月別アーカイブ: 2006年2月

エッセイ 30 対米戦争勃発

木村 英亮

戦前1933年4月、ちょうど滝川事件がおきたとき共産青年同盟機関紙『赤門戦士』を引き継ぎ1935年初めに逮捕された牧瀬恒二の妻、牧瀬菊枝 は、1941年12月8日、対米英宣戦のラジオを聞いた夫の母が、大声で「まあ、あきれた、日本もずいぶん自信があるのねえ」と言い、驚いた菊枝が耳に口 を寄せて、「おかあさま、そんなこと、どなたにもおっしゃらないほうがいいですよ」と言った、と記している(『1930年代を生きる』、思想の科学社、 1983,177-178ページ)。

わたしは1942年4月、姫路市の郊外で、国民学校と改称されたばかりの小学校に入学する年齢であったが、前年暮開戦のラジオを聞いた 母が暗い顔で大変なことになったと言ったのを記憶している。入学後担任の女の先生が、アメリカは豆腐とすれば日本は針のように小さいとたとえて話したこ と、3年のとき、休んだ担任の先生のかわりに校長先生が教室に来て、イワンの馬鹿の話をしたことも覚えている。いま、戦争中日本人みなが好戦的であったよ うに言う人がいるが、決してそうではなかった。

アメリカはそのとき以来今日まで、重苦しく日本の上にのしかかっている。

アメリカは、極東軍事裁判で日本が「平和に対する罪」、「人道に対する罪」、「通常の戦争犯罪」を犯したとして裁いたが、ヴェトナム戦争 では自らがそのいずれも犯し、敗北した。日本は、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争などでアメリカを助けた。日本は先の戦争ではアメリカに対して、戦後はアメリカ とともにこれらの罪を繰り返し犯すことになったが、このことを深く考えていれば、イラク攻撃に加担することはできなかったはずである。

二酔人四方山問答(29)

岩木 秀樹

A:メディナにヒジュラしたイスラーム教徒たちは、しばらくは様々な家に居候していたが、そうもいかなくなり自らの力で衣食住や財産を確保しなければならなくなった。

B:どうやってそれらを得たの。

A:メッカの隊商を攻撃して、金品を得たんだ。

B:えっ、そんな悪いことをしたの。

A:現在の価値観では犯罪だけど、当時は違っていた。人を必要以上に殺さないとか、ある一定のルールの上で行われていた。お互いに財産の移動くらいに理解していたのかもしれない。しかもメッカの隊商を攻撃することは一石二鳥だった。

B:どういうこと。

A:一つは当然、生活の糧を確保するということ、もう一つはメッカとの対立を鮮明にするという戦略的意義もあったんだ。

B:そうか。このあたりからメッカ勢との対決姿勢をはっきりさせ始めたんだ。

A:それにこのメディナ時代にイスラームにおける様々な制度化もなされたんだ。おもしろいのはキブラの方向、つまり祈りの方向がエルサレムからメッカに変わったということだ。

B:えっ、祈りの方向は前からずっとメッカじゃなかったの。

A:それが違うんだ。ユダヤ教徒の慣習を取り入れてエルサレムに向いて祈っていた。それが西暦624年にメッカの方角に変わった。今までのエルサレムへの礼拝がユダヤ教徒との融和策としても機能していたとすれば、この時点でその役割が終わったということだろう。

B:ムハンマドを預言者とは認めないユダヤ教徒に見切りをつけたのかもしれないね。

A:そういう側面もある。それ以前は、ムハンマドは自分の説いている宗教がユダヤ教やキリスト教と同一のものと考えていたらしい。しかしここへきて、これらの宗教とは違う純粋な第三の一神教としてのイスラームを強調し始めることとなった。

B:新たな宗教の誕生だね。

A:さらに、この聖地変更によりイスラームはアラブの民族的伝統の上に基礎づけられることにもなった。

B:どういうこと。

A:イスラームは、モーゼのユダヤ教よりもイエスのキリスト教よりも遙かに古いアブラハムの純正な一神教の復活であり、一神教イスラームとアラブの民族的伝統としてのメッカの聖地性が見事に結びつくことになった。

B:なるほどね。

A:メッカをアラー信仰の中心地にし、メディナをイスラーム共同体の政治の中心にしたんだ。これからメディナにおいてイスラーム共同体建設のための様々な制度化が始まっていくことになる。

(つづく)

エッセイ 29 ゲマインシャフトとゲゼルシャフト

木村 英亮

ライブドア問題をとりあげたテレビ番組で、いまの日本政治ややくざ社会とのむすびつきが話題となっていた。また、若者がやくざ社会にはいっていくのは、家庭の崩壊のなかで、密接な人間関係を求めているからであるという発言がなされていた。すなわちライブドアは、一見、現代社会のなかの封建的な構造 を破壊する新しい明朗な企業であるような印象を与えたが、若者をひきつける古い共同体的な関係と資本主義という利益社会両方の闇の部分にしっかりと基礎を置いているというのである。

