月別アーカイブ: 2010年7月

平和主義における信条倫理と責任倫理

遠藤 美純

戦争と平和の問題を前にして、人はいかに振る舞うべきなのだろうか。とりわけ戦争に直接関わらない現代日本のような平和な社会において、何を基準として戦争に対する態度を決めればよいのだろうか。

ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーは『職業としての政治』において、人として行うべきことがどのような基準で選択されるのかを、信条(心情)倫理と責任倫理という二つの対立する基準から論じている。信条倫理とは自らの信条を貫くことを第一とする考え方である。一方、責任倫理とは自らの行為の結果こそ第一とする考え方である。信条倫理においては、価値とはその信条の純粋さにあり、行為の結果の責任は純粋な行為者本人にではなく、不純な他人に見出される。一方、責任倫理においては、価値とはその結果いかんにしかなく、自らの行為の結果が予見できた以上、その責任を他人に転嫁できないと考える。平和主義に引き寄せて考えるならば、信条倫理は純粋に一貫して平和を訴え続けることこそを目的とし、責任倫理は結果としての平和を確保することこそを目的とする。

この二つの倫理を考慮すれば、限定的にせよ何らかの平和を目的とする人々にとっては、自らの責任ある立場というものにおいて、心情倫理に導かれつつも、責任倫理に基づく行動の選択が必要とされることは広く認められるであろう。もちろん、戦争を容認するのが責任倫理的な行為であり、戦争に反対するのが信条倫理的な行為であるわけではない。信条倫理に基づいて戦争を起こしたり容認したりすることも、責任倫理に基づいて戦争に反対することもありうるからである。

その意味で、ある戦争に対していかに処すべきかと言う問題と、信条倫理と責任倫理との対立とを混乱させてはいけない。反戦か戦争容認かを巡って相手をやり込めるような闘争を行うのではなく、平和の実現のためにいかなる戦略をとるべきなのか、その平和は誰のどのような平和なのかについてまず考えるべきなのである。もちろん、そもそも責任倫理と言っても、ある行為が本当にある結果をもたらすのかどうかというしばしば無視されがちな重要な論点もある。

戦争と平和の問題への対処を考える際、いわゆる反戦派と容認派の対立がしばしば不毛なものになるのは、双方が自らの目標と戦略に関して自覚的でないがゆえに、同じ議論の土俵に立てないことにある。自らが何を考えているのか、相手が何を考えているのかをまず整理しなければ、平和を目指すために協力し合わなければならない人々同士が対立してしまう。そんなところで争っていては、何が本当の問題なのか見失っていると言われざるをえないであろう。

さて、このように為すべき行為を考える際に責任倫理が優先される一方、信条倫理についてはいかに考えらるのであろうか。 マックス・ヴェーバーは、信条倫理家に対しては手厳しく、綺麗事だけで済まされないこの世の中にあっては、無責任でロマンチックな法螺吹きだとさえ言っている。しかしその上で、誰しも精神的に死んでいない限り、信条倫理と責任倫理の対立に引き裂かれながらも、自分にはこうするよりほかないという状況に立たされうると言う。

「精神的に死んでいないかぎり、われわれ誰しも、いつかはこういう状態に立ちいたることがありうるからである。その限りにおいて信条倫理と責任倫理は絶対的な対立ではなく、むしろ両々相俟って『政治への天職』をもちうる真の人間をつくり出すのである。」

平和な日本において、遠い戦争はどれだけの問題として受け止められるのであろうか。身近に差し迫る問題に比べて非現実的な問題ととらえられることもあろう。にもかかわらず、「戦争はいけない」との信条倫理に従い、自ら引き受ける苦悩というものがある。これは人間的に純粋なものであり、人々の魂を揺り動かすものである。私はこの苦悩こそが平和主義の連帯をもたらす共感を生み、平和への礎となるのだと思う。そして、人がそのような苦悩を担う限りにおいて、信条倫理と責任倫理は絶対的な対立を抱えつつも、むしろ互いに支え合い、平和への確かな道をつくり出していくのではないだろうか。

