月別アーカイブ: 2007年3月

新年度にむけてご意見を

中西 治

地震と大風、いかがでしたか。被害はなかったでしょうか。お伺い申し上げます。

私たちの研究所の2006年度も残るところ1週間となりました。今年度は設立5周年を記念して前半に研究部会と合同研究会、後半に一連の講義・演習と所報創刊、研究合宿とキューバ訪問など多彩な活動を展開し、大きな成果を上げました。2001年12月15日に45人で設立された私たちの研究所は2007年3 月2 5日現在で正会員70人、賛助会員29人、計99人の大所帯となりました。これも皆様のご支援の賜物と深く感謝しています。

4月1日から2007年度が始まります。4月22日 (日) に理事会、5月6日 (日) に理事会と総会、記念講演会および新理事会を予定しています。

事務局では現在、今年度の活動総括と決算、設立10周年をめざしての積極的な新年度の活動案と予算案の作成に取り組んでいます。

こんどの総会では役員 (理事と監事) の選出もおこなわれます。

役員の選出方法や組織構成、活動案、予算案などについてのご意見を4月7日までに事務局にお寄せ下さい。

よろしくお願いします。

阜新に滞在して

植木 竜司

昨年10月5日より約5ヶ月間、中華人民共和国遼寧省阜新市に滞在する機会を得ました。阜新蒙古族自治県(以下、阜蒙県)に昨年設立された「中西治外語研究中心(以下、センター)」の日本語教育コース設立準備のお手伝いが目的だったのですが、センターの枠を越えて阜新市、阜蒙県の様々な方面の方々と友好を広げることができました。

阜新市は中国東北の遼寧省の北西部に位置する総面積10355平方キロメートル、総人口約193万人の都市です。阜新市は5つの区、2つの県、国家クラスのハイテク農業パーク、省クラスの経済技術開発区を管轄しています。阜蒙県は阜新市内にある2つの県の中の一つです(中国では「市」の下に「県」がある)。阜新市は市下に農業社会と工業社会が混在しています。総人口193万人のうち、都市人口は約78万人、農村人口は約114万8千人です。中心産業は炭鉱業、火力発電で、かつて中国で第一の露天炭坑であった海州露天炭坑、アジアで第一の火力発電所であった阜新発電所があります。

私は昨年10月にここ阜新での生活を開始し、センターを通じて高校・中学の日本語の先生である戴英鋒さん、白長虹さんや遼寧工程技術大学で日本語を学ぶ学生さんたちと交流を持つとともに、阜新蒙古族自治県蒙古高校の日本語の授業に参加したり、蒙古族実験中学や東梁中学の先生方と交流をするなどの機会を得ました。

農村での滞在も経験することができました。阜蒙県下のいくつかの村へ行ったのですが、その中でも招束沟郷は大変印象に残っています。センターを通じて知り合いになった遼寧工程技術大学1年生の韓向才さんのお招きで、今年2月に韓さんの御実家のあるこの村に1泊2日滞在したのですが、韓さんの御両親をはじめとする村の人びとに歓迎してもらい交流を持つことができました。

センターは阜蒙県にありますが、私はずっと阜新市市街(区)に住んでいました。その中で11月末ごろから、阜新市在住の日本語が話せる人が集まって勉強会を行っている「日本語コーナー」に参加をしてきました。この「日本語コーナー」は阜新市民政局副局長の趙作奎さんや阜新市天縁飲品有限会社社長の劉剛さんを中心に、留学生・研修生として日本滞在経験がある人や個人的に日本や日本語に興味を持ち勉強を続けている人など約20人のメンバーが参加し、毎週土曜日に集まって日本文化や日本語についてすべて日本語で勉強するという会です。このメンバーの方々は日本語ができることもあり、個人的に特に親しくお付き合いさせていただきました。彼らは近い将来、この日本語コーナーを「中日ビジネス協会(仮称)」として公式に発足させ、阜新と日本の間の人材交流・経済交流・文化交流や阜新市内における日本語教育の普及などを行う機関にする構想を持っており、すでに協会設立に向けて動き出しております。

阜新は確かに中国の中では「田舎」といわれる都市の一つかもしれません。上海や北京はもちろん瀋陽と比べても阜新は「小さな」都市です。しかし私は阜蒙県の農村を見たときでさえ「貧しい」という印象を持ちませんでした。それは、私が後発発展途上国であるネパールの農村を見た経験があったからだと思います。阜新にも貧しい人、生活が苦しい人がいるわけですが、それでも多くの人びとの「衣食住」は満たされており、ほとんどの子どもたちが小学校・中学校の教育を受けられています。このような地域が発展していくことはさほど難しくはないであろうと感じました。

