月別アーカイブ: 2009年3月

朝鮮の人工衛星打ち上げ予告に寄せて

中西 治

1957年のソビエトによる人工衛星「スプートニク」の打ち上げは宇宙地球史上の画期的な出来事であった。 人間が初めて地球の引力圏を脱し宇宙空間に飛び出した。地球が一つになり、宇宙が一つになり始めた。

人間は通信・放送衛星、地球観測・気象衛星、天文観測衛星、月・惑星探査機、技術開発・試験・工学実験衛星など多数の人工衛星を打ち上げた。

CelesTrak WWW: SATCAT Boxscore によると、2009年3月27日現在、「観測機器=ぺイロード (Payloads)」と呼ばれる地球の周りの軌道を順調に飛び、機能している人工衛星は3335、すでに機能を喪失しているもの2782、計6117、さらに宇宙の「ごみ=デブリ (Debris)」になっているもの2万8548、合計3万4665がいまも宇宙空間を飛んでいる。

宇宙空間に国境はなく、各国の人工衛星が自由に飛び交っている。誰も他国の人工衛星が自国の上空を飛んでも「不愉快」とは言わない。これが21世紀である。

人工衛星を一番多く打ち上げているのは、ロシアを中心とする独立国家共同体(CIS)である。機能しているもの1410、機能を喪失しているもの1883、計3293、「ごみ」が1万5372、合計1万8665。ついで米国がそれぞれ、1059、754、計1813、7956、合計9769、日本が122、19、計141、246、合計387、中国が78、47、計125、3284、合計3409、である。

周辺の国々、ロシアも、中国も、日本も、たくさんの人工衛星を宇宙空間に打ち上げているのに、朝鮮半島の人々は人工衛星を宇宙空間に一つも持っていない。朝鮮民主主義人民共和国が人工衛星を打ち上げたいと願うのは当然である。

私は宇宙に行ってみたい。だから、どこの国であれ、人工衛星を打ち上げるのに賛成である。人工衛星を打ち上げる能力を持つ宇宙ロケットなしに、人間は宇宙に行けない。日本も、米国も、中国も、ロシアも、人工衛星を打ち上げているのに、朝鮮は駄目というのは筋が通らない。

人工衛星を打ち上げるロケットと核弾頭を運ぶ弾道ミサイルは技術的に基本的に同じである。ロケット (rocket) とは「酸素を液体酸素か化合物の形で積載し、外界の空気を採らない噴射式エンジン」である。ミサイル (Missile) とは「投げ槍・矢・弾丸・石のような飛び道具」のことであり、「ロケット爆弾や無線操縦爆弾のような自動推進装置を備えた爆弾」(研究社編『New English-Japanese Dictionary』) である。米語でロケットはエンジンであり、運搬手段である。これに武器を付けたものがミサイルである。

国際連合安全保障理事会決議第1718号 和訳(官報告示外務省第598号)によると、2006年10月9日に核兵器実験を実施したとの朝鮮の発表と関連して国際連合安全保障理事会が採択した決議第1718号は、朝鮮に「いかなる核実験又は弾道ミサイルの発射もこれ以上実施しないことを要求」し、朝鮮が「弾道ミサイル計画に関連するすべての活動を停止し、かつ、この文脈において、ミサイル発射モラトリアムに係る既存の約束を再度確認すること」を決定している。

問題はこの「弾道ミサイル」に今回朝鮮が発射する「通信衛星を運搬するロケット」が入るのか否かである。日本は入るとし、朝鮮は入らないとしている。私は入らないと思う。

上記安保理決議第1718号は、朝鮮への供給、販売又は移転を防止する品目として「国際連合軍備登録制度上定義されたあらゆる戦車、装甲戦闘車両、大口径火砲システム、戦闘用航空機、攻撃ヘリコプター、軍用艦艇、ミサイル若しくはミサイル・システム」と明記している。「ミサイル若しくはミサイル・システム」は武器に入っている。航空機も、ヘリコプターも、艦艇も、ロケットも、軍用にも、非軍用にも使われる。「ミサイル」は軍用に使われる「ロケット」である。

