月別アーカイブ: 2005年8月

「憲法改正問題」について(2)

今井 康英

戦後60年の8月30日、第44回総選挙が公示されたので、今回は選挙について私見を述べておきたいと思います。 私のブログでは、主に「憲法改正問題」として扱っています。

小泉首相は今回の選挙を「郵政選挙」にしたいようだが、元衆議院議長(国民新党・綿貫民輔代表)が言うように 「郵政民営化法案に反対か、賛成か。こんな選挙はない。郵政だけが、国のすべてではない」と私も思う。 (もっとも、小泉首相も公示日の遊説第一声の最後のほうで、「もちろん郵政民営化だけが争点ではありません。 首相としての実績を皆さんに判断していただくのは当然です」と述べたようだ。) 総選挙なのだから、過去4年間の小泉内閣の内政外交の全般を評価し、少なくとも衆議院議員の任期に相当する今後4年間を任せうる次期政権の選択が問われなくてはならない。

本来、国民に郵政民営化法案の是非を問うだけなら、「国民投票」をやるべきだ。 IT時代なのだから、技術的には、何事でも簡単に国民投票で是非を決することも 出来るようになっているので、これからは益々そうすべきなのかもしれない。 今や携帯電話やパソコンでネット投票できる時代なのだから、 選挙や国民投票も、やろうと思えば随分簡単に出来るはずである。 これなら、わざわざ投票所に行く必要もないので、若者の投票も期待できる。 むしろ若い世代の方が、ダントツに投票率が高くなってしまうかもしれない。 また、海外旅行中でも投票出来るようにもなる。是非、実現してほしいものだ。

さて、 憲法改正問題については、自民党は「自主憲法」制定論、 公明党は「加憲」論、民主党は「創憲」論であるが、 いずれも第9条に関しては「改悪」論である。 (なお自民党を離党した国会議員などが急遽立ち上げた国民新党、新党日本は、 もともと自民党内の反小泉派であり、「改悪」論に組する立場に立つと思われる。) 一方、社民党、共産党は「護憲」論であり、第9条を守る立場に立っている。 私としては、第9条を守る側の社民党や共産党を応援したいところである。

ところで、マスコミなどでは、自民党と民主党の2大政党による「政権選択」が 最大の争点として喧伝されているが、これは正確ではない。 確かに、解散前の国会議員勢力からすれば、自前の政権として国民に 選択肢を提供しているのは両党であるかもしれないが、今回の選挙でも 第3の選択肢を提供している政党がある。それは共産党だ。 この党は、今回全国300の小選挙区に全員候補者を立ててはいないが、 国民の投票行動によっては、一気に過半数を制するだけの候補者は立てている。 共産党自身が「たしかな野党」と言うのだから仕方ないが、 本来は(可能性として)自前で「与党」にもなりうる第3の党であり、 万年野党であり続ける必要はない。 もっとも、そのためには、先ずこの党が国民多数に信用され、人気のある政党に 脱皮する必要があると思われる。私はそれを期待したい。

私は栃木1区在住であるが、小選挙区には自民、民主、共産の3人が立候補した。 事前に3人に質問メールを送り、2人から回答を得た。 また公開討論会(2人は参加、1人は不参加)にも行って、討論を聞いた。 その結果、私の主張を代弁してくれるに違いないと思える候補者がいたので、 今回はその人に投票しようと決めました。 ハッキリ言えば、死票となることを承知で、 今回の歴史的な総選挙の意味を考え、人類の宝とすべき平和憲法を守りたいという 一人の有権者の選択を明確に示しておきたいからである。

エッセイ8 基幹科目と専門科目

木村 英亮

日本の旧制大学では、学部は法学部、経済学部など研究の方法によって分けられていた。戦後、1950年代はじめ、東京大学教養学部に、3.4年の専門課程として教養学科が設けられ、そのなかに国際関係論やアメリカ科、フランス科など地域分科がおかれた。これには、教養部を学部として成り立たせるため専門課程を置こうとすると、英語、ドイツ語などの語学の教員、教養の歴史学、経済学などの教員を主たるものとせざるをえなかったという事情もあった。

