月別アーカイブ: 2006年3月

イギリスの非暴力による平和の闘士 ―Brian Haw―

高橋 勝幸

今年の3月も全世界でイラク侵略と占領に反対するデモが繰り広げられた。そのデモに合わせて、一通のEメールがイギリスから届いた。ブライアン=ホーさんの支持者からのメールである。

私は2005年3月25日、その人に会った。昨年の3月19日、ロンドンの反戦デモに参加して、もらったカードを頼りに会いに行った。

ブライアンさんは議会広場に陣取って、平和を訴える。イギリスとアメリカのイラク政策に抵抗して、議会広場にいる。イラクに対する経済制裁、侵略、占領に反対して、2001年6月1日から居続けている。

私が日本から来たというと、ブライアンさんは、イラクで急増している白血病やガンに苦しむ子どもたちや奇形児の展示写真を案内してくれた。というのも、それらの写真は日本人が撮影したものだからである。フォトジャーナリストの森住卓氏が1998年より撮影した、湾岸戦争で米英軍が使用し た劣化ウラン弾で被爆したイラクの子どもたちがブライアンさんを抗議に駆り立てたのである。

「私は湾岸戦争の子どもたちによって目を開かれた。イギリス軍が犯した子どもたちへの放射能被爆に対してイギリス人として、一市民として本当に申し訳ない。かれらにはケアーが必要だ。私は抗議して4年間座り続けている」、と。

ブライアンさんが議会前に座り続けて、5年が経とうとしている。この間、ブライアンさんは何度も、逮捕によって立ち退かされ、展示物を取 り壊され、また、暴力を振るわれた。幾度も起訴され、勝訴した。2005年4月7日、ついに「2005年重大組織犯罪及び警察法」が成立した。この法律は 2005年5月5日の総選挙をにらんで、労働党が治安強化をアピールするために性急に法制化した、異議申し立ての自由を剥奪する悪法である。その第132 条は「議会広場から1km以内の、主務大臣が命令によって指定区域とした場所において、許可を受けていないデモを行うことを逮捕可能な犯罪とし、組織した 者には最高で51週間の拘禁刑と罰金2,500ポンドを科し、参加者には罰金1,000ポンドを科する」(岡久慶「2005年重大組織犯罪及び警察法− 「イギリスのFBI」設置へ」『外国の立法225』)と規定している。この規定の標的こそ、ブライアンさんなのです。これまで11人が警察の許可なしに議 会周辺のデモに参加したために有罪となり、その多くはブライアンさんの支持者であった。しかし、2001年6月から抗議しているブライアンさんには法律の 遡及効果がないと高裁は判定している。ブライアンさんは議会前での抗議の権利を守るためにも戦っている。

ブライアンさんの行動と勇気は、平和と正義のための運動に元気を与え続けている。

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議会広場で子どもたちのために抗議を続けるブライアン=ホーさん (2005年3月25日筆者撮影)

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森住卓氏が撮影した、米英軍による劣化ウラン弾で被爆したイラクの子どもたちの展示

訪中報告

中西 治

地球宇宙平和研究所の皆様

以下に簡単な訪中印象記を書きます。

今回の訪中でもっとも衝撃的であったのは南京大虐殺記念館でした。正式の名称は「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館」です。

この記念館は中国に侵攻した日本軍が中国人を人間と考えず、動物として扱い、大屠殺した場所の一つ「万人抗」の上に建てられています。完成したのは1985年8月15日ですが、完成後の1998年4月にもこの記念館の敷地からたくさんの遺骨が発見されています。

表面の土は取り払われていますが、いまも地中に遺骨が累々と横たわっています。私たちは二つの花束を捧げ、深く深く頭を垂れましたが、私たちを見る周囲の目は冷たいものでした。

私は1973年に初めてアメリカ合衆国を訪ねたときにジャップと言われましたが、このように冷ややか視線を感じたのは初めてでした。戦争は人間を畜生にします。私たちの父や兄が犯した罪の責めをいま私たちが受けているのです。

南京市内には大屠殺が行われた場所は合わせて17か所あり、屠殺された中国人の数は30万人に及ぶと言われています。この数をめぐって論議が行われていますが、その数がたとえ3万人であったとしても大屠殺にかわりはなく、その責任を免れることはできません。ましてや現にあった大屠殺をなかったとは言えないのです。

南京大屠殺が行われたときの日本軍の最高指導者が華中方面軍司令官松井石根大将であり、副参謀長が武藤章大佐です。この二人は後に極東国際軍事裁判でA級戦争犯罪人として裁かれ、絞首刑に処せられました。

