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英知の栄冠200

宮川 真一

創価大学創立者の池田大作SGI会長の教育・平和・文化への貢献を讃え、本年10月7日、世界の大学・学術機関から「200番目」の名誉学術称号が授与された。これは、中国最高峰の師範大学である「北京師範大学」の名誉教授称号である。謝辞に立った池田会長は、次のように真情を吐露した。「この栄誉を謹んで報告申し上げたい、3人の方がおります。そのお一人は、中国の周恩来総理であります。もうお一人は、旧ソ連のコスイギン首相であります。そしてさらにお一人は、英国のトインビー博士なのであります。」ここでは、これら3人の人物を中心に「英知の栄冠200」を振り返りたいと思う。

20世紀を代表する大歴史学者トインビー博士との出会いこそ、池田会長にとって、世界の知性との対話の原点であった。トインビー博士から、“人類の直面する諸問題を語り合い、未来の平和を一緒に展望したい”と招へいされ、1972年に対談が開始されるのである。2年越し40時間に及ぶ対話を収めた対談集は、世界26言語で発刊。その後、この対談集を出発点として、いまでは世界一流の識者との対談集は42件を数える。

旧ソ連のコスイギン首相との最初の出会いは1974年の秋、クレムリンの執務室であった。首相は池田会長に「あなたの根本的なイデオロギーは何ですか」と尋ねる。池田会長は即座に「仏法を基調とした平和主義であります。文化主義であります。教育主義であります。そして、その根底は人間主義であります」と回答する。この時池田会長は、信念の大教育者・牧口常三郎初代会長を源流とする、「平和」「文化」「教育」という創価の根本の路線を世界に宣言した。首相は深くうなずきながら「この原則を高く評価します。この思想を私たちソ連も実現すべきです」と賛同している。1975年、池田会長は第1号となる名誉博士号をモスクワ大学から授与された。同大学のこれまでの名誉称号授賞者には、ゲーテ、シラー、ダーウィンなど人類史に輝く巨人が名を連ねる。その後、池田会長は名誉教授の称号も授与されている。モスクワ大学のサドーヴニチィ総長はこう述べる。「純粋に個人で為した功績に対し、わが大学の2つの称号を受けられた方は、池田博士が初めてであり、現在のところ唯一の方であります。モスクワ大学『名誉教授』の称号は、博士の行動と教育活動を顕彰するには、ささやかなものかもしれません。しかし、モスクワ大学にとっては特別な意味をもっております。特筆すべき出来事として、大学の歴史に残ることは間違いありません。」

池田会長が周恩来総理と会見したのは、1974年の冬、寒い北京の夜であった。周総理は、若き日の日本留学の思い出も淡々と語った。その心をしのびつつ、池田会長は会見の翌年、日本の大学として最初に、新中国からの留学生6人を創価大学に迎えた。そして、周総理が大変好きであった桜を大学に植樹し、「周桜」と命名している。今月の3日、創立者の名誉学術称号200の受賞を記念するシンポジウムが創価大学で開かれた。その席上、中国・湖南師範大学の朱新建客員教授は、次のように語っている。「世界から池田先生に贈られた200の名誉学術称号―そのうち、中国からの受章は70を超えています。先生の中日友好への一貫した無私のご貢献、その偉大な人格に対する最高の評価です。中国では、1968年の中日国交正常化提言、74年の周恩来総理との会見など、池田先生が築かれた友好の“金の橋”を知らない人はおりません。皆、池田先生のことを周恩来総理と同じように敬愛しています。」

東京大学で宗教学を専攻する市川裕教授は、「1975年の旧ソ連時代に、モスクワ大学が名誉博士号を最初に授与したときから、200番目の北京師範大学による今回の授与に至るまで、その授賞理由が一貫して変わっていない」という事実に言及。市川教授はその授賞理由を「卓越した宗教指導者で社会文化活動を通した民間外交の推進、大学の創設者で平和教育の推進と人材育成、国連とともに世界平和へ尽くす献身的活動、世界の知識人と対話し世界にメッセージを発信し続ける哲学者」に整理している。

このように、「人間主義」を基調とした平和・文化・教育の活動が高く評価される時代になったことを嬉しく思う。

Анна Политковская(アンナ・ポリトコフスカヤ)

宮川 真一

ロシアのチェチェン紛争でプーチン政権の弾圧政策を批判してきた著名な女性ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤ(48)が今月7日、モスクワ市の自宅アパートのエレベーターの中で射殺体で発見された。ポリトコフスカヤは反クレムリン派の新聞『ノーバヤ・ガゼータ』の評論員であった。1999年からチェチェン紛争の取材で現地入りを重ね、ロシア連邦軍による無差別攻撃の実態を暴露する記事を発表し続けていた。ポリトコフスカヤの名を一躍有名にしたのが、2002年に発生したモスクワ劇場占拠事件である。

2002年10月23日午後9時頃、ロシアで大評判の初の国産ミュージカル「ノルド・オスト」を上演中のモスクワ南東の文化宮殿(劇場)に、多数の武装集団が突然侵入し、観客、出演者など858人の人質を取って立てこもった。この武装集団はモブサル・バラエフ野戦司令官が率いるチェチェン武装勢力で、女性18人を含む総勢およそ50人であった。ロシア国民は彼らを狂人とみなした。