私は核兵器に反対であり、核兵器実験に反対であるから、ミサイル実験に反対である。私は人工衛星に賛成であるから、ロケット実験に賛成である。

私が「特定非営利活動法人 地球宇宙平和研究所」の前身である「国際地球宇宙平和研究所」を1986年に設立した当時、米国のレーガン大統領は「スター・ウォーズ (Star Wars)」を喧伝していた。私は地球の戦争を 宇宙に広げさせてはならないと思った。

日本政府は2009年3月27日に「弾道ミサイル破壊措置命令」を発した。他国の人工衛星打ち上げ予告に対してこのような措置を採った国は1957年の人工衛星打ち上げ以来おそらく初めてであろう。日本の人工衛星打ち上げ予告に他国がこのような措置を採ったとき日本人はどのような感情を抱くのであろうか。

現在の北東アジアの状況のもとで、朝鮮が今回のような措置を採った場合、日本が待ってましたとばかり、今回のような対応をすることを朝鮮は予見できなかったのであろうか。

朝鮮人も日本人も、現在の情勢に理性的に対処しなければならない。 誰が今回の事態から利益を得るのか。私たちは冷静に考えなければならない。

ニューズレター No.17 特集「2008年の回顧と2009年の展望」「沖縄訪問」

事務局

ニューズレター No.17 を発行しました。PDF ファイル でご覧いただけます。
巻頭言
・2009年にあたって ―希望と期待と失望と現実―/竹田 邦彦/2

特集 2008年の回顧と2009年の展望
・回顧と展望/中西 治/5
・かけがえの無さと壊れやすさと/渡辺 宏/6
・ネパールの2008年回顧と2009年展望/植木 竜司/8

特集 沖縄訪問
・沖縄訪問報告 「沖縄と日本と私と」/岩木 秀樹/11
・「沖縄問題」を考える ―沖縄訪問団に参加して―/玉井 秀樹/14
・日程および収支報告/18

講演会記録
・新春講演会「現代世界と帝国・帝国主義研究」/木畑 洋一/20

研究会報告
・日米関係の再検討 ―オバマ新政権の発足にあたって―/中西 治/24
・中東イスラームの過去・現在・未来 ―20世紀の再検討序論―/岩木 秀樹/27
・ナード・ギーク・オタク
―グローバル化時代におけるもう一つの米国、そして日本―/遠藤 美純/28

・理事会報告/29
・事務局からのお知らせ/29

ソマリア沖への 自衛艦の派遣について 追伸

中西 治

2009 年 3 月 14 日に公開した「ソマリア沖への自衛艦の派遣に思う」について友人からメールを頂戴し、意見の交換をしました。それにもとづいて「追伸」を送ります。

日本船主協会によると、世界全体での海賊行為は、この 5 年をとっても、2003 年に 445 件、2004 年に 329 件、2005 年に 276 件、2006 年に 239 件、2007 年に 263 件、2008 年に 293 件発生しています。 2008 年には 2007 年より若干増え、とくにアフリカ地域での海賊事件が 2007 年に比べて約 58%増の 189 件となり、発生件数全体の 64%を占めています。 2008 年のアフリカ地域での最多発地域は紅海・アデン湾 92 件、ソマリア 19 件、ナイジェリア 40 件、タンザニア 14 件などです。

世界全体で日本関係船舶が海賊に襲われた件数は、2003 年が 12 件、2004 年が 7 件、2005 年が 9 件、2006 年が 8 件、2007 年が 10 件、2008 年が 12 件です。しかし、1999 年には 39 件、2000 年には 31 件、2001 年には 10 件、2002 年には 16 件でしたから、近年は減っていると言えるでしょう。

2008 年の日本関係の被害船の船籍別内訳は、パナマ籍 7 隻、香港籍、アンティグア・バーブーダ籍、ドイツ籍が各 1 隻、日本籍が 2 隻です。被害船舶のうち、日本人が乗船していた船舶は 1 隻でした。被害発生海域を地域別に見ると、東南アジア周辺 5 件、インド周辺 2 件、アフリカ周辺 5 件 (うちアデン湾 3 件) です。アデン湾の 3 件は発砲、追跡などの被害ですが、いずれも回避操船などで海賊を振り切っています。その他の被害は窃盗が主であり、乗組員への被害はありませんでした。

