月別アーカイブ: 2006年4月

エッセイ 50 カントと現代

木村 英亮

「百聞一見に如かず」ということわざがある。いまのような国際化、グローバリゼーションの時代に、広く世界を知らなければならないことは当然である。違った世界を見ることによって固定観念が壊され、視野が広くなることもあり、また現地でなければ確かめられないこともある。しかしもちろん、世界中を飛び歩いていればいいというわけではない。

東プロイセンの首都ケーニスベルク(現在ソ連の西の飛び地カリーニングラード)生まれのイマヌエル・カントは、生涯狭いこの町から一歩も出ずに思索を重ね、200年以上を経た今日にも生きる哲学を作り上げた。

かれは晩年の1795年に『永遠平和のために』を執筆し、その第1章で常備軍の全廃を主張した。その理由の一つは、かれの倫理学に基づくと自他の人格はつねに目的それ自体として扱うべきであるのに、軍隊は人間を手段として利用するものであるからである。私は2002年に国際関係論のテキスト(『21世紀の日本と世界―国際関係論入門』、山川出版社)を出版したとき、序章にこのことを書いた。

かれはまた1784年の「啓蒙とは何か」冒頭で、「『自分自身の悟性を使用する勇気をもて』これがすなわち啓蒙の標語である」(篠田英雄訳、岩波文庫、7ページ)と述べた。

また、1793年の「理論と実践」では、両者が一致することを論じている。国際関係論の分野でも、最近「理論と現実との二分化の克服」が課題とされていることを読んだ(星野昭吉『世界政治の理論と現実』亜細亜大学購買部、2006)。

すなわち、カントの主張は今日においても新しく、しかも実践的である。

情報化の時代、あらためて思索の重要性を感じる。

エッセイ 49 シベリア抑留と日本人

木村 英亮

トルストイ、ドストエフスキ、チェーホフらロシア文学は、日本でよく読まれてきた。チャイコフスキーらのロシア音楽も好まれている。日本とロシア は、さまざまな点で大きく違っている。しかし、ロシアの文学や音楽が好まれているのは、なにか共通のところがあり、そこが日本人に訴えるのであろう。

戦後シベリアに抑留され、『極光のかげに』 を書いた高杉一郎は、「俺たちはまずなによりも人間であればいいわけだ。たとえば、君と俺はいまこうやって向かいあって坐っているが、これはつまり、ひと りの人間ともうひとりの人間が向かいあっているんで、ロシアの囚人と日本の俘虜が向きあってるんじゃない。そんな区別は、馬鹿や狂人のつくったうわ言さ」 (岩波文庫、1991,213ページ)というロシア人の言葉を書き留め、このスラヴ民族特有の人生哲学、人生のなかから滲みだしてきた思想が、民衆の日常 生活に溢れている、とコメントしている。

昨年私は、日本人抑留記を題材として千葉工業大学で話す機会があったが、「若い60万人もの男子日本人が生活と労働のなかで、同じよう に苦しい生活をしていたロシア人との交流のなかでえた心の底からの声は、今後の日ロ関係形成のひとつの基礎となり得るし、生かしていかねばならない」、と 結んだ(「日本人抑留記にみるロシア人」『二松学舎大学国際政経論集』第12号、2006.3,167ページ)。

シベリア抑留については、全8巻の体験記を刊行した高橋大造が実現すべきとして挙げた5つの課題、「根本原因の解明と抑留体験者への国 家補償の確立、さらには、不運にも望郷の念にこころを焦がしながら亡くなられた全戦友たちの霊をねんごろに弔うとともに、このような無惨な体験を再び繰り 返さないための歴史教育の確立と抑留生活の実態を伝えるための資料の保存」(『四十六年目の弔辞、極東シベリア墓参報告記』1993,190ページ)をこ こに記しておきたい。

エッセイ48 沈黙の春

木村 英亮

これは1962年にレイチェル・カーソンがアメリカで出版した、環境問題についての先駆的な本の題名である。

少し前まで、春の夜は、コマドリ、 ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で明けた。しかし、いま野原、森、沼地は黙りこくっており、沈黙の春である。これは、1945年前後からつくり出された 塩基性の化学薬品によって生物が絶滅したためである。汚染が進めば、「植物、動物の組織のなかに、有害な物質が蓄積されてゆき、やがては生殖細胞をつきや ぶって、まさに遺伝をつかさどる部分を破壊し、変化させる。未来の世界の姿はひとえにこの部分にかかっているというのに」(青樹簗一訳『沈黙の春』、新潮文庫、18ページ)。

