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「いかに生きるか」という学問分野

わたなべ ひろし (2005年9月17日 19時19分)

大学を出て働くようになってから、ずっと考えてきたことがある。それは、大学という「お勉強」ができる環境を卒業して、これから自分は何をどうやって学んでいけばよいのだろうかということである。

最高学府である大学に長年在籍しながら、何をどうやって学べばよいのであろうかというのもみっともない話しではあるのだが、しかし事実なのだからしょう がない。大学では日本社会論をテーマとしていたので、研究対象への「留学」のつもりで実社会に出るのだと強がってみても、実際のところ何をどう勉強すれば よいのかさっぱりわからなかった。

英文学者の中野好夫さんが、自身の大学教師生活について語った文章の中で、次のように述べている。

「最初から私は大学教授になれるような勉強の仕方をしなかった。不勉強だとは申さぬが、それは好きなもの、というよりは、なんらかの意味でいかに生きるかという私自身の関心に切実な題目だけを、全くわが儘勝手に勉強した。」

これから何をどのように学べばよいのか僕は今でも分かってはいないのだが、中野さんのこの文章を読んだとき引っ掛かるものがあった。「あぁ、中野さんもやっぱりそうなのか」という具合にである。

それは「いかに生きるかという私自身の関心に切実な題目だけを」のところだ。なんというか、こういうふうに僕も「勉強」すればよいのかもしれないと、なんとなく行き先が見えた感じがしたのである。

これを仮に「いかに生きるか」という学問分野とでも名づけておこう。僕にとっては、反戦平和の問題も、戦後日本社会をいかに捉えるべきかという問題も、全てこの「いかに生きるか」という学問分野に含まれるものなのである。(そうは言っても、中野好夫という人の学問は、名訳の誉れ高いギボンの『ローマ帝国衰亡史』を始めとする数多くの翻訳があり、17~18世紀の風刺家にして『ガリヴァー旅行記』の作者であるジョナサン・スウィフトの研究があり、それこそ学術研究の面で多くの成果を残している。彼の「わが儘勝手」の勉強は、そういうものをしっかりと生み出しているのであり、僕のようなチンピラとは次元がことなるのではあるが。)

近年は、世界的なレベルで見て日本人の学力レベルが落ちているとか言われているが、例えばさまざまな私的サークルの数の多さ、多種多様な セミナーや講演会の実施、小説家や評論家といった文章や言葉を生業とする専門家の人数の多さ、書籍の発行部数等々、僕は日本人というのは「お勉強」や「学 習」の好きな国民だと思っている。そしてそれ等の「お勉強」や「学習」を通して人々が学びたいと思っていることは、学術研究的なものやノウハウ的なものよ りも、「いかに生きるか」ということなのではないだろうか。

この夏、『週刊金曜日』誌上に5回にわたって連載された、作家の辺見庸さんの「いま、『永遠の不服従』とは何か」という文章は、「いかに生きるか」という学問分野における僕にとっての収穫であった。

辺見さんは昨年の3月、新潟での講演中に脳出血で倒れ、不自由になった身体(それがどの程度のものであるのかは、もちろん分からないが)をおしての、病床 からの文章であった。辺見さんは元共同通信の記者であり、そのうえ芥川賞を受賞した優れた小説家でもある。僕は以前から辺見さんのファンで、彼の言語感覚 によって造形された世界は迫力があり、こちら側に「これを見ろ」と言わんばかりにグイッと突きつけるなにものかがあった。ただ最近(つまり病気で倒れる以 前)は、少し無理をしているというか、辺見さんの想念の深淵にまで彼の言葉が届ききれず、上っ面の方で折り合いをつけてしまっている感じがしていた。

しかし今回連載された文章は、1年数ヶ月の不自由な病床の中で、虚飾や衒い(てらい)を排せざるをえなかった彼が、それでも今の自分に残っているものだけを手がかりに、自分という存在の岩盤にたどり着く到達感が感じられるような、まことに「凄い」ものであった。

「脳がやられるというのはけだし不可思議です。……(電話番号やメールアドレスといった)社会生活上必要とみなされている記憶が消滅し、逆に(映画のセリ フや場面といった)社会的にどうでもいいような記憶が生き残ること。記憶と想念における無用と有用。これらを随分考えました。結論はありません。」

