月別アーカイブ: 2006年1月

in the final stage of your life (1) 〜 a elderly lady who I met in hospital〜

野津 志乃

  • How would you like to live when you get old?
  • Would you like to live alone or with your family in the final stage of your life?

First of all, I would like to talk about a woman I met before. She was 76 years old and in a hospital. She has lived alone since she lost her husband when she was still young. I gave her a carnation on Mother’s Day. She was really glad to get it because it was the first time she was given a carnation. She started crying and kept on looking at it for a long time while sitting on her bed. Then when she left the hospital she brought the carnation to her home even though it had already turned brown.

She had two operations because of cancer but she still had a stomach cancer. She doesn’t have any children and any relatives around her so she lives alone. She was told that she had a terminal cancer. No body takes care of her

This experience made me think about life. It must be really hard to live alone. After this experience, I went to see her several times. I have thought what I can do since then.

エッセイ 27 老兵は去るのみ

木村 英亮

老人になると口うるさくなるばかりでなく、他人の意見に注意を払わなくなりがちである。理想的な老人とは、いかなるものであろうか。

筒井康隆は、「老人は原則的にも理想的にも孤高の存在であるべきなんです。仕事仲間の若い連中だって、口うるさい老人よりは黙っている老人の方がなんとなく信用できるから、わからないことがあればあっちから訊いてきますよ」(『朝日』2000.9.18)と書いている。

老人と若者との関係は、世界政治における欧米とアジアというように置き換えてみても面白い。すなわち、欧米は、若いアジアに介入すべきではない。

アメリカは、人口では世界の5%を占めるに過ぎないが、地球上の二酸化炭素の4分の1を排出している。それにも拘らず温暖化防止のための二酸化炭素排出を規制する京都議定書を批准せず、「9.11」対策に眼を奪われ、わからずやの老人のような態度をとった。その結果、ハリケーン・カトリーナに復讐され、48万人が住み、その67%が黒人であるニューオーリーンズ市街の8割を水没させてしまった(瀬戸岡紘『アメリカ 理想と現実』、時潮社、2005、260ページ.)。アメリカの老化は、着実に進行し、傍らのラテンアメリカにおける影響力を失ない、世界でも孤立しつつある。イギリスのブレアの言動も驚くばかりであり、フランスも内部から崩れ始めている。これに対して、AALAの政治家の言動の水準には、欧米「先進国」の政治家よりはるかに高いものがある。

新しい力は着実に発展し広がり、いつの間にか古い力をしのぐ。徒然草は、それをうまく表現している。

「死は前よりしもきたらず、かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、まつこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し」(155段)。

スキンヘッズにご注意を

宮川 真一

ヨーロッパでは1980年代半ば以降、ロシアでは1990年代に入ってから右翼の台頭が社会を騒然とさせている。「9・11」米国同時多発テロ事 件の衝撃を受けたロシアでは、2002年にも右翼の伸張が顕著であった。2003年6月に沖縄大学で開催された日本平和学会春季研究大会で、私はこの問題 について研究報告をさせていただいた。今にして思えば、亜熱帯の沖縄で極寒のロシアを語らなくても良かったかもしれない。

2002年4月4日、モスクワの在留邦人に日本大使館から「ヒトラーの誕生日が近づいています。スキンヘッズにご注意を」とのチラシが 配布された。2002年に入り、「ロシア・ネオナチ」を自称する10代の青年が外国人を襲撃する事件が頻発している。4月20日のヒトラー生誕の日を前 に、「ネオナチ」の活動は過激化した。モスクワではアフガニスタン人が殺害され、外国人が経営する商店が略奪された。モスクワ中心街の地下鉄で、内務省通 訳官のアフガン人がスキンヘッドに襲撃・殺害される事件が発生した。在ロシア・アフガン大使館はロシア政府に抗議している。ウクライナのキエフでは、スキ ンヘッドの50人がユダヤ教のシナゴーグを襲撃したことが明らかになった。CIS諸国の在ロシア外交当局は、「ネオナチがCIS国民を脅かしている」と外 務省に申し入れている。米国やアフリカ諸国からも自国民保護の要請が相次ぎ、ロシア政府も事態を放置できない状況に追い込まれた。グリズロフ内相は、治安 警察による取締りの強化を発表。プーチン大統領は年次教書演説で、「過激主義の台頭はロシア社会にとって深刻な脅威だ」と警鐘を鳴らしている。

