月別アーカイブ: 2006年7月

エッセイ 68 鉄道時間表と産業連関表

木村 英亮

暗闇をゴーゴーと走る地下鉄に乗ると、子どものころ、横揺れしながらゴットンゴットン走っていた電車を思い出す。

数年前東京駅の中央線ホームで、知り合いのグルジア人学者が、左右交互に長い電車が到着し、一斉に開くドアからはじき出される乗客が次々にエスカレーターに流れるのをじっと見つめているのを偶然見かけた。外国人でなくとも、東京のメトロの網の目のように密な路線を、十数輌連結した車両が、秒分の単位で組まれた時間表どおりに発着し、乗客がそれに合わせて乗り換え、最終目的駅に運ばれるのを見ると感嘆せざるをえない。高速の電車が走る鉄道線路は、平行し、分岐し、交差し、ターミナルで接続する。全国の鉄道では、人ばかりでなく貨物も、集積され、積み込まれ、積み替えられ、下ろされる。そのダイナミックなメカニズムはいくら眺めても見飽きない。

それは、原料・燃料が集められ、部品に加工され、組み立てられて製品となり、販売される財の流れを連想させる。社会主義経済では、これらの流れが計画によって統制される。列車のダイヤのように、財が、連関表にしたがって流れる。生産活動を個々の企業がばらばらに行うよりも、国民経済全体が、鉄道における時間表のような計画に従っておこなわれる方が、はるかに能率的で無駄がないであろうことは容易に分かる。

資本主義経済においても、一つの企業のなかでは、流れは計画されている。そのさい周辺の下請け業者は、「松下のカンバン方式」のように、「松下」の仕事に合わせて部品などを納入しなくてはならない。それは、新幹線の発着にあわせ、小支線の発着が決められるようなものである。

「地球社会論」研究部会のお知らせ

中西 治

おはようございます。雨が続いていますが、いかがお過ごしですか。被害はございませんか。心配しています。

本年度前半最後の「地球社会論」研究部会を来週日曜日、7月30日午後2時ー4時、いつものように横浜洋光台の研究所事務所で行います。

テーマは「いかなる地球宇宙平和学を創り出すのか」。

4月以降の研究部会のまとめとして、先日、7月9日の合同研究会での私の報告「地球宇宙平和学入門」をたたき台に私たちが創り出すべき新し い学問について参加者全員で意見を交換したいと思っています。今回は全員が報告者・討論者なので、参加費なしとします。遠いところですが、お出でをお待ち しています。

なお、9月−12月は研究所全体の教育活動の一部として私も講義または演習を担当する予定です。現在、担当講師のあいだで日程とテーマを 調整中です。8月初めには事務局からお知らせできると思います。講師担当を希望される方はまだ間に合いますので、至急事務局まで申し出て下さい。

エッセイ 67 スターリン、毛沢東と読書

木村 英亮

花田清輝はスターリンについて1955年に、かれくらい自我をもっていなかった人間はすくなく、チーム・ワークをとるだけのみ存在していたようだ、「おそらくかれは、かれのまわりにいる人間のほうが、かれよりもはるかに有能だということを、つねに忘れたことはなかっただろう。それがスターリンの政治家としてすこぶる老練なところなのだ」(粉川哲夫編『花田清輝評論集』、岩波文庫、1993,146ページ)、それに比べヒトラーは、シロート政治家で自分を天才ではなかろうかと思い独断専行、ついに没落した、と書いている。

スターリンは本好きで、歴史、戦史に関するものをよく読んだが、自分が粛清した「人民の敵」の書いたものもよく読み、「(19)30年代中頃、この国でたった一人の自由な読書家、ということになった」(メドヴェージェフ『知られざるスターリン』、現代思潮新社、2003,354ページ)。フルシチョフは読書家ではあったが系統性がなく、ブレジネフ、エリツィンは読書嫌いであった。

