月別アーカイブ: 2009年5月

グローバル・アカデミーのお知らせ

事務局

今年度より講座「グローバル・アカデミー (GA) 」を開講いたします。会員を中心に講師をお願いし、知の探求と交流を行って参りたいと思っております。今年度は全部で 5 回を予定しており、毎回 2 コマの講座をいたします。また議論の時間もかなり取っておりますので、ぜひ積極的な参加をお願いいたします。第 1 回の予定は以下のようになっております。

また第 2 回は 7 月 19 日 (日) 、第 3 回以降は予定ですが、第 3 回は 9 月 20 日 (日)、第 4 回は 10 月 18 日 (日) 、第 5 回は 11 月 15 日 (日) で、時間と場所は特に変更がない限り、第 1 回と同じにします。今後のテーマとして、 20 世紀の再検討、グローバル化と貧困・環境、平和学の現在と課題、東アジアの現状と私たち等を予定しております。ぜひ多くの皆さんのご参加をお待ちいたします。

講座「グローバル・アカデミー」第 1 回

・日時: 2009 年 6 月 14 日 (日) 13:30-16:40
・場所: 横浜市青葉区区民活動支援センター  会議室 1
(東急田園都市線  田奈駅下車  駅を出てすぐ左側  電話  045-989-5265)

・参加費:
5 回通し   会員  1,500 円   非会員  3,000 円
1 回のみ   会員    500 円   非会員  1,000 円

・第 1 回統一テーマ「ヨーロッパとアジアのアイデンティティと現在」

・ 1 コマ (13:30-15:00)
講師:吉野良子 (創価大学助教)
テーマ:「ヨーロッパ統合の過去・現在・未来」 (仮題)

・ 2 コマ (15:10-16:40)
講師:岩木秀樹 (地球宇宙平和研究所理事)
テーマ:「中東の 20 世紀―文明の十字路トルコ―」 (仮題)

朝鮮の核実験について

中西 治

2009年5月25日に朝鮮中央通信は「同日、2回目の地下核実験を成功裏に実施した」と発表しました。

韓国の地震観測では、2006年10月9日の1回目の実験はマグニチュード3.58から3.7と言われていましたが、今回の実験は4.5と伝えられています。前回よりも核爆発の規模は大きいようです。

私はすべての核爆発実験に反対であり、すべての核兵器の保有に反対です。核戦争の脅威をなくすためには核兵器を廃絶しなければなりません。

私は今回の朝鮮の核爆発実験にも反対です。無駄です。いずれ核兵器はなくなります。

今回の朝鮮の行動は十分に予想されるものでした。今年4月5日に朝鮮が人工衛星を発射し、地球をまわる軌道に乗せたと発表したのに対して、国連安全保障理事会は同月13日に議長声明を発表し、この発射が前述の朝鮮の第1回核実験と関連して出された2006年10月14日の国連安保理決議第1718号に反するとしました。

朝鮮は安保理が朝鮮の人工衛星打ち上げ問題を議題としたことに抗議し、この議長声明に賛成した米国・中国・ロシア・日本が参加する6か国協議はその存在意義を失ったとして、今後これまでの合意に拘束されないと発表しました。朝鮮は核施設の無能力化作業を中断し、再び核兵器生産の道を歩み始めました。その結果が今回の核実験です。

この間、5月7日に朝鮮宇宙空間技術委員会は平壌で、4月5日に打ち上げられた人工衛星「光明星2号」は正常に運行し、地上基地との通信実験に成功した、と発表しました。この報道は中国の新華社通信によって5月8日に伝えられましたが、日本ではほとんど話題になりませんでした。

私はここにいたるまでに双方にもっと適切な対応策があったと思っています。私はその都度、意見を表明しました。まだ間に合います。朝鮮も、日本も、中国も、ロシアも、米国も、これ以上、「目には目を」といった対応を繰り返してはなりません。

どの国も核戦争をするわけにはいかないのです。そんなことをすれば、とくに、朝鮮と日本のような隣り合った小さな国は、戦争が始まった途端に、あっという間にともに廃墟と化すのです。ロケットが発射されたことを知った時には、ロケットはもうとっくに日本の上空を通過し、はるか彼方に飛び去っていることを今度の出来事を通じて日本人はよく知ったはずです。

核戦争が始まってからでは遅いのです。

日本と朝鮮、米国と朝鮮、日・朝・韓・中・露・米の6か国は対話と協議を再開し、朝鮮半島・北東アジア・東アジア・世界の非核武装化を実現しなければなりません。ときあたかも、核兵器の廃絶を要求する声と運動が地球全体に広まり、高まりつつあります。