グローバル・アカデミー報告

事務局

2010年7月18日(日)15:20から16:50まで、横浜市青葉区区民活動支援センター会議室1で、2010年度第1回「グローバル・アカデミー GA(地球大学院)」が行われました。9名の方が参加され、有意義な議論をすることが出来ました。

今回は渡辺宏副理事長が「戦後日本社会を考える『主体としての個人』という観点を軸として」というテーマで発表されました。

まず戦後社会について、「平和と中流のライフスタイル」に象徴される戦後社会に対する肯定的評価と、多くの差別と犠牲の上に成り立っているとする批判的評価を立て分けた上で、戦後価値として主体性・開放性・非暴力性を基調とする戦後民主主義に対して一定の評価をするべきだと主張されました。

主体としての個人の問題について、1980年代の消費社会によって大きく変容し、市場は人間を商品として手段化する傾向にあり、主体が崩壊しつつあるとされました。それに対して、民衆個々人の主体が自分の欲望に忠実なことこそ国家主義への抵抗になるとの意見もあり、また最近の論壇の若手には主体性など存在せず、システムが良好に機能していれば大きな問題にはならないとの論が紹介されました。

今後、再び主体や個と公の問題が再考され、新しい共同体・公共を作り出す試みがなされる可能性があり、現在、大きな転換期にあることが指摘されました。

むすび -コスモナイゼーション第2期とグローバリゼーション第3期 ―コスモナイゼーションとグローバリゼーション

中西 治

宇宙が生まれ、拡大し始めたことによって、コスモナイゼーションが始まった。

宇宙のなかに地球が生まれ、地球上に人類が誕生し、地球上の各地に広がり始めたことによって、グローバリゼーションが始まった。

1492年にコロンブスがアメリカ大陸に到達し、地球上に拡散した人間を結び合わせ始めたことによって、グローバリゼーションの第二期が始まった。

1957年にソビエトが人工衛星スプートニクを打ち上げたことによって、グローバリゼーションの第三期が始まった。同時に、コスモナイゼーションの第二期が始まった。人間が拡散した宇宙を結び合わせ始めた。

グローバリゼーションもコスモナイゼーションもその担い手は人間である。

宇宙も、地球も、人間も、人間の社会も、最初はカオス (khaos=混沌)の状態であった。アナーキー(anarshy)であった。そこからコスモス(cosmos)が形成された。コスモスとは調和のとれた統一体であり、秩序(order)である。それは一定の期間、安定(stability)する。制度(system)にも寿命がある。ふたたびカオス状態が生じる。

宇宙のなかで起こる出来事は「混沌>秩序>安定>混沌>新秩序>安定>混沌>新新秩序>」と弁証法的に発展する。この循環の過程は正常であり、混沌も正常な過程の一つである。

混沌は恐れるべきことではない。

混沌は新しいものを生み出す源泉である。

始めのあるものには必ず終わりがある。

宇宙も地球も人間もそうである。

ガモフは『太陽の誕生と死』で「数十億年の後、わが太陽は衰退をつづけることは疑いない。地球の温度は零下200度にも下がり、地上の生命はほろんでしまう。これは何のこともない。それよりもずっと以前に太陽の活動ははげしくなり、人類は焼け死んでいるであろうから。」と書いている。

人間の生命もせいぜい百年である。生ある限り命を大切にし、楽しく生きればよい。

私はこの地球上に、しかも、21世紀に、人間として生きていることに大変感謝している。

21世紀に人間は他の惑星に立ち、コスモナイゼーションをさらに一歩進めるであろう。

グローバリゼーションもいっそう進み、多様ななかでのグローバルな統合がさらに進むであろう。

宇宙は、地球は、人間は、人間の社会はやっとここまで来た。

これからも長い道を歩むであろう。

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5. 地球史から宇宙地球史へ ―コスモナイゼーションとグローバリゼーション

中西 治

英国の歴史家クロスレイは2008年に『地球史とは何か(What is Global History?)』を出版した。彼女は英国の歴史家ハーバート・ジョージ・ウェルズが1901年に初版を出版した『歴史のあらまし(Outline of History)(邦訳:世界史大系)』を「大きな影響力のある地球史(Global History)」であったと指摘している。