辺見さんの文章を読むことで、「いかに生きるか」という学問分野の特徴は「問いはあるが答えは無い」ということなのではないかと気づかされた。

マーケット・メンタリティ

わたなべ ひろし (2005年8月20日 22時27分)

平日の深夜などにテレビのチャンネルを変えていると、ときおりテレビ東京の経済ニュース番組で小谷真生子さんを見かける。10年ぐらい前、彼女は 「ニュースステーション」に準レギュラー出演していて、久米宏さんの隣りでステキに知的な笑顔を見せていたのを憶えているが、このテレビ東京の番組ではメ インキャスターを勤めており、いつも眉間に3本ぐらいのシワを寄せて、横にいるナントカ総研のおじさんを相手に、「それではこの点に関して、マーケットは どのように反応すると思われますか?」とかきいている。

株には手をださないようにというのは僕の両親の遺言でもあるのだが、そんな小谷さんの「変貌」を見るにつけ、彼女を変えてしまった「マーケット」などというものとは、一生かかわりあいになりたくはないものだと思っていた。

しかし現在進行している金融市場による世界の一体化は凄まじいものがあるようだ。英国の社会学者であるロナルド・ドーアさんによると、国際貿易取引額と外国為替取引額の比率は1対200であるという。つまり、一所懸命モノを作ったり売ったり買ったりした「実経済」の200倍ものマネーが、思惑だけで投機的に世界中を徘徊しているのだ。

なんにしても実経済の200倍の規模である。この国際金融市場の獲得を目指し各国はしのぎをけずっており、そして自国の投資環境を整えることが、現在では国家の重要な役割となっている。

そう考えれば、ブッシュ大統領のイラク侵攻も含めた数々の「マッチョ」な対外政策にしても、どう見てもブッシュ大統領よりは頭の良さそうな英国のブレア 首相の対米追随姿勢にしても、またロシアのプーチン大統領のチェチェン問題を始めとする強気の政策にしても、その幾分かは自国の投資環境の整備の一環とい うことなのかもしれない。

つまり、今世界中の政治家にとって、有権者の他にもうひとつ顔を向けておかなければいけない相手として、「マーケット」というものがあるということであ る。そして政治家である彼(彼女)らにとって必要な資質とは、「強気の一貫性」ということのようだ。決して「マーケット」に不安を与えてはいけないのである。

そしてわが小泉純一郎首相である。まだ解散が決まる前、次のような雑誌のコラムを目にした。

解散・総選挙の結果、小泉純一郎首相が指導力を喪失した場合、海外を含む市場の目が財政危機に向くリスクが高まる。膨大な公債発行残高に 加え、基礎的財政収支の黒字化のメドさえつかない悲惨な状況の暴発を防ぎ、長期金利の上昇を抑えているのは、構造改革によって小さな政府を実現すると言い 続ける、小泉首相のぶれない姿勢にかかるところが大きい。(『週刊ダイヤモンド』2005年8月5日号 p7)

このコラム氏によれば、「独裁的といわれる小泉首相の手法」は、「官僚と自民党族議員が結び付き、そこに総理総裁が乗るというボトム アップ型の政策意思決定システム」を改革するための「必然」だとのこと。もちろんこのコラムの主旨は構造改革を支持するものであるし、「独裁的といわれる 小泉首相の手法」を、「海外を含む市場の目」に対して「ぶれない姿勢」を示すものとして評価しているのである。

金融関係の「専門家」たちによる、このような小泉評価は一般的のようで、その後テレビや新聞で何度も目にした。

僕はこのような小泉評価は、賛同はできないが納得はできる。

「マーケット」にとって、例えば靖国もイラクも憲法も善悪の問題ではない。損得(投機)の判断材料としてのみ意味がある。そして実際に投 資をやるかやらないかはともかく、こういうメンタリティをもった人たちは確実に増えているのではないだろうか。そもそもそういう方面のセンスや知識を幾分 かでも持ち合わせていなければ、普通の日常生活を送ることにも支障をきたすような方向に、社会そのものがむかっているのであるから。

戦争や平和というものが社会の中で語られる文脈というか、基盤そのものが変わってきているということを、最近とくに強く感じる。

戦後社会を支えたもの

わたなべ ひろし (2005年8月6日 12時50分)

日高六郎さんの新著『戦争のなかで考えたこと』を読んだ。

もし「戦後民主主義者」というものがあるとすれば、僕はこの日高さんと英文学者の中野好夫さんのふたりをあげる。しかしこのふたり、いわゆる戦後思想や平和運動の研究などで思いのほか言及されることが少ない。