いまこそ人間は理性の声に耳を傾けなければなりません。私たちはホモ・サピエンス(知恵の人)なのですから。

ネパール情勢III:新首相誕生とカトリック教会爆弾爆発事件

植木 竜司

ネパール制憲議会 (定員601議席) は5月23日,新しい首相にネパール共産党統一マルクス・レーニン主義 (以下,UML) のマダブ・クマール・ネパール氏を選出しました。これで5月4日にネパール共産党マオイスト (以下,マオイスト) のプラチャンダ氏が首相辞任を表明して以来難航していた首相選びに,一応の決着を見ることとなりました。

今回の首相選出選挙では候補者は制憲議会22政党が推すネパール氏のみで,他には立候補者はいませんでした。議会第一党であるマオイスト (229議席),ネパール共産党統一派 (2議席),ネパール・ジャナタ・ダル (2議席)の3党は選挙をボイコットしました。

首相選出までは3週間弱の時間がかかりましたが,プラチャンダ氏辞任の数日後にはネパール氏を軸に調整が進められておりました。ネパール氏は議会第三党 (108議席) であるUMLの元総書記。第二党であるネパール・コングレス党(以下,コングレス,115議席) は候補者を出さないで,早々にネパール氏を首相とする連立政権樹立に向けて動いていました。焦点であった議会第四政党のマデシ人権フォーラム (54議席) はコングレス+UMLを中心とする連立政権に参加するか,自党で首相候補を立てるかで党を二分する論争が行われましたが,ネパール氏を首相とする連立政権に参加するという結論を出し,今回のネパール首相選出となりました。

名字が国名と同じ「ネパール (Nepal)」であるマダブ・クマール・ネパール氏は56歳。1993年よりUMLの総書記を務め,1994年11月の総選挙後に発足したUML単独政権では副首相のポストにつきました(約9ヶ月で政権崩壊)。このUML政権で首相だったマン・モハン・アディカリ党首が1999年4月に死去すると,党を指導するようになりました。昨年行われた制憲議会選挙では,立候補した二つの選挙区(制憲議会選挙では複数の選挙区からの立候補が認められていた)で敗退し,UML自体も議会第一党を期待されていたのにもかかわらず,結果は第三党と「敗北」を喫したため総書記を辞任しました。その後プラチャンダ氏が憲法委員会の委員長にネパール氏を推薦し,UMLの議員を一人辞任させてやっと議席を得ることが出来た人物です。

UMLはその立派な党名通りマルクス・レーニン主義を党指導原理とする共産主義政党ですが,1990年民主化以降議会で妥協を続け,明確な党方針を打ち出せなかったこともあり,現在では多くのネパール国民は「コミュニスト」と言えば「マオイスト」を連想し、UMLを連想する人はほとんどいない」状況です(ネパール情勢 III:〈インタビュー〉ネパール制憲議会選挙の結果と今後の見通し, 2008年5月2日)。しかし事実として連邦民主共和国となったネパールにおいて,初代に続き二代連続で首相に共産主義政党の人物が就いたことになります。

ネパールの共産主義運動が形成されたのは1947年のことであり,1949年9月15日にネパール共産党(CPN)となってカルカッタにて設立されました。王制に対する態度,中ソ対立,中国四人組失脚,国内民主化運動等を契機に分裂と統合を繰り返しました。現在ネパールには共産党が「乱立」しており,きれいに分類することはできませんが,大雑把にいって,親ソ・王制容認の態度を取っていた人びとがUMLの流れ,親中・四人組支持 (新中国のリーダーシップを認めず)・王制打倒の態度を取ってきた人々の流れがマオイストとなっています。

ネパールでは土曜日が日本でいう日曜日にあたりますが,新首相が選出された5月23日土曜日,休日であったこの日の朝,ネパール時間の9時15分ごろ,首都カトマンドゥ市に隣接するラリトプール市ドビガートにあるカトマンドゥ盆地最大規模のカトリックChurch of Assumptionで爆弾が爆発し,インド人の女子高校生1人を含む2人が死亡し,14人 (報道により13-15人) の負傷者がでるという事件が起きました。現場にはネパール・ディフェンス・アーミー(Nepal Defence Army)というグループの,ネパールのヒンドゥー国家化,サンスクリット語教育の中学までの義務化,ヒンドゥー教の祭りの日の祝日化などの要求が書かれたパンフレットが見つかっております。