夫とともに人質となったロシアの通信社「インテルファックス」に勤務するオリガ・チャルチャニックは、「武装グループは、チェチェンで起きている悲劇を私たち人質に話し、特に子どもたちがたくさん殺されていることを強調して、だからこういう行動をおこしたと説明してました」と述べている。劇中でパイロットの役を演じていた俳優マラット・アブドラヒムは、女性ゲリラたちと会話を交わした。その中の1人「16歳」の「ズーラ」は、「家族は、殺されました。戦争を止めさせてロシア軍がチェチェンから出て行くなら、私は死んでもいい。死にに来たんです」と語った。アブドラヒムは子どもや体の弱い人の釈放を要請したという。するとある女性ゲリラが言った。「私は生後1ヵ月の赤ちゃんを残してここにやってきました。そうしなきゃならないほどチェチェンでは子どもも老人も殺されているのよ。」また別の女性ゲリラは「あなたたちも少しは我慢しなさい。私たちはロシアが軍事侵攻してから8年間我慢しています。あなた方を悪くは思っていない。ロシア政府に戦争中止を呼びかけたいだけなの」と話したという。世論調査では、人質奪取の動機はチェチェン戦争か国際テロリズムかで拮抗している。

10月25日夜、事態が急変した。ワシントンでチェチェン問題の会議に参加していたポリトコフスカヤが急遽帰国し、武装集団との交渉を開始したのである。彼女が「あなたたちにも生き残ってほしい」と呼びかけると、バラエフは「われわれの目的は、戦争を止めさせること、ロシア軍を撤退させることだ。そのためにここに来たんだ。それができないならここで死ぬ」と声を荒立てた。「もっと要求を細かく出さないと解決しません」とのポリトコフスカヤの提案に、彼らは要求事項をノートに書き記した。それは「第1に大統領が戦争を止める意思を表明する。第2に、大統領発言から24時間以内にチェチェンのどの行政区域でもよいからロシア軍が撤退をはじめる。その動きが始まったことを国際監視員が確認する。この時点で人質を全員解放する」というものであった。ポリトコフスカヤはこの2つの条件を事件対策本部に伝えた。

人質の1人であったタチアーナ・ポポーヴァによれば、この交渉の後で武装ゲリラたちはどこかに旅立つ準備を始めた。荷物をまとめた後、彼らは互いに握手を交わし、抱き合ったりし始めた。舞台上の旗は引き降ろされ、丁寧にたたまれた。バラエフは舞台に上がり、幾分陽気とも思える調子でこう語った。「諸君に秘密を明かしてやろう。明朝11時には全てが解決するはずだ。連中は妥協し始めたようだ。我々の要求をのむことを承諾した。11時にカザンツェフが来ることになっている。もしも11時に万事が上手くいけば、諸君は全員生きたまま帰れる。俺が保証しよう。従って苛立つんじゃない。」

しかし、翌26日午前5時半頃、正体不明のガスが突然ホール内に入ってきた。そしてロシア内務省特殊部隊が劇場内に強行突入し、人質の大半を解放した。特殊部隊は武装グループの3人を逮捕、女性全員を含む残りを射殺、事件はおよそ58時間後に終息した。世論は劇場急襲という決定を支持している。モスクワ市のユーリー・ルシコフ市長はこの日正午すぎの報道で「ヴィクトル・カザンツェフが大統領の連邦南部地域における全権代表として、本日の10時に犯行グループとコンタクトする予定だった。我々はこの話し合いを平和的解決の体制の中で行おうとしていた」と語った。だが、武装集団は「不安定な心理状態に陥り、その状態の中で彼らは人質を殺害し始めた」と指摘し、これが強行突入の開始の原因となったと強調した。一般市民の64%はこの報道を鵜呑みにしているが、市長が真実を語っていないことはポポーヴァが証言している。「事件が起きた当時ホール内にいた人間の1人という立場から、私は、彼らが私達を公衆の面前で射殺しようとはしなかったと言わねばなりません。」モスクワ市が27日に発表したところでは、人質のうち銃弾による死者1人(これは偶発的な発砲で、処刑ではなかった)を除き、116人全員が特殊ガスを原因とする死亡であることが判明した。特殊ガスの使用はごく一部の医師に突入直前になって知らされただけで、救急病院のほとんどの医師は知らなかったという。従って解毒剤も用意されていなかった。それでもロシア市民はマスメディアを通した政治家たちの「ノルド・オスト」をめぐる言葉を信じる向きにある。

そもそも、この事件はロシア側の挑発だったことが明らかになりつつある。2003年4月28日付のロシア紙『ノーバヤ・ガゼータ』は、ポリトコフスカヤがハンパシャ・テルキバエフという30歳のチェチェン人からとったインタビューを掲載した。彼はこの占拠事件でゲリラの1人として襲撃に参加し、特殊部隊突入の寸前に姿を消した人物で、ロシア特務機関員である疑いが濃厚だ。彼はインタビュアーに「僕はチェチェン人たちのモスクワ入りをアレンジして、劇場に一緒に入った」と語っている。ポリトコフスカヤは次のように結論した。占拠事件の犯人グループの中には、テルキバエフらロシア特務機関員が混ざっていた。ロシア市民もうすうす気付いているように、事件の発生をロシア当局は予期していた。しかし予防しようとはしなかったのだ。2003年4月17日、ロシアのセルゲイ・ユシェンコフ下院議員が自宅前で暗殺された。元ロシア連邦保安局大佐のアレクサンドル・リトビネンコは「私はユシェンコフに、テルキバエフについての詳細なデータを渡した。彼はそのために処理されたのだ」と話している。テルキバエフもその後、交通事故で命を絶つのである。

