コラム・論考

子どもから教わること

その他 (2005年6月25日 16時53分)

投稿者:長谷川薫

2年程まえに、娘が通う小学校で3年生の「総合的学習(国際理解)」の時間をいただいたことがあります。知り合ったばかりのカザフ人女性をゲストに 招き、3コマ分の授業を担当していただきました。彼女は日本人と結婚して、来日数年。カザフ大学在学中にソ連が崩壊し、経済的・政治的混乱の中、大学生活 にも就職にも相当難義したという30代前半の方です。

昨今のサッカー人気のおかげで、「カザフスタン」の名前は多くの男の子たちが知っていましたが、何せ「ソ連」を知らない世代。事前準備には、相当悩まされました。簡単な地理・自然・学校制度・食生活などなど、9歳の子どもたちの興味をひきそうな内容に絞りました。

ビジュアルなものに目がいくのは当然ですが、意外だったのは、歴史、とりわけ冷戦時の話しに皆興味津々だったことです。「ソ連の時代は、日本とカザフの 間の行き来はあまり許されていませんでした。普通の人は全然行けませんでした。ソ連とアメリカはあまり仲がよくなくて、日本はアメリカと仲がよかったか ら。でも、今は自由に行けるようになりました。」との説明に聞き入っていました。

子どもたちからは「仲が悪かったのに、ソ連とアメリカが戦争をしなかったのはなぜですか?」との質問が出され、講師は言葉を選びつつ「それは、戦争がおきないように、粘り強く話し合いをしたからです。」と答えていました。 実感のこもった話しは心に残るのか、授業後の感想文の中に、「戦争が起きなくてよかった」と書く子が何人もいたそうです。

毎日のように戦場がテレビに写しだされている時代にあって、その異常に麻痺することなく、とにかく戦争は嫌だ!という子どもたちは正直だし、本当に健全だと思います。

何かと議論の多い「総合的学習」の時間。労多いことと思うのですが、失くしてしまっては「もったいない」限りです。大人(先生)の側にもきっと思わぬ収穫がありますよ。

タイから垣間見た「東アジア共同体」

高橋 勝幸 (2005年6月25日 16時50分)

中国の反日デモを契機に、民間の間からも東アジア共同体の必要性を唱える声が高まった。2005年12月にはマレーシアで初めて東アジアサミットが開かれる。私の身近でも早稲田大学の天児慧さんがAHC(Asian Human Community)を発足させ、この原稿は6月18日に行なわれた第3回準備会の私の発言をまとめたものである。

私は、東アジア共同体について、この5月に複数のタイ人に意見を聞いた。チュラーロンコーン大学アジア研究所研究員、AP通信記者、雑誌編集長、NGO活動家(Focus on the Global South)、大学生らである。これはあくまでごく一部の意見であり、政府関係者にも聞いていないので、一般化することはできないが、概して、東アジア共同体の構想には消極的であった。

彼らの意見を集約すると、アセアンですらうまく機能していないのに、東アジア共同体は一層複雑で大きすぎるという。共同体というには日本とタイは距離が遠い。確かに、在留日本人、日本の商品、アニメ、ポップスは巷にあふれている。しかし、同じコミュニティを形成するには違和感がある。

アセアンは外見からは、アジアにおいて稀有の共同体のように映るかもしれない。しかし、実態も実感もないという。会議で確実に決議されることは、次、いつ、どこで会議を開催するかである。強いて言えば、査証なしで移動ができること。確かに、入国手続きのアセアン国籍専用レーンが空いているのが羨ましい。

そもそもタイ人は隣国を知らなさ過ぎるという(日本もさして変わらないかも知れないが)。隣国に対する関心が低い。タマサート大学に東南アジア研究プログラムができたのは2000年である。学部レベルでタイ語で教える。チュラーロンコーン大学に同プログラムができたのはその後で、修士課程のみで英語コースである。現行のホームページの案内は、アセアンが取り組む東アジア共同体形成のダイナミズムを東南アジア研究の重要性として強調している。学生は半分がタイ人で、インドシナ3国、ビルマ、シンガポールの学生も学んでいる。