ネパール・ディフェンス・アーミーはネパールでもあまり知られていないグループですが,昨年起きた東ネパールのダランでカトリック神父殺害や,同じく東ネパールのビラトナガルでのイスラム・モスク襲撃が疑われている団体です。退役軍人・警察やマオイストの犠牲者がメンバーとなっているといわれていますが,規模は不明です。

ネパールでは,国民の約80%がヒンドゥー教徒で,イスラム教徒は約4%, キリスト教徒は約0.5%といわれております。1990年憲法では四条一項で「ネパールは,ヒンズー的および立憲君主制的王国である。」と規定されており,世界唯一のヒンドゥー教が国教の国といわれておりました。それがマオイストと主要政党が協力してギャネンドラ国王の直接統治体制を崩壊させた「四月革命」と呼ばれる2006年4月の運動後,5月18日に下院議会で可決された「下院宣言2006」ではヒンドゥー教国であることをやめ「世俗国家」になることを宣言し,マオイストが当初より要求していた「世俗国家化」が実現することになりました。

過去には,2004年8月にイラクで人質に取られていたネパール人12人が「アンサール・アルスンナ」と名乗る集団に殺害されるという事件が起き,人質殺害を受けて一部群集が暴徒化し,交差点ではタイヤが燃やされ,交通は妨害,人材派遣会社・報道機関・モスク・中東の航空会社経営所などに対し投石や破壊等の暴力行為が行われ,エジプト大使館に群集が乱入しようとしたため警備員が発砲,一人が死亡,カトマンドゥ市中心部のラトナパークでも死傷者がでるという事件が起きたことがありました。このカトマンドゥでの暴動は「この国で初めての深刻なコミュナルな暴力の発生」と報道され,歴史上、民族的・宗教的紛争があまり表面化しなかったネパールにおいてイスラム教徒を標的とした暴動として衝撃を与えました。

現在のネパールは10年続いた内戦が一応終焉しましたが,国内には武器が蔓延し,国自体が軍事化しており,治安機能が充分に働いていないため,小さなきっかけで流血の惨事になる可能性を持っています。失業率も高く社会的不安も大きいため,今回のような“絶対的マイノリティ”を対象とした攻撃が続かないとも限りません。

昨年の制憲議会選挙でのマオイストの勝利は,国民が「変化」を求めていたのと同時に,内戦が続いたネパール社会の「安定」を求めた結果であったと思います。今後,UML,コングレス,マデシ人権フォーラムを中心として組閣が進められますが,議会第一党のマオイストが参加しておらず今後も抗議活動を続けることを表明していること,首相が与党第一党の人物ではないこと,首相自身選挙に勝っていないこと,マデシ人権フォーラムの党内対立が完全に収束していないこと,新憲法制定には全議席の三分の二が必要であることなどから,難しい議会運営になると考えられます。

第5期役員 (2009年7月1日-2011年6月30日)

事務局

役員
理事長: 中西 治
副理事長: 渡辺 宏
理事: 遠藤 美純、王 元、汪 鴻祥、片山 博文、栗原 優、竹田 邦彦、徳永 雅博、浪木 明、林 亮、星野 昭吉。
監事: 神保 泰興、竹本 恵美。

事務局

事務局長:  岩木 秀樹

第8回総会と第5期理事会第1回会議を終えて ー設立10周年に向けて

中西 治

本日、2009年5月17日に神奈川県横浜市青葉区区民活動支援センター会議室で特定非営利活動法人 地球宇宙平和研究所第8回総会が招集されました。正会員総数は70名、総会出席者は14名、書面表決者または表決委任者は32名、計46名でした。正会員総数の2分の1(35名)以上の定足数をこえ、総会は成立しました。総会では2008年度の事業報告と収支報告および2009年度の事業計画と収支予算が審議され、承認されました。

2008年度は研究所設立以来初めて赤字決算となりました。寄付金が減少したためです。そこで2009年度は寄付金に頼ることなく、会費の範囲内で研究所を管理・運営することにしました。そのために研究所の活動は無報酬を原則とし、人件費を廃止し、特定の仕事に対して謝礼を支払うことにしました。同時に、研究活動を活発におこなうとともに、グローバル・アカデミーをはじめとする教育活動や所報をはじめとする出版活動を本格的に展開し、収入の増加に努めることにしました。

