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4/10 高円寺反原発デモに参加して

植木 竜司

4月10日、東京都杉並区高円寺にて行われた反原発デモに行ってきました。

私はもう少し早く生まれていれば、絶対学生運動に参加していたタイプだと思うんですが、実際このような集会&デモへの参加は初めてでした。

14時前に高円寺中央公園に行ったところ、もうすでにたくさんの人がいました。警察もたくさんいました。14時より集会が始まり、主催者挨拶や、アピールが行われました。そのなかには、雨宮処凛さんや鈴木邦男さんもいました。また反・反原発の人の話もありました。鈴木邦男さんの「人は、右翼、左翼にわかれるんじゃない。話し合いができる人、できない人にわかれるんだ。」(趣旨)という発言が印象的でした。その後、バンドによる演奏があり、デモとなりました。

参加している人たちは、20代・30代が多かったです。子ども連れや、外国人と思われる方も結構いました。主催者発表は1万5千人とのこと。本当にそんなにいたかは怪しいですが、それにしてもすごい人数でした。

私の個人的な印象としては、デモ自体、節度あるというか、まったりした感じでした(デモ隊自体非常に長く、私が見たのはほんの一部ですので、そうではないところもあったかもしれません)。

私は2~3百メートルだけ参加し、途中から脇に外れて、デモを見ることにしました。みんな思い思いのプラカードを持ったり、仮装などをしていて面白かったです。プラカードや替え歌、「うまいな〜」と思うのが多かったですね。「もういいかな」と思い途中で帰ったんですが、思いきって足を運んでみてよかったです。

原発についてですが、人口密度が高く、地震が多い日本では危険すぎるものであることは当然であり、こんな廃棄の仕方もわからないものを推進してきた政府や行政、関係企業、学者などの無責任さはひどいと思います。また今回の震災→事故をきっかけに世界中で反対運動が盛り上がっているにも関わらず、渦中の日本でこれだけ盛り上がっていないのは異常な状況だと考えます。何はともあれ、いろいろな細かい考え方の違いは横に置いておいても、今、意思表示をしなければならないだろうと思い、参加しました。

確かに我々の生活は一部原発に依存していますが、それはどこかの国の借金漬けの国家予算のようなものです。最初から収入におさまる範囲で支出を考えなくてはいけないのに、日本は発電範囲を越える社会/経済システムを作ってしまった、そのことに問題があります。原発は国債と同じです。今いる我々はもちろん、未来の世代まで背負わなければならない負債です。事故が起こらなくても原発は、運転・メンテ・廃棄・閉鎖などすべての行程で、作業者の生命を重大な危険にさらし、近隣の人々の生命を重大な危険にさらします。つまり「人の不幸」の上に成り立つシステムということになります。そのため、原発は「あってはならない発電方法」なのであり、最初から選択肢から外すべきなのです。

反原発のなかにも、明日にでもすべての原発を止めるのか、徐々に移行して全廃に持っていくのかという議論もありますが、いずれにしろ代替の電力供給/需要体制とともに、社会システム/経済システムも考えていかねばならないと思います。

私は太陽光発電やスマートグリッドに興味があり、資料を集めたりしているのですが、今回のことをきっかけに、もっともっと自分自身勉強し、考えていきたいと思いました。

ネパール情勢III:新首相誕生とカトリック教会爆弾爆発事件

植木 竜司

ネパール制憲議会 (定員601議席) は5月23日,新しい首相にネパール共産党統一マルクス・レーニン主義 (以下,UML) のマダブ・クマール・ネパール氏を選出しました。これで5月4日にネパール共産党マオイスト (以下,マオイスト) のプラチャンダ氏が首相辞任を表明して以来難航していた首相選びに,一応の決着を見ることとなりました。

今回の首相選出選挙では候補者は制憲議会22政党が推すネパール氏のみで,他には立候補者はいませんでした。議会第一党であるマオイスト (229議席),ネパール共産党統一派 (2議席),ネパール・ジャナタ・ダル (2議席)の3党は選挙をボイコットしました。

首相選出までは3週間弱の時間がかかりましたが,プラチャンダ氏辞任の数日後にはネパール氏を軸に調整が進められておりました。ネパール氏は議会第三党 (108議席) であるUMLの元総書記。第二党であるネパール・コングレス党(以下,コングレス,115議席) は候補者を出さないで,早々にネパール氏を首相とする連立政権樹立に向けて動いていました。焦点であった議会第四政党のマデシ人権フォーラム (54議席) はコングレス+UMLを中心とする連立政権に参加するか,自党で首相候補を立てるかで党を二分する論争が行われましたが,ネパール氏を首相とする連立政権に参加するという結論を出し,今回のネパール首相選出となりました。

名字が国名と同じ「ネパール (Nepal)」であるマダブ・クマール・ネパール氏は56歳。1993年よりUMLの総書記を務め,1994年11月の総選挙後に発足したUML単独政権では副首相のポストにつきました(約9ヶ月で政権崩壊)。このUML政権で首相だったマン・モハン・アディカリ党首が1999年4月に死去すると,党を指導するようになりました。昨年行われた制憲議会選挙では,立候補した二つの選挙区(制憲議会選挙では複数の選挙区からの立候補が認められていた)で敗退し,UML自体も議会第一党を期待されていたのにもかかわらず,結果は第三党と「敗北」を喫したため総書記を辞任しました。その後プラチャンダ氏が憲法委員会の委員長にネパール氏を推薦し,UMLの議員を一人辞任させてやっと議席を得ることが出来た人物です。

UMLはその立派な党名通りマルクス・レーニン主義を党指導原理とする共産主義政党ですが,1990年民主化以降議会で妥協を続け,明確な党方針を打ち出せなかったこともあり,現在では多くのネパール国民は「コミュニスト」と言えば「マオイスト」を連想し、UMLを連想する人はほとんどいない」状況です(ネパール情勢 III:〈インタビュー〉ネパール制憲議会選挙の結果と今後の見通し, 2008年5月2日)。しかし事実として連邦民主共和国となったネパールにおいて,初代に続き二代連続で首相に共産主義政党の人物が就いたことになります。

