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新春講演会開催の件

浪木 明

向寒の候、いかがお過ごしでしょうか。2013年新春講演会を下記の通り開催いたします。新年の開幕を皆さんと祝賀したいと思います。終了後、新年会を鰻割烹菊よし(会場から徒歩1分、駐車場あり)で行います。詳細は後日連絡させていただきます。一人でも多くの皆さんとお会いして語り合えることを楽しみにしております。

理事長 浪木 明


日時:1月13日(日)午前10時50分から12時20分まで
場所:青葉区区民活動支援センター会議室#5(36名収容)
(東急田園都市線田奈駅下車1分)
演題:「中東イスラームの過去・現在・未来―紛争の要因と平和の条件―」
講師:岩木秀樹(地球宇宙平和研究所副理事長)

ローコスト・ハイプロファイル・サステイナブル ―研究所20周年を展望して―

浪木 明

2012年7月28日発行のニューズレター第22号の巻頭言を転載いたします。―事務局

ローコスト・ハイプロファイル・サステイナブル
―研究所20周年を展望して―

浪木 明(特定非営利活動法人 地球宇宙平和研究所 理事長)

2年前の本日、中西治前理事長が脳梗塞を発症し入院された。数日後、ご本人からお電話をいただいた時、病状はもとより「研究所はどうなるのだろうか?」との言い知れぬ不安感に襲われたことを鮮明に覚えている。その1ヶ月前の第10回総会では、非常にお元気でロシア訪問にも強い意欲を表明されていらっしゃったので、電話をいただいた時は現実を素直に受け入れることが困難だった。

思案の末、まずは快復に向け、可能な限りのサポートをさせていただくことが研究所を守ることにつながっていくと考え、昨年第6期副理事長として、武漢大学シンポジウムに同行、12月18日の神奈川県民ホールでの10周年記念講演会・祝賀レセプションを盛大に開催することが出来た。

詳細は省くが、結果として本年4月29日、任期途中で理事長の大任をお引き受けすることとなった。宇宙が、地球が、世界が大変動しつつある荒海の中での船出である。天命と考え、20周年に向けての構想を以下のようにまとめた。

スローガンは「ローコスト・ハイプロファイル・サステイナブル」である。私は財務・会計担当をここ数年させていただいている。この間、役員・会員・支援者の皆さんのご協力により、赤字を出さずに今日に至っている。現在、研究所は正会員59名・賛助会員29名・UU会員12名、合計100名の組織であり、NPOである私たちの研究所を支えているのは、会費収入・寄付金収入・事業収入である。2010年度は33万8100円、2011年度(10周年)は121万2813円の経常収入だった。2012年度予算では54万1千円を見込んでいる。決して余裕のある収入ではなく、現状維持ではローコストでの運営を余儀なくされる。そこで研究所の財務状況改善に重要な位置づけとなるのが、ユニバーサル・ユニバーシティーの発展・拡大である。そのためには、ハイプロファイル(高度のプロフィール作成)、すなわち広報PR強化が不可欠であり、とりわけホームページの充実、ツイッターや動画発信などのソーシャルメディア活用が時代の必須アイテムであると、この分野の専門の方から伺った。

そして、以上のことを踏まえツールを有効に稼動させ、サステイナブル(持続可能な)組織を構築し、主要な業務謝礼(総会・ホームページ管理・所報・ニューズレター・会計等)の増額、役職手当(現在、理事長も含め全理事・監事は無給)、海外連絡事務所(ベトナム・チェコ)設置、医療介護事業(医療通訳者養成、実務日本語指導)や、ユニバーサルサロン展開、ミャンマー訪問などの構想実現を心に描いている。

私は現在10代の中高生の英語個別指導に携わっているが、指導が難しい年齢が11歳・14歳・17歳、いわゆる「反抗期」であると感じている。研究所を生命体と仮定するなら、昨年12月に10歳の誕生日を無事迎え、内外の祝福を受けたことになる。11周年、14周年、17周年を乗り越え組織を拡大し、20周年記念事業を全世界同時中継したいと考えている。これは本研究所がめざす「地球と宇宙の平和に貢献すること」であり、会員の皆さんに喜んでいただけると確信している。本年、新たなスタートとなる11周年は女性の声を積極的に取り入れ、UU会員の飛躍的増加を事業の中心に推進してまいりますので、皆様のより一層のご指導ご鞭撻を何卒よろしくお願い申し上げます。

