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エッセイ48 沈黙の春

木村 英亮 (2006年4月23日 4時49分)

これは1962年にレイチェル・カーソンがアメリカで出版した、環境問題についての先駆的な本の題名である。

少し前まで、春の夜は、コマドリ、 ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で明けた。しかし、いま野原、森、沼地は黙りこくっており、沈黙の春である。これは、1945年前後からつくり出された 塩基性の化学薬品によって生物が絶滅したためである。汚染が進めば、「植物、動物の組織のなかに、有害な物質が蓄積されてゆき、やがては生殖細胞をつきや ぶって、まさに遺伝をつかさどる部分を破壊し、変化させる。未来の世界の姿はひとえにこの部分にかかっているというのに」(青樹簗一訳『沈黙の春』、新潮文庫、18ページ)。

その後の50年、人びとはカーソンの警告を聞くことなく、化学薬品による自然の汚染は格段に進んだ。健全な自然は、多様性の維持によって 成り立つのに、人間に都合の悪いものは、毒草、害虫として、化学薬品によって絶滅させられる。これによって、自然界につくりあげられてきたバランスは破壊 され、取り返しのつかない事態が生じつつある。

いまアメリカの牛肉の輸入が問題になっている。狂牛病は、肉骨粉を飼料とし、牛に共食いさせていることが原因である。鶏は一生狭いケー ジのなかで卵を産まされている。卵の中に血がまじっていることがあると聞くが、不思議ではない。なんということをするのであろうか。牛や鶏からすれば、人 間はすべて人でなしである。人間が動物に対しておこなっているこのような仕打ちは、やがて人間にも向けられるのではなかろうか。実際すでにヴェトナムで も、いまイラクでも、化学薬品や核物質は、兵器として大量に使用されている。恐るべきことである。

人類に最後の審判が下るのは、それほど先のことではないであろう。

エッセイ 47 スターリン個人崇拝について

木村 英亮 (2006年4月21日 4時50分)

1956年にフルシチョフがスターリン批判を始めたとき、あなたはその時どうしていたのか、と問われた。ソ連解体後、ゴルバチョフには決断が足りなかったと批判している旧幹部にも、同じ問いを発することができるであろう。個人崇拝の下では、最高指導者以外は、かれに個人的に意見を述べて決定に影響を与えることに満足し、自分でイニシアチブをとることはできなかった。このような意識と行動は、絶対君主の下での廷臣の立場に似ており、個人主義の確立した現代人のものではない。

ソ連解体後、多くの旧ソ連党幹部による回想録などが出され、日本語にも翻訳された。そのひとつに、1991年末まで大統領主席顧問であったアレクサンドル・ヤコブレフの『歴史の幻影』(月出交司訳、日本経済新聞社、1993)がある。ここでは、改革を妨害したKGB(国家保安委員会、ソ連の秘密情報機関)が繰り返して非難されている。しかし、かれは党中央委員会思想宣伝部長であったので、他を批判するだけでは不十分で、われわれとしては、彼が自分の仕事をどのように総括しているかが一番知りたいところである。

また、CIAをはじめとする外国の情報機関の活動や資金の流入の全体像などもぜひ明らかしてほしかった。かれはCIA論をかいているが、われわれが知りたいのは、ソ連解体過程におけるその活動についてである。

丸山真男は、戦時中の日本の指導者が極東軍事裁判で、自分の責任について少しも反省せず、成り行きによってそのようになったとか、どうすることもできなかったと言っていることを批判した。日本では天皇崇拝があったが、天皇自身も他の選択はとりえなかったと同じような感想を述べている。中国が問題にしている「靖国問題」は、本質的にはこのような戦争責任をだれも自分の問題としていないという「歴史問題」に対する日本人の対応を衝いているのではないであろうか。

いまロシアでも日本でも無責任体制は強く残っている。それは個人崇拝とセットをなしているものである。その意味では、個人崇拝は、ロシアでは依然として克服されておらず、日本においても他人事ではない。君が代の歌唱を強制するような個人の人格を認めない体質は、まさに個人崇拝と共通のもののように思われる。