これは、学生の人気は高く、志望者を集めて発展した。社会的ニーズもあり、卒業生の就職もよかった。そこで問題になったのは、国際関係や地域研究から学生が勉強を始める場合、経済学、歴史学など専門の研究方法を知らないために、ジャーナリステックな論文を書いて卒業し、基礎的勉強の機会を失うのではないか、という危惧を、とくに既存の学部の教員が指摘した。それに対して、理論や原則から始めるというドイツの影響の強いそれまでの大学の学問のあり方に対して、現実は多面的であり、プラグマチックに具体的問題からアプローチするアメリカ的なやり方から学ぶことも大切であると主張された。その後、社会的要請によって国際関係学部などが多くの大学に設置されるようになり、また、環境学部なども置かれるようになった。環境問題も、自然科学も含め、いろんな研究方法で接近しなくてはならず、法律学、物理学などさまざまな専門分野の協力、視野の広さが必要である。環境学概論を基幹科目として、多分野の専門科目をおくことが求められるであろう。

たとえば国際政治経済学部では、国際関係論というものは基幹科目として適当なのではないかと思う。学生は同時に政治学、法律学、経済学、歴史学、地理学などの基礎的諸科学の方法のうちからいずれかに重点をおき学ばねばならない。

60周年の広島に思う ―母の足跡(3)

近藤 泉

◆川べりで猛火を逃れたかに思えた母は、このあと地獄絵図を見ます。

対岸の天にも達するかのような火柱、目を覆う被爆の傷、自分の命を守ることだけに必死な兵隊、黒い雨、溺れ行く人々、そして母自身も水の底に沈み、青年に助けられます。

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稲荷大橋から相生橋方向を望む

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母は青年とともに稲荷大橋を西に渡り、1.5キロ程直進し相生橋と思しき橋まで辿りつきます。相生橋は原爆投下目標とされ、原爆ドームのすぐ前、爆心地付近です。母はまさに爆心地に向かって歩き続けていたのです。

母は青年から橋のたもとで待つように言われ別れますが、待ち切れず一人四日市の救護所に向かうトラックに乗り込みます。救護所となった小学校で二夜を過ごした母は、瀕死の状態で列車に乗り佐世保の疎開先へ帰り着きます。

今回、私が母の足跡を辿り実際に歩くことができたのは稲荷大橋までです。

母の書き残した体験記には、地図の上で少し不一致がありそうな気がします。しかし、母は見知らぬ土地で体を貫き通す原爆を被曝し激しい精神的ショックの中、命がけで壊滅した街を逃げ惑ったのに、よくここまで書きぬくことができたと改めて感じ入りました。

◆8月6日の暑い陽に照らされた京橋川の水面を見つめていると、戦争の悲惨さを訴え続けた母の深い深い悲しみが未だに広島の水底に沈んでいるような心持ちにとらわれました。そして、誰よりも平和を愛した母の暖かい胸のぬくもりが蘇って来ました。

エッセイ7 内科と泌尿器科

木村 英亮

20年前の春、突然激しい腹痛があり、予定していた学生との合宿をキャンセルし、総合病院の内科で診断してもらうと、レントゲンもとった上で、特別 の症状はなく胃炎かなにかと思われるので、また痛くなったら来るようにと言われた。それでおさまっていたが、数ヶ月後に血尿があり、同じ病院の泌尿器科で 尿路結石だと診断された。その前の段階では結石は腎臓にあり、内科のレントゲンに写っていたはずである。石はかなり大きく、膀胱の入口と出口には弁がある ので自然排出の可能性は小さいということで手術の日程を決めたが、尿管などを広げる薬をもらい水分を沢山とるよう指示された。運よくトイレで自然排出さ れ、手術はしないで済んだ。

この経験から言いたいのは、縦割りの弊害である。医学も細かく分かれたそれぞれの専門は進歩しているが、専門外の重要なことを見逃すことになる。私の場合、大事にならずに済んだが、痛みの原因の確定は数か月遅れた。