2012年6月20日

総会記念講演会・総会の開催について

浪木 明

特定非営利活動法人 地球宇宙平和研究所会員の皆様

拝啓 陽春の候、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

4月29日の理事会で新理事長に就任させていただきました浪木明です。(新)会員中心の組織改革を目指し、2013年6月30日まで研究所運営・拡大の指揮を執らせていただきますのでよろしくご指導ご支援をお願い申し上げます。

下記の通り、総会記念講演会、総会を開催致します。知人・友人の方々にもお声をかけていただき、一人でも多くの皆様に足を運んでいただけたら幸いに存じます。

1.日時:2012年6月10日(日)17:20-19:40

2.場所:かながわ県民センター711号室(JR横浜駅西口徒歩5分)
横浜市神奈川区鶴屋町2-24-2 電話 045-312-1121

<総会記念講演会>
時間:17:20-18:50
講演者:ユニバーサル・ユニバーシティー学長 中西治
演題:ユニバーサル・ヒストリーと宇宙・地球・人間の将来
-ユニバーサル・ユニバーシティー開校講義ー

<第11回総会>
時間:18:50-19:40

後日、総会議案書、2012年度会費振込み用紙、正会員の方には委任状ハガキを送付させていただきます。時節柄、くれぐれもご自愛下さい。

2012年5月2日(11周年目の研究所設立記念日に)
地球宇宙平和研究所 理事長 浪木明

ベトナム社会主義共和国訪問記 2009年9月1日〜8日

浪木 明

1 日 (火) 曇り。中西、鈴木、徳永、浪木、浪木 (香) 、山口の 6 名、 18:05 日本航空 759 便にて成田空港出発。出入国カード健康申告、税関申告書記入。 22:15 ホーチミン着。前日現地入りしていた馬場と合流。コンチネンタルホテル泊。 10000 円を 1,936,500 ベトナム・ドンに換金。

2 日 (水) 曇り。現地在住の村山女史と合流。参加者 8 名全員揃う。 64 年目の国慶節 (建国記念日) 。ホテル前に、送迎のマイクロバスを長時間 (10 分程度) 駐車したとして、 50,000 ドン罰金を途中支払う。約 70km 離れたクチへ向かい、クチトンネル歴史遺跡区を見学。市内へ戻り水上人形劇を鑑賞。市内レストランで食事。

3 日 (木) 曇り。バンラン大学訪問。 1995 年設立され、急速に成長したベトナム私学の一つで、「道徳心、意志、創造」をモットーとする。国際協力プログラムを重視。意見交換では、独立とグローバリゼーション、社会主義の維持、教育と生活様式、外国語・愛国教育、ホーチミン思想、信教の自由等を議題に活発な話し合いが行われた。通訳はグエン・ティ・ハイン・トゥック女史とチャン・クァン・トゥエ氏。午後、レ・クイ・ドン中学校を訪問し日本語クラス見学。戦争証跡博物館見学後、在ホーチミン日本国総領事館を表敬訪問。水城幾雄総領事と会談。夜は、ホーチミン日本商工会の小須田森仁会長と会食。

4 日 (金) 曇り。視覚障害者学校見学。政府からの援助はなく、点字書籍販売等で学校を維持運営。子供たちによる楽器・合唱の心温まる歓迎があった。日本食レストランで昼食。午後、人文社会科学大学訪問。グエン・バン・ティエップ人類学部長を中心に討議。 WTO 加盟とグローバリゼーション、対仏・対米戦争におけるベトナム共産党の役割、格差と住宅問題、儒教精神などをめぐり話し合いが行われた。

5 日 (土) 曇り。 10:30 ベトナム航空 218 便にてホーチミン空港発。 12:30 ハノイ空港着。エアバス機で軽食も出され、快適な国内移動だった。ホライゾンホテルにチェックイン。午後、市内観光 (文廟、ホーチミン博物館) 。夜、ホアンキエム湖岸のレストランにて夕食。満月が美しかった。現地法人経営者の村山文雄氏、ベトナムガイド誌「ビナ BOO 」の芝きくよ女史が同席。