海賊行為は船舶の運航にともなって常におこっています。これまでは船舶運航者の的確な処理によって対処してきました。憲法論議を起こしてまで自衛艦を派遣する必要はありません。日本の為政者は自衛隊の海外派遣の実績をつくり、憲法論議を起こして改憲を実現したいのでしょう。

ソマリア沖の海賊行為はソマリア人の問題であり、ソマリア人が解決すべきであるし、彼らしか解決できません。地理的にも遠く、歴史的にも深い関わりがない日本は、ソマリア問題の解決で主要な役割を果たせません。日本の役割はきわめて限定的です。

日本がなすべき第一は、ソマリアの内戦を止めさせるために外交的努力をすること、第二は、この地域の民生を安定させるために支援すること、第三は、ソマリア人の海賊行為を止めさせるためにソマリアの近隣諸国と協力し、沿岸警備に財政的・技術的援助を与えることなどです。

2009 年 3 月 16 日の『朝日新聞』朝刊に獨協大学の竹田いさみさんが「海賊対策  アジア型の民官協力モデルを」という一文を寄せています。竹田さんは自衛艦の派遣を「商船会社や船員たちは歓迎している」と述べています。その通りでしょう。竹田さんは、このなかで、かつて「海賊の巣」といわれたマラッカ海峡で日本財団などの民間団体が海上保安庁、外務省、国際協力機構 (JICA) などと協力し、インドネシア、マレーシア、シンガポールなどの沿岸諸国とともに海賊対策に成功した経験を紹介しています。マラッカ海峡に自衛隊は派遣されていません。竹田さんは「民と官の連携、そして軍事力より警察力を重視することで、将来的に日本は海洋安全保障におけるイニシアチブを発揮することができる。」と指摘しています。

私は竹田さんの結論に賛成です。日本がソマリアにおいてなすべきことはこのことです。

現在の国連は常設の陸軍も海軍も空軍も持っていません。私は現在の状況下で国連がそのような軍隊を持てないし、持つ必要はないと考えています。もう軍隊の時代ではないのです。警察の時代です。国連が差し当たってできることは、ソマリアでの内戦を停止させるための活動です。安全保障理事会は現在そのための作業をしています。

私はかねてより「地球共同体の治安は地球警察が維持するようにし、軍隊はなくさなければならない。」 (『地球宇宙平和研究所所報』創刊号、31 ページ) と主張しています。この機会にこの主張を実現する一歩として「国際軍」ではなく、「国際警察」を提唱しました。国際司法裁判所や国際刑事裁判所に対応する「国際警察」や「地球警察」はいずれ実現するでしょう。

国際海事局 (IMB) によると、2009 年 1 月 1 日から同月 26 日までにソマリア沖で海賊行為が 14 件発生していると言われています。欧米諸国の軍艦が派遣されていて、これなのです。自衛艦を派遣しても問題の根本的な解決にはならないでしょう。

軍事力の派遣は対症療法です。実務家や政治家の判断は概して既成の枠内で短期的です。それが積み重なって日本が破滅したことを「落日燃ゆ」の主人公、広田弘毅の生涯は教えています。だから、私たちが「流れに抗して」発言し、行動することが必要なのです。今回のソマリア沖への自衛艦の派遣によって、日本は戦争のできる国から戦争をする国へ一歩進みました。

すでにインド洋には給油活動をおこなう自衛隊の補給艦と護衛艦が各 1 隻、およそ 340 人が行っています。そこへ今回の 400 人ほどが加わります。全員で 750 人ほどです。 1929 年の大恐慌の時がそうですが、不景気と軍隊の対外進出は密接に関連しています。警鐘を鳴らすのが私の役割であると考えています。

ソマリア沖への自衛艦の派遣に思う

中西 治

2009 年 3 月 14 日に海上自衛隊の護衛艦 2 隻が海上自衛隊呉基地から、国会の承認を得ないで、アフリカに向かった。アフリカ東部ソマリア沖に出没する「海賊」に対処する「海上警備行動」をおこなうためであるという。

これまでの自衛隊の海外派兵にくらべて日本国民の反対の声は弱い。米国・ロシア・中国などの軍艦もソマリア沖に出動しており、日本の自衛艦派遣も止むを得ないのではないかとの声が聞かれる。

