月別アーカイブ: 2004年5月

ニューズレター No.5 特集論考「中東の平和と私たちの課題」

事務局

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巻頭言
・「地球上のすべての人が光り輝き、地球の主人公の時代に
−特定非営利活動法人地球宇宙平和研究所第3回総会を終えて−」(中西 治)

特集論考 「中東の平和と私たちの課題」
・「違憲の自衛隊によるイラク派兵」(今井 康英)
・「アリエル・シャロン首相の戦争 −「パレスチナ問題(その2)」として−」(小林 宏紀)
・「中東イスラームのサラーム(平安)のために」(岩木 秀樹)
・「異文化間の交流における交換留学の意義」(大崎 伸城)

論考
・「なんとなく狂っている韓国(加藤 幸廣)
・「総統選挙後の台湾と今後の中台関係の展望について(渡辺 直毅)

総会記念シンポジウム
・「現代日本社会と憲法(渡邊 宏)
・「侵される憲法の現状 −心のノートと日の丸問題−(澤入 恵子)
・「憲法違反であるイラクへの自衛隊派兵(藤田 尚則)

・会員紹介(近藤 泉・古野 郁子・竹本 恵美)
・書評(木村 英亮)
・第3回総会報告
・理事会報告
・事務局からのお知らせ

ユダヤ教とキリスト教の誕生 ―中東イスラームの歴史と現在 (3)

岩木 秀樹

ユダヤ教、キリスト教、イスラームはセム的一神教と呼ばれている。その共通点とは、唯一神を崇拝し、その神と人間とを仲介する特別の人間の存在を信じ、その仲介者を通して伝えられた唯一神の啓示を信仰することである。

一神教は歴史上忽然と出現し、急速に世界に広まったわけではない。前にも見てきたとおり、一神教を受け入れる土壌が出来て、その中で生まれたのである。

第一の一神教を担ったユダヤ人の被った歴史的体験を抜きにしては、ユダヤ教のもつ過酷さ、法律解釈の厳格さや神への信仰の強さを理解できないであろう。この厳格さや過酷さはキリスト教やイスラームも受け継いでいる特徴である。(1)

古代のユダヤ教は三つの時代に分けて考察することが出来る。第一期はモーゼによる出エジプト後のカナン定住からエルサレム第一神殿崩壊までの第一神殿時代(紀元前1200年頃〜紀元前586年)である。ダビデがエルサレムを征服し、その子ソロモンが前970頃エルサレムに神殿を建設した。この神殿が存続した時代をエルサレム第一神殿時代と呼ぶ。この時代はユダヤ教というよりは古代イスラエルの宗教や聖書(旧約聖書)の宗教という名称の方が相応しい。

第二期はバビロン捕囚からエルサレム第二神殿の崩壊までのおよそ500年の時代(紀元前586年〜紀元70年)である。第一神殿が新バビロニアに滅ぼされ、バビロンへの捕囚はおよそ50年間続くが、ペルシア帝国になって帰還を許された。その後ユダヤ人の一部がエルサレムに帰り、神殿を再建し第二神殿時代が始まるのである。この時代に、「モーゼの律法(トーラー)」に従った宗教共同体が形成され、神殿中心の祭儀共同体に「モーゼの律法」の遵守という新要素が加わって、狭義のユダヤ教が成立したと考えられる。またこの時期の終わりにはナザレのイエスが誕生し、キリスト教が形成される時期でもある。

第三期は第二神殿崩壊後にディアスポラが本格化する過程で、ラビの指導によってユダヤ法の自治社会が形成される時期(紀元70年〜500年頃)である。この時期はイスラーム出現以前にあたり、この時期に成立したユダヤ法集成の名を冠して、ミシュナ・タルムード時代と通称される。ユダヤ人自治体制であるラビ・ユダヤ教が形成されることによって、ユダヤ教は「神殿の宗教」から「法の宗教」へと構造変化を遂げたことを示している。この体制は、中世を経て近代にいたるまで存続していくのである。(2)

ユダヤ教は二度のエルサレム神殿の破壊を経験するたびに、神との契約、モーゼの法へと信仰を収斂させてきた。エルサレム神殿という神聖な空間を中心とした祭儀的宗教から、神殿と土地を喪失した人々の心を支える宗教、律法に則った生活実践の宗教への変貌、つまり神殿の宗教から法の宗教への転換が起こったのである。ユダヤ教は神殿、政治権力、父祖の土地を失った代わりに、律法を中心とする宗教として再生したのである。ユダヤ人は離散が本格化する中で、共同体を維持していく方向性を確立し、離散社会を生き延び、現在に至っているのである。(3)

キリスト教はユダヤ教の第二期に誕生した宗教である。イエスはユダヤ人であり、ユダヤ教徒であった。当初、彼の活動はユダヤ教内部の一つの改革運動であった。紀元30年にイエスは処刑されてしまうが、弟子たちが活動を継続した。この時期の活動もまだ基本的にユダヤ教の枠内のものであった。66年から70年に、ローマ帝国に対するユダヤ人の反乱であるユダヤ戦争が勃発し、ユダヤ側は敗北し、第二神殿が破壊されてしまう。このころから上述のように、ユダヤ教の様々な流れは律法主義に一元化されるようになってくる。イエスが神の支配の現実を主張したということは、この神殿の支配、律法の支配を否定したということであり、次第にユダヤ教内部の一つの分派からユダヤ教とは別の流れになっていったのである。(4)

