月別アーカイブ: 2003年3月

イスラム過激派とオウム真理教

その他

投稿者:重川 利昭

私は今、9.11テロの実行犯だったアタと、地下鉄サリン事件の実行犯だったオウム幹部のことを考えている。

イスラム教は立派な宗教に違いない。オウム真理教は仏教(密教)の亜種であり、仏教も立派な宗教に違いない。オウム幹部もオウム真理教の忠実な信徒であったし、アタもまたイスラム教の敬虔な信者であった。麻原教祖は仏陀の使徒として振る舞い、フセインもアラーの僕として振る舞う。麻原には5000名を超える熱狂的な信者がおり、当時の宗教家も宗教学者も、全面的ではないにせよ一定の評価をしていた。フセインには献身的な親衛隊がおり、周辺諸国のイスラム教徒やアラブ民族から一定の評価を受けている。麻原は日本政権の打倒を訴え、フセインは米国打倒を訴える。オウムは大量破壊兵器を開発・保持し、霞ヶ関を狙い、サリンをまいた。アタは、貿易センタービルに民間機を突入させた。仏教の亜種たるオウム幹部はテロの成功を喜び、イスラム教の亜種たる過激派は、9.11を神の祝福とした。

オウム真理教とイスラム過激派とは同根である。そしてオウムこそ真正の密教と信じる人々がいたのと同様、イスラム過激派こそ真正のイスラム教と信じる人々がいる。アフガン侵攻の取材にあたった友人は、パキスタンのタリバンがいかに敬虔なイスラム教徒であり、どれほどアタを誇りに思っているかを熱心に語ってくれた。アタをヒーローにする人々とオウム幹部の相違を見つけるのは難しい。

イスラム過激派が大量破壊兵器を保持する恐怖を、日本人はオウム真理教と重ねて理解する必要がありはしないか。我々は、権力がオウムのような宗教と、どう対峙することを望むのか。オウムは国内にとどまった。アタは国境を越えた。防衛ラインも国境を越えた。いま上九一色村は、砂嵐のまっただ中にある。仮装国家の規模が桁外れなだけに、人質もまた桁外れに多い。砂嵐の上九一色村では、いったい何人の坂本さんを殺したろう。そしていったい何人の苅谷さんが捕らわれ、無垢な信者がどれだけいるのか。機動隊は米英軍に代わったが、ガスマスク姿は不変である。おそらく精密な人工カナリヤ(毒ガス探知機)も携帯していることだろう。

問題は、人質に出る犠牲である。浅間山荘事件の時、政府はどうしたか。1人の人質を救出するために重火器の使用を制限し、機動隊員らに多数の犠牲が出た。映画「突入せよ」を見て改めて思った。今だったら世論はこの矛盾を放置しておくだろうか。機動隊員にも家族がいる。美談には悲しい続きがあるのだ。

この点、欧米は日本とは異質に思える。人質は犯罪者と戦う勇敢な戦士である。誰かに解放されるのを待つだけの非力な赤子ではない。死しても英雄となる。たとえ味方の弾に倒れようともそれは同じである。9.11を悼む米国民の姿は、同じく多数の犠牲者を出しながら当事者意識が欠落したかのような一般の日本人の反応とは違う。誰人であれ戦士であることを求められる社会なのだ。問われるのは勇敢であったか、臆病であったかである。この峻厳な立ち位置こそ、戦闘によって培われた狩猟民族の血である。二大政党の対決を望まず、「和をもって尊し」「寄らば大樹」を処世訓とした農耕民族とはそもそも違う。犯罪者との戦いに双方の犠牲は当然であり、戦わずに犯罪者を放置するのは臆病者の証なのだ。これが欧米の常識だろう。仏は遠くムルロア環礁で核実験を行う国だ。他国には無関心でも自国に被害があれば米国以上に反応しかねない。

戦争には反対である。そのためには丹念に一つ一つ争いの芽を摘むしかない。いま最大の問題はイスラム過激派である。これはパレスチナ問題に行き着く。パレスチナの平和共存以外に、過激派の芽は摘めない。平和共存の条件は、貧富の格差の是正である。日本のように安定した社会では、オウムは5000人以上には増えない。極端な教義は不安定な社会で力を得る。

だから問題は、果たして民主主義と資本主義は貧富の是正に役立つシステムなのかということになる。またこのシステムは万人が望むものなのか。金利ひとつとってみても、これはイスラムが望むシステムではない。民主主義と資本主義は、弾圧の中から這い上がってきたユダヤが、アーミッシュを置き去りにして、成長神話の成就のために望んだシステムなのだ。だから世界にはこのシステムの根付かない国が多数ある。日本はむしろ特別だ。米国のいう解放は、欧米でスタンダードとなったユダヤシステムの押し売りにちがいない。

しかし、このシステムの恩恵を最大限に享受した国が、その拡散に反対したのでは筋は通るまい。日本が本気で戦争反対を貫くのであれば、ユダヤシステムからの離脱を前提にすべきである。まずは、マハティールのように経済封鎖すること。そして八百神の国土にふさわしい独自のシステムを組み直し、他国に対しても独自システムの開発と運用を勧めることだ。貿易立国の日本と我々に、果たしてその覚悟があるのか。成長神話からの棄教こそが我々に求められた問題の本質である。戦争反対はぐるっと回って、ここに来る。宮崎駿のテーマでもある。

