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小泉内閣はイラクからただちに自衛隊を引き揚げよ! ―第20回参議院議員選挙結果によせて―

中西 治

2004年7月11日の第20回参議院議員選挙に参加した日本の有権者の半数以上は小泉内閣の内外政策に「ノー」という意思表示をした。

2001年4月26日に発足して以来、小泉内閣は落ち目になっていた自由民主党を上向きに転じさせたが、今回の参議院議員選挙で2003年11月9日の衆議院議員選挙に続いて手痛い敗北を喫した。自由民主党は小泉内閣発足前の2000年6月25日の衆議院議員選挙の水準に逆戻りした。

小泉首相が登場する前の2000年6月の衆議院選挙比例区での自民党の得票は1694万(28%)であった。それが小泉首相登場後の2001年7月の参議院選挙の比例区で自民党は2111万票(38%)を獲得し、20議席を得た。ところが、2003年11月の衆議院選挙の比例区での得票は2066万(35%)となり、今回の2004年7月の参議院選挙ではさらに減り、比例区で1679万票(30%)しか得られず、獲得議席は15にとどまった。2001年7月の参議院選挙では当時連立政権の一角を担っていた保守党が比例区で127万票(2%)を獲得し、1議席を得ていたことを勘案すると、今回の自民党の敗北はより大きなものとなる。

もう一つの与党である公明党は2001年7月の参議院選挙比例区で818万票、8議席を獲得し、2003年11月の衆議院選挙では比例区で873万票を得、今回は1000万票をめざしていたが、862万票、8議席にとどまった。同党はこれまで選挙ごとに得票を伸ばしてきたが、今回は10万票とはいえ前回の衆議院選挙比例区より得票を減らした。これは同党の将来にとってきわめて重要な意味をもつ出来事である。

なぜこうなったのか。漢書に「綸言(りんげん)汗(あせ)のごとし」という言葉がある。君子の言葉は汗のようなもので、一度口から出れば、取り消すことができないという意味である。誰にとっても言葉は重いが、君子の言葉はことのほか重い。小泉さんの言葉には首相の言葉としての重みがない。

小泉さんは憲法9条や自衛隊のイラク派遣、年金問題のような国民の死活にかかわる重要問題についてまともに答えようとせず、はぐらかし、茶化し、主権者である国民を侮辱している。国民はこれに怒っている。今回の選挙結果はこのことを示している。

小泉さんは第二次大戦後初めて多くの日本国民の声を無視して武装した自衛隊を人道支援のためと称して現に戦争が行なわれているイラクに派遣した。すべての侵略戦争は武装した軍隊の海外派兵に始まる。本当に人道支援のためであるならば、自衛隊を派遣する必要はない。人道支援のために武器は必要ない。

案の定、日本を敵視したイラクの武装勢力は日本人の若者3人を人質とし、自衛隊のイラクからの撤退を要求した。小泉内閣はこれを拒否し、3人の日本人の生命を危険にさらした。幸いにして、彼らは彼ら自身の平素のイラク国民に対する善意の行動が理解されて解放され、命を失わないですんだ。これに対して自国民の安全に責任を負う日本政府は何をしたのであろうか。彼らを言葉の石をもってぶったのは誰であったか。

不幸にして、その後、2人の日本人ジャーナリストが犠牲になった。にもかかわらず、彼らの遺族たちはイラク人に対する善意の行動を続けている。こうした日本人の善意の行動がイラクにおける自衛隊の安全を守っていることが小泉さんには分からないのであろうか。自衛隊が日本人の安全を守っているのではなく、多くの善意の日本人の行動が自衛隊の安全を守っているのである。

このようなことはいつまでも続かない。形式的なものにしろ2004年6月28日の米軍主導の占領当局からイラク暫定政府への主権の移譲は自衛隊を引き揚げる絶好の機会であった。実際にイラクから軍隊を引き揚げている国がある。しかし、小泉さんはこの機会を逃がし、国会に諮ることもなく勝手に、主権移譲後もイラクに駐留する米国を中心とする多国籍軍に参加することを決めた。

主権移譲後もイラク国内での戦争は続き、米兵の死者は25人に達し、2003年3月のイラク戦争開始後の米国などの外国軍兵士の死者は1000人を越えている。主権移譲後のイラク人の死者もおよそ200人にのぼっており、イラク戦争開始後のイラク人の死者は最大で1万3118人に達するといわれている。戦争はまだ続いており、日本の自衛隊が攻撃の対象となっても何の不思議もない。そのときに自衛隊はどのように対応するのであろうか。人道支援に行って、支援すべきイラク人を殺すことになるのであろうか。

