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朝鮮は社会主義国にあらず

中西 治

朝鮮で金正日総書記の妹と三男と言われる人が「大将」に任ぜられ、後者が党中央委員と党中央軍事委員会副委員長に選出され、父の後継者になることが正式に決まったといわれている。そうなると、朝鮮では金日成に続いて、彼の息子と孫の一家三代が国の最高指導者になることになる。

このような国は社会主義国ではない。

社会主義者とは、生まれ落ちた星の下によって、その人の一生が決まることに反対する人である。ましてや、国の最高指導者の地位がである。なかには世襲が朝鮮の政治文化にふさわしいという人がいる。そのような政治文化に反対するのが社会主義者である。

現在の朝鮮は疑似社会主義である。

もともとスターリンは朝鮮にソビエト的秩序を導入することに反対であった。彼は日本の敗戦後間もない 1945 年 9 月 20 日に、北朝鮮でソビエト権力をつくらず、ブルジョア的民主主義権力を確立するように指示していた。当時、米国とソビエトは朝鮮半島を信託統治下におこうとしていた。これに南朝鮮の人々が強く反対し、 1948 年 8 月に李承晩を中心とする人々が大韓民国をつくった。翌 9 月に、これに対抗して、北朝鮮でも金日成を中心とする人々が朝鮮民主主義人民共和国をつくった。ソビエト軍は同年 12 月 15 日までに引き揚げ、米国軍も 1949 年 6 月 29 日までに撤退した。

1950 年 6 月 25 日に、ともに武力統一を主張していた南北朝鮮間で戦争が勃発した。これに米国と中国 が介入し、朝鮮戦争は拡大・激化した。 1953 年 7 月に休戦条約が締結されたが、いまも戦争状態は完全に終わらず、緊張状態が続いている。

建国間もない中国と朝鮮は社会主義の同盟国として米国および韓国と戦った。それから 60 年経った今日、中国は朝鮮を社会主義国と見ていない。社会主義国ならば、国の世襲統治などを考えないからである。

中国にとって朝鮮は国境を接する隣国である。隣国とは、相手がいかなる政治体制をとろうとも、仲良くしなければならない。長い世襲の歴史を有する天皇制をもつ隣国・日本ともである。

私は人民主権論者であるが、歴史のある段階で世襲制による国の統治が一定の役割を果たしてきたことを否定しない。しかし、このような前近代的な統治制度がいつまでも続くとは思っていない。

問題は朝鮮人民が国の世襲統治をいつまで容認するのかである。

アイデンティティ論 ―現在における民族主義研究の動向と課題

岩木 秀樹

民族を同類意識や帰属意識、情緒的一体感などの主観性の問題として捉える場合、アイデンティティ論がしばしば登場する。田村によれば、従来の政治・社会学では「我々」対「異集団」の関係を考察する際、常に国家なり、エスニシティなり既存の枠組みで規定されている集団を単位として分析を行ってきた。しかし、集団が状況的であり、複合的であり、可変的であるならば、既存の集団を無条件に分析の単位とすべきではない。集団形成の分析に際しては「我々」の構成単位たる「個人」のアイデンティティ認識から出発しなければならないと述べる。(24)

アイデンティティという用語に対して、主体性、自立志向、同一性、帰属意識、存在理由、存在証明などの訳があるが、最近ではアイデンティティとそのまま使用することが多いようである。

アイデンティティが問題になるときは、大きく分けて次の二つである。(25)第一は、アイデンティティが大きく変化する節目であり、具体的には、進学、入社、結婚、子供の誕生、退職、老いや病気、外国への移住などである。第二は、差異や格差、差別が存在するときで、差別に抗って自分の価値を信じようとして、人は存在証明に駆り立てられる場合が多い。この場合、マイノリティの側が強く存在証明に駆り立てられるのである。マイノリティとは、存在証明に無関心ではいられない状況に身を置く人々であり、マジョリティとはそれを意識しないでも生活できる人々である。

アイデンティティを項目別に分けると次の三つになる。(26)第一は、属する組織や共同体が何であるのかという所属アイデンティティであり、具体的には家族、会社、国家、民族、教団などである。第二は、私が発揮できる能力、技術の一切を指す能力アイデンティティであり、性格、資格、職業などである。第三は、結んでいる関係や担っている役割を指す関係アイデンティティであり、具体的には家庭での父、母、夫、妻、職場での役職などである。