当時のイングランド人の多くは歴史を学んでおらず、知っていてもせいぜいイングランドの簡単な歴史ぐらいであったという。そのような時代にウェルズは「ユニバーサル・ヒストリー(Universal History)」の考えを提起したのであった。

20世紀は各国史だけではなく、世界史が花盛りであった。21世紀はビッグバン以来の「大きな歴史(Big History)」や旧約聖書のような地球誕生以来の「偉大な物語(Great Story)」の時代である。その兆しはすでに1970年代から1990年代にかけて現れていた。

ウォーラーステインは1974年から1989年にかけて三部から成る『近代世界システム:農業資本主義と「ヨーロッパ世界経済」の成立(The Modern World-System:Capitalist Agriculture and the Origins of the European World-Economy)』を世に問い、ヨーロッパ中心の世界システム論を展開した。

ダイアモンドは1997年に出版した『銃・病原菌・鉄(Guns, Germs, and Steel:The Fates of Human Societies)』でヨーロッパが世界の中心となったのは19世紀以降であって、それ以前はアフリカ、アジア・オセアニア、イスラーム地域、中国であったことを指摘した。

フランクは1998年に『リオリエント(ReOrient)』を出し、中国をはじめオリエント(東洋・目標・方向)を見直すように主張した。

クロスレイはウェルズからフランクにいたる数々の業績を整理・検討し、「幅の広い、包括的な、総合的な展望を示そうとする歴史はすべてグローバル・ヒストリーである」としている。

地球は宇宙のなかに存在している。地球の地表には三つの圏がある。

第一は地表に近い地下から地球を取り巻く大気圏を含む広大な「地圏」である。

第二は生命をもつ動植物の「生物圏」である。

第三は精神や社会関係の分野である「社会圏」である。

これらの3圏は一つのまとまった「地・生物・社会システム」を形成し、そこには密接な相互交流と相互依存の関係が存在する。
しかも、この3圏は宇宙全体と密接に関係しており、宇宙と地球の3圏は相互に影響を与え合っている。

宇宙からは地球に太陽エネルギーや宇宙放射線が注がれ、いん石や宇宙塵やその他の物質が落ちてきている。他方、地球から宇宙に向けてエネルギーが拡散し、人間によって発せられる無線電波や電磁気、その他の放射線、および、信号が送られている。

20世紀後半には人工衛星が宇宙空間に打ち上げられ、月面に人間が立った。これまでに3万個以上の情報通信衛星が打ち上げられ、現に1万個以上のこれらの物体が地球周辺の宇宙空間を飛んでいる。宇宙空間に宇宙ステーションが設置され、人間が長期にわたってそこに滞在し、調査・研究をしている。太陽系の大小の惑星に向けて探査機が飛行し、帰還し始めている。

このように地球上の諸問題は宇宙全体と繋がっており、それを地球史的観点からだけでなく、宇宙地球史的な観点からも検討することが必要となっている。地球史から宇宙地球史への発展が必要である。

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4. グローバリゼーションの進展と人間の認識の変化 ―コスモナイゼーションとグローバリゼーション

中西 治

ロシアの哲学者チュマコフは2005年に上梓した『グローバリゼーション:全一的世界の概要』でグローバリゼーションの過程を次の四つの時期に分けている。

第一は人類の出現から新石器革命が終わる1万年前から8000年前までの原始社会の時期である。交流は局地的であった。

第二はそれ以降コロンブスがアメリカ大陸に到達した1492年までの時期である。交流は地域的であった。

第三は地理上の大発見から1957年のソビエトによる人工衛星打ち上げまでの時期である。交流は地球的になった。

第四はそれ以降今日までである。交流は宇宙的になった。

チュマコフによると、現実のグローバリゼーションが始まったのは地理上の大発見以降である。それは地理的グローバリゼーションで始まり、それに経済的グローバリゼーションと政治的グローバリゼーションが続き、20世紀に入って生態的グローバリゼーションと情報的グローバリゼーションが加わり、全体的(総合的)グローバリゼーションが急激に進行した。

