投稿者「とらたぬき」のアーカイブ

被爆60年目の長崎

とらたぬき

tora1-1l.jpg
8月9日11時2分、私は長崎の平和公園で、多くの人々とともにすべての戦争犠牲者と原爆犠牲者に黙祷を捧げ、核の廃絶と不戦の誓いを新たにした。

60年前のこの日、人口約24万人の街の上空で爆発した原子爆弾は、一瞬にして半径1キロを廃墟にし、半径3キロを焼き尽くした。1945年12月末までに死者が73,884人、負傷者が74,909人を数えた。

原爆を投下した国の指導者は、同じ信仰を持つ人々が多く住む街であること、そして同胞が捕虜として収容されている事実を知っていた。当時 浦上の街に住んでいたキリスト教徒約1万2000人のうち8500人が犠牲となり、爆心地から500メートルにあった、東洋一の規模を誇る天主堂は、わず かばかりの壁を残して倒壊した。

被爆した人々は、後遺症に苦しみながら生き抜いてこられた。多くの方々がさまざまな病気と闘いながら、原爆反対、戦争反対の運動を続けている。

この日の午後に開かれた世界平和を祈る会合で、81歳になるご婦人の被爆体験をうかがった。みずから後遺症に苦しみ、ご子息も被爆の影響 と思われる病気で亡くしながら、やがて世界平和のために自らの体験を語りはじめ、ニューヨークの国連本部でも被爆体験を訴えられた。現在でも多くの学校に 招かれ、子ども達に戦争の悲惨さ、核廃絶の思いを語っておられるという。

半世紀を超えて、長崎は平和を学ぶ多くの青少年が訪れている。またこの日ともに祈りを捧げた中には、中国語、ハングル語、英語、ドイツ語など、私が見聞しただけでも多くの海外の人々の姿があった。

核廃絶への思いは世界の多くの民衆に拡がっている、いやもっと拡げていかなくてはならない。国家としては核保有に関してさまざまな思惑があるだろう。しかし、実際に戦争の被害を受けるのは、いつも間違いなく戦争に荷担していない市民が圧倒的に多いのだ。

「長崎を最後の被爆地に‥。」二度と核兵器による惨禍をこの地上にもたらさない、という強い決意から発せられた言葉である。世代を超えて、どんなに困難でも核兵器のない世界を、そして戦争のない地球と宇宙を、同じ志をもつ人々と連帯しながら築いていきたい。

tora1-2l.jpg tora1-3l.jpg

無題

とらたぬき

戦後60年の夏が来た。私の田舎では終戦記念日の思い出は旧盆の精霊流しと重なり、亡くなった方々を弔う日であった。その一方で、8月9日は休暇中 でも登校日となり、先生から戦争の悲惨さを教えられ、原爆の投下された時間にみんなで黙祷をささげた。子供の頃の私にとっては、先の戦争は被害者の立場で の戦争であった。

長じて中国に関心を持って学んでいくうち、日本が中国、朝鮮などを侵略し、多くの人々を殺傷した歴史を知った。学生訪中団に参加して、平頂山の殉 難記念館を訪問し大地から発掘されたままの何千体という白骨体を見たとき、言葉に言い尽くせない恐怖と哀悼の思いで一杯になった。そのとき自分がこれらの 人々を虐殺した加害者の民族の一員であることを深く実感した。

その後訪れた中国の多くの地に、日本軍が攻撃し多くの人々が犠牲になったことを後世に伝えるための施設や慰霊碑を目にしてきた。そしてその事実を 日本の若者達に伝えるように心がけてきた。私自身がそうであったように、日本では被害者としての戦争の記憶は教わることも実感することもあるが、加害者と しての記憶を呼び起こされることがないからである。

二度と戦争を起こさないと決意することは、戦争によってなくなったすべての人々に報いることである。とりわけ被害をこうむった地域と人々に思いを寄せ、相互理解を深めていくことこそ、確かな平和を築いていく基礎となると思う。

ふるさとの祭りから

とらたぬき

つい先日、旅行ガイドをやっている友人から「長崎くんちって何?」と訊かれた。もちろんわが郷土のお祭りなので、すぐに「えーっと、くんちは長崎の諏訪神社の秋のお祭りで‥‥、いろんな出し物がある。」とお答えした。

言葉に詰まったのにはわけがあり、出し物の名称が、踊りには「龍踊(じゃおどり)」や「おらんだ万才」、曳き物という船の形の引きものには、「唐人船」「龍船」「阿蘭陀船」「南蛮船」などなど知らない人にとっては「???」のオンパレードなのだ。さらには、さまざまな名称やかけ声も方言がならんでおり、これらを標準語で説明しても祭りのイメージは伝わらないのだ。

このような独特の出し物を生むにいたった背景には、長崎という街の歴史が影響しているのはいうまでもない。

江戸時代の鎖国政策のもと、天領として海外との窓口となった長崎は、出島に暮らすオランダ人と唐人街に住む中国人がいた国際都市であった。長崎の人々は両国の文化やファッションをありのままに受け入れ、またそれらを「かっこいいもの」として祭りに取り入れた結果、国際色に富んだプログラムが出来上がっていったのである。そしてその伝統を今日まで受け継いでいるのだ。

異文化を拒絶したり差別するのではなく、共存し吸収する。ゆったりとしたおおらかなわが郷土の伝統のように、グローバリゼーションの時代においても異文化を理解し受容する人間でありたいものだ。