総会では、これらの活動を積極的に推進する第5期(2009年7月1日ー2011年6月30日)役員15名が下記のように選任されました(五十音順、敬称略)。

理事(13名)
岩木秀樹、遠藤美純、王元、汪鴻祥、片山博文、栗原優、竹田邦彦、徳永雅博、中西治、浪木明、林亮、星野昭吉、渡辺宏。

監事(2名)
神保泰興、竹本恵美。

総会終了後ただちに第5期理事会第1回会議が開かれました。11名が出席し、1名が書面表決者でした。監事1名がオブザーバーとして参加しました。理事会は理事長に中西治、副理事長に渡辺宏を互選しました。中西理事長は研究所全体を総括するとともに、所報の編集・発行および郵送会員名簿作成、渡辺副理事長は総会・理事会および講演会・シンポジウム・研究会、浪木理事は会計、岩木理事はグローバル・アカデミー、遠藤理事はメーリングリスト・ホームページ・ニューズレター・ML会員名簿作成、汪理事は文化学術交流を担当することになりました。また、特別事業として王理事が設立10周年記念事業、徳永理事が仮称インターネット・ユニバーサル・ユニバーシティ大学院(Internet Universal University Graduate School = IUUGS)設立準備を担当することになりました。所報やニューズレターなど印刷物の発送はその都度お願いします。

多年にわたって役員として活躍され、今期退任された方々に心から厚く御礼申し上げます。

私は地球宇宙平和研究所設立10周年をめざして研究所を量的にも質的にも発展・強化するために努力します。

いっそうのご指導とご支援をお願い申し上げます。

ネパール情勢II:「軍統合問題」について

植木 竜司

前回の投稿では,プラチャンダ首相の辞任について書きましたが,今回はその原因となった「軍統合問題」についてもう少し詳しく書きたいと思います。

「軍統合」は1996年より約10年続いた内戦のピースプロセスの中の一項目であり,内戦で対立していたふたつの「軍隊」であるネパール国軍とマオイスト・人民解放軍をいかに「処分」するかという問題です。この「統合」に関しては以下の問題点があげられると考えています。

第一に,軍統合をすればある特定の政党(=マオイスト)が特別な影響力を持つ「国軍」ができてしまいます。約10年にもわたる人民戦争,ゲリラ戦を続けてきたマオイストの狙いはここにあるのでしょうが,王制を廃止が実現できたのは,マオイストのみの力ではありません。ギャネンドラ国王の直接統治体制を崩壊させた「四月革命」と呼ばれる2006年4月の運動は,カトマンドゥをはじめとする多くの非マオイストの人びとが参加したことで実現しました。彼らの多くは,マオイストを支持したのではなく「国王独裁」に反対し「民主化」を求めていたのです。その人びとがマオイストの特別な影響下にある「国軍」の存在を受け入れられるでしょうか。

第二に,ネパール人国際弁護士バララム・シュレスタさんも述べられていたことですが(「ネパールの2008年回顧と2009年展望」 IGCP News Letter, No.17.),現在ネパールには南部地域を中心にマオイスト同様の政治的グループがたくさんでてきており,それらのグループは人民解放軍のような武装組織を持っています。軍統合の前例をここで作ってしまうことはそれらグループが拡大したときに再び同様の大きな問題を生むことになってしまいます。

第三に,ネパール国家に大きな影響力を持つ隣国インドが許さないでしょう。今回参謀長解任問題にしても,さまざまなチャンネルからインドの圧力があったと報道されています。国王軍の時代から軍にネパール軍に影響力を持っていたインドとしては,「インド共産党マオイスト」の問題も国内に抱えており,マオイストの強い影響下にある「ネパール国軍」など絶対に認められないはずです。「軍統合」を推し進めれば,インドから強力な干渉や圧力を招くことになり、二国間の関係が急激に悪化することが予想されます。しかしここで一点留意せねばならないことは,インドがネパールの内政に干渉すればするほど,ネパール国内のマオイスト支持者は増えるということです。