エッセイ 46 ドンキホーテ待望

木村 英亮 (2006年4月19日 4時51分)

ピョートル・クロポトキンは、1905年ニューヨークで出版した『ロシア文学の理想と現実』(高杉一郎訳、岩波文庫、1984)で、トゥルゲーネフとトルストイに1つの章をあて、この2人とドストエフスキイによってロシア文学は世界文学となった、トゥルゲーネフの小説は高度の美意識とともに知的な内容によって際立っている、と評価している。

19世紀後半から20世紀初めまでの40年間、ロシアでは文学、芸術、科学、大学にたいして絶え間のない弾圧がおこなわれ、「若い作家た ちはほとんどひとり残らず投獄や流刑を経験したし、ほとんどすべての知識階級の家庭では、家族の者か知人の誰かが獄中にいるか流刑地にあった」(上・6 ページ)。

農村生活をスケッチした『猟人日記』は、風刺的なところはまったくないにもかかわらず、農奴制度に決定的な打撃を与えた。『父と子』 では、ニヒリスト、バザーロフを描いた。トゥルゲーネフは、「もし読者が、バザーロフに粗暴、薄情、無慈悲な冷淡と厳しさがあってもなお、彼のとりこにな らないとすれば、それは私の責任で、私が目的をはたしえなかったのである」(クロポトキン、上、188ページより)と書いた。

トゥルゲーネフは、1860年の講演「ハムレットとドンキホーテ」で、人は、自分の我が第一位を占める人と別のもっと高いと認められるものが第一位を占める人に分けられるとし、前者にハムレット、後者にドンキホーテを代表させて論じた。

「ドンキホーテは全心理想に対する献身に貫かれていて、その理想のためにはありとあらゆる窮乏に身を曝し、生命を犠牲にする覚悟であり、 自分自身の生命にも、それが理想の具現、地上に於ける真理や正義の実現に対する手段となる程度しか価値を認めておりません。・・・その倫理的な本質の強さ はそのあらゆる判断や言葉に風采全体に特別の力と偉大さを与えていて、その絶えず陥る喜劇的な屈辱的な立場に関わらないのであります」(河野与一訳、岩波 文庫、1955,9-11ページ)。

トゥルゲーネフは講演を、すべてのものは死とともに埃となって散ってしまうが、よい行いは永遠に残る、と結んでいる。

エッセイ 45 成年後見制度について

木村 英亮 (2006年4月17日 4時54分)

ひとり暮らしの老人がセールスマンにリフォームなどをすすめられ、貯金を騙し取られてしまったことが報じられている。似たようなことはおそらく数 えきれないくらいあるのであろう。介護サービスも悪質な業者に手抜きされているおそれがある。子どもが親を施設に入れて財産をとってしまうこともおきているようである。普通の老人、あるいは老人でなくても被害者になりうる。

最近、170万人近い自分で権利を守れない認知症(痴呆、ぼけ)の高齢者のために、2000年に成年後見制度が導入されたことを、ボラ ンティア活動をしている友人から聞いて知った。『朝日新聞』(3月28日号)にはシニアルネサンス財団事務局長を務める河合和が、財団の紹介を書いている。それによれば、この財団はボランティアの市民後見人を養成し、成年後見制度をバックアップしているが、現在のところ利用者は少ない。

老人が増えると、社会全体として年金の負担が増大する。それだけでなく医療費なども増加する。いちばん困るのは認知症である。すべての患者に後見人をつけて、その権利を守らなければならない。