歴史に学べないブッシュ大統領 ―民衆が立ち上がったベオグラード―

その他

投稿者:小林 宏紀

はじめにイラク−アメリカ間からは視点を移して、イラク戦争に対する意見を述べる。

筆者は、このたびのイラク攻撃に反対であり、即時停戦を要求する。過去に実行された、人道的介入と称された軍事の展開や支配者への武力制裁の実態をこの 目で見てきたからである。それは相手国を焦土と化する戦略であり、一般市民の殺害以外のなにものでもなかった。同じことがまた始まったのである。

1999年のNATO軍によるユーゴスラビア空爆を想起されたい。

コソボ紛争の根源は深いが、コソボのセルビア化を進めたミロシェビッチ氏がその火付け役と言える。90年代前半、ユーゴスラビア中央政府と独立を宣言し たコソボのアルバニア人は一触即発の状態となる。ミロシェビッチ氏はユーゴスラビア連邦大統領となるや、アルバニア人による反中央政府のデモを弾圧する。 これに対しアルバニア人組織コソボ解放軍はテロで対抗する。98年3月、ミロシェビッチ氏のセルビア軍はコソボ北部に侵攻。米英仏ロ独伊のグループが仲介 を試みるも効果なく、セルビア軍のコソボ弾圧は続く。コソボ解放軍側もアルバニアからの支援を受けて盛り返し、コソボ紛争は激化する。そして多くの難民が 生まれた。同年9月にはアメリカ主導の国連安保理がセルビア軍の即時撤退と停戦を勧告し、NATO軍による空爆をほのめかされたミロシェビッチ氏はひとた びこれを受諾する。しかしこの年の暮れにはセルビア軍とコソボ解放軍との間で再び武力衝突が始まる。99年に入りミロシェビッチ氏は、停戦を監視していた OSCE(欧州安保協力機構)部隊の撤退を要求し、コソボのアルバニア人に向けての虐殺も始まった。アメリカはNATOを通じて交渉を行なうが、コソボに いかほどの自治権を与えるかで話はまとまらず、3月24日、NATO軍によるユーゴスラビア空爆が開始されるのである。空爆は78日間続いた。空爆を停止 した後、NATOが組織するコソボ平和維持部隊がコソボに駐留し、国連はユーゴスラビアの主権を認め、同時に国連コソボ暫定統治機構を組織する。コソボの 独立については未確定のままであった。

NATO軍による空爆、それはユーゴスラビアのインフラを徹底的に破壊するものであった。日米における報道では、誤爆につぐ誤爆。病院、学校、中国大使 館、あらゆるものが破壊された。多くの市民が犠牲となった。攻撃は政府・軍事施設に対してピンポイントで行っているはずであったが、市街地にクラスター爆 弾が投下され、民間人の乗る列車に向けて誘導ミサイルが発射された。当然現地において誤爆などという捉えはない。延命したミロシェビッ氏がセルビアの勝利 宣言さえする中、この空爆は、NATO軍の駐留地の拡大以外、何を達成したといえようか。

2000年9月、ユーゴスラビア大統領直接選挙が実施される。ミロシェビッチ氏の人権抑圧行為を理由として経済制裁が課され、度重なる戦争とでユーゴス ラビアの経済疲弊は当然激しいものであった。而して選挙は野党連合の圧勝。ミロシェビッチ氏は選挙の無効を主張し、やり直しを要求する。セルビア民主野党 連合は全国規模でゼネストを決行。コシュトゥニツア候補は第一次投票において当選を認めない連邦選管と政府に対して抗議する。10月5日、首都ベオグラー ドにおける野党連合の集会に集まった民衆は数十万と言われる。怒りの民衆が大統領府を取り囲む。まずユーゴ軍指導部がミロシェビッチ氏側に立つことを放 棄。翌6日、ミロシェビッチ氏は敗北を認める。民衆の行動が、民衆の祈りがユーゴスラビアの政治を変えたのである。

2003年3月22日、ニューヨークでは10万人規模の反戦デモが行なわれた。真実を知ってからのアメリカ市民の行動はさすがである。しかしブッシュ大 統領には中東の平和を語る資格は一切ない。イスラエル軍はあれほどまでに国連決議を無視してパレスチナ占領を続けてきた。にもかかわらず、アメリカ政府は イラクを攻撃しているこの今、更にイスラエル政府に対して100億ドルもの軍事資金を与えているのである。

日本政府は、フセイン大統領への武力制裁を支持するならば、なぜもっとその方法論についてアメリカ政府に意見できなかったのか。—フセイン大統領が武装 解除しないならばイラク市民の死は致し方ない—このような論理を通らせるしか手立てがなかったと言うのか。日本政府はアメリカ政府を支持しても、武力行使 の方法の議論において、イラク市民の生存が確保できないならば、これを理由に攻撃の実行には待ったをかけるべきであったのだ。湾岸戦争の後、日本国民の税 金で築いたイラク社会を破壊し、何より市民の生命を奪う行為を支持するとは何事であるか。

20世紀の人類は二度にわたる世界大戦をはじめ多くの戦争を起こした。しかし人類は、問題をあくまで話し合いで解決することの価値にようやく気づき始め た。様々な取り組みを必死に行い、新たな国際法、新たな国際機関を構築してきた。先のミロシェビッチ氏が送られた国際刑事裁判所などもその一つである。仮 に騙されても裏切られても、あくまで対話を試みるという姿勢を知ったことは、人類の大きな成熟である。これを放棄してはならない。