毛沢東は、スターリンとかなり違ったパーソナリティをもっており、まわりにいる人間のほうが有能だと考えていたとは思えないが、意外に共通の面も多いようである。それは、相手の言い分を注意深く聞くこと、読書好きというところである。いつも大きなベッドに、四季を通じてタオルケットだけで休んだが、ベッドの半分には中国の歴史書を積んでいた(林克他『「毛沢東の私生活」の真相』、蒼蒼社、1997,168ページ)。

毛沢東は、蒋介石を打倒したことと文化大革命を発動したことを、自分の2つの大仕事といっていた(厳家家祺他『文化大革命十年史』下、岩波現代文庫、202,440ページ)。文革は人権を蹂躙したが、同時にあらゆる伝統と習俗を徹底的に破壊した。「今日の中国大陸の空前の、権力と金の交易、汚職腐敗、風紀の乱れなどに直面するとき、人々は『文革時代』がまるで奇跡のような汚職腐敗が絶無の時代、エロ文化一掃の時代だったことを発見するであろう」(444ページ)。

ロシア人もスターリン時代を顧みて、似たような感慨をもつのではないであろうか。

エッセイ 66 差別について

木村 英亮

日本には厳しい差別によって屈従を強いられてきた「部落民」の問題があった。長野県のある村で750戸中10戸の部落民が集団でいきなり村長の家の座敷に座り込んで度肝を抜き、部落民を青年団に入れろ、祭りの役を割り当てろと要求した。「もし村長が警察を入れたりしてもつれたときには村長を殺す。そういう覚悟で、仲間が夜陰に紛れて庭木の植え込みに肉切り包丁やマサカリをもって隠れ、いざとなったら乱入する構えであった」(宮崎学『近代の奈落』、幻冬舎アウトロー文庫、2005,317ページ)。要求を実現したのは、命がけの団結であり、積年の憤怒であった。

差別は貧困以上に人を苦しめ怒らせる。階級的抑圧が民族的差別と結びついたとき、人々を立ち上がらせる。キューバについて調べていて、革命後黒人とムラート(黒人とスペイン人との混血)の比率が急増し、いま6割以上になっていることを知った。キューバは民族的平等を実現したのであるが、アメリカでは依然として強い黒人差別がある。ここにキューバのアメリカに対する抵抗のひとつの背景をみた。これは、黒人に限らず、いま国内の民族的差別を解決できない欧米がラテンアメリカ、中東、アフリカで孤立しつつある背景である。「南北問題」は、欧米人が民族的差別を改めない限り、金や武力だけでは解決できない。

沖縄における米軍再編に伴う、日本政府と米軍の対応の背景にもこの問題がある。沖縄への基地の集中をそのままにしたまま、他の都市の近くに基地を移転するという政策そのものが差別であり、その実現方法がまた差別である。地域振興策で納得させることはできない。差別はものでは償えない。さらに、移転費3兆円を日本に負担させるというのは、たんなる金の問題でなく日本国民全体に対する侮辱であろう。

アメリカはテロ対策のためにムスリムに対する扱いを厳しくしているが、これは破滅への道である。

エッセイ 65 退職3か月の記

木村 英亮

退職後3か月を過ぎ、家のなかも片付き、勤めのない生活にも慣れてきた。もともと研究は自宅でしていたので、サラリーマンの退職とは違っているであろう。また、大学でも工学部系のばあいには実験設備から離れることになり退職は大きな区切りとなるかもしれないが、われわれのような文科系のばあいは、 文献や資料を読んだり書いたりが中心で、家での生活はあまり変わらない。講義やゼミで学生と接することはなくなったが、それは40年以上も繰り返してきた ことであり、50歳以上離れた学生に教えるのはそろそろやめる潮時であろう。

一番いいことは朝ゆっくりできることで、これはとてもありがたい。朝食後は、本を読んだりパソコンに向かったりで、調べることがあれば近くの図書館にでかけたり書店に行ったりである。週1,2回は、研究会や学会などに出席する。