(アンナ・ポリトコフスカヤ[三浦みどり訳]『チェチェンやめられない戦争』日本放送出版協会、2004年。)

家族と平和

宮川 真一

今日世界的に家族の崩壊が叫ばれている。日本においても1970年代に入ると、近代家族=核家族を疑問視させるような現象が発生してくる。第1に、子供に見られる病理現象の出現であり、非行の増加や登校拒否、家庭内暴力、自殺などが挙げられよう。第2に、1960年代に始まる離婚の増加傾向である。また、女性の解放・自立・地位向上を目指す運動は、共働き夫婦の増加とともに、「男性は仕事、女性は家庭」という性別役割を再検討させている。第3に、高齢社会を迎えるにあたり、夫婦家族制は老親にとって老後生活の不安の根源になっている。

近代家族は家族にとって家庭こそ心やすらぐ場であり、家庭外の世界がもたらすストレスを癒す場であるとのイデオロギーを伴っている。しかし、今日的な問題として、児童虐待、帰宅拒否症、アダルト・チルドレン、キッチンドリンカーなど、家庭そのものが家族メンバーのストレスの源泉となっている場合も少なくない。近年、受験競争の低年齢化、低成長期における企業社会の動揺など、家族をゆさぶる社会的変化が生じている。家族形態にしても、共働き家庭や単身家庭、単身赴任、離婚、再婚、事実婚、シングル化、子供をもたない夫婦、婚外子、養子、同性のカップル、血縁とは関係なく家族として暮らしている場合など、さらに新しい家族のあり方が多く存在している。実際には厳密な意味での核家族の方が少なくなりつつあるといわれる。

日本における家族の今後の動向として、次の3点が指摘されている。1、他の社会機関との相互依存が強まり、多様化する。2、家族を支える絆としての情緒的結合の意義はさらに大きくなる。3、個人化が深まる。女性については、男性に並ぶ高学歴化が、自分の意思で人生を選ぶ能力と選択の幅を拡大し、自主選択・自立を求めることの可能な女性の増加を暗示している。青少年については、住宅条件の改善に伴う個室の確保、パーソナル製品の普及などが彼らの個人化と自立を進めた。

現代日本の家族は近代家族から、多様化・個人化・愛情機能中心化する現代家族へと変化しつつある。それは必ずしも家族の崩壊を意味するものではない。むしろ、家族の第1次集団としての意義は高まっている。家族は、現代社会において他の多くの集団が非人格化していくなかで、数少ない「人間的」集団である。今日、大衆社会状況のもとで人間の自己疎外の現象が発生し多くの社会病理現象が頻発しているが、こうした条件のもと家族の果たすパーソナリティ安定化の機能はいよいよ無視できない。

(石川 実編『現代家族の社会学―脱制度化時代のファミリー・スタディーズ』有斐閣、1997年;森岡清美・望月 嵩『新しい家族社会学』(四訂版)培風館、1997年;望月 嵩・本村 汎編『現代家族の危機―新しいライフスタイルの設計』有斐閣、1980年。)

ニューズレターNo.11より転載(編集部)

1999年モスクワ連続爆弾テロ事件

宮川 真一

6月25日、またもやチェチェンがらみのおぞましいニュースが世界を駆け巡った。この戦闘の発端は7年前にさかのぼる。1999年8月末から9月中旬にかけて、モスクワのアパートを中心にロシア各地で連続爆破テロ事件が発生し、およそ300人が犠牲となった。ロシア側はこれをチェチェンの仕業と断定し、政府、メディア、ロシア正教会、知識人らが、揃ってチェチェン攻撃を主張した。これらの事件はロシア一般の人たちにも大きなショックを与え、この「戦争」を支持する世論が形成された。9月18日、ロシア軍がチェチェンに空爆を開始し、「第二次チェチェン戦争」に突入した。しかしながら9月22日、リャザンで大量爆発物を警察官が発見した。これは連邦保安局の職員が仕掛けたものであった。数々の事件現場も数日後にはブルドーザーで更地にされてしまっている。

今回の戦争は「プーチン現首相が世論調査で順位を上げるために必要とされている」と故サハロフ博士夫人は証言する。有力紙「独立新聞」編集長トレチャコフは、チェチェン武装勢力のダゲスタン侵攻は「ロシア秘密機関の作戦で、しかも上層部で承認されたもの」と断定する。戦略センター所長ピオントコフスキーは「爆弾事件で警察は明確な証拠を出していない。この事件はチェチェン戦争で政治的に利用された。この事件で戦争に対する世論が大きく変わった。第一次戦争には世論の70%が反対したが、今回の戦争では違った。プーチンが大統領になったのも、この爆弾事件が利用された証拠だ」と語る。爆弾テロ事件の真犯人は今なお捕まっておらず、容疑者たちはチェチェン人ではなく、チェチェンで訓練を受けた外部の人間だったことも明らかになっている。人権活動家セルゲイ・コバリョフ下院議員は欧州評議会議員総会で、「北カフカスにおける主犯はロシア政府と軍首脳部である」と断じた。