その後の50年、人びとはカーソンの警告を聞くことなく、化学薬品による自然の汚染は格段に進んだ。健全な自然は、多様性の維持によって 成り立つのに、人間に都合の悪いものは、毒草、害虫として、化学薬品によって絶滅させられる。これによって、自然界につくりあげられてきたバランスは破壊 され、取り返しのつかない事態が生じつつある。

いまアメリカの牛肉の輸入が問題になっている。狂牛病は、肉骨粉を飼料とし、牛に共食いさせていることが原因である。鶏は一生狭いケー ジのなかで卵を産まされている。卵の中に血がまじっていることがあると聞くが、不思議ではない。なんということをするのであろうか。牛や鶏からすれば、人 間はすべて人でなしである。人間が動物に対しておこなっているこのような仕打ちは、やがて人間にも向けられるのではなかろうか。実際すでにヴェトナムで も、いまイラクでも、化学薬品や核物質は、兵器として大量に使用されている。恐るべきことである。

人類に最後の審判が下るのは、それほど先のことではないであろう。

エッセイ 47 スターリン個人崇拝について

木村 英亮

1956年にフルシチョフがスターリン批判を始めたとき、あなたはその時どうしていたのか、と問われた。ソ連解体後、ゴルバチョフには決断が足りなかったと批判している旧幹部にも、同じ問いを発することができるであろう。個人崇拝の下では、最高指導者以外は、かれに個人的に意見を述べて決定に影響を与えることに満足し、自分でイニシアチブをとることはできなかった。このような意識と行動は、絶対君主の下での廷臣の立場に似ており、個人主義の確立した現代人のものではない。

ソ連解体後、多くの旧ソ連党幹部による回想録などが出され、日本語にも翻訳された。そのひとつに、1991年末まで大統領主席顧問であったアレクサンドル・ヤコブレフの『歴史の幻影』(月出交司訳、日本経済新聞社、1993)がある。ここでは、改革を妨害したKGB(国家保安委員会、ソ連の秘密情報機関)が繰り返して非難されている。しかし、かれは党中央委員会思想宣伝部長であったので、他を批判するだけでは不十分で、われわれとしては、彼が自分の仕事をどのように総括しているかが一番知りたいところである。

また、CIAをはじめとする外国の情報機関の活動や資金の流入の全体像などもぜひ明らかしてほしかった。かれはCIA論をかいているが、われわれが知りたいのは、ソ連解体過程におけるその活動についてである。

丸山真男は、戦時中の日本の指導者が極東軍事裁判で、自分の責任について少しも反省せず、成り行きによってそのようになったとか、どうすることもできなかったと言っていることを批判した。日本では天皇崇拝があったが、天皇自身も他の選択はとりえなかったと同じような感想を述べている。中国が問題にしている「靖国問題」は、本質的にはこのような戦争責任をだれも自分の問題としていないという「歴史問題」に対する日本人の対応を衝いているのではないであろうか。

いまロシアでも日本でも無責任体制は強く残っている。それは個人崇拝とセットをなしているものである。その意味では、個人崇拝は、ロシアでは依然として克服されておらず、日本においても他人事ではない。君が代の歌唱を強制するような個人の人格を認めない体質は、まさに個人崇拝と共通のもののように思われる。

エッセイ 46 ドンキホーテ待望

木村 英亮

ピョートル・クロポトキンは、1905年ニューヨークで出版した『ロシア文学の理想と現実』(高杉一郎訳、岩波文庫、1984)で、トゥルゲーネフとトルストイに1つの章をあて、この2人とドストエフスキイによってロシア文学は世界文学となった、トゥルゲーネフの小説は高度の美意識とともに知的な内容によって際立っている、と評価している。