大学はもともと学生の共同体として始まったのであり、いまの日本の学生もゲマインシャフト的なものを求めて入学するのであろうが、実態は利益追求の企業であり、また社会の中の役割も、すぐに役に立つ研究と、会社員・労働者の養成が期待されている。しかし、ここには、研究、教育の本質的部分との矛盾がある。

大学教員、学生とも、欲得を離れて真理をまなび追究したいという欲求をもっているのであるが、具体的な問題では、経営体としての大学の要求と矛盾することがしばしば起こる。大学院などではゲマインシャフト的なところがわずらわしく思われ、1960年代後半の大学紛争は、一面ではゲゼル シャフトとして貫徹せよという要求でもあった。しかし、ゲゼルシャフトとして貫徹できないところがある。

社会主義は、平等な人びとの共同体、ゲマインシャフトを理想として掲げたはずであるが、現実のソ連では、当面社会主義すなわち「労働に応じた分配」のゲゼルシャフト形成をめざした。その崩壊は、ゲゼルシャフトとしての完成に失敗したものと考えられる。

二酔人四方山問答(28)

岩木 秀樹

B:この夜の旅と昇天の旅の後、いよいよヒジュラ(聖遷)を迎えるんだよね。

A:西暦622年にムハンマドらはメッカからヤスリブの町に移住した。

B:えっ、ヤスリブって何。メッカからメディナに移ったんじゃないの。

A:当時はまだヤスリブという名前だったんだ。ムハンマドらがそこにイスラーム共同体を作った後で、メディナという名前になった。

B:メディナってどんな意味なの。

A:町という意味だ。この町の名前は正確には「メディナ・アンナビー」つまり「預言者の町」というものだが、省略されて「メディナ(町)」 となったんだ。町という名の町、町と言えば預言者のいる所なんだ。こういうのはアラビア語に他にもある。サハラとは砂漠という意味なんだ。だからサハラ砂 漠とは「砂漠砂漠」ということになるんだけれど、あの地では砂漠と言えば、やはりサハラなんだろう。

B:でもそもそも何でメディナに移住しなければならなかったの。

A:メッカからのプッシュ要因と、メディナへのプル要因がある。プッシュ要因としては、やはり妻や伯父を失い後ろ盾を無くしたムハンマドが迫害から逃れるためであり、メッカの人々から見れば厄介者を追放することが出来たということだ。

B:でも単に逃げたということではないんでしょ。

A:そう。プル要因もかなり大きかった。当時のメディナは抗争が絶えなく、調停をする者、和平と統一をもたらす指導者が必要であった。そこでムハンマドを調停者、指導者として迎えたんだ。

B:なるほどそういう背景があったのか。

A:他の要因をさらに言えば、メディナには当時ユダヤ教徒がかなりいて、一神教的な考え方には慣れていたのでイスラームを受け入れやすかっ た。またメッカではムハンマドの権威を受け入れることは彼の属するハーシム家の覇権を認めることになりそれへの抵抗はあったが、メディナはよその土地でも あり、家の権威は関係なく、ムハンマド個人の資質や教えに純粋に共感した人々が自然に彼に従っていけた。

B:このヒジュラはイスラームにとって重要なんでしょ。

A:そうだ。最も重要と言っても過言でないだろう。メッカにおける不安定で他律的なムスリム集団がイスラームの理想に従う自立的なイスラーム共同体であるウンマを創る契機となった。

B:この西暦622年がイスラーム暦の元年だよね。

A:ムハンマドの生誕の年でもなく、最初に啓示がくだされた年でもなく、このヒジュラがイスラーム暦の起点とされたことはそれがどれほど重要であったかが解る。ユダヤ教における出エジプトやキリスト教におけるイエスの誕生にも比すべき人類史的意味を持つものなんだ。

(つづく)

in the final stage of your life (3) 〜People live longer sufficiently〜

野津 志乃

Here again, I would like to mention my experience.

When I went to a nursing home for my outdoor activity, I got along with some elderly women. One of them said that she was really lonely because she was alone at home. I couldn’t say anything. All I could do was be with her for a few hours. I did massage her shoulders and kept holding her hands for a long time while wishing her happiness.

Another grandmother said, “I don want to live any longer. If I live longer I may become senile and cause my family to take care of me. I wish I would die soon so I would not bother my family.”

Almost everyone I met in the center was born and brought up in Fukushima. They have worked hard as farmers every day with no holidays or retirement. The other elderly person sadly said, “My hands are brown and crumpled.”

