月別アーカイブ: 2005年5月

為政者はグローバル化の進行を理解せよ

ねこくま

ある研究会で韓国人研究者が靖国参拝をめぐる小泉総理の発言や行動は、総理個人の資質なのか、あるいは何らかのもくろみがあってのことなのかと問いただした。わが日本国の総理は単なる愚か者なのか、それともアジア再侵略の戦略的意図を有しているのか問われたと考え、「総理は東アジア共同体形成を快く思わないアメリカの意図を汲んで、日本とアジア各国の融和に障害となる『靖国参拝』を続けている。」との私の見方を示した。

これに対し参加者の一人から県議会の裏話とともいえる衝撃的な発言があった。島根県議会「竹島の日」制定の目的は、単に県が国に漁業補償を出させるためだったと言うのである。いかにも日本的なドメスティックな手法は完全に裏目に出て、もはや国際問題化した状況で島根県が漁業補償を得る見込みは消滅し、同時に日韓自治体間の文化交流も友好関係も経済協力もすべて吹き飛んでしまった。補助金目当てという説明は悪い冗談のように聞こえるかもしれないが、日本人にとっては「アメリカ一辺倒の小泉政権」より遥かに深刻で恐ろしい説明である。

JR宝塚線の悲惨な事故で証明されたばかりだが、昨今の内向きの理屈で強引に権力で押し切る手法は日本社会に体制疲労を強いて事件や事故を続発させている。今回の事故も「旧国鉄の悪習」が原因と言いたげなJR西日本経営陣の発言は、小泉ばりの強圧とごまかしの手法の焼き直しである。国鉄解体以来の「生活」を人質にとった強引な人減らしと、すり替えによる責任回避の手法は日本国内では現在に至るも通用してきた。

しかし日本の為政者たちのやり方は直接の利害関係を持たない隣国の国民には何ら効力は発揮しない。中国も韓国もグローバリゼーションでアメリカに直接結びつき、日本の頭越しに幾らでも商売が可能だと考えているだろう。アメリカ留学組の両国のエリートたちはもはや日本を習得すべき近代化のお手本とは見なしていない。

しかもグローバル化で情報はまさに自国と同時に隣国に伝わる。民主化の進行した両国では国民の意志を政府は無視できない。それなのにドメスティックな手法もすり替えの理屈も通用しない国際社会の現実に日本の政治家たちは気がついていない。

どうか日本の為政者には正気と良心を取り戻して頂きたい。日本と中国と韓国はすでに経済的には利害を共有する運命共同体である。広く東アジアから世界に視野を拡げ、グローバリゼーションの流れの中でEUなど地域共同体が並立する新たな時代に備えるべきである。日本は今一度失った信頼を取り戻し、平和と共存のパートナーとしてアジアに認められる必要がある。そのためには憲法9条を初めとする豊かで穏やかな社会関係を目指してきた日本の「戦後」を再評価して、その平和な未来への継承を図るべきだ。

「今日のコラム」のページの予告

事務局

当研究所のウェブページをご訪問下さる皆さま、いつも大変にありがとうございます。

ウェブページをご訪問下さる皆さまに感謝し、日々新しい情報を掲載していきたいとの思いより、現在、「今日のコラム」のページを新設する準備を行っております。「今日のコラム」のページでは、当研究所の研究員が順に、コラムや書評などを自由に執筆します。このページを通して皆さまと交流し、平和を願う人々の輪を広げていけたら良いと思います。

「今日のコラム」のページは、近日中に開始いたします。私たちの研究所には、どんな研究員がいるのかをご紹介できるページになると思います。皆さま、どうぞお楽しみに☆彡

竹本恵美(デジタル編集部)