戦争と市民の力

その他

投稿者:佐藤 智子

戦争とは、生身の人間が意味もなく殺されること。私の単純な定義です。

どんな新型爆弾が開発されようと、軍事技術がどれほど精密化しようと、使えば人が死ぬでしょう。一人も死なせず戦争ができるでしょうか。

イラク戦争が始まって10日が過ぎました。イラクの民間人にも米兵にも毎日のように死者が出ています。3月24日、パウエル国務長官はFOXテレビに出 演して、「今のところ犠牲者は大した数ではない」と語ったようですが、「大した数」と「大したことではない数」の線引きはどこでするのでしょうか。米兵に 死者が出て、ブッシュ大統領はショックを受けたという報道もありました。自分で戦争を吹っかけておいて、事前にそんなことすら思い巡らさなかったのでしょ うか。なんと乏しい想像力かと思います。

テレビに流れる映像で戦争を実感するのは難しい。でも、もし、ミサイルが投下されるその地に自分がいるとしたらどうでしょうか。そんな危険にさらされる恐怖を少しでも想像してみたら、許せるでしょうか。耐えられるでしょうか。

今年に入って、反戦運動がかつてなく世界的に広がりました。国連査察団は査察の継続を要望していましたし、国連安全保障理事会も武力行使は容認できない という方向に傾いていました。世界的にみて、戦争は阻止すべきだという声が、細い渓流から少しずつ水かさを増しているように見えました。もしかしたら、こ の戦争はなんとか回避されるかもしれないと、私はひそかに期待していました。淡い期待だったようですが。

なぜ、ブッシュ大統領の暴走を止められなかったのでしょうか。この戦争で私がいちばん考えていることです。その問いかけは、政治家でも外交官でもない者が戦争を阻止するために何ができるか、何をすべきかという答えにつながると思うからです。

ブラジルの作家、パウロ・コエーリョさんが「ありがとう、ブッシュ大統領」というメッセージを世界の主要メディアに寄せています。一部を抜粋しますと、こんな内容です(原文ポルトガル語、訳:旦敬介、『朝日新聞』3月19日夕刊)。

「ありがとう、今世紀、ほとんど誰にもなしえなかったことを実現してくれて——世界のすべての大陸で、同じひとつの思いのために闘っている何百万人もの人を結びあわせてくれて。その思いというのは、あなたの思いとは正反対のものであるのだが」

「ありがとう、すでに起動してしまっている歯車をなんとか止めようとして街路を練り歩く名もなき軍勢である私たちに、無力感とはどんなものかを味わわせてくれて。その無力感といかにして戦い、いかにしてそれを別のものに変えていけばいいのか、学ぶ機会をあたえてくれて」

反戦運動は弱まることなく今も続いています。日本でも各地で即時停戦を求める声があがっています。たとえば、WORLD PEACE NOWのホームページを見ますと、さまざまな参加の形態があることがわかります。人々を動員して、一つにまとめて抗議行動を起こすといった運動ではありません。ピースウォークに参加したいと思えば、一人でも友だちとでも参加でき、大きな声を出 すもよし、静かに歩いてもよし、音楽を奏でてもよし。反戦映画上映会のお知らせもあれば、高校生の活動も紹介されています。

また、国連には「平和のための結集」と題する決議があります。これは、「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為」に直面した安保理が常任理事国の全 会一致の合意が得られない場合、総会を緊急に招集できるよう規定したもので、この決議の発動を日本の国連大使にネット上で要請することもできます。

一人ひとりの行動は一見ばらばらで、それで力になるのかと疑問視する向きもあるでしょうが、お仕着せでないから、個人が自分の意思で参加するから力にな りうるのではないでしょうか。たとえ、まだ力不足だとしても。無力感に陥らず、私は市民の力を信じたい。そして、そういう市民の一人でありたいと思ってい ます。

イラク攻撃に思う

その他

投稿者:木我 公輔

イラクの隣国シリアに昨年から在住しています。今回の米国主導の対イラク戦争に私は反対です。侵略者は米英の側です。反対の理由は、戦争による犠牲と他国 の武力による体制転覆が国際社会にもたらす弊害です。イラクの現体制によって、イラク国民が抑圧されているのは確かですが、彼らの大統領は彼らが決めるべ きです。イラク国民は抑圧的なサッダーム=フセイン体制に不満を持っていますが、空爆による死を求めていません。

米英のイラク侵攻開始から9日が過ぎました。私は毎日自宅でこの戦争の報道を見ています。1991年の湾岸戦争とこの戦争が大きく異なるのは、カタルの 衛星放送アルジャジーラなどによってミサイルや爆弾の飛んでいく方向、攻撃を受けるイラク国民の様子が同時に世界に発信されていることでしょう。11年前 の湾岸戦争の際、私は高校生で米軍の艦船からミサイルが次々と発射され、飛行機が爆撃を加えていく映像を見せられました。当時の私にはこれがまるでテレビ ゲームのように感じられました。

日本では規制のため、放映されていないかもしれませんが、バスラの病院の様子が撮影され、放映されていました。運び込まれた子供の腕の肉が剥ぎ取られ、骨が見えていたのです。空襲で殺されたバグダード市民の死体も見ました。

ブッシュ大統領は小泉首相との電話会談で「罪なき人々の最小限の犠牲」で勝利すると述べました。これら犠牲になったイラク国民は何のための犠牲なので しょうか。大量破壊兵器の発見、破壊でしょうか。しかし、大量破壊兵器を失くすための戦争で、大量破壊兵器が使用されているのです。しかも、米軍は300 箇所以上の疑わしい大量破壊兵器関連施設のリストをもっていて、イラクの大量破壊兵器開発の証拠を探すのだといいます。なぜ、このリストを国連査察団に渡 さなかったのでしょうか。実際に米国が査察団に渡したのは稚拙な偽造文書でした。