果たしてそうであろうか。

私は第二次大戦前、戦地に赴く兵隊さんや軍艦を歓呼の声で見送った日本国民を知っている。生まれて初めての国費による海外旅行であると喜んで戦地に行った人が遺骨で帰ってきたことを覚えている。

戦争はいつも「在外邦人の生命財産を守るため」と称して、軍隊を外国に派遣することから始まる。人々は最初きわめて慎重であるが、そのうちに慣れさせられる。そして、大戦争に突入し、大敗北を喫する。

日本人はこれに懲り、二度と再び外国に軍隊を送り出さないと誓った。しかし、またも慣れ始めている。よその国が軍艦を送るからといって、日本が同じように軍艦を送る必要はない。いや、送ってはならない。

「海賊」を取り締まるのは第一にソマリア政府の仕事であり、ソマリア警察の仕事である。ソマリア政府が事実上崩壊し、それができないというのであるならば、まず近隣諸国がすべきである。それもできないというのであるならば、国際連合が中心となる「国際警察」がすべきである。

テレビを見ると、小さな船に数人の人が乗り込んで「海賊行為」をしている。なかにはソマリア海軍の元軍人もいるようである。いずれにしても、彼らは食うに困っている。彼らを殺しても、「海賊」はなくならない。

先日、日本で起こった「ひったくり」事件を思い出す。食べるものがなく、お腹が空いて、ひったくりをしようとした人が持っていた金は 2 円。

ひったくられそうになり、必死になって守った人が持っていた金が 110 円。

人間は食べられなくなったら何をするか分からない。

日本人を食べさせなければならない。ソマリア人も生きられるようにしなければならない。

憲法 9 条を持つ日本がなすべきは、自分が生きるために他人を殺すことではない。自分も他人も生かすことである。

沖縄訪問報告 「沖縄と日本と私と」

岩木 秀樹

平和祈念公園より

よく、「沖縄問題」と言われる。しかし沖縄が問題なのではなく、現実は「日本問題」であり、「アメリカ問題」である。この「沖縄問題」という言い方はおかしいと思う。

私は中東イスラームを研究対象としている。最近は少し様相は異なってきたが、歴史的に中東に対して、日本は良いことも悪いこともしておらず、いわば無関係の関係であった。だから研究は「楽で」あった。しかし沖縄はそうではない。日本の歴史と沖縄の歴史は密接で交錯しており、加害と被害の関係は現在まで複雑につながっており、自分の歴史観が大きく問われることになる。

今回の沖縄訪問を通して、沖縄をみることで、日本をかえりみることになり、さらにアメリカの世界戦略まで考える必要があり、ひいては自分を見つめ直す機会になった。

以下に日程と会計報告を書いたが、それに沿って簡単に沖縄訪問の印象を書きたい。

2月28日(土)に沖縄に降り立った。東京では雪が降っていたが、沖縄は初夏であり、半袖でも汗ばむ陽気であった。日本は面積では小さな国だが、南北の距離を考えると変化に富む多様な国かもしれない。

佐喜眞美術館では、丸木位里・俊さんの沖縄戦の怒りの絵を見た。その巨大さと反戦の迫力に圧倒され、学生の時に見たゲルニカを彷彿とさせた。沖縄国際大学の黒こげになった木を見て、また校舎から間近にある普天間基地を見て、これほどすぐそばに基地があることを改めて知った。事故は起こるべくして起こった。今こうしている時にも、いつヘリコプターが落ちてきてもおかしくないであろう。

その後、仲間理さんと城間康之さんと懇談・懇親会を行った。沖縄の人々の平和への強い意志を感じた。私が意見を率直に吐露したことに対して、共感していただき、勇気づけられた。今後の沖縄の大学との交流が進む一歩になったように思う。また沖縄料理もとてもおいしく、安く、沖縄に行ったときにはまた訪れてみたい。

その後、ホテルに戻った。ホテルは、新都心のおもろまちにあり、便利できれいで快適であった。新都心はきれいに区画整理され、大きな建物が多かった。北谷に次いで、新しい沖縄の中心地になりそうだ。