チェチェンNGO「チェチェン母親協会」代表マディナ・マゴマードワが2000年2月に来日し、チェチェンの現状を訴えた。ロシア当局はチェチェン共和国における取材や援助団体の活動をコントロールしており、世界に発信される情報はほとんどがロシア寄りのものとなっている。マゴマードワの発言はチェチェン内部からの貴重な証言となった。「今や、チェチェンという国全体が、スターリン時代のように巨大なラーゲリ(強制収容所)と化してしまいました。私たちには、身を守る術がまったくないのです。」「前回の戦争で、100万人強の住民のうち約12万人が死にました。300年以上前、チェチェン人は400万人もいましたが、今は100万人もいません。過去400年間、30年から50年ごとにロシア人によって大量虐殺されているからです。あたかも100万人を超えないように人口を調節しているかのようです。前回の戦争で約300の集落のうち250が破壊され、5つある市は、70%が破壊されました。教育機関の約80%が壊され、停戦中も全く復興できず、今回の戦争が始まったのです。電気、水道、ガスなどライフラインは破壊され、生活が成り立ちません。ロシア軍の妨害によって深刻な食糧不足に陥っています。」「前回の戦争中、私の弟と同じようにチェチェン市民約1万8000人がフィルター・ラーゲリと呼ばれる強制収容所に連行され、多くの人が拷問で死にました。釈放されない行方不明者は未だに1583人もいます。ロシア軍は、今回の戦争でも同じことを始めています。村の中に入り、金目のものを略奪し、抵抗すると射殺するか連行していきます。」

「人権のための医師団」はイングーシで実施した無作為調査の結果を2000年2月 に発表した。その結果、ロシア軍のチェチェン民間人に対する処刑・違法な拘留・拷問など、広範囲で組織的な虐待行為が明らかになっている。回答者326人の44%がロシア連邦軍による民間人の殺害現場を目撃し、そのうち8%は家族が被害者だった。また、4%の人から、家族がロシア軍による拷問を受けたという報告があった。チェチェンを逃れイングーシに入った理由は、71%がロシア軍の砲爆撃を避けるためで、25%がロシア軍から危害を加えられるのではないかとの恐怖からだという。調査および詳しい証言により、病院、医師および患者に対して攻撃が加えられたとの証拠も提示されている。ハッサン・バイエフ博士と看護婦は、120人の患者が病院から連れ去られ、ロシア軍によって拘留されたと話す。博士は患者7人とチェチェン兵士6人、70歳のロシア人女性の遺体を見たと証言。全員がロシア軍により病院のベッドで射殺されたのだった。

※ハッサン・バイエフ(天野隆司訳)『誓い チェチェンの戦火を生きたひとりの医師の物語』アスペクト、2004年。近年日本で出版されたチェチェン関連本の中でも秀逸。チェチェン人から見た「チェチェン戦争」、バイエフの数奇な人生に、言葉を失います。

ВТОРАЯ ЧЕЧЕНСКАЯ (第二のチェチェンの)

宮川 真一

チェチェンをめぐる戦いは、ロシア国内におけるナショナリズムの複雑さを示している。国家が弱体化して社会が国家から相対的に自立するなか、ペレストロイカ以来ロシア人の間では「国家意識」としてのナショナル・アイデンティティは希薄になっている。同時に、チェチェン人などロシア内の少数民族では、「民族意識」としてのナショナル・アイデンティティは高揚している。ロシアが何を原理として新たな国家を統合し、いかなる国家形態を模索しているのか、ロシアの国家としてのアイデンティティが問われている。今日ロシア国内での主要な問題はマジョリティのロシア人とマイノリティの非ロシア人との関係である。ツィガンコフは、もし非帝国的な、新しいリベラルなナショナル・アイデンティティが形成されなければ、ロシアに残された選択肢は新たな全体主義体制か民主政府かではなく、分裂と内戦を導くことになるであろうと警告を発している。

歴史を振り返れば、現代の「チェチェン戦争」は、帝政ロシアからソビエト時代に跨る数世紀に及ぶ「大カフカス戦争」の一環である。この戦争の本質はロシア帝国主義に対するチェチェン民族解放闘争であった。「第二次チェチェン戦争」には様々な要因が交錯している。カフカス山脈南のグルジア、アルメニア、アゼルバイジャンや中央アジア諸国への政治的影響力を維持するという地政学的要因が挙げられる。非ロシア系住民のロシアからの分離独立運動を刺激することを警戒する政治的な要因も挙げられよう。チェチェンは石油戦略の要衝の地にあることが経済的な要因をなしている。「第一次チェチェン戦争」の挫折、NATOの一方的拡大、セルビアへのNATOの空爆などはロシア民族主義を大いに傷つけた。チェチェンでの戦勝は1990年代の混乱と屈辱の終わりを画す、輝かしい出来事だった。2001年米国同時多発テロ事件以降、ロシア社会でもイスラム嫌いの風潮が強まった。完全に腐敗したロシアの軍隊と警察は、チェチェンでやりたい放題の限りを尽くしている。殺人、略奪は日常茶飯事となってしまった。こうして、100万人のチェチェン人のうち30万人が犠牲となり、50万人が難民となった。

「第一次チェチェン戦争」は世論の7割が反対した。「第二次チェチェン戦争」は、世論の支持を背景にロシア側優位に進められている。そこでは数度におよぶ大規模なテロ事件が追い風となった。1999年モスクワ連続爆弾テロ事件、2001年米国同時多発テロ事件、2002年モスクワ劇場占拠事件、2004年ベスラン学校占拠事件である。テロリズムとは「組織的暴力による恐怖を強制の手段として用いようとする思想や行動」であり、次のように分類される。多くの民族解放運動における反体制集団によって実行されるような「抵抗テロリズム」、世界に衝撃を与えて特定の政治的不満と課題を認めさせようとする「表示テロリズム」、宗教的信条に動機づけされた「救世主テロリズム」、あるレジームによってそれ自身における無辜の市民や「敵」に対して日常的に行使される「国家テロリズム」である。

