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小沢一郎と日本の政治文化

わたなべ ひろし (2006年4月18日 21時23分)

以前当コラムにおいて木村英亮さんが、有権者というものは選挙を通して割り合い的確な判断をするものだ、というようなことを書いていた。

昨夏の解散総選挙など、その小泉自民党のあまりの大勝に目を奪われがちだったが、ガセネタメール騒動を巡る一連の出来事や、そこに登場する党首を始めとする民主党の議員たちのあまりにも拙劣な言動などをみていると、あの選挙は有権者が小泉政権を圧倒的に支持したということなのではなくて、民主党政権を忌避した結果、有権者がこぞって自民党に投票したと考えた方がその実相に近いような気がしてくる。解散直前の予想通り民主党が勢いに乗って大勝し、今ごろ永田某や前原某などが政権をとっていたらと考えると心底ぞっとする。

やはり有権者は選挙によって割り合い的確な判断を下したということなのであろうか。その民主党、この度小沢一郎さんが党代表に選出された。

久しぶりにテレビに出ずっぱりの小沢さんをみた。

それにしてもこの人、自民党をおん出て(追い出されて?)この十数年間、本っとに言っていることが変わらないよねぇ。国際的責任(って言うか自衛隊の海外派兵)、政治家の強いリーダーシップ、個人の自立(っていうか「自己責任」)、普通の国(っていうか憲法改正)、そして二大政党制礼賛と、これらのボキャブラリーをいろいろ組み合わせながら、でも言っていることは結局ワンパターン。

しかしなんだかんだ言ってもずっと政治の表舞台から消えることはなかったし、なにかあると「小沢待望論」みたいなものが不思議と出てきて、とうとう今回は野党第一党の党首になってしまった。

この「小沢一郎」を存続させている力っていったい何なんだろう?

小沢さんは1993年に『国家改造計画』という著書を出している。そしてこの本の時代的役割は、ある意味で画期的なものであったと思う。

1980年代後半以降、日本をめぐる国内環境と国際環境の変化は真に大きなものであった。国際環境の変化とは、1991年のソ連邦解体によるいわゆる共産圏の消滅と、その結果「自動的」な日本の国際的地位の上昇である。国内環境の変化とは、「ジャパン アズ №1」と言われたような「高度に発達した資本主義社会」「後期資本主義社会」に日本社会がまがりなりにも至ったということであり、それに伴い「個人主義的に成熟した人々」を政治家は相手にしなければならなくなったということである。

そしてこれらの変化に対応すべく保守の側からの新しいトータルなビジョンの提示、それが小沢さんの『国家改造計画』であった。これに対して革新の側は、トータルなビジョンということでは、対案を提示することが出来なかった。

小沢さんはこの本で提出したビジョンのおかげで、いまだに政治家として食べていけているのである。小泉首相の「構造改革」など、このビジョンの焼き直しに過ぎない。きっと小沢さん自身、1990年代以降の日本が進むべき筋道を示したのは自分だという自負があるに違いない。

ところで党代表に決った日の夜、テレビのインタビューに答えて小沢さんは、「政党は政権与党にならなければ意味は無い。万年野党でも良いなどと考えているような人間は民主党から去ってもらいたい」というようなことを言っていた。

この言葉に端的に表れているように、小沢さんの「二大政党論」などというものは、せんじ詰めれば「政党などというものは政権与党にならなければ意味が無い」という、非常に狭隘な政治哲学に支えられたものに過ぎないのである。

この小沢「二大政党論」が撒き散らした、日本社会における「政治文化」上の害悪は計り知れないものがあると僕は考えている。それは議会制民主主義における「野党」的存在の否定、あるいは少数意見の軽視(無視)ということだ。彼にとって「野党」などという存在は、政権を獲る気概の無い万年野党か、政権につきたいくせに実力の伴わない負け犬ぐらいにしか認知されていないのであろう。