似たようなことは、医学ばかりでなく他の研究分野にもあるはずである。研究は20世紀のうちに著しい発展を遂げ、専門分化した。そのた め、縦割り、蛸壺化といった現象も生まれ、視野の広さや総合性が求められるわけであろう。また、ひとつのテーマについてのさまざまな分野の研究者の共同の 総合研究の必要性が大きくなっており、実際に奨励されている。しかし、予算をとって多分野の研究者の論文を集めた出版物を出すことは盛んになったが、共同 研究の主旨が生かされてないものも、かなりあるようである。

60周年の広島に思う ―母の足跡(2)

近藤 泉

◆かろうじて歩ける状態の駅前大橋を渡った母は、目の前に広がる街の惨状に足がすくみます。倒れた家の下敷きになった人々を助けることができず走り続けます。今も小さな旅館が数件並ぶ京橋町のこの辺りも母が通ったような気がしました。

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僅かな火の手を見つけ、全市に燃え広がると直感した母は、川へ向かいます。

(母の体験記より) 潰された家の端から僅(わず)かに炎が紅い舌を出しているのを見た。頭を突きぬけるような恐怖が身体中を走った。夢中になって彼を呼んだ私は、炎を指さして、 「川に逃げましょう。」 恐怖で声が上づっていた。 (中略) 「火事だ、川に逃げよう。」 大きく頷(うなづ)いた彼は、右に道を折れ、川に行く道を急いだ。

駅前大橋から市内を南下していた母は、右に道を折れいったん川べりに逃げたあと相生橋に向かって再び歩き続けます。相生橋は稲荷大橋を右に渡ってまっすぐ先なので、母が逃げた川べりというのは上柳橋か京橋から稲荷大橋までの京橋川沿いのどこかだと考えられます。今市内の川はみな高い石垣の堀になっていますが、母の記述によると当時は草の生い茂る土手だったようです。

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京橋

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京橋から稲荷大橋を望む

かなり川幅のある対岸に天にも届きそうな火柱が現れ、こちらへ倒れてきて人々の阿鼻叫喚が始まった、と母は書いています。現在この川沿いの道は「平和の道」と名付けられ、木陰の涼やかな静かな散策路になり、川の流れはどこまでも穏やかでしたが、必死に生きようとした母の存在が感じられて仕方 がありませんでした。

朝鮮と中国に旅立つにあたって

中西 治

地球宇宙平和研究所の皆様

朝晩、秋の訪れが近いことを感じるようになり、少し凌ぎやすくなりました。いかがお過ごしでしょうかお伺い申し上げます。

本日、2005年8月25日に私たちの研究所の代表団は朝鮮民主主義人民共和国と中華人民共和国に旅立ちます。団員は9人、他に2人がほぼ全行程をともにされ、北京ではさらに数人の方が団に参加されます。

多くの方々のご尽力により平壌で朝鮮社会科学院の先生方、北京で北京大学日本研究センターの先生方と学術交流ができるようになりました。

私たちが日本を離れているあいだに衆議院議員選挙が始まります。いつの選挙も重要ですが、今回の選挙はことのほか重大です。主権者である国民が小泉内閣のこれまでの政治に審判を下し、これからの日本の進路を決める選挙だからです。

第一の争点は日本を戦争をしない国から戦争をする国に変えるのか否かです。

小泉内閣は第二次大戦後はじめて自衛隊を現に戦争が行なわれているイラクに派遣しました。これを認めるのか否か、今後もこのような行為を認めるのか否か、主権者ははっきりと意志表示をしなければなりません。

第二は憲法の改定問題です。今回の選挙にあたり自民党は2005年11月15日までに憲法草案を策定し、公表することを明らかにしました。民主党も憲法提言を発表します。

自民党は日本が「自衛軍」を持ち、外国で戦争を出来るように憲法を改悪しようとしています。この問題はこれからの日本政治の最大の争点となります。

第三は改革の問題です。改革というと何となくすべてが良いことだという先入観がありますが、いかなる改革にも良い面と悪い面があります。しかも、問題は誰にとって良いことであり、誰にとって悪いことであるのかです。  小泉内閣のもとで行なわれた改革によって民衆の生活は良くなったでしょうか。医療にしても年金にしても悪くなっています。改革とは支配体制を維持するために弱いものにいっそうの痛みを強いることのようです。