民族を考える際には、アイデンティティが問題になる点では、第二の差異や格差が存在する場合、項目別では第一の所属アイデンティティが重要な観点となろう。このようなアイデンティティの観点から民族を見ることは有効であるが、それが外在的環境や歴史的文脈により作られたということも忘れてはならないだろう。

所属、能力、関係を失うとき、アイデンティティ問題に直面し、また差異や差別があって、はじめて自他の違いがわかり、アイデンティティが生じるのである。つまり、何らかの変化や他者の存在、他との比較により自己を認識するのであり、所与のものとして非歴史的にアイデンティティが存在するのではない。このような観点は、三章で述べた近代主義=道具主義=構築主義と親和性があるであろう。

アイデンティティは複合的で重層的に形成されており、時と場合に応じてそのうちの一つが強く意識される。個人から形成されると考えられている集団的アイデンティティ(民族、宗派、国家、部族、階級)は、外的環境に応じて選択的に形成された、歴史状況の中において変化するものである。ここで問題となるのは、なぜある特定の時期にある特定の集団アイデンティティが強調され、特定のシンボルのもとに人々が政治化されるのかという点であろう。(27)


(24) 田村愛理「マイノリティ・エスニシティ・アイデンティティ」『平和と宗教』4号、1985年、134-135ページ。
(25) 石川准『アイデンティティ・ゲーム 存在証明の社会学』新評論、1992年、17、20ページ。なお、アイデンティティに関しては、同上書及び田村、前掲論文を参照した。
(26) 石川、前掲書、18-19ページ。
(27) 田村、前掲論文、135ページ。

民族主義研究の歩み ―現在における民族主義研究の動向と課題

岩木 秀樹

民族主義研究(17)は、第一次大戦後、「民族自決」の原則が叫ばれるようになってから盛んになり始めた。この時期は、主にカールトン・ヘイズとハンス・コーン(18)によって担われた。この時期の研究は民族や国民の存在を自明視する傾向があり、西欧型国民国家における民族と国家の一致というフィクションを前提とするものであった。

1950年代から70年代にかけて民族主義研究に大きな影響を与えた二つの理論がある。50年代から60年代にかけての近代化論と70年代以降のエスニシティ論である。近代化論はカール・ドイッチュなどによって主張されたもので、伝統社会の特徴をエスニック集団などによる分裂と捉え、このような特徴は工業化やマスメディアの普及などによる近代化の進展と共に消滅し、統合された民族ないし国民が成立するというものであった。60年代後半になると近代化論の矛盾が明らかになった。発展途上国での統合が近代化論の予想のようには進展せず、西欧諸国における少数民族の分離運動や自決運動が活性化したことにより、ウォーカー・コナーらのエスニシティ論が台頭してきたのである。

80年代以降は、近代主義をめぐる問題で論争が行われ、現在においてもそれが継続している。近代主義とは、民族主義が、産業化、資本主義、近代国家形成、民主化、公共圏の形成等によってもたらされた「近代的」な現象であるとする立場である。それに対して、近代主義を批判する側は、近代化のインパクトは大きかったが、民族主義が近代化の作用によって、全く何もない状況から発生したわけではないと主張し、さらに人々の民族に対する感情的側面を重視したのである。(19)

近代主義者は、ゲルナー、ホブズボウム、アンダーソンらであり、非近代主義者はスミスに代表される人々である。

ゲルナーは、民族主義を文化的単位と政治的単位とを一致させようとする運動と捉えた。人を一生同じ土地や同じ職位に固定させておくのでは、生産の持続的な成長は見込めない。産業社会は高度の流動性と複雑な分業化を推し進めるため、共通の言語、共通の文化を身につけた同質的集団の形成が必須となるのである。このような不可避の同質性の必要が、民族や国民を創造したのであると説明した。(20)

ホブズボウムは、民族の形成に人工物、捏造、社会的策略の要素が作用しており、民族が国家をつくりだすのではなく、その逆であると指摘し、「伝統の創造」という概念を提示した。(21)