この人々を神として崇めている靖国神社に日本の首相が行くことはこの人たちが行なったことは良かったと日本国が認めることになります。中国人はこれを絶対に認めません。立場をかえれば、このことはすぐ理解できるでしょう。

何よりも重要なのは、この大屠殺は日本軍が中国に侵攻して行なったことです。

私は今回の訪問中に東アジアの情勢と日中関係について湖南大学の学生諸君に講義し、多くの質問に答えました。また、復旦大学日本研究センターで報告し、同センターの同僚と論議しました。この席には上海に留学中の日本人学生が6人参加しました。

私の講義と報告の出発点は日中戦争が1931年9月18日の出来事(満州事変)で始まる日本の中国に対する侵略であったということです。

訪中に先立って書いた基調報告を別便で送ります。お読みいただければ幸いです。

なお、A級戦犯で絞首刑を宣告されたのは次の7人です。

東条 英機
土肥原 賢二
広田 弘毅
板垣 征四郎
木村 兵太郎
松井 石根
武藤 章

松井石根に対する訴因は「捕虜と一般抑留者に関する規則の実施をおこたったこと」、武藤章に対する訴因は「中国に対して侵略戦争をおこなったこと」、「通常の戦争犯罪の遂行を命令し、授権し、許可したこと」、「捕虜と一般抑留者に関する規則の実施をおこたったこと」などです。

他に、荒木貞夫、橋本欣五郎、畑俊六、平沼騏一郎、星野直樹、賀屋興宣、木戸幸一、小磯国昭、南次郎、岡敬純、大島浩、佐藤賢了、嶋田繁太郎、白鳥敏夫、梅津美治郎、鈴木貞一など16人が終身の禁固刑、東郷茂徳が20年の禁固刑、重光葵が7年の禁固刑です。

無事、帰国しました

中西 治

おはようございます。私たちの研究所の訪中団一行は昨夜、無事帰国しました。今回は南京、長沙、上海を訪れ、湖南大学と復旦大学で学術交流を行ないました。大変実り多いものでした。まずは帰国貴国の報告をします。良い一日を!

訪中 (2006年3月25日-3月30日)

事務局

3月25日 13:50成田発、16:00上海着、専用車で南京へ 22:00ごろ南京着
3月26日 南京見学 中山陵、南京大虐殺記念館など
3月27日 07:55南京発 09:20長沙着 湖南大学訪問・交流など
3月28日 湖南博物館、岳陽楼など見学、18:20長沙発 19:50上海着
3月29日 上海見学 上海関連大学訪問・交流
3月30日 11:35上海発 16:00成田着

参考: 中西理事長の訪中印象記

エッセイ 37 論文の書き方について

木村 英亮

戸坂 潤は「論文の新しい書き方」で、次のように書いている。

「論文には一定の型式となるようなものはない。内容が一定の文章を要求するのである。書く人は出来るだけの力を自分なりに発揮して、この内容を自分自身に遂一納得の行くように整理し点検して行けばいいのである。それがおのずから、読者にもよく判る論文となる・・・ ただの結論は何の実力もない独断と同じである。結論は分析と総合とを通して得た行論の結論以外のものではなかった筈だ。」 すなわち、自分でよく判っていることを書くこと、根拠を示すことが第一である。

「自分自身に納得の行くように」ということばはとても重要である。ここにはいろんな意味が含まれている。大衆受けするように、とか、権力者の気に入るようにではなく、自分自身に納得のいくようにということである。

また、論文にかぎらず、文を書くときは、テーマはなにか、すなわち何を伝えたいのか自覚していなくてはならない。長ばなしのように、途中で横道にはいってなにを議論しているのかわからなくなることがあるからである。そうならないためには、題をつけるとよい。

内容が変わる時は、行替えでそのことが判るようになっていると読みやすい。答案などで一度も区切らず、前後の脈絡もなく、知っていることを書き連ねてあるのがよくあるが、言いたいことを推測しながら読むのは疲れる。

論文では分析の結果としての結論が必要である。分析だけに終わり、結論を避けたり、あいまいなままにしたものは、調査報告書である。

エッセイ 36 怒りについて2

木村 英亮

ローマ時代の哲人セネカは、怒りを手段として利用してもいいだろうか、と問い、いったん怒りという感情に捉えられると理性による抑制ができなくな る、とし、「怒りは自らを抑えることもできず、品位も汚し、親しい間柄を忘れ、怒り出せば執念深くて一途に熱中し、道理にも忠告にも耳を閉ざし、つまらな い問題にも興奮し、公正真実を見分ける力はなく、言わば、自らが押し潰したものの上に砕けて散る破滅に似ているのである」(セネカ、茂手木元蔵訳『怒りについて』、岩波文庫、1980,9-10ページ)。われわれは、他人を恐れさせるようなことなく、悪口、嘲笑なども気にせず、長くない人生を忍ばねばならないと、ストアの哲学を説いている。