政治改革、政治改革とマスコミの鳴り物入りで行なわれた改革は、小選挙区制の導入であり、その行き着いた先は自民党と民主党という似たような二つの政党とその他の政党のそれへの吸収・合併・連立・埋没、少数意見の切り捨てです。憲法改悪体制の確立です。

郵政民営化の行き着く先も見えてきました。郵便貯金と簡易保険といった美味しい儲かる部分を日本と外国の金融資本に与え、儲からない郵便を市場原理の競争のなかに投げ込むことです。

国鉄の分割・民営化が過疎地の鉄道の切り捨てとなったように、過疎地の郵便局は切り捨てられ、都市部の郵便局も整理されるでしょう。過疎地はますます住みにくくなります。そうでなくても弱体化している労働組合はさらに弱くなり、労働者はいっそう困難な立場に追い込まれるでしょう。資本は横暴になっています。

郵政民営化法案の廃案はこれまでの小泉政治に対する反撃でした。衆議院では小差とはいえ可決されているのですから、参議院で大差で否決されたからといって衆議院を解散するのは筋違いです。小泉首相が辞めるべきだったのです。小泉首相は衆議院を「八つ当たり解散」し、「9・11自爆選挙」に打って出ました。彼の行動は常軌を逸しています。

小泉首相は今回の選挙の争点を「郵政民営化」に絞り、あたかも現在の郵政公社の職員が全額税金で雇用されている公務員であるかのごとく語り、これを民営化することによって税金を使う公務員が大幅に削減されるかのように宣伝しています。しかし、実際は現在の郵政公社でも、かつての郵政省の時代でも郵政事業は独立採算制で運営されており、税金は1円も使われていないのです。

小泉首相は、郵政民営化に反対した自民党のかつての同志を落選させるために、つぎつぎと対立候補を立て、マスコミの関心をもっぱら郵政民営化と「刺客」に集中させています。自民党が出してきた候補者の顔ぶれを見ると、郵政民営化が誰に利益を与えるかがよく分かります。

小泉首相は今回の「郵政民営化」選挙に勝てば、おそらく、いまは沈黙しているイラク戦争への自衛隊の派遣や憲法改悪の問題を含めて小泉政治のすべてが国民の信任を得たかのように振る舞うでしょう。これが小泉政治の手法です。

沈みつつある泥船から機を見るに敏な人々が逃げだし、次々と新党を作った1993年の宮沢政権末期の状況が再現しています。あのときは宮沢内閣に反旗を翻した人々が自民党をとびだして嬉々として新党を作ったのですが、今回は小泉内閣に反旗を翻した人々が自民党から追い出されて已む無く新党を作っています。窮鼠猫を噛む。前回と同じように「日本」を掲げる新党が台風の目となりそうです。

21世紀初頭における日本の政治勢力の再編成が始まり、政治地図が急速に書き換えられています。今回は郵政民営化の是非で再編が進んでいますが、次は憲法問題です。

いま問われているのは主権者である私たちの歴史的な洞察力と判断、行動です。私たちは小泉政治のパフォーマンスに惑わされることなく、ことの本質を把握し、行動しなければなりません。

日本の将来、アジアの将来、地球の将来がかかっています。

9月2日に帰国します。

お元気で!

「反戦平和」について(2)

今井 康英

今回も引き続き「反戦平和」について述べます。前回、昭和天皇の戦争責任について触れましたが、
これについてもう少し紹介しておきます。このカテゴリには、いくつか追加した記事があります。

まず、5月8日の菅直人・民主党前代表のテレビ討論での発言です。共同通信(同日)によると、菅さんは日中間の歴史認識問題に関連し「戦争をした責任を、日本人がどう判断するかが問われている」と指摘、日本人自身による戦争責任の明確化が不十分だったとの考えを強調した。その上で昭和天皇の責任に関し「(敗戦時に)天皇陛下は退位した方がよかった。明治憲法下で基本的には天皇機関説的に動いていたから、直接的な政治責任はない。しかし象徴的にはある。政治的にも象徴的にも、ひとつのけじめをつけるべきだった」と述べた。私も、この意見には同感です。免責されていなければ、最高責任者として絞首刑は免れなかったと思われるので、自主的に退位するのが当然であり、適切でもあったと思う。http://blog.goo.ne.jp/05a21/e/d7148ce3198f53225c19213cf304a2bb”