多くのシリア人が、アラブの石油支配こそが米国の真の戦争目的であると考えています。しばしば、彼らはイスラエル建国以来のアラブに対する一貫した米国 の陰謀を指摘します。彼らは学者でもなんでもなく、普通の市民の直感的な考えです。私には今回の戦争を見て、こうした考えがかなり本質をついているように 思えます。

現地での対日感情も微妙なものになっているようです。シリア人はそれほどでもありませんが、シリア国内のパレスティナ人たちの中には、日本人に日本政府 の攻撃支持をなじる人もいたそうです。小泉首相の攻撃支持表明はこちらでも報道されています。こちらの人たちは日本政府の態度も日本での反戦デモのことも 報道を通してよく知っています。

日本は中東で植民地をもった経験がありません。だから、中東の人々は大変親日的で、欧米諸国との関係とは違うのだとよく言われてきました。しかし、今回 の攻撃支持表明で中東で日本は初めて手を汚したように思えます。アラブ世界の人々の恨みを買うことは日本の国益にかなえるとは私は思えません。北朝鮮の脅 威が支持の理由とされていますが、武装解除に応じても攻撃されるのでは、誰が軍縮に応じるというのでしょうか。むしろ、中途半端な武装ではなく、核武装を もって攻撃を抑止する方向に向かうのではないでしょうか。

戦争が始まってしまった現在、求められるのは、停戦と米英軍のイラク領内からの即時撤退です。その上で、査察団の望む期間をもって査察を再開し、イラクの復興・民主化に向けた国際社会の努力が為されなければならないと私には思えるのです。

イラク攻撃への所感

その他

投稿者:林 亮

軍事力の恐怖で世界を思うがままにすることは許されない。
大量破壊兵器を廃棄し戦略爆撃を禁止する。
21世紀にふさわしい非暴力の秩序を構築せよ。

<「衝撃と畏怖の攻撃」は戦略爆撃そのものである>

3月22日のCNNは、バグダッドへの空襲開始を「shock and awe=衝撃と畏怖の攻撃」と伝えた。この戦略は激烈な空爆の与える恐怖でイラク国民自身にフセイン政権を打倒させる戦略と説明された。

この米国の考え方は「民間人を標的にして、都市爆撃の恐怖で敵国の抵抗の意志を崩壊させ、政治的目的を達成する」戦略思想とほとんど完全に一致する。これは戦略爆撃の思想そのものである。

<戦略爆撃は20世紀の戦争において恐怖と殺戮を生み出した発明物である>

戦略爆撃は20世紀に始まった。スペインの都市ゲルニカへの都市爆撃、そして旧日本軍の中国都市重慶への爆撃、これらは無防備の都市住民を標的とするこ とで敵国に恐怖を与え継戦意志を崩壊させる目的で実行された。これらの都市爆撃はやがて米英連合軍によって遙かに大規模に敵国を焦土と化す戦略爆撃として ハンブルグ・ベルリン爆撃、東京大空襲、そして広島・長崎原爆投下へと行き着く。

「都市への大規模爆撃で相手を屈服させる戦略」は、核兵器の巨大な破壊力と弾道ミサイル兵器の距離を超越した即時性を具有することで、核抑止戦略として究極的な形態に到達する。

歴史的に言っても核兵器を都市に投下したのは米国だけであり、米国は今も大量破壊兵器の最大保有国である。

<冷戦時代の核均衡の大前提は核保有国の核軍備縮小・廃棄の約束であった>

冷戦時代の「平和」はNPT(核拡散防止条約)とCTBT(包括的核実験禁止条約)による米ソ間の核の恐怖の均衡によっていたとされる。しかしこの均衡は5核保有国の核独占を国際社会が黙認することによって成り立っていた。

しかしこの黙認は核保有国は核兵器の削減・廃止実現に向かって絶え間なく努力する義務履行が大前提となっていた。いわば冷戦時代の国際秩序は非核保有国の全面的核廃絶への希望によって成立していたといえる。

我々は大量破壊兵器の全面的廃棄と戦略爆撃禁止の国際的合意形成を目指すべきだ。

米国は大量破壊兵器を保有し、戦略爆撃に使用できるが他国にはこれを認めないと言う立場はとうてい国際社会の合意を得られるものではない。

<大量破壊兵器の全面的廃棄と戦略爆撃禁止の国際的合意の上で、軍事力に依存しない理解と合意による世界秩序を目指せ>

世界的な情報共有化の進行は停止できまい。大量破壊兵器は国際社会の広範な合意なしにその拡散を防止することはできないだろう。しかも経済のグローバル 化によって世界経済の脆弱性は拡大するばかりである。米国をはじめとする軍事強国の巨大な軍事力でもこの敏感な世界的情報通信流通のネットワークは防衛し きれないだろう。

21世紀の国際社会には、米国も含めた大量破壊兵器の保有と開発禁止、戦略爆撃を世界的に禁止する合意形成が不可欠である。その上で軍事力の脅しに依存しない理解と合意による世界秩序形成への努力が始められなければならない。