その前に、認知症を減らすことができないかと考えていると、書店で須貝佑一『ぼけの予防』(岩波新書、2005)という本を見つけた。それによると、認知症患者は、東京都では65歳以上の老人の4%程度のようである。その半分はアルツハイマー病でその他脳血管性痴呆などである。脳は使えば 認知的予備力が蓄えられ、知能より先に体が老化し認知症が起こる前に寿命が尽きる。ストレスをはじめ食習慣から運動不足までさまざまなことが認知症の原因 となる。知的好奇心をもち、適度の運動をおこない、暴飲暴食をしなければ、ぼけ老人になることはかなり防げるようである。

生涯学習の拡大は、ぼけ老人を増やさないためにも、もっともよい対策であろう。

エッセイ 44 大学生活さようなら

木村 英亮 (2006年4月15日 4時54分)

外務省にいた佐藤 優は、『国家の罠』(新潮社、2005)で、大学教授は嫌な奴らでもう極力付き合いたくない(265-266ページ)、と書いている。私は、50年以上前大学の門をくぐって、外の世界にまったく出なかったので、大学教授が役人や会社員と比べてとくに嫌な奴らかどうか比べられない。

ともあれ私は、2006年3月31日に九段校舎で辞令をもらって、二松学舎大学を定年退職し、大学での生活にピリオドを打った。同時に退職するのは、国際政治経済学部4名、文学部3名で、25日の九段会館での卒業式直後、壇上で女性職員から花束をいただいた。この日は12時から九段校舎の 教室で、私のゼミの卒業生27名(男性13名、女性14名)に卒業証書を渡したので、その時、花束をばらして女性にはバラなどを一輪ずつ渡すことができた。この最後のゼミの学生とは、2時から帝国ホテルで開かれた父母会主催のパーティで、集合写真をとったりして別れた。専門学校でもう少し勉強するという 1人を除き26人は就職が決まっている。健康で仕事のうえでエキスパートになれるよう祈りたい。

教員には、10日の学部教授会、18日の研究科委員会、16日の全学のパーティで挨拶した。パーティで大きな花束と金一封をもらった が、カサブランカは家で1週間以上強い香りを放っていた。29日には6年間使用した柏の研究室の掃除をして鍵を返し、柏への通勤は終わった。 教員や学生から、4月からどうするのかと聞かれたが、長い夏休みのような生活ということになるのであろう。

二松学舎大学は、2年前、定年を70歳から65歳とし、その年の新規採用者から適用されている。いま、年配の研究者は、基本給が少なく 1年雇用の特任教授として採用するところが多くなった。大学院設置のため横浜国立大学から定年1年前64歳でこちらに移れた私は恵まれていたというべきで あろう。在任中に、九段校舎が高層の建物に改築され、国際政治経済学部3,4年と新設された大学院の一部も柏キャンパスから移された。今後、地の利と小規模大学としてのメリットを生かしたいっそうの発展が期待される。

エッセイ 43 スポーツの世界の国際化

木村 英亮 (2006年4月13日 23時13分)

朝青龍が横綱になって数年経ち、はじめは日本人でなくて残念という人もいたが、おかげで今では相撲もすっかり国際化し、白鵬(モンゴル)、琴欧州 (ブルガリア)ら、日本人のもたない魅力で角界を豊かにし、ファンの層を広げている。国技といわれる分野で、日本人が外国人に対するスタンスを学び、知ら ず知らずのうちにナショナリズムを克服していくように見えるのは面白い。

相撲は勝ち負けが単純でわかりやすく、それだけに基本が大切である。強い力士は、小手先の技巧でなく王道で勝っている。また、実力を発揮するため健康管理が重要であることもよく判る。舞の海らの解説も相撲と同じく無駄がなくすばらしい。

春場所のなか、米国サンディエゴで開かれた第1回ワールド・ベースボール・クラシックの決勝戦で王貞治監督率いる日本チームがキューバに 10対6で勝ち優勝した。数年前には想像もできなかったことで、冬季オリンピックでの不振を忘れさせた。韓国もベスト4に入り、アジア勢の強さをアピール した。米国の経済制裁を受けているキューバは、賞金をカトリーナの被災者に贈ることになっていると報道されている。