中国の反日デモに関連して、私が思い出したのは、千人におよぶカンボジア人が2003年1月29日にカンボジアのタイ大使館前で、抗議デモを行なったことである。このデモはエスカレートして、タイの大使館、企業、ホテル、レストランが焼き討ちされた。事の発端は、カンボジアでも人気のあったタイ人女優が「アンコール・ワットはタイのもの」と発言したとカンボジアの新聞が報道し、その年の7月の選挙対策として、反ヴェトナム感情に訴えられないフン=センが反タイ感情に訴えかける演説をしたことである。当時のタイ側の新聞には、タイ人ビジネス関係者がカンボジアで我が物顔に振る舞っていたとの反省があり、1970年代の日本の東南アジア進出を想起し、日本の福田ドクトリンに学べといった論調も見られた。

焼き討ちの前日の晩から当日の未明まで、私はタイの首相府前で寝そべっていた。東北タイを流れるメコン河支流のパクムンダムの開門を要求する貧民会議(サマッチャー・コンヂョン)の長期泊り込みによる抗議行動に参加していた。当日には当局が強制退去させることになっていた。ところがこの事件である。強制立ち退きのニュースはカンボジアのニュースに掻き消されてしまった。数日後、首相府前に行くと、ダムに抗議する者はいなかったが、カンボジアの2州(アンコール・ワットを含む旧タイ領)はタイに帰属するというタイ字紙の論説のコピーを配布する活動家に出会った。

タイは国境を接するカンボジア、ラオス、ビルマ、マレーシアとそれぞれ問題を抱えている。ヴェトナム戦争(タイのアメリカ協力)以外にも、ナショナリズムに由来する歴史認識の問題がある。メコン河開発をめぐって、中国を含む流域国の利害関係がある。FTA導入と健全な国民経済の保護をめぐる葛藤がある。これらの問題が認識されており、その解決のためにも、東アジア共同体の構想が寄与する可能性もあるのではないかと、私は思った。

東アジア共同体の引き合いに出されるのがEUだが、その憲法条約にフランス市民の55%が反対し、大差で不支持を表明した。私などは新聞を読んで悲観的な気持ちになった。しかし、タイのNGO活動家が紹介してくれたATTAC Japan (Association for the Taxation of financial Transactions for the Aid of Citizens) によると、この「ノー」の意味は、政府間が進めるアメリカ流のグローバリズムと新自由主義の暴走を食い止めようとするもうひとつのグローバリズムの動きであった。

「日本がリーダーシップをとる東アジア共同体をどう思う?」と尋ねたところ、タマサート大学東南アジア研究プログラムの卒業1期生は「冗談じゃない。アセアン+3だ。」と答えた。戦後60年の今年、8月16日(タイの平和の日)には、バンコクの自由タイ(抗日運動)公園(昨年、自由タイ博物館がオープン)において盛大な平和祝賀行事が催される。「大東亜共栄圏」と同じ轍を踏まないように、誰のための、何のための「東アジア共同体」なのか、日本人はよくよく考える必要があると思った。

・・・かかしの願い事・・・

その他 (2005年6月24日 16時58分)

投稿者:かかし

もしも歩いて行けたなら、覗いて見たい場所がある。

碧い海、そのまた向こうに島がある
満ち潮どきはどんなかな
沖の鳥岩、そのてっぺん

断層の、その上に立つ、防災の、
基地があるそな立川に
司令室ってどんなかな

小泉さん、靖国参拝やめなさい
そう言う総裁次期候補
ほんとの気持ちはどんなかな

二酔人四方山問答(4)

岩木 秀樹 (2005年6月23日 17時00分)

B:イスラーム教徒が、アメリカの対中東政策を否定的に見る理由が少しわかったよ。それにしても「イスラエル・パレスチナ問題」がアメリカ敵視への大きな要因になっているとは。

A:実はアメリカとイスラエルは、国家の誕生に関してどちらも似通った点をもっているんだ。それはどちらも先住民を排除した移住植民国家という点だ。

B:そう言われてみればそうだ。

A:まあ多くの国で先住民を排除した例はあるし、日本だって似たり寄ったりだけど。

B:でもユダヤ人がナチスによって虐殺されるなど、多くの悲惨な歴史をもっていて、自分たちの国家を作りたかったということを歴史で習った。

A:それは一面合っているけれど、自分たちのやられたことを今度は他者に向けてやっているという人がいるのも事実だ。

B:そーか、なるほど。なんか「ユダヤ問題」って大変だなー。

A:実は、「ユダヤ問題」は「ヨーロッパ問題」なんだ。中東イスラームにおいては、過去も現在もヨーロッパほどユダヤ差別は存在しなかった。そのヨーロッパにおける「ユダヤ問題」を中東に移植したのが、現在の「イスラエル・パレスチナ問題」だ。