ネパールの共産主義運動が形成されたのは1947年のことであり,1949年9月15日にネパール共産党(CPN)となってカルカッタにて設立されました。王制に対する態度,中ソ対立,中国四人組失脚,国内民主化運動等を契機に分裂と統合を繰り返しました。現在ネパールには共産党が「乱立」しており,きれいに分類することはできませんが,大雑把にいって,親ソ・王制容認の態度を取っていた人びとがUMLの流れ,親中・四人組支持 (新中国のリーダーシップを認めず)・王制打倒の態度を取ってきた人々の流れがマオイストとなっています。

ネパールでは土曜日が日本でいう日曜日にあたりますが,新首相が選出された5月23日土曜日,休日であったこの日の朝,ネパール時間の9時15分ごろ,首都カトマンドゥ市に隣接するラリトプール市ドビガートにあるカトマンドゥ盆地最大規模のカトリックChurch of Assumptionで爆弾が爆発し,インド人の女子高校生1人を含む2人が死亡し,14人 (報道により13-15人) の負傷者がでるという事件が起きました。現場にはネパール・ディフェンス・アーミー(Nepal Defence Army)というグループの,ネパールのヒンドゥー国家化,サンスクリット語教育の中学までの義務化,ヒンドゥー教の祭りの日の祝日化などの要求が書かれたパンフレットが見つかっております。

ネパール・ディフェンス・アーミーはネパールでもあまり知られていないグループですが,昨年起きた東ネパールのダランでカトリック神父殺害や,同じく東ネパールのビラトナガルでのイスラム・モスク襲撃が疑われている団体です。退役軍人・警察やマオイストの犠牲者がメンバーとなっているといわれていますが,規模は不明です。

ネパールでは,国民の約80%がヒンドゥー教徒で,イスラム教徒は約4%, キリスト教徒は約0.5%といわれております。1990年憲法では四条一項で「ネパールは,ヒンズー的および立憲君主制的王国である。」と規定されており,世界唯一のヒンドゥー教が国教の国といわれておりました。それがマオイストと主要政党が協力してギャネンドラ国王の直接統治体制を崩壊させた「四月革命」と呼ばれる2006年4月の運動後,5月18日に下院議会で可決された「下院宣言2006」ではヒンドゥー教国であることをやめ「世俗国家」になることを宣言し,マオイストが当初より要求していた「世俗国家化」が実現することになりました。

過去には,2004年8月にイラクで人質に取られていたネパール人12人が「アンサール・アルスンナ」と名乗る集団に殺害されるという事件が起き,人質殺害を受けて一部群集が暴徒化し,交差点ではタイヤが燃やされ,交通は妨害,人材派遣会社・報道機関・モスク・中東の航空会社経営所などに対し投石や破壊等の暴力行為が行われ,エジプト大使館に群集が乱入しようとしたため警備員が発砲,一人が死亡,カトマンドゥ市中心部のラトナパークでも死傷者がでるという事件が起きたことがありました。このカトマンドゥでの暴動は「この国で初めての深刻なコミュナルな暴力の発生」と報道され,歴史上、民族的・宗教的紛争があまり表面化しなかったネパールにおいてイスラム教徒を標的とした暴動として衝撃を与えました。

現在のネパールは10年続いた内戦が一応終焉しましたが,国内には武器が蔓延し,国自体が軍事化しており,治安機能が充分に働いていないため,小さなきっかけで流血の惨事になる可能性を持っています。失業率も高く社会的不安も大きいため,今回のような“絶対的マイノリティ”を対象とした攻撃が続かないとも限りません。

昨年の制憲議会選挙でのマオイストの勝利は,国民が「変化」を求めていたのと同時に,内戦が続いたネパール社会の「安定」を求めた結果であったと思います。今後,UML,コングレス,マデシ人権フォーラムを中心として組閣が進められますが,議会第一党のマオイストが参加しておらず今後も抗議活動を続けることを表明していること,首相が与党第一党の人物ではないこと,首相自身選挙に勝っていないこと,マデシ人権フォーラムの党内対立が完全に収束していないこと,新憲法制定には全議席の三分の二が必要であることなどから,難しい議会運営になると考えられます。

ネパール情勢II:「軍統合問題」について

植木 竜司

前回の投稿では,プラチャンダ首相の辞任について書きましたが,今回はその原因となった「軍統合問題」についてもう少し詳しく書きたいと思います。

「軍統合」は1996年より約10年続いた内戦のピースプロセスの中の一項目であり,内戦で対立していたふたつの「軍隊」であるネパール国軍とマオイスト・人民解放軍をいかに「処分」するかという問題です。この「統合」に関しては以下の問題点があげられると考えています。

第一に,軍統合をすればある特定の政党(=マオイスト)が特別な影響力を持つ「国軍」ができてしまいます。約10年にもわたる人民戦争,ゲリラ戦を続けてきたマオイストの狙いはここにあるのでしょうが,王制を廃止が実現できたのは,マオイストのみの力ではありません。ギャネンドラ国王の直接統治体制を崩壊させた「四月革命」と呼ばれる2006年4月の運動は,カトマンドゥをはじめとする多くの非マオイストの人びとが参加したことで実現しました。彼らの多くは,マオイストを支持したのではなく「国王独裁」に反対し「民主化」を求めていたのです。その人びとがマオイストの特別な影響下にある「国軍」の存在を受け入れられるでしょうか。

第二に,ネパール人国際弁護士バララム・シュレスタさんも述べられていたことですが(「ネパールの2008年回顧と2009年展望」 IGCP News Letter, No.17.),現在ネパールには南部地域を中心にマオイスト同様の政治的グループがたくさんでてきており,それらのグループは人民解放軍のような武装組織を持っています。軍統合の前例をここで作ってしまうことはそれらグループが拡大したときに再び同様の大きな問題を生むことになってしまいます。

第三に,ネパール国家に大きな影響力を持つ隣国インドが許さないでしょう。今回参謀長解任問題にしても,さまざまなチャンネルからインドの圧力があったと報道されています。国王軍の時代から軍にネパール軍に影響力を持っていたインドとしては,「インド共産党マオイスト」の問題も国内に抱えており,マオイストの強い影響下にある「ネパール国軍」など絶対に認められないはずです。「軍統合」を推し進めれば,インドから強力な干渉や圧力を招くことになり、二国間の関係が急激に悪化することが予想されます。しかしここで一点留意せねばならないことは,インドがネパールの内政に干渉すればするほど,ネパール国内のマオイスト支持者は増えるということです。