6 日 (日) 晴れ。 7:30 ホーチミン廟拝観。防腐処理を施されたホー・チ・ミンの遺体が補修のため翌日からモスクワに搬送され、約 2 ヶ月間この廟は閉館されるとのこと。午後は世界遺産ハロン湾見学。観光船を貸し切って 4 時間の贅沢なクルージングを堪能。船内で海産物の昼食、途中洞窟見学をする。ハノイ市内に戻り、歴史ある一軒家を改築したレストラン「シーズン」にて夕食。ベトナム・ソークレス株式会社の池田英知氏が同席。

7 日 (月) 晴れ。ホテルチェックアウト後、ベトナム社会科学院を訪問。緊急に首相と会うことになったドー・ホアイ・ナム院長に代わって出席したヴォー・ハン・ヴィン副院長他 9 名の皆さんが歓迎。中央政府のみならず地方政府の政策策定を行い、経済発展に寄与し、大学院レベルの人材育成に取り組まれているとの紹介があった。ベトナムの交通戦争、エネルギー不足、中越関係、日本の民主党政権とアジアなどについて活発な論議が行われた。通訳はヴー・ティ・ホン・ミン女史。昼食にベトナムのフォーをいただいた後、午後双日株式会社アジア・大洋州副総支配人の渡邊理史氏とベトナムと日本の経済関係等について懇談。在ベトナム日本国大使館を表敬訪問し、眞鍋寛参事官と会談。外務省、大使館、 NGO の文化交流における役割、資金協力援助について貴重なアドバイスをいただいた。夜、ハノイ空港内の海鮮レストランで夕食。馬場、村山女史に別れを告げて 23:29 日本航空 752 便にてハノイ発。

8 日 (火) 曇り。 6:29 成田着。中西、鈴木、徳永、浪木、浪木 (香) 、山口の 6 名無事帰国。解散。

最後に今回のベトナム訪問の所感を述べたい。

  • ベトナムの国慶節記念週間及び大学の夏休み期間にもかかわらず、多くの研究者との学術交流が実現し、今後の一層の交流促進を固く約し合うことが出来た。
  • 今回の学術交流は全てベトナム語と日本語の専門通訳 3 名を介して行われた。
  • 短期間に現地社会で活躍されている方々から有益な情報を得ることが出来た。
  • 今回は 8 名 (会員 5 名・非会員 3 名/ 男性 4 名・女性 4 名) の参加だったが、コストパフォーマンスに優れ、移動・食事等の点で適正人数であった。また全員がそれぞれの役割を全うし、密度の高い充実したベトナム訪問だった。

キューバ大使訪問報告

浪木 明

2008 年 3 月 26 日 (水) 午後 3 時から約 20 分間、キューバ共和国大使館にて、ホセ・フェルナンデス・デ・コシーオ大使を訪問し、地球宇宙平和研究所から中西治理事長をはじめ他 3 名の方が参加し、今回の第二次キューバ訪問帰朝報告とともに今後の具体的な交流についての話し合いが行われました。

最初に、中西理事長よりコシーオ大使の多大な尽力により、今回のキューバ訪問において三つの研究機関との交流が実現したことに対する謝意が示され、研究所ホームページに掲載されたキューバ関係の記事やエッセイのコピーが大使に手渡されました。

理事長からの「是非読んでいただきたい」との要望に対し、大使は「キューバ本国に送りたい」と応答されました。また、アジア・オセアニア研究センター訪問時の「世界地図が入手できると有難い」との要望を受けて、中西理事長が購入された地図が大使に渡されました。大使は「イバニェスセンター長は私の友人であり、必ずお渡しします」と即答されました。

次に、理事長から「特にアジア・オセアニア研究センターと恒常的な交流を続けたい」との要望が出され、「研究センターのホームページを拝見したが、日本研究に力を入れておられるようだ」との感想が述べられると、大使は「私たちとしてもまず、日本研究に何か出来ることをしていきたい」と応じられました。

さらに、理事長から「若い人材による交流」が提起されると、大使は「研究センターにとって願ってもない交流である」とコメントされました。その上で、センターを中心にセミナー等を開催し、相互に交換できるものを目指し、より具体的にはトラベルボデギータの清野史郎取締役と提携し、日本の若い人たちにキューバでスペイン語の語学研修を行うことなどが提案されました。

最後に、理事長から今後のキューバ関連の出版活動の中で大使について紹介したいので、大使の若かりし頃の革命運動について伺いたいとの要望に、大使は「喜んでお応えしたい」と応じられ、誠意には誠意で応ずるとの大使の人柄が終始強く反映された会見でした。