小沢さんの「二大政党制」とは、「マジョリティの利益の代弁者としての与党の座をめぐる争い」というものに、日本の政党政治を矮小化したのである。

このような性向は、もともと日本の政治文化において非常に強いものではあった。しかし小沢さん以降、本来政策実現のための手段であるべき「政権獲得」というものが、それ自身目的となってしまった。そしてこの目的を完遂することを前提として、政党や政治家たちがその行動をとるようになる。その結果、日本の政党政治は、野党各党による自民党との連立政権獲得競争へと、雪崩をうって堕落していく。

「万年野党に存在意義は無い」という言葉に押しやられるように社会党は自民党と連立政権を組み、その歴史的役割を終える。その後、今度は公明党が「念願」の自民党との連立を組み、「平和と福祉の党」という役割を急激に方向転換し、政権与党であることが第一目的の政党へと変わり果てることになる。

きっと小沢民主党は小泉さんと競うようにして、改憲・日米安保重視・新自由主義路線を推し進めていくことになるのだろう。

野党第一党である民主党が本当に問題とすべきなのは、与党にならなければ何も出来ないというような日本の政治システムそのものを、まさに「野党第一党」の責任として解体していくことである。

「憲法前文・九条の会」発足記念講演

わたなべ ひろし (2006年4月8日 20時45分)

作家の小田実さんは、「九条の会」発足記者会見で次のように述べている。

戦争が終わったときに国連が世界人権宣言を出しましたが、本当は世界平和宣言を出すべきだったんですが、そりゃ出せないですよね。だってみんな平和主義じゃないからです。日本国憲法というのは言ってみれば世界平和宣言なんですよ。日本国憲法に世界平和宣言としての価値が今出てきたんです。それを大いに使うべきなんです。今こそ日本がこの憲法を使わないと世界がダメになりますよ。

僕の日本国憲法というものに対するスタンスとして、小田さんのこの「世界平和宣言」という規定が最もしっくりくる。それは「普遍に開かれたテキスト」(道場親信)なのである。

改憲論などはその根拠として、占領軍の押し付け憲法だとか、限られた人間が極めて短期間で恣意的に作成したものだとかよく言われるが、僕に言わせればナンセンスである。僕は押し付けられたものであるどころか、この憲法(の精神)は、押し付けた相手とされる当の占領国=米国の行動さえも規定するものであると考えている。なにしろ世界平和宣言なんだから。

この憲法を、人類が得た世界平和宣言だと認識し、そう観念する人間にとっては、世界中の誰に対してであろうと憲法は開かれているのであるし、また規定力があるのだ。そしてそれは、日本国憲法に限らず、米国の独立宣言も、フランスの人権宣言も、国連の世界人権宣言も全く同じことなのである。

戦後、なぜ侵略国であった日本が、人類が営々として築いてきた「平和的価値」の結晶である日本国憲法を持つことになったのか。その理由は無数にあるのだろう。しかしそれは、誤解を承知で言えば、本質的な問題では無いのではないだろうか。

あえて言うならば、天の配剤か、神の意志か。そういうことなのではないか。僕はこのような憲法を持った日本の戦後というものを、人類の平和史というような観点(大きすぎるかな?ええい構うものか。なにしろ世界平和宣言なんだから)から、次のように認識している。

それは隣国を軍事力によって侵略したかつての帝国主義国家が、自業自得の大惨敗の結果、人類史上最も平和主義的な憲法とその憲法が持っている理念を手にし、この理念を内実の伴ったものとすべく、その人類史的役割を一生懸命果たしていくというものである。そしてこのような役割は、かつての侵略国家である僕の母国、日本にこそまさにふさわしいと思うのである。こんなカッコイイ役回り、世界中捜しても出来るのは日本かドイツぐらいだろう。

そしてその役割を少しでも果たそうと、無数の意志や努力が戦後60年展開されてきた。

世の改憲論議では、第九条が争点となっている。もちろん「戦争の放棄」などということを、国家の最高法規である憲法に明文化した第九条の意義は極めて大きい。だって「戦争が出来る」ということは、まさに国家にとってのレーゾンデートルだと考えられていたんだから。