社会学の概念では、「急進主義」は規範もしくは手段次元の表出として把握され、「過激主義」は価値もしくは目的次元の表出として把握さ れる。具体的には、「急進主義」は憲法の認める政治紛争の社会的な手段を拒否し、とくに暴力との親近性を展開させている。これに対し、「過激主義」は民主 主義的諸価値を肯定する程度に関わるものである。こうした過激主義の運動を発生させる社会構造的特質は、次のようなものである。

  1. 前近代的集団が政治単位になっているなど社会の構造が未分化な場合、あるいは宗教、人種、民族といった社会的断絶が集団間の差別を補強している場合。
  2. 支配構造が硬直したり機能不全に陥る場合。ツァーリズムなどのような支配の一元化、未熟な革命レジームの試行錯誤、または国家と個人を媒介する中間集団が有効に機能しない大衆社会状況など。
  3. 多様な社会的断絶が集中し重なって固い障壁を創出し、社会的移動が抑制されている場合。都市貧困層、下層移民、植民地被支配者、少数民族などは過激主義の母体となる。
  4. 要求および抗議を有効に表出する制度上のルートがなかったり、あっても閉塞している場合。

ソ連邦の消滅という劇的な政治・社会変動を経験したロシアでは、急激な市場経済への移行、競争社会への突入は、高まる失業率、社会保障の 打ち切り、経済格差の拡大、生活水準の低下となって庶民の生活を直撃した。政治システムが弱体化し、社会的弱者や一般民衆の間に社会的没落と被排除の意識 が強まった。経済の自由化は国際経済システムへの参入を意味するため国民の運命が外国の手に委ねられる結果となり、無力感を生んだ。ロシア社会では「個人 化」状況、アノミー状態が西欧諸国よりも直接的な形で現れている。また、ソ連解体の結果としてイデオロギー上の目標を喪失したことから精神的に動揺してお り、国家イデオロギーを新たに定義する必要に迫られてもいる。ロシアを混乱の極みに陥れた近代化それ自体に対する反発が高まるとともに、無秩序な政治・経 済・社会・文化の中で「自分は何者なのか」を規定するアイデンティティの模索が始まった。その中で、誰からも奪い取られず、自らも脱ぎ捨てることができな い「自然」の集団カテゴリーが重要視されてくる。宗教が目覚しく復興し、ナショナリズム、人種主義が高揚するとともに「外国人嫌い」の風潮が蔓延するので ある。

こうした事態にロシア政府がいかに対処しているか、次の機会に取り上げたいと思う。
(拙稿「現代ロシアにおける右翼過激主義対策—「過激主義活動対策法」をめぐって—」創価大学社会学会編『ソシオロジカ』第29巻、第1・2号、2005年3月。)

エッセイ 26 人材について

木村 英亮

人はそれぞれ得意なところ、才能をもっている。各人が才能をもっとも発揮できるような 社会では、人々は幸せであるし、また社会全体としても平和に発展するはずである。

奴隷制や封建制の下では、生れながらの身分、仕事が決まっていて、やりたいこと 得意なことを選べない。そこでは多くの才能が生かされることなく埋もれたままとなる。 それに対し、資本主義の下では、生まれに関係なく、自由に職業を選べる。これは、 資本主義社会が発展した原因のひとつであった。いま、資本主義の下でも社会が階層化し 固定化しつつある。また、教育の役割が大きくなり、よい教育を受けられる子どもは有利な 立場におかれる。

社会主義は、階級、階層をなくし、教育費を親でなく社会が負担することによって、 才能を有効に利用しうるはずであった。ソ連では、要員(カードル)がすべてを決する、と 言われた。しかし、党員が特権を持ち、それを子どもに引き継ごうとする傾向が生まれ、 社会主義の理念とギャップが大きくなる。

つまり、組織が発展するための人事の重要性が認識されており、採用ばかりでなく 配置、または昇任、昇級のシステム、任期などの規定の整備もおこなわれていたが、これらを 具体化するところに欠陥があった。それはきわめて困難な課題である。

大学でも、受験生を集めること以上に、優れた教員を集めることが重要である。 教員とともに図書館司書や事務職員も大切である。教育人事は公募がかなり広まっているが、 事務職員の人事についても、検討の要があろう。