数年前、NHKの特集番組を観たとき、日高さんは作家の徐京植(ソ・キョンシク)さんと対談をしていた。自分たち「在日朝鮮人」の存在をその視野 に入れることの無かった戦後民主主義思想というものに対して、非常に厳しい批判者である徐さんが、「戦後民主主義者」である日高さんに対しては、とてもリ スペクトしている感じが画面からも伝わってきた。徐さんはふたりのお兄さんが韓国留学中の1971年、スパイ容疑で軍に逮捕され、19年にわたって投獄さ れており、彼らの釈放運動に日高さんはそうとう尽力されたようだ。

僕が本書から学んだことは、戦後の日本社会を評価する上で、戦前・戦中と戦後の「断絶」と「連続」の問題をどう捉えるべきかということである。

日高さんは敗戦直前の1945年7月に、当時嘱託として属していた「海軍技術研究所」へ、「国策転換に関する所見」という報告書を提出する。それは、 「28歳の青年が、15年間にわたる日本の戦争時代を経験して、どのような認識と判断を持ったか」ということを、「遺書」のつもりで書いたものだという。

この「所見」の骨子は、「支那事変の根本的原因は、我が資本主義的経済体制の支那市場獲得要求にありたり」と断じた上で、国内体制の民主化と対外政策の非植民地化を提案している。

具体的には、「国内策」としては、(1)労働組合による企業管理、(2)八時間労働制と週休制の実施、(3)地主制の廃止と自作農の育成、(4)医療お よび教育の国家管理、(5)言論・集会・結社の自由を、「国外策」としては、(1)対「支那」友好関係の樹立を対外政策の根幹とし、(2)日本の経済権益 を「支那」民衆に返し、(3)台湾・香港は返還する、(4)延安政権の連立政府方式による「支那」統一を認める、(5)「満州」国は「満州」国人の自由自 治に一任する、(6)南方諸民族の自治独立を認める、(7)朝鮮を真に朝鮮人の朝鮮とするため政治的自治独立を認める、といったものであった。

これらの具体策を見れば、それは戦後日本の民主化政策と軌を一にするものであることが分かる。

ここで銘記すべきことは、日高さんが自身のそれまでの経験(人生)において培ってきたものにもとづき、自国の民主化と非植民地化の訴えを確信を 持って「遺書」のつもりで書き、負けるとはわかっていたがそれがいつになるかはわからない時期に、軍当局に対する根本的批判を伴った「国策の転換」を、ま さに軍そのものに提出したという事実であり、そして1ヵ月後に敗戦を迎へ、その後の日本の民主化と日高さんの提案が結果として重なるものであったというこ とである。

日高さんのなかでは、8月15日を待たずに、「戦後」は始まっていた。

日高さんのこのような思想は、彼ひとりの孤立したものではなかった。それを生み出した土壌が、戦前・戦中の日本社会においても存在していたのであ り、日高さん同様、結果として「戦後」を準備していた人たちは少ないながらもいたのである。本書は日高さんの経験として、具体的にそういった人たちやその ことを示すエピソードを明らかにしている。戦後日本を根っこのところで支えていたのは、このような戦前・戦中からの「蓄え」であったのだと思う。

しかしそれは巷間言われているような、「1940年体制」論とか、「総力戦体制」論が主張する、システムや体制の戦中と戦後の「連続」ということとは全 く別のことである。なぜなら、これらの諸論が戦中と戦後の連続性を中心に説くことで、この両者の間にあるべき「断絶」(つまり戦後の民主化)は、事実とし て過小評価されてしまうことになるのに対して、日高さんの場合は、戦前・戦中と戦後の連続性は重々承知したうえで、だからこそこの両者の間にあるべき「断 絶」(つまり戦後の民主化)を「意思する」(主体的に求める)ものであるからである。

意志を持って努力した当事者と、事後的・学問的に把握する研究者・観察者との違いということか。日高さんや中野好夫さんが、学問的に「研究対象」として言及されることが少ないのも、こういうことなのであろうか。

「私は戦後憲法によって(初めて)民主主義者になったのではない」という日高さんの言葉は、戦後の日本社会を評価する上でとても重要なことがらを含んでいると思う。(なお『日本史講座 第10巻 戦後日本論』(東京大学出版会 2005年)所収の進藤榮一さんの論文を参照しました。)