19世紀後半から20世紀初めまでの40年間、ロシアでは文学、芸術、科学、大学にたいして絶え間のない弾圧がおこなわれ、「若い作家た ちはほとんどひとり残らず投獄や流刑を経験したし、ほとんどすべての知識階級の家庭では、家族の者か知人の誰かが獄中にいるか流刑地にあった」(上・6 ページ)。

農村生活をスケッチした『猟人日記』は、風刺的なところはまったくないにもかかわらず、農奴制度に決定的な打撃を与えた。『父と子』 では、ニヒリスト、バザーロフを描いた。トゥルゲーネフは、「もし読者が、バザーロフに粗暴、薄情、無慈悲な冷淡と厳しさがあってもなお、彼のとりこにな らないとすれば、それは私の責任で、私が目的をはたしえなかったのである」(クロポトキン、上、188ページより)と書いた。

トゥルゲーネフは、1860年の講演「ハムレットとドンキホーテ」で、人は、自分の我が第一位を占める人と別のもっと高いと認められるものが第一位を占める人に分けられるとし、前者にハムレット、後者にドンキホーテを代表させて論じた。

「ドンキホーテは全心理想に対する献身に貫かれていて、その理想のためにはありとあらゆる窮乏に身を曝し、生命を犠牲にする覚悟であり、 自分自身の生命にも、それが理想の具現、地上に於ける真理や正義の実現に対する手段となる程度しか価値を認めておりません。・・・その倫理的な本質の強さ はそのあらゆる判断や言葉に風采全体に特別の力と偉大さを与えていて、その絶えず陥る喜劇的な屈辱的な立場に関わらないのであります」(河野与一訳、岩波 文庫、1955,9-11ページ)。

トゥルゲーネフは講演を、すべてのものは死とともに埃となって散ってしまうが、よい行いは永遠に残る、と結んでいる。

小沢一郎と日本の政治文化

わたなべ ひろし

以前当コラムにおいて木村英亮さんが、有権者というものは選挙を通して割り合い的確な判断をするものだ、というようなことを書いていた。

昨夏の解散総選挙など、その小泉自民党のあまりの大勝に目を奪われがちだったが、ガセネタメール騒動を巡る一連の出来事や、そこに登場する党首を始めとする民主党の議員たちのあまりにも拙劣な言動などをみていると、あの選挙は有権者が小泉政権を圧倒的に支持したということなのではなくて、民主党政権を忌避した結果、有権者がこぞって自民党に投票したと考えた方がその実相に近いような気がしてくる。解散直前の予想通り民主党が勢いに乗って大勝し、今ごろ永田某や前原某などが政権をとっていたらと考えると心底ぞっとする。

やはり有権者は選挙によって割り合い的確な判断を下したということなのであろうか。その民主党、この度小沢一郎さんが党代表に選出された。

久しぶりにテレビに出ずっぱりの小沢さんをみた。

それにしてもこの人、自民党をおん出て(追い出されて?)この十数年間、本っとに言っていることが変わらないよねぇ。国際的責任(って言うか自衛隊の海外派兵)、政治家の強いリーダーシップ、個人の自立(っていうか「自己責任」)、普通の国(っていうか憲法改正)、そして二大政党制礼賛と、これらのボキャブラリーをいろいろ組み合わせながら、でも言っていることは結局ワンパターン。

しかしなんだかんだ言ってもずっと政治の表舞台から消えることはなかったし、なにかあると「小沢待望論」みたいなものが不思議と出てきて、とうとう今回は野党第一党の党首になってしまった。

この「小沢一郎」を存続させている力っていったい何なんだろう?

小沢さんは1993年に『国家改造計画』という著書を出している。そしてこの本の時代的役割は、ある意味で画期的なものであったと思う。

1980年代後半以降、日本をめぐる国内環境と国際環境の変化は真に大きなものであった。国際環境の変化とは、1991年のソ連邦解体によるいわゆる共産圏の消滅と、その結果「自動的」な日本の国際的地位の上昇である。国内環境の変化とは、「ジャパン アズ №1」と言われたような「高度に発達した資本主義社会」「後期資本主義社会」に日本社会がまがりなりにも至ったということであり、それに伴い「個人主義的に成熟した人々」を政治家は相手にしなければならなくなったということである。