グローバリゼーションは人間の意識に大きな変化をもたらした。

第一の時期の後半、1万年前に神話や宗教が出現し、世界観が形成された。

第二の時期に科学革命が起こり、世界観の一形態として哲学が出現し、文化という用語が現れた。

第三の時期の科学革命により世界観の一形態として科学が出現し、文明という用語が現れた。

第四の時期の地球的革命によって地球的意識が出現し、グローバリゼーションという用語が現れた。将来は仮説的ではあるが、倫理革命によって個人的意識と社会的意識のヒューマニゼーション化が起こるであろうという。

第三の時期以降の人間のグローバリゼーション認識の発展過程をもう少し詳しく見ると、19世紀にはマルサス、マルクス、ダニレフスキー、シュペングラーなどが現れた。彼らは全体的な相互関係を直感的に推測した。世界の一体性を感得したが、明確な定式化はおこなわれなかった。グローバリゼーションは検討され、予測されるだけであった。

1960年までにヴェルナツキー、ヤスパース、トインビー、ラッセルなどが現れた。個々の学者が世界の一体性を理解した。地球全体の規模で生物的なもの、社会的なもの、精神的なものが切り離せないように結びついていることを指摘した。

1980年までに自然科学者たちと人文科学者たちが地球的諸問題を発見した。新しい科学知識分野として地球学を形成し始め、地球的意識を形成し始めた。

現在はグローバリゼーションが広範な社会的意識となった。世界の一体性を認識し、地球的世界観を形成した。

2015年以降は仮説的ではあるが、状態、過程、現象としてグローバリゼーションが認識されるであろうという。

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3. 人類の誕生・進化・拡散とグローバリゼーションの始まり ―コスモナイゼーションとグローバリゼーション

中西 治

700万年前にゴリラやチンパンジーと枝分かれした人類は猿人であった。

最初の500万年から600万年のあいだ、つまり、200万年前から100万年前まで人類はずっとアフリカ大陸に住んでいた。

この間、およそ400万年前に人類は直立姿勢をとるようになり、およそ200万年前から簡単な石器と火を使うようになった。

人類がアフリカ大陸を離れて東南アジアのジャワ島で暮らすようになったのは180万年前から100万年前のことであり、ヨーロッ大陸で生活するようになったのはおよそ50万年前のことである。

4万年ほど前にヨーロッパ大陸に現世人類の骨格をもつクロマニヨン人が出現した。

およそ1万3000年前、最終氷河期が終わった時点で人類はアフリカ、ヨーロッパ、アジア、オセアニア、アメリカなどの地球上の各地で暮らしていた。狩猟・採取で生きていた。

1万年ほど前から植物の栽培と動物の飼育が始まった。農業革命の始まりである。農業社会の出現である。

日本列島に人類が到達したのはいつだったのだろうか。

国立科学博物館の研究によると、現世人類がアフリカで誕生したのはおよそ20万年前から10万年前、アフリカから世界各地に広がっていったのはおよそ7万年前から6万年前とされている。東南アジアのスンダランド(インドネシアとその周辺を含む亜大陸)に移り住んだ人々がさらに日本列島に移り住み始めたのは4万年前から3万年前のことであった。シベリアから日本列島にやってきた人もいた。およそ1万年前に縄文文化が生まれた。

およそ2300年前に中国や朝鮮半島から渡来した人々が九州北部から日本列島各地に広がり、縄文人と混血しつつ、弥生文化をつくりだした。

新しい渡来人の影響が少なかった北海道と沖縄ではそれぞれアイヌと琉球人が縄文文化を色濃く残しながら、独自の文化を築いていった。

日本列島にはアイヌ、本土人、琉球人という三つの集団が形成された。

日本列島には東南アジアから琉球、九州、本土へ、シベリアから北海道、本州へ、さらに、中国と朝鮮から九州、本州へ人類が移動してきた。琉球から北海道にいたる列島に北から、南から、西からさまざまな人が移住してきた。日本人はそれらの人々とその混血から成り立っており、日本文化もその混合であった。

グローバリゼーションは人類が地球上の各地に拡散することによって始まった。

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2. 太陽・地球・月と生命の誕生 ―コスモナイゼーションとグローバリゼーション