スポーツの世界では、選手の自主性や監督のイニシアチブが尊重されているようであるが、教育の世界では教師に対する統制が強められてい る。スポーツの世界のように結果として日の丸が揚げられのではなく、まず日の丸を強制しようとしている。このような教師の手をしばり、命令するようなやり 方は、教育の衰退につながる道であり、日本の将来を暗くするものである。

軍事力や経済力だけでなく、スポーツ、教育などさまざまな分野で競争がおこなわれ、国際化が進むことは望ましい。そのさい当然のことであるが、競争は国際的に通用するルールで行われなければならない。

エッセイ 42 ピント外れの議論

木村 英亮 (2006年4月11日 23時14分)

最近、公務員住宅が問題にされている。都心の便利なところに、安い家賃で住んでいるのはけしからん、民間に払い下げよというのである。国家財政の赤字解消にたいして役立つわけではないが、心構えとしておかしいということらしい。これが問題にされる原因は、ひとつは何でも民営化すればよい、という風 潮と、ひとつはリストラのなかでの公務員への風当たりである。

しかし、この問題は、国政にとってプラスになるかどうかという観点で判断しなくてはならない。もし「高級」公務員の住宅が都心になくて もいいと言うのであれば、国会の横にある議員宿舎もいらないはずである。場合によっては、政府、国会、官庁に近いところに、ワンルーム・マンションのよう な施設をつくり、忙しいときは、単身でそこに住めるようにでもしないと、国政が滞るのではなかろうか。

公務員に限らず、働く労働者や職員の労働条件、生活条件は良くしなくてはならない。それは、仕事がきちんとおこなわれるための必要条件 である。切り詰められるだけ切り詰めて働けというのであれば、奴隷と同じで、何のために働くのかということになる。すなわち、生産性の上がった分の利益 は、だれがとるのであろうか。

大学についても基本的には同じである。教育や研究の仕事の場合はさらに、そもそも生産性といった考え方になじまないところがあるのに、それがよく理解されていないような気がする。教育はもともと贅沢なものなのではなかろか。

世間でおこなわれている議論には、ピント外れのところがあるように思われてならない。

エッセイ 41 郵便局で

木村 英亮 (2006年4月9日 23時16分)

郵便局の窓口で、杖をついたおばあさんが、局員と話をしていてなかなか終わらない。10分、20分、窓口はいくつかあるが、待っている人も多い。いまは、機械で預け入れや振込みなどができるので、簡単なことはそちらでやれば早いが、窓口でないとできないことも沢山ある。

ようやくおばあさんの話が済んだようである。おばあさん、用が足りましたか、と話しかけたいような気もする。いま、お年寄りは話し相手が いない。老人といっても女性の方が多いのであるが、つきあいは広くないであろう。郵便局の人なら信用できるし、いろいろ相談したいこともあるでしよう。

郵便局も能率が悪いなどと非難され民営化されることになった。むだを少なくしないと競争に負けてしまう。一方ではサービス向上と言って いるが、能率とサービスが矛盾することも多い。そういえば、銀行ではお年寄りはあまり見かけない。 学校でも、生徒は郵便局のおばあさんのように、ひとりひとりていねいに丁寧に教えてもらわなければ分からない。しかし、教師は雑務に追われて忙しく、「で きない」子は相手にしてもらえず、切り捨てられてしまう。そもそもできない子などいないのであって、「できない」子ができてしまうのは、学校と社会の責任 であると思う。

大学では、1年の学生に対する1クラス10人程度の基礎ゼミが広くおこなわれるようになり、個々の学生の希望に対応しようとしている。教員の負担は増え、ゼミ室も沢山必要であるが、これが教育の原点であろう。

教育はもともと能率などという概念にはなじまない。

エッセイ 40 会議の進め方について

木村 英亮 (2006年4月7日 23時17分)

会議で討論して決めていくことは、組織にとって基本的なことである。わたしの経験では、大学ではかならずしも会議がうまく運営されていない。一応会議にかけるというように、一種の儀式と考えられている場合も多いようである。

