月別アーカイブ: 2003年12月

アメリカ発展途上社会論 ―ラトガース大学での研究を終えて― (PDF)

中西 治

私は2002年4月1日から2003年3月29日まで1年間、創価大学から派遣されてアメリカ合衆国 (以下、アメリカと略称) ニュージャージー州立ラトガ-ス大学地球的変化統御センターで訪問研究員として研究する機会を与えられた。私のアメリカ訪問は1973年に同国国務省の招待で初めて50日間同国に滞在して以来10回目である。

私は小学校(当時は国民学校と称していたが)時代から人間の歴史に興味を抱き、学んできた。1945年8月15日の第二次大戦終結後はこれからの世界はどのようになるのかに関心を持ち、1952年に大学で国際関係を研究し始めた時に地域研究の対象として私は躊躇なくソヴェト社会主義共和国同盟 (以下、ソヴェトと略称) を選んだ。中華人民共和国は生まれたばかりであり、社会主義・共産主義と言えばソヴェトの時代であった。私が共産主義やソヴェトに関心を持ったのはあの戦争中に世界各国においてもっとも勇敢に命を賭して戦争に反対したのが共産主義者であったからである。

私はソヴェトの経済と政治と社会、ソヴェトを中心とする国際関係、とくにソヴェトとアメリカの関係を研究するとともに両社会の比較研究を始めた。その後、大学において国際関係論とともに国際社会論を担当するようになり、さらに研究領域を広げ、中国と日本を加えて四つの社会を比較するようになった。ソヴェトは社会主義の先進国、中国はその後発国、アメリカは資本主義の先進国、日本はその後発国。これらの社会を比較研究することによって地球社会の将来を予測できるのではないかと考えたからである。

私はすでにソヴェトの内政と外交の諸問題、ソヴェトと中国との関係、ロシアとアメリカとの関係、ロシア社会とアメリカ社会との比較については一連の研究結果を発表している。

現在私が取り組んでいるのは21世紀にふさわしい地球社会論の確立である。本稿はその一環として現代において唯一の超大国と言われるアメリカを取り上げ、アメリカはいかなる社会であるのかを検討したい。最初にラトガース大学と日本との関係を紹介し、ついでアメリカの歴史を振り返りながら奴隷制の問題、ステートと同盟との関係、人種・宗教・貧富の問題、政治と外交の問題などを考察し、アメリカはまだ未成熟な発展途上の社会であることを明らかにしたい。

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  • はじめに
  • ラトガース大学と日本
  • 先住民の共同体からヨーロッパの植民地を経て独立国家へ
  • 今も続く人種分離主義者と奴隷制廃止論者の抗争
  • 法的には複数の一邦国家の同盟、政治的には一つの多邦国家
  • 広くて豊かな社会と貧しい人々
  • 不公正な選挙と金持ち民主主義
  • 自己中心の力の信奉者
  • むすび

『ソシオロジカ』Vol.28, No.1 (通巻47号) 創価大学社会学会、2003年12月20日、1-26ペ-ジ。

葬られた憲法

その他

投稿者:沢入 恵子

憲法第9条は、これまで多くの解釈を弄することで、歪められ、虐げられてきた。しかし、それでもなお、ぎりぎりのところで踏みとどまっていたのだ……

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自衛隊のイラク派遣に反対する ―イラク派遣基本計画の閣議決定にあたって―

中西 治

2003(平成15)年12月8日は日本がパ−ルハーバー(真珠湾)を奇襲攻撃し、アメリカと戦争を始めてから62周年である。あたかもこの日が過ぎるのを待っていたかのごとく、小泉首相は翌12月9日午後5時から記者会見し、内閣がイラクへの自衛隊の派遣にかんする基本計画を決定したことを発表した。

小泉首相は冒頭に自衛隊は人道復興支援のためにイラクに行くのであって、武力行使や戦闘行為はしないと言明した。そして、日本国憲法前文の「いづれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」のくだりを引用し、自衛隊のイラク派遣が憲法のこの理念に基づくものであり、憲法に違反しないことを強調した。