以上のことより,これからのネパールの「平和構築」ということかを考えれば,「軍統合」がいい選択とはいえないと思います。

ネパール国軍 (Nepalease Army) は,陸軍のみの志願制で,2009年現在の情報では正規軍兵力6万9000人とされています。ネパール国軍のホームーページには,王制が廃止された現在でも,この軍隊の設立者がプリチビ・ナラヤン・シャハ(昨年王位を剥奪されたギャネンドラ国王の先祖) であることが記載されています。プリチビは「ゴルカ王朝」という地方の一王朝の王から,当時この地域にいくつも存在していた王朝を「征服」して1769年に「国家統一」を果たした「建国の父」とされている人物です。つまり現国軍は一王朝の軍隊を歴史的起源に持つものであり,王室による支配が近年まで続いていたネパールでは(途中,その軍の将軍であったあるラナ一族が支配をしていた時期もあった),「軍改革」はほとんど行われず,ずっと「王様の軍隊」であったといえます。事実,複数政党議会制が導入された際に制定された1990年憲法でも,国軍(Royal Nepal Army)の最高指揮官は国王であると定められており,国王の同意が取れるまで当時の首相は軍をマオイスト対策に展開することは出来ませんでした。また参謀長の人事は「首相の勧告に基づいて国王が任命する」と記載されていたにもかかわらず,国王の意向によって国王に忠誠心の強い人物が参謀長に任命されていました。そのため軍は国王の大きな権力源でした。このようなことから私はRoyal Nepal Armyは「国軍」や「王国軍」ではなく,「国王軍」であったと考えております。2006年11月21日に結ばれた「包括的和平合意」の4.7項には,国軍の民主化等を暫定政府が実施することが書かれていますが,王制廃止後も主要幹部は「改革」は手付かずの状況でした。

マオイストによる非人道的行為は多く指摘されていますが,同様に国王軍も人民戦争中に多くの人びとを殺し,拷問・誘拐等の人権侵害行為を行っていたことが人権NGOなどの調査で明らかになっています。そのため,マオイストは和平合意をし議会政党になったのであるから,人民解放軍は武装解除し解散すべきであるとの意見はわかりますが,マオイストのみが武装組織を解散する,または吸収合併されるというのは戦後の「平和構築」の方法として公平なやり方ではないでしょう。王制が廃止されたのであるから,その国王の権力の源泉であった軍隊もしかるべき「処分」がなされるべきです。人民解放軍が解散するのであれば国軍も解散させ,ネパール国家に軍隊が必要なのかというところから議論を開始すべきです。

南部地域に存在するものを含め,ネパールに存在する「武装組織」について考える際踏まえねばならないことは,この問題はそれら組織に属している人びとの「生活」と「雇用」の問題そのものであるということです。プラチャンダ氏が「軍統合」に向けて今回の参謀長解任問題で強硬な姿勢をとったのも,UNMIN (国連ネパール支援団) に対して人民解放軍の人数を「水増し」して登録させたのも,人民解放軍に属する人びとの生活を保障し,党内の不満を抑える必要があったからです。そのためこの問題を解決するには,それら人びとの雇用の受け皿となる非軍事の第三の組織を編成し,武器を持たなくても生活ができ,政治的プロセスにも参加できる体制を作ることを考えるべきでしょう。国際社会もそのための支援を行っていくべきだと思います。

ネパール情勢: プラチャンダ首相辞任について

植木 竜司

ガネシュ・ヨンザン・タマン駐日ネパール大使は2009年4月18日の講演で,「新国家建設の努力」としてピース・プロセス下での団結の重要性,特に政党間協力を少なくとも10年は続ける必要があることを述べられていました(5月1日「駐日ネパール大使の講演を聞いて」)。

それから2週間あまりたった5月4日,プラチャンダ(プスパ・カマル・ダハル) 首相が国民向けのテレビ演説を行い,辞任を表明しました。

これは陸軍参謀長解任問題に端を発したものでした。

プラチャンダ政権は昨年4月10日の制憲議会選挙の結果を受けて発足したものでした。この選挙では制憲議会601議席のうち,229議席をネパール共産党マオイスト(以下,マオイスト)が獲得し第一党に,第二党は115議席でネパール・コングレス党(以下,コングレス),108議席でネパール共産党統一マルクス・レーニン主義(以下,UML),54議席でマデシ人権フォーラムと続きました。その後5月28日に開かれた制憲議会で,立憲君主制を廃止し連邦共和制に移行することが圧倒的多数で決議されました。君主制廃止に伴い国家元首として大統領を新設,制憲議会で大統領選挙が行われましたがマオイストは多数派工作に失敗し,7月21日に決選投票で議会第二政党コングレスの幹部ラム・バラン・ヤダブ氏が選出されました。8月15日,制憲議会は今度はマオイストのプラチャンダ書記長を首相に選出し,マオイスト,UML,マデシ人権フォーラムによる連立政権が発足しました。

制憲議会の目的はもちろん新憲法の制定であり新国家の形作りなわけですが,和平プロセス開始時より最も難しい問題とされてきたのが,人民戦争で交戦をしていた国軍とマオイストの人民解放軍の「統合問題」でした。