そしてこれらの変化に対応すべく保守の側からの新しいトータルなビジョンの提示、それが小沢さんの『国家改造計画』であった。これに対して革新の側は、トータルなビジョンということでは、対案を提示することが出来なかった。

小沢さんはこの本で提出したビジョンのおかげで、いまだに政治家として食べていけているのである。小泉首相の「構造改革」など、このビジョンの焼き直しに過ぎない。きっと小沢さん自身、1990年代以降の日本が進むべき筋道を示したのは自分だという自負があるに違いない。

ところで党代表に決った日の夜、テレビのインタビューに答えて小沢さんは、「政党は政権与党にならなければ意味は無い。万年野党でも良いなどと考えているような人間は民主党から去ってもらいたい」というようなことを言っていた。

この言葉に端的に表れているように、小沢さんの「二大政党論」などというものは、せんじ詰めれば「政党などというものは政権与党にならなければ意味が無い」という、非常に狭隘な政治哲学に支えられたものに過ぎないのである。

この小沢「二大政党論」が撒き散らした、日本社会における「政治文化」上の害悪は計り知れないものがあると僕は考えている。それは議会制民主主義における「野党」的存在の否定、あるいは少数意見の軽視(無視)ということだ。彼にとって「野党」などという存在は、政権を獲る気概の無い万年野党か、政権につきたいくせに実力の伴わない負け犬ぐらいにしか認知されていないのであろう。

小沢さんの「二大政党制」とは、「マジョリティの利益の代弁者としての与党の座をめぐる争い」というものに、日本の政党政治を矮小化したのである。

このような性向は、もともと日本の政治文化において非常に強いものではあった。しかし小沢さん以降、本来政策実現のための手段であるべき「政権獲得」というものが、それ自身目的となってしまった。そしてこの目的を完遂することを前提として、政党や政治家たちがその行動をとるようになる。その結果、日本の政党政治は、野党各党による自民党との連立政権獲得競争へと、雪崩をうって堕落していく。

「万年野党に存在意義は無い」という言葉に押しやられるように社会党は自民党と連立政権を組み、その歴史的役割を終える。その後、今度は公明党が「念願」の自民党との連立を組み、「平和と福祉の党」という役割を急激に方向転換し、政権与党であることが第一目的の政党へと変わり果てることになる。

きっと小沢民主党は小泉さんと競うようにして、改憲・日米安保重視・新自由主義路線を推し進めていくことになるのだろう。

野党第一党である民主党が本当に問題とすべきなのは、与党にならなければ何も出来ないというような日本の政治システムそのものを、まさに「野党第一党」の責任として解体していくことである。

エッセイ 45 成年後見制度について

木村 英亮

ひとり暮らしの老人がセールスマンにリフォームなどをすすめられ、貯金を騙し取られてしまったことが報じられている。似たようなことはおそらく数 えきれないくらいあるのであろう。介護サービスも悪質な業者に手抜きされているおそれがある。子どもが親を施設に入れて財産をとってしまうこともおきているようである。普通の老人、あるいは老人でなくても被害者になりうる。

最近、170万人近い自分で権利を守れない認知症(痴呆、ぼけ)の高齢者のために、2000年に成年後見制度が導入されたことを、ボラ ンティア活動をしている友人から聞いて知った。『朝日新聞』(3月28日号)にはシニアルネサンス財団事務局長を務める河合和が、財団の紹介を書いている。それによれば、この財団はボランティアの市民後見人を養成し、成年後見制度をバックアップしているが、現在のところ利用者は少ない。

老人が増えると、社会全体として年金の負担が増大する。それだけでなく医療費なども増加する。いちばん困るのは認知症である。すべての患者に後見人をつけて、その権利を守らなければならない。

その前に、認知症を減らすことができないかと考えていると、書店で須貝佑一『ぼけの予防』(岩波新書、2005)という本を見つけた。それによると、認知症患者は、東京都では65歳以上の老人の4%程度のようである。その半分はアルツハイマー病でその他脳血管性痴呆などである。脳は使えば 認知的予備力が蓄えられ、知能より先に体が老化し認知症が起こる前に寿命が尽きる。ストレスをはじめ食習慣から運動不足までさまざまなことが認知症の原因 となる。知的好奇心をもち、適度の運動をおこない、暴飲暴食をしなければ、ぼけ老人になることはかなり防げるようである。