中西 治

ガモフは1945年の『太陽の誕生と死』第2版で「星のできたのは20億年よりは古くないことになる。これは太陽の年齢を相当せまい範囲で与えたものであって、私たちの地球や惑星は太陽初期時代にできたものであるということを示すものである。」と書いている。

ガモフは1963年の『地球と呼ばれる惑星(A Planet called Earth)(邦訳:改訂新版・地球の伝記)』第4版で「いん石を放射性物質で研究することによって、カリフォルニア工科大学のパターソンはそれらのいん石の平均の年齢が45億年であることを知った。太陽系のすべての惑星がほぼ同じ年代にできたものと考えるのは妥当であることから、その年代は地球のできた年代と一致しているものと見ることができる。」と書いている。

ガモフは1945年に太陽や地球やその他の惑星が誕生したは20億年ほど前といっていたのが、1963年には45億年前といっている。これはこの分野の学問が1940年代から1960年代にかけていかに急速に発展したのかを物語っている。それがいまではもっと進んでいる。

2006年に出版された川上紳一と東條文治の『図解入門 最新地球史がよくわかる本』によると、およそ46億年前に巨大な分子雲が重力収縮を始め、周囲のガスを集めて「原始太陽」が形成された。この原始太陽をとりまいて円盤状のガス円盤ができた。「原始太陽系星雲」である。その温度は太陽の近くでは摂氏1500度以上に達し、これが冷却・凝縮して固体微粒子となり、原始太陽系星雲とともに回転した。やがてこれが太陽系の赤道面に沈殿し、微粒子の層が形成されて初期天体となった。「微惑星」である。

地球近傍ではおよそ100億個の微惑星が形成され、これが衝突破壊や合体成長を繰り返して現在のような太陽系ができあがったといわれている。太陽のまわりを回転する水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星などである。いまでは冥王星が惑星から除かれているので8惑星である。

月がどのようにしてできたのかについては四つの説がある。

第一は遠心力によって月が地球から飛び出したとする分離説である。進化論のチャールズ・ダーウィンの息子、天文学者のジョージ・ダーウィンが主張した。

第二は原始太陽系星雲で地球が形成されるときに、地球のまわりにあった微惑星が集まって月ができたとする兄弟説である。

第三は太陽系のどこかほかの場所でできた天体が偶然地球重力圏に捕獲されたという捕獲説である。1960年代にコンピューターを使って月の軌道を計算してでてきた説である。

第四は原始地球に火星サイズの微惑星が衝突して飛び散った破片から月ができたとするジャイアント・インパクト説である。1980年代にでてきた説であり、コンピューターによる衝突過程のシミュレーションもおこなわれている。

現在、地球の年齢は、先にふれた放射性元素を用いた岩石の年代測定によって、およそ46億年といわれているが、同じ方法による地質調査に基づいて、地球史は次のように分けられている。

第一は40億年前以前である。かつては「冥王代」と呼ばれたことがあるが、地質時代の名称としては、現在、使われなくなっている。

第二は40億年前から5億4200万年前までの「先カンブリア時代(隠生代)」である。これは「太古代(40億年前~25億年前)」と「原生代(25億年前~5億4200万年前)」の二つの時期から成る。

第三は5億4200万年前から今日までの「顕生代」である。これは「古生代(5億4200万年前~2億5100万年前)」、「中生代(2億5100万年前~6550万年前)」、「新生代6550万年前~現在」の三つの時期から成る。

「先カンブリア時代」というのは「古生代」の最初の5億4200万年前から4億8830万年前までの時期を「カンブリア紀」と称していることからきている。この「カンブリア紀」の地層から突然たくさんの動物の化石が発見されている。これは動物の起源にかかわっており、「カンブリアの大爆発」といわれている。これはそれ以前の35億年間を「先カンブリア時代」と規定するほどの重大な出来事である。

