月別アーカイブ: 2006年6月

1999年モスクワ連続爆弾テロ事件

宮川 真一

6月25日、またもやチェチェンがらみのおぞましいニュースが世界を駆け巡った。この戦闘の発端は7年前にさかのぼる。1999年8月末から9月中旬にかけて、モスクワのアパートを中心にロシア各地で連続爆破テロ事件が発生し、およそ300人が犠牲となった。ロシア側はこれをチェチェンの仕業と断定し、政府、メディア、ロシア正教会、知識人らが、揃ってチェチェン攻撃を主張した。これらの事件はロシア一般の人たちにも大きなショックを与え、この「戦争」を支持する世論が形成された。9月18日、ロシア軍がチェチェンに空爆を開始し、「第二次チェチェン戦争」に突入した。しかしながら9月22日、リャザンで大量爆発物を警察官が発見した。これは連邦保安局の職員が仕掛けたものであった。数々の事件現場も数日後にはブルドーザーで更地にされてしまっている。

今回の戦争は「プーチン現首相が世論調査で順位を上げるために必要とされている」と故サハロフ博士夫人は証言する。有力紙「独立新聞」編集長トレチャコフは、チェチェン武装勢力のダゲスタン侵攻は「ロシア秘密機関の作戦で、しかも上層部で承認されたもの」と断定する。戦略センター所長ピオントコフスキーは「爆弾事件で警察は明確な証拠を出していない。この事件はチェチェン戦争で政治的に利用された。この事件で戦争に対する世論が大きく変わった。第一次戦争には世論の70%が反対したが、今回の戦争では違った。プーチンが大統領になったのも、この爆弾事件が利用された証拠だ」と語る。爆弾テロ事件の真犯人は今なお捕まっておらず、容疑者たちはチェチェン人ではなく、チェチェンで訓練を受けた外部の人間だったことも明らかになっている。人権活動家セルゲイ・コバリョフ下院議員は欧州評議会議員総会で、「北カフカスにおける主犯はロシア政府と軍首脳部である」と断じた。

チェチェンNGO「チェチェン母親協会」代表マディナ・マゴマードワが2000年2月に来日し、チェチェンの現状を訴えた。ロシア当局はチェチェン共和国における取材や援助団体の活動をコントロールしており、世界に発信される情報はほとんどがロシア寄りのものとなっている。マゴマードワの発言はチェチェン内部からの貴重な証言となった。「今や、チェチェンという国全体が、スターリン時代のように巨大なラーゲリ(強制収容所)と化してしまいました。私たちには、身を守る術がまったくないのです。」「前回の戦争で、100万人強の住民のうち約12万人が死にました。300年以上前、チェチェン人は400万人もいましたが、今は100万人もいません。過去400年間、30年から50年ごとにロシア人によって大量虐殺されているからです。あたかも100万人を超えないように人口を調節しているかのようです。前回の戦争で約300の集落のうち250が破壊され、5つある市は、70%が破壊されました。教育機関の約80%が壊され、停戦中も全く復興できず、今回の戦争が始まったのです。電気、水道、ガスなどライフラインは破壊され、生活が成り立ちません。ロシア軍の妨害によって深刻な食糧不足に陥っています。」「前回の戦争中、私の弟と同じようにチェチェン市民約1万8000人がフィルター・ラーゲリと呼ばれる強制収容所に連行され、多くの人が拷問で死にました。釈放されない行方不明者は未だに1583人もいます。ロシア軍は、今回の戦争でも同じことを始めています。村の中に入り、金目のものを略奪し、抵抗すると射殺するか連行していきます。」

「人権のための医師団」はイングーシで実施した無作為調査の結果を2000年2月 に発表した。その結果、ロシア軍のチェチェン民間人に対する処刑・違法な拘留・拷問など、広範囲で組織的な虐待行為が明らかになっている。回答者326人の44%がロシア連邦軍による民間人の殺害現場を目撃し、そのうち8%は家族が被害者だった。また、4%の人から、家族がロシア軍による拷問を受けたという報告があった。チェチェンを逃れイングーシに入った理由は、71%がロシア軍の砲爆撃を避けるためで、25%がロシア軍から危害を加えられるのではないかとの恐怖からだという。調査および詳しい証言により、病院、医師および患者に対して攻撃が加えられたとの証拠も提示されている。ハッサン・バイエフ博士と看護婦は、120人の患者が病院から連れ去られ、ロシア軍によって拘留されたと話す。博士は患者7人とチェチェン兵士6人、70歳のロシア人女性の遺体を見たと証言。全員がロシア軍により病院のベッドで射殺されたのだった。