アンダーソンは、出版資本主義の伸長と俗語革命が国民の創造に決定的な役割を果たしたとし、国民をイメージとして心に描かれた想像の政治共同体と捉えた。彼によれば、宗教共同体や王国といった前近代的要素の解体をもとに、新しい共同体の想像を可能にしたのが、人間の言語的多様性に対する資本主義と印刷技術であった。この結果、一言語による交換とコミュニケーションの統一的な場が創造されたのである。(22)

ゲルナー、ホブズボウム、アンダーソンらは、民族や国民が創造/想像されるにいたった決定要因を近代化に見ているのである。近代以前の共同社会と近代の民族や国民との間に明確な断絶が存在すると主張する。それに対して、スミスは民族や国民の創造/想像を可能にした「素材」を近代以前にさかのぼって発見したのである。彼によれば、確かに固有の意味での民族や国民は近代に成立したのだが、その「素材」であるエスニックな共同体は古代から存在していた。共通の血統神話や文化の共有等によって特徴づけられるエスニシティが、近代化をはじめとする社会変動によって、民族や国民へと移行したのである。ただし彼は原初主義を全面的に受け入れるわけではなく、民族や国民の生成における近代化の役割も軽視していないのである。(23)

スミスの指摘は重要であり、前近代におけるエスニシティが近代における民族の基礎の一部となったことを完全に否定することは難しいであろう。しかし、視点の問題として、民族を近代特有の現象と捉えることは有効であろう。民族は恣意的に形成される場合が多く、創造/想像の産物であるがゆえに、現在様々な民族問題が噴出しているのである。


(17) 民族研究史については、佐藤成基「ナショナリズムの理論史」大沢、前掲書、木下昭「付論 ナショナリズム研究史」田口富久治『民族の政治学』法律文化社、1996年を参照した。
(18) Hayes Carlton J. H., Essays on Nationalism, The Macmillan Co., 1926, Hayes Carlton J. H., The Historical Evolution of Modern Nationalism, Richard R. Smith, Inc., 1931, Kohn, op. cit.
(19) 佐藤、前掲論文、43-45ページ。
(20) Ernest Gellner, Nations and Nationalism, Blackwell, 1983, アーネスト・ゲルナー著、加藤節監訳『民族とナショナリズム』岩波書店、2000年。木下、前掲論文、228ページ。黒宮、前掲「ナショナリズムの起源」7ページ。
(21) Eric J. Hobsbawm, Nations and Nationalism since 1780: Programme, myth, reality, 2nd ed., Cambridge University Press, 1990, E.J.ホブズボーム著、浜林正夫他訳『ナショナリズムの歴史と現在』大月書店、2001年。木下、前掲論文、231ページ。
(22) Benedict Anderson, Imagined Communities: Reflections on the Origin and Spread of Nationalism, Verso, 1983, ベネディクト・アンダーソン著、白石隆他訳『想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』リブロポート、1987年。黒宮、前掲「ナショナリズムの起源」7ページ。木下、前掲書、229ページ。
(23) Smith, op. cit. Anthony D. Smith, The Ethnic Origins of Nations, Blackwell, 1986, アントニー・スミス著、巣山靖司他訳『ネイションとエスニシティ』名古屋大学出版会、1999年。黒宮、前掲「ナショナリズムの起源」7ページ。大沢、前掲論文、26ページ。

民族の方法論 ―現在における民族主義研究の動向と課題

岩木 秀樹

民族やエスニシティを研究するに際して、幾つかのアプローチがあり、それぞれ組み合わせが存在する。まず歴史的解釈に関しては原初主義と近代主義が対となり、運動の原動力の解釈としては表出主義と道具主義が対となり、哲学的な認識論の次元では本質主義と構築主義とが対になるのである。この三組の対抗図式は親近性の観点から、原初主義=表出主義=本質主義と、近代主義=道具主義=構築主義に整理できよう。(10)