以上のことより,これからのネパールの「平和構築」ということかを考えれば,「軍統合」がいい選択とはいえないと思います。

ネパール国軍 (Nepalease Army) は,陸軍のみの志願制で,2009年現在の情報では正規軍兵力6万9000人とされています。ネパール国軍のホームーページには,王制が廃止された現在でも,この軍隊の設立者がプリチビ・ナラヤン・シャハ(昨年王位を剥奪されたギャネンドラ国王の先祖) であることが記載されています。プリチビは「ゴルカ王朝」という地方の一王朝の王から,当時この地域にいくつも存在していた王朝を「征服」して1769年に「国家統一」を果たした「建国の父」とされている人物です。つまり現国軍は一王朝の軍隊を歴史的起源に持つものであり,王室による支配が近年まで続いていたネパールでは(途中,その軍の将軍であったあるラナ一族が支配をしていた時期もあった),「軍改革」はほとんど行われず,ずっと「王様の軍隊」であったといえます。事実,複数政党議会制が導入された際に制定された1990年憲法でも,国軍(Royal Nepal Army)の最高指揮官は国王であると定められており,国王の同意が取れるまで当時の首相は軍をマオイスト対策に展開することは出来ませんでした。また参謀長の人事は「首相の勧告に基づいて国王が任命する」と記載されていたにもかかわらず,国王の意向によって国王に忠誠心の強い人物が参謀長に任命されていました。そのため軍は国王の大きな権力源でした。このようなことから私はRoyal Nepal Armyは「国軍」や「王国軍」ではなく,「国王軍」であったと考えております。2006年11月21日に結ばれた「包括的和平合意」の4.7項には,国軍の民主化等を暫定政府が実施することが書かれていますが,王制廃止後も主要幹部は「改革」は手付かずの状況でした。

マオイストによる非人道的行為は多く指摘されていますが,同様に国王軍も人民戦争中に多くの人びとを殺し,拷問・誘拐等の人権侵害行為を行っていたことが人権NGOなどの調査で明らかになっています。そのため,マオイストは和平合意をし議会政党になったのであるから,人民解放軍は武装解除し解散すべきであるとの意見はわかりますが,マオイストのみが武装組織を解散する,または吸収合併されるというのは戦後の「平和構築」の方法として公平なやり方ではないでしょう。王制が廃止されたのであるから,その国王の権力の源泉であった軍隊もしかるべき「処分」がなされるべきです。人民解放軍が解散するのであれば国軍も解散させ,ネパール国家に軍隊が必要なのかというところから議論を開始すべきです。

南部地域に存在するものを含め,ネパールに存在する「武装組織」について考える際踏まえねばならないことは,この問題はそれら組織に属している人びとの「生活」と「雇用」の問題そのものであるということです。プラチャンダ氏が「軍統合」に向けて今回の参謀長解任問題で強硬な姿勢をとったのも,UNMIN (国連ネパール支援団) に対して人民解放軍の人数を「水増し」して登録させたのも,人民解放軍に属する人びとの生活を保障し,党内の不満を抑える必要があったからです。そのためこの問題を解決するには,それら人びとの雇用の受け皿となる非軍事の第三の組織を編成し,武器を持たなくても生活ができ,政治的プロセスにも参加できる体制を作ることを考えるべきでしょう。国際社会もそのための支援を行っていくべきだと思います。

ネパール情勢: プラチャンダ首相辞任について

植木 竜司

ガネシュ・ヨンザン・タマン駐日ネパール大使は2009年4月18日の講演で,「新国家建設の努力」としてピース・プロセス下での団結の重要性,特に政党間協力を少なくとも10年は続ける必要があることを述べられていました(5月1日「駐日ネパール大使の講演を聞いて」)。

それから2週間あまりたった5月4日,プラチャンダ(プスパ・カマル・ダハル) 首相が国民向けのテレビ演説を行い,辞任を表明しました。

これは陸軍参謀長解任問題に端を発したものでした。

プラチャンダ政権は昨年4月10日の制憲議会選挙の結果を受けて発足したものでした。この選挙では制憲議会601議席のうち,229議席をネパール共産党マオイスト(以下,マオイスト)が獲得し第一党に,第二党は115議席でネパール・コングレス党(以下,コングレス),108議席でネパール共産党統一マルクス・レーニン主義(以下,UML),54議席でマデシ人権フォーラムと続きました。その後5月28日に開かれた制憲議会で,立憲君主制を廃止し連邦共和制に移行することが圧倒的多数で決議されました。君主制廃止に伴い国家元首として大統領を新設,制憲議会で大統領選挙が行われましたがマオイストは多数派工作に失敗し,7月21日に決選投票で議会第二政党コングレスの幹部ラム・バラン・ヤダブ氏が選出されました。8月15日,制憲議会は今度はマオイストのプラチャンダ書記長を首相に選出し,マオイスト,UML,マデシ人権フォーラムによる連立政権が発足しました。

制憲議会の目的はもちろん新憲法の制定であり新国家の形作りなわけですが,和平プロセス開始時より最も難しい問題とされてきたのが,人民戦争で交戦をしていた国軍とマオイストの人民解放軍の「統合問題」でした。

マオイストは1996年に武装蜂起し約10年にわたるゲリラ戦を行ってきたのですが,その軍事組織が人民解放軍です。2001年8月マオイストの軍隊として正式に発足,同年11月にはそれまで交戦をさけてきた国軍に攻撃を行い,それをきっかけに非常事態宣言,国軍投入となりました。その後2005年9月にマオイストが一方的停戦を宣言するまで断続的に交戦を繰り返していました。2006年,政府とマオイストの間で「包括的和平協定」が調印され,国連ネパール支援団(以下,UNMIN)が両軍の停戦を監視しています。UNMINに登録された人民解放軍の人数は2万人でした。しかしプラチャンダ首相辞任の翌日に“流出した”ビデオでは2008年1月にプラチャンダ氏が人民解放軍メンバーらに対して「人民解放軍の規模は4000-8000人」と明言しております。