3月1日(日)にはまず旧海軍司令部壕に行った。ところで、沖縄は車社会であり、私たちもほとんどタクシーで移動した。移動中にタクシーの運転手さんから色々な話を聞くのが楽しく、勉強になった。ある運転手さんは、沖縄の窮状を訴えて自決をした海軍の大田少将にはある程度の共感を寄せていたのに対して、第32軍の司令官である牛島陸軍中将に対しては、そのようなものは感じていないようであった。しかし壕の中の大田少将の司令官室だけは入ることができず、そこには仏像のような物が置かれていた。大田少将のみ特別扱いで、やや神聖化されていた。

沖縄県平和祈念資料館は新しくできた資料館で、ここでは平和の尊さや戦争の悲惨さが視覚にも訴える形で、非常に工夫されていた。ただ私の見落としかもしれないが、朝鮮半島等から軍夫や従軍「慰安婦」として沖縄に強制連行された人々は約1万人もいたが、それについての記述はあまり見られなかったことは残念であった。

その後、平和祈念公園の平和の礎も見た。ここには敵味方、国籍、軍人、民間人を問わず、沖縄戦における戦没者24万人の名前が刻まれている。戦争を賛美し、勝者の軍人を顕彰する靖国神社とは明らかに異なる。しかし、平和の礎に初めて来て、問題はそれほど単純ではないことを知った。やった方もやられた方もいっしょになっているということは、ドイツでいえば、ヒトラーもアンネフランクもいっしょに刻印されているということだろう。多くの朝鮮半島、台湾出身の人々はここに名前が刻まれることを良しとせず、空白の刻銘板が多く残っている。大和、沖縄、朝鮮・台湾という帝国主義時代の三層構造を改めて考えさせられた。

魂魄の塔は1946年に建立されたものであり、沖縄戦で亡くなった沖縄県民のための塔である。近くにも他の県の塔があるが、中には「よく戦った」という顕彰施設も存在する。

その後、ひめゆりの塔やひめゆり平和祈念資料館を訪問した。平和の尊さを語り継ぐひめゆりの人々のたゆまぬ努力には脱帽する。ただ周りは観光地化され、酒に酔った赤ら顔のおじさんたちの団体が来ていたが、資料館の名前の通り平和祈念が念頭にあるか疑問に思った。また映画の影響もあろうが、ひめゆり以外でも多くの若い人々が亡くなったが、他の塔は見向きもされず、ここに大挙として人が押し寄せることに、ジェンダー化された観光地としての記念碑を若干感じた。

県立博物館は新しくできたもので、沖縄の自然・歴史・文化がとてもよく分かり、見やすい博物館だった。その後、観光客のメッカである国際通りを散策した。「鉄の暴風」から立ち直り、これほどまでに栄えるとはまさに奇跡のワンマイルであろう。

3月2日(月)は、道の駅かでなにある嘉手納町学習展示室を見た。またそこから嘉手納飛行場が一望でき、その広大さに驚いた。返還されても汚染物質等で農地にはならず、住宅地にもならないなら、いっそアメリカにも儲けさせるためにも、沖縄ディズニーランドをここに造ったらとタクシーの運転手さんに言ったら、苦笑された。

チビチリガマは「強制集団死」が行われた場所であり、碑文には老人と女性と子どもの名前が刻まれていた。親が子供を殺すとはこれほどの地獄がこの世にあるのか。皇民化教育を受けていた若い母親ほど「貞節」を守るためにと「自決」しなければならないとの強迫観念にとらわれていたという。

2000年のサミット開場であった万国津梁館に行き、その後、ちゅら海水族館でジンベイザメやマンタに会い、しばしほっとするひとときを持った。

帰りには、北谷のアメリカン・ビレッジを見学し、夕食も兼ねながら研究会をした。発表者とテーマは以下の通りである。

  • 江尻友昭「沖縄の基地の価値と意義」
  • 岩木秀樹「『沖縄問題』と『日本問題』-沖縄の歴史・基地・現在-」
  • 玉井秀樹「海兵隊グアム移転をどう評価するか-在日米軍再編ロードマップの意味を考える」