しかし僕は、第九条というものは、憲法の前文とあくまで一対のものだと考えている。世界平和宣言として憲法を読んだ場合、内容から言っても、格調から言っても、前文はまさにそれにふさわしい。僕は第九条も大切だともちろん思うが、前文がとりわけ好きだ。だからイラク派兵に際し、その愚行の正当化のために、あろうことか憲法前文をその根拠として読み上げた小泉首相の行為などは、僕にとってまさに噴飯ものであった。

だいたい僕たち最近の日本人は、「日本国」憲法なんだから日本国民が好き勝手に扱ってよいだろうと、自分勝手な国内的文脈でもって、この憲法のことを考えすぎているのではないだろうか。

最近、中江兆民(1847−1901年)が次のようなことを言っているのを知った

民権是れ至理也、自由平等是れ大義也、此等理義に反する者はついに之れが罰を受けざる能はず、百の帝国主義有りといえども此理義を滅没することは終に得べからず、帝王尊しといえども、此理義を敬重してここに以てその尊を保つを得べし

この言葉は、日本近現代史・思想史家である鹿野政直さんの著書から教えてもらったものである。そして鹿野さんはこの兆民の言葉をこう意訳している。

彼(兆民)は、民権や自由平等が、究極には実現する普遍的な原理との確信を表明したのち、その原理のまえには、世界にはびこる『帝国主義』も、不動とみえる『帝王』も、相対的な存在にすぎないとの展望を持った。

「民権や自由平等の原理のまえには、『帝国主義』も『帝王』も相対的な存在にすぎない」っていうのが良いよねぇ〜。そして民権や自由平等の原理に連なるものとして、この憲法もあるのだ。だから単なる目先の国内的理屈だけで改憲などしようものなら、兆民が言うように「ついに之れが罰を受けざる能はず」となるものと、僕は確信している。

(なおこの文章は、最近出た『九条どうでしょう』という本に触発されて書きました。)

「ネジレは正さなければならない」という意識

わたなべ ひろし (2006年1月25日 21時27分)

2006年に年があらたまっても、僕は昨夏の衆院解散総選挙のことをずっと考えている。

しかしそれは、小泉自民党が圧勝した理由とかそういうことではない。

そういったことではなくて、僕がずっと考えているのは、あの選挙が持つ社会意識的な意味とでもいったものである。郵政民営化法案が参議院で否決され、小 泉首相がすかさず「民意を問う」として解散総選挙に打って出(あのときの記者会見は「圧巻」だった)、「小泉劇場」といわれるような選挙戦の結果、小泉自 民党が圧勝した、あの一連の出来事が、日本国民の意識に何をうえつけたかといった、そういうようなことである。

このような観点からあの選挙を振り返ってみるとき、最も印象に残っているのは「ネジレ」という言葉と、その使われ方である。

この「ネジレ」という言葉は、主に選挙戦前半、頻繁にテレビや新聞の報道で使われていた。例えばいくつか例を上げてみる。(なお記事の文章は要約)

衆院解散の原因を作った参院自民党の「造反組」を賛成派に変えなければ、再び郵政法案をめぐって同じ混乱が繰り返される恐れがあり、衆参の「ねじれ解消策」が衆院選の大きな論点になりそうだ。(毎日新聞 2005年8月25日)

自民党秋田県連は、「造反議員」野呂田氏推薦する方針を確認した。自民党本部が公認候補を「刺客」として決定した場合、県連と党本部がねじれの関係になるのは不可避だ。(毎日新聞 2005年8月17日)

解散・総選挙 政治のねじれ、解消の好機だ
岡田克也民主党代表が政府案の批判だけに終始したのは、党内に労組系議員など民営化反対派を抱えるためだ。民主党もそんな党内のねじれを解消して初めて、政策を通じて有権者が選ぶ政権選択選挙の土俵が整う。(毎日新聞 2005年8月9日「社説」)

参院否決の法案を衆院解散によって民意を問うのも「ネジレ」なら、自民党内の郵政関連法案反対議員を支援する県連と党本部の関係も「ネジレ」だし、野党第1党の民主党の中も民営化の可否をめぐって「ネジレ」ているという。