会見終了後、アンドレス・ゴンサレス・バジェステル参事官の解説で、 2004 年キューバ・アイルランド合作の「テロとの闘い」を約 30 分間鑑賞し、参加者全員に関連資料一式が配布されました。後日、中西理事長が連載エッセイの中で紹介される予定です。なお、 5 月にチェ・ゲバラの娘さんが来日されるそうです。

第二次キューバ共和国訪問団報告

浪木 明

2月25日(月) 中西、浪木、片山、北原の4名、17時エアカナダ機で成田出発。約9時間のフライトを経てバンクーバー到着。入国審査の後、エアカナダ機034便に乗り換え、約4時間後にトロント着。スーツケースが出てくるまで1時間半近くかかる。ホリデイ・イン・セレクト泊。気温3度。

2月26日(火) 9時05分、エアカナダ機964便でトロント発。12時45分ハバナ着。カナダ・キューバ間は近い。気温22度。風が強く昨年よりも肌寒く感じられた。空港からガイドのヤセット、ボデギータの佐々木女史の添乗で革命広場、ホセ・マルティ記念博物館見学後、ユネスコの世界遺産に指定されているハバナ旧市街へ。ヘミングウェイが常宿としていたアンボス・ムンドス着。夜、先着の鈴木とボデギータの清野氏と合流し、ホテル・ナシオナルにてブエナ・ビスタ・ソシャル・クラブ・ディナーショー鑑賞。浪木、司会者のインタビューにスペイン語で応答。

2月27日(水) 6階ルーフガーデンのレストランで旧市街を眺めながら朝食。アジア・オセアニア研究センター訪問。元ラオス大使のマリア・アイダ・ノガレス・ヒメネス副所長よりセンターの沿革説明を受けた後、元インド大使のフアン・カレテーロ・イバニェス所長と会見。中西からIGCP及び訪問団紹介。研究センター側から若手研究者6名同席。今後の交流発展を約しあった。昼食後、昨年訪問したハバナ大学経済研究センター再訪。元所長のフアン・トリアナ・コルドビ教授と約1時間半討議。夜、世界で最も距離が短い中華街のティエン・タンにて食事。オーナーと記念撮影。

2月28日(木) 午前中、市内の有機栽培農園見学。オーナーは元軍人。11時、防衛研究センター訪問。マヌエル・カルボネル・ビダル副総裁、エンリケ・マルティネス・ディアス専門官、他1名と「キューバミサイル危機」について討議。議論が白熱し2時間近くに及ぶ。ここまでの通訳は清野氏。アンボス・ムンドスをチェックアウトし、ハバナ空港へ。20時、クバーナ航空にてオルギンへ。オールインクルーシブのビーチリゾートホテル、ソル・リオ・デ・ルーナス泊。

2月29日(金) 9時にホテルを出て、港町バリアイへ。1492年にコロンブスが上陸したバリアイ港国立記念公園見学。馬車に乗りながらの移動。時々雨。午後ホテルに戻り、各自ビーチ、バー、ショッピングを楽しむ。

3月1日(土) 9時にチェックアウトし、キューバ国歌誕生の地・バヤモへ。野外集会場でイギリス人観光客らと共に生演奏でサルサ、ソン、チャチャチャを踊る。午後、キューバ人なら必ず一生に一度は訪れる聖地、カリダ・デル・コブレ見学。夕方、メリア・サンティアゴ・デ・クーバ泊。

3月2日(日) 9時にホテルを出て、カストロら革命軍が集結し、モンカダ兵営襲撃作戦を練った、グランヒータ・シボネイ訪問。キューバ革命の出発点となった7月26日モンカダ博物館見学。町の至る所に「26」の数字が見られた。7月26日はキューバの革命記念日である。モロ要塞に移動し、美しいカリブ海を眺めながら昼食。午後、アントニオ・マセオ広場見学。夕食は世界で一番小さなキューバの鳥の名前がついたレストラン「スン・スン」。

3月3日(月) 7時チェックアウトし、ホテルが用意したお弁当を持って空港へ。クバーナ航空にてハバナに戻る。昼食はやはり鳥の名前を冠した「ラ・フェルミナ」。14時、ハバナ・リブレ着。ハバナに帰ってきたという感覚。ハバナ大学を中心に新市街を散策。