原初主義とは、民族を原初的所与と捉え、民族共同体の時間的持続性を強調するものである。近代主義とは、民族を近代化の過程において作られたものと見るものである。この点は次章の各者の論でも焦点となってくる問題である。表出主義とは、民族を象徴体系の表出的・表現的経験の問題として扱い、近代社会に生きる孤独な群衆にとって民族は名前とアイデンティティを与えてくれる存在であると捉えるものである。道具主義とは、民族を政治的手段としての利益集団として理解するものであり、政治家などが政治目的のために民族意識を利用するという観点からのアプローチである。本質主義とは、民族を本質的で生得的不変のものと捉える方法である。構築主義とは、民族を実体としては捉えず、作られるという側面を重視する考え方である。構築主義と近代主義は近似したものであるが、前者の方が射程距離が長いと言うべきであろう。

このような分類は分析概念であり、重複する部分が多く、きちんと立て分けられるものではもちろんない。また理論と運動、もしくは客観的分析と当事者の表出形態・意識が異なることも多い。民族は第三者的・研究者的には人為的構築物と捉えられる傾向があるが、当事者には原初的・本質的なものと受けとめられがちである。(11)

民族の分類法については、かなり以前から存在していた。コーンは西側先進国で発展した西欧型民族主義と東欧地域で発展した東欧型民族主義の二分類を提示した。(12)このような二分法に、さらに様々な価値が付与されるようになり、西と東、シビックとエスニック、政治と文化、リベラルと非リベラル、近代と非近代のように対比されるようになり、前者の優位性が前面に押し出されるようになったのである。(13)

近年において、このような二分法は、シビック・民族主義とエスニック・民族主義として議論されている。シビック原理とは、一定の領域において、共通の法体系のもとに、法的・政治的な権利・義務の平等性を確立し、当該地域に居住する人々を政治的市民と規定するものである。エスニック原理とは、祖先にまつわる神話や伝統、土着的な言語や文化などにより人々の紐帯を醸成するものである。(14)この二分法は、政治原理や政治的価値を共有する前者か、血統の共通性を規準にして構築される後者に仕分けされ、前者は健全な民族主義、後者は排他的な民族主義と見なされてきたのである。(15)

しかし、この二分法は明らかにイデオロギー性を内包するものであり、典型的なオリエンタリズムであろう。現実の社会では、シビックとされている西欧地域においても多くの問題を抱えており、シビックとエスニックの相克も見受けられる。また理論面においても、二項対立的な二分法の観点から民族を見るのではなく、この二つの原理がともに民族主義の核心にある根本的な二重性であり、市民性と民族性が付随しているとの見方も有効であろう。(16)

民族に限らず、理論化・分類化するにあたって、イデオロギーの機能を常に自覚する必要があろう。また単純で排他的な二項対立志向にも注意をしなくてはならないだろう。実際の民族は複合的で可変的であり、状況により大きく変化するのである。今まで民族は実体化して考察されることが多かったが、関係的なものである。さらに物事を客観的に冷徹に見る研究者の視点とともに、現に民族が係争事項になっている実践者・当事者の視点も忘れてはならないであろう。


(10) 塩川、前掲書、29ページ。
(11) 同上書、28-36ページ。吉野、前掲書、23-36ページ。
(12) Hans Kohn, The Idea of Nationalism: A Study in Its Origins and Background, Macmillan, 1944. 黒宮一太「シビック/エスニック・ナショナリズム」大沢、前掲書、318-319ページ。
(13) 原百年「ナショナリズム論-「エスニック/シビックの二分法」の再考-」『法学論集』61巻、山梨学院大学、2008年、140-141ページ。
(14) 黒宮一太『ネイションとの再会 記憶への帰属』NTT出版、2007年、94ページ。
(15) 黒宮、前掲論文、317ページ。
(16) スミス、前掲訳書、37ページ。黒宮一太「ナショナリズムの起源」施、前掲書、13ページ。

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民族の定義 ―現在における民族主義研究の動向と課題

岩木 秀樹

民族を定義づけることは、非常に困難である。立場・視点によって大きく異なり、意味が重複し、曖昧なものとなっている。ここではとりあえずある程度の定義づけのために、民族とその周辺の用語との相違点を指摘する。

まず人種と民族の相違であるが、梶田によれば、人種とは、主に肉体的・生物学的属性に注目した分類基準で、大きくは白人や黒人とその他の有色人に分類されるが、科学的には多様な分類が考えられる。これに対して、人間集団を言語、生活様式(服装、髪形、食事、家族構成など)を基準として分類すると、それらはエスニック集団あるいは民族とみなされる。(5)

