月別アーカイブ: 2008年2月

第二次キューバ共和国訪問団の出発にあたって

中西 治

私たちの研究所の第二次キューバ共和国訪問団が2008年2月25日から3月6日まで首都ハバナの他、オルギン、バヤモ、サンチャゴ・デ・クーバなどのキューバ各地を訪れます。

研究所としての外国訪問は2004年8−9月の中国(北京・武漢・蘇州・上海)、2005年8−9月の朝鮮(平壌・開城・板門店)と中国(北京)、2006年3月の中国(南京・長沙・韶山・上海)、2007年2−3月のキューバ(ハバナ・シエンフエゴス・トリニダド・サンタクララ・パラデロ)に続いて5回目です。

今回の訪問の目的は、昨年の第一次キューバ共和国訪問団が切り開いた道を広め、固め、いっそう発展させることです。

私たちの研究所の代表6人が、去る2月12日に東京の南麻布にあるキューバ共和国大使館を訪問し、ホセ・フェルナンデス・デ・コシーオ特命全権大使と会見しました。大使は1933年生まれ、75歳、フィデル・カストロさんやチェ・ゲバラさんとともにたたかった革命の闘士であり、メキシコ大使、英国大使などを歴任された方です。大使は私たちの研究所代表団の二度にわたるキューバ訪問を高く評価し、キューバと日本の友好協力の拡大、とくに、学術交流の拡大にできる限りの支援を与えることを約束されました。

私たちは今回の訪問で、前回始まったハバナ大学および同大学経済研究センターとの交流を継続するとともに、あらたにアジア・オセアニア研究所の研究者、とくに日本研究者との交流を開始し、これらの交流を恒常的なものにしたいと願っています。

去る2月19日にフィデル・カストロさん(81歳)が国家評議会議長(国家元首)と人民軍最高司令官の職を辞することを明らかにしました。昨年来キューバでおこなわれてきた村・町から州、共和国にいたるまでの選挙の結果選出された新しい人民権力全国会議(国会)が2月24日にハバナで開かれ、フィデルさんの後任の議長にフィデルさんの弟で国家評議会第一副議長兼国防相のラウル・カストロさん(76歳)を選出しました。ラウルさんの後任の第一副議長には副議長で共産党政治局員のホセラモン・マチャドさん(77歳)が昇格しました。

最高指導部を革命第一世代で固めた手堅い人事ですが、キューバは1959年1月の革命成功後49年を経て間違いなく新しい時代に入りました。時代の要求と人民の要望に即応して内外政策を再検討し、国内の改革を促進するとともに、米国との関係を改善し、正常化するチャンスです。私たちはキューバで新しい時代の始まりとその息吹を感じることになります。

コロンブスが「アメリカ大陸に到達した」のは1492年10月12日でした。実際にはバハマ諸島のサンサルバドル島でした。その16日後の10月28日にコロンブスはキューバ島のバリアイに着きました。彼はこの地を「人間が地上で目にしたもっとも美しい土地」と言ったそうです。私たちはこの地も訪れます。

スペイン(イスパニア)と英国(イングランド)などがキューバを植民地にしようとして争い、1763年にスペインがフロリダ半島とミシシッピー川以東の北アメリカのすべてのスペイン領を英国(グレート・ブリテン)に譲ってキューバでの支配権を確保しました。

1895年にホセ・マルティをはじめとする人々がスペインからの独立をめざして戦争を始め、これに米国が介入し、1898年に戦争はキューバとスペインと米国の3国に拡大しました。1902年にキューバは独立しましたが、米国の保護下に置かれました。1959年のカストロ兄弟とチェ・ゲバラさんなどの革命は米国の支配から脱しようとするものでした。米国はカストロ政権に厳しい孤立化政策で臨みました。この圧力に抗してカストロ政権は50年近くも米国の支配を拒否してキューバ共和国の独立をまもりました。

キューバのグアンタナモには依然として米国の軍事基地があります。米国は戦争で獲得した土地や軍事基地を簡単に手放しません。フィリピンも米国がスペインとの戦争の結果、植民地にしたところですが、1946年7月に独立し、1992年11月に米軍基地を完全に撤去させました。2001年9月11日の事件のあと米国はフィリピンの港湾や飛行場を使えるようになっていますが、当該地域の人々が長期にわたって絶え間なく反対の声を挙げ続けたとき、米国はそれに屈します。日本の米軍基地撤去運動も地道に執拗に続けなければなりません。

私たちが泊まるハバナのホテルは、米国の作家アーネスト・ヘミングウェイが定宿としたアンボス・ムンドスです。ヘミングウェイはここで「武器よさらば」を完成し、「誰がために鐘は鳴る」を書いたといわれています。私たちは帰国後、第一次訪問団の方々といっしょに、キューバにかんする書を出版する予定です。ヘミングウェイに負けないものを。

良い日々を!