全部の時間を自由に使えるのは恵まれたことである。長期、短期の計画をたてなければいけないが、当面はのんびりとこれまでを振りかえることが必要で、余裕なくあくせくすることはよくない。

ひとつの勤め先に拘束されるより世の中が広くなった側面もあり、一概に人間関係や視野が狭くなったともいえない。気をつけなければならないのは運動不足である。努めて散歩などに出るようにしている。

まだ辞めて3か月と短く、長めの夏休みというところで、40年以上の勤めのなかで出来上がった気持ちから抜けるのはなかなか難しい。これ からの人生を、単なる付録とせず、これまでの生活を完全にご破算にするくらいの心構えで、自由で自主的で積極的な新しい生活を組み立てなければならないと思っているところである。

ともに訪中・訪朝を!

中西 治

厳しい暑さが続きます。いかがお過ごしでしょうかお伺い申し上げます。今夏の訪中・訪朝計画は、すでにご案内の通り、次のように決まりました。

8月29日(火)昼過ぎに飛行機で成田を発ち、午後3時半に瀋陽に着き、夕方から翌日午前にかけて瀋陽を見学します。

8月30日(水)午後に飛行機で瀋陽から平壌に向かい、ただちに万寿台大記念碑を参観します。

8月31日(木)午前に金策工業総合大学を訪問し、午後に朝鮮社会科学院の先生方と話し合います。

9月1日(金)午前に自動車で開城に向かい、朝鮮と韓国の共同開発工業団地を見学したいと願っています。そのあと板門店を見学します。午後は平壌に戻り、金日成総合大学を訪問し、先生方と話し合います。

9月2日(土)午前に飛行機で平壌から瀋陽に戻り、直ちに自動車で阜新蒙古族自治県(阜蒙県)に向かいます。ここからは同県人民政府の招待です。自動車、宿舎などは同政府で用意して下さいます。

阜新では同政府や遼寧工程技術大学を訪れ、私たちの研究所の客員研究員である李峰さん、許振良さんとお会いします。

9月3日(日)に自動車で阜新から大連に移動し、大連を見学します。9月4日(月)午後に飛行機で大連を発ち、午後5時ころに成田に帰ります。

6泊7日ですが、内容の充実した有益な旅になるものと期待しています。

会員の皆様のご参加をお待ちしています。

非会員の友人方もお誘い下さい。

良い日々を!

訪中・訪朝のお知らせ

事務局

いかがお過ごしでしょうか。総会でも報告しましたが、中華人民共和国・朝鮮民主主義人民共和国訪問団の概略が決定いたしましたので、お知らせいたします。 去年の訪朝・訪中に引き続きジェーアイシー旅行センターにお願いし、地球宇宙平和研究所の企画として手配旅行となりました。資料(日程・費用概算.pdf申込書.pdf)を参照いただければと存じます。なお料金は10名以上のものであり、それ以下の場合は増額される予定です。

今回の訪問の目的は中華人民共和国遼寧省阜新蒙古族自治県人民政府の招待で同県を訪れ、同県との交流を促進・拡大することであり、併せて、昨年始まった朝鮮民主主義人民共和国の研究者との交流を継続・拡大することです。

急なお願いで恐縮ではございますが、参加希望者は7月22日(土)までに事務局岩木までお知らせいただきたいと思います。なお朝鮮民主主義人民共和国側は私たちの訪問を歓迎し、ビザの発給も問題ないとのことです。多数の皆様のご参加をお待ちいたします。