ロシア革命直後の1920年4月、人民委員会議(閣僚会議)は会議への出席怠慢に対する制裁を決定した。それによると、10分以上の遅刻 は議事録への記入をともなう譴責、2回のときは1日分の減俸、無届欠席および3回目の遅刻に対しては新聞紙上への発表をともなう譴責を定めた。続けて3回 以上の遅刻の場合は、地位からの罷免、責任ある役職につくことの禁止もありえた。大学では、教授会、研究科委員会は、最高機関であり、なによりも優先出席 すべきであるにもかかわらず、遅刻、早期退出が結構多い。議事録はくわしくとり、出欠、遅刻をふくめて記録し、公表すべきであろう。

議長は、始まりの時間を守るとともに、議事をスムースに進め、予定通りに終わるよう運営しなくてはならない。そうでないと、次の会議の 開会が遅れることになるし、早退がおこる。「報告は10分、発言は1回目5分、第2回3分、発言は2回以内、議題については賛成1名、反対1名、各1 分」、これは、議長レーニンの議事運営についてのメモである。会議にせよ、面会にせよ、だらだらしていると多くの関係者の時間を無駄にすることになる。

会議を能率的におこなうためには、議題や提案を数日前に配布しておかねばならない。その場で書類を見せられても、よい意見が引き出せるわけはない。

会議では実質的に議論しなくてはならないし、決めたことは尊重しなくてはならない。 構成員の一部を招集せずに原案を作成し、あとで意見があれば申し出るようにというような運営の仕方では、その会議で決めたことにならないし、責任は分担しえない。また決めたことが守られなかったり、参考にされるだけであれば、会議に欠席する者が多くなるのも理解できる。

エッセイ39 定年退職のごあいさつ

木村 英亮 (2006年4月3日 23時18分)

私は血を凝固させる血小板が少なめで先日は1mm3あたり14万であった。普通の人は13-35万なので下の限界に近い。 1-2万くらいでは手術ができず困る。血液学専門の医者と話したとき、10万くらいの方が脳血栓などがおこりにくくていいのではと質問すると、その通り で、原始時代には怪我が多かったので血小板は多いほうがよかったがいまはそんなに多い必要はない、わたしくらいの方がいいとも言えるとのことであった。体 格や顔立ちなどは短い期間でもかなり変わるが、血液の成分などは条件が変化しても変わらないというわけである。政治的判断力などもローマ時代からあまり変 わっていないようであるが、自然科学や技術は著しく進歩して核兵器なども作り出した。この間の大きなアンバランスは、人類の存続を危機にさらしている。

先日胃カメラで胃と十二指腸を見てもらったが、異常はなかった。胃カメラも小型化が進み消毒も完全になったので、希望によって鼻からで も入れられるし、エイズに感染することもなくなったということである。胃弱の夏目漱石は49歳で死んだが、いまは寿命が長くなり私はすでに70歳である。 他方で研究をとりまく技術的条件は短期間で非常に改善され、30年前ソ連研究といまの条件を比べれば大違いである。たとえばモスクワまでの航空運賃はいま の数倍で、留学の機会も少なく、資料を見ることも難しかった。大体本人が生きているうちに研究業績は古くなってしまう。

研究者とくに年をとった研究者の社会的役割のひとつは、言いたいことを言い、したいことをすることである、と思う。研究者は言いたいこ とを言うことに社会的存在価値があるので、そうでなくなったら世の中は終わりである。もちろんみんなが言いたいことが言える社会が理想であろう。

いつも青年のなかにいることは刺激になってよい。学生のなかに自分を見ることもある。しかし毎週いくつもの講義の準備をするのは楽でな い。講義が終わったとたんに次の準備のために頭をしぼらなければならない。講義はほんとうのところひとつでないと無理である。会議や雑用から解放されるの もありがたい。

これからの研究者は、本当にご苦労さまである。

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