B:そうそう、前から気になっていたんだけど、君はマスメディアで言われている「パレスチナ問題」という言葉を使わずに、「イスラエル・パレスチナ問題」というややこしい名前を使っているけれど、何でなの。

A:簡単に言えば、パレスチナが問題ではないから。むしろイスラエルの存在やその政策の方がより問題であると考えているので、イスラエルを先におい て、「イスラエル・パレスチナ問題」としたんだ。研究する上では当該の問題をどう名付けるかって言うことは非常に重要なんだ。その問題の性格を概念規定す るのは、研究する者として死活問題だと教えられた。

B:大変だねー。そんな細かいことまで気にするんだ。僕なんかみんなが言っていることをすぐ鵜呑みにするけど。

A:やはり言葉は正確に使わなければいけないと思う。不正確さが時には差別やステレオタイプから発していることもあるよ。例えば今回の「ユダヤ問題」に限ってもいくつかある。まず「ユダヤ人」という言い方は不正確だ。「ユダヤ教徒」といった方がいい。「ユダヤ教徒」には肌の色が異なる色々な民族が 存在するし、理念的には誰もが「ユダヤ教徒」になれる。ただキリスト教やイスラームに比べれば、「民族宗教」的要素が強いのも事実だけど。他にも、ユダヤ教徒の啓典を旧い契約である「旧約聖書」、キリスト教徒のそれを新しい契約「新約聖書」とするのも、キリスト教徒からの見方で、一種のユダヤ蔑視だ。

B:でもどの宗教も他の宗教に関しては、多かれ少なかれ蔑視感情ってあると思うけど。 ただそれが大規模な抑圧や虐殺になるのは問題だと思う。

A:そうだね。さっき、「ユダヤ問題」は「ヨーロッパ問題」だと言ったけれど、それを象徴する年が1492年だ。

B:コロンブスがアメリカに到達した年でしょ。

A:そう。同時にイベリア半島からイスラーム教徒が追い出された年、つまりレコンキスタ(国土回復)が完成した年でもあるんだ。ちなみにレコンキスタという名もヨーロッパ的な言い方で、未来の歴史家によって名前が変わるかもしれないよ。

B:何でそれが重要な年なの。

A:レコンキスタによってイスラーム教徒は追い出されたけれど、ユダヤ人もヨーロッパからオスマン帝国などに逃れてきたんだ。なぜか。ヨーロッパにいると迫害を受けるから。 だからこの1492年という年は、「アメリカの発見」という外なる植民地主義の始まりを告げる年でもあり、「イスラーム教徒・ユダヤ教徒排除」という内なるヨーロッパ化の始まりを告げる年でもあったんだ。

「世論調査」について

今井 康英 (2005年6月22日 17時02分)

前回のコラムの最後で、世論調査の結果あるいは信頼性について、 不穏当な記述をしましたので、今回はこれについて述べます。 (勿論、あの記述は私の個人的な感想を書いたもので、世論調査の データが捏造されたものであるとか、言うつもりはありません。)

最近の小泉内閣の支持率については、下記の通りです。 共同通信(6月20日)によると「支持率は46・5%、不支持は37・7%」 日経新聞(6月20日)によると「支持率は48%、不支持は39%」 毎日新聞(6月19日)によると「支持率は41%、不支持率は38%」 時事通信(6月17日)によると「支持率は40.4%、不支持率は38.5%」 読売新聞(6月14日)によると「支持率は47・3%、不支持率は40・0%」 朝日新聞(5月31日)によると「支持率は45%」 上記のように、支持率は40~48%、不支持率は38~40%である。 世論調査の結果からは、小泉総理を国民の半数近くが支持している と言っても間違いではない。一方、国民の4割弱は不支持を表明している。

また、小泉総理の靖国参拝については、下記の通りです。 共同通信(6月20日)によると「断行論が31・7% 見送り論は59・4%」 日経新聞(6月20日)によると「賛成」(38%) 「反対」(42%) 毎日新聞(6月19日)によると「賛成」41% 「反対」50% 朝日新聞(5月31日)によると「続けた方がよい」39% 「やめた方がよい」4 9% 上記のように、賛成は31~41%、反対は42~59%である。 最近の世論調査の結果からは、国民のほぼ半数が反対していると言える。 なお、各社の小泉内閣支持率と比べて、参拝賛成率は0~15ポイント程低い。 単純に言えば、小泉内閣を支持している人も、参拝には反対している と言うことだ。私はこの世論調査の結果を歓迎します。