次回以降、これら大規模テロ事件を検証しつつ、この地で何が起きているのかを探りたいと思う。

※拙稿「『第二次チェチェン戦争』におけるテロリズム」『ソシオロジカ』(創価大学社会学会)Vol.28、No.2、2004年;同「現代ロシアのナショナル・アイデンティティと『第二次チェチェン戦争』」『比較文明』(比較文明学会)21、2005年。

比較文明学体験記

宮川 真一

比較文明学なる学問に私が出会ったのは、高校3年時に池田大作氏とトインビー博士との対談『二十一世紀への対話』 を読んだときである。その後、創価大学に推薦入学させていただき、3年次は故高橋通敏先生にゼミ生としてお世話になった。高橋先生はかつて外務省の条約局 長を務められ、エジプト大使・ユーゴスラビア大使等を歴任されている。その高橋先生が当時心酔しておられたのが、トインビー著『歴史の研究』であった。ゼミ生の我々は「トインビー・市民の会」を紹介していただき、おそるおそるその研究会にも参加したものである。

その後、創価大学大学院に進学させていただき、指導教授の中西治先生より、故山本新先生についてお話をうかがう機会があった。山本先生と いえば、日本に比較文明学を紹介し、この学の発展に尽力された大功労者であられることを、当時の私は知らなかった。院生時代の後半は、働きながら学ぶ生活 になった。ある日、アルバイトの塾の帰り、古本屋で山本先生の著作を発見した。『トインビーと文明論の争点』 と題する分厚い書物の目次を開くと、なぜか胸騒ぎを覚えた。格安で購入し、読み進めるうちに、読書をしているというよりは事件に遭遇しているような気がし た。かつてアメリカ、西ヨーロッパを貧乏旅行で歩き回り、イギリス、ロシアにそれぞれ1年ほど留学させていただいたときに漠然と感じていたものの正体に触 れたような気がした。

2004年の春、私は比較文明学会に入会した。入会した年の第22回大会は、福岡県の北九州市立大学で開催された。「環境と文明の未 来」をテーマとし、初日に講演・シンポジウムが開かれ、2日目には自由論題での報告が多数行なわれた。私も早速、現代ロシアについて研究報告をさせていた だいている。大会期間中、この学会の会長を務められていた先生にもご挨拶した。その方は日本におけるトインビー研究の第一人者であられる。若造の私に対 し、池田先生とトインビーの対談は日本の比較文明学における最高峰の財産であること、比較文明学会も高齢化が進んで「おじいさん学会」になりつつあるこ と、それゆえ創価大学から多くの若手研究者がこの学会に入会して欲しいと思っていることを語って下さり、この学会の中枢におられる先生方に私を紹介して下 さった。

私はずうずうしいことを承知で、報告原稿をこの学会の機関紙『比較文明』に投稿させていただいた。案の定、厳しいご意見も頂戴し、手直しにひと夏全部使った。その甲斐あって、今年2月に刊行された『比較文明』第21号に拙稿を掲載していただくことができた。 ここに創価大学人の論文が載るのは初めてのことのようである。(拙稿「現代ロシアのナショナル・アイデンティティと『第二次チェチェン戦争』」比較文明学会編『比較文明』21、行人社、2006年。)

次回より、この論考をベースにして、「第二次チェチェン戦争」について書かせていただきたいと思う。

ロシア・ネオナチと平和運動

宮川 真一

2002年4月にはロシアで右翼過激主義者による犯罪が急増した。在ロシア日本大使館は「スキンヘッズにご注意を」とのチラシを配り、議会では「ロシア連邦過激主義活動対策法」が成立した。私も、夢の中でロシア・ネオナチの襲撃事件に遭遇したことを覚えている。

現在の右翼過激主義に典型的なイデオロギーを構成する要素は、次の4点に整理できる。1、ナショナリズム。「極端な」あるいは「民族的に 基礎づけられた」ナショナリズムであり、固有の国家が他の国家より優れているという見方としてのナショナリズムである。2、権威主義。社会次元では服従の ための服従、政治次元では国家を社会の上位に位置付けることであり、「指導者」への期待がある。3、反多元主義。これは民族と国家を統一体として融合する 自然秩序とみなす「民族共同体」イデオロギーの中に位置付けられる。4、不平等のイデオロギー。これは固有の集団に属さない人間の排除と軽視に結びついて いる。人種主義、外国人敵視、強者の権利の主張などがその内容である。

また、現在の右翼過激主義の危険性を総合的に把握するためには、次の4つの次元を考慮する必要がある。1、右翼政党の政治的、組織的発 展とその政治社会へのインパクト、とくに選挙過程における右翼政党の成果。2、右翼過激主義者の非政党的な組織的ネットワーク化、とくに出版物の社会的影 響。3、青年文化やサブカルチャーなどの前政治的領域の動向、例えば「スキンヘッズ」による右翼過激主義的暴力行動。4、一般市民の間での右翼過激主義へ の支持の潜在力、である。1999年の時点で、ロシアにおける右翼過激主義勢力は選挙という政治次元では縮小傾向にあった。しかし、社会次元ではその影響 力を維持しており、一般市民の意識次元では右翼過激主義を支持する十分な潜在力が存在したのであった。