本文は2003年3月24日開催の創価大学平和学会緊急シンポジュウムでの林報告に手を加えたものです。

米英の対イラク攻撃に反対する

岩木 秀樹

米英の対イラク攻撃は、国連憲章第7章違反である。国連憲章が認める武力行使は、①武力攻撃が発生した場合、安保理が必要な措置をとるまでの間、国家に認 められる個別的または集団的な自衛権の行使と②平和に対する脅威、平和の破壊または侵略行為に対する集団的措置として安保理が決定する行動の二つだけであ る。①について、自衛権の発動の要件であるイラクによる武力攻撃は発生しておらず、ましてや先制的自衛権の法原則は存在しない。②についても、安保理は決 定していない。安保理決議1441は武力行使に同意を与えたものではない。だからこそ米英は武力行使の新決議を求めていたのである。また現在の主権国家体 制では、内政干渉、国家指導者のすげ替え、国家転覆は国際法上できないのである。どのような国際法的観点から見ても、今回の英米のイラク侵略は、許される ものではない。

国連決議を履行していないと言われているイラクに対して、国連決議なしの米英による攻撃は説得力がない。「まず、イラクに非がある」との説明もある一面 しか見ていないためにするための議論である。法を犯したものに対しては何をやってもよいのか。相手に非があれば脱法行為、人殺し、侵略をしてもよいのか。 イラク侵略は、人類が営々と築いてきた非戦の誓いを破る、文明から野蛮の世界への退行である。

そもそもイラクには本当に差し迫った重大な脅威が存在するのだろうか。1998年までに大量破壊兵器の90から95%は検証可能な形で廃棄されたと元国 連兵器査察官であるスコット・リッターは指摘している。さらにリッターは、炭そ菌問題について、イラクが製造した炭そ菌は貯蔵寿命3年の液体炭そであり、 ブリクス委員長はイラクの工場から出荷された最後の炭そ菌が1991年産であることに言及していないと非難する(『世界』2003年4月号76頁)。その ブリクス委員長ですらあと数ヶ月の査察延長を要求し、次第にイラクも譲歩してきた矢先のイラク攻撃であった。

非民主的で、非人道的で、大量破壊兵器をもち、国際法を遵守していないのはイラクだけではない。なぜ今イラクなのか。最も恐れることは、米国が今後、恣意的に「新しい脅威」をでっち上げ、全世界に今回の事例を適用することである。
今回のような攻撃はテロにさらなる口実や正当性を与えてしまう危険性がある。米国及びその同盟国は新たなテロの恐怖にさらされるだろう。

9・11事件以後米国はイラクに関して、アルカイーダとの関係、テロ支援国家、大量破壊兵器廃棄、国家転覆と次々に政策をずらしていった。確たる証拠がな いのでずらさざるをえなかったのである。米国の対中東政策はあまりにも場当たり的で、長期的ビジョンにかけている。敵の敵は味方とばかり、以前はアフガニ スタンやイラクを軍事的にも大きく支援していた。湾岸戦争後ですら、イラクがクルド人やシーア派に攻撃を加えているのを米国は座視していた。フセイン体制 存続によるサウジアラビアでの米軍の長期駐留が目的であったとも言われている。

そもそも現在の不安定な中東諸国体制は、第一次大戦後に欧米によって作り出されたものである。ヨーロッパにおけるユダヤ問題を、中東に転嫁してパレスチ ナ問題が発生した。冷戦崩壊後、湾岸、旧ユーゴスラヴィア、チェチェン、パレスチナ等で戦禍が続いている。イスラム教徒には、欧米を中心とした大国によっ て虐殺をされ続けているという意識がある。現在の中東諸国の権威主義体制、石油利権、米国等の大国の三者は、共犯関係にあり、当該地域の民衆を苦しめてい る。

冷戦後のアメリカは狭隘な単独主義に陥っている。コソボでもイラクでも安保理決議なしに戦争をし、包括的核実験禁止条約、弾道弾迎撃ミサイル制限条約、 生物兵器禁止条約、国際刑事裁判所設立条約、温暖化防止に関する京都議定書等の様々な機構から米国は脱退した。国際社会を無視し、圧倒的な大量破壊兵器を 有した、選挙民の多数の支持を得ていない、つまり民主的な手続きに疑問のある米国の政権こそ重大な脅威をもった国であろう。

米国内で、「新しいアメリカの世紀のためのプロジェクト PNAC(Project for New American Century)」が1997年より活動を開始した。これは軍事予算を3割カットしたクリントン政権に不満を抱く、共和党タカ派、民主党ネオ・コンサバ ティブ派、軍産複合体関係者らによって作られたものである。これには、チェイニー副大統領、ラムズフェルト国防長官、ウォルフォヴィッツ国防副長官、ボル トン国務次官、アミテージ国務副長官、エイブラムス国家安全保障会議中東政策責任者らが中心人物として名を連ねている。彼らの主張は2000年9月の報告 書に集約されるが、その中身は「軍事力を背景に市場経済と人権と民主主義という価値を世界に定着させる」というアメリカ至上主義に特徴づけられる(『世 界』2003年4月号68頁)。

日本は今回、アジアで孤立した。「日本には北朝鮮問題があるから、米国に同調すべきだ」という論調もあったが、むしろ北朝鮮問題があるからこそ平和裏に 物事を解決する必要があった。このままでは逆に危険な方向にいってしまう。米国の圧力にもかかわらず、日朝交渉を進めるべきであろう。そもそも北朝鮮問題 があってもなくても、米国に同調せざるをえない日米安保体制の弊害が露呈してきたということであろう。軍事面での米国追従では日本の国益に合わない状況に なってきた。日米も含めた包括的なアジア地域での人間の安全保障が待たれる。