実は私も、小泉内閣を支持せず、参拝にも反対する国民の一人です。 私は永年、地元の地方紙「下野新聞」を購読している。 つい先日、1面のコラム(「雷鳴抄」2005年6月16日)に「小泉問題」が 堂々と掲載された。 私のブログでは「よくぞ書いた よくぞ載せた」として、これを評価した。 21日27面の社説(「論説」)には「首相、靖国参拝中止すべき」が掲載された。 私は、このような社説を掲げる地方紙であるからこそ、購読したいと思う。

前回も書いたことであるが、(かつては今以上に大変であったが) 今でも「戦時下」において、首相の靖国参拝に反対することは 並大抵のことではない! 本来、御迷惑をおかけした中国や韓国の人々に言われるまでもなく、 国民の世論として、中止させるべきだと私も思います。 (靖国参拝を公約とする人物を、総理あるいは知事にしたこと自体が、 そもそもの間違いであったと私は思っています。)

深沢家土蔵を訪ねて

遠藤 美純 (2005年6月22日 0時00分)

深沢家土蔵

先月、あきる野市にある深沢家屋敷跡の土蔵を訪ねた。かの五日市憲法草案が発見された土蔵だ。以前より一度訪ねてみたいと思っていた場所だが、憲法をめぐってより具体的な議論がされるようになった今になってようやく足を運んでみた。

JR 武蔵五日市駅前の通りを上り方向に進み、最初の交差点を左折する。あとは一本道。普通な住宅地を抜け、あとはひたすらその道を数キロ進む。深沢家屋敷跡はその道の途中、こんなところにというような場所にある。門をくぐって、坂を登ると目当ての土蔵だ。

五日市憲法草案が、色川大吉氏のチームによって、この土蔵から発見されたのは 1968 年のこと。その優れて民主的な内容や、それが多摩の山村で作成されたことについては、同氏らの業績によって既に良く知られている。また憲法草案発見の経緯や、憲法草案の起草者である千葉卓三郎については、当時の色川研究室の一員として調査に参加した江井秀雄氏の著作『自由民権に輝いた青春 ―卓三郎・自由を求めてのたたかい』に詳しい。

この五日市憲法草案の特色は、人権の尊重とその具体的な規定にある。お上が臣民にこうするべしなどというものではなく、「私たち」が国家にこうすべしと命ずるものだ。その底流にあるものは国家権力への不信と、それへの抵抗の精神である。大日本帝国憲法を作った人々と五日市憲法草案を作った人々の差は、一つには権力との距離、もっとはっきり言えば殴る側と殴られる側の違いであろう。21世紀にあって日本国憲法について考える今の自分がどちらの側にいるのか、ふと考えてみたりする。

なお、この憲法草案が作成されたころ、この地は我が研究所が現在その活動の中心をおいている神奈川県に属していた。ただ、憲法起草者の千葉卓三郎 は、自らの住所を「自由権下、不羈郡浩然気村貴重番智」と称していた。その烈々たる気概、こじつけながらも同じ神奈川の地より「地球宇宙」を冠する我が研究所にも、相通じるものがあるのかもしれない。

・・・かかしの独り言・・・

その他 (2005年6月21日 17時04分)

投稿者:かかし

もしも話が出来たなら、一度言いたいことがある。

もしもあの時、小泉さん。
訪中できても行ったかな、遠いお国の北朝鮮。

個人の立場で参拝を、したというなら、小泉さん。
個人で訪中したらいい。

痛みを分かち合うと言う。
感じぬ痛みは分けられない。

クールビズは、ハァ涼しい。
こっちはビズが冷え冷えです。

民営で結局得する人がいる。
わたし幸せになれますか?