しかし、怒りには私憤と公憤とがある。現代のわれわれとしては、耐え忍ぶばかりでは困るのではないかと思う。

辛淑玉は『怒りの方法』(岩波新書、2004.)で、日本に多い「まあまあ、ここはひとつ大人になって」、「世間を騒がせる迷惑な奴だ」というような加害者を免罪するような発言を批判し、押し潰されて破滅しないように、怒る方法を考えようと提案し、自己主張や説得の方法について語る。 この本のあとがきまで読んで、学生時代に見たアメリカ映画「十二人の怒れる男」を思い出した。ヘンリー・フォンダ扮する主役が、残り11人の陪審員を説得し、父親殺しの容疑のかかった少年の無罪評決をかちとるまでを描いた映画である。

説得するためには、相手の怒りまでふくめ、深い人間理解が必要である。これは教員にも欠くことのできない資質であろう。

ロシア・ネオナチと平和運動

宮川 真一

2002年4月にはロシアで右翼過激主義者による犯罪が急増した。在ロシア日本大使館は「スキンヘッズにご注意を」とのチラシを配り、議会では「ロシア連邦過激主義活動対策法」が成立した。私も、夢の中でロシア・ネオナチの襲撃事件に遭遇したことを覚えている。

現在の右翼過激主義に典型的なイデオロギーを構成する要素は、次の4点に整理できる。1、ナショナリズム。「極端な」あるいは「民族的に 基礎づけられた」ナショナリズムであり、固有の国家が他の国家より優れているという見方としてのナショナリズムである。2、権威主義。社会次元では服従の ための服従、政治次元では国家を社会の上位に位置付けることであり、「指導者」への期待がある。3、反多元主義。これは民族と国家を統一体として融合する 自然秩序とみなす「民族共同体」イデオロギーの中に位置付けられる。4、不平等のイデオロギー。これは固有の集団に属さない人間の排除と軽視に結びついて いる。人種主義、外国人敵視、強者の権利の主張などがその内容である。

また、現在の右翼過激主義の危険性を総合的に把握するためには、次の4つの次元を考慮する必要がある。1、右翼政党の政治的、組織的発 展とその政治社会へのインパクト、とくに選挙過程における右翼政党の成果。2、右翼過激主義者の非政党的な組織的ネットワーク化、とくに出版物の社会的影 響。3、青年文化やサブカルチャーなどの前政治的領域の動向、例えば「スキンヘッズ」による右翼過激主義的暴力行動。4、一般市民の間での右翼過激主義へ の支持の潜在力、である。1999年の時点で、ロシアにおける右翼過激主義勢力は選挙という政治次元では縮小傾向にあった。しかし、社会次元ではその影響 力を維持しており、一般市民の意識次元では右翼過激主義を支持する十分な潜在力が存在したのであった。

2004年7月に成立した「過激主義活動対策法」は、新生ロシアで初めて過激主義を法的に定義し、ナチズムを禁止する。国家体制変革、 人種・民族・宗教紛争を起こす団体を非合法化し、それを助長する報道も規制することになった。しかし、過激主義の原因・条件・予防についてはおざなりな規 定にとどまっている。新法は過激主義活動に対する対症療法に過ぎないといわざるをえない。2002年10月下旬、モスクワ劇場占拠事件がこの立法を嘲笑う かのように発生した。このコラムでもいずれ「第二次チェチェン戦争」に触れたいと思っている。2002年12月の調査では、モスクワに住む外国人の安全を 脅かすものは第1にスキンヘッズ、第2に警察官、第3に運転手である。2002年中にスキンヘッズの勢力は強まってきており、新法が短期的に効力を発揮し ているとは言いがたい。

さらに、この法律には、社会・宗教団体の活動が抑圧されるという批判が殺到した。2002年12月、『ガゼータ』紙は政府内部で検討さ れている宗教的過激主義に関する法案レポートを公表した。そこでは、国民の安全保障に対する5つの宗教的脅威として、第1に正教徒を改宗させようとする ローマ・カトリック教会、第2に人道的援助を装うプロテスタント組織、第3にエホバの証人・サイエントロジーといった外国擬似宗教共同体、第4にイスラム 過激主義、そして第5に「文明の衝突」およびキリスト教・イスラム教間の避けられない紛争という考えを促進する試みが列挙されている。こうした政府の動き は、新法に対する批判が的外れでないことを示している。