But I think that such people and such hands have made this country. Those hands are the very hands which should be respected!

Let’s think about other aspect of elderly. On the islands of Okinawa, there are many people who live long and they reach age 100 at an amazing rate*. In recent years researchers have found out across the globe to find the secret to long life. Then Okinawa was selected a group that is among the longest lived on earth. There are some key habits to live longer happily.

  • Be active everyday!
  • Find purpose!
  • Keep socially engaged!
  • Keep life long friends!

In addition, Okinawa people respect elderly. Those keys let them live longer happily. We can see social relationships are important for elderly too. We can learn ‘the best practice’ from them. The rest is up to us.

In conclusion, I would like to ask you a question again. In facing your own old age, how would you like to live? When my parents get old, when I get old, we all need someone’s help. We cannot live alone. I would not like to let my parents feel lonely. I would not like to bother my children but don’t want to live and die alone. I will not stand to be alone in the final stage of my life.

Can we live happily even though we get old?

I think we can.

We may need help but it is life. As Okinawa people, enjoy aging and respect elderly!

You can see below about secrets of Okinawa.

二酔人四方山問答(27)

岩木 秀樹

B:ところでその昇天の旅とはどんなものだったの。色々な預言者に会ったんでしょ。

A:それも歴史的事実かどうかはさておき、この昇天の旅が象徴しているのは、様々な預言者の系譜をたどっているということだ。

B:え、どういうこと。

A:歴代の預言者がアラーから命じられたのと同じ使命をムハンマドが担っていることを確認し、イスラームは怪しい新奇な教えではなく、アダム・ノア・アブラハム・モーセ・イエスなどから連綿と続く一神教の系譜に位置するということを主張するものなんだ。

B:そうか。イスラームは一神教の系譜の最後に登場した、最も純粋な一神教とされるんだよね。

A:だからイスラームは決して、ユダヤ教やキリスト教と全く異なった宗教ではないんだ。

B:でも今は「文明の衝突」とか言われて、ユダヤ教・キリスト教とイスラームが対立し、相容れないもののように報道されているね。

A:これらの宗教はセム的一神教と呼ばれ、祈っている対象である全知全能で世界を作った神は皆同じだ。おもしろいのはアラビア語をしゃべるキリスト教徒は自分たちの神のことをアラーと言っている。

B:へー、キリスト教徒が自分たちの神のことをアラーとね。

A:当然といえば当然だ。アラビア語で神のことをアラーと言うんだから。

B:まあ、言われてみればそうか。ところで預言者って予言者とは違うんだよね。

A:未来のことを予言する予言者とは異なり、神の言葉を預かる人ということで預言者と呼ばれている。その預言者の中でもムハンマドは預言者の封印、最大にして最後の預言者とされている。

B:あ、そうそう。最近そのムハンマドを風刺した漫画が問題になっているよね。

A:2005年9月にデンマークの新聞が、ムハンマドが爆弾の形をしたターバンを巻くなどした風刺漫画を掲載したことが発端だ。その後欧州各国の新聞などが「表現の自由」を掲げて、転載したことにイスラーム教徒は反発を強めている。

B:なぜそれほど反発するんだろう。欧州では英国王室やバチカンなども風刺漫画のターゲットになり、あまりタブーはないようだ。

A:色々要因はあるだろう。イスラームでは偶像崇拝が徹底的に禁止されており、アラーはおろか、預言者のムハンマドでさえ、何らかの形で物 象化することは禁じられている。また爆弾の形をしたターバンという表現は、現在蔓延しているイスラーム=テロとの印象を助長しかねない。そのオリエンタリ ズム的偏見にも怒ったのだろう。

B:そうか、様々な原因はあるんだ。

A:さらにさかのぼれば、近代西洋がイスラームに対して採ってきた政策により、イスラーム世界はずたずたになった。特に冷戦崩壊以後、イスラーム教徒は各国で虐殺され続けているとの思いがあるのも事実だ。

B:そのような背景があるから、一部に過剰なまでの暴力行為に走る人もいるんだ。イランではホロコーストを風刺する漫画を募集し始めたそうだね。

A:そうだ。2月7日の「ハムシャフリ」には、「言論の自由をたてにイスラーム教徒を侮辱した欧州が、ホロコースト問題で同様の自由を認め合うのかを問う」としている。

B:なんか嫌な雰囲気だね。文明の亀裂が深まりそうだ。言論の自由とは何か、もう一度考えなくてはならない。

A:僕は基本的に言論の自由は大事だと思う。タブー無く論議する必要がある。議論には暴力でなく議論で応酬する必要があると思う。

B:僕もそうあって欲しいと思うよ。

A:ただし議論にもルールがある。根拠がきちんと示せるか、偏見やステレオタイプはないか、相手の主義や信条にも一定の理解があるか、どのような歴史を有するものがどのような立場でその言説を述べているのか。