今の日本で働くということ

わたなべ ひろし (2005年7月23日 13時53分)

最近帰りの電車で、まぁ10回に8回ぐらいの割合で見かけるひとがいる。帰りの電車といっても、7時頃から11時の範囲で同じ電車に乗っているわけではない。そのひとは網棚の雑誌を集めて回っているのだ。いつも雑誌の入った大きな袋を2つから3つ提げながら、視線を網棚に上げて、一心不乱に車内を歩いている。混んでいてもいっさいお構いなしだ。

そういえば、新宿や池袋の駅の周辺で、当日やせいぜい前日発売の雑誌をビニールシートか何かに広げて、一律100円で売っているオッチャンたちが増えたような気がする。僕も最近はこの「店舗」のお世話になることが増えてきた。網棚から集められた雑誌も、こういう形で売られることになるのだろう。もちろんこれも商品なので、網棚に残っていればどんな雑誌でも良いというわけではなく、手にとって一生懸命状態をチェックしていた。回収されること無く網棚に戻される確率は、僕の見た範囲では4割から5割と、なかなか品質には厳しいようであった。

生来の性根の卑しさもあるのだろうが、この雑誌回収のひとに限らず、近頃ひと様の仕事というか、生業がみょうに気になってしかたがない。でもこれは僕ひとりのことでは無いようだ。先日吾妻ひでおさんの『失踪日記』というマンガを読んでいてそう思った。

『失踪日記』の内容を簡単に紹介すると、仕事のストレスから鬱病になり失踪、路上生活者や配管作業員を経験し、最後はアルコール依存症で精神病院に隔離入院という、極めてハードな体験を軽いタッチで描いている。これに「過労死」と「自殺」(不謹慎ですみません)が加われば、今のサラリーマンをとりまいている「不安アイテム」が全て揃う。

この本が売れているという。ある書評誌によれば、自分のあり得る姿を投影し、怖いもの見たさで読んでいるサラリーマンも多いのではないかとあった。僕が網棚の雑誌回収をしている彼のことが気になるのも、これと同じことなのだろうか。

ここ10年ほどの間に労働市場の自由化(流動化)は、大幅に進んでいる。ここで言う労働市場の自由化(流動化)とは、就業機会の多様化ということもあるかもしれないが、ようするに景気・不景気といった世の中の動きに合わせて、雇用者が労働者を「自由」にできるということで、それを制度化したものが「派遣社員」であろう。

新聞によれば、大手スーパー各社のパート・アルバイトの構成比は77%に上るという。これはすごい数字である。400万人のフリーターが問題だとか言っているが、何のことは無い、そういう人たちの存在を前提として、多くの企業の仕組みが出来あがっているのだ。 フリーターと言われる人たちの生涯所得は、正規の従業員の4割から6割だそうである。

米国のクリントン政権で労働長官をつとめたロバート・ライシュは、1991年の自著の中で、これからの労働者を「ルーティン生産サービス」「対人サービス」「シンボリック・アナリスト」の3つに分けている。

「ルーティン生産サービス」と「対人サービス」は、単純なルーティン作業が中心の職種で、賃金は労働時間や仕事量によって決定される。必要とされるのは、読み書きと簡単な計算、信頼性、忠誠心、対応能力といった能力である。一方「シンボル・アナリスト」は、標準化された商品ではなくデータや言語、音声、映像表現などのシンボル操作を行なう、いわゆる「専門家」と言われるひとたちだという。

要するにライシュは、今後の労働形態は、大多数のルーティンワーク労働者と、ごく僅かの「知識」労働者に分れると言っているのである。僕は日本の雇用形態というか、就業構造は、前述のスーパー業界の例を見てもこの通り進んでいると思う。

今働いているこの仕事以外に、収入ややりがいなど、自分をもっと活かせる仕事が他にあり、その仕事と出会えるために常に自身の「市場価値」を高める努力をする必要があると声高に言われる一方で、もしかしたら網棚にある雑誌の回収や路上生活者は自分の明日の姿かもしれないというリアルな不安と、この両者の振り幅の中で日々の仕事に従事しているというのが、現在のサラリーマンの多数なのだろうか。しかもそのいずれにころぼうが、それは「自己責任」だというのだ。

こういうのって、働く側は肉体的にも精神的にもたまらないが、雇用する側にすれば非常に都合の良い環境なのではないだろうか。これが労働市場の自由化(流動化)を支えている背景である。