2004年7月に成立した「過激主義活動対策法」は、新生ロシアで初めて過激主義を法的に定義し、ナチズムを禁止する。国家体制変革、 人種・民族・宗教紛争を起こす団体を非合法化し、それを助長する報道も規制することになった。しかし、過激主義の原因・条件・予防についてはおざなりな規 定にとどまっている。新法は過激主義活動に対する対症療法に過ぎないといわざるをえない。2002年10月下旬、モスクワ劇場占拠事件がこの立法を嘲笑う かのように発生した。このコラムでもいずれ「第二次チェチェン戦争」に触れたいと思っている。2002年12月の調査では、モスクワに住む外国人の安全を 脅かすものは第1にスキンヘッズ、第2に警察官、第3に運転手である。2002年中にスキンヘッズの勢力は強まってきており、新法が短期的に効力を発揮し ているとは言いがたい。

さらに、この法律には、社会・宗教団体の活動が抑圧されるという批判が殺到した。2002年12月、『ガゼータ』紙は政府内部で検討さ れている宗教的過激主義に関する法案レポートを公表した。そこでは、国民の安全保障に対する5つの宗教的脅威として、第1に正教徒を改宗させようとする ローマ・カトリック教会、第2に人道的援助を装うプロテスタント組織、第3にエホバの証人・サイエントロジーといった外国擬似宗教共同体、第4にイスラム 過激主義、そして第5に「文明の衝突」およびキリスト教・イスラム教間の避けられない紛争という考えを促進する試みが列挙されている。こうした政府の動き は、新法に対する批判が的外れでないことを示している。

このようにロシア政府の対策が功を奏していないどころか事態が悪化する兆しさえ表面 化している以上、今後の取り組みとしてまず新法の改正も含めた政策の再検討が必要とされよう。とともに長期的・抜本的対策として、ロシア右翼過激主義の土 壌となっている、政治・経済・社会・文化の混乱が終息し、民主的な政治、公正な経済、開かれた社会、「平和の文化」が構築されなければならない。そして、 右翼過激主義がナショナリズム、権威主義、反多元主義、不平等のイデオロギーに立脚する以上、それらに対抗するヒューマニズム、民主主義、多元主義、平等 の理念を掲げた平和運動こそ、今のロシア社会には求められているであろう。
(拙稿「現代ロシアにおける右翼過激主義対策—『過激主義活動対策法』をめぐって—」創価大学社会学会編『ソシオロジカ』第29巻、第1・2号、2005年3月。)

ロシア連邦過激主義活動対策法

宮川 真一

ロシアで右翼過激主義が台頭していた2002年4月29日、プーチン大統領は「ロシア連邦過激主義活動対策法案」を下院に提出する。ロシアで「過 激主義」を初めて法的に定義するという画期的なこの法案は6月6日、下院総会の第一読会において、賛成271(60.2%)、反対141(31.3%)、 棄権1(0.2%)、無投票37(8.2%)で承認された。この法案には議会の内外から様々な批判が寄せられていた。しかし、6月9日に開催されたサッ カー・ワールドカップの日本・ロシア戦で、ロシアの敗北を機にモスクワの広場に集っていた過激な若者集団が暴徒化するという事件が発生する。右翼過激主義 のネオナチ党員が混じって煽動していたとされるこの暴動により、下院の建物も損害を被り、118人が逮捕、警官20人を含む100人以上が入院する事態と なった。この事件も立法過程に影響し、6月20日の下院総会では、賛成272(60.4%)、反対126(28%)、棄権2(0.4%)、無投票50 (11.15%)で第二読会を通過。6月27日には賛成274(60.9%)、反対145(32.2%)、棄権0、無投票31(6.9%)で第三読会を通 過し、この法案は下院で採択されるにいたった。概ね6割の与党議員が賛成、3割の野党が反対しており、共産党、農業党のほぼ全員と「ヤーブロコ」所属議員 の約半数は反対にまわっている。その後7月10日に法案は上院で承認され、7月25日にプーチン大統領が署名し、速やかに成立した。

この法律は第1に、「過激主義活動」を次のように規定する。「社会および宗教団体、またはその他の組織、またはマスメディア、または 自然人の活動で、次のことに向けられた計画、組織、準備および遂行を指す。憲法体制の原則を暴力的に変更すること、およびロシア連邦の一体性の侵害。ロシ ア連邦の安全保障の破壊。全権の強奪若しくは奪取。非合法的な武装部隊の創設。テロ活動の実行。人種的、民族的若しくは宗教的不和、並びに暴力若しくは暴 力への訴えに関連する社会的不和の煽動。民族的尊厳の侮辱。イデオロギー的、政治的、人種的、民族的若しくは宗教的憎悪または敵意、並びに何らかの社会集 団に対する憎悪または敵意を動機とした、大規模騒乱、無頼行動および野蛮行為の実行。宗教に対する態度、社会的、人種的、民族的、宗教的若しくは言語的帰 属の特徴に関する市民の優位性、優位または下等の宣伝」。このように過激主義を大変広く規定しているが、ここから新法がテロリズム・分離主義をも射程に入 れていることが読み取れる。第2に、ナチズムも法的に禁止され、ナチの付属物またはシンボルの宣伝および公的な誇示を過激主義と位置付ける。「ドイツ国民 社会労働党、イタリア・ファシスト政党指導者の著作」は「過激主義資料」と規定される。第3に、過激主義の予防について。「過激主義活動対策の基本方向」 は過激主義活動の予防措置を講じ、過激主義の原因と条件を明らかにして除去することである。また「過激主義活動の予防」として「過激主義活動の予防に向け られた養育、宣伝を含む予防措置を講じる」と規定しているが、これらの詳細については触れられていない。第4に、社会・宗教団体について。「ロシア連邦で は目的若しくは行動が過激主義活動の実行に向けられた社会および宗教団体、その他の組織の創設および活動は禁止される」と規定し、「大衆行動遂行の際にお ける過激主義活動実行の不許可」について定めている。第5に、マスメディアについて。マスメディアを通じての過激主義資料の散布およびそれらによる過激主 義活動の実行は禁止され、マスメディアが過激主義活動を実行した場合にはそのマスメディアの活動は停止されることがある。

