月別アーカイブ: 2006年9月

タイのクーデタ

高橋 勝幸

「国王を元首とする民主主義体制下の統治改革グループ」が2006年9月19日夜半、バンコクでクーデタを決行した。タクシン首相が国連総会出席等外遊によりタイを留守にしている間の出来事であった。実に1991年2月23日以来、15年ぶりのクーデタである。プミポン国王の承認のもと、現在、「国王を元首とする民主体制の下で統治の改革を実施する評議会」が国家を運営している。

正直いって、私はクーデタがまさか起こるとは予期していなかった。私は1987年10月から1988年9月まで1年間、2001年6月から2004年5月まで3年間、タイに滞在していたことがある。私は前回のクーデタが打倒したチャートチャーイ政権が発足した年、そして今回のクーデタが倒したタクシン政権の最初の3年間をタイで過ごした。チャートチャーイ政権の「インドシナを戦場から市場に」という政策は、ポル=ポト派を含む3派連合から距離を置き、実効統治しているヘン=サムリン政権と交渉した。この経済・外交政策はタイの優越性に対するカンボジア人の反感を後に招いたが、私は対立・没交渉よりよいと思った。しかし、ポル=ポト派と利権のあるタイ軍は反発した。一方、タクシン政権は、ポピュリズム政策 ―1村1品運動、一律30バーツ治療制度、農民への債務繰り延べ、100万バーツ村落開発基金など― と批判されながらも、貧困と農村振興に正面から取り組み、北部、東北部で絶大の人気を博した。タクシンが他人の批判に耳を傾け、ビジネス倫理観をもてばよいのにと、私は常々思った。タクシンはタイにとって異色の首相であり、私は興味深く観察していた。

しかしながら、私はタクシン政権下にバンコクで暮らしてまもなく、一昔前なら、すなわち、前回のクーデタ時の1991年なら、クーデタが必ず起こるとも思っていた。というのは、タクシンは警察官在職中の1980年代にコンピュータを警察に貸し出すサービスを始め、電機通信ビジネスで成功し、1998年タイ愛国党を創設した。政府の許認可が必要な携帯電話、衛星、格安航空などで親族が巨富を築いた。タクシン首相は議会の圧倒的勢力と資金にものをいわせ、中央集権化を図り、独裁的傾向を帯びた。2003年2月に「麻薬取り締まり戦争」が宣戦布告され、最初の3ヶ月間で2,000人以上が殺害され、さすがに国内外から人権批判を浴び、控えたものの、3,000人近い人が殺された。国連による人権批判には、「国連は親父でない」と反論した。聞くのはポッチャマーン夫人の意見だけという噂が流れるほどであった。南タイでは、テロが横行し、政府の抑圧的政策がテロに拍車をかけた。しかし、軍部の政治的役割が後退し、民主化が進み、1997年の通貨危機を克服して、経済成長を進むタイで、クーデタが実際に起こるとは信じられなかった。

前回1991年2月23日のクーデタの際も、まさかの出来事であった。高い経済成長、外国の観光客や投資の増加、政治的安定、民選の首相のもとで、クーデタが決行されたからである。しかも、1977年10月20日以来、およそ13年半クーデタは成功していなかった。1991年のクーデタの理由の一つは国会の独裁である。末廣昭氏によると、タイ式民主主義は、国会を私物化する政党政治を批判し、これを駆逐するクーデタは民主主義の破壊ではなく、政治的安定を実現する、という。

今回と前回のクーデタとの共通点がいくつかある。第一に、クーデタの理由として、政治家の汚職、政党による独裁が挙げられたことである。第二に、民主化が定着する中であった。第三に経済が高度成長を維持し、外国人観光客が増加する中で行なわれたことである。第四にプミポン国王が役割を果したことである。第五に軍部の人事が絡んでいたことである。第六に、国民の大多数が、民主主義の否定であるクーデタを支持したことである。