今回の米英によるイラク攻撃に対して、全世界で大きな反戦、反米運動が展開されている。日本をはじめ多くの国の世論調査では戦争反対が多数を占めている。このことは大きな希望であり、米英の指導者は謙虚に耳を傾けなくてはならない。

今求められるのは、米英及びイラクの犠牲者を一人でも少なくするための即時停戦であろう。その後パレスチナ問題等の中東イスラム世界の諸問題を包括的に 論じ合うための国連を中心にした「中東平和会議」の開催を呼びかけたい。さらに全世界における大量破壊兵器の削減・廃絶をめざす「世界大量破壊兵器廃絶機 構」を国連に立ち上げる必要があろう。またテロには軍主導ではなく、国際刑事裁判所による警察力で強制執行するようなことも検討されるべきであろう。

さらに、グローバル化のなかでの格差の是正、戦争システムの克服、中東における公正な安全保障体制の構築が急がれる。いずれにしてもフセインを倒しても 問題は根本的に解決しない。武力では問題は解決しないということを、人類は何度も確かめてきた。21世紀こそ人間・生命・平和の世紀にする必要がある。

ニューヨークの反戦デモに参加して

中西 治

2003年3月22日(土)にニューヨークのマンハッタンで催されたアメリカのイラク戦争に反対するデモを見に行きました。午前11時前にデモの出発点 であるブロードウェイの33番通りに着きました。現地には続々とデモの参加者たちが集まってきており、デモの主催者たちが記者会見をしていました。私はま ずは腹ごしらえと近くの韓国人街のレストランに行きました。

デモは予定通り正午少し過ぎに出発し始めました。マンハッタンを南に下り、ユニオン広場を経て西4番通りのワシントン広場に至る普通に歩けば30分ほど のコースです。私はデモの全部を見ようと思って33番通りの角に立ち、参加者や参加者の唱えるスローガン、衣装、プラカード、パフォーマンスなどを見てい ました。10万人から15万人が参加すると言われていましたが、実際にどのくらいの人が参加するのかが最大の関心でした。

ブッシュ大統領の開戦演説の翌20日(木)に『今日のアメリカ(USA TODAY)』とCNNテレビとギャラップ世論調査が602人の成人を対象に行なった合同世論調査ではアメリカがイラクとの戦争に向かうことを決めた決定 を強く支持する人が60%、強くではないが支持する人が16%、強く反対する人が15%, 強くではないが反対する人が5%でした。アメリカ国民の4人に 3人がブッシュ大統領の戦争を支持していることになります。本当にそうなのでしょうか。私は自分の目で確かめたかったのです。

確かにアメリカではいま愛国心が掻き立てられています。戦争に公然と反対しにくい雰囲気が作り出されています。民主党の上院院内総務ダシュルさんはブッ シュ大統領の開戦宣言の直後にアメリカが国連安全保障理事会で新たな決議を得られなかったことを批判してブッシュ大統領は外交的失敗をしたと述べたのです が、共和党はこれに反論してブッシュ大統領をいま批判するものは愛国者ではないと強く非難しました。この非難に耐えかねてかダシュルさんはアメリカ合衆国 大統領は最高司令官であり、今日、我々は彼の後ろで団結していると言わざるを得なくなっています。

アメリカ憲法では宣戦布告は議会の権限です。しかし、2002年10月10日の上下両院の共同決議でブッシュ大統領にイラクに対して軍事力を行使する権 限を与えていますので、宣戦布告の決議は議会では特にされていません。軍事力行使の決議に賛成することは宣戦布告に賛成することでした。このことは私たち 日本人も肝に銘じておくべきでしょう。

デモが始まって1時間ほど経った時に戦争に反対する元気一杯の女性の集団が近付いてきました。先頭に立つ長い横断幕を持った人の中に一人男の人がいまし た。見ると元日本平和学会会長の岡本三夫広島修道大学教授でした。岡本さんも私に気付き手招きをされています。側に行くと、一緒にデモをしませんか、と言 われました。私も入って岡本さんの隣で横断幕を持ちました。私は見物人から参加者になりました。

私たちの一団が終着点に着いたあと私はふたたび出発点に戻りデモの流れを見ていました。デモは延々と続き最後の集団が見えたのは3時少し前でした。私は その集団のところへ行き、その隊列の最後に着きました。私のうしろには警備を終えた警察官たちが続いていました。私は出発点の33番通りの角まで歩きまし た。参加者の数は分かりませんが、今朝(23日)のテレビは10万人と報じていました。私は多くのアメリカ人が大変厳しい状況のなかで戦争反対の意志を明 確に表明したことに感銘をうけ、心強く思いました。

私は戦争開始後のアメリカのテレビを見ながらこれは完全なアメリカの侵略戦争であると思いました。アメリカのテレビはイラクに百数十ある油田のうち火の 手をあげているのは9であり、あとは無事に確保されたと伝えていますが、語るに落ちたというものです。国連安全保障理事会はただちにこの侵略行為を止めさ せなければなりません。国連ができなければ地球上の人々が声を高めて止めさせなければなりません。アメリカはこれまでもラテンアメリカなどで他国の政権を 軍事力を行使して潰してきました。アフガニスタンに続くイラクでの今回の行為は21世紀初めにおける蛮行です。

デモのプラカードやスローガンのなかでもブッシュ大統領を弾劾すべきであるとか、ブッシュ大統領を侵略者として糾弾し、その戦争開始の責任を問うべきで あるとかの指摘がありました。私もそのように思います。ブッシュ大統領の再選はないでしょう。歴史はブッシュ大統領の今回の行為に対する責任を厳しく問う ことになるでしょう。