次に民族とエスニシティの相違を考えてみる。エスニシティとは、大別して二つの用法がある。第一に、少数民族あるいは移民・移住集団を意味する。第二に、近代的民族の成立以前に存在する何らかの共同体、もしくは近代的民族の原型を意味する。(6)このようなエスニシティ概念は、何らかの共通性を基盤にした文化的概念であるのに対して、民族は政治的自決を志向する政治的概念である。また国民とはある国家の正統な構成員の総体と定義できよう。(7)

エスニシティについてもう少し考察すると、第一の用法はアメリカでよく用いられ、第二の用法はスミスらの議論につながるものである。第二の用法は次章で考察するが、第一の用法についてここでは簡単に述べておく。

エスニシティは、公民権、学生、ウーマンリブ運動の影響を受けて、1970年代のアメリカで最初に使用されるようになった。従来はマイノリティ研究に使われていたが、最近は幅広く使われるようになってきており、移民・難民・外国人労働者などを指すことも多くなってきた。訳語は定着しておらず、エスニシティとして使用される例が多いのである。

スミスによれば、エスニシティの構成要素として次の六つが挙げられる。集団に固有の名前の存在、集団に独自の文化的特徴の共有、共通の祖先に関する神話、歴史的記憶の共有、固有の「ホームランド」との関係あるいは心理的結びつき、集団を構成する多数の連帯感の存在である。(8)

日本語の民族は、英語のネーションやエスニシティの両者を包含した概念であるが、近代において政治志向を有した集団として使用されることを前提とすると、ネーションとの親近性が高い。エスニシティを一つの基盤として民族が近代において創造され、政治化したのであろう。

しかしエスニシティと民族の差は政治的覚醒の程度の差であるので、境界線は曖昧であり、民族という日本語はこうした現実世界の曖昧さに対応しているので、かえって概念としての有効性が認められるのかもしれない。(9)

本稿において民族のとりあえずの定義として、次のようにしておく。民族とは、前近代のエスニシティをある一定の基盤として、言語・文化・生活様式などが共通であると認識された、近代において創造/想像された政治志向を有した集団とする。


(5) 梶田孝道『国際社会学』日本放送出版協会、1995年、68ページ。
(6) 吉野耕作『文化ナショナリズムの社会学 現代日本のアイデンティティの行方』名古屋大学出版会、1997年、20ページ。
(7) 塩川伸明『民族とネーション -ナショナリズムという難問』岩波書店、2008年、6-ページ。施光恒他編『ナショナリズムの政治学 規範理論への誘い』ナカニシヤ出版、2009年、ⅳページ。
(8) Anthony D. Smith, National Identity, Penguin Books, 1991, p. 21、アンソニー・スミス著、高柳先男訳『ナショナリズムの生命力』晶文社、1998年。吉野、前掲書、20-21ページ。
(9) 同上書、23ページ。

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なぜいま民族なのか ―現在における民族主義研究の動向と課題

岩木 秀樹

なぜ今、民族が注目されているのだろうか。従来、社会が近代化すると価値志向が属性主義、特殊主義、地域主義、部族主義、伝統主義から機能主義、業績主義、合理主義、普遍主義へと変化するので、人種・エスニシティ(エスニック集団)・民族などへのこだわりはなくなると言われていた。(3)しかし、なぜいま民族が注目され、様々の「民族問題」が噴出してきているのか。その要因は色々あるが、以下のようなことが考えられよう。

そもそも上のような問題の立て方がおかしいとも考えられよう。業績主義的努力が属性化する結果も見られる。もしくは一見業績主義と見られていたものが実は属性主義によって決定されていたということがある。学力が親の収入と相関関係があるということはそのよい例であろう。近代化、産業化によって属性主義から業績主義へと単線的に移行するわけではないのである。また「民族対立」が属性的なものをめぐる対立であるとともに、経済格差や業績発揮の機会をめぐる業績的対立でもあるのである。