次は、7月19日の東京新聞の特集「戦後60年」の記事です。「昭和零年 1925年生まれの戦後60年」に掲載されたジャーナリスト・原寿雄さんの言葉です。(執筆は、桐山桂一氏)。

原さん自身は「愛国少年」だったそうだ。平塚農学校を卒業し、国鉄に勤務したが、ずっと「軍人になって、天皇のため、国のために尽くしたい」と思っていたという。それで、四四年十月に原さんは海軍経理学校に入った。しかし、終戦後、郷里に戻った原さんは、やがて一高、東大へと進んだ。その過程で次第に「天皇に裏切られた」という思いが強くなったという。「天皇は免責されましたからね。信じていただけに、昭和天皇が結果的に戦争責任をとらなかったことに、反発を覚えました。戦後の道義なき社会の原点はそこにあるのではないでしょうか」私も、まったく同感です。同時に、次の言葉も確かな予見であると思う。「改憲以前に、戦争ができる体制が整いつつあります。今、日本社会で特に大事なのは、少数意見の大切さをコンセンサスとして持つことです。そうしないとまもなく、再び『非国民』という言葉が復活してきますよ」小泉首相が、衆議院で郵政民営化に反対した自民党議員を「非公認」だと言っているのが、私には、なんとなく「非国民」だと言っているようにも聞こえます。http://blog.goo.ne.jp/05a21/e/4639600ec4a62e2c91eeb6dad3a75227

また、最近の本島等・前長崎市長の発言です。例えば、西日本新聞(8月16日)によると、韓国・ソウル市内で8月15日に、在韓被爆者と被爆地の長崎・広島などの関係者らが核兵器廃絶と平和実現について語り合う韓日平和フォーラム「Think about HIBAKUSYA(被爆者を考える)」が開かれ、基調講演で本島氏は会場の韓国の人たちに「かつての日本の残酷な植民地支配によってご迷惑をかけたことを深く謝罪したい」とした上で、「日本は天皇の戦争責任を含め、すべての戦争責任を不明確にしてきた。日韓の若い世代が本当の新時代を築いてほしい」と呼び掛けた。「被爆三世」の高校生平和大使・山田詩郎さんは「これまで原爆について被害ばかりを学んできて、なぜ投下されたかを学んでこなかった。若者は祖父の時代の加害をしっかり見つめ、語り継いでいかなければならない」と語った。なお、本島氏は1988年、長崎市議会で「天皇に戦争責任はある」と発言し、脅迫を受けたり銃撃された事件もあったことを、私も忘れていません。http://blog.goo.ne.jp/05a21/e/377a13d6d5826435eba9511715b680b1

これからも折に触れて、天皇の戦争責任問題について考えていきたいと思います。あるいは、天皇民主化論を述べていく心算です。

我が土、我が民(その6)-故郷の大地を俯瞰する(その2)

王 元

寨と圩

もとは防護用の木の柵を指したが、基本的には「砦」です。故郷では「寨圩」または「圩寨」とも言います。臨渙城内にはさらに「西小圩子」という寨があ り、臨渙小学校も「北寨門」の付近にある。「圩」と「寨」を区別しない傾向は、おそらく、圩と寨を合体させたことからなる現象でしょう。つまり、洪水を防 ぐための「圩」の上に防衛のための木の柵を設置し、「寨」になることで一石二鳥の効果を得るのです。

圩の建造と維持は大変な労力と財力がかかるものです。そのため、出来るだけ規模を小さく抑える必要があり、家屋、倉庫等、最重要な財産を圩内に納め、場 (穀物の乾燥や脱穀に使うところ「穀場」ともいう)、牛舎、猪圏(家畜小屋)等は圩外に置かれることになります。したがって、「圩」は通常、村の中央に位 置しています。圩の周辺は小作人等の家屋があります。