決定的な違いは、今回、政情がタクシン派と反タクシン派に2分されていたことである。タクシン首相退陣を求める運動が勢いを増す中、タクシン首相の国王に対する不敬な言動―例えば「憲法を超えたカリスマのある人が政治に混乱をもたらしている」―は国内世論に大きな影響を与えた。また、軍部の政治的影響力が決定的に減少したものの、枢密院、すなわち、国王の取り巻きの退役将官が重要な役割を果したことである。国王とタクシン首相の確執が根にあった。前回は、国王はクーデタ後の民主派(市民)と反民主派(軍部)の対決の仲介の労をとった。今回は、タクシン首相と国王あるいは国王の取り巻きとの対立が決定的な要因であった。

王制はタイの国家の正統性原理の一つであるが、タイを安定させ、国民が信奉し、支えているのは王制というよりも、プミポン国王個人といってよい。歴史を振り返れば、タイは、世界恐慌を背景に、若手将校、中堅文民官僚の政府に対する不満が鬱積し、かれらが1932年6月24日にクーデタを決行し、専制君主制から立憲君主制に移行した。その後最初に成功したクーデタは1947年11月8日である。第二次大戦において日本と協力したピブーン軍事政権は日本の敗戦の前に抗日文民政府と民主的に政権を交代した。しかし、戦後の経済的混乱、1946年6月9日のアーナンタ国王の変死、冷遇された軍部の不満は、アジアに拡大する冷戦も助けて、1947年の退役将校によるクーデタを成功させた。プミポン現国王は兄の国王の死去により、その前年の1946年に即位した。今年6月9日には盛大に即位60周年が慶祝された。タイでは長らく、クーデタ⇒暫定政府発足⇒憲法制定⇒総選挙⇒政府発足⇒安定期⇒政治危機⇒クーデタのサイクルを繰り返してきた。戦後、すなわち、1947年から今回まで、失敗を含めてクーデタは15回を数える。プミポン国王は、この最初のクーデタから今回のクーデタまで、観察、仲裁、あるいは関与している。現在のタイにあって、最もタイの政治のカラクリを知悉しているのが国王であるといってよい。

王宮前広場2006年2月26日
王宮前広場2006年2月26日。タクシン首相の退陣を求める市民団体「民主主義市民連合」の集会開始前の風景(筆者撮影)

「ロシア語文献研究指導」開始にあたって

中西 治

さわやかな秋がきました。学びの秋です。

私の「ロシア語文献研究指導」もいよいよ10月1日から始まります。いまや国際関係研究者にとってロシア語は研究上欠かせない言語となりました。とくに第二次大戦後の時期の研究者にとっては、つぎつぎと貴重な文献が公刊されています。ロシア語をまったく知らない方もこのさい挑戦されてはいかがですか。新しい人生が拓けます。準備の都合がありますので、参加希望者は9月24日(日)までに必ず中西あてに連絡下さい。参加希望者の意向にしたがって研究指導を効果的におこないます。

それから、もう一つ。いまのところ、「ロシア語文献研究指導」は10月1日、10月8日、12月10日の全部で3回しか予定されていません。1回でも多い方が良いので、私としては、急に担当することになった11月26日も「ロシア語文献研究指導」にしては、と考えています。参加予定者の都合をお聞かせ下さい。

健やかな秋の日々を!

ひとつのアメリカ論

わたなべ ひろし

僕がよく覗いているブログの中に、次のような「アメリカ論」があった。

「中国もそうだけど、アメリカという国は本当に優秀。自分たちの利益になるために、どこにどう作用すれば、どういう力が働いて自分たちのために動くのかをよく研究して理解していると思います。」
http://yaplog.jp/dione/category_1/

これは僕がいつもアメリカという国に対して感じていることでもある。そしてアメリカのこのような「優秀性」は、イケイケドンドンの絶好調なときよりも、変動期や転換期など、大変なときにとりわけ発揮されるのではないだろうか。例えば「ピンチはチャンス」とか、「ころんでもタダでは起きない」とか、アメリカのためにあるような言葉だとしみじみ思う。これらの言葉は、本来ひとつの「人生観」みたいなものなのであろうが、それがアメリカ人の手にかかると、そういうことを実現するための具体的な「手法」みたいなものを、実際に彼等は「開発」しているような、そんな気にさえさせられる。