米英によるイラク攻撃の速やかな停止を要求する ―自制心もてぬ主権国家から武力行使権限を剥奪する国際社会システムを創造しよう―

玉井 秀樹

今回の米英によるイラク攻撃はきわめて遺憾であり、その速やかな停止を要求する。この武力侵攻は一国の体制転覆を目的とした国連憲章の精神にもとる国家 行為であり、実際の攻撃に転じる以前から、武力による威嚇をもって国連安保理決議の遵守を要求するなど、米国・ブッシュ政権は当初から武力行使を前提とし た対イラク圧力をかけていた。同政権の自制心の欠如した政策こそが、武力侵攻以外の事態打開策を不可能にした主たる要因であると考えるが、米国の自制心を 失わせた国際社会にも問題がある。

イラクでの事態について言えば、まず、国内における重大な人権抑圧と中東地域において軍事的覇権を追及するという、イラク・フセイン政権自体の重大な過 誤を指摘しなくてはなるまい。しかし、そのように問題のあるイラク政権の軍事大国化を可能にしたのは米国の対イラク軍事支援であったことは看過できない。 国際社会におけるパワーの源泉を軍事力においている大国、しかもかつてはその力を与えてくれた大国が要求する武装解除に説得力はない。イラクを増長させた 原因は米国政権自らにもある。

米国は国際社会でフセイン政権が大量破壊兵器を保有することの危機を訴え、国連安保理常任理事国5カ国もそれに同調した。しかし、彼らは自らが大量破壊 兵器を保有することが危険ではないということを一切証明しなまま、そうした兵器の独占体制を変えようとしていない。大量破壊兵器は存在そのものが人類に とっての災厄なのであり、持ち主によって危険度が変わるわけではない。常任理事国自らの大量兵器廃絶への努力も示さないままに要求する武装解除に説得力は ない。イラクを増長させた原因は国際社会にもある。

2001年の9.11事件については不明の部分多いが、今や象徴的な対米抵抗運動とみなされている。こうした対米抵抗運動を”テロリズム”として恐怖 し、過剰報復する米国政権の反応には、無反省な独善性さえみることができる。しかし、国際社会は、暴力的抵抗運動の不適性を糾弾するとともに、そうした抵 抗についての真摯な内省ができる米国となるよう説得・協力すべきところ、米国政権に恐怖心=反撃欲求の抑制のみを要求し続けた。そのためついに米国政権の 自制心を強化することができず、攻撃欲求の抑制にも失敗した。

今や地球上に比肩しうるもののない軍事超大国になった米国には、その力にふさわしい自制的行動が要求されると考える。しかし、9.11事件から今回のイ ラク侵攻にいたる過程をみれば、そのような一方的な米国への期待が自然に実現するようには思われない。そこで、恐怖心=武力依存性を抑制するという過重な 責務をひとり米国にのみ押し付けることがないような国際社会のシステムを構築することを訴えたい。すなわち、あらゆる軍事力を国際社会の統制下におくとい うことである。今日の国際安全保障システムである国連システムの基礎となったカント平和論の完結、つまり、主権国家による常備軍廃止の完全実施を今こそ推進すべきであると訴える。

21世紀の人類社会はすでに軍事力を行使する必要のない紛争解決、人権回復、社会変革のシステムや技法を開発、発展させてきている。主権国家から軍事力 行使権限を国際社会に譲渡し、民主的な国際社会警察の創設によって、このような非暴力システムのグローバリゼーションを可能にしようではないか。

イラク攻撃に対する所感

その他

投稿者:澤入 恵子

充分ではありませんが、イラク攻撃に対する私の意見をのべさせていただきます。

私は、いかなる武力の行使も、また武力を保持する行為も、認める立場ではありません。したがって、日本国憲法を高く評価するものの一人です。

有名な第9条では、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇、又は武力の行使は、国際紛争を 解決する手段としては、永久にこれを放棄する。②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とあ ります。

この条文は、戦争の悲惨さを体験した国民が、世界に発した人類のあるべき姿へのメッセージだったはずなのです。

しかしこの9条の解釈を歪めることによって、日本は、戦力を保持し、他国の行なう戦争行為に加担する国となりました。憲法第99条では「天皇又は摂政及 び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員はこの憲法を尊重し擁護する義務を負う」と定められているにもかかわらず、昨年は「テロ対策特別措置法」を強 行採決し、今回のアメリカのイラク攻撃についても、胸を張って支持しています。

なんと恐ろしい独裁でしょう。

憲法に抵触する問題を、国会の場で議論することもなく、一方的な政府与党の見解だけで、日本が動いているのです。このような非民主的な行為を見過ごし、許してはいけないと思います。

アメリカのイラク攻撃は、国連の場での議論を放棄し、対話による国際問題解決への道を断ち切った驚くべき暴挙です。もっとも京都議定書を離脱し、国際刑事裁判所に批准すらしていない国ですから、おして知るべしですが。

己のみを正義とし、自分の意に添わない人間を悪と決め、これを力づくで排除しようとする発想は恐るべき自己中心主義です。驚くべき人権侵害です。

しかし、こんなことが国のレベルで行なわれ、なおかつそれを支持する国があるのです。

人は理性を失った時、暴力という行動に出ますが、国家レベルでの暴力行為が現実に行なわれ、なお且つ、その国を容認し、支持する国があるとは…。

友が誤った行動をとろうとしたら、それを止めるのが真の友情でしょう。まして、人を殺す話なのです。それを支持するのは、たとえどんな理由をつけようとも、結局同じ思考の持ち主なのです。