3月4日(火) 9時半チェックアウトし、在キューバ日本国大使館を表敬訪問。10時から約1時間、中西、浪木、鈴木、北原の4名、川真田一穂公使参事官、大野正義一等書記官と会見。終了後、ハバナ国際空港に向かいエアカナダ機でトロントへ。ホリデイ・イン・セレクト泊。気温マイナス10度、雪。

3月5日(水) 10時チェックアウトし、トロント国際空港へ。航空機、約2時間半遅延のため17時トロント発。

3月6日(木) 20時05分、成田着。気温5度、曇り。

今回の訪問は、昨年の訪問から新たな段階に大きな一歩を深く刻んだ非常に内容の濃いものであった。特に在日本キューバ大使館・コシーオ大使の支援、ボデギータの清野氏の通訳により、三つの研究センターとの交流を実現し、研究所として貴重な討議の機会を持つことが出来た。

11日間という長丁場にもかかわらず、中西団長を中心に全訪問団員が精力的かつ自立的に日程をこなし、何よりも全員が無事故で帰国できたことが、二年連続で実務に携わらせていただいた立場としては望外の喜びである。約一年間、清野氏と百回を優に越える企画・協議を重ね、3回のスペイン語講座を実施し、延べ50人に及ぶ訪問参加促進活動の苦労も吹き飛んだ。

個人的には、30年にわたって様々な御教示をいただいてきた中西理事長と、3年間にわたって英語を個人指導させていただいた北原由貴さんという、恩師と教え子の両方と旅をさせていただくという稀有の体験をさせていただき、大いに学ばせていただいた。教育は人の魂に触れる聖業である。この教育を重視し、大学教育を無償で提供するキューバの未来は明るい。更にスペイン語に磨きをかけ、再びキューバの土を踏むことをハバナの美しい日の出に固く誓った。関係者各位にこの場をお借りして心より感謝申し上げたい。

外国語があなたを変えていく(5)

浪木 明

私の部屋には二つのグローブ(球体)があります。一つは地球儀、もう一つはミラーボールです。時は1979年、国際関係論に取り組み始めた私は、六 本木や新宿のディスコに足繁く通い、輝くミラーボールの下で青春の汗を流し、サングリアで喉を潤していました。そして、このミラーボールこそ私の「多重人 格」のシンボルとなったのです。

複数の外国語に取り組んでいくと、自身のコア(核)となる人格に様々なアングル(角度)が加わっていきます。この構造を見事に立体化したものがミ ラーボールなのです。ミラーボールは一見一つの球体でありながら、その球面は多数のミラーから成っています。その一枚一枚が人の「格」であるならば、ミ ラーボールはまさに「多重人格」の象徴といえます。ここで使う「多重人格」には、否定的な意味合いは一切ありません。ミラーの数が多ければ多いほど人間の 幅が広がり、世界のどこに行っても通用する「世界市民」の要件となるのです。

私はダンスが大好きです。「舞踏会」という響きには懐かしさと憧れさえ感じます。3才頃までに人間としての基盤(コア)が出来上がると言われます が、比喩的に言えば、その外側を覆うミラー=マスク(仮面)はその気さえあれば交換可能であり、これこそ未知と既知を往復する貴重な道具なのです。つまり この道具=マスクを手に入れたら、誰でも世界各地のマスカレード(仮面舞踏会)に参加できるのです。なんと楽しいことでしょう!

このコラムが一部の読者の方から、「ユニークな視点だ」「面白い発想だ」との声を頂いておりますが、私が四方八方に放つミラーボールの光を受け止め てください。少しでも納得して行動に移せたなら、あなたはもう「多重人格」の扉を開いたことになるのです。外国語学習はいつでもどこでもスタートできるの です。もちろん、外国語学習だけが「多重人格」を実現する訳ではありません。私の場合は、演劇・ダンス・ミュージカルも大いに役に立ちました。これらにつ いては別の機会に論じます。

有り難いことに、このコラム執筆を通して自分を見つめ直し、新たな決意で外国語研鑚に一層熱が入っております。酷暑の中、連日9時間に及ぶ英語指 導にあたっておりますが、疲れません。アーノルド・トインビー博士曰く、「究極の才とは、仕事と遊びとの境を曖昧にさせる才能である」 あなたも「多重人 格者」になりませんか?毎日、楽しくなりますよ。次回は、真夏の夜の「シャルウィーダンス?」です。