私は阜新に足りないものの一つとして「国際性」があげられると思います。しかし特に中日友好を願い中日交流を促進しようとしている人、中学・高校で日本語を勉強したことがある人はたくさんいます。私はセンターや日本語コーナーがこれから阜新市の中日交流を進め、そのことが阜新と日本の間だけではなく、阜新市の国際化自体を促進するのではないかと考えています。センター・日本語コーナーに関わった一日本人としてこれからも、阜新で出会った一人ひとりとの友情を大切にしながら、私の立場で阜新と日本の交流を促進していきたいと考えています。

キューバ視察旅行報告

木村 英亮

2月26日(月)木村、浪木、浪木(香織)、片山、石橋、芝宮の6名、17時エアカナダ機で成田出発、現地時間15時10分トロント着、ホリデイ・イン泊、雪、0度。

2月27日(火)10時05分エアカナダ機でトロント発、13時45分ハバナ着、気温25度。空港からガイド・ホセの添乗で革命広場などを見てホテル・ハバナ・リブレ着、夕刻アメリカから鈴木合流、7名となる。革命広場はカストロの肖像や赤旗などなくあっさりした印象。ホテルは1958年ヒルトン・ホテルとして建築、地上25階建て、翌年カストロらが革命本部とした。1998年改修。野外劇場キャバレー・トロピカーナで20時-22時30分、夕食とショー鑑賞。

2月28日(水)10時20分ホテルを出て徒歩でハバナ大学訪問、午前中リク教授より大学について説明を受け、キャンパス見学。昼食後14時から16時30分ハバナ大学経済研究所でアミシア・ガルシア所長を含め3名の教授とトラベルボデギータ清野の通訳で懇談、富山大学の佐藤幸雄参加。旧市街見学。大学の建物は改修期にきている。

3月1日(木)8時30分ホテル出発、郊外アラマルの有機栽培農場訪問、農場長の説明の後見学、農場手作りの昼食を御馳走になり、午後は個人農場ラス・アメリカス農場見学、通訳はトラベルボデギータの佐々木。個人農場は0.5ヘクタール、夫婦で経営。

3月2日(金)8時ホテルをチェックアウト、ヘミングウェイ博物館見学、高速道路でシエンフェゴスに向かい、市内観光後昼食、世界遺産の古都トリニダのホテル・トリニダ・デル・マル泊。
軍事的必要もあって高速道路は整備されている。

3月3日(土)8時30分チェックアウト、トリニダの博物館、配給所を見た後市場で買い物、サンタクララでゲバラ記念碑・廟・博物館などを見学後、ビーチリゾート・バラデロに向かい、ホテル・メリア泊。

3月4日(日)11時チェックアウト、ハバナへ向かう。途中「老人と海」ゆかりの港町コヒーマルで昼食、ハバナ・リブレにチェックイン、旧市街のレストラン・エル・アルヒーべで最後の夕食。

3月5日(月)木村、浪木、鈴木、片山の4名、9時から9時40分まで日本大使館訪問、大野正義一等書記官と会う。鈴木はそのままアメリカへ、他6名は11時チェックアウト、14時45分ハバナ発18時20分トロント着、ホリデイ・イン泊、マイナス19度。

3月6日(火)13時25分トロント発、日本時間7日16時55分成田着、離陸が遅れ実際には18時ごろ到着。

日本から遠く往復に時間がかかり、実質5日のキューバ滞在であったが、企画と通訳の面でのトラベルボデギータの尽力、スペイン語の堪能な実務担当浪木の努力、見事な日本語を話す魅力的なガイド・ホセのサービスに恵まれたことによって、全員元気に期待通りの成果を挙げることができた。

経済的には楽でないであろうが、裸の子どもたちをみると栄養不足には見えず、また旅行中不安を感じたことはなかった。空と海は青く美しく合弁のホテルも整備されていて、観光立国の政策は成功している。ただし、高級ホテルばかりに滞在していたので、実態の把握はもちろん不十分であろう。ショーにサーカス的なものがあったこと、ゲバラ廟の永遠の火、タクシー運転手がウラジーミルであったことなどにソ連の影響を感じた。

参加者7名中、研究所メンバーは木村、浪木の2名のみであったが、旅行中に1 名増やすことができた。

キューバ訪問団、無事帰国

中西 治

はやくも桜の開花予報が発表されました。地球には定期的に気象変動がおこっています。今回は温暖化です。これにどう対応するのか、21世紀の重要な課題です。

私たちの研究所の木村さん、浪木さんをはじめとするキューバ訪問団がさきほど成田に無事帰国しました。空港からの元気な声をお聞きして喜んでいます。お帰りなさい。早々にたくさんの土産話をお聞かせいただけるものと期待しています。