地球が誕生して以来、46億年間に地球史には次のような七つの大きな出来事があった。

第一は46億年前に地球が始源物質の集積によって成長し、形成されたこと。

第二は40億年前以降に形成された岩石が保存されるようになったこと。

第三は27億年前に世界中で著しい火成活動があり、地球磁場強度が急増したらしいこと。

第四は19億年前に同じく著しい火成活動があり、巨大な大陸が初めて形成されたこと。

第五は6億年前に超大陸が分裂して新しい海洋が形成され、突然多様な生物が発生し、進化し始めたこと。

第六は2億5000万年前からおよそ1000年間、海洋が酸素欠乏状態となり、生物の大絶滅が起こったこと。

第七は現在、人類が科学を始め、地球・宇宙の歴史と摂理を探り始めたことである。この点で20世紀において人類が人工衛星を打ち上げ、長期にわたって宇宙空間に滞在し、調査・研究をおこない始めたことの意義はきわめて大きい。

地球に生命が誕生したのは一体いつごろであったのだろうか。

それは地球ができてから5億年ほど経った40億年以上も前のことであると考えられている。原始地球でメタン、アンモニア、シアン化水素、ホルムアルデヒドといった単純な分子からアミノ酸や脂肪酸が合成され、さらにそれらが一連の反応を繰り返し、細胞膜によって包まれることによって最初の単細胞生物が誕生したといわれている。それは海底の熱水噴出孔や地表の硫黄くさい温泉水の湧き出す温泉のような環境で発生したようである。その単細胞が進化し、人類となった。

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1. 宇宙の誕生 ―ビッグバン論 (膨張宇宙論) と定常宇宙論 ―コスモナイゼーションとグローバリゼーション

中西 治

英国の天体物理学者ジョン・バローとジョセフ・シルクの共著『創造の左の手(The Left Hand of Creation)』(林一訳『宇宙はいかに創られたか』岩波書店、1985年)やhttp://ja.wikipedia.org/wiki/などによると、のちに「ビッグバン論(Big-BangTheory)」と呼ばれるようになった「膨張宇宙論」を第一次大戦後の1922年に最初に提起したのはソビエトの数学者アレクサンドル・フリードマンであった。

彼は宇宙が動かないものではなく、膨張したり、収縮したりすると考えた。フリードマンは単なる理論家ではなく、実践的な気象学者でもあった。彼は1925年に自ら気球を操縦して2万3000フィートの高度記録を樹立した。フリードマンは公式には腸チフスとされているが、実際には気象観測気球を揚げていたときに風邪をひき、肺炎を起こして37歳の若さで亡くなったといわれている。

このフリードマンの論を1927年に再発見したのがベルギーの神父で数学者のジョルジュ・ルメートルであった。そのきっかけとなったのは米国の天文学者エドウィン・ハッブルのセミナーであった。ルメートルは原始物質の爆発膨張にともなって宇宙ができたと考え、ハッブルは銀河が急激な分散状態にある、つまり、宇宙が膨張していることを発見した。

自然現象である大爆発が宇宙の始まりであるという考え方は、神が天地の万物を創造したと信じていた人々に大きな衝撃を与えた。何とか反論しなければならない。

第二次大戦が終わって間もない1946年に英国のヘルマン・ボンディ、トーマス・ゴールド、フレッド・ホイルの3人はボンディの部屋で、終わりがそのまま発端につながる怪奇映画を見た。ゴールドは「宇宙がこれと同じようにつくられているとしたらどうかね」と尋ねた。こうして宇宙は始めも終わりもなく、絶えず膨張しているが、新しい物質がつくられているので平均密度は変わらないという「定常宇宙論(Steady-State Theory)」が生まれたという。

ビッグバン論を大論争問題としたのは米国のガモフと英国のホイルであった。ガモフは1948年にルメートルの説を支持し、宇宙は「爆発」から始まり、「膨張」していると主張した。これに対しホイルは1949年にルメートルの説を批判し、「this ‘big bang’ idea」と揶揄したという。「bang」というのは、「バン(ドン、ドカン、ズドン、バタン)という音」であり、「ビッグバン」というのは、「大きな音=うるさい音」である。これが皮肉にも新しい理論の呼称「大爆発論」となった。

