introduction, Third Edition, Routledge, 2010. Tim Dunne eds., International Relations Theories: Discipline and Diversity, 2nd Edition, Oxford University Press, 2010.
(19) Kenneth W. Thompson, Schools of Thought in International Relations: Interpreters, Issues, and Morality, Louisiana State University Press, 1996. Torbjorn L. Knutsen, A History of International Relations Theory, 2nd Edition, Manchester University Press, 1997. Brian C. Schmidt, The Political Discourse of Anarchy: A Disciplinary History of International Relations, State University of New York Press, 1998. Barry Buzan and Richard Little, International Systems in World History, Oxford University Press, 2000. Robert M. A. Crawford, International Relations -Still an American Social Science ?: Toward Diversity in International Thought, State University of New York Press, 2001. Cynthia Weber, International Relations Theory: A Critical Introduction, Routledge, 2001. Mathias Albert eds., Identities, Borders, Orders: Rethinking International Relations Theory, University of Minnesota Press, 2001.
(20)Alexander Wendt, Social Theory of International Politics, Cambridge University Press, 1999. D. S. L. Jarvis, International Relations and the Challenge of Postmodernism: Defending the Discipline, University of South Carolina Press, 2000. Chris Brown, Practical Judgement in International Political Theory: Selected Essays, Routledge, 2010.

脳梗塞にならないために、脳梗塞を再発しないために (3=終)

中西 治

脳梗塞は厄介な病気である。普通、病気は病院に行き、医師にかかり治療を受け始めると、悪いところは良くなり始めるものと思っている。ところが、脳梗塞は違う。治療を始めてもすでに悪くなってしまったところは治らず、病気の進行・拡大を阻止するだけである。だから、脳梗塞は発症すれば、一刻を争って医師にかからなければならない。待っている間も、医師の診察を受けている間も、検査をしている間も病気は進行・拡大していく。

済生会横浜市南部病院の医師の説明によると、脳梗塞により脳の一部に血液がいかなくなると、そこの組織は機能しなくなり、死ぬ。これを壊死(えし)という。局所の死である。放っておくと、そのとなりの組織も機能不全となり、死ぬ。こうして壊死が広がっていく。これを阻止するのが点滴である。薬を脳表面に振りかけて膜を作り、壊死の拡大を阻止するという。上手くいくと、壊死の拡大は阻止されるが、一度死んでしまった組織は生き返らない。当該組織は機能しなくなる。

点滴療法が始まったあと、間もなくして、リハビリ担当の医師が来室され、早速、リハビリを始めるが、どこまで治したいのかと尋ねられた。私は即座に元へ戻りたいと答えた。医師はただちにそれは無理ですと言われた。そのとき、その意味がよく分からなかったが、死んでしまった組織は生き返らないから、それによって生じた障害は治らないということであったようだ。

リハビリは主として足のリハビリを担当するPhysical Therapist=PTと手のリハビリを担当するOccupational Therapist=OTによっておこなわれる。前者は日本では「理学療法士」、後者は「作業療法士」と呼ばれている。Physical は「身体、肉体、物質、自然、物理学」などの形容詞であり、本来、身体全体を治療する身体療法士を意味するが、日本では治療に体操の他に熱や電気なども用いるので理学療法士とされている。Occupational は「職業、時間の使い方、占有、占領」などの形容詞であり、職業訓練による治療、とくに手先の熟練を要する作業を与えて治療することから作業療法士とされている。

足も手も人間の身体の一部であり、密接に関連しており、PTとOTの仕事は厳密に分けられず、相互乗り入れする。現に南部病院では作業療法士と称する人が足のリハビリを担当していた。単に歩くだけでは駄目で、美しく歩けと指導し、おかげで南部病院から横浜市立脳血管医療センターに転院した7月20日には一応歩けるようになり、左手も簡単に肩まで上げられた。2003年以来、腸閉塞により入退院を繰り返していた妻の病状が思わしくなく、一寸、早かったが、9月10日に医療センターを退院したときもそうであった。