マオイストは1996年に武装蜂起し約10年にわたるゲリラ戦を行ってきたのですが,その軍事組織が人民解放軍です。2001年8月マオイストの軍隊として正式に発足,同年11月にはそれまで交戦をさけてきた国軍に攻撃を行い,それをきっかけに非常事態宣言,国軍投入となりました。その後2005年9月にマオイストが一方的停戦を宣言するまで断続的に交戦を繰り返していました。2006年,政府とマオイストの間で「包括的和平協定」が調印され,国連ネパール支援団(以下,UNMIN)が両軍の停戦を監視しています。UNMINに登録された人民解放軍の人数は2万人でした。しかしプラチャンダ首相辞任の翌日に“流出した”ビデオでは2008年1月にプラチャンダ氏が人民解放軍メンバーらに対して「人民解放軍の規模は4000-8000人」と明言しております。

今回起きた首相辞任劇は,この人民解放軍を国軍に統合するというマオイストの主張に公然と反対していたネパール国軍制服組のトップ,ルークマングド・カトワル参謀長の人事をめぐって起こりました。プラチャンダ首相は5月3日「新兵採用や軍幹部の人事をめぐりカトワル参謀長が政府の指示に背いた」として参謀長の解任を決めました。しかし連立を組むUMLやマデシ人権フォーラムが政府の決定は,連立政権の合意を欠くものだとして連立政権からの離脱を表明。そしてヤダブ大統領が「解任は憲法違反」としカトワル氏のポスト留任を命令しました。これに対し「大統領の違憲で非民主的」と大統領を批判し,プラチャンダ氏は首相職を辞任しました。

私は今回の問題について,以下の感想を持っています。

第一に,王制を廃止して「セレモニアル」の大統領を新設したにもかかわらず,現大統領は政治に関わり過ぎなのではないかということです。今回の参謀長解任劇においてマオイストは,連立を組むUMLやマデシ人権フォーラムの支持を取り付けないまま解任を強行に進めたことなど,そのプロセスは多分に問題があるものでした。しかし,現憲法下において大統領に今回のような軍人事を決定する権限があったかは,非常に疑問が残るところです。参謀長の「解任権」については現行の暫定憲法には記載がありません。大統領は「セレモニアル」のはずですが,暫定憲法には「軍の最高指揮官(内閣の助言により指揮)」「非常事態の宣言(内閣の助言により宣言)」という,1990年憲法下の国王と“同様”の権限が記載されております。「内閣の助言により」とのことですが,この文言も1990年憲法には記載されており,にもかかわらずギャネンドラ国王は「直接統治」まで行ったわけです。そのため現行憲法の文言にはギャネンドラ国王と“同様”に大統領にも「大権」を発令する可能性が見え隠れしています。

第二に,2006年,当時直接統治を行っていたギャネンドラ国王に抗議し,マオイストと主要7政党によって大規模な「民主化運動(人民運動)」が起き,その結果王制は廃止に追い込まれたわけですが,その時点で「国軍改革」着手まで運動を推し進めるべきであったということです。国軍は実際は政府軍ではなく「国王」軍であったのであり,最高司令官であった国王のみその位を剥奪し,その権力の源泉であった軍隊はそのまま残したことには,疑問を持っていました。マオイストは,「国軍=国王」であり国王の直接統治の源泉は軍であるということを国民に説明し,民主化運動に乗じて「国軍改革」にも着手すべきでした。しかしマオイストは国軍の抵抗やクーデターを恐れたのか,人民解放軍を国軍に統合することしか考えていなかったためか,そこまでは行いませんでした。私は,確かに国軍が抵抗する可能性はゼロではなかったし,国軍が本気で抵抗した場合ネパールが危機的な状況になったであろうとは思いますが,約240年続いた王制を崩壊させた「人民運動」に参加した人々の支持とパワーがあれば,国軍は抵抗できなかったし,「国軍改革」は実現可能であったのではないかと考えています。

ヤダブ大統領は10日午後声明を発表し,憲法に基づき制憲議会に新首相を選出させ,多数派による連立政権を樹立するよう要求しました。新しい連立政権に向けて、UMLが主導する新政権にコングレスが参加することで調整が進められていますが,大統領の「参謀長留任の指示」撤回がなければマオイストは議会の進行を妨害すると見られております。私は,もし新政権が発足しても議会第一党であるマオイスト抜きでは,すぐに行き詰まると思っています。

「20世紀の再検討-ロシア革命を中心として」を聴いて

わたなべ ひろし

 『<帝国>』や『マルチチュード』の著者のひとりである、イタリアの思想家アントニオ・ネグリ氏が、インタビューに答えて自身のソ連評価を述べている。それは、例えばこのようなものであった。