※ハッサン・バイエフ(天野隆司訳)『誓い チェチェンの戦火を生きたひとりの医師の物語』アスペクト、2004年。近年日本で出版されたチェチェン関連本の中でも秀逸。チェチェン人から見た「チェチェン戦争」、バイエフの数奇な人生に、言葉を失います。

「地球社会論」研究部会 第3回研究会

事務局

報告者:中西 治
テーマ:地球球宇宙平和学入門(3)「20世紀の地球史を振り返る」
開催日:2006/6/25

1492年のコロンブスのアメリカ大陸到達以後の歴史、とくに18世紀以降のアメリカ独立革命、フランス革命、ロシア革命、中国革命の意味を再検討しながら、20世紀を振り返りたいと思います。

二酔人四方山問答(36)

岩木 秀樹

B:イスラームは寛容性・多様性・他者性を重視することがわかったよ。

A:そのような思考様式により国際秩序観も作られた。近代西欧国際秩序では同質文化間つまりキリスト教文化間の関係が主たる体系だったのに対して、イスラーム国際秩序では異質文化間つまりイスラーム国家と非イスラーム国家間の関係が主たる体系だった。

B:へー、やはりイスラームは自分と異なるものがすでに前提にあり、異文化関係を重視していたのか。

A:イスラーム国際秩序は東西交通の大動脈を包摂する開放的な国際体系として重要な役割を果たした。

B:そうなんだ。

A:さらに非イスラーム教徒を多様に捉えてもいた。それだけ他者認識に富み、細かく分析していたということだ。

B:非イスラーム教徒をどのようにカテゴライズしていたの。

A:ハルビー、ムスタミン、ズィンミーの三つに分けていた。

B:それってどう違うの。

A:ハルビーとはイスラーム教徒と戦争状態にある者、ムスタミンとはイスラーム世界を旅行または滞在する安全通行保障権を与えられた者、ズィンミーとはイスラーム世界に住みイスラーム支配に服する啓典の民のことだ。

B:非イスラーム教徒をそのように重層的に捉えていたんだ。

A:またイスラーム世界では領域的な国家というよりも脱領域的国家思考が強かった。これは東地中海の属人法の伝統も影響している。

B:属人法ってなに。

A:ある一定の領域に統一的な法を適用するのではなく、様々な人を弁別してそれらの人集団ごとに法を適用するシステムだ。ちなみにイスラーム世界では人を類型する基準は民族ではなく宗教集団だった。

B:え、民族によって人を分けていたんじゃあないの。

A:民族意識などはなく、強いていえば言語集団意識ぐらいしかなかった。民族意識は19世紀末もしくは20世紀初頭、さらに言えば現在ですら、上から一生懸命植え付けているのが現状だ。

B:じゃあ、イスラーム帝国では宗教集団によって、適用される法が異なっていたということなの。

A:そう、ある程度はね。そのような脱領域的国家思考とともに、国家そのものにそれほどの信用をおいていないんだ。

B:え、どういうこと。

A:国家のことをダウラとかデヴレットと言うのだけれど、その語源は変転するもの、変わりゆくものと言う意味だ。つまりイスラーム教徒にとって国家や国家機構、国家の政治的指導者は変わるものだという意識がある。

B:へー、それはおもしろいね。今後の世界の行く末を見る上でも、変化の中で国家を見るということや、国家の存在を自明のものにしないということは重要だよね。

A:イスラーム教徒にとってイスラーム共同体であるウンマは重要だが、国家機構のダウラは二次的なものなんだ。

(つづく)

陸上自衛隊のイラク撤退にあたって ―日本の自衛隊をふたたび外国に出してはならない―

中西 治

小泉純一郎首相は本日、2006年6月20日13時、イラク南部のムサンナ州サマワに派遣している日本の陸上自衛隊をイラクから撤収させると発表しました。私はアメリカ合衆国が2003年3月19日にイラクに対する戦争を開始した当初から、この戦争に反対し、これに加担する日本の自衛隊のイラク派遣に反対してきました。2003年12月9日に日本政府がイラクへの自衛隊の派遣を決めたあと、私は時に応じて何度も自衛隊のイラクからの撤退を求めてきました。いろいろと理屈をつけていますが、今回の戦争は米国のイラクに対する侵略戦争であり、米国の側に何の大義もありません。3年3か月の戦争のなかで攻撃をうけたイラクだけではなく、攻撃をした米国にも多数の犠牲者が出ています。日本人も外交官2人と民間人3人の計5人の文民が命を失いました。戦争はまだ続いています。殺し合いは終わってはいません。戦争は泥沼化しています。