ユダヤ教の聖書を神との古い契約である旧約聖書、キリスト教の聖書を新しい契約である新約聖書とするのは、キリスト教徒が名付けたものである。またユダヤ教を偏狭な民族宗教とする批判は、ユダヤ教を外から見た一面的理解である。伝統的ユダヤ教は異邦人の改宗をある程度認める宗教でもあり、ユダヤ人であることを決定するのは最終的にはユダヤ教の信仰である。(5)このようにユダヤ教に対してステレオタイプに陥らないことは重要であるが、キリスト教やイスラームと比較して、普遍性や世界的広がりに限界があるのは否めないであろう。だがここでは主にキリスト教における「普遍志向」がもたらした負の側面に着目し、キリスト教のヨーロッパ化における問題点を指摘する。

そもそもヨーロッパ地域は、生態的、植生的に見て貧しい地域であり、気候も厳しい世界であった。アルプス・ピレネー以北のヨーロッパは、最後の氷河を被った地域で、そのため生態条件が悪かった。ロシアまで含めたヨーロッパで同定された植物は1万2千種類くらいで、それはトルコ一国と同じ数である。従って植物性の食材がきわめて少なく、16世紀ごろ新大陸からジャガイモなどが導入されるまでは、およそ貧しい食生活で、相対的に肉食度が高かったのである。その後の歴史における戦争をルールとするような攻撃性は、この貧しさから出てきた可能性もある。(6)このような貧しい西方=ヨーロッパ世界にとって、世界の十字路である中東・東地中海世界の管理権を手中にすることによる東西交易の支配は重要であった。

ローマ帝国は末期に、帝国の再統合のためにキリスト教徒の財力や組織力を利用し、キリスト教のヨーロッパ化(つまり脱ユダヤ化)を謀った。西方=ヨーロッパ世界の神学者たちはイエスを神と人の性格をもつ曖昧で絶対的な存在に祭り上げ(三位一体)、それを殺害したのが「ユダ」という名の一個人ではなくユダ=「ユダヤ教徒」全体であるとすることにした。それにより「ヨーロッパ=キリスト教世界」を創設し、あわせて「外部」を代表するものとして、政治的に「ユダヤ人」の枠組みを制度的に創設した。ヨーロッパ世界はこうして、非ヨーロッパ世界(つまり、オリエント、東方、アジア)の象徴としての「ユダヤ人」の枠組みを作りあげ、さらに内部で排斥・差別することによって、「キリスト教徒の政治的共同体」として成立した。

しかしこうしたキリスト教に対して反旗をひるがえしたキリスト教徒も多かった。三位一体説による人間イエスの神格化を図るローマ帝国と地中海東南岸(中東・北アフリカ世界)の植民地化と経済的搾取に反対して、西方キリスト教世界と袂を分かったのが、アルメニア教会、シリア正教会、コプト教会などに結集する「東方独立教会諸派」=単性論派のキリスト教徒たちである。その後イスラームは、ヨーロッパ・キリスト教会の排他性と東方への拡張主義に反対する単性論派キリスト教徒勢力の圧倒的な支持を背景に、ユーラシア大陸の全域に東西交易の幹線路に沿って広まっていった。

ヨーロッパ・キリスト教の排他的解釈とは違った、寛容な一神教解釈をイスラームに見たユダヤ教徒やアルメニア、シリア正教、コプト諸教会のキリスト教徒は、「剣かコーランか」の選択を強制されたのではなく、自らの政治的意志でこぞってイスラームの陣列に馳せ参じた。ギリシア・ローマの文明的成果が結実・発展したのも、西方の「外部」であった東方=イスラーム世界における自由で寛容な文明環境のもとであったのである。(7)

その後、西方キリスト教世界は世界に拡大していく。西方キリスト教世界は、域内の東方性の代名詞であるユダヤ人を迫害し、支払いに窮するたびに借金を棒引きにさせた。また東西交易における物の流れと価格を自らに有利に操作することを目的にイスラーム世界に軍勢を向けた。

ある意味では、世界史における近代とは、様々な宗教によって組織化されていたイスラーム世界を、広義の十字軍(レコンキスタ、ユグノー戦争など)と異端審問によって、解体、簒奪、再編、支配することによって、西方ヨーロッパ世界の自生的発展神話が創世されるプロセスでもあった。

西方キリスト教世界が次に勢力を傾注したのが、イスラーム世界内部の三大一神教間の離反工作、とりわけ同盟関係にあったユダヤ教徒とイスラーム教徒間の離反工作であった。これが後に詳しく述べる、イスラエル建国という西方キリスト教世界におけるユダヤ問題の中東への移植である。

このように、預言者イエスを「神」として、先行するユダヤ教や後続のイスラームとの共存と和解の道を自ら閉ざし、ヨーロッパ世界の絶対化をはかる西方キリスト教世界は、貧しい自然との生態学的共存を拒み、内なる自然と外なる非ヨーロッパ世界の改造と支配にしか突破口を見いだせないまま、現在も疾走しつつある。「東方問題」から「地域紛争と冷戦」そして「文明の衝突」へと、交易の十字路の管理や従来の輸出市場の拡大のみならず、兵器市場、原油、そして新たなエネルギー資源である天然ガス、遺伝子、環境関連市場を求めてまだ走り続けているのである。(8)

ただこれらの問題が、キリスト教の教義に由来するのかきちんと吟味しなければならないであろう。今日の西洋は単なるキリスト教社会ではなく、むしろ植民地主義によって他民族を搾取した歴史をもとに、消費型産業社会、技術文明圏を築いた経済的繁栄を第一義とした社会とも言える。(9)このように単純にキリスト教そのものに原因を帰すのではなく、キリスト教が広まったヨーロッパの生態学的問題、ローマ帝国によるキリスト教の利用によるユダヤ教という外部の創造、キリスト教の権威的な教会制度の創設、そして近代における主権の概念、国民国家の誕生などの問題が、キリスト教を不寛容にさせた要因かもしれないのである。

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