「現代中国」研究部会 第1回研究会

事務局

  • 日時:5月22日(日) 午後12時から15時
  • 場所:八王子市市民活動支援センター会議室(0426−46−1577)
    JR八王子駅と京王八王子駅の中間にある仁和会総合病院と八王子保健所の向かいのビル「ファルマ802」の5階。古本屋ブックOFFのビルの隣のビル。
  • テーマ: 中国の社会変動と日中関係−中国社会変動の周期性から反日デモを検証す る−
  • 発表者: 王 元
  • 司会: 汪 鴻祥
  • コメンテーター: 林 亮、川崎 高志
  • 参加費:無料

総会報告と研究部会について

中西 治

おはようございます。

2005年5月15日に私たちの研究所の第3回総会が盛大に開かれました。記念講演と懇親会も多数の方が参加され、盛況でした。詳しくは事務局から追って報告しますが、私から簡単にいくつかのことをお知らせします。

第一は総会で第三期の新しい役員が選出されました。理事は岩木秀樹さん、王元さん、汪鴻祥さん、川崎高志さん、木村英亮さん、近藤泉さん、澤入恵子さん、神保泰興さん、竹田邦彦さん、竹本恵美さん、徳永雅博さん、中西治、林亮さんの13人です。監事は浪木明さんと渡辺宏さんの2人です。総会後に開かれた理事会で理事長に中西治、副理事長に木村英亮さんが互選されました。事務局長は岩木秀樹さんです。

研究所の草創期であった第一期と第二期の役員を務められた方々に心から厚く御礼申し上げます。おかげさまで研究所の基盤は確立しました。ありがとうございました。第三期の役員をお引き受けいただいた方々、これから2年間、よろしくお願い申し上げます。

第二は2005年度の活動の大きな柱として、朝鮮民主主義人民共和国・中華人民共和国訪問団の派遣と地球宇宙平和学についての叢書または所報などの出版が確認されました。

新しい執行体制のもとで事業財政委員会、学術研究委員会、企画広報委員会などの委員会の構成をいっそう拡充し、研究所の活動を活発にしたいと考えています。

企画広報委員会のなかにすでにデジタル編集部(部長は竹本恵美さん、副部長は上田順子さん)とニューズレター編集部(部長は遠藤美純さん)が設けられており、積極的に活動しています。

研究部会もすでに地球社会論、平和の歴史・思想・現在、日本社会、東アジア安全保障、現代中国、中東イスラームの6部会がありますが、どうか新しい研究部会をつぎつぎと立ち上げて下さい。

早速、現代中国研究部会が5月22日(日)に下記のように研究会を開催します。

私もこの会に参加するつもりです。したがって、5月の地球社会論研究部会は開きません。

地球社会論研究部会の本年度第二回研究会は6月26日(日)14−16時に横浜洋光台の研究所で開催する予定です。詳細は後日、お知らせします。

今日も良い日を!

歴史から何を学び、現実にどう対応すべきか ―ブッシュ演説再論―

中西 治

過去の歴史を変えることはできないが、歴史の未来は私たちの手の中にある。

過去の歴史をどのように見るのか、そこからいかなる教訓を引き出して、いかなる未来を創りだすべきであろうか。

2005年5月7日のブッシュ米大統領の演説と関連して5月11日の『朝日新聞』の「天声人語」はヤルタ会談に先立って1944年10月9日にモスクワで行われたチャーチルとスターリンの会談を取り上げ、この席でチャーチルがスターリンにバルカンでの勢力圏の分割について提案をしていることを紹介している。

私の手元にはW.S.C.という印のついたウインストン・S・チャーチルの個人用箋にチャーチルが書き、スターリンが大きくチェック印をつけた一枚の文書のコピーがある。そこには次のことが記されている。

ルーマニア    ロシア 90%  その他 10%
ギリシャ     グレート・ブリテン 米国とともに 90%
その他、と書き、それに線を引いて、 ロシア 10%
ユーゴスラヴィア 50/50%
ハンガリー    50/50%
ブルガリア    ロシア 75%  その他 25%