この立法には様々な批判が寄せられた。「権利擁護ネットワーク」のセルゲイ・スミルノフによれば、新法は民主的でも人権を擁護するもの でもない。過激主義活動の極めて広い定義、規定された措置が法廷外の性格をもつことなどから、新法は市民に向けられた危険な道具となっている。人権研究所 の専門家であるレフ・レビンソンは新法が「リベラルな社会団体法に含まれている、社会団体擁護の機能を破壊している」と述べ、この法律が社会・宗教組織の 活動を統制下に置くことを目指していると指摘する。人権研究所所長のバレンチン・ゲフテルによれば、この法律は諜報機関が気に入らない組織に制裁を加える ことを可能にしており、「グリーンピース」のエコロジー行動、反グローバリストのデモンストレーション、反戦行進などが「過激主義活動」とされかねない。 下院社会団体・宗教組織問題委員会副議長のアレクサンドル・チュエフによれば、この法律は個々の市民のみならず、「良心の自由および宗教団体法」に従って 登録済みの宗教組織の権利をも制限しており、ロシア連邦憲法に違反するものである。

それでは、右翼過激主義の台頭にはいかなる対策が適切であるか、次の機会に検討したいと思う。
(拙稿「現代ロシアにおける右翼過激主義対策—『過激主義活動対策法』をめぐって—」創価大学社会学会編『ソシオロジカ』第29巻、第1・2号、2005年3月。)

スキンヘッズにご注意を

宮川 真一

ヨーロッパでは1980年代半ば以降、ロシアでは1990年代に入ってから右翼の台頭が社会を騒然とさせている。「9・11」米国同時多発テロ事 件の衝撃を受けたロシアでは、2002年にも右翼の伸張が顕著であった。2003年6月に沖縄大学で開催された日本平和学会春季研究大会で、私はこの問題 について研究報告をさせていただいた。今にして思えば、亜熱帯の沖縄で極寒のロシアを語らなくても良かったかもしれない。

2002年4月4日、モスクワの在留邦人に日本大使館から「ヒトラーの誕生日が近づいています。スキンヘッズにご注意を」とのチラシが 配布された。2002年に入り、「ロシア・ネオナチ」を自称する10代の青年が外国人を襲撃する事件が頻発している。4月20日のヒトラー生誕の日を前 に、「ネオナチ」の活動は過激化した。モスクワではアフガニスタン人が殺害され、外国人が経営する商店が略奪された。モスクワ中心街の地下鉄で、内務省通 訳官のアフガン人がスキンヘッドに襲撃・殺害される事件が発生した。在ロシア・アフガン大使館はロシア政府に抗議している。ウクライナのキエフでは、スキ ンヘッドの50人がユダヤ教のシナゴーグを襲撃したことが明らかになった。CIS諸国の在ロシア外交当局は、「ネオナチがCIS国民を脅かしている」と外 務省に申し入れている。米国やアフリカ諸国からも自国民保護の要請が相次ぎ、ロシア政府も事態を放置できない状況に追い込まれた。グリズロフ内相は、治安 警察による取締りの強化を発表。プーチン大統領は年次教書演説で、「過激主義の台頭はロシア社会にとって深刻な脅威だ」と警鐘を鳴らしている。

社会学の概念では、「急進主義」は規範もしくは手段次元の表出として把握され、「過激主義」は価値もしくは目的次元の表出として把握さ れる。具体的には、「急進主義」は憲法の認める政治紛争の社会的な手段を拒否し、とくに暴力との親近性を展開させている。これに対し、「過激主義」は民主 主義的諸価値を肯定する程度に関わるものである。こうした過激主義の運動を発生させる社会構造的特質は、次のようなものである。

  1. 前近代的集団が政治単位になっているなど社会の構造が未分化な場合、あるいは宗教、人種、民族といった社会的断絶が集団間の差別を補強している場合。
  2. 支配構造が硬直したり機能不全に陥る場合。ツァーリズムなどのような支配の一元化、未熟な革命レジームの試行錯誤、または国家と個人を媒介する中間集団が有効に機能しない大衆社会状況など。
  3. 多様な社会的断絶が集中し重なって固い障壁を創出し、社会的移動が抑制されている場合。都市貧困層、下層移民、植民地被支配者、少数民族などは過激主義の母体となる。
  4. 要求および抗議を有効に表出する制度上のルートがなかったり、あっても閉塞している場合。

ソ連邦の消滅という劇的な政治・社会変動を経験したロシアでは、急激な市場経済への移行、競争社会への突入は、高まる失業率、社会保障の 打ち切り、経済格差の拡大、生活水準の低下となって庶民の生活を直撃した。政治システムが弱体化し、社会的弱者や一般民衆の間に社会的没落と被排除の意識 が強まった。経済の自由化は国際経済システムへの参入を意味するため国民の運命が外国の手に委ねられる結果となり、無力感を生んだ。ロシア社会では「個人 化」状況、アノミー状態が西欧諸国よりも直接的な形で現れている。また、ソ連解体の結果としてイデオロギー上の目標を喪失したことから精神的に動揺してお り、国家イデオロギーを新たに定義する必要に迫られてもいる。ロシアを混乱の極みに陥れた近代化それ自体に対する反発が高まるとともに、無秩序な政治・経 済・社会・文化の中で「自分は何者なのか」を規定するアイデンティティの模索が始まった。その中で、誰からも奪い取られず、自らも脱ぎ捨てることができな い「自然」の集団カテゴリーが重要視されてくる。宗教が目覚しく復興し、ナショナリズム、人種主義が高揚するとともに「外国人嫌い」の風潮が蔓延するので ある。