3月3日(火)、ホテルをチェックアウトした後、沖縄県知事公室基地対策課の方から基地問題の現状と課題についてレクチャーを受けた。様々な資料を通して現状を教えていただいた。私も率直に色々な質問や意見を述べた。基地が無くならない理由、米兵の犯罪原因、これからの県としての取り組み、アメリカの世界戦略と沖縄などの問題が議論された。これまでの沖縄訪問の締めくくりとしてふさわしいものになったと思う。

その後、首里城を見学し、琉球の歴史に触れ、後ろ髪を引かれる思いをしながらも、初夏の沖縄から雪降る東京に向かった。

沖縄訪問を前にして書籍を読み、また現地を訪れて、改めて沖縄の批判精神や非暴力平和思考、国家を乗り越えるメンタリティやネットワークを強く感じた。

また分断される沖縄もかいま見ることができた。基地反対の声を封じ込めるために振興策という名の札束をばらまく中央政府、「強制集団死」させられた人々を援護法という名のこれまた札束でほおをたたき、「軍に協力するために死んだ」と歴史も塗り替える手法がある。歴史認識においても基地問題に関しても、沖縄が分断されているように感じた。だが分断されながらも基地の存在を無条件に肯定する人はほとんどいないことも強調しなければならないであろう。

また天皇制存続と憲法9条の存在と沖縄の基地は密接な関係があるということも今回知ることができた。天皇制維持のためには、諸外国の批判をかわすために非武装国家となる必要があり、それでは侵略の不安があるので、日本の安全保障のために沖縄に基地をおくということであった。もちろん9条は人類の平和希求の到達点ではあるが、このように沖縄が犠牲となったことも忘れてはならないであろう。

最後に、沖縄の自己批判にも感銘を深くした。沖縄は単なる被害者ではなく、ベトナムや最近では中東地域に向けて発進する基地であり、加害者でもあることも自覚している。さらに日本のことを本土という言い方をせず、どの土地でも住んでいる人にとっては、そこが本土である。だから沖縄島も沖縄本土とは呼ばないとの主張にも心を打たれた。このような沖縄に息づく自己批判、批判精神、平和思考、ポスト国家思考を私も体現しながら、「命こそ宝」の思想を広めていきたい。

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9月のベトナム訪問のご案内

中西 治

私たちの友人で、現在ベトナム滞在中の馬場さんのお陰で、以下のような今秋のベトナム訪問の仮日程が組まれました。

2009 年 9 月 2 日 (水) 夕方成田発ー 9 月 8 日 (火) 早朝成田着 (ホーチミン市 3 泊・首都ハノイ 2 泊・機内 1泊) 計 6 泊 7 日です。旅行費用は、飛行機代・ホテル代など (概算で 11 万 3000 円) と土産代など (1 万円) 、計 12 万 3000 円 (概算) です。

今の段階で参加ご希望の方は、折り返して中西あてに、日程などについてのご要望とともに、お知らせ願えれば幸いです。後日、変更されても結構です。バンラン大学が参加者のおおよその構成を至急知りたいとのことですので、よろしくお願いします。私は参加します。

参加者がほぼ固まった段階で、ハノイでの文化学術交流も含め、全日程と旅行費用を確定し、改めて正式に参加者を募集します。ともに良き愉しき旅を!

日程
9 月 2 日 (水): ANA で (夕方) 午後 6 時成田発  (夜) 午後 11 時ホーチミン市着:コン
ネンタルホテル泊
9 月 3 日 (木): クチ地下トンネル、戦争証跡博物館、ホーチミン市博物館、大統領官邸、
9 月 4 日 (金): 午前中: バンラン大学学術交流、午後: 社会科学院学術交流
9 月 5 日 (土): 午前中: 首都ハノイへ移動:ホーチミン廟、戦争硝石博物館、レーニン公園:ホライゾンホテル泊
9 月 6 日 (日): ハロン湾見学 (世界遺産)
9 月 7 日 (月): ハノイの大学と文化学術交流 (未定): 水上人形劇見学:夜飛行場へ、夜中ハノイ発、
9 月 8 日 (火): 早朝成田着