外国語があなたを変えていく(4)

浪木 明

心理テストでコップに半分入っている水を見て「もう半分しかない」と考える人は悲観主義者、「まだ半分も残っている」と考える人は楽観主義者というものがあります。しかし、私は何も感じません。私は「中観主義者」なのです。

長い間、私は楽観主義はプラス、悲観主義はマイナスと考え、意識的に楽観主義者に近づこうとしていました。しかし、前者には「責任回避、日和見」 というマイナス面があり、後者には「慎重、防衛」というプラス面がありはしないかと考えるようになりました。もし世の中がどちらか一方のグループだけに なったとしたら、人の喜怒哀楽もバランスが崩壊し、人生はとてもつまらないものになってしまうことでしょう。物事には常にプラス面とマイナス面が存在する のです。それを認め合うことの方が、どんなに人生を豊かにすることでしょうか。

ところで日本では血液型と性格の間に強い相関関係があるとする書籍に人気があります。冷静に考えれば地球上63億の人間の性格をたった四つのカテ ゴリーに分類することなど不可能です。一方視点を変えれば、四つのカテゴリーに63億の人間を分類することは案外簡単なことかもしれません。得てして人間 は何かの基準でグループ化して分類するのが好きらしい。それ自体は問題ないのですが、そこに優劣や上下の差異をつけ異なるものを排除していく傾向が見てと れます。

話は変わりますが、一つの論題について肯定と否定の両方の側に立って考えるディベート(討論)が注目されるようになってきました。私は学生時代に 英語討論で「核兵器は必要か?」との論題にジャンケンで負けて肯定側に立ったことがあります。自身の意見とは正反対の主張をする羽目になり、瞬間「負け た」と思いました。しかしここで知恵を絞り「地球に大隕石が接近し、それを破壊しなければ地球は滅びるという状況下では、核兵器が必要なこともある」と主 張し、ディベートに勝ったのです。私の「中観主義」への第一歩でした。

この出来事は私の思考形成に大きな影響を与えました。立場が変われば主義主張も変わること、立場が変わったとしてもその批判に耐えうる整合性を持つこと、感情を制御し論理を中心に物事を見る重要性などです。

外国語の差異に目を転じると、スペイン語では「皿が私の手から落ちた」という表現の仕方があります。日本語なら「私は皿を落としてしまった」とな るでしょう。当初、「スペイン語は、何と無責任な表現をするのか」と思いましたが、次第に「何とプラス思考な表現だ」と思うようになりました。最近の某知 事の「フランス語は国際語失格」発言問題は、言語に優劣をつける極めて乱暴で危険な考え方です。

異なる言語や文化の存在が、己を見つめ直し、相手の立場に立つ重要性を教えてくれるのです。外国語があなたを変えていくのです。「中観主義者」は 人生の様々な局面で紛争の解決に寄与することができ、異なるものとの交流を楽しみながら世界市民そして平和を目指すのです。このような限りなき自己の拡大 と変革のプロセスにおいて、外国語学習を通じて得たものの一つが「多重人格」です。これについては次回論じたいと思います。

外国語があなたを変えていく(3)

浪木 明

「大学合格のために英単語を8000語覚える」とか「辞書を覚えたページから破って食べる」といった涙ぐましい(と言うよりも異常な)決意をされた方には、英語が大きな苦痛の種だったことでしょう。

これからお話する内容は、科学的な裏付けはありませんが、少なくとも個人的な体験や経験から、外国語学習が美容と長寿を実現するというユニークな視点を提供するものです。

ある外国語を徹底的に音読練習すると、徐々にその言語を母語とする人の顔つきに変わっていきます。中国語に堪能で天安門広場で警官に現地人と間違 われた友人。ブラジルのサンバのリズムで血が騒ぐセニョリータ。フランスのエスプリの香りが瞳に漂うマドモアゼル。数多くの日本人が異文化の雰囲気を醸し 出しています。これは日本語では使わない発音器官の使用が原因の一つなのだそうです。内なる美容整形かもしれません。

今、私は生徒の女子中高生たちと「英語の音読練習を通じて、ダイエット目標を立て、セレブを目指す」誓いを立てています。A子さんはこの夏休み終 了までにマイナス2キロ。B子さんはマイナス3キロ。ちなみに私はマイナス2・5キロ。たいていの女性が関心を持っている美容(特にダイエット)と英語学 習とのコラボレーションなのです。