エッセイ 64 テレビのニュース

木村 英亮

「事実は小説よりも奇なり」という。

テレビ番組のなかで、一番面白いのはニュースのはずである。ところが日本ではチャネルは多いが、なぜか他の番組と同じくニュースも大体内容が似ていて退屈である。それに、外国のニュースが少なく世界の動きがわからない。日本はやはり世界のなかでは片田舎なのかなと思う。1977-78年、 10か月ほどモスクワにいて、ソ連のニュース番組を見ていた。情報が政府によって統制されていると不評であったソ連でさえ、ニュースでは世界中の出来事が 報道され、日本のニュースより幅があり面白かった。

その後衛星放送がはじまって、時々刻々世界の鼓動を外国のニュース番組で見聞きできるようになった。これは、国際関係に関心をもつ者としてとてもありがたい。一般放送のニュースもグローバリゼーションの時代にふさわしくならないのかと思う。

どのようなニュースが選ばれ報道されるかは、世論の形成に非常に大きな役割を果たす。いったい誰が、沢山の事実から、どんな基準でニュー スを選んでいるのであろうか。また、ニュース番組はコマーシャリズムになじまない。視聴率が低くても報道しなければならないことがあるからである。

テレビはメディアのなかでもとくに影響力が大きく、世論を左右する。いまNHKが問題とされているが、民放をふくめ、放送のあり方は広く議論されなければならない。

そのさい、インターネットなどを活用してテレビに対抗することも考えなければならないのではなかろうか。

二酔人四方山問答(37)

岩木 秀樹

B:どうしてオスマン帝国はあのような広大な帝国を作ることが出来たんだろう。イタリアやイベリア半島を除けば、ほとんどローマ帝国と版図は変わらないよね。

A:そうだね。東地中海、黒海、紅海はオスマンの内海だった。

B:バルカン半島もオスマン領だったんでしょ。

A:そう。現在でいえば、ウクライナ、モルドバ、ルーマニア、ハンガリー、旧ユーゴスラヴィア諸国、アルバニア、ギリシア、ブルガリアはオスマン帝国のものだった。この地域では現在でもオスマンの遺産が残っている。ブルガリアのヨーグルトはその典型だ。

B:カスピ海ヨーグルトもそうでしょ。でもなぜオスマン帝国はバルカン半島のほとんどを支配できたんだろう。

A:やはり巧みな支配をしたんだろう。オスマン帝国は軍事的・政治的には集権的な国家体制だったけれど、オスマン領に入った当初は、間接支配をして、徐々に色々な制度を浸透させた。

B:急激に制度などを変えると反発があるよね。

A:当該地域の支配者の地位も当面は認めたりした。またオスマン支配が進む頃、ちょうどキリスト教の正教とカトリックが対立し、分裂していた。その二つの分断線が現在のボスニアあたりだった。その分裂に付け入り、オスマン支配の拠点を作り、多くがイスラームに改宗した。

B:なるほど。このあたりは現在もイスラーム教徒が多いよね。

A:また当時はビザンツ社会の解体期であり、社会的混乱と分裂が進んでいた。そこにオスマンが介入し、社会の安定をもたらした。

B:1453年にコンスタンティノープルが陥落し、ビザンツ帝国は滅び、ローマの火は消えるんだよね。これ以降、キリスト教はイスラーム世界では衰退していくんでしょ。

A:それがそうでもないんだ。ローマのカトリックに対抗するために、オスマン帝国の側につく正教の聖職者もいて、正教はそれほど衰退しなかった。

B:へーそうなんだ。

A:キリスト教の五つの総主教座のうち、ローマだけが取り残され、他のアレクサンドリア、アンティキオ、エルサレム、コンスタンティノープルの四つはオスマン帝国領に入ることになった。

B:えー。五つのうち四つがオスマン帝国の管理下に入ったんだ。

A:むしろ正教はオスマン帝国内で保護された。ちなみに中東は「宗教の博物館」とも言われている。ヨーロッパではかなり昔に異端となったキリスト教各派が中東には現在でも存在する。

B:それはイスラーム世界の中でもキリスト教の存在が認められ、ある程度保護されていたということだね。

(つづく)