ところが、10月22日に妻が永眠し、12月6日に医療センターに再入院したときには左の手も足もむくみ、膨れあがり、歩くことも困難となり、手も上がらなくなり、丸く硬直していた。9月10日から12月6日までの3か月ほどの間に病状が後戻りし、悪化した。それを元へ戻すのにまた3か月かかった。2011年3月7日に医療センターを再退院したとき、ふたたび一応歩けるようになったが、左手はまだ思うように動かない。

両病院のPTもOTも、薄い濡れた紙の固まりから一枚ずつ紙を破れないようにほぐしとっていくように、患者が耐えられる限度内で、痛くないように筋肉をほぐしていくのは、まさに優れた職人技である。しかも、各人が経験年数と学習によって独自の技をもっている。皆さん、根気強い人である。医療センターでは理学・作業の各療法士がそれぞれ20分を1単位として一日に2単位から4単位かけてほぐす。それが歩いたり、夜、まっすぐ横になったときなどに、肩が痛くなったり、手が硬直化する。翌日には元の木阿弥。それでも嫌な顔をせず、ふたたび治療を続ける。良くなるのは、ほんの少しずつ。牛の歩み。

年をとったものはよく「いまの若者は」という。しかし、私が入院した両病院の医師も療養士も看護士も福祉士たちも、「いまの若者」の方が「昔の若者、いまの年寄り」よりも人格者であった。何と言われても、怒らないで、にこにこしながら仕事をする。良く訓練されていた。年寄りは若者に助けられ、支えられて生きている。年寄りは若者にもっと感謝しなければならない。

私は前後6か月ほど入院してリハビリに努めた。足にも手にも麻痺が残り、元通りではない。これが脳梗塞である。しかし、お陰で、何とか歩けるようになった。私はこれで元へ戻ったと思うことにし、この身体と付き合って生きていくことにした。手も私が望むように動いてくれるようにしたいと願っている。たとえ、思うようにならなくても生きていける。新しい人生、何処まで生きられ、何ができるのか分からない。しかし、愉しく生きて、素晴らしい、有意義な人生を全うしたい。(終わり)

最近の国際関係学の動向と論争

岩木 秀樹

2011年3月11日に配信された講義を複数回に分けて掲載いたします。ー事務局

特定非営利活動法人 地球宇宙平和研究所
ユニバーサル・ユニバーシティ・インターネット

最近の国際関係学の動向と論争

岩木 秀樹

9・11事件以後、世界中で「テロ」や様々な紛争が続いている。悲惨や戦争から幸福や平和への転換が望まれている中で、戦争と平和の研究が主要テーマである国際関係学の役割が重要になってきている。

毎年世界中で、10万人を超える学生が国際関係学を学び、1万以上の国際関係学の学術論文や書籍が発行されていると言われている。(1)このような膨大な業績全てを考察する時間も能力もないので、本稿では主に21世紀に入ってからの英語と日本語による主要な国際関係学の成果を題材に、その動向と特徴さらに論争を分析していく。

第1章では、21世紀の国際関係学の動向を、シリーズもの、テキスト関係、理論書などに分類して紹介する。第2章では、国際関係学の特徴を米国、英国、日本に分けて、それぞれ分析する。第3章では、実証主義と脱実証主義をめぐる第三の論争について触れ、脱実証主義の意義を考察していく。

目次

  • 1. 21世紀の国際関係学の動向
  • 2. 米国、英国、日本の国際関係学の特徴
  • 3. 最近の脱実証主義論争
  • おわりに

(1) Paul Joseph, “International Relations,” Nigel J. Young eds., The Oxford international encyclopedia of peace, Vol. 2, Oxford University Press, 2010, p. 459.