米国、英国、オーストラリア、日本などは戦争からの出口を求めています。小泉首相はムサンナ州の治安維持の権限が英国とオーストラリアからイラク政府に委譲された機会をとらえて陸上自衛隊の撤退を決定しました。私は小泉首相のこの決定を、遅きに失したとはいえ、歓迎します。イラクでの戦争をただちに全面的に止めさせなければなりません。米国軍はイラクから出て行かなければなりません。自衛隊のイラク派遣は私たち日本人に多くのことを考えさせました。一部の日本人は人道支援という言葉に惑わされました。日本政府は今年(2006年)3月までにムサンナ州を中心に電力、保健、水・衛生などで15億ドル(約1720億円)の無償支援をしたといわれています。このような援助を行うために本当に自衛隊を派遣する必要があったのでしょうか。自衛隊よりも効果的にこのような支援を行う人材と組織は日本に存在しないのでしょうか。このさい自衛隊を災害時の人道支援のための救援組織に改組することを真剣に検討してみてはいかがでしょうか。人道支援・災害支援のために武器は必要ありません。イラクの問題はイラク人が、アラブの問題はアラブ人が、地域の問題はその地域の人々が解決すべきです。その地域の人々で解決が難しい問題を他の地域の人が簡単に解決できるわけはないのです。自衛隊が武器をもって紛争地域に行くのは今回を最初で最後としましょう。なかには恒久法を制定して、いつでも自衛隊を外国に派遣できるようにすべきだとの意見がありますが、これは論外です。外国に軍隊を送るのに慣れてはいけません。はじめは処女のごとく、おわりは脱兎のごとし、といいます。その道は戦争への道であり、日本をふたたび破滅させる道です。

戦後社会を支えたもの 承前

わたなべ ひろし

文芸評論家の加藤典洋さんが、哲学者の鶴見俊輔さん、作家の黒川創さんとの鼎談の中で、次のような発言をしていた。

「なぜ日本の戦後の思想がけっこう豊かだったかというと、丸山真男みたいな、 だまっていたら東大の研究室から出ないで、そのまま法学部の教授になるような人 間が、戦争でひょいとつままれて、二等兵として変なところに放り込まれ、広島で 被爆する。そういう経験がなかったら、日本の戦後は全然違っていたと思う。」 (『 日米交換船』p70)

加藤さんのこの発言を読んだとき、僕はとても違和感を感じた。

それは主に「戦争でひょいとつままれて」の部分によっている。

このような言い方からは、加藤さん自身「けっこう豊かだった」と評価している「日本の戦後の思想」というものに対する敬意というか、尊重する気持ちが感じられないからである。

それは決して「戦争でひょいとつままれて」もたらされたようなものではなかった。

ここに出てくる「丸山真男」とは、日本政治思想史家で、東京大学法学部の教授を1950年から71年まで勤めた丸山眞男さんのことである。今年2006年は、丸山さんが亡くなって10年目に当たる。その丸山さんについて、先日、苅部直『丸山眞男−リベラリストの肖像』を読んだ。苅部さんは、丸山さんが生きた時代状況と丸山さん自身の学問、思想の関連性を、具体的、評伝風に描いており、僕などにはとても読みやすかった。その苅部さんの本から、加藤さんの言う「戦争でひょいとつままれて、二等兵として変なところに放り込まれ、広島で被爆する」部分を引用してみる。(なお引用は少し要約してあります。)

「(召集時、丸山は)すでに三十歳、陸軍二等兵としての教育召集であった。東京帝大の教授・助教授が徴兵されることは珍しく、まして二等兵の例はほかにない。おそらくは思想犯としての逮捕歴を警戒した、一種の懲罰であった。大学卒業者には、召集後でも幹部候補生に志願すれば、将校になる道が開かれていたが、『軍隊に加わったのは自己の意思ではないことを明らかにしたい』と、あえてそれを選ばず、丸山は二等兵のまま、所属部隊ごと朝鮮の平壌へ送られた。」(p107−108)

「(丸山は、朝鮮で病気になり東京に戻った4ヵ月後の)1945年3月、再び召集を受ける。配属されたのは、広島市の陸軍船舶司令部である。やはり二等兵であった。そして8月6日の朝、(丸山のいた)司令部から5キロメートルの地点に、最初の原子爆弾が投下された。まもなく、火傷やガラスで重症を負い、助けを求めにやってきた市民たちの群れで、司令部の広場はいっぱいになる。」(p111−112)

苅田さんによれば、丸山さんが自身の被爆体験を公に語ったのは、終戦から20年後の講演においてであった。そして「広島市民に比べれば自分は傍観者にすぎないという思いから、被爆者手帳の交付を申請することはなかった」という。