修学旅行と平和学習

近藤 泉 (2005年6月20日 17時06分)

◆娘が修学旅行から帰ってきました。

私の頃と同じ、奈良、京都でした。 ただ違うのは、3日のうち2日が班別の自由行動ということです。事前に行きたいお寺、拝観料、交通手段、所要時間、交通費などを自分達で調べ、初めて訪ね る宿舎に時間通りに辿り着くよう経路を組み立てます。最終日は、貸切タクシーで縦横無尽に世界遺産の古都を巡り、お昼ご飯は運転手さんお勧めの美味しいお 店でということで、「親が行きたい~」の声もしきり。帰りの新幹線に乗り遅れる事を考えれば、値が張ってもタクシーほど確実な物はないとのことで、先生も 考えたものだなと感心。

そんな魅力的な修学旅行に、我が家の歴史大好き乙女は、胸いっぱいの感動ときらきらした思い出を持って帰ってくれました。「修学」にふさわしく、東洋思想の深淵に触れますます歴史がおもしろくなったようです。

こんな彼女ですが、実は始めは修学旅行に失望していました。

◆「広島に行けないなんて修学旅行の意味が全くない」と言うのです。

数年前から、ここの中学校では広島と奈良・京都を訪ねていました。事前に被爆者や戦争経験者の方々を学校にお招きして、各クラスで2時間お話を聴き 感想をまとめます。1年かけて平和学習をしっかりし、千羽鶴を折りました。広島では被爆された方が体験を語り、原爆ドームなどを案内して下さるのを一生懸 命伺いました。貞子さんの像に千羽鶴を捧げ、歌に乗せて平和を護る決意を噛み締めました。よくぞ2泊3日で広島まで連れて行って下さったと思います。

今年がヒロシマ60周年であり、その大切な年に修学旅行に行けるものと、娘は中1の頃から心待ちにしていました。しかし、今回から広島行きがなくなり、彼女は深く失望しました。

都立高校では不況で親の収入が減り修学旅行に行かれない生徒が増えたので、教育委員会で定める修学旅行の上限金額を下げ、みんなが行かれるようにし た、と聞きました。経済的に厳しい家庭が増え予算を見直さなくてはならない現実、広島行きがなくなったのもこの理由かと推測するばかりです。多くの都立高 校で取り組んで来た沖縄へ行っての平和学習も、もう出来なくなるのでしょう。

◆そして、総合的な学習の時間にやっていた平和学習までなくなりました。

修学旅行の事前学習の必要がなくなったからだそうです。貴重な戦争体験を聴くことの出来たあの素晴らしい生きた平和学習は何だったのでしょうか。中学校の、こんなご近所に被爆された方がいるというのに。

先生方の意識が変わってきたためとは思いたくないです、、、。

外国語があなたを変えていく(2)

浪木 明 (2005年6月19日 17時07分)

今回は、「時間管理」について触れたいと思います。小学校時代に夏休み前の計画表(もしくは日課表)を作った経験をお持ちの方は多いでしょう。今振り返ると、私は「計画を立てる ことが大好き」でした。いくつものパターンの日課を考えるだけで楽しくて仕方がなかったものです。

特に旅に出る時は、各種交通機関の時刻表や地図、ガイドブックを広げ、あたかも実際に旅をしているかのような錯覚に落ち、気がつけば夜が明けていたこともしばしばでした。

日常生活においても、電車の何両目のどの位置に立てば、次の乗り換えがスムーズに運ぶかを常に考えてしまいます。スーパーに買い物に行けば、どの売り場からスタートし、所要時間 と予算を正確に計算できるようになっています。

実はこのことが仕事では、「スケジュール管理能力」として発揮されるのです。スケジュールの管理ミスは「時間の無駄」となります。私は現在18人 の生徒たちに英語の個別指導をしておりますが、生徒各々が使っている教材やクラブ活動、他の習い事などが異なります。しかし個々の「スケジュール管理」を 徹底しているため、授業時間設定ミスはほとんどなく、無駄な時間がなくなるのです。

外国語学習において、「時間の確保」は絶対必要条件となります。そのため学習習慣が身に付かない悩みを持つ生徒には、「マイライフノート」をつけ させます。これは、週間単位で毎日の(1)起床時刻、(2)学習時間数(1時間ではなく60分と、分単位で記入)、(3)就寝時刻、(4)その日の気分ベ クトル(上昇・水平・下降)を矢印で記入してもらいます。寝る直前の数分でできる作業で す。

このノートを一ヶ月続けると、自分の生活習慣の傾向性が見えてきます。「朝型か夜型か?」「何曜日が調子が良いか?」などです。私はこのデータを 参考に、単に「英語頑張りなさい!」というような抽象的なアドバイスではなく、あたかもスポーツコーチのように具体的な目標達成メニューを考案することが 可能となるのです。