脳梗塞にならないために、脳梗塞を再発しないために (2)

中西 治

2011年6月21日に済生会横浜市南部病院の主治医から磁気を利用し、三次元的な断面画像をつくり出すことのできるMRI(Magnetic Resonance Imaging=磁気共鳴画像)による検査結果が伝えられた。病名は右大脳基底核のラクナ梗塞。原因は高血圧と糖尿病。点滴治療をおこなう。2週間、穿通枝に抗血小板薬を入れ、再発を予防する。以上であった。主治医の説明と後に横浜市立脳血管医療センターでいただいた資料によると、つぎのようなことであった。

「ラクナ梗塞」というのは脳梗塞の一種であり、脳の内部にある小さな動脈の流れが悪くなって起こる小さな梗塞である。脳梗塞にはこの他に、心臓内でできた血栓が脳動脈に流れ込んで血管が詰まる梗塞、「心原性脳塞栓症」と脳の大きな動脈が動脈硬化によって狭くなったり、詰まったりして起こる梗塞、「アテローム血栓性脳梗塞」の二つがある。この三種の「脳梗塞」と脳の血管が破れて脳の中に出血する「脳出血」および脳の表面を走っている動脈が破れて、頭蓋骨と脳の間にある「くも膜」という膜の内側に出血する「くも膜下出血」の三つを纏めて「脳卒中」という。さらに、症状や徴候が出現しても、24時間以内に回復し、後遺症を残さないものを「一過性脳虚血発作」という。これを含めて「脳血管障害」と総称する。

今回、私は南部病院の主治医から画像の説明をうけたさいに、「あなたは過去に一・二回脳梗塞になっていますよ」と言われ、今回の障害を起こした「大きな一つの点」と他の場所にある「小さな二つの点」を指摘された。

2008年には同じ南部病院でCT(Computed Tomography=コンピュータ断層撮影)の画像を見ながら、「脳梗塞はありません」と言われて、安心し、喜んだのであるが、今回の「小さな二つの点」はそのときのものであろうか、それとも、その後のものなのであろうか。CTとMRIの精度の違いによるものであろうか。いずれにしても、2008年の症状は「一過性」のものであったが、間違いなく今回の「脳卒中の前触れ」であった。「脳梗塞ではなく、腰に何らかの障害があり、それにより血行が悪くなっている」と言われたことで脳梗塞の可能性を軽視したのは私の不覚であった。私はあの段階以降、自身の健康状態に注意するようになっていたが、もっともっと注意すべきであった。

今回、発症したとき、妻から開口一番「自業自得よ」と言われた。私も「その通りである」と思った。私の身体は誰のものでもなく、私自身のものである。私はこの身体とすでに78年間付き合ってきている。私の健康の維持は誰の責任でもなく、私の責任である。

私がこの一文を書いているのは自戒とともに、読者の皆さんに一人でも多く脳梗塞になっていただきたくないからである。「脳梗塞には必ずその前兆がある」「自分の頭であるから、その気になって注意すれば、それは分かる」「注意して生活すれば、脳梗塞にならなくてすむ」と思うからである。(続く

脳梗塞にならないために、脳梗塞を再発しないために (1)

中西 治

人間の身体は精密機械である。その司令塔は脳である。この脳の正常な機能を害する脳梗塞は恐ろしい病気である。厄介な病気である。脳梗塞とは脳の血管が詰まり、血が流れなくなったり、血流が悪くなったりすることによって生ずる病気である。私の場合は左の手と足の動きが鈍くなったにとどまったが、右の手と足に障害が起こった人の中には言語障害などを併発する人がいる。リハビリテーションとはこの鈍くなった機能を回復するために病人(患者)と治療専門家(療法士)が共同でおこなう作業である。私は前後6か月ほどの入院によるリハビリによって、やっと何とか歩けるようになったが、左手はまだ十分に機能していない。

私の脳梗塞の徴候は2010年6月20日(父の日)の早朝にあらわれた。前日、6月19日に予兆があった。夕方、パソコンの前を離れ、立ち上がろうとしたとき、足に異変を感じた。足が思うように動かなかった。これが左足だけだったのか、左右両足であったのかはっきりと覚えていない。すぐに治ったので庭に出て大きくなった梅の実をとった。大収穫であった。

実はこの2年ほど前、2008年に朝のラジオ体操のあと顔を洗おうと思って洗面台の前に立ったとき、急に足がよたよたとして座り込み、立ち上がれなくなったことがあった。這いずりながら食堂に行き、椅子に手をかけてやっと起きあがった。近くの医院で診察を受けた後、主治医の紹介で洋光台駅から一つ大船よりの港南台駅近くの済生会横浜南部病院に行った。精密検査の結果、脳には異常がなく、腰から足への血行が良くないということであった。血行を良くする薬をいただいた。この時は長いあいだ待たされたあと、診察と検査を受けているあいだに治っていた。その後、用心のために、この薬を常用していたが、この病気を甘く見ていた。