「スターリンがいなければ、ソヴィエトが帝政ロシアを越えることはなかった。」

「スターリン主義が消滅させたのは、組織化された政治的反対派であって、国内議論ではありません。スターリン主義は、……近代的な現象なのであり、多数派による独裁体制なのです(これは民主的にもなりえました)。」

「全体主義という概念は……まったくもってイデオロギー的なものです。……全体主義の概念では抵抗や差異といったものが消えてしまうからです。……差異を考慮せずにものごとを描き出そうとするようなカテゴリーは、それ自体が全体主義的なものだと言えるでしょう。」

「ソヴィエトの指導部が打ち負かされることになったのは、……巨大な集団的知性を構築しておきながら、その集団的知性に自由な表現手段(「自由な」という箇所は三重に下線を引いて強調しておきます)を与えることができなかった[からです]。」

ラディカルなコミュニストの立場から激しくソ連を批判してきたネグリ氏にしては、思いのほか公正な評価ではないかと、これを読んだときに感じた。もっともソ連のことなどほとんど知らないこの僕が、ネグリ氏のソ連評価を読んで「公正」などと感じたのも、それが僕が大学時代以来、中西治さんから聞いてきたソ連評価と、とても近いものであったからである。ネグリ氏の言う、近代主義者としてのスターリンという評価や多数派による独裁という定義、差異を考慮しない全体主義という概念への批判や集団的知性の構築といったような話は、学生時代から中西さんの講義により僕がずっと親しんできたものであった。

先日、当研究所の研究会において、久しぶりにその中西さんのロシア革命論をお聞きした。

中西さんはその報告の中で、最近の日本とドイツ・ロシアにおけるロシア革命論を紹介した後、「日本のロシア研究者は十月革命を短期的にとらえ、それが生み出したソヴェト社会のマイナス面を分析しているが、ドイツ・ロシアの研究者はロシア革命を長期的にとらえ、その積極面を指摘し」ているとまとめていた。

僕などはロシア革命研究の専門家でもなんでもなく、意見を述べるのもおこがましいのかもしれないが、この報告のみを聞いた限りでは、中西さんの評価とは少し違う印象を、ここで紹介されている日本とドイツ・ロシアのロシア革命論に対して持った。

例えばリンツというドイツの研究者は「ロシア革命は……社会主義革命であっただけではなく、現代(Modern)の革命であったが故に、画期的な現象であった。この革命のあと、この革命のおかげで、ロシアは世界的な基準で現代の国家となった。そのあとソヴェト・ロシアで起こったすべてのこと、たとえば、工業化、教育制度改革、生活様式と都市建設での変化は現代化の課程の軌道のうえに進んだ。……これは一定の社会的プロジェクトであった」と述べているという。

リンツ氏の言う通り、一国の社会を発展させるということでは、非常にロシア革命は有効であったのであり、それ故、例えば独立したばかりで国家建設の途上にあった非欧米諸国などが、ロシア革命やソ連型社会主義を自国の社会発展モデルとして見習ったのであろう。

ただ僕が気になったのは、リンツ氏が、ロシア革命は「世界全体に大変多くのことをもたらした」と述べておきながら、結局「現代の革命」として彼があげているのは、「工業化、教育制度改革、生活様式と都市建設での変化」といった一国の社会内での成果ばかりであるということであった。ロシア革命の結果、ロシア社会が発展し、豊かになったということは、間違いなく歴史的偉業だと思う。その上で、しかしこれをもって「21世紀のための挑戦」などと言われると、例えば1960年代に流行った近代化論などと何処が違うのであろうかと言いたくなる。ロシア革命に「21世紀への挑戦」という側面があるとするならば、それはその先にあるものなのではないだろうか。

このような観点から、中西さんが紹介されたロシア革命論の中で、僕が最も印象に残ったのは塩川伸明氏のものであった。塩川氏は「ロシア革命は「自由・平等・友愛」のスローガンで知られているフランス革命とは違って、その目標を単純な標語では集約しにくい革命であることを指摘」した上で、「平和」「自由」「土地」「パン」「社会主義」といった「革命時に最も中心的なスローガン」について考察している。

この中で僕が重要だと思うのは、「平和」である。革命時のスローガンとしての「平和」について、塩川氏は「「平和」とは、直接には第一次世界大戦の早期終了を指すが、より広くは「戦争のない世界」への希求があった」と述べている。ロシア革命における「平和」のスローガンには、「「戦争のない世界」への希求」という、普遍的な意味合いがあったのであり、これこそが僕にとっては、中西さんから学んだロシア革命論の核心であった。