金融工学の今野浩さんの本にこんなことが書いてあった。

「1980年代半ばはバブルの初期に当り、巨額の利益を手にした日本の金融機関が雪崩を打って海外に進出した際、彼らがウォール街で目にしたのは、不況の宇宙産業から転出したロケット・サイエンティストと高エネルギー加速器プロジェクトの打ち切りで職を失った物理学者たちの群れであったという。折から金融派生商品が投資家の人気を集める中、新商品開発や試算運用の場面で、数理工学と計算機に強い「クオンツ」たちが華々しい活動を行なっていた。」(『金融工学の挑戦』p4-5、なお引用は要約)

今野さんのこの記述を読んで、ここにアメリカの「優秀性」というものを考えるヒントがあるような気がした。それを言葉にすると「特定の問題領域や課題を(競技場みたいに)フィールドとして設定し、そうすることでそこに人材や資本が殺到するようになり、よってたかって打開策を案出する」というような感じだろうか。

具体的に言えば、例えばここでは「金融」というものを、いわゆる「経済学」と切り離し、純粋に「工学」的フィールドに設定することで、特に経済学的な専門知識があまり無くとも、「数理工学と計算機に強」ければ誰でもマーケットに参入できるようなものにしたということなのである。こうすることで、特定の問題や課題を解決するために調達できる人材や資本の幅が格段に広がり、しかもその調達先が「不況の宇宙産業から転出したロケット・サイエンティストと高エネルギー加速器プロジェクトの打ち切りで職を失った物理学者たち」というのだから、斜陽分野から新興分野への人的資本や高度技術の再利用にもなっている。

そして今では、経済の分野の中で金融工学がメインストリームとなり、アメリカ主導のグローバリゼーションを引っ張っている。

こういうやり方、つまり「衆の力を頼めるような形にフィールドを設定し、よってたかって問題を解決する」というやり方は、競争相手や困難な局面が明確なとき、一層その威力を発揮する。なぜならそういうときはフィールドを設定しやすいし、課題(敵?)が明確な分、自分の現在手持ちの技術やキャリアがどの程度そこで有効か目算がつきやすいため、人材の流入もそれだけ容易になるからである。

ところがアメリカのこういうやり方は、有効性が大きい分、それだけ大きな欠点もそこに内在させているのではないだろうか。それは、一度走り出したら躊躇が無くなるというか、抑えが効かなくなるということである。僕がアメリカの「優秀性」に感心しながらも、彼等に対していつも抱いている危惧がこれである。

19世紀のフランス人、アレクシス・ド・トックビルは、自著である『アメリカのデモクラシー』の中で、「平等な多数者」というものに依拠するアメリカのデモクラシーに、特権階級に依拠する母国フランスの「アリストクラシー」とは異なる強さを感じ、そこに歴史的な次代性を見て評価をしている。

しかしその一方でアメリカのデモクラシーが、多数者を拡大し、多数者に依拠するあまり、多数者しかいなくなってしまうという状況、少数者や反対者がいなくなってしまうという状況を常に出来させる可能性をそこに含んでいると指摘する。彼はそれを「多数の専制」と呼んだ。

「一つの問題に関して多数(派)がいったん形成されると、その行く手に障碍というべきものは何もない。行く手をさえぎるといわないまでも、その速度を鈍らせ、それが行きずりに押しつぶしていくものの苦情に耳をかす余裕をもたせるものはないのである。このような事態から生まれる諸結果は、将来にとって不吉で危険である。」

この記述など、「9.11」以降のアメリカそのものではないだろうか。

しかし同時にトックビルは、アメリカ社会が備えている「多数の専制」を抑制する仕組みについてもつぶさに観察している。それは具体的には、タウンなどの地域自治体であり、司法制度であり、習俗とりわけ宗教などである。これらの専制抑制装置は、今のアメリカにおいてどのようなことになっているのであろうか。