これらの記事に共通しているのは、「ネジレは正常な状態ではないので、正されなければならない」というトーンである。

そして有権者は、選挙を通して「ネジレ」たものがスッキリと見通しのよいものに正されていく様子をその目で見ることになった。つまり、小泉自民党の圧勝と いう選挙結果により、自民党内の「抵抗勢力」は追い出され、民主党の党首も「小泉チュルドレン」である前原誠司氏にかわり、郵政関連法案も衆参共に多数で 可決されるという具合にである。

以上のような、解散・総選挙に伴う一連のプロセスから、僕たち日本国民に醸成された「意識」とは、以下のようなものであったのではないだろうか。

「ネジレた状態はよくないので正すべきである。→○○と△△はねじれた関係にある。→それ故、○○と△△のねじれた関係は正されなければならない。→自分たちの投票行動の結果、このネジレは見通しのスッキリしたものとして改善された」

この○○と△△のところには何でも入るところがミソである。

そして小泉自民党が次にターゲットとする「ネジレ」とは、もちろん「憲法と安保・自衛隊」ということになろう。

僕の記憶では、この「ネジレ」という言葉に特別な思想的意味あいを付与したのは、加藤典洋『敗戦後論』(1997年)である。

この本のメインテーマは、日本の「戦後」にある「ねじれ」を明らかにすることである。そして筆者が「戦後」にある「ねじれ」の最たるものとして指摘してい るのは、「戦後憲法の手にされ方と、その内容の矛盾」ということ。つまりいかなる「武力による威嚇又は武力の行使」を認めないとうたっている「平和憲法」 そのものが、「原子爆弾という当時最大の『武力による威嚇』の下」、連合軍総司令部により「押しつけられた」という「矛盾、自家撞着」である。

僕は今まで、「だから我々日本国民は、戦後憲法の抱えているねじれを国民投票なり、改憲なりすることでスッキリ正し、けじめをつけなければならない」と いうのが、加藤さんがこの本で主張していることだと思い込んでいた。しかし今回読み返してみて、彼が言っているのはそういうことではないと考えるように なった。

加藤さんは、「戦後というものを考える上で、その原点にあるねじれをもっと自覚し、私たちひとりひとりが、そのことを直視し受け止めなければいけない」 ということを言っているのである。それが出来て初めて、僕たちは主体的に「戦後」と向きあうことができるようになると言うのだ。

加藤さんは次のように書いている。

「きっと、『ねじれ』からの回復とは、『ねじれ』を最後までもちこたえる、ということである。そのことのほうが、回復それ自体より、経験としては大きい」

安直な対応で、「ネジレ」にスッキリ見通しをつけることが、「戦後」の解決なのではないし、終りなのではない。

「ネジレ」ているように見えるのは、それだけの理由があることなのである。

コミュニケーションの市場化

わたなべ ひろし (2006年1月11日 13時13分)

たまに休みの日曜日、2才になる息子をベビーカーに乗せて近所を散歩などしていると、見知らぬお年寄りがすれ違いざま、息子に笑顔をみせながら「こんにちは」と声をかけてくることがよくある。

僕の中にある、コミュニティとかコミュニケーションの、最もピュアなイメージがこれである。

数年前から「社会関係資本」(social capital)という言葉を耳にするようになった。米国の政治学者であるロバート・パットナムが提起している術語とのこと。前々からこの言葉が妙に気になっていたのでインターネットで検索してみると、有るわあるわ、特に政府系シンクタンクや大手「総研」のHPなどにこの言葉はひしめいていた。それらのHPからこの言葉の内容を推し量ってみると、「信頼、規範、ネットワークといった人と人とのつながりを『資本』として考える」というもののようだ。そして、こういう人と人とのつながりである「信頼」や「規範」に支えられていない「経済」は脆弱なので、これら「社会関係資本」の涵養が必要だと、どのHP上でも判を押したように述べられていた。