網棚の雑誌を物色する彼の姿を横目で気にする日々はまだまだ続きそうである。

「外交カードとしての歴史認識」という認識

わたなべ ひろし (2005年7月9日 15時32分)

今回の中国や韓国の「反日行動」に対する日本の報道を見ていて、僕が最も引っ掛かったのは、「外交カードとしての歴史認識」というような日本側の言い方である。

例えば町村外相の次のような言葉がその典型。

「中国、韓国の外相に『日本の戦後の活動をみれば、いかに戦前についての深い反省をしているのかがよく分かるでしょ』と話したが、なかなか『分かった』とは言わない。(歴史認識問題が)カードだから彼らはそう簡単に離さない」(毎日新聞 2005年5月27日 東京朝刊)

僕は中国や韓国の専門家はないので、彼らが自分達の言い分を正当化する目的だけで、外交上のカードとして「歴史認識」を持ち出してきているのかはよく分からない(多分違うと思うけれども)。しかし「外交カードとしての歴史認識」という考え方は、間違いなく日本の保守勢力やナショナリズムを宣揚する勢力には、つまり「何度土下座すれば気が済むんだ!」と声高に叫んでいる人たちには、とても都合の良い問題の立て方であるだろう。

以前、このコラムでネコクマさんが「内向きの理屈で強引に権力で押し切るドメスティックな手法は、もはや東アジアの問題解決には有効でない」ということを述べていたが、「外交カードとしての歴史認識」という日本側の認識も、全く同じ構図から出てきている言辞なのである。

僕は世界史の「トレンド」というものを、多様化(個人化)と普遍的価値の両方が、人類全体へと浸透していく過程として捉えている。つまり個々人の具体的な人生と人類全体の幸福が共存できるような一つの共同体として、人類社会は一体化していくということだ。昨今のグローバリゼーションなども、このトレンドの一局面に過ぎないと思っている。

世界史の方向性をそう捉えた上で、それでは「歴史認識」の問題をどう考えればよいのであろうか。それは日本の帝国主義による植民地支配という歴史的事実に対する被植民地の側からの、「人間としての尊厳の認知・回復を求めた訴え」として受けとめるべきであると僕は考えている。それは極めて「哲学的」というか、「倫理的」というか、まさに「人間的」な問題なのであり、ゼニ・カネ欲しさの(当然このことも日本の受けとめるべき責任として大切なことである)打算的行為としてのみ了解すべき問題ではないのだ。

この問題に正解やマニュアルなどは無いのである。これは戦争によって多くの生命を犠牲にしてきた人類にとっての、いわば加害者と被害者との開かれた関係を形成するという歴史的事業なのである。100年や150年くらい時間がかかってもしょうがない種類の課題なのだ。

発達心理学の岡本夏木さんは、自著で「誠実なることば」ということについて述べている。岡本さんの言う「誠実なることば」とは、「他者に向けて語りかけながら、そのことばが、より強く本人自身に語りかけることば」であるという。例えば「子供のために、教え子のために、友のために、病者のためにと他者に向けて懸命にしている行為(言葉)が、どれだけ自分自身への励ましとなり、生き甲斐となっていることか。誠実なる人間関係とはそういう相互性によってささえられて」いるのであり、そして「自分が相手に向けたことばが、その相手を通して自分に投げ返されてくるとき、それはより深い新たな真実をはらんで返ってくるという点」が大切であると指摘している。

他者に対して発した自分の言葉は、なによりも自分自身にこそより問い返されるべきであるという、このことの重みを何も考えていないカラッポな言動の累積が、現在の東アジアにおける日本の孤立化を招いているのである。

今必要なことは、中国や韓国の人たちの問いかけに対する、私たちの側の「誠実なることば」を介した応答なのである。

ビジネス社会の「人間観」

わたなべ ひろし (2005年6月18日 17時25分)

今年の2月、初めて「管理職研修」なるものを業務命令で受講した。主催はビジネスマン教育で有名なSN大学である。研修内容はともかく、講師であるコンサルタントの先生が合間あいまに開陳するコメントが僕などにはとてもおもしろかった。

例えばこんなふうである。

「自分の周囲で起こっていることは、どんなささいなことでもその全てが自分に対する問いかけだと思った方が良い。その問いかけに答えていくことが人生というものです。」

「自分の主体性こそが、最良の問題解決のための方法です。」

「マネージメントとは、他者との信頼関係を結ぶ能力のことです。そして他者との信頼関係を結びたいと思ったら、まず自分自身を徹底的に見つめなおしてみることが必要です。自分自身を真に分かっていない人に、他人との信頼関係は築けません。」