生涯学習の拡大は、ぼけ老人を増やさないためにも、もっともよい対策であろう。

エッセイ 44 大学生活さようなら

木村 英亮

外務省にいた佐藤 優は、『国家の罠』(新潮社、2005)で、大学教授は嫌な奴らでもう極力付き合いたくない(265-266ページ)、と書いている。私は、50年以上前大学の門をくぐって、外の世界にまったく出なかったので、大学教授が役人や会社員と比べてとくに嫌な奴らかどうか比べられない。

ともあれ私は、2006年3月31日に九段校舎で辞令をもらって、二松学舎大学を定年退職し、大学での生活にピリオドを打った。同時に退職するのは、国際政治経済学部4名、文学部3名で、25日の九段会館での卒業式直後、壇上で女性職員から花束をいただいた。この日は12時から九段校舎の 教室で、私のゼミの卒業生27名(男性13名、女性14名)に卒業証書を渡したので、その時、花束をばらして女性にはバラなどを一輪ずつ渡すことができた。この最後のゼミの学生とは、2時から帝国ホテルで開かれた父母会主催のパーティで、集合写真をとったりして別れた。専門学校でもう少し勉強するという 1人を除き26人は就職が決まっている。健康で仕事のうえでエキスパートになれるよう祈りたい。

教員には、10日の学部教授会、18日の研究科委員会、16日の全学のパーティで挨拶した。パーティで大きな花束と金一封をもらった が、カサブランカは家で1週間以上強い香りを放っていた。29日には6年間使用した柏の研究室の掃除をして鍵を返し、柏への通勤は終わった。 教員や学生から、4月からどうするのかと聞かれたが、長い夏休みのような生活ということになるのであろう。

二松学舎大学は、2年前、定年を70歳から65歳とし、その年の新規採用者から適用されている。いま、年配の研究者は、基本給が少なく 1年雇用の特任教授として採用するところが多くなった。大学院設置のため横浜国立大学から定年1年前64歳でこちらに移れた私は恵まれていたというべきで あろう。在任中に、九段校舎が高層の建物に改築され、国際政治経済学部3,4年と新設された大学院の一部も柏キャンパスから移された。今後、地の利と小規模大学としてのメリットを生かしたいっそうの発展が期待される。

エッセイ 43 スポーツの世界の国際化

木村 英亮

朝青龍が横綱になって数年経ち、はじめは日本人でなくて残念という人もいたが、おかげで今では相撲もすっかり国際化し、白鵬(モンゴル)、琴欧州 (ブルガリア)ら、日本人のもたない魅力で角界を豊かにし、ファンの層を広げている。国技といわれる分野で、日本人が外国人に対するスタンスを学び、知ら ず知らずのうちにナショナリズムを克服していくように見えるのは面白い。

相撲は勝ち負けが単純でわかりやすく、それだけに基本が大切である。強い力士は、小手先の技巧でなく王道で勝っている。また、実力を発揮するため健康管理が重要であることもよく判る。舞の海らの解説も相撲と同じく無駄がなくすばらしい。

春場所のなか、米国サンディエゴで開かれた第1回ワールド・ベースボール・クラシックの決勝戦で王貞治監督率いる日本チームがキューバに 10対6で勝ち優勝した。数年前には想像もできなかったことで、冬季オリンピックでの不振を忘れさせた。韓国もベスト4に入り、アジア勢の強さをアピール した。米国の経済制裁を受けているキューバは、賞金をカトリーナの被災者に贈ることになっていると報道されている。

スポーツの世界では、選手の自主性や監督のイニシアチブが尊重されているようであるが、教育の世界では教師に対する統制が強められてい る。スポーツの世界のように結果として日の丸が揚げられのではなく、まず日の丸を強制しようとしている。このような教師の手をしばり、命令するようなやり 方は、教育の衰退につながる道であり、日本の将来を暗くするものである。

軍事力や経済力だけでなく、スポーツ、教育などさまざまな分野で競争がおこなわれ、国際化が進むことは望ましい。そのさい当然のことであるが、競争は国際的に通用するルールで行われなければならない。