旅費 (概算)
飛行機運賃: ANA 直通成田ーホーチミン市、ハノイー成田 (往復 6 万円)
国内移動: ホーチミンーハノイ (1 万円)
ホテル: コンチネンタル 3 泊、 1 人 6000 円 x3=1 万 8 千円、ホライゾンホテル 2 泊、 1 人 5000 円 x2=1 万円
国内自動車移動: (1 人 5000 円)
博物館等のチケット代等: (1 人 5000 円)
食事: 昼食、晩食 (1 人 5000 円)
以上、概算で、 11 万 3 千円です。

※今回、ホーチミン市のホテルは 4 スターを 3 スターの値段、ハノイ市は 5 スターを 3 スターの値段にしてもらっています。ホテルはすべて朝食ブッフェ付きです。 2 人 1 部屋のお値段で計算しました。 1 人 1 部屋ならお 1 人 2 万 8 千円割増です。この他にお土産代・現地での謝礼などの費用 1 万円が必要です。合わせて旅行費用は合計概算で 12 万 3000 円です。

裁判員制度と死刑について

中西 治

一昨日、 2009 年 2 月 27 日に下記の講座に参加しました。

現代アメリカ基礎講座第 46 回
『いよいよ始まる裁判員制度:米国の陪審員制度を視察して』
◆日 時: 2009 年 2 月 27 日 (金) 17:30-19:30
◆場 所: 東京アメリカンセンター・ホール (港区赤坂 1-1-14 NOF 溜池ビル 8 階)

◆パネリスト:
ダニエル・フット (Daniel Foote, 東京大学法学部教授)
伊藤 完司氏 (西日本新聞社)
田中 史生氏 (読売新聞社)
寺田 有美子氏 (弁護士法人 大阪パブリック法律事務所)

時宜に適した有意義な会合でした。報告者と質問者の発言に触発されて、裁判員制度と死刑についての私の考えを書きます。

私は日本で裁判員制度が導入されることに賛成です。

人間は過ちを犯す動物です。裁判官も同様です。裁判官にできるだけ誤りを犯させないようにするのが、裁判員制度です。少数の裁判官で判決を下すよりも、より多くの裁判員が直接判決にかかわった方が、誤りを犯すことが少なくなるからです。

日本では裁判は支配者である「お上」がするものとされてきました。徳川幕藩体制のもとでは「武士」の代官所が「農工商」を裁きました。明治以降の天皇主権のもとでは「天皇の裁判所」が「臣民」を裁きました。判決は裁判官によってなされ、 臣民はこの判決に直接関与できませんでした。

第二次大戦後の国民主権のもとで司法が民主化されました。国民が最高裁判所の裁判官を直接審査するようになりました。裁判員制度の導入は日本の民主主義の一歩前進です。

1776 年の独立宣言以来、米国では人民が人民を裁くようになりました。陪審員制度は人民主権の一つの表れです。

人が人を裁くのですから、どのような制度になっても、誤った判決が下される恐れはあります。

これまでどれほどたくさんの人々が罪なく逮捕され、裁判にかけられ、有罪とされ、獄に繋がれてきたことでしょうか。どれだけの人が罪なく死刑となったことでしょうか。これは人ごとではありません。私たち自身の問題です。いつ降りかかるかも分かりません。

私は人が人を殺めることに反対です。それが刑事的犯罪によるものであろうと、思想的・政治的動機によるものであろうと、戦争によるものであろうとも、です。私は国家による殺人である死刑に反対です。

2008 年 1 月 1 日現在、あらゆる犯罪について死刑を廃止しているのは 91 か国、戦時の逃走と反逆罪では死刑を認めているが、それ以外では死刑を廃止しているのは 11 か国、過去 10 年間に死刑を執行していないのは 33 か国、過去 10 年間に死刑を執行したのは 62 か国です。それぞれの国の事情によって死刑制度がある国とない国があります。

近年、死刑を廃止する国は増えています。ヨーロッパ連合 (EU) は死刑制度の廃止を EU 加入の条件としています。米国でも 50 州のすべてで死刑が執行されているわけではありません。死刑制度を廃止するためには「殴られても殴り返さない」思想への転換が必要です。これは言うは易く、行うは難し、です。しかし、いずれすべての国で死刑制度はなくなるでしょう。

裁判員制度の導入が日本での死刑制度廃止への歩みを早めることを期待しています。