講師によるこれらの「人生哲学」を聞き、根がこういうものを嫌いではない自分などは「ビジネスマン研修恐るべし」とすっかり感心してそのときは帰ってきた。

最近仕事の関係で、いわゆるビジネス書やビジネス雑誌と言われるものにまとめて目を通す機会があった。そこで僕の目に入ってきたのは、「自己実現」 やら「主体性の創造」やら「自身の存在意義」といった、それこそひと昔前なら左翼雑誌(古いねどうも)でお見受けするような大量の言葉たちであった。その とき僕は思った。これはビジネス社会における「人間観」の表出なのではないか、こういうものを提示して常にビジネスマン=労働者たちに自分の仕事の意味や 生き方を説き、与えていかなければ、現在のビジネス社会=資本主義そのものが立ち行かなくなってしまうからこういうものが大量に氾濫しているのではない か、と。

それはこういうことである。よく「自分探し」などといわれるが、高度資本主義社会というものの特徴のひとつは、「仕事と人生の意味づけへの執拗な問 いかけ」の一般化だと僕は考えている。この社会に属する多くの人たちは、自分の人生にとって仕事はどのような意味があるのか、自分の「アイデンティティ」 の確立を可能にするような仕事とは何か、ということを、切実に考えながら日々を過ごしている(かくいう僕もその一人である)。そして現状の資本主義社会が 高度の情報化、サービス産業化、知識社会化に依拠していることと、それは密接に関連していると思う。このような社会では、自分が日々行っていることが、果 たしてどれ程「仕事」の体をなしているのかおよそおぼつかなく感じてしまうからである。

そしてビジネス雑誌やビジネス書などで展開されている「人間観」などは、この高度資本主義社会において悩み多きビジネスマン=労働者たちに対する資本の側 からの回答であり、メンテナンスの一環なのである。ストレスの少ない鶏や豚の肉は美味しいとか言うが、まさにそれだ。そう考えれば、僕が受講した管理職研 修なども、そのときは「なかなか言うことが深いなぁ」と感心させられたのであるが、深いのも当たり前の話で、まさにそこは現在のビジネス社会=資本主義に とっては、自己の存続をかけた最前線であったというわけである。

考えてみればこのような「仕事と人生の問い」に対して、例えば資本主義を批判する側である労働組合などは、訴求力のある魅力的な「人間観」を打ち出 せていないのではないだろうか。そしてそこに労働運動の現状の衰退をもたらした一因があるのではないか。 さらにこのことは平和や護憲を訴える私たちの主張や運動にも言えることだと思う。いかなる「人間観」に基づいて平和や護憲を訴えているのか、そしてそのこ とが各個人の具体的な幸福や生きがいとどのように結びついてくるのか、こういう問いに答えられる、というかそもそもこういう問いから始めている平和論や護 憲運動が果たしてどれほどあるのだろうか。

平和学と言っても、それはいかなる「人間観」を提示することができるのかということに尽きると僕は確信している。

「市場の発見」から「市場の創造」へ

わたなべ ひろし (2005年6月4日 20時53分)

自分の仕事柄、マーケティング、あるいはマーケティングリサーチという言葉を、日常頻繁に聞いたり使ったりしている。「市場調査」とでも訳すのだろうか。しかし、まぁ大多数のサラリーマンなら日本語などに訳す必要などないくらい、一般化している言葉だろう。マーケティングというと、ちょっと前までは「市場(マーケット)の発見をその目的とする行為」として、広く認知されていた気がする。ニーズはあるがまだまだ未開拓の潜在的市場を探し出し、そのニーズに見合った商品やサービスを開発すれば、当然ヒット間違いなしというわけだ。

しかし近年は、このような「市場の発見」から一歩進んで(?)、「市場の創造を目的とした行為」とでもいったニュアンスに、マーケティングの持つ意味合いが変わってきた。例えば社団法人日本マーケティング協会などは、その綱領の中でマーケティングを「市場の創造」と明確に定義している。つまり未開拓の潜在的市場などといったものはもはや存在しない、あるいはそんなあるのか無いのか確証性の低いものに頼るのではなく、自分たちで市場やニーズを創り出し、そこで自分たちの商品やサービスを作ったり売ったりしていこうというのである。自分たちで「創った」市場やニーズで、自分たちが作ったものを売るのであるから、こんな確かなことはない。