「多数の専制」からいかに覚醒し平静に戻っていくことができるのか。今のアメリカに対する僕の関心は、この1点に尽きる。

(なお『アメリカのデモクラシー』は、中公バックス版『世界の名著40』所収の岩永健吉郎訳を参照しました。)

木村英亮先生講義内容 (2006年度後期)

事務局

「20世紀における民族と国家」


20世紀の初め、世界は欧米の数カ国によって支配されていた。21世紀初めの現在、ほとんどの植民地・半植民地は独立国となった。しかし、経済的には少数の国の覇権の下にある。また、科学・技術の発達によって、相互依存は深まり、広域統合と諸民族の接近・融合に向かっているが、他方で、「北」と「南」の格差と対立は深まっている。

ソ連の枠組みのなかにおける諸民族と統合と解体を研究してきた立場から、この問題について、4回の講義を試みる。テーマはひとつであるが、講義はそれぞれ独立したものである。いずれも、焦点はa・b・c・dのように絞るが、大きな枠組みのなかで話したい。

(参考文献 木村英亮『増補版 ソ連の歴史』、山川出版社、1996,1848. 同上『20世紀の世界史』、山川出版社、1995,2429.)

1. ロシア革命と中央アジア諸民族 ウズベク人とカザフ人

ロシアにおけるソヴェト政権の成立は、1917年11月のペトログラートから21年のグルジアまで3年以上の時間のひろがりと百以上の諸民族の参加した革命であった。ある意味では、それは1991年まで続き、失敗に終わったということもできる。

  • 1916年の中央アジア諸民族の徴集反対蜂起
  • ロシア人中心のタシケント・ソヴェト成立からソ連邦成立まで
  • 民族的境界区分とウズベク共和国の成立
  • 土地・水利改革と集団化・工業化、ロシア人移住増加と名称民族高出生率

2. 東アジアにおける日本とロシア 朝鮮人とモンゴル人

モンゴルと朝鮮の両民族の歴史は、日本・ロシア・中国の関係のなかで形成された。朝鮮は1910年に日本に併合され、45年に独立したが、朝鮮人はロシア、中国にも居住する。モンゴル民族はロシア(ブリヤート共和国)・中国(内モンゴル自治区)・モンゴル(モンゴル国)に分離した。

  • シベリア出兵とモンゴル人民革命におけるブリヤート・モンゴル人
  • 日中戦争と極東の朝鮮人の中央アジアへの強制移住
  • 張鼓峰事件、ノモンハン事件から第二次世界大戦まで
  • ソ連解体とモンゴル人、朝鮮人の存在

3. ソ連解体と旧ソ連の諸民族 チェチェン人とタタール人

ソ連崩壊は、共産党解体、ソ連解体 、社会主義崩壊という3つの内容をもつが、こっこではソ連解体を中心とする。ソ連解体期、緒民族は主権宣言などをおこなったが、バルト緒民族の他は必ずしも解体を望んでいたわけでなく、それはロシアのエリツィンのイニシアチブによるものであった。

  • ロシアのなかの第2の民族タタール人と抑圧反乱を繰り返したチェチェン人
  • 多民族地域コーカサスと革命前、第二次世界大戦期のチェチェン人の受難
  • ソ連解体とロシア連邦の形成
  • ソ連・ロシアのなかのロシア正教とイスラム

4. 21世紀の民族と地域 中国、キューバ、ベネズエラ

ラテンアメリカ緒民族は、先住民、白人、黒人、混血の複雑な人種構成をもち、 さまざまな形で、国境を越えたつながりが成立しており、同胞意識がある。20世紀には民族自決(それぞれの民族が独立国家を形成する)が原則であったが、今日においては、国際的な連帯の強化を模索しており、広域統合と緒民族の接近、融合へ向かっている。

  • 中国の民族政策、民族自決から地域自治へ
  • ウイグル、チベットの歴史と現状
  • キューバ革命、カストロ政権の47年
  • ラテンアメリカにおける民族と国家、新たな国際的連帯に向かって