今回起きた首相辞任劇は,この人民解放軍を国軍に統合するというマオイストの主張に公然と反対していたネパール国軍制服組のトップ,ルークマングド・カトワル参謀長の人事をめぐって起こりました。プラチャンダ首相は5月3日「新兵採用や軍幹部の人事をめぐりカトワル参謀長が政府の指示に背いた」として参謀長の解任を決めました。しかし連立を組むUMLやマデシ人権フォーラムが政府の決定は,連立政権の合意を欠くものだとして連立政権からの離脱を表明。そしてヤダブ大統領が「解任は憲法違反」としカトワル氏のポスト留任を命令しました。これに対し「大統領の違憲で非民主的」と大統領を批判し,プラチャンダ氏は首相職を辞任しました。

私は今回の問題について,以下の感想を持っています。

第一に,王制を廃止して「セレモニアル」の大統領を新設したにもかかわらず,現大統領は政治に関わり過ぎなのではないかということです。今回の参謀長解任劇においてマオイストは,連立を組むUMLやマデシ人権フォーラムの支持を取り付けないまま解任を強行に進めたことなど,そのプロセスは多分に問題があるものでした。しかし,現憲法下において大統領に今回のような軍人事を決定する権限があったかは,非常に疑問が残るところです。参謀長の「解任権」については現行の暫定憲法には記載がありません。大統領は「セレモニアル」のはずですが,暫定憲法には「軍の最高指揮官(内閣の助言により指揮)」「非常事態の宣言(内閣の助言により宣言)」という,1990年憲法下の国王と“同様”の権限が記載されております。「内閣の助言により」とのことですが,この文言も1990年憲法には記載されており,にもかかわらずギャネンドラ国王は「直接統治」まで行ったわけです。そのため現行憲法の文言にはギャネンドラ国王と“同様”に大統領にも「大権」を発令する可能性が見え隠れしています。

第二に,2006年,当時直接統治を行っていたギャネンドラ国王に抗議し,マオイストと主要7政党によって大規模な「民主化運動(人民運動)」が起き,その結果王制は廃止に追い込まれたわけですが,その時点で「国軍改革」着手まで運動を推し進めるべきであったということです。国軍は実際は政府軍ではなく「国王」軍であったのであり,最高司令官であった国王のみその位を剥奪し,その権力の源泉であった軍隊はそのまま残したことには,疑問を持っていました。マオイストは,「国軍=国王」であり国王の直接統治の源泉は軍であるということを国民に説明し,民主化運動に乗じて「国軍改革」にも着手すべきでした。しかしマオイストは国軍の抵抗やクーデターを恐れたのか,人民解放軍を国軍に統合することしか考えていなかったためか,そこまでは行いませんでした。私は,確かに国軍が抵抗する可能性はゼロではなかったし,国軍が本気で抵抗した場合ネパールが危機的な状況になったであろうとは思いますが,約240年続いた王制を崩壊させた「人民運動」に参加した人々の支持とパワーがあれば,国軍は抵抗できなかったし,「国軍改革」は実現可能であったのではないかと考えています。

ヤダブ大統領は10日午後声明を発表し,憲法に基づき制憲議会に新首相を選出させ,多数派による連立政権を樹立するよう要求しました。新しい連立政権に向けて、UMLが主導する新政権にコングレスが参加することで調整が進められていますが,大統領の「参謀長留任の指示」撤回がなければマオイストは議会の進行を妨害すると見られております。私は,もし新政権が発足しても議会第一党であるマオイスト抜きでは,すぐに行き詰まると思っています。

駐日ネパール大使の講演を聞いて

植木 竜司

2009年4月18日,日本橋公会堂で行われた「=フォーラム= 王政から連邦民主共和国へ  ネパールの現在と未来への展望」というプログラムに行ってきました。このプログラムの主催者は「21世紀国際交流会 (IEA21)」で,IGCPの木村英亮元副理事長が代表理事を務められている団体です。木村さんは,当日の司会・進行をされていました。

大使の講演の前に,麻布大学獣医学部教授で,ネパール国立トリブヴァン大学の客員教授でもある小林好作さんより「私のネパール定点観測: 人々の仕事と暮らし」と題された講演がありました。この講演では,小林さんご自身が撮影された写真のスライド上映を中心に,ネパールの特に農村の人々の暮らし,農業,自然環境の説明がされました。

その後,ネパール特命全権大使 ガネシュ・ヨンザン・タマン (Ganesh Yonjan Tamang) さんの講演となりました。

私は大使と昨年一度食事をご一緒させていただいたことがあり,お会いするのは今回が二度目でした。大使は1959年生まれの50歳で,英国レディン大学大学院で地方社会開発を研究され,2000年には米国リンカーン大学より「社会開発および先住民知識システム」で博士号を授与されており,ネパールでは社会運動家として著名な方です。

大使は,第一にネパールは国名が「王国」から「連邦民主共和国」となったが「連邦」とは何かまだ不明確であり一番の論点となっていること,第二に異なるカースト/民族が存在するネパールでいかにそれらが調和をはかっていくかが一番の課題であること,この2つの問題意識を挙げられ,二部構成で講演をされました。

一部目は “State Restructuring: Indigenous Nationalities/Caste Group Population Composition” と題された,ネパールの民族/カースト的,文化的,言語的多様性についての講演でした。そこではネパールの統計調査をもとに,ネパールに100以上の民族,90以上の言語,13の文字が存在することが述べられ,地理的分布も説明されました。

二部目は “From Unitary and Centralized State to Federal Democratic Republic of Nepal -Present and future prospect-” と題された昨年起きた国家体制の転換と,現在のネパールの課題についての講演でした。一部に続きネパールの概要の説明の後,「政治的発展と現在のシナリオ」「国際関係」「新国家建設の努力」「開発の戦略と優先順位」「国際社会の役割」「まとめ」という順で説明がされました。