「ネジレは正さなければならない」という意識

わたなべ ひろし

2006年に年があらたまっても、僕は昨夏の衆院解散総選挙のことをずっと考えている。

しかしそれは、小泉自民党が圧勝した理由とかそういうことではない。

そういったことではなくて、僕がずっと考えているのは、あの選挙が持つ社会意識的な意味とでもいったものである。郵政民営化法案が参議院で否決され、小 泉首相がすかさず「民意を問う」として解散総選挙に打って出(あのときの記者会見は「圧巻」だった)、「小泉劇場」といわれるような選挙戦の結果、小泉自 民党が圧勝した、あの一連の出来事が、日本国民の意識に何をうえつけたかといった、そういうようなことである。

このような観点からあの選挙を振り返ってみるとき、最も印象に残っているのは「ネジレ」という言葉と、その使われ方である。

この「ネジレ」という言葉は、主に選挙戦前半、頻繁にテレビや新聞の報道で使われていた。例えばいくつか例を上げてみる。(なお記事の文章は要約)

衆院解散の原因を作った参院自民党の「造反組」を賛成派に変えなければ、再び郵政法案をめぐって同じ混乱が繰り返される恐れがあり、衆参の「ねじれ解消策」が衆院選の大きな論点になりそうだ。(毎日新聞 2005年8月25日)

自民党秋田県連は、「造反議員」野呂田氏推薦する方針を確認した。自民党本部が公認候補を「刺客」として決定した場合、県連と党本部がねじれの関係になるのは不可避だ。(毎日新聞 2005年8月17日)

解散・総選挙 政治のねじれ、解消の好機だ
岡田克也民主党代表が政府案の批判だけに終始したのは、党内に労組系議員など民営化反対派を抱えるためだ。民主党もそんな党内のねじれを解消して初めて、政策を通じて有権者が選ぶ政権選択選挙の土俵が整う。(毎日新聞 2005年8月9日「社説」)

参院否決の法案を衆院解散によって民意を問うのも「ネジレ」なら、自民党内の郵政関連法案反対議員を支援する県連と党本部の関係も「ネジレ」だし、野党第1党の民主党の中も民営化の可否をめぐって「ネジレ」ているという。

これらの記事に共通しているのは、「ネジレは正常な状態ではないので、正されなければならない」というトーンである。

そして有権者は、選挙を通して「ネジレ」たものがスッキリと見通しのよいものに正されていく様子をその目で見ることになった。つまり、小泉自民党の圧勝と いう選挙結果により、自民党内の「抵抗勢力」は追い出され、民主党の党首も「小泉チュルドレン」である前原誠司氏にかわり、郵政関連法案も衆参共に多数で 可決されるという具合にである。

以上のような、解散・総選挙に伴う一連のプロセスから、僕たち日本国民に醸成された「意識」とは、以下のようなものであったのではないだろうか。

「ネジレた状態はよくないので正すべきである。→○○と△△はねじれた関係にある。→それ故、○○と△△のねじれた関係は正されなければならない。→自分たちの投票行動の結果、このネジレは見通しのスッキリしたものとして改善された」

この○○と△△のところには何でも入るところがミソである。

そして小泉自民党が次にターゲットとする「ネジレ」とは、もちろん「憲法と安保・自衛隊」ということになろう。

僕の記憶では、この「ネジレ」という言葉に特別な思想的意味あいを付与したのは、加藤典洋『敗戦後論』(1997年)である。

この本のメインテーマは、日本の「戦後」にある「ねじれ」を明らかにすることである。そして筆者が「戦後」にある「ねじれ」の最たるものとして指摘してい るのは、「戦後憲法の手にされ方と、その内容の矛盾」ということ。つまりいかなる「武力による威嚇又は武力の行使」を認めないとうたっている「平和憲法」 そのものが、「原子爆弾という当時最大の『武力による威嚇』の下」、連合軍総司令部により「押しつけられた」という「矛盾、自家撞着」である。

僕は今まで、「だから我々日本国民は、戦後憲法の抱えているねじれを国民投票なり、改憲なりすることでスッキリ正し、けじめをつけなければならない」と いうのが、加藤さんがこの本で主張していることだと思い込んでいた。しかし今回読み返してみて、彼が言っているのはそういうことではないと考えるように なった。