僕はパットナムのテキストを読んでいないので、彼がどういう意図でこの術語を提起しているのかは知らない。ただしこの言葉をさかんに持ち上げている、政府系シンクタンクや大手総研の意図は明確である。それは「信頼、規範、ネットワーク」といった、本来無形である人と人とのつながりを、「日本経済の市場機能強化への統合戦略」(ある総研の報告書タイトル)の下、「社会関係資本」として有形化し、取り込んでいこうということなのだ。

まぁようするに、子供の散歩のとき見知らぬおばあちゃんに挨拶されることや、日頃の近所づきあいといったものを、「市場機能強化」のための有用なツールとして、それこそ「予算」を組んで「再編成」していこうというわけだ。これって、今後の教育の使命は、単なる知識の詰め込みではなく、「国を愛する心」の涵養であるとして、そのためのカリキュラム編成や宗教本まがいの副読本を配布するのと同じ発想だ。

そもそも「信頼」や「規範」といった人と人とのつながりというものを、「社会関係資本」などという言葉で取り出し、「市場機能強化」のために「有効に」活用していこうなどという考え方そのものが、それこそ「信頼」や「規範」といった人と人とのつながりを擦り減らしているのだということに、なぜ気がつかないのであろうか。

挨拶や近所づきあいなどというものは、なにも「資本」として「市場化」されようと思って残っているわけではない。人間社会にとって必要だから、残るべくして残っているのである。こういうものを「文化」という。

「市場機能の強化」などという謳い文句によって、現在ますます拡大している「市場機能の危険なまでの肥大化」=「市場の一人歩き」というものを、ギリギリのところで抑制してくれているのが、むしろこれら無形のコミュニケーションやコミュニティ的なものなのである。それなのにこれに手を突っ込み、「社会関係資本」などという形で、市場化のため、無神経に再編成などされたりしたら、それこそいっぺんで堰を切ったように「市場の暴走」は加速することになるに違いない。

なんだか守旧派の文化保守主義みたいな論調になってしまった。

ところでここまで書いてきて気が付いたことがある。

僕たち日本社会に住む者は、戦後60年、無形のコミュニケーションやコミュニティ的なものとして、つまり「文化」として、戦後日本特有の「平和」価値を育み育ててきた。上で人と人とのつながりとして言及されていた「信頼、規範、ネットワーク」というものは、そのまま戦後の「平和」価値の重要な核心として当てはまるものである。この両者は非常に親和性があるものなのだ。

「憲法」に象徴される「戦後民主主義と平和」を虚妄とし、改憲することで戦争の出来る「普通の国」にしようとしていることと、コミュニケーションやコミュニティ的なものを社会関係資本として市場化していこうとしていることとは、密接に関連しているのではないか。

こういうところからも、平和を支える社会的基盤は侵食されていっているのである。

「国際関係論」論

わたなべ ひろし (2005年12月24日 21時54分)

猪口孝『国際政治の見方―9・11後の日本外交』という本を、本屋の店頭で立ち読みした。

猪口さんの本は、例えば『国際政治経済の構図』だとか、『現代日本政治の基層』だとか、『国家と社会』だとか、『東アジアの国際政治』だとか、それこそ 僕の関心領域そのものピッタリのタイトルのオンパレードで、毎回毎回手にとってはみるのだが、なぜだかこれが最後まで読めない。まぁこちら側の浅学に大きな原因があるのでしょうが。

イラクの大量破壊兵器が問題になっていた2003年2月、(財)日本国際フォーラムというところが、「イラク問題について米国の立場と行動を支持する」という緊急提言を有志により発表している。

このアピールは、「イラク危機と北朝鮮危機は連動している」「『ならず者国家』の大量破壊兵器保有は許容できない」「米国支持の旗幟を鮮明にせよ」という 3点を骨子としたもので、アピール有志の中には、伊藤憲一(日本国際フォーラム理事長)、小此木政夫(慶應義塾大学教授)、北岡伸一(東京大学教授)、中 西輝政(京都大学教授)、袴田茂樹(青山学院大学教授)といった、「国際関係論」業界ではおなじみの方々が名を連ねており、その中に猪口さんの名前もあっ た。