地質学者でロシア系アメリカ人会議の創立者の一人であるエヴゲニー・アレクサンドロフが2005年に米国とロシアで出版した伝記事典『北アメリカのロシア人たち』によると、ガモフは1904年2月20日(旧暦、新暦では3月4日)に帝政ロシアの黒海に面するオデッサで生まれた。本名はゲオルギー・アントノヴィッチ・ガモフ。ユダヤ系ロシア人である。ガモフはソビエト時代の1922年にペトログラード大学に入学し、同時に気象観測所で働いた。ガモフは在学中にアレクサンドル・フリードマンの講義を聴き、大きな感銘をうけたといわれている。ガモフはレーニンの死後にレニングラード大学と改名された同大学を1925年に卒業し、大学院に席をおいた。

ガモフは1931年に母校レニングラード大学の助教授となった。彼はそのころのソビエト社会の雰囲気に嫌気がさし、ソビエト体制への批判を強め、外国への出張が制限されるようになった。ガモフは妻とともに3回非合法に出国を企てたが、失敗した。ガモフは1933年10月にベルギーの首都ブリュッセルで開かれた会議にソビエト政府が派遣した代表団の一員となった。当時首相であったモロトフは余人をもって代え難い学術秘書としてガモフの妻の出国を許可した。会議終了後にガモフは帰国を拒否し、パリ、ケンブリッジ、コペンハーゲンなどで講義した。1934年に米国へ移住し、ジョージ・ワシントン大学教授に就任、英語風にGeorge Gamowと称した。

ガモフは1940年に『太陽の誕生と死(The Birth and Death of the Sun)』(1945年第2版)を出版し、1941年に『地球と呼ばれる惑星(A Planet called Earth)(邦訳:地球の伝記)』(1947年第2版、1950年第3版、1963年第4版)、1952年に『宇宙の創造(The Creation of the Universe)』を出している。これらの書をガモフ自身が三部作と呼んでいる。さらに、1964年に『太陽と呼ばれる星(A Star called the Sun)(邦訳:続・太陽の誕生と死)』を上梓した。

ビッグバン論というのは、http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/ESU_U_B1.html; http://www2u.biglobe.ne.jp/~rachi/uni_st.htm; http://homepage3.nifty.com/iromono/kougi/ningen/node85.html などによると、次のようなものである。

宇宙の始まりはサッカーボールくらいの大きさだった。始源的な物質が圧縮されて高温となり、自然に爆発し、火の玉となり、次々と連鎖反応を起こして大爆発となり、膨張し、その膨張の過程で素粒子がつくられ、原子核が形成され、原子となり、銀河が生まれ、星が誕生し、宇宙のさまざまな構造が形成された。その膨張の速度と範囲を測定し、逆算すると、最初の爆発が起こった時期を推定することができる。それは137億年前であったという。つまり、137億年前の大爆発によって宇宙は誕生したということになる。

この種の数字は概数として理解すべきである。宇宙の始まりは150億年前から130億年前くらいと考えておけば良い。

ガモフは『宇宙の創造』で「この原子核料理のはじめの時代、それは1時間以上続かなかったに違いないが、その時代の宇宙のいたるところに存在した条件というものは、爆発しつつある原子爆弾の中心部に極めてよく似たものであった。」と書いている。彼は1945年の広島・長崎での原子爆弾の爆発を想起しながら、宇宙の始まりの大爆発の状況を書いている。原子爆弾の大爆発は核物理学者たちが宇宙の始まりをもたらした自然界の大爆発を人工的につくり出したものであった。

自然界の大爆発は宇宙の誕生をもたらしたが、人工的な大爆発は地球上の人間に大きな不幸をもたらした。

ガモフは「宇宙背景放射」の存在を予言していた。温度をもつ物質はすべて熱放射をしている。宇宙はかつて熱かったのだから、必ず熱放射をしているに違いないと。これを「宇宙背景放射」というが、その存在が1965年に確認された。「ビッグバン論」の正しさが確定したかにみえたが、http://www3.osk.3web.ne.jp/~redshift/index.htmlによると、「ビッグバン論」と「定常宇宙論」との論争はいまも続いている。さすがに定常宇宙論者もいまでは宇宙が神によってつくられたとは主張していない。