「政治的発展と現在のシナリオ」では,ネパールは「人民戦争 (People’s war)」で政治的に多くのことを得たが,払った犠牲(犠牲者約13,000人,行方不明者約21,000人,インフラ破壊,肉体的・精神的被害,軍事化など)も多かったことが述べられました。そして人民戦争の原因として,政府からの排除,社会的・経済的格差,所得・仕事の欠如,保守・革新の二極化を挙げられました。

「新国家建設の努力」では,ピース・プロセス下での団結の重要性,特に政党間協力を大使の考えでは少なくとも10年は続ける必要があること,政府軍(旧国王軍)とマオイストの人民解放軍の統合問題解決,連邦制度の確立,法秩序の強化・新憲法の起草と公布,資源活用と経済開発に焦点を当てる必要性,等について言及がありました。

「開発の戦略と優先順位」では,特にインフラ=交通網(道路・空路・鉄道)の開発に力を入れるべきであり,それらが産業開発のキーファクターとなり,外国直接投資を促進することになると述べられていました。

「国際社会の役割」では,ピース・プロセスのサポート,水力発電・インフラの開発促進,民主化促進の支援,個人の自由と公正実現のサポートが国際社会に期待されるとのお話でした。

印象に残ったのは「マオイストによる内戦でネパールはほぼ “failed state “になった」との言及,近年ネパールに政治的影響を及ぼしている国家・地域として「インド,米国,中国,EU」として米国が二番目に挙げられていたこと,国家開発戦略として「土地改革」が挙げられていたこと,そして水力発電のポテンシャルを非常に強調されていたことです。

大使の講演はネパールの複雑な情勢が非常に簡潔に説明されており,ネパールの政治について詳しく知らない聴講者にも非常にわかりやすいものになっていたと思います。

ネパールでは1990年頃から経済の自由化が進められ,それに伴って経済格差が顕著になり,貿易依存率60%前後が隣国インド一国に集中するようになりました。そんな中1996年より共産主義(毛沢東主義)の革命運動が起こり,昨年王制が打倒され,選挙によって共産党マオイストを中心とした制憲議会政府が発足しました。金融危機が世界中に大きな影を落としている中で,この政変はもっと注目されていいのではないかと考えております。その意味では,共産主義政党が第一党となった意義,マオイストが政権に就いたことによる「ネパール-中国」関係への影響などについて,もっと突っ込んだ話が聞きたかったと感じました。

ネパール情勢 III:〈インタビュー〉ネパール制憲議会選挙の結果と今後の見通し

植木 竜司

前回「ネパール情勢 II:制憲議会選挙結果について」で書いたようにネパールでの制憲議会選挙の結果が出揃った。そこで、日本在住ネパール人、バララム・シュレスタさんに今回の選挙結果についてインタビューを行った。シュレスタさんは、ネパールで著名な弁護士で、ネパール政界にも幅広い人脈を持つ方である。マオイストの躍進の理由は何だったのかや、今後の新政府の課題などについて聞いた。

植木:4月10日にやっと制憲議会選挙が実施されました。小選挙区でも比例区でもネパール共産党マオイスト(以下、マオイスト)が一番議席を獲得した政党となりました。マオイストの躍進の原因は何であったと思われますか。

シュレスタ氏:第一に、ネパールでは8年間総選挙が行われませんでしたが、ネパールでは16歳から選挙権があり、その間も「新しい有権者」が増え続けた、ということがあると思います。この8年間ネパール・コングレス党(以下、コングレス)もネパール共産党マルクス・レーニン主義(以下、UML)も選挙活動をやってきませんでした。そのため特に、農村では「マオイストのことしかよく知らない」という状況の人が大変増えました。第二に、コングレスの候補者も、UMLの候補者も、国民にとっては「前と同じ顔」であった、ということがいえたと思います。もちろんコングレスにもUMLにも悪いことをした人もいれば、いいことをしたひともいるわけですが、結果として1990年以降彼らが政治をやった結果が現在の状況なのであり、そのことが「新しい人」「新しい党」に投票すること! につながったのだと思います。第三に、マオイストは選挙活動期間中に、「もし選挙に負けたらジャングルに戻りゲリラ活動を再開する」ということを言っていたことがあげられます。10年以上内戦が続いており、ネパール国民の中には、誰が政権をとってもいいから、平和になって欲しい、安定して欲しいという想いがあったのでしょう。

植木:マオイストはそのような「脅し」を含めて、全体としてコングレスやUMLより選挙活動がうまかったということが言えるのでしょうね。

シュレスタ氏:そうですね。特に農村や地方ではマオイストは草の根の組織を持っていますが、コングレスやUMLは村の奥の方までは行かなかったし、行けなかった。彼らはカトマンドゥだけで選挙活動をやっていたのも同然の状況でしたから。

植木:マオイストの躍進とは対照的に、前評判の高かったUMLは小選挙区で党首のM・K ネパール氏がマオイストの候補に敗れ辞任を表明するなど、議席を伸ばせていませんが、こちらの原因は何であったと思われますか。

シュレスタ氏:1990年以降のUMLを見ても、彼らが党として「わが党はこれをやる」と何かを決めたのを私は見たことがありません。またUML自身は、自己を「コミュニスト」と言っていますが、それは「新しいコミュニズム」であり「民主主義的なコミュニズム」であると定義しています。これらの態度が国民には非常に中途半端に見えたのだと思います。現在ネパール国民は「コミュニスト」と言えば「マオイスト」を連想し、UMLを連想する人はほとんどいません。だから共産主義支持の人々の票はほとんどマオイストに流れたのではないのでしょうか。それに加え、1990年以降議会政党としてUML がやってきたことからは、経済や社会、平和の希望がまったく見られなかったし、それらの発展を実現したことがなかったこともあげられると思います。

植木:新政権には様々課題が山積しているわけですが、私が注目しているのはマオイストの人民解放軍とネパール国軍をどうするのかという点です。人民戦争で交戦していた両武装組織ですが、マオイストは両者を統合することを以前から主張しています。私はこの提案は無理があると思いますが、シュレスタさんはこの問題についてどうすべきであると考えておられますか。