加藤さんは、「戦後というものを考える上で、その原点にあるねじれをもっと自覚し、私たちひとりひとりが、そのことを直視し受け止めなければいけない」 ということを言っているのである。それが出来て初めて、僕たちは主体的に「戦後」と向きあうことができるようになると言うのだ。

加藤さんは次のように書いている。

「きっと、『ねじれ』からの回復とは、『ねじれ』を最後までもちこたえる、ということである。そのことのほうが、回復それ自体より、経験としては大きい」

安直な対応で、「ネジレ」にスッキリ見通しをつけることが、「戦後」の解決なのではないし、終りなのではない。

「ネジレ」ているように見えるのは、それだけの理由があることなのである。

拡大合同委員会、新春講演会、新年宴会のご報告

事務局

合同委員会拡大会議

昨日2006年1月21日(土)に、かながわ県民センターで、学術研究委員会と企画広報委員会の合同委員会拡大会議、新春講演会、新年宴会が開催されました。いずれも盛会で、雪の中お越しいただいた方には感謝申し上げます。以下簡単に報告いたします。

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再論:東アジア共同体の形成に向けて

ねこくま

アメリカ政府は東アジア共同体形成を自国の繁栄への脅威と見なしているようだ。分割して統治せよ。しかしその施策は金のタナゴを産む鶏を自ら絞め殺す愚行でしかないのかもしれない。

アメリカの意志を受けて中国台頭を阻止しようとする日本の小泉政権は靖国参拝を強行することで、東アジア各国が協調しつつ発展する道を閉ざし続けている。同地域の経済一体化はすでに後戻り出来ない水準に近づき、人々に大きな生活の変化を強いている。日本でも中国でも、おそらく東南アジア各国に拡がる格差が生み出す社会的緊張もその一つに過ぎない。

経済は一体化しても政治的には不一致である状況がまともであるはずはない。各国の政治的協力によって得られるべき利益が何ら得られることなく、痛みばかりが各国の社会を襲う。例えば同地域の政治的協調関係が順調に形成されていれば、軍事費の大幅な削減と、ういた予算を統合によって苦しむ市民の社会保障にも産業構造の転換にも転用可能なのである。

約束された利益は何ら与えられず、変化に伴う痛みだけが押しつけられる。その社会的不満の解消に扇情的なナショナリズムがあおり立てられる。これが現在の東アジア地域における最大の不安定材料である。

アメリカは自国の経済的繁栄の基礎がアジアの生産力とその勤勉な労働力によっていることを自覚すべきである。彼らがアジアの状況をさらに煽り立て放置するなら、アジアの生産力が破壊される可能性さえ予想される。

日本と同盟したアメリカによる侵略の可能性は、植民地のくびきから逃れて半世紀も経たないアジア各国にとって現実の悪夢であることをアメリカはきちんと認識するべきである。

東アジア共同体と言ってもグローバル経済の一部である。アメリカが支配するグローバルな安全保障秩序のインフラの上に成り立つ極めて複雑な経済の複合体なのだ。おそらく現在のアメリカのグローバルな安全保障秩序を全面的に拒絶する国は存在しないだろう。少しばかりの不満、異論をアメリカが中心となって利害調整するシステムを再構築しさえすればよいのだ。

東アジア共同体は地域経済政治中心の存在として、アメリカが支配するグローバルな安全保障枠組みの議論とは分離して勧めるべきだ。この場合6者協議は重要な秩序形成の枠組みとなる。

自国の経済的繁栄を支える東アジア地域の安定と発展の維持のために、アメリカは東アジア共同体に関する対外戦略を真剣に考え直すべきだ。

エッセイ 25 愛情における勇気

木村 英亮

子に対する親の愛情はとても強い。

アメリカの作家ソーントン・ワイルダーは、親子、兄弟、友人間の愛、恋愛以外の愛をテーマとした『運命の橋』(『サン・ルイス・レイの橋』)で、それを次のように描写した。

「娘に対する愛情は、あらゆる愛の調子を包括する大きなものであったけれども、それにも拘わらず、暴君のような気持ちもそこに混っていた のである。彼女は娘のために娘を愛していたのではなく、自分自身のために愛していたのだった。この恥ずかしい絆から自由になりたいと思った。しかし激情は 争うすべもなく彼女にとりついているのであった」(伊藤整訳、新潮文庫、20ページ)。彼女は、娘に手紙で自分をどのくらい愛しているかをおずおずたしか めようとしたこともあった。しかし、ある出来事がきっかけとなって、愛においても勇気が必要であることに気づき、娘に乞食のように愛情を求めることをや め、自由で毅然とした愛情をもって生きようと決意する。