今回も初め、2年前の症状がふたたび起こったと思った。早速、薬を飲んだ。ついでに、手元にあったワインを飲んだ。前に血行を良くする薬をいただいたときに、医師に「アルコールはどうですか」と尋ねたところ、「血行を良くするから、少しなら良いでしょう」ということであった。美味しい白ワインを飲み、よい気分で寝た。これが悪かった。夜中12時ころにトイレに行ったときは何とかベッドに戻れたが、明け方6時前にトイレに行ったときには、ベッドに戻れず、途中、畳の部屋でダウンした。それでもなお脳梗塞とは思わず、腰から下への血行が悪いと思いこんでいた。

午前6時に名古屋の二男夫婦に電話をかけ、これから救急車で入院するので、後を頼むと伝えた。ついで、119番した。救急車はすぐ来た。済生会横浜南部病院に運び込まれた。(続く

タイとカンボジアの国境で何が起きているのか?:タイ側被災地を訪ねて

高橋 勝幸

私は涙を流しつつ叫びたい。この涙は怒りに満ち、現世と来世に渡るまで恨みを果たそうとする男児の血の涙だ。
愛すべきタイ人兄弟よ。いつの日か、我々はプラウィハーン遺跡をタイ国の所領にきっと取り戻さなければならない。

これは、国際司法裁判所がプラウィハーン遺跡(カンボジア名はプレアビヒア)のカンボジア帰属の判決を下した後の1962年7月4日、サリット首相[1]の声明の一部である。この文句が黄シャツ[2]のテレビ局「ASTV」で度々読み上げられる。カンボジアに対して失地回復を求めて、今も続くバンコクでの黄シャツの集会でも読み上げられている。

僕は今、東北タイにあるウボンラーチャターニー大学で日本語や歴史を教えている。ウボンラーチャターニー県(以下、ウボン)は東はラオス、南はカンボジアの国境に接している。ラオスとの国境の一部はメコン河だが、残りは陸続きだ。2011年2月4日、軍事衝突が起こったプラウィハーン遺跡周辺[3]は、タイ側はシーサケート県である。ウボン県の西隣の県だ。紛争地はウボン大学から車で1時間半ほどで、ほぼ南に直線距離で約100kmに位置する。

僕は2011年2月12日、参与観察を続けている赤シャツの友人と被災者のお見舞いに行った。午前中、まず避難所のガンタララック郡役所を訪れた。役所の外周に巡らした柵の垂れ幕が目に飛び込んだ。平和を渇望し、戦争を憎悪するものや、カンボジアに対する敵対感情を煽る黄シャツを非難する内容だ。役所には炊き出し、就寝用テント、見舞い品、被災者登録、軍人、ボランティア、メディア関係者が見られた。国境近くの住民は役所に集団避難していたが、軍事衝突が落ち着き、午前中にはほとんどが家財と見舞い品を持って帰宅していた。

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平和を求める垂れ幕 被災者登録
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帰宅する避難者 義捐物資

午後、ガンタララック郡サオトンチャイ区プームサロン村の被災者の自宅を伺った。両隣の2件が被弾して全焼していた。長さ70cm、直径20cmの砲弾だったという。そして向かいの家に行った。直径5mの爆弾跡が畑にあって、驚いた。さらに驚いたことは、この家の主であるチャローン・パーホームさん(59)は2月4日夕方(15時から17時半の間)に被弾して即死したというのだ。タピオカ、カシューナッツ、ココヤシ、ゴムなどの換金作物を栽培していた彼は爆音を聞いて、枯れた灌漑水路に避難したが、砲弾が水路に落ちてそれに沿って進んできて被弾した。僕はその話を未亡人から聞いた。彼女はカンボジアを憎悪することなく、タイ側の黄シャツが戦争を扇動したと批判した。