そのことを避けるためにも自衛隊はただちにイラクから引き揚げるべきである。このことを今回の参議院選挙に参加した日本の有権者の多くが要求している。自衛隊のイラク派遣に賛成している自民党と公明党が比例区で獲得した票はそれぞれ1679万と862万、合計2541万、それに対して自衛隊のイラク派遣に反対している民主党、共産党、社民党に投ぜられた票はそれぞれ2113万、436万、299万、合計2848万である。反対の方が賛成よりも300万票ほど多い。

1996年10月に小選挙区制を導入した新しい制度のもとで衆議院選挙が実施されてから今回の参議院選挙を含めて衆議院選挙が3回、参議院選挙が3回行なわれた。この結果、衆議院選挙だけでなく参議院選挙でも2大政党化の傾向が強まっている。このことにより共産党や社民党の退潮にみられるように少数意見が排除される可能性が増大している。これは多様な意見を尊重し、社会を健全に発展させるという点で由々しい問題をはらんでいる。

このことはまた共産党や社民党に対して新しい状況に応じた新しい活動の形態を求めている。この点で教訓的なのは今回の選挙における沖縄県の経験である。ここでは自民党と公明党が推す候補者に対して現地沖縄の地方政党の女性指導者が民主・共産・社民・みどりの会議などの支持を得て無所属で立候補し当選した。沖縄の米軍基地を縮小し、沖縄を平和な島にするという点で一致して行動するならば勝利することを示した。

憲法改定が具体的な政治課題となりつつある今日、今回の選挙結果は憲法9条の精神を守り、それを地球社会全体に広めようとするものが一致して行動するならば、その事業が成功することを教えている。私は今回の選挙結果に大いに力づけられ、励まされている。

「東アジア安全保障」研究部会 研究会

事務局

「平和の歴史・思想・現在」研究部会との合同研究会

テーマ:中国安全保障戦略における東アジア地域協力の意味
報告者:林 亮
日時:2004年7月4日 15時〜17時
場所: 八王子市市民活動支援センター
1980年代の鄧小平の復活以来、中国は経済成長重視政策に転換、軍事力行使は外交政策の後背に退いた。中国は国際的権力構造を米国が唯一の超大国と なって「一超多強」と認識してきた。しかし中国を「潜在的競争相手」と見るブッシュ新政権の対中敵視政策転換によって、中国はNMD配備決定による対米核 抑止力喪失の可能性と、米国の先端技術兵器に対抗可能な「ハイテク条件下の局地戦争」に対応するために核・非核双方の軍事力増強圧力を受ける結果となっ た。

しかし中国国内の論争では世界大国化を目指しつつも米国との直接衝突を回避しようとする意図は明白である。中国の経済発展と安全保障上の利益のためには台湾解放も含め米国からの軍事介入を極力回避する「韜光養晦」路線が主張されている。

1996年には中国は上海協力機構をモデルにした「新安全保障観」を提唱し、協調的・総合的な安全保障への転換を宣言、 ASEAN地域フォーラム(ARF)への積極参加、対インド融和外交、対日新思考外交、朝鮮半島6カ国協議枠組みへの協力など多角的融和外交に乗り出している。

とくに中国・ASEAN自由貿易協定(FTA)やARF協力などのアジアでの地域総合協力は、米国の二国間同盟戦略やNAFTA、EUと拮抗可能な地域統 合体形成を視野に入れた中国と東アジア・ASEAN地域総合協力でアジア各国の中国に対する共感獲得をねらうものであろう。9.11後のブッシュ政権の強 引な武力行使の中で「中国と協力し、アジア共同体を形成してグローバリゼーションや米国の一国主義に抗して平和と安定を維持することは各国の利益となる」 との主張がアジア各国に次第に訴求力を持ち始めたように思われる。

しかも中国のやり方は巧妙である。米国排除でアジア各国に米中二者択一を求めるのは不利と計算し、中国は当該地域への米国のプレゼンスを排除しない。 中 国ASEAN・FTAは一定の共同体意識形成促進効果を発揮するだろう。中国を包含した経済圏形成をねらう東アジア共同体構想の進展は、グローバル化に対 抗可能な地域間協力枠組み抜きにはアジアの繁栄も中国の発展もあり得ない現実を反映している。

グローバル化時代の「世界三分の計」あるいは新たな「三つ世界論」ともいえる中国の長期戦略が東南アジア・東アジアに共感をもって受け入れられアジア共同体の形成が可能となるのだろうか。最大の課題は日中間の協力と米国の対応であろう。ここでも靖国問題は日本の未来の選択肢に暗い影を投げかけている。