そして、目標が達成できなければ、生徒を叱るのではなく、新しいメニューを作り直し、あくまで指導する側の自分がもっと魅力ある授業ができるよう 工夫するのです。偏差値については、高校卒業と同時に消えて無くなる体温計のようなものと考え、結局のところ、「英語を使って仕事が出来、食べられるよう になる」ことを一つのゴールと捉えています。

大切なことは、始めは誰かに管理されても、いつかは自分で自分を管理できるようになることです。これが実現すれば、外国語はあなたを変えていくはずです。

次回は、「美容と長寿」を取り上げます。

ビジネス社会の「人間観」

わたなべ ひろし (2005年6月18日 17時25分)

今年の2月、初めて「管理職研修」なるものを業務命令で受講した。主催はビジネスマン教育で有名なSN大学である。研修内容はともかく、講師であるコンサルタントの先生が合間あいまに開陳するコメントが僕などにはとてもおもしろかった。

例えばこんなふうである。

「自分の周囲で起こっていることは、どんなささいなことでもその全てが自分に対する問いかけだと思った方が良い。その問いかけに答えていくことが人生というものです。」

「自分の主体性こそが、最良の問題解決のための方法です。」

「マネージメントとは、他者との信頼関係を結ぶ能力のことです。そして他者との信頼関係を結びたいと思ったら、まず自分自身を徹底的に見つめなおしてみることが必要です。自分自身を真に分かっていない人に、他人との信頼関係は築けません。」

講師によるこれらの「人生哲学」を聞き、根がこういうものを嫌いではない自分などは「ビジネスマン研修恐るべし」とすっかり感心してそのときは帰ってきた。

最近仕事の関係で、いわゆるビジネス書やビジネス雑誌と言われるものにまとめて目を通す機会があった。そこで僕の目に入ってきたのは、「自己実現」 やら「主体性の創造」やら「自身の存在意義」といった、それこそひと昔前なら左翼雑誌(古いねどうも)でお見受けするような大量の言葉たちであった。その とき僕は思った。これはビジネス社会における「人間観」の表出なのではないか、こういうものを提示して常にビジネスマン=労働者たちに自分の仕事の意味や 生き方を説き、与えていかなければ、現在のビジネス社会=資本主義そのものが立ち行かなくなってしまうからこういうものが大量に氾濫しているのではない か、と。

それはこういうことである。よく「自分探し」などといわれるが、高度資本主義社会というものの特徴のひとつは、「仕事と人生の意味づけへの執拗な問 いかけ」の一般化だと僕は考えている。この社会に属する多くの人たちは、自分の人生にとって仕事はどのような意味があるのか、自分の「アイデンティティ」 の確立を可能にするような仕事とは何か、ということを、切実に考えながら日々を過ごしている(かくいう僕もその一人である)。そして現状の資本主義社会が 高度の情報化、サービス産業化、知識社会化に依拠していることと、それは密接に関連していると思う。このような社会では、自分が日々行っていることが、果 たしてどれ程「仕事」の体をなしているのかおよそおぼつかなく感じてしまうからである。

そしてビジネス雑誌やビジネス書などで展開されている「人間観」などは、この高度資本主義社会において悩み多きビジネスマン=労働者たちに対する資本の側 からの回答であり、メンテナンスの一環なのである。ストレスの少ない鶏や豚の肉は美味しいとか言うが、まさにそれだ。そう考えれば、僕が受講した管理職研 修なども、そのときは「なかなか言うことが深いなぁ」と感心させられたのであるが、深いのも当たり前の話で、まさにそこは現在のビジネス社会=資本主義に とっては、自己の存続をかけた最前線であったというわけである。

考えてみればこのような「仕事と人生の問い」に対して、例えば資本主義を批判する側である労働組合などは、訴求力のある魅力的な「人間観」を打ち出 せていないのではないだろうか。そしてそこに労働運動の現状の衰退をもたらした一因があるのではないか。 さらにこのことは平和や護憲を訴える私たちの主張や運動にも言えることだと思う。いかなる「人間観」に基づいて平和や護憲を訴えているのか、そしてそのこ とが各個人の具体的な幸福や生きがいとどのように結びついてくるのか、こういう問いに答えられる、というかそもそもこういう問いから始めている平和論や護 憲運動が果たしてどれほどあるのだろうか。

平和学と言っても、それはいかなる「人間観」を提示することができるのかということに尽きると僕は確信している。

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