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大板鎮衙門村敖宝節を訪ねて ―中国東北阜新便り

エミリー

こんにちは。先日9月5日に、衙門村委員会からのご招待で「大板鎮衙門村敖宝節」へ行ってきました。先日、遼寧省阜新蒙古族自治県人民代表大会常務委員会主任の陳玉明先生にお会いした際に、「9月5日にモンゴル族の敖宝節の祭事が行われます。現地に来賓用の特別席を準備し、皆さまにご紹介したいと思いますので、ぜひ和服でお越し下さい」とご招待状を頂戴しました。

朝8時45分に、私が住む遼寧工程技術大学の教員宿舎からタクシーに乗り、1時間ほどで「大板鎮衙門村」という場所に着きました。「大板鎮」は、私の住む阜新市に隣接しています。「鎮」は、県や自治県の下位の行政区画単位です。「衙門村(ヤームン村)」のことをもう少し詳しくご紹介しますと、場所は東経121度 53’ 35”、北緯42度にあり、609戸、2142人の人々が住んでおり、住民の85%は蒙古族でモンゴル語を話すそうです。私の住む阜新市には漢民族が多く、阜新蒙古族自治県を除けば、ほとんどの学校教育が中国語(漢語)で行われます。そのためモンゴル語で生活をする人が少なく、阜新市のモンゴル族の方々にとって、衙門村は大変貴重な地だそうです。その地で毎年旧暦の7月13日(今年は9月5日)に、「敖宝節」の祭事が行われるそうです。それはモンゴル族の祭事文化だそうです。衙門村の住民はもちろん、阜新市や近隣のモンゴル族の方々が集まるそうです。

大板鎮 大板鎮衙門村

「敖宝節」というのは、おそらく「敖包」をもじっているものではないかと思います。「敖包」とは、石を積み重ねて作ったピラミッドのような円錐形の建築物です。かつてモンゴルの草原では、石は非常に少なく貴重なものであったそうです。草原には宗教的な建物がなく、住民が長い時間をかけて少しずつ小石を集めて積み重ねていったそうです。そして「敖包」を建て、神を祭り、健康や生活や幸福をお祈りしたそうです。またそれは、牧畜民が草原で放牧する際に、方向を確かめる目印としても使われたそうです。今でも県や鎮など単位で、住民が石を集めて持ち寄り、「敖包」を建てるそうです。モンゴル語ではこの建築物を「オウボウ」と言い、その言葉には「石の山」「堆積」という意味があるそうです。この「オウボウ」という音に、「ao bao」と発音する漢語の漢字を当てはめ「敖包」という言葉ができたそうです。

祭事に向かう人々で随分混雑した山道を越え、ようやく祭事が行われる場所に到着しました。到着すると、陳玉明先生と阜新蒙古族自治県人民政府副県長の李峰先生が出迎えて下さいました。モンゴル、新疆ウイグル、中国東北各省の蒙古族自治県からいらした政府高官の方々とともに、壇上の来賓特別席の最前列に座らせていただきました。日差しが非常に強く気温が高くて大変でしたが、青い空と山々が美しい爽やかな場所でした。

壇上の向こうには、立派な敖包が建っていました。その敖包は242年前に建設されたそうです。敖包の頂上にはチンギス・ハンの武器をかたどった物が飾られ、敖包の中央部には神の像を、下部にはチンギス・ハンの像を、白い石に彫ったものが飾られていました。

敖包 敖宝節

午前10時頃から、爆竹と共に盛大に式典が開始されました。開式の辞、来賓紹介、来賓一人一人に白酒、ハーダーという白い布、歌と馬頭琴演奏を捧げる歓迎の儀式、モンゴル舞踊、敖包での祈りと焼香の儀式などが厳粛に執り行われました。私も遼寧工程技術大学の日本人教員としてご紹介いただき、ハーダーを頂戴しました。式典には、多くの人々と報道陣が集まっていました。式典を見ていて私は、広島の広島平和記念式典を思い起こしました。