また、ほとんどの「寨圩」は人口が少なく、村に当たります。ただ、最近の半世紀あまりは黄河、淮河それから澮河が皆、氾濫しなくなり、圩(堤)は重視されなくなってきました。平和な時期は当然「砦」も必要ではなくなります。

臨渙天主堂神甫楼
臨渙天主堂神甫楼。1949年当時の宿西県県政府の所在地でもある。

坊と園

坊は「作坊」、旧式の小規模の工場です。臨渙の名物の一つ、胡麻油はこのような作坊で生産されます。手工制作が基本で「小磨麻油」と呼ばれています。こ れらの作坊は主に城内に集中しますが、家庭作坊の形で周辺の村にも点在しています。中には「園」とよぶものもあります。例えば、「醬(菜)園」。これは味 噌、漬物、醤油、お酢等を作る作坊です。「坊」との違いは単に作業場でけではなく、物干しの庭園が付く為、「園」とよぶようになりました。

園、単一作物、特に果実類を生産する農園です。この地域に黄河が運んで来た淤土(堆積土壌、例えば、黄土や砂土等)は瓜(西瓜、メロン)、果(桃、李、杏、柿、棗、梨、林檎)の栽培に適しています。

楼と閣

「楼」とは、多重層建ての建築物を指すものですが、我が故郷の場合は基本的には二階建ての家屋、所謂「土楼」になる。故郷の地名に「楼」が多くあります が、その地は現在でもその楼を確認できるようなものはなく、昔ある時期に存在したもので、後に地名となり、残ったのかもしれません。

長い間、故郷の「楼」といえば、天主堂(天主教の教会)神甫楼でした。これは3階建ての煉瓦構造の建築は最近まで故郷での最高峰の建築でした。少年時代の遊び場でもあり、記憶の中での大きな建物なのに、今は…これなのです。

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左隣は新しく建てられた教会です。最新で最も高い建築となりました。臨渙での「教(会)」の復権を示すものと見ていいでしょう。

「閣」とは一般的「楼」の上半の部分を指します。但し、物見やぐらではなく、日本で言う「蔵」、つまり貯蔵庫です。但し、今の臨渙で地名に用いられる「閣」は特に木造寺廟建築を指します。

小学生の時、よく今は無き「南閣」という臨渙随一の名所に行きます。臨渙集最南端高台に置き、?河に面して、煉瓦構造、臨渙城の南門として建てられてい て、漢、唐、宋、明歴代の時に改築され、1975年最後に壊されたのは清代のもの。?河を臨み見る高い台地にたてられて、見当たり、風あたりの良い所でし た。

エッセイ6 演説の必要条件

木村 英亮

郵政問題をめぐってテレビで沢山のインタビューや討論がおこなわれたが、おかげで自分のことばで真剣に視聴者を説得しようとする多くの議員を発見し た。普段は十分な情報が提供されず、国民の側に立った語りかけが不足していると思っていたので、この面で日本の政治全体に大いにプラスになったのではない か、と思う。

私の専門であるソ連史の主役の一人であるレーニンは、聴衆をひきつける演説の名手であった。今日まで40数年キューバ首相をつとめるカストロの演説も長いが、すこしも飽きられず、いつも民衆の圧倒的な共感と支持をえているようである。一例を挙げよう。

「ケネディの演説はヒトラーの演説のようだ。ヒトラーは近隣の小国を脅かしたが、ケネディはキューバを脅かし介入すると言っている。彼は そろそろ忍耐の限界だと言う。では、あらゆることに耐えてこなければならなかったわれわれの忍耐についてはどうか。帝国主義列強は奇襲攻撃という方法を用 いている。ヒトラーやムッソリーニと同じ方法だ。われわれは何としても、列強に物事を考えなおしてほしいのだ。人類に、そして歴史にも、時代遅れとなった システムを終わらせよう。封建制度がそうだったように、奴隷制度がそうだったように、帝国主義は、過ぎ去らなければならない。」