ソヴェトの教育者マカレンコは、教師の生徒への愛について、似たようなことを言っている。

「教育者の自己まんぞくのための愛情は、むしろ犯罪であると思っていました。・・・愛情は、みなさんの努力とは別に、それとなくおとずれ るのがほんとです。もしだれかが、その愛情を目的としていれば、これは有害です。もし彼が被教育者の愛情を受け入れようとしないなら、彼は子どもに自分に も、非常に多くの要求ができる正義の人になれます」(マカレンコ『著作集6』、三一書房、1954、117ページ)。かれは、生徒の人気取り競争をするよ うな教師集団は、最悪であると書いている。

二酔人四方山問答(26)

岩木 秀樹

A:このように既存の社会との思想的・社会的対立が深刻になった頃、ムハンマドにとって大きな危機の時代を迎えたんだ。

B:どんなことが起こったの。

A:619年には妻ハディージャ、その後間もなく伯父アブー・ターリブが亡くなったんだ。

B:そりゃ大変だろうな。身近な人の死に直面したんだ。

A:最初のイスラーム教徒であり夫の良き理解者で励まし役でもあったハディージャの死は、ムハンマドの宗教者としての生活に精神的打撃を与えた。ハーシム家の家長でもあり、ムハンマドを庇護してきたアブー・ターリブの死は、政治的打撃だった。

B:精神的打撃と政治的打撃か。この後、反ムハンマド、反イスラーム勢力から色々な攻撃が加えられたんだろうな。

A:そうなんだ。ただこのような危機の時期にある宗教的体験をするんだ。

B:へー、おもしろいね。危機や迫害の時期が転機になったり、重要な宗教的意味合いを持つということは他の宗教にも見られるよね。どういう体験をしたの。

A:このような困難な時期にムハンマドは夜の旅と昇天の旅を経験したんだ。それはムハンマドとイスラームにとって大きな転機を迎える622年のヒジュラ(聖遷)のおよそ1年前であったとされている。

B:夜の旅と昇天の旅ってどんなことなの。

A:夜の旅とは、一夜のうちにムハンマドがメッカからエルサレムへ往復したことであり、昇天の旅とは、その時エルサレムにおいて、かつてのソロモンの神殿から七層の天に昇り、諸預言者たちに出会い、ついにはアッラーの御許に達するというものだ。

B:えー、でも当時は飛行機も無かったのに、有り得ないよ。

A:確かにそうなんだけれど、夜の旅が歴史的事実で肉体を伴う現実的な体験であったのか、または宗教的体験もしくは脳内現象で魂の飛翔による旅であったのかは、それほど問題ではないのかもしれない。

B:まあ、現代の科学で全ての社会現象が把握できるとは考えないけれど、やはり人知の及ばない神秘的な感じがするな。

A:イスラームは秘蹟やミラクルの少ない比較的合理的な宗教だと言われているが、この夜の旅と昇天の旅は、やはり神秘的なものだろう。

B:そういえば、キリスト教では秘蹟などをよく聞くけれど、イスラームではあまり聞かないね。

A:ただイエスは医学の知識がある程度あったということを聞いたことがある。医学の知識があれば、例えばこのつぼを押せば病気が治るとか、止血点を押さえれば血が止まるということがある。医学の知識がない人から見れば、それはミラクル、マジカルに見えるだろう。

B:なるほど。逆に怪しいとされている風習や宗教的儀式が人間によい効果をもたらすということが科学的に証明できるかもね。

A:それはある。香をたくことは、害虫よけやアロマテラピー効果がある。風水などで、台所は東向きがよいなどと言われるのは、昔は電気が無く、朝早くから炊事をするためには日光が差し込まなくてはならなかったからだ。

B:なるほどね。案外、科学的根拠があるものがあるんだ。

A:だから一概に宗教的体験が怪しいとしてはいけないんだ。そもそも宗教実践者は怪しいなどとは思っていない。

B:ただその態度もどうかと思うな。利用されたり騙される危険性があるんじゃないかな。

A:その通り。だから宗教実践者も自宗教を客観的に見つめ直すということも重要だ。宗教と科学、実践と客観の往復作業が大切だと思う。

(つづく)