この「緊急アピール」を出された方々は、その時点で「大量破壊兵器」などはイラクに存在せず、イラクが現在のような深刻な事態になっているのはブッシュ 米大統領の失政(それとも思惑?)のためであるということを、いったいどのように考えているのであろうか。その為に数多くの血も流れているのだ。

こういうアピールの中に猪口さんの名前をみつけ、僕は少し驚いた。「そーかー、猪口さんも緊急アピールしなきゃいけないような自分の意 見を、ちゃんと持っている人なんだぁ。今流行っている英論文のコレクションをしているだけの人じゃなかったんだぁ」としみじみと感じられたものである。

そしてあのような「緊急アピール」を出した猪口さんが、そのことについて今現在どのように考えているのか知りたいということもあって、懲りずに彼の新著を手にしたわけである。

そういう意味では、この本は面白かった。猪口さんの「言いたいこと」が、実に明快に分ったからである。彼がこの本で言っていることは、ようするに「日本 は対外政策において、もっと主体的に自主性をもって米国について行きなさい」ということである。米国からガミガミ言われる前に、米国の望んでいることを 「自分で」察して、進んで出来るような日本にならなければダメだと言っているのだ。

「何度お母さんが言えばわかるの!もう子どもじゃないんだから自分で出来るようにしなさい!」といったところか。

今回この本を覗いてみて、これまで猪口さんの著作をなぜ最後まで読めなかったのか分ったような気がした。それは、彼が自分で使っている「言葉」に対して、こだわりというか、屈託がまるで感じられないことに由来しているようだ。

例えば猪口さんは「日米同盟」という言葉を当り前のように使う。しかしそこでは、この言葉について戦後数十年、どれほどの葛藤や論争の歴史があったかな どということはスッポリ抜け落ちており、まったくツルリとしているのだ。手触りみたいなものが全く感じられない。同じようなことは、彼が本書で使っている 「冷戦」、「戦後」、「(東)アジア」、「ベトナム戦争」などといった言葉にも当てはまる。

こういう感覚って、いったいどこからくるのだろう。

ジャーナリストの吉田司さんの新著『王道楽土の戦争 戦後60年篇』に、次のようなことが書いてあった。

「コンピュータ電子社会(インターネットと宇宙衛星のセット)において、人間とは動く情報体としてカウントされる。〈心〉はコンピュータに感知されない から、〈無い〉ことになる。すると人間は、数値化された情報(ICカードに蓄積された銀行情報や病院・交通・買物・居住情報など)のデータ集積体=個人情 報のかたまりとして認知されることになる。」

きっと猪口さんにとって、国際政治における個々人や組織や政府やそれらの歴史などは、ここで吉田さんが言っているような「データ集積体=個人情報のかたまりとして認知され」ているに違いない。彼には〈心〉というものが感知されていないのだ。

「データの集積体」の集積体など、読まされて面白いはずが無い。

僕が大学の専攻をどうしようかと悩んでいたとき、哲学者の山田宗睦さんによる、歴史家である江口朴郎さんのエピソードを読んだ。両者はマルクス主義者でもある。

山田さんは1956年のソ連によるハンガリーへの武力干渉、いわゆるハンガリー事件についてマルクス主義者として悩み、江口さんの意見を求める。

そのとき江口さんは大要こう言ったという。

ハンガリー事件のように一つの事件が起こった場合、例えばソ連や中国やチトーといった当事者それぞれは自身の「文脈」を有しており、それを背景にして各自 の言動があり、行動がある。そういう意味では各当事者それぞれに言い分があり、一面の正しさを持っている。人間はある一つの立場に立てば盲点を生ずる。大 切なのは、一つの立場に立って、各当事者の良し悪しを判断することではなく、歴史的文脈のレベルで各当事者の理非曲直をはかることである。

猪口さんの学問が「データの集積体」に過ぎないのに対し、江口さんの学問は「思考」とか「思慮」とでもいったもの、本稿での言い方にするならば「〈心〉を感知すること」を重視しているということになるだろうか。