これは数十年前の演説であるが、ケネディをブッシュに代えれば、現在そのままアピールする。

演説と講義はジャンルは違うが、主張が明確であること、筋が通っていることともに、タブーや秘密がないことが、退屈で紋切り型にならないために大切なことは共通であろう。

マーケット・メンタリティ

わたなべ ひろし

平日の深夜などにテレビのチャンネルを変えていると、ときおりテレビ東京の経済ニュース番組で小谷真生子さんを見かける。10年ぐらい前、彼女は 「ニュースステーション」に準レギュラー出演していて、久米宏さんの隣りでステキに知的な笑顔を見せていたのを憶えているが、このテレビ東京の番組ではメ インキャスターを勤めており、いつも眉間に3本ぐらいのシワを寄せて、横にいるナントカ総研のおじさんを相手に、「それではこの点に関して、マーケットは どのように反応すると思われますか?」とかきいている。

株には手をださないようにというのは僕の両親の遺言でもあるのだが、そんな小谷さんの「変貌」を見るにつけ、彼女を変えてしまった「マーケット」などというものとは、一生かかわりあいになりたくはないものだと思っていた。

しかし現在進行している金融市場による世界の一体化は凄まじいものがあるようだ。英国の社会学者であるロナルド・ドーアさんによると、国際貿易取引額と外国為替取引額の比率は1対200であるという。つまり、一所懸命モノを作ったり売ったり買ったりした「実経済」の200倍ものマネーが、思惑だけで投機的に世界中を徘徊しているのだ。

なんにしても実経済の200倍の規模である。この国際金融市場の獲得を目指し各国はしのぎをけずっており、そして自国の投資環境を整えることが、現在では国家の重要な役割となっている。

そう考えれば、ブッシュ大統領のイラク侵攻も含めた数々の「マッチョ」な対外政策にしても、どう見てもブッシュ大統領よりは頭の良さそうな英国のブレア 首相の対米追随姿勢にしても、またロシアのプーチン大統領のチェチェン問題を始めとする強気の政策にしても、その幾分かは自国の投資環境の整備の一環とい うことなのかもしれない。

つまり、今世界中の政治家にとって、有権者の他にもうひとつ顔を向けておかなければいけない相手として、「マーケット」というものがあるということであ る。そして政治家である彼(彼女)らにとって必要な資質とは、「強気の一貫性」ということのようだ。決して「マーケット」に不安を与えてはいけないのである。

そしてわが小泉純一郎首相である。まだ解散が決まる前、次のような雑誌のコラムを目にした。

解散・総選挙の結果、小泉純一郎首相が指導力を喪失した場合、海外を含む市場の目が財政危機に向くリスクが高まる。膨大な公債発行残高に 加え、基礎的財政収支の黒字化のメドさえつかない悲惨な状況の暴発を防ぎ、長期金利の上昇を抑えているのは、構造改革によって小さな政府を実現すると言い 続ける、小泉首相のぶれない姿勢にかかるところが大きい。(『週刊ダイヤモンド』2005年8月5日号 p7)

このコラム氏によれば、「独裁的といわれる小泉首相の手法」は、「官僚と自民党族議員が結び付き、そこに総理総裁が乗るというボトム アップ型の政策意思決定システム」を改革するための「必然」だとのこと。もちろんこのコラムの主旨は構造改革を支持するものであるし、「独裁的といわれる 小泉首相の手法」を、「海外を含む市場の目」に対して「ぶれない姿勢」を示すものとして評価しているのである。

金融関係の「専門家」たちによる、このような小泉評価は一般的のようで、その後テレビや新聞で何度も目にした。

僕はこのような小泉評価は、賛同はできないが納得はできる。

「マーケット」にとって、例えば靖国もイラクも憲法も善悪の問題ではない。損得(投機)の判断材料としてのみ意味がある。そして実際に投 資をやるかやらないかはともかく、こういうメンタリティをもった人たちは確実に増えているのではないだろうか。そもそもそういう方面のセンスや知識を幾分 かでも持ち合わせていなければ、普通の日常生活を送ることにも支障をきたすような方向に、社会そのものがむかっているのであるから。

戦争や平和というものが社会の中で語られる文脈というか、基盤そのものが変わってきているということを、最近とくに強く感じる。