悲しいことに私はその国の一員なのです。

中国の人に、北朝鮮の人に、ベトナムの人に、カンボジアの人に、アフガンの人に、イラクの人に、一生をかけても償うことはできませんが、「地球上の全軍備撤廃」という夢に向かって、自分のできるところから、行動してまいりたいと思います。

アメリカのイラク戦争開始にあたって

中西 治

アメリカが2003年3月19日アメリカ東部時間午後9時30分(日本時間20日午前11時30分)頃に遂にイラクへの戦争を開始しました。2002年4 月1日に日本を発つ時にすでにアメリカのイラク攻撃は必至と見られていましたので別に驚きではありません。むしろ、アメリカ国民と地球の各地の人々が今日 までよくブッシュ大統領の手を縛り付けてきたと思っています。

ブッシュ大統領のテレビを通じての開戦演説を聞きながら51年余り前の1941(昭和16)年12月8日の日本によるアメリカへの宣戦布告を発表したラ ジオ放送を想い起こしていました。アメリカ国民の多くは今回の戦争に賛成していると言われていますが、あの時に日本国民が示した程の熱狂は今のアメリカに はありません。私のまわりにはこの戦争を積極的に支持する人は一人もいません。3月22日(土)午後にはニューヨークで10万人から15万人が参加する戦 争反対のデモが予定されています。

ブッシュ大統領の演説に力はありませんでした。イラク国民への尊敬の念をもって戦争を始めるというのです。このような宣戦布告演説を聞いたことはありません。尊敬の念を持っているのならば、その人々が殺される戦争をしなければ良いのです。

目的はただ一つ、フセイン大統領を殺し、アメリカの思うようになる人物を政権の座につけて、イラクの石油を思いのままにすることです。

アメリカはこれまでイラクが持っているか持っていないか分からない大量破壊兵器を無くすためと言ってきました。私も大量破壊兵器はもちろんのこと、すべ ての兵器に反対です。したがって、私はアメリカの主張に賛成です。しかし、もしアメリカがイラクに対して大量破壊兵器の廃棄を求めるのであるならば、まず アメリカが率先してこの種の兵器を廃棄すべきでしょう。自国はたくさんの大量破壊兵器を持ちながら他国に対してのみそれを求めても説得力はないでしょう。

私は今回のアメリカ国内旅行中にサクラメントで中年のアメリカ人夫婦と知り合いになりました。ご夫婦のお嬢さんは数年前に大阪の高等学校で学ばれたよう です。その奥様からイラクの核兵器について聞かれました。その時に私はいま世界でもっとも危険な兵器はアメリカが持っているたくさんの核兵器であると答え ました。しかも、アメリカはこの兵器を使った世界でただ一つの国です。この方からまたフセイン大統領をどう思うかと尋ねられました。私はフセインはイラク の大統領であって、アメリカ合衆国の大統領ではないと答えました。

フセイン大統領は確かに問題のある大統領のようです。しかし、問題のある大統領や首相は他にもいます。私はブッシュ大統領も問題のある大統領であると 思っています。アメリカ国民の中にも未だにブッシュ大統領は投票結果をねじ曲げクーデターによって大統領になったと主張している人がいます。しかし、私は ブッシュ大統領の退陣やましてやアメリカからの退去などは求めません。それはアメリカ国民が決めることです。フセイン大統領の運命を決めるのはイラク国民 です。

ブッシュ大統領はヒトラーを引き合いにだし、宥和政策が第二次大戦をもたらしたのであるから今のうちにフセインを叩き潰しておかなければならないと言っ ています。しかし、今、世界制覇を唱えているのはだれでしょうか。フセイン大統領でしょうか、ブッシュ大統領でしょうか。

アメリカは21世紀の地球秩序をアメリカ主導で力によって作り出そうとしています。そのためにアメリカではこの1年間に本土安全保障省の設置をはじめと して急速に戦時体制が敷かれてきました。戦争に反対する人は愛国者ではないと非難されています。ここでも国家総動員法の制定から真珠湾への道が二重写しに なります。

アメリカはイラクにさまざまな兵器を廃棄させ、大量破壊兵器が無くなれば戦争はないと言いながら、まだ残っていると言って戦争を始めたのでした。これで はだまし討ちではありませんか。近代兵器を駆使し、丸裸同然のイラクを叩くのですから戦場で勝つのは当然でしょう。しかし、アメリカは道徳的には負けてい ます。アメリカには大義がないからです。

ブッシュ大統領はアメリカの歴史上初めて先制攻撃をしました。これまでも小競り合いを利用して戦争を始めたことはありますが、今回のようなことはなかっ たのです。しかも、アメリカは独立革命以来の盟友であったフランスの支持を失いました。ブッシュ大統領はフランス、ドイツ、ロシア、中国などヨーロッパ大 陸からユーラシア大陸、アジア大陸の主要な国の反対をうけています。戦争開始の段階で国の内外にこれほど大きな反対をうけている国は最後には敗北するで しょう。

日本はアジアでただ一つ積極的にアメリカを支持することを表明した国です。小泉さんにはもう首相を止めてもらわなければなりません。口でいかに平和を唱 えても戦争を積極的に支援する小泉さんを支持する人は戦争を支持する人です。真に平和を求める人は今こそ毅然として平和の側に立つべきです。ここで小泉内 閣が潰れ日本国の首相が代われば今回の戦争の過程も変わりますし、21世紀の地球の歴史が変わります。

私は確信を持って平和の側に立ちます。