モンゴル舞踊 ハーダー

式典の後、政府高官の皆さまと共に、昼食、阜新市内観光(阜新蒙葯有限責任公司という製薬会社、遼寧阜新瑞応寺、阜新蒙古族自治県蒙古族実験中学・高等学校の見学)、モンゴルのパオ(包)型レストランでの夜の宴会にも参加させていただきました。テレビ局と公安が、終日同行していました。夜の宴会では、羊の丸焼きなどのモンゴル伝統のご馳走が振る舞われ、歓迎の挨拶や歌謡ショーなどが行われました。私も皆さまとダンスをしたり、日本の曲を歌ったりして楽しみました。日本の「北国の春」と「四季の歌」は、漢語にもモンゴル語にも翻訳され、こちらで親しまれています。和服を着た日本人が珍しかったのか、私は高官や公安の皆さまから一緒に写真を撮って欲しいと言われ、何十枚と記念撮影をしていただきました。帰りは、政府の車で大学まで送っていただきました。

製薬会社 パオ型レストラン

この日は、こちらの多くの伝統的な文化に触れることができ、大変感動しました。また日本での日常生活ではお会いすることができない貴重な方々と共に過ごすことができ、大変感謝しています。

こちらは日中30度を超えますが、朝は5度くらいまで下がり、秋が近づいてきたようです。日本もそろそろ季節の変わり目を迎えることと思いますので、皆さまもお身体おいとい下さいませ。

中西治外語研究中心(中西治外国語研究センター)の開所式

岩木 秀樹

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2006年8月30日に、中国遼寧省阜新蒙古族自治県(以下、阜蒙県)の職業中心(職業教育学校)で、中西治外語研究中心(中西治外国語研究センター)(以下、センター)の開所式が行われました。

この職業教育学校の創立は1980年で在校生は約2000名、教員は約200名で、思っていたよりも大きく立派な所でした。

開所式に先立ち、阜蒙県県長李峰さんや遼寧工程技術大学人事部長の許振良教授、また職業教育学校の校長先生をはじめ学校の首脳陣らとともに会議をし、今後のセンターの運営や展望等の意見交換をしました。

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その後、学校を案内され、センターの事務室を見ました。大きな所長用の机や本棚、ソファーや事務用の机などがすでに備え付けられておりました。短期間にもかかわらず、このような素晴らしい事務室を作られた方々の努力が目に浮かびました。

さらにその後、校庭で開所式のセレモニーが盛大に行われました。この地域のテレビ局や新聞等のマスコミも取材に来ており、また数百名の学生も参加し、センターの開所をともに喜び合いました。

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セレモニーではまず中西治さんから挨拶がありました。日本語から語学教育を始めて、近い将来には朝鮮語、モンゴル語、英語などの教育も行い、阜蒙県から世界に人材を送り出し、ここで教育を受けた若者が地球の各地で活躍することを希望するとして、「学べ、学べ、学べ」をこのセンターのスローガンとしていくことを述べました。

その後、大きな花火の音がする中で、中西治さんと許振良教授によるテープカットが行われ、記念撮影をしました。また中西外語サッカーチームの選手も駆けつけてくださり、一緒にカメラに収まりました。

すがすがしい青空と、遠くにはモンゴルにまで続いているかとも思わせる緑の果てしない草原が、このセンターの将来を象徴しているような気がしました。私自身も多くの若い人たちと一緒に学び、地球の平和に寄与することを再確認した旅となりました。ぜひ多くの方がこのセンターに立ち寄り、阜蒙県の空気を吸い、土地の食べ物を食しながら、交流をしていただければと思います。

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・・・かかしがふしぎに思う事・・・

その他

投稿者: かかし

き子ちゃんち 男の赤ちゃん 生まれたよ。
朝から みんなで 大騒ぎ。

戦争応援したことが はずかしかったと マスコミは
心を入れ替え 報道は 民主的だというけれど
かかしが ふしぎに思う事 いっぱいあります
どうしよう。
「き子さま」「宮様」「天皇陛下」・・・。
き子さん、皇太子、天皇、は、丁寧語だと思うのに。