しかし、同時に小泉首相は記者の質問に答えて武力行使や戦闘行為はしないことを再確認しながら、正当防衛は武力行使にあたらないとして自衛隊が実際には武力を行使し、戦闘行為をすることを認めた。

日本は1945(昭和20)年8月15日の第二次大戦終結後はじめて自衛隊を外国に本格的に派遣することになった。これはきわめて危険な戦争への道の始まりであり、日本がかつて歩んだ道の繰り返しである。

1867(慶応3)年の明治維新以降に日本が初めて外国に軍隊を派遣したのは1874(明治7)年のことであった。当時清国の領土であった台湾に漂着した琉球人66名のうち54名が原住民に殺害され、残りは清国人により助けられるという事件が起こった。明治政府はこの事件に対する報復として台湾に軍隊を派遣し、原住民と戦い、清国から50万両(テール)の金を受け取ることにして撤兵した。

第二の出兵は1875(明治8)年に日本の軍艦雲揚が朝鮮・韓半島西岸の江華島に接近して韓国側の砲撃を誘発し、過剰な報復を加え、韓国に大きな損害を与えた事件である。日本はこの事件を利用して韓国に開国を迫り、不平等条約を押し付けた。

その後、日本は1894-95(明治27-28)年に清国と戦い、台湾をとり、1904-5(明治37-38)年にロシアと戦い、朝鮮・韓半島と中国東北への進出の足場を築き、1910(明治43)年には韓国を併合した。さらに、1931(昭和6)年には「満州事変」を起こし、翌1932(昭和7)年には「満州国」をでっち上げた。日本は戦場を中国本土に拡大し、その行き着いた先が1941(昭和16)年のパールーハーバーであった。

第二次大戦後、日本国民は明治以後の歴史の教訓に学び、日本国憲法第九条において「国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」ことを決意した。日本は第二次大戦後一度も自衛隊を外国に送り、その地の人たちを殺してはいない。しかし、今やこれが「人道支援」の名の下に揺らいでいる。

私は2003年11月9日の日本の衆議院議員選挙の直後に発表した文章で「自衛隊が本当にイラクの人々を助けるために行くのであるならば、自衛隊は武器を持たないで行くべきである」と主張した。しかし、今回決まった基本計画では自衛隊は短銃や機関銃だけではなく、自爆テロでトラックが宿営地などに突入するのを防ぐためにと称して個人携帯用の対戦車弾や無反動砲を携行することになっている。

現に戦争が続いているイラクで走ってくるトラックが自爆するトラックであるのか、普通のトラックであるのかを瞬時にして見分けることは至難の技である。助けに行って、助けるべき人を殺めることになるであろう。

小泉首相はいろいろと言葉を弄しているが、その言わんとするところは、結局は、アメリカが始めた戦争を最初に支持したので金だけではなく、人も出さざるを得ないということにつきる。ここに自国の意思に反して戦争に引きずり込まれる「同盟」の危険性がはっきりと表われている。

そもそも今回のアメリカのイラクに対する戦争には大義がない。9.11事件とイラクとの関係はなんら立証されていない。戦争開始の口実とされた大量破壊兵器も見つかっていない。しかも、大量破壊兵器を持っているとされる国はイラクだけではない。アメリカは世界最大の大量破壊兵器の所有国である。フセイン体制の抑圧性・独裁性が指摘されるが、抑圧的・独裁的な体制はイラクだけではない。何のことはイラクの石油資源を巡る戦争である。

二人の日本人外交官がイラクで亡くなったことに同情が集まっている。これは人間の自然な情である。しかし、この二人の死を「無駄にしないために」自衛隊をイラクに派遣するようなことがあってはならない。明治以降の歴史は最初は少数の犠牲であったのが、それに報復するなかで犠牲者が増え、1904-5年のロシアとの戦争では「幾万の生霊(死者)」が出るに至った。そして、さらに、この生霊にこたえるために戦争を続け、ついには幾百万人の悲惨な死を招いたのである。

日本はここで立ち止まるべきである。イラクに自衛隊を派遣してはならない。それは後に続く長い長い戦争への第一歩である。