この文書についてはチャーチルがその場で書いたというチャーチル自身が回顧録で主張している説とチャーチルがあらかじめ用意してきたとする説がある。この会談に立ち会ったスターリンの通訳ベレシュコフは1982年と1987年にロシア語で出版した彼の書『外交史のページ』ではその場で書いたとするチャーチルの説をとっていたが、1994年に英語で出版した書『At Stalin’s Side (邦訳、私は、スターリンの通訳だった)』ではあらかじめ用意してきたとの説に変わっている。

ベレシュコフの後者の書によると、この文書はチャーチルが「つまらないものですが、私はこれに、ロンドンの特定の人間の考えをを示す紙切れを持参しています。」と言ってスターリンに手渡している。

2003年にロシアで発表されたロシア語の会談記録によると、チャーチルはあらかじめ用意してきたこの文書をスターリンに手渡すにあたり、影響力の配分を示した「かなり汚い乱暴な文書」と呼んでおり、「アメリカ人はこの文書に驚くであろう」と述べている。

スターリンにとってチャーチルのこの提案は予期しないものではなかった。この提案の要はギリシャ問題であり、すでにソヴェト軍が入っていたルーマニアについてはロシアの影響力を認めるからギリシャには手を出すなということであった。スターリンはこれまたすでにソヴェト軍が入っていたブルガリアで英国に25%が割り当てられているのは他の数字と釣り合わないと述べ、ブルガリアについてもソヴェトに90%、英国に10%とするように訂正を求めた。

チャーチルとスターリンの話し合いの結果は米英ソ3国の一致した政策にはならなかった。チャーチルが予想したように、この会談にオブザーバーとして参加していた米国のハリマン駐ソ大使がこの取り決めに異議を唱えた。

チャーチルとスターリンは翌10月10日にローズヴェルトに連名で送った電報でハンガリーとトルコを含むバルカン諸国に対する政策をどのようにしてもっともよく一致させるのかの問題を検討しなければならないと伝えるにとどまった。

チャーチルの意思表明とスターリンの対応はまったく意味がなかったわけではない。スターリンはギリシャに対する英国の強い関心を理解し、後にギリシャで革命運動が進展したときにこれを押さえた。他方、英国もブルガリアに対するソヴェトの強い関心を理解し、この問題でソヴェトに譲歩した。

このような勢力圏分割的な考え方は珍しいことではなかった。ミュンヘン協定も独ソ不可侵条約もそのような考えにもとづいていた。1940年9月27日に日独伊3国軍事同盟が締結された直後の11月12日から14日までベルリンを訪問したモロトフとヒトラーとのあいだでもソヴェトが3国同盟に加入した場合の世界の分割計画が話題となっていた。

ソヴェトはドイツと英国の両方から勢力圏分割の話を聞かされていた。社会主義を標榜するソヴェトはこのような帝国主義的な勢力圏分割に反対していた。その場合にどうするのか。結局、ソヴェトも権力政治のもとでドイツや英国と同じような立場に立ったのである。

このことを批判することはやさしい。

この事実をなかったことにすることはできない。

私たち歴史家の仕事はなぜソヴェトがこのような選択をしなければならなかったのかを明らかにし、同じ道を歩まないためにはどのようにすべきであるのかを考えることである。

1930年代から1940年代にかけての歴史の教訓は他の地域に出て行き、その土地を自分のものにしようとするのではなく、その地に住む人々の意志を大切にしなければならないということである。

紛争問題は戦争によってではなく、平和的に解決しなければならないということである。そうでなかったために人類は大きな犠牲を払ったのである。

ブッシュ大統領がこの時期の歴史から教訓を引き出し、大国が小国の意志を無視し、大国間でその運命をもてあそんだことを批判するのであるならば、ブッシュ大統領はただちに現在のアフガニスタンとイラクでの戦争を止め、これらの地域の人々にその地を返すべきである。

それとも大国間で小国をもてあそぶのは良くないが、米国、一国でだけなら良いということなのであろうか。