き子ちゃんち 男の赤ちゃん 生まれたよ。
なんで みんなで 大騒ぎ。

あいちゃん フィーバー 騒いだの
マスコミさんじゃ なかったの?
かかしが ふしぎに思う事 いっぱいあります
どうしよう。
女の子では いけないの? やっぱり男がえらいんだ。

き子ちゃんち 男の赤ちゃん 生まれたよ。
そうさ みんなで 大騒ぎ。

少子化の この世に 子どもは大切です。
どんなお宅の赤ちゃんも とっても大事な「お子様」で
「お生まれになられた」はずだから
かかしは 「お祝い申し上げ」ます。
それにつけても き子ちゃんは 三人目です ごくろうさま。

清水学先生講義内容(予定)

事務局

「中央アジア・南西アジアの再編成」(予定)

この講義は、今日の国際情勢の枠組みをどう見るかの問題を、かなり大胆な仮説を出しながら一緒に考えることを目的としています。対象を中央アジア・南西アジアとしますが、偶々選んだものというより、この地域に今日の世界の問題が凝集しているとの認識を前提としています。

  1. 今日の国際紛争の焦点がアフガニスタン・イラク、さらにイスラエルと周辺のパレスチナ、レバノン・シリア、それと深く関わるとされるイランと米・イスラエルの対決に向けられており、その構造は一見、極めて混沌として簡単に解きほぐせない複雑さを見せています。その対立の構図をできるだけ我々に理解できるものに解きほぐしたいというのが、この講義の課題です。それは一見キリスト教・ユダヤ教対イスラームという宗教的な価値観の対立のように見えますが、もっと根深い政治問題も反映しています。
  2. もう一つのユーラシア大陸における勢力関係は、中国の台頭・ロシアの国際政治における復興に対して米国がどのような戦略によって対応しようとしているかと関連があります。米国とロシアとの間の関係では旧ソ連圏諸国に対する影響力をどう及ぼすかの抗争であり、また米国が中国に対して軍事的政治的にどう対抗していくかの課題です。そのなかでエネルギー問題が独自の重要性を持って登場しています。また注目すべきものとして、新興勢力であるインドの台頭が注目されます。
  3. しかし、ユーラシア大陸の政治情勢を大国間の勢力関係だけで読み解くことはできません。そのなかで注目されるのは「上海協力機構」です。これは中国・ロシア・中央アジア諸国を中核にしながら、オブザーバー国としてモンゴル・インド・パキスタン・イランを包み込んでいます。相互に対立要因を内包しながらもこのような地域協力機構を創設・維持している意味は何か、また日本はこのような動きにどう関わるべきかが問われています。
  4. この講義では、率直に意見交換ができることを目的としており、決まった答えを押しつけると言うより、今日の世界の枠組みを理解するステップとなればいいと思います。そこでは、「民主化」とか「反テロ」というスローガン自身も自明のものではありません。

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中西理事長講義・演習 (2006年度後期)

事務局

開講記念講義「二つの教育研究活動の開始にあたって」

この9月から日本での特定非営利活動法人地球宇宙平和研究所の教育研究活動と中国での中西治外語研究中心(中西治外国語研究センター)の教育研究活動が始まりました。この二つの教育研究活動がどのような関係にあり、それぞれどのように発展していくのかについて話ます。あわせて東アジアの情勢について語ります。

  • 日時:9月10日(日)午後2時から4時まで
  • 場所:研究所事務所(横浜市磯子区洋光台1-9-3 中西治宅)
  • 受講料:会員1,000円 非会員1,500円

演習「ロシア語文献研究指導」

「ロシア語文献研究指導 (1)」
日時: 10月1日(日)午後2時から4時まで

「ロシア語文献研究指導 (2)」
日時: 10月8日(日)午後2時から4時まで

「ロシア語文献研究指導 (3)」
日時: 11月26日(日)午後2時から4時まで

「ロシア語文献研究指導 (4)」
日時: 12月10日(日)午後2時から4時まで

  • ロシア語未習者も受講可。4回必修。
  • 研究文献は受講者の希望にもとづき決定。
  • 受講料は4回で会員4,000円。非会員6,000円。

他の日程については2006年度後期教育活動をご覧ください。