このような丸山さんの戦争体験や被爆体験を読むと、極めて不本意で理不尽な境遇に陥りながらも、そこに自分の意志というものを介在させようとする人間の強さを感じる(もっとも苅部さんの書き方が上手いということもあるのだろうけれど)。

こういったものこそ「主体性」というのであろう。

加藤さんが述べているように、僕も「日本の戦後の思想」は豊かなものであったと思う。しかしその豊かさは、「ひょいとつままれて」放り込まれた環境の中で、結果として獲得したというような、受動的で消極的なものなどでは決してなかったのである。

例えば丸山さんなら、「ひょいとつままれて、二等兵として変なところに放り込まれ、広島で被爆する」ようなことが無かったとしても、きっと「東大の研究室から出ないで、そのまま法学部の教授になるような」人では無かったと思う。他の環境の下でも、そこで「主体的」に働きかけ、「日本の戦後の思想」を豊かなものにするような仕事をしていたに違いない。

そしてそのようなことは、丸山さんひとりに限ったことではなかった。こういう人たちが、「日本の戦後の思想」の裾野を形成していた。そして僕自身、その恩恵を有形無形にこうむってきたとしみじみ感じる。

それではその上で、自分は何をすればよいのだろうか。僕自身の課題がここから始まる。

「地球社会論」研究部会のご案内

中西 治

おはようございます。梅雨が続いています。いかがお過ごしですか。来週日曜日、6月25日に2006年度第3回「地球社会論」研究部会を開催します。 報告者は中西治、テーマは地球宇宙平和学入門(3)「20世紀の地球史を振り返る」です。1492年のコロンブスのアメリカ大陸到達以後の歴史、とくに 18世紀以降のアメリカ独立革命、フランス革命、ロシア革命、中国革命の意味を再検討しながら、20世紀を振り返りたいと思います。場所はいつものように 横浜洋光台の研究所事務所、時間は午後2時から4時までです。 参加費は500円。遠いところですが、お出でをお待ちしています。良い一日を!

「中東イスラーム」研究部会のご案内

岩木 秀樹

皆様いかがお過ごしでしょうか。「平和の歴史・思想・現在」研究部会と「中東イスラーム」研究部会の合同研究会を下記のように開催いたします。遠いところ ではありますが、皆さんのお越しをお待ちいたします。なお研究会終了後、簡単な懇親会も予定しています。お気軽にお越しください。去年同様、学生も参加す る予定です。なお懇親会の準備の都合上、参加希望者は岩木までお知らせいただけると助かります。

日時: 7月2日(日)午後2時から研究会 午後4時から懇親会
場所: 岩木秀樹自宅
参加費: 500円
発表者: 岩木秀樹・遠藤美純
統一テーマ: 「中東とヨーロッパから見た戦争と平和」(仮題)

*バスで来られる方
JR八王子駅 7番バス乗り場、川口小学校、上川霊園、今熊、川口経由武蔵五日市行きバスのどれか。榎木下車。360円。駅からバスで30分くら い。榎木バス停から歩いて2分。榎木バス停は丁字屋に隣接しています。そこからの行き方は以下を参照。

*車、自転車等で来られる方
秋川街道を五日市方面に進み、楢原の交差点を過ぎて約3キロ進むと、左手にスーパー丁字屋が見える。そこを右に曲がり200メートルくらい進み、T字路 を右に曲がりすぐ右側のアパート(二階がピンクの建物)の二階奥の203号室です。

訪朝・訪中のご案内

事務局

向暑の候、皆様におかれましてはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

さてこの度、ジェーアイシー旅行センターを通じて、地球宇宙平和研究所「朝鮮民主主義人民共和国・中華人民共和国訪問団」の内容が確定しましたので、ご 案内いたします。参加を希望される方は、7月11日までにジェーアイシー旅行センターまで、パスポートのコピー、3×4㎝の写真2枚、ご旅行申込書を郵送 し、申込金3万円をお振り込み下さい。その後、残額の請求がジェーアイシー旅行センターから参ります。

またジェーアイシー旅行センターへ支払っていただく代金の他に土産代等の費用1万円を地球宇宙平和研究所へお支払いいただきたいと存じます。こちらも7月11日までに、以下の地球宇宙平和研究所の銀行口座にお振り込み下さい。

なお朝鮮民主主義人民共和国でお会いする方については調整中であり、北京大学日本研究センターとの学術交流についても現在調整中であります。

また2、3日中に、郵送でも会員の皆様にご案内をお送りいたします。

多くの皆様のご参加をお待ちいたしております。何かご質問がありましたら、事務局までご連絡下さい。

参考: 旅行日程の詳細について (訪朝・訪中のご案内

二酔人四方山問答(35)