B:それになぜあれほどまでの反発があるのかも考えないといけないと思うよ。

A:欧米とイスラームは、近代の歴史の上でも、最近の経済力や軍事力でも等価なものではない。少なくとも多くのイスラーム教徒は自分たちは被害者でやられる側だとの認識がある。

B:なるほどね。ところで日本でもタブー無く議論ができるだろうか。

A:例えば、「東宮対秋篠宮 世継ぎをめぐる争い」の風刺画を新聞に出したらどうなるか。

B:んー、大きな問題になり、暴力沙汰になりかねないかも。あまり人のことばかり言ってられないね。

(つづく)

in the final stage of your life (2) 〜Conditions for elderly〜

野津 志乃

People are living longer in Japan. There are now more than 10 million Japanese aged sixty-five and older. Recently, the number of such elderly people who live alone is sharply increasing. According to Basic Research on National Life in Japan 2005 which was done by the ministry of health, labour and welfare, we can see how it is increasing.Looking at 2003, the number of families which have an elderly person who is more than 65 years old and the number of families which are composed of people over 65 doubled over 10 years.

Year The number of families which have a elderly parson who is more than 65 years old % of such families among gross families The number of families which are composed of people over 65
1986 9,760,000 26.0% 9,760,000
1992 11,880,000 28.8% 3,660,000
2003 17,270,000 37.7% 7,230,000

Basic Research on National Life in Japan 2005

The average life expectancy is getting higher. According to a 1998 survey by the Ministry of Health and Welfare, the average life span of the Japanese is 77.19 years old for males and 83.82 for females. These latest figures represent the longest life expectancy in the world.

According to estimate by the national Institute of Population at the Ministry of health and Welfare, Japan’s population will peak in2007 at 127.78 million before starting to decline. By 2025, the population will drop to 120 million by 2050, and 67.4 million. The emergence of a lower birth rate and the oldest population will have an enormous effect in the 21st century.

With the oldest population in the world, Japan must decide how to care for elderly which is one of the biggest challenges of the 21st century. It is nearly impossible for each individual family to take care of their elderly by themselves. The number of nursing homes is also increasing.

We all have to support elderly people and have to be ready to face this issue. Society itself needs to change.

* You can see that information bellow

エッセイ 28 北条一門とスターリン

木村 英亮

源頼朝の死後、鎌倉幕府の執権として政治をおこなった北条家の特色について、杉本苑子は次のように記している。

「彼らのほとんどが一門の、とくに得宗とよばれている宗家嫡流の権力保持には、どすぐろい術策のかぎりをつくし、後世のひとびとに陰険な氏族としてけぎらいされているにもかかわらず、ひとりひとりの生き方は、権位にありながらめずらしいほど清潔だったという点である」(『決断のとき』、文春文庫、165ページ)。

この文章を読んだ時、ほぼ30年の間ソ連を支配し、激しく批判されたスターリンには、北条一門と共通性があると思った。

独ソ戦期、スターリンは、雑誌から切り取った複製画で別荘を飾っていたが、ソヴェト軍の将軍達は、戦利品の巨匠の絵画などを着服していた。ロシアの歴史家ロイ・メドヴェージェフは、これをスターリンと将軍たちの対立の原因としている。たとえばノモンハン事件で日本軍を敗北させ、独ソ戦においてソヴェト軍を勝利に導いたジューコフ元帥は、絨毯、毛皮、金時計などの他55点におよぶ「ポツダムその他の宮殿とドイツの屋敷から運び出された」貴重な絵画を自分の別荘においており、そのことは国家保安省によってスターリンに報告されていた(『知られざるスターリン』、現代思潮新社、03、103ページ.)。

アメリカに亡命して回想録を書いたスターリンの娘スヴェトラーナは、「わが家(スターリン家)は悲しげで、人気がなく、ひっそりして、居心地もよくなかったが、それでもわが家にはプチブル根性だけは欠けていた。ところが、わたしが新たに移り住んだ家(ジダーノフ家)では、見せかけの、形だけの、偽善的な『党精神』と、それこそ手のつけようもない『女房的』なプチブル根性とが同居していた。『お宝』のいっぱいにつまった木櫃・・・花瓶や、ナプキンや、壁にかけられた安物の静物画にいたるまで、万事に歴然と現れている趣味の悪さ。ジダーノフ未亡人のジナイーダ・アレクサンドロヴナが家内に君臨していたが、彼女は、党人的な偽善者ぶりと、俗物的な無教養との、まさしく化身のような存在であった」(『スベトラーナ回想録』、新潮社、273ページ.)。