音読練習は見方を変えれば、有酸素運動です。したがって食事上の不摂生がなければ、効果的なダイエットの立派な手段となり、セレブへの道を開くのです。

では具体的にどう練習するのか?ウィスパーとモニターです。前者は囁きながら音読をします。横隔膜を使うので腹式呼吸法の体得とともにウエストを 引き締め、「軽くヤバイ」貴女にも効果大です。後者は利き手を耳にヘッドホンのようにかざし、自分の発音を自己チェックするのです。

私は3年前に「76歳まで生きよう!」と決めましたが、最近、「100歳まで生きよう!」に変わりました。外国語は日本語では使わない脳の部分を活性化し、アルツハイマー病や認知症に罹りにくくするので、一つでも多くの外国語に取り組めば長寿につながっていくようです。

「長生きのリスク」という言葉があります。これは年金・医療・介護の必要性に直結しますが、どちらかと言えば悲観的な考え方でしょう。人生は楽し むためにあるのです。異文化、異性と積極的に交流し、一日でも長く生きようとすることです。日本は世界一の長寿国ですが、その質が問われています。

私はある宇宙語を三千万回以上音読してきました。その結果、25年間カゼをひかず、健康状態も問題なく、何よりも落ち込んだことが一度もありませ ん。外国語はありがたいことに狭い意味の美容のみならず、質の高い長寿をも提供してくれるのです。自分の顔と体を鏡に映してビフォーアフターを楽しみませ んか?

さあ、あなたは何キロ減量して何歳まで生きようと思いますか?今日はあなたの余生の初日です。人生は一度だけですが、変身は十分可能です。この世には60億以上の多様な生き方があるのですから。次回は「多重人格・中観主義」について語ります。

外国語があなたを変えていく(2)

浪木 明

今回は、「時間管理」について触れたいと思います。小学校時代に夏休み前の計画表(もしくは日課表)を作った経験をお持ちの方は多いでしょう。今振り返ると、私は「計画を立てる ことが大好き」でした。いくつものパターンの日課を考えるだけで楽しくて仕方がなかったものです。

特に旅に出る時は、各種交通機関の時刻表や地図、ガイドブックを広げ、あたかも実際に旅をしているかのような錯覚に落ち、気がつけば夜が明けていたこともしばしばでした。

日常生活においても、電車の何両目のどの位置に立てば、次の乗り換えがスムーズに運ぶかを常に考えてしまいます。スーパーに買い物に行けば、どの売り場からスタートし、所要時間 と予算を正確に計算できるようになっています。

実はこのことが仕事では、「スケジュール管理能力」として発揮されるのです。スケジュールの管理ミスは「時間の無駄」となります。私は現在18人 の生徒たちに英語の個別指導をしておりますが、生徒各々が使っている教材やクラブ活動、他の習い事などが異なります。しかし個々の「スケジュール管理」を 徹底しているため、授業時間設定ミスはほとんどなく、無駄な時間がなくなるのです。

外国語学習において、「時間の確保」は絶対必要条件となります。そのため学習習慣が身に付かない悩みを持つ生徒には、「マイライフノート」をつけ させます。これは、週間単位で毎日の(1)起床時刻、(2)学習時間数(1時間ではなく60分と、分単位で記入)、(3)就寝時刻、(4)その日の気分ベ クトル(上昇・水平・下降)を矢印で記入してもらいます。寝る直前の数分でできる作業で す。

このノートを一ヶ月続けると、自分の生活習慣の傾向性が見えてきます。「朝型か夜型か?」「何曜日が調子が良いか?」などです。私はこのデータを 参考に、単に「英語頑張りなさい!」というような抽象的なアドバイスではなく、あたかもスポーツコーチのように具体的な目標達成メニューを考案することが 可能となるのです。

そして、目標が達成できなければ、生徒を叱るのではなく、新しいメニューを作り直し、あくまで指導する側の自分がもっと魅力ある授業ができるよう 工夫するのです。偏差値については、高校卒業と同時に消えて無くなる体温計のようなものと考え、結局のところ、「英語を使って仕事が出来、食べられるよう になる」ことを一つのゴールと捉えています。

大切なことは、始めは誰かに管理されても、いつかは自分で自分を管理できるようになることです。これが実現すれば、外国語はあなたを変えていくはずです。

次回は、「美容と長寿」を取り上げます。