2008年2月25日午前9時
キューバへの旅立ちの朝に

キューバ大使表敬訪問

岩木 秀樹

2008年2月12日(火)午前11時から12時過ぎまで、港区東麻布にあるキューバ共和国大使館に、ホセ・フェルナンデス・デ・コシーオ大使を表敬訪問しました。

地球宇宙平和研究所から中西治理事長をはじめ他5名の方が参加し、2月25日からのキューバ訪問に先立ち様々な意見交換をしました。

大使は着任早々の大変忙しいときにもかかわらず、予定時間の30分を大幅に超過して、和やかな中にも熱のこもった話し合いが持てました。

大使は1933年生まれで、メキシコ大使や英国大使を歴任され、柔らかな物腰の中にも貫禄のある、まさに一国を代表する大使といった印象でした。本来なら特命全権大使がNPO法人の訪問を受け、長時間の意見交換をするということは異例のことですが、研究所の趣旨や昨年のキューバ訪問の実績に共感され、さらに加茂雄三先生やトラベルボデギータの清野史郎さんのご尽力のおかげでこのような貴重な機会を持てました。あらためて関係された皆さんに御礼申し上げます。

この表敬訪問の内容については、まず大使から歓迎の意が表され、中西理事長から御礼の言葉があり、その後日本人6名が自己紹介をし、意見を述べました。それを受けて大使は、キューバミサイル危機について最近いくつかの国際会議が開かれていること、環境問題に国家をあげて様々な取り組みをしていること、この2月24日にキューバで国会が召集されるのでタイムリーな訪問時期であることなど、一人一人の関心に合わせた返答があり、これらにアプローチするための便宜をはかっていただけるとのことでした。

中西理事長は、米国の厳しい包囲政策の中で50年もキューバが存続できたことを高く評価するとして、朝鮮・ベトナム戦争で米国社会が変わったように、アフガン・イラク戦争で米国のキューバ政策も変容する可能性があり、そのような時期に訪問できることを嬉しく思うと述べました。またキューバの日本研究者や政府要人とも交流をし、さらに今後とも継続的な相互の交流を要望しました。

大使は日本とキューバ両国間の学術交流は非常に重要であり、できるかぎり便宜をはかりたいと述べました。

中西理事長はキューバ帰国後に、キューバに関する出版物を出したいとして、最後にカストロ議長の病気回復を喜んでいるとして、できればカストロ議長ともお会いしたいと要請し、表敬訪問は終了しました。

ベトナムの今 ~ストライキに泣く日系ベトナム企業~

野津 志乃

2008年1月ホーチミン市近郊のT工業団地は異様な雰囲気に包まれていた。先日も私の働く会社の近くのいくつかの工場で路上に多くの工員さん何百と集まり、公安も駆けつけるほどの状態になっていた。

http://www.nld.com.vn/tintuc/cong-doan/213766.asp
http://www.nld.com.vn/tintuc/cong-doan/213621.asp

ここ2,3年急激に世界の注目がベトナムに集まっている。去年WTOに加盟指定から特に投資が盛んになってベトナム株が急騰。

ホーチミン市とハノイ市で、オフィス、高級マンション、小売用地など各種不動産の賃貸料が急上昇している。地価も上がり、土地成金、株成金が増え、お金持ちのベトナム人が増え、外資の高級デパートで買い物をする人が増えた。高級車に乗るベトナム人も増えた。

それに伴って物価も急騰。2007年は年間で12.63%UP (2006年12月比)、過去11年で最高となった。ほぼ全ての品目で上昇したが、最も高かったのがCPI算出品目で最大の割合を占める食品で、前月比4.69%上昇、年間では21.16%上昇となっている。地価とガソリン、そして食品の値上げが生活を直撃している。ホーチミンに住んでいる低所得者の生活は苦しい。

またホーチミンの最低賃金が2008年1月より引き上げられた。外資系の企業、工場の最低賃金はベトナム企業より高く設定されており、100万ドン(62.5$)になった。

2008年1月の消費者物価指数 (CPI) 上昇率は前月比2.38%、昨年同期比14.11%と非常に高かった。

そのような状況の中で多くの日系製造業の会社で多くのストライキが発生するにいたった。台湾系の会社等は人件費が高騰し採算が取れなくなれば撤退する会社もあるが、日系はある程度余裕があるため賃上げができることあり、狙い撃ちされている感がある。工業団地では一社がストライキを起こせば連鎖的に近隣に広がる。一旦賃金改定に関して決着したいたが、近隣のストライキに刺激され再度ワーカーから賃上げ要求がなされ再ストライキといった事態もある。これはベトナム特有の問題もある。基本給から手当の額までお互いにすぐに見せ合い比較するからだ。

また一党独裁のベトナム政府は物価上昇による生活苦から国民の不満が政府に向かうことを恐れているように感じる。そのため、政府は意図的に労働者側に立ち、物価上昇にともなって賃上げをしない企業側に今回の問題があるというスタンスをとっている。新聞などでも物価上昇による労働者の生活苦と企業の待遇の悪さが書き立てられる。しかしその記事は誇張や誤り、うそがある。扇動的に感じる。

2月7日はベトナム旧正月。多くの労働者が田舎に帰郷し始め、工業地区は落ち着きを取り戻しつつある。旧正月が終わり、労働者が都市部に戻ってきた後、現在の状況がどういう方向に向かうのか注目したい。