シュレスタ氏:マオイストは、人民解放軍と国軍の統合を何としても実現したいと考えているでしょうね。確かにこのことは非常に難しいことだと思います。世界中にはライバル同士の軍隊が統合したケースなどほとんどないでしょう。しかし、これまでなかったからといって、これからも実現できないということでもない。私は、そのことによって国の内戦がなくなるのであれば、統一もいいと思っています。そもそも人民解放軍の兵士も、国軍の兵士も両者とも同じネパール人なのですから。

植木:しかし、もし統合が成功したとしたら、ある一つの政治政党(=マオイスト)が特別な影響力を持つ軍隊ができてしまうことになりますよね。

シュレスタ氏:そうですね。しかし私は、もしそのことをマオイストが政治の場で利用するようなことがあれば、国民が立ち上がり、抗議活動を行い、その悪用に歯止めをかけることになると思います。なぜならネパール国民は240年続いてきた国王の軍隊を打ち負かす力を持っていたのですから。マオイストがそのようなことをすれば、同じことになると思います。

植木:軍隊の問題とともに、最近大きく取り上げられているのが、マイノリティの問題、特にマデシの運動が活発化していることです。マオイストは1996年からの武装闘争の中で、地方のマイノリティの支持を得ながら勢力を拡大してきた面もありますが、今回中央政府に入ることで、「国家の側」に立って政治を運営していかねばならないわけで、これまでの為政者と同様マイノリティ問題には苦慮することが予想されます。この点についてはどのようにお考えになられますか。

シュレスタ氏:私は、今回の選挙を、「部族」や「民族」といった集団の台頭が非常に目立った選挙であったと感じています。マオイストも十数年前は彼らと同じ「マイノリティ=少数派」だったわけですが、もしマオイストの新政府が彼らの意見を取り入れることをしなければ、彼らは「第二、第三のマオイスト」となって、同様の反乱を起こす可能性が高いと思います。

植木:制憲議会が開かれれば240年続いてきた王制が廃止される予定です。今回、王制廃止を主張し人民戦争を行ってきたマオイストが大勝し、王制派政治家がことごとく議席を獲得できていない選挙結果を見ると、やはりネパール国民が王制廃止を支持していると見ることができると思いますが、シュレスタさん自身はどのような意見をお持ちですか。

シュレスタ氏:シャハ王朝は240年続いたわけですが、この240年間で彼らは国のため国民のために何をやってきたか。他の国々はこの240年間で非常に発展しましたが、ネパールでは他国に比べたらまったく開発が進みませんでした。240年の間に義務教育制度の実現さえできなかった。国民が選んだ政治家が240年間政治をやっていれば、もっと発展できたかもしれない。結果として、王制は240年間でなにできなかったわけであり、そのことから国民は、国王は国を守れないし、経済発展も実現することができないと判断したのだと思います。

植木:最後に、今後マオイストを中心とした政府が発足することがほぼ確実ですが、マオイストはどのように政権運営を行っていくべきであるとお考えですか。

シュレスタ氏:マオイストの議員たちは、選挙で国民に選ばれたのであり、彼らにはもちろん政府を作る権利があります。しかし現実的にはマオイストに反対する人々も非常に多いです。選挙結果を見ると、マオイストは第一党ではあるが過半数は取れませんでした。マオイスト以外の政党に投票された票を全部足せば、マオイストの得票数より多くなります。マオイストはこのことをよく理解する必要があります。マオイストは小さな政党の意見、つまり少数派の意見を大事にしていく必要があると思います。

プロフィール:
バララム・シュレスタ (Balaram Shrestha)
1972年ネパール生まれ。インターナショナル・ロー・ソサエティ・フォーラム (International Law Society Forum, Kathumandu) 所属の弁護士。1995年ネパール・ロー・カレッジ卒。1996年弁護士資格取得。1997年ネパール国立トリブバン大学大学院修士課程修了、修士(政治科学)。2003年に来日し、現在、在日ネパール人協会中国地方代表を務める。山口県在住。

ネパール情勢 II:制憲議会選挙結果について

植木 竜司

ネパールで4月10日に行われた制憲議会選挙の結果が出揃った。正式に当選者が確定するのは各政党が提出する名簿を選挙管理委員会が承認してからであり、承認後3週間以内に制憲議会が開かれることとなっているから、5月中には開会する見通しである。

結果は日本でも報道されているとおりネパール共産党マオイストが220議席(比例100 )を獲得し第一党となった。以下、ネパールコングレス党が110議席(比例73)、ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義が103議席(比例70)、マデシ人権フォーラムが52議席(比例22)、タライ・マデシ民主党が20議席(比例11)、ネパール友愛党9議席(比例5)と続いている。小選挙区で議席を獲得できなかった王制派政党国民民主党も比例区で8議席を獲得した。

マオイストは比例区でも最も議席を獲得した政党となったが、小選挙区では240選挙区中120選挙区で勝利したのに対し、比例区では335議席中100議席、得票率29.28%であり伸び悩んだといえるであろう。

結果、マオイストは第一党を獲得したが、定数601、(非選挙枠/政府推薦議員26議席)に対し、過半数には遠く及ばなかった。もともと暫定憲法では制憲議会選挙における首相指名等には全議席の三分の二が必要であったため、これから連立工作が行われることとなる。その際、ネパール南部タライ地域を基盤とした政党である第4、第5党であるマデシ人権フォーラム、タライ・マデシ民主党がキャスティングボートを握ることとなるであろう(ちなみに第6政党ネパール友愛党もタライ地域を基盤とした政党)。今回、海外報道ではマオイストが第一党になったことばかりに注目が集まっているが、ネパール国内では特にマデシ人権フォーラム、タライ・マデシ民主党といった南部の地方/民族政党が議席を多く獲得したことにも大変注目が集まっている。

ネパールは地形区別(高度)では山岳部・丘陵部・平野部に、開発地域別(東西)では東部・中部・西部・中西部・極西部にわけることができるが、今回の小選挙区で特に開発地域別では中西部と極西部、地形区別では山岳部でマオイストが強さを見せた。