このようにロシア政府の対策が功を奏していないどころか事態が悪化する兆しさえ表面 化している以上、今後の取り組みとしてまず新法の改正も含めた政策の再検討が必要とされよう。とともに長期的・抜本的対策として、ロシア右翼過激主義の土 壌となっている、政治・経済・社会・文化の混乱が終息し、民主的な政治、公正な経済、開かれた社会、「平和の文化」が構築されなければならない。そして、 右翼過激主義がナショナリズム、権威主義、反多元主義、不平等のイデオロギーに立脚する以上、それらに対抗するヒューマニズム、民主主義、多元主義、平等 の理念を掲げた平和運動こそ、今のロシア社会には求められているであろう。
(拙稿「現代ロシアにおける右翼過激主義対策—『過激主義活動対策法』をめぐって—」創価大学社会学会編『ソシオロジカ』第29巻、第1・2号、2005年3月。)

南京、長沙、上海への旅立ちにあたって

中西 治

おはようございます。今日、私たちの研究所の代表団が中国に旅立ちます。今回は成田から上海に向かい、ただちに陸路で南京に入り、南京大虐殺記念館を訪ね ます。ついで長沙に行き、湖南大学の先生方と東アジアの問題について話し合います。毛沢東主席の故居を訪ねます。上海では復旦大学日本研究センターで東ア ジア情勢と日中関係についてシンポジウムを行ないます。長沙と上海で研究所の顧問で客員研究員の王邦佐先生とお会いします。31日に帰国します。この間に ニューズレター第10号と新版ブックレット第1号『東アジアはどうなるのか』をお届けします。今日も良い日を!

ニューズレター No.10 特集「グローバリゼーションと日本社会」

事務局

PDFファイル でご覧いただけます。

巻頭言
・いっそう多面的な活動を! ―設立5周年記念日をめざして― (中西 治)

特集 グローバリゼーションと日本社会
・グローバリゼーションの日本的受容について (渡辺 宏)
・グローバリゼーションと「自己責任」論 (渡辺 直毅)
・タブーと日本社会 (岩木 秀樹)
・グローバリゼーションと教育基本法 (宮川 真一)

「洋光台九条の会」発足記念講演
・憲法九条は人類の誇り その精神を地球全体に広めましょう! (中西 治)

書評
・王元編著『中国の文化と近代化』白帝社、2006.1. (木村 英亮)

講演会記録
・東アジア共同体と東北アジア共同の家 (和田 春樹)

・会員紹介 (亀山 伸正)
・理事会報告
・合同委員会報告
・地球宇宙平和研究所新版ブックレット [1] 発刊
・事務局からのお知らせ

エッセイ 35 怒りについて

木村 英亮

怒りのエネルギーは非常に大きい。改革や革命は、人びとの怒りを結集して実現される。肉親を誘拐された拉致被害者の会の人びとの怒りは、日本国民 を動かし、政府を動かしている。朝鮮の側には、長い植民地時代に積もり積もった桁違いの怒りがあるはずである。日本としては、このこともじゅうぶん頭にい れておくべきであろう。

一億中流などとみんなが満足しているときには、怒りもなく、改革も難しい。もちろん「愚者の天国」ということばもあり、本当に怒るよう な状態でないのかは疑問であるが、上下の格差が広がってもやむをえない考え方は、「下流」になった階層の不満や怒りを蓄積させるので、改革を進めていくに は都合がいいかも知れない。

社会の不平等化が極端にまで進み、ひとにぎりの人だけで政治・経済が動かされ、大部分の人びとには自分の怒りを政治に反映させる可能性がなくなると、改革の手段はテロだけとなる。

19世紀末から20世紀初めのロシアでは、皇帝の権力が絶対的で政治を変えるにはテロしかないような絶望的状況があり、暗殺が頻繁におこった。たとえば、1908年のロシアの死刑は他のヨーロッパ諸国全部を合わせたものの21倍で、絞首台は首相の名をとってストルイピンのネクタイと呼ば れた。これに対するテロルも盛んで、1907年だけで3000人が屠られた。ストルイピン自身も1911年に暗殺された。

レーニンの兄はアレクサンドル三世暗殺陰謀に加わり処刑された。これは弟のレーニンを革命家にした。かれはついにはロシア革命によって旧体制を転覆し、ソヴェト政権を誕生させる。

かれは、兄がテロリストであったとしてペテルブルク大学を受験することができず、カザン大学に入学したが、まもなく退学となった。