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全焼した家屋 被弾の跡
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被弾の跡を囲んでみる 夫が被弾した地点を示す女性

次に被爆したプームサロンウィタヤー中学校を訪ねた。僕にとって半年振りの訪問である。前回は、民間レベルのタイ・カンボジア友好促進のために、両国のNGOがシエムリアップとシーサケートを相互訪問し交流した時に拠点として利用した。交流地となった校舎の屋根が被弾していたのはショックであった。校内の至る所に防空壕がある。初めて見た時は遊具かと思った。その時、食堂で働く女性に聞いたら、防空壕を使ったことはないが、そのような事態が起こったら怖いと言っていた。今回、食堂の隣の仮校舎も砲撃を受けていた。

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被爆したプームサロンウィタヤー中学校
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砲弾 被弾した仮校舎

4人の聞き取りを整理すると次のようである。

  • 女性① (避難所で)  戦争を欲しない。普通の生活を取り戻したい。家を空けて、避難所生活をするのはいやだ。家財など大事なものを家に残したままだからだ。
  • 女性② (被爆して父を亡くした娘)政府から小額(7万5千バーツ)の補償金をもらっても、嬉しくない。戦争を扇動した人たちは失われた命や財産に対して責任を持つべきだ。
  • 女性③ 村人は黄シャツを歓迎しない。黄シャツは諸悪の根源だ。多くの村人は赤シャツだ。
  • 男性① プラウィハーンはタイに帰属しないが、黄シャツが領有を要求するまでは何も問題は無かった。

僕は見舞いを終えて、同僚に今回の事件について意見を聞いた。彼女はスリン県出身(シーサケート県の西隣)でクメール語を話す英語教員だ。

「プラウィハーンという一つの遺跡を巡って、長い間争いをし、もううんざりしている。指導者の問題だ。一番被害を被っているのは国境周辺に住む住民だ。バンコクで戦争によって問題を解決しようとしている一部の人々、つまり、黄色いシャツの人たちが悪い。黄シャツは主権だ、領土だと騒いでいるが、地元住民の生活や気持ちが理解できない。地元の住民は生活が大切だ。領土や国境にそれほど関心はない。両国の軍事衝突によって、どれだけ生活を脅かされ、苦渋を強いられているか。生活してみるがいい。しかし、黄シャツが現地に行けば、袋叩きにされるだろう。」

僕が今回の訪問で気づいたことは2点ある。一つは、被災者の批判の矛先がカンボジアよりもタイに向いていることである。黄シャツがカンボジアを挑発するような行動、言論を繰り返すことが批判されている。もう一つは、「防空壕」の存在である。現在、シーサケート県内には297の防空壕があるが、新たに451の防空壕を作るそうだ。土管に土嚢を重ね藁をかぶせたようなものだ。何でも1979年にポル・ポト派がベトナム軍に追われて、国境沿いに拠点を築いて以降、防空壕が作られたそうだ。防空壕が無くても平和に暮らせる日が一刻も早く訪れることを願って止まない。

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防空壕 プラウィハーン遺跡観光のためのタイからカンボジアへの出国許可証

この悲劇は、アンコール王朝の文化遺産が国境に近い絶壁の上に位置することにある。フランス植民地との国境画定が問題を更に複雑にしている。サリットに同行したタイ研究の碩学の石井米雄氏も、プラウィハーン寺院はそのアクセスからタイに帰属すると実感したという。この話を紹介してくれた桜井由躬雄氏は「プラウィハーンはタイのものでも、カンボジアのものでもなく、人類の文化遺産であるから、国連組織が管理すべきである」と話していた[4]。僕は、両国による共同管理によって、プラウィハーン遺跡が平和・友好のモデルとなることを期待している。


1.1959-63年に首相を務めた。独裁者として知られる。
2.反タクシン派で、バンコクの高官や既成財界などの既成支配層に強力なコネをもつ民主市民同盟。赤シャツに対抗。
3.事件の背景は拙稿「タイ・カンボジア関係:プレアビヒア寺院をめぐるウボン大学学生の反応」『タイ国情報』2010年3月号、26-42頁を参照。
4.2011年2月7日、ウボン大学にて。