こうした事態にロシア政府がいかに対処しているか、次の機会に取り上げたいと思う。
(拙稿「現代ロシアにおける右翼過激主義対策—「過激主義活動対策法」をめぐって—」創価大学社会学会編『ソシオロジカ』第29巻、第1・2号、2005年3月。)

正教文化の基礎

宮川 真一

いまロシアの公教育では、宗教教育をめぐる熱い闘いが繰り広げられている。1990年初頭、ロシア教育省はロシアの学校にキリスト教の倫理と道徳を強調するカリキュラムによる宗教学習の導入を決定した。1992年12月、ロシア教育大臣とアメリカ共同使節団執行委員会は「意向に関する議定書」に調印した。そこでは共同使節団を「キリスト教社会プロジェクト」と記述し、「教育と社会の精神的刷新の分野における協力を発展させるため」、両者はロシア公立学校の道徳と倫理の課程とカリキュラムを発展させることが記されている。やがて、ロシア教育省はロシア正教会との提携を進展させる。1997年から1999年にかけて、ロシアのいくつかの地域では州行政機関の資金で公立中学校に正教の教義を教える正規の科目が導入され始めた。1999年2月、モスクワ総主教庁の提案に沿って、教育に関する世俗・宗教委員会が教育省内に創設された。また1999年8月には、「ロシア連邦教育省とロシア正教会モスクワ総主教庁との協力に関する契約」にフィリポフ教育大臣とアレクシー二世総主教が署名した。

2002年初頭、アラ・ボロジナ著の教科書『正教文化の基礎』が出版された。これには「ロシア連邦教育省とロシア正教会モスクワ総主教庁との統一行動に関する調整評議会推薦」の公印が押されている。2002年10月22日、フィリポフ教育大臣は科目「正教文化」の模範的な教授法計画の要約を付与した書簡に署名した。この書簡は地方の教育局にも発送され、ロシア各地の学校で「正教文化の基礎」が集中的に導入され始めたのである。グレブネフ教育次官も2004年1月、中学校の必修プログラムに「正教文化の基礎」コースを導入するべきとの考えを明らかにした。2月3日の記者会見でフィリポフ教育相は、中学校に選択科目としての正教教育を導入する方針を再度表明した。

こうした教育省の政策により、中等教育における正教教育の導入に対する賛成 派と反対派が形成されることになる。賛成派には、当事者であり推進者であるロシ ア正教会、ロシア教育省を別とすれば、地方・連邦権力機関の一部、ロシア・ナショ ナリストの社会・政治組織のいくつか、正教徒または金銭的に利害関係を有する教 師の小グループという主として3つの勢力が挙げられる。反対派は主に次の4グルー プから構成される。新しい負担を重荷と感じる児童。児童への宗派教育を望まない 両親。道徳についての自身の見識をもつ大多数の教師。リベラルな社会-政治組織 であり、彼らは社会制度においてロシア正教会の影響が強まることはロシアの民主 的発展に対する脅威であり、他の宗教・宗派の権利侵害であるとみなす。人権組織 に所属するポノマリョフとイハロフは、ボロジナの反ユダヤ主義を糾弾し、彼女に対する刑事上の取り調べを開始させた。この件に関してモスクワでは10以上の裁判が行われたのである。

「世論」基金が2004年12月にロシア全土で実施した調査において、学校では世界「宗教史」と「正教文化の基礎」のどちらを教えるべきかを尋ねている。およそ半数の回答者がどちらも教えるべきであるとし、「宗教史」のみが1~2割、「正教文化の基礎」のみが1割弱、どちらの科目も教えるべきでないとする人が1割程度であった。さらに、「宗教史」または「正教文化の基礎」を必修科目にすべきとする人は2割、選択科目が5~6割、どちらも教えるべきでないとする人が1割程度となっている。これら調査から、「宗教史」と「正教文化の基礎」の両方を選択科目で教えることを世論は支持しているようである。
2005年9月21日、ロシア科学アカデミー世界史研究所のチュバリヤン所長は、宗教史に関する学校教科書が完成したことを明らかにした。フルセンコ教育科学大臣は以前から児童が全ての世界宗教を学習することを保証しており、9月初頭にはロシアの学校における『正教文化の基礎』教育のテキストを取り替える方針を表明している。これを受けてロシア正教会の外郭組織である正教市民同盟は22日声明を発し、これは偉大な正教大国ロシアの正教市民に対する挑戦であると訴えている。しかし教育科学相は10月4日、テキスト『宗教史』が本年中には承認され採択される見通しを語った。こうしたロシア教育科学省の政策を歓迎しつつ、新たな年もこの問題から目が離せないように思われる。

この1年、私の拙いコラムに目を通して下さった皆様に厚く御礼申し上げます。

(拙稿「現代ロシアの公教育における宗教教育―『正教文化の基礎』コース導入をめぐって―」ロシア・東欧学会第34回大会自由論題Ⅰ報告、西南学院大学、2005年10月16日。)