岩木 秀樹

B:冷戦崩壊以後、特に9・11事件以後、イスラーム地域で戦争が絶えないよね。

A:そうだね。オスマン帝国の領域やその周辺で問題がくすぶり続けている。そのことを指して、「ポスト・オスマン・シンドローム」と名づけた研究者もいる。オスマン帝国は1922年に政治的に解体したが、その遺産の最終的な精算は出来ていない。

B:言われてみれば、紛争の多くはオスマン帝国の領域やその周辺だね。イラクもパレスチナも旧ユーゴスラビアもチェチェンもそうだ。

A:だからオスマン帝国の共存形態や、なぜそれが崩壊して現在の中東諸国体制になったのかを見ていくことは、現在の問題の淵源をたどることにもなるんだ。

B:そうか。じゃあオスマン帝国がどのようにして共存していたのかを教えて。

A:その前に、イスラームにおける共存の考えを見ておこう。オスマン帝国も、イスラームの教えやそれ以前のイスラーム帝国の影響をかなり受けている。

B:では、なぜイスラームが比較的寛容なのか教えてよ。

A:おそらく、イスラーム教徒は最も偉大な教えであるので寛容なのは当然だと考えるかもしれないが、研究者は次のように説明する人が多い。第一はイスラームは都市の宗教、商業の宗教であるから、他者の存在が前提となる。

B:商売は身内の中だけでやっていても、利潤は増大しないよね。

A:そう。だから商業的雰囲気の中で形成されたイスラームは他者性や異人を大事にする。他者がいるから自分たちも存在すると考える。だから当然、寛容となる。そして第二の理由は預言者の多元性だ。

B:なにそれ。色々な預言者も認めるってこと。

A:その通り。アダムから始まって、アブラハム、モーセ、イエスなどを預言者として認めるんだ。最大にして最後の預言者がムハンマドとなる。だからユダヤ教やキリスト教を啓典の民、兄弟の宗教として認めた。

B:なるほど。前にも聞いたことがあるね。

A:啓典の民には、税金を払ってもらえば、ある程度の自治や宗教の自由は容認した。戦争をしたり、抹殺するより、税金をもらうとは実に現実的で実利的な政策だと思う。

B:殺したりするのも労力がかかるし、恨みを買う。税を取るとはうまいやり方で、一つの共存の方法だね。

A:さらにこの啓典の民の範疇が広がることになる。ゾロアスター教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒まで広がったこともある。

B:へー、そんなに。

A:たぶん寛容思考からではなく、税を取りたかったためだろうが、それでも血で血を洗う闘いよりもましだと思う。

B:「コーランか剣か」はやはりヨーロッパで作られたイスラームに対する間違った認識なんだね。

A:そう。正確には、啓典の民には「コーランか剣か税か」だ。イスラームに改宗するか、戦うか、税金を納めるかだ。しかも先程述べたように、啓典の民の概念は広がることとなった。

(つづく)

エッセイ 61 心と体

木村 英亮

『サタディー・レビュー』誌の編集長を務めた後カリフォルニア大学医学部大 脳研究所教授となったノーマン・カズンズは、病院にくる患者の9割は治療などし なくても自分で全快できるのであって、医者の仕事はそれができない少数の患者を 見分けることである(『 笑いと治癒力』、岩波現代文庫、2001,38ページ)、医学は、微生物との戦いでは大体勝利したが、精神的安静をうる戦いには敗北をつづけていると書いている(50ページ)。

そして、精神的な安静と長寿は、創造力の活動によってもっともよくえられるととして、その例として、パブロ・カサルスとアルバート・アインシュタインの2人をあげ、その考え方を紹介する。カサルスは、「人が自分自身の善性に耳を傾け、それに従って行動するのには勇気が要ります。われわれは自分自身になり切る気があるかどうか。これが大切な問題です」(67ページ)と、シュヴァイツァーは、「自分がどんな病気にかかろうと、一番いい薬は、すべき仕事があるという自覚にユーモアの感覚を調合したものであると信じていた」(68ページ)と言っている。

国立小児病院名誉院長小林登は巻末の解説で、重症栄養失調児の世話を優しい女性にさせると体重が3,4倍早くつき、下痢や肺炎などの感染症合併は10分の1になったというチリの医者の講演を紹介している(202-203ページ)。

ことばは劇薬である。

宮崎学は、全国水平社の指導者松本治一郎の伝記を次のことばで結んでいる。

たった一言が
人の心を暖める
たった一言が
人の心を傷つける