他の民族台頭要因として、国民国家を建設するため、一民族、一言語、一文化を過度に重視し、異文化者の同化が前提にあったので、それへの反発が出ているとも考えられよう。姜によれば、資本主義世界経済の発展と矛盾が生み出す「反システム運動」であり、普遍主義的な文化的同化の強制に対する「痛切な叫び」である。(4)また国民国家を相対化する動きも多く見られている。例えば移民、難民、留学、海外勤務などは既存の枠組みを超える動きであろう。

民族台頭要因として、社会主義陣営の崩壊後の新しい統合原理として民族が利用されているということもあろう。冷戦崩壊後に、いわゆる「民族紛争」が生じている。今まで抑圧・隠蔽されてきたものが噴出しているとも考えられよう。

このように様々の要因によって、現在、民族が台頭し、それに対する議論が盛んになっているのである。


(3) 梶田孝道編『国際社会学-国家を超える現象をどうとらえるか-』第2版、名古屋大学出版会、1996年、30-31ページ。
(4) 姜尚中「世界システムのなかの民族とエスニシティ」『グローバル・ネットワーク 岩波講座社会科学の方法』11巻、1994年、188ページ。

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グローバル・アカデミー (GA) のお知らせ

事務局

下記のように、 2010 年度第 2 回グローバル・アカデミー (GA) を開催いたします。1 コマ、 2 コマともに、本研究所会員でもある池田温先生にお願いしております。ぜひ奮ってご参加ください。

日時:10 月 17 日 (日)
13:30-14:30  講義
休憩
14:40-15:40  講義
休憩
15:50-16:40  質疑応答・議論

場所: 横浜市青葉区区民活動センター会議室 2・3
東急田園都市線  田奈駅下車  駅を出てすぐ左側
住所  横浜市青葉区田奈町 76
電話  045-989-5265

講師: 池田温氏 (東京大学名誉教授)

テーマ:「伝統中国における非戦と平和思想」

現在における民族主義研究の動向と課題

岩木 秀樹

特定非営利活動法人 地球宇宙平和研究所
ユニバーサル・ユニバーシティ・インターネット

現在における民族主義研究の動向と課題

岩木 秀樹

はじめに

冷戦崩壊以後、いわゆる「民族問題」が噴出している。「民族問題」や「民族紛争」を低減化するためにも、民族とは何か、なぜ民族なのか、民族の歴史的発生要因や社会的機能などが問われなくてはならないだろう。

民族は近代のどのようなイデオロギーよりも比較的大きな政治的影響力をもっていた。しかし哲学的には貧困でリベラリズムやマルクシズム、フェミニズム等の他のイデオロギーと違って、偉大な思想家も生み出さなかったと言われている。このことは資本主義も同様であり、偉大な思想家を生み出さなかったけれども、社会的には大きな影響力をもったのであった。(1)また民族ほど、日常の実生活を直接に政治と結びつけるイデオロギーは存在しない。民族を支えるのは、抽象的な世界観ではなく、日常生活にまつわる言語や文化などの「伝統」の共有である。近代における自由主義や社会主義などを内面化するには相当の時間や教育が必要であるが、民族への共感や一体感は子どもにも可能であると言われている。(2)

このように大きな影響力をもち、しばしばエモーショナルに訴え、戦争の原因とも受け止められている民族を考察することは重要であろう。ここでは最近の日本における民族に関する議論を中心に、民族主義研究の動向と課題を概略的に論じるものである。

本稿ではまず最初に、民族が注目されている要因を述べた後、民族と他の概念との相違を見た上で、大まかな定義付けをしていく。次に民族研究における方法論を、原初主義=表出主義=本質主義と近代主義=道具主義=構築主義に立て分けて説明する。さらに第一次大戦後からの民族主義研究史を瞥見し、民族の発生を近代にみる近代主義者と非近代主義者の論を検討する。最後に、アイデンティティ論の観点で民族を見た上で、民族を超えるような視座の可能性を示唆する。

目次

  • 1. なぜいま民族なのか
  • 2. 民族の定義
  • 3. 民族の方法論
  • 4. 民族主義研究の歩み
  • 5. アイデンティティ論
  • 6. 民族を越えて
  • おわりに

(1) 大沢真幸「ナショナリズムという謎」大沢真幸他編『ナショナリズム論・入門』有斐閣、2009年、25ページ。
(2) 藤原帰一『新版 平和のリアリズム』岩波書店、2010年、90ページ。