山岳部では22選挙区中16、中西部では33選挙区中27、極西部では21選挙区中15の選挙区で議席を獲得している。これは「識字率」や「出生時平均余命」の数値と比較するとたいへん興味深い。少し古いデータとなるが2000年のネパール国内の識字率は地形区別では山岳部44.5%、丘陵部55.5%、平野部46.8%であり、開発区別では東部56.6%、中部49.8%、西部51.67%、中西部では47.8%、極西部では43%となっている。また出生時平均余命は地形区別では山岳部49.8年、丘陵部65.1年、平野部62.4年であり、開発区別では東部62年、中部61.3年、西部62.8年、中西部53.2年、極西部52.1年となっている。つまり、識字率も出生時平均余命も山岳部、中西部、極西部で数値が悪くなっているのである。このことはインフラが整っていない経済的にも社会的にも排除されている地域でマオイストが支持を広げていることを意味しているといえるであろう。

マオイストはもともと中西部を基盤として人民戦争を展開し、根拠地を築きながら全国に勢力を広げてきた。特に、これまでのネパールの政治政党と異なり、都市からではなく「農村から都市へ」、まさに毛沢東主義理論を利用して勢力を拡大してきたのである。

貧しい農村を基盤とし、共産主義、毛沢東主義を掲げるマオイストが、今後国政でどのような政策を実施していくのか、特に経済政策をどうするのかは、ネパール国民のみならず、世界中から注目されている。ただ、複数政党議会制の中でどれだけマオイスト色のある政策を実施できるかは未知数である。

ネパール情勢:ネパールにマオイスト政権発足か!?

植木 竜司

南アジア、ヒマラヤの麓に位置する国ネパールで4月10日、制憲議会選挙が実施された。1996年からのネパール共産党マオイスト(以下、マオイスト)による「人民戦争」で約1万3000人の犠牲者を出し、2005年のギャネンドラ国王によるクーデターなどさまざま混乱が続いてきたが、今回やっと制憲議会選挙の実施に至った。

この制憲議会選挙は幾度も延期され、今回も正常に選挙が実施されるか懸念されていた。投票日当日は政党関係者間の衝突や投票所への放火があり、数名の死者を出し、約数十カ所の投票所で選挙延期・再投票も決定しているが、ポカレル選挙管理委員会委員長は選挙は成功だったとし、国連の潘基文事務総長も「おおむね秩序ある、平和的な雰囲気のなかで実施された」と祝福する声明を発表した。

大勢判明は4月20日頃、結果発表には2~3週間かかる見通しであるが、都市部を中心に小選挙区の結果が少しずつ判明してきている。

今回選挙が行われた制憲議会は定数601、そのうち比例区335、小選挙区240、非選挙枠(政府推薦議員)26議席である。投票率は約60%と発表され、日本でも報じられているように「人民戦争」を行ってきたマオイストが第一党を取る勢いで議席を獲得している。

ネパールの新聞「The Himalayan Times」がウェブサイトで選挙速報として選挙結果を更新しており、日本時間の4月14日午前1時の時点で小選挙区127議席の結果が発表されている。そのうちマオイストが70議席を、G・P・コイララ暫定政府首相率いるネパールコングレス党(以下、コングレス)が19議席を、ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義(以下、UML)が20議席を獲得している。前評判の高かったUMLは、マオイストと選挙協力を行わなかったことでマオイストと票を食い合うこととなり、マオイストの躍進により議席を落とす結果となっているようである。UMLとマオイストの票の食い合いで、有利になるとされていたコングレスもマオイストの躍進で議席が伸びていない。

この選挙でマオイストが負ければ、マオイストが再びジャングルに戻りゲリラ活動を再開するのではとの懸念があったが、この結果からその可能性はなくなったといってよいであろう。共産主義政党であり、毛沢東主義を掲げるマオイストが政権を握るということで、世界中で様々論議を起こしそうであるが、プラチャンダ(プスパ・カマル・ダハル)書記長は、選挙前より複数政党制を受け入れることを表明しており、12日にも改めてマオイストによる一党独裁を懸念する必要はないと強調している。

選挙には王制派政党も参加しているが、少数の議席しか獲得できない見込みで(4月14日午前1時時点で0議席)、有力者の落選も報じられている。現在の暫定憲法では、制憲議会の初日に議会で連邦共和制であることが承認されることになっている。つまりこのまま何事もなく選挙結果が判明し、制憲議会が開かれれば、約240年間続いてきた王制が廃止され共和制に移行することになる。今後、選挙結果とともに、ギャネンドラ国王の動きにも注目である。

中国遼寧省阜新市日本帰国者ビジネス協会

植木 竜司

中国遼寧省阜新市に、本年5月「阜新市日本帰国者ビジネス協会(以下、ビジネス協会)」が設立されました。この協会は日本から帰国した留学生や研修生を主体とする公益団体です。

私は昨年10月より今年3月まで阜新市に滞在していたのですが、滞在期間中ビジネス協会の前身となった「日本語コーナー」に参加しており、本年8月15日より本協会の日本本州連絡代表に任命されました。そこで、今回はこのビジネス協会について日本の皆様に紹介させていただきたいと思います。

以前本サイト上でも何度か紹介させていただいたことがありますが、阜新市は中国の東北部に位置する遼寧省にある一つの市です。

同じ遼寧省内にある大連市や瀋陽市に比べ、国外における認知度が低く、市内で外国人を見かけることはほとんどありませんが、阜新市から外国へ留学や仕事で行く人は多く、日本に留学生や研修生として来る人も数多くいます。ビジネス協会は、そのような留学生・研修生として日本滞在経験がある人や個人的に日本や日本語に興味を持ち勉強を続けている人たちが設立した協会です。

阜新市は「炭鉱の町」として知られていますが、近年は石炭が枯渇しつつあり、経済構造の転換が図られています。そうした中で、市政府は炭鉱業に変わる新たな産業の模索や海外企業の誘致等を積極的に進めています。日本への働きかけもしており、今年4月には経済貿易代表団が訪日しました(「中華人民共和国遼寧省阜新市人民政府代表団の歓迎宴」を参照)。そのような環境の中で本ビジネス協会は設立されました。会員、名誉会長には阜新市人民政府の多くの局長や副局長、また副市長等も名を連ねています。

具体的には商務・税務・法律及び金融など各方面のコンサルティング業務、交流会などの実施による相互交流の場の提供、研究討論会及び各地の会員間の相互訪問活動の組織、阜新の商工団体及び他国の類似団体との交流活動、インターネット上のホームページによる宣伝活動等を行っております。