その結果どういうことが起こったかというと、あらゆる階層、あらゆる年代の24時間、365日、人生すべてが、様々な局面に細分化され、市場、つまり自分たちの作った商品やサービスを買わせる(売るではない!)対象として、常に意識化されていくことになる。そして、伝統、地域性、モラル、愛情、歴史、公共性等々といった、誰かが恣意的に作ったのではなく結果としてひとが社会や共同体を形成していく上で必要でありその目的で長い時間をかけて鍛え上げられ残ってきたこれらのものでさえ、「市場創出」のための一要素として意識され、有効とあらば動員されていく。

かくて少なくともビジネスの世界においては、偶然性や結果論が入る余地は次第に無くなっていき、人間存在のすみずみにわたってその全てが、「顧客」として操作すべき管理対象となるのである。そして最近痛感するのは、この「市場の発見」から「市場の創造」へというマーケティングの指向性が、ビジネスの世界だけではなく、政治や軍事にも適応されてきているということである。例えばそれは米国のイラク侵攻にいたるプロセスをみれば、よくわかることであろう。「市場のニーズが無ければ自分たちで創り出せ!」である。(更に、先日の当コラムにおける岩木さんの文章を読んで僕が感じたことも、戦争行為におけるマーケティング感覚とでもいうものであった。)

さて問題はここからである。現在世界中を席巻している、ネオリベラリズと呼ばれる潮流の本質は「市場至上主義」とでもいうもので、僕なりに解釈すれば、それは人間の恣意性(社会主義的に言えば計画性)にではなく、「神の手」たる「市場」に最終的な判断を委ねるということである。ここにも「市場(マーケット)」が出てくる。先の創出対象の「市場」が「小文字の市場」であるならば、この「神の手」である「市場」は「大文字の市場」とでも言えようか。各企業や大国がありとあらゆるものを利用し、動員して、自分たちに都合のよい「市場」を創出し、すみずみにわたって管理し、自分たちの意のままになるようにしても、それを委ねる先が「神の手」という人知による管理対象の対極にあるこれまた「市場」だというのだ。

こうして人間の歴史は、偶然性や不可視性の跋扈する時代へと、振り出しにもどることになる。

日本社会研究部会とは

わたなべ ひろし (2004年6月1日 23時35分)

現在の日本社会はいかなる社会なのか。地球宇宙平和研究所の日本社会研究部会は、「現代日本社会論−私たちはいかなる時代に生きているのか、そして時代にどう向き合うのか」というテーマの下、これまで研究会を行ってきました。

このテーマにもありますように、「近代からポスト近代へ」「20世紀から21世紀へ」「戦後から戦後後へ」という3重の転換期にある現在の日本社会を、い ろいろな角度や視点からリアルに捉え考えていきたいというのが、少なくとも僕自身のこの研究会への参加動機でした。

研究会を発足するに際し、研究会の方針として佐藤智子さんと、次のような点を了解しあいました。この研究会が、アカデミックなものよりも、社会人として現在の日本社会で実人生を送っていて、その変化を日々の生活の中で体感している会員諸氏と現実に即 した議論ができるような場にしたい。さまざまな分野で生活・仕事をされている人たちの意見を、できるだけ幅広く学べ、知る機会となるような場にしたい。以上の方針から、研究会は、土日の週末よりは平日の夜、23区内に会場を探し研究会を実施していくことにしました。

僕にとって、研究会を具体的に進めていくに際し、最も参考となったのはオーストラリア国立大学教授テッサ・モーリス=スズキ氏の次の文章でした。

「自身が存在する場所を全体の中で位置付けるような羅針盤のような議論がなければ、その社会運動は弱体化し、分断されて周縁に追いやられることになる。こ こで求められているのは、更なる新たな大きな物語ではなく、むしろ現代の社会秩序について批判的に議論し、オルタナティブな分析を共有する創造的なフォー ラムの創出であり、世界についての多様な批判的議論を動態的に積み重ねながら理論と実践を橋渡しするような場の形成である」(『世界』2004年7月号、 p.39)

僕は、この研究会が現在の日本社会について「批判的に議論し、オルタナティブな分析を共有する創造的なフォーラム」になればと願い、参加される方々と議論していければと思っています。

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