「革命」というものが、新しい普遍的価値の提示であり、部分的なりともその実現であるという側面があるとするならば、アメリカ独立革命の「植民地(被支配者)の独立・解放」や、フランス革命の「自由・平等・友愛」に匹敵するのものは、ロシア革命の場合「平和」である。革命政権樹立の翌日(!)、革命政権が最初にした仕事である、第一次大戦の全ての交戦国に対して即時「民主的」講和を訴えた「平和の布告」以来、「平和」はソ連体制の一貫した「理念」であり、「政策の柱」であった。

『ソ連の外交』のむすびにおいて、中西さんは次のように書いている。

われわれはソ連が建国以来行った平和のための努力を正しく評価すべきであろう。ソヴェト政権は率先して第一次大戦から離脱し、大衆に平和を与えた。内戦と外国の軍事干渉に打ち勝ったソ連は、全般的軍縮を提案した。この提案は各国によって拒否され、時代はファシズムを生みおとし、軍拡と戦争への道を進んだが、ソ連のこの全般的軍縮の提案は人類史の中で画期的な意義を持つものであった。両大戦間におけるヨーロッパ安全保障への努力も無視することはできない。第二次大戦におけるソ連の役割はとくに高く評価されるべきである。ソ連は多大の犠牲を払いながら、ナチス・ドイツの侵略に抵抗し、ファシズムを粉砕するうえで重大な役割を果たした。これは人類に対する偉大な貢献であった。第二次大戦後においてもソ連は世界平和の維持と国際緊張緩和の面で一定の貢献をした。マルクス・レーニン主義は二十世紀前半の平和思想として、ソ連という世界最初の社会主義国家を通じて、有効な思想であることを立証したと言い得るであろう。  

僕は、「21世紀のための挑戦」として、ロシア革命が持っている意義は「平和」の理念の提示、それは中西さんにならって言えば「国際社会の民主化」ということだと思う。しかし現在のロシアからは、この方面の発信があまり感じられないような気がするのは、僕の無知故のことなのであろうか。

  

9 月のベトナム旅行、募集開始、締切は 5 月末

事務局

かねて準備してきました今年 9 月のベトナム旅行の日程 (1 日〜 8 日) と費用 (12 万 4000 円) が決まりました。

旅行費用は旅行社に直接支払っていただきますが、この他に日本語でベトナム側と交流しますので通訳への謝礼やお土産代などの費用として 1 万円が必要です。これは研究所に振り込んでいただきます。費用は合計 13 万 4000 円です。

計画を立てて下さった馬場さんが今日からカンボジアに行かれましたので、差し当たって、中西が事務を担当します。応募締切は 5 月 31 日 (日) です。ご希望の方は中西までお知らせ下さい。滞在中の行動は参加者の希望によって決めます。

旅行参加者と行動日程の最終的確定は 7 月 25 日、支払い締切は 7 月 30 日です。研究所員以外の方も参加できますので友人をお誘い下さい。楽しい旅行にしましょう。

良い日々を!
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総会記念シンポジウムのお知らせ

事務局

下記の通り総会記念シンポジウム、総会、新理事会、懇親会を開催いたします。多くの皆様のご参加をお待ちいたします。なお総会に参加される方は、先日お送りした総会議案書をご持参ください。また正会員の方で欠席もしくは欠席の可能性がある方は、総会議案書に同封した委任状のハガキを事務局まで必ず送ってください。過半数に達しませんと流会となりますので、何卒よろしくお願いいたします。

●総会記念シンポジウム
テーマ「20 世紀の再検討と 21 世紀の現在」

日時: 5 月 17 日 (日) 13:30-15:00
場所: 横浜市青葉区区民活動支援センター会議室 2・3
(東急田園都市線 田奈駅下車 駅を出てすぐ左側 電話 045-989-5265)

報告者 (敬称略) と演題:
片山博文 (桜美林大学リベラルアーツ学群准教授) 「グリーン・ニューディールと環境保全型経済」
林亮 (創価大学文学部教授) 「東アジア共同体と非伝統的安全保障問題」
神保泰興(国際親善交流センター)「世界金融危機下のロシア」
遠藤美純 (創価大学非常勤講師) 「ヨーロッパ統合とスペイン民主化」

参加費: 会員  無料、非会員  500 円

●15:15-16:00  総会
●16:00-16:10  新理事会
●16:15-18:00  懇親会 (近くのファミリーレストランで行います)