このビジネス協会には、企業や政府関係者以外にも大学教員や日本語学校の日本語教師など多くの教育関係者が参加しています。会長は阜新市博文外語学校校長の武林奇さんが務めておられます。私はこのビジネス協会が、ビジネスの面のみに限らず、多方面で阜新市と日本の関係を強め、友好関係の促進に貢献する協会になるのではないかと期待しています。

以下は、董久峰副会長へのインタビューです。

植木:ビジネス協会設立の目的は何ですか。
董:阜新の対外政策・各商工業・自然資源などを宣伝すること、阜新商工業企業・社会組織と日本各商工業企業・団体・個人との交流・協力・発展を促進すること、国内各商 工業企業の発展を導くこと、阜新の対日企業誘致・資金導入の拡大・経済の転換および発展を推進することに貢献することです。

植木:ビジネス協会にはどのような方が参加されていますか?
董:日本から帰国した留学生および研修生を主体とし、日本との交流や協力を望み本会を支援する人々が参加しています。2005年9月阜新市民政局副局長の趙作奎名誉会長は1年3カ月の努力を経て日本大学のグローバルビジネス科の修士として卒業し阜新に帰ってきました。それから阜新にいる留学や研修生として日本滞在経験のある人たちと相談してビジネス協会を設立しました。

植木:阜新の産業について紹介してください。
董:火力発電、風力発電、機械設備製造業、農業および補助プロダクト処理業、サービス産業と職業教育産業などです。今の阜新には豊かな労働力資源があり、職業教育産業は全国にも有名です。私は、特に阜新の進んだ教育環境を基にして阜新の人々に日本語教育や日本企業必要な職業教育を行い、労働力を活かしていくべきであると考えます。合作学校や合作大学を作る事も考えられます。

植木:最近の中日関係・中国人民の対日感情をどのように考えていますか?
董:中日関係は複雑な問題です。日本政府は真摯な歴史観を持ち、勇敢に中国及び アジア周辺国を侵略した事を認め、受害国と受害人民に対して反省の態度を示し、 そして他国の許しを得てから一緒に未来を向かう、一緒に友好かつ平和な世界に向 かうべきであると考えます。また、感情と言うのはさまざまな要素で決められると 思いますので、たとえば、お互いの歴史観・異なる価値観への理解、文化交流・民 間交流、経済関係等を進めていく必要があります。今年4月温家宝総理訪日や、日中友好文化体育交流年活動、安倍前首相や福田首相の対中態度などにより中日友好は深まっていると信じています。

阜新万人坑を訪ねて

植木 竜司

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2007年8月16日、中国遼寧省阜新市にある「万人坑」を見学しました。

私は昨年10月より本年3月まで阜新市に滞在しましたが、「万人坑」の存在については知りませんでした。阜新市は炭鉱の町であり、第二次大戦中に日本軍がこの地を占領し、この地の多くの石炭資源を掠奪し、その過程で万単位の阜新の人々が亡くなったことは知っていましたが、それらの人々が同じところに大規模に埋葬された場所があることは知りませんでした。

12日に見学をした瀋陽市の「九・一八事変博物館」で購入した李秉剛著/張玉彬・胥敏訳『万人坑を知る―日本が中国を侵略した史跡』(東北大学出版社、2005年9月)という本に「阜新炭鉱の万人坑」についての記述があり、阜新に関係を持つ日本人としてここは見ておかねばと思い、阜新市の友人にお願いして見学させていただきました。

中国国内には第二次大戦中の日本軍の占領と関係がある「万人坑」が北の黒龍江から南の海南島までいくつもありますが、ここ阜新万人坑はその中でも七万人の労働者の遺骨が納められている最大規模の万人坑であるとのことです。

1936年10月1日、満州炭鉱株式会社阜新鉱業所が設立され阜新の石炭資源が大規模に掠奪され始めました。1939年4月までに鉱業所に属していた採炭所は一箇所から八箇所まで増やされ、満州炭鉱株式会社の最大の炭鉱でした。1936年から1945年8月まで、2527.5トンの石炭が掠奪され、同時に数万人の炭鉱労働者が亡くなり大規模な「満鉄墓地」が形成されました。

今回の見学は阜新万人坑の館長さんとともに記念碑や満鉄墓地、死難砿工遺跡館、阜新砿史陳列館等の施設を回らせていただき、それぞれの施設で解説も聞かせていただきました。一番印象に残ったのが死難砿工遺跡館です。日本の占領者たちは、労働者に対し長時間の作業をさせ、生活条件も悪く、数多くの人々が過労死、餓死、病死したそうです。死難砿工遺跡館にはそれらの人々の遺骨の一部が当時の埋められたときのままの形で残されていました。その中には他の遺骨とは異なった向きをむいた遺骨がいくつかありました。館長さんの話によるとそれらは外へ這い上がろうとしている姿であり、生き埋めにされたものであるとのことでした。病気や怪我等で、労働の役に立たない人間は生きていても埋められたのであり、人命よりも鉱山を重んじた戦時中の日本の蛮行の証拠といえるでしょう。

阜新万人坑は「全国重点文物保護単位」の一つですが、現在一般に公開されておらず、施設は老朽化が目立っていました。阜新市民でも訪れたことがない人が多くいるとのことであり、「風化」が進んでいるといえるでしょう。阜新の人々の対日感情は私の印象ではそこまで悪くなく、つい六十数年前に七万人もの人がここで日本の侵略の犠牲になったとは考えられないほどです。

しかし、阜新万人坑は日本が占領中にどれだけ残虐で非人道的な行為を行ったかを物語っています。もし阜新の人々の間でこの歴史の風化が進んだとしても、日本人は決して忘れてはならない歴史であると思います。

阜新市は日本ではあまり知名度のない中国の一都市ですが、確かに六十数年前にこの地にも日本人がやってきて数多くの悲劇を生み出しました。新たな友好の歴史をつくっていくのにあたって、やはり加害者の側であった日本人がこの歴史的事実をしっかり認識し反省した上で、はじめて本当に強固な友好関係が構築できるのではないかと思います。

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