ガモフはその後、1956年にコロラド州立大学教授に転じ、1968年8月19日に64歳で亡くなった。ガモフは祖国ロシアで「アカデミー会員」として復活している。

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はじめに ―神が天地万物を創造したのか ―コスモナイゼーションとグローバリゼーション

中西 治

「グローバリゼーション (Globalization)」と言われ始めてからもう久しい。私はこれを「地球一体化」と訳している。私は「宇宙一体化」の意味で「コスモナイゼーション (Cosmonization)」という用語を使っている。これは私 (中西治) の造語である。

グローバリゼーションとは何であり、いつ始まったのか。コスモナイゼーションとは何であり、いつ始まったのか。このことを考えるのが今回の講義の主題である。

3000年ほど前から語り継がれてきたといわれている旧約聖書は冒頭の「創世記」で次のように述べている。

初めに神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊がが水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。

このように旧約聖書は宇宙と地球の始まりについて、神が天地を創造し、光をつくり、昼と夜を分けたとし、それを神の第一日目の仕事、宇宙と地球の第一日としている。

第二日に神は大空をつくり、天と呼んだ。

第三日に神は天の下の水を一つのところに集め、そこを海と呼び、乾いたところを地と呼び、地に草と果樹を芽生えさせた。

第四日に神は天の大空に二つの光る物をつくり、大きな光る物=太陽に昼を治めさせ、小さな光る物=星に夜を治めさせた。

第五日に神は水のなかに生き物をつくり、地の上と天の大空に鳥をつくった。

第六日に神は地にそれぞれの生き物、家畜、這うもの、地の獣を生み出させた。

旧約聖書はさらに神が次のように言ったとしている。

「われわれにかたどり、われわれに似せて、人をつくろう。そして、海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」神はご自分にかたどって人を創造された。男と女に創造された、と。

唯一の神が人間をも含む天地の万物を創造したというのが、旧約聖書の説くところである。旧約聖書はユダヤ教徒の聖書であるが、2000年ほど前にできたキリスト教も、1400年ほど前にできたイスラームもこの聖書の考えを基礎としている。

他方、2700年ほど前にまとめられたギリシャ神話では最初にカオス=混沌が存在し、そこから大地、地獄、愛、闇、夜などの神々が生まれた。

1300年ほど前に編まれた日本の神話『古事記』でも最初に存在したのは混沌であり、そのいと高きところに宇宙を統一する神と宇宙の生成を司る神をはじめとする神々が登場した。

これらの聖書や神話の天地創造についての考え方は、700万年ほど前にゴリラやチンパンジーから枝分かれした猿人が長い年月をかけてホモ・サピエンス(知恵の人=賢い人=現世人類)に進化したことを示している。神による天地創造説は「知恵の人」の知的到達点である。神がすべてのものをつくったというのはきわめて単純明快な説明である。このような考えが19世紀まで地球上に住む多くの人々の考えであった。

このような考え方に挑戦したのが、19世紀の博物学者チャールズ・ダーウィンの進化論と20世紀の理論物理学者ジョージ・ガモフなどのビッグバン論であった。ダーウィンの論についてはすでに幾度か触れているので、ここではまずビッグバン論と、それに関連して、定常宇宙論を検討する。

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コスモナイゼーションとグローバリゼーション

中西 治

2010年6月13日に配信された第2号講義を複数回に分けて掲載いたします。なお『講義録』を定価300円で販売の予定です。ー事務局

特定非営利活動法人 地球宇宙平和研究所
ユニバーサル・ユニバーシティ・インターネット
講義録第2号 (2010年6月13日)

コスモナイゼーションとグローバリゼーション
―宇宙一体化と地球一体化―

中西 治

「グローバリゼーション (Globalization)」と言われ始めてからもう久しい。私はこれを「地球一体化」と訳している。私は「宇宙一体化」の意味で「コスモナイゼーション (Cosmonization)」という用語を使っている。これは私 (中西治) の造語である。

グローバリゼーションとは何であり、いつ始まったのか。コスモナイゼーションとは何であり、いつ始まったのか。このことを考えるのが今回の講義の主題である……

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