この両者の違いは、猪口さんの学問は他人でも取替えがきくが、江口さんの学問はまさに江口さん自身からしか学ぶことができないものということである。

僕はこれを読んで、自分の専攻を国際関係論に決めた。

各々其ノ処ヲ得

わたなべ ひろし (2005年12月3日 22時19分)

インドの詩人であるタゴール(1861~1941年)が、明治以来の日本の国づくり、「欧米化」は非常に短期間で無駄なく実現された、それは我がインドでは考えられないほどに効率的なものであった、というようなことをどこかで述べていた。タゴールはそのことを賞賛や羨望からではなく、よくそこまで自分を無くして欧米化のために国民こぞって一致団結できるものだという驚き半分、批判半分のニュアンスで、確か言っていた言葉だったと思う。

米国の文化人類学者であるルース・ベネディクトの日本研究『菊と刀』(1946年)の中に、「各々其ノ処ヲ得」という一章がある。これは、日本がドイツ・イタリアと三国同盟を結んだ条約の前文や、真珠湾攻撃当日の米国に対する声明書の中に出てくる言葉だということで、本書では「各人が自分にふさわしい位置を占める」という訳があてられている。

ベネディクトによれば、日本人は国際社会というものを「階層制のピラミッド」として認識しており、このことを前提として、そのピラミッドの中で「ふさわしい位置を占める」こと、つまり「日本を世界列強の間に伍して重きをなす国にする」ということを、「一つの事業」として推進することが、明治維新以来の目標であったという。それでは、そもそもなぜ日本人が国際社会を「階層制のピラミッド」と認識したのかといえば、日本社会そのものが「下は賤民から上は天皇にいたるまで、まことに明確に規定された」「地図のような」階層ピラミッド社会なのであり、その中で自分にふさわしい場所を占めるという行動規範が、もともと日本人の中に根付いていて、それを国際社会を認識する際にも当てはめたためだと彼女は述べている。

日本の明治期は世界史的には帝国主義の時代であり、日本のこのような国際社会認識をリアルなものとするだけのパワーポリティックス優位の背景が、国際社会の側にもあった。それ故我が大日本帝国は、タゴールが言うように、後発ながら非欧米国として初めて「世界列強の間に伍して重きをなす国」へと成り上がることができたのである。

しかし、明治の日本をそこまで押し上げた国際社会認識が、今度は昭和の日本を破滅に追いやることになってしまった。なぜなら、世紀が20世紀へとかわり、人類、特に19世紀被植民地の立場にあった地域の人々の意識は成長し、かつて日本を列強の一国として押し上げた国際社会観が、実際の国際関係の上ではもはや通用しなくなっていたからである。

それでは今の日本人にとって、国際社会はどのようなものとして認識されているのであろうか。それは、ベネディクトの伝で言えば、今の自分たちの社会を日本人がどのように認識しているのかということでもある。僕はそれは「大勢(たいせい)につく」ということであると思う。当コラムで今井康英さんが紹介していた、ブッシュ米大統領と小泉首相との会談内容などはその端的な例であろう。あれを読んで、「ナショナリスト」である僕などは全く情けなくなった。あれではまるで、オーナー社長に平身低頭で業務報告をする支店長そのものではないか。

しかし日本の首相が米国の大統領にあのような「媚態」を露骨に示すことを許容する傾向が、日本の国民意識の中に強くなってきているということなのであろう。米国の庇護無くして、なんで日本が国際社会の中で立ち行くことができるのかというわけである。

こう考える人たちは、今の国際社会というものを、グローバリゼーション=米国の一国支配が貫徹している「階層制のピラミッド」として認識し、その「勝ち組み」である米国と一体化することで、初めて自分たちも国際社会の中で「ふさわしい位置を占める」ことができると思い込んでいるに違いない。そしてこのような考え方を駆動しているのは、自分たちは国際社会における下の階層、「負け組み」に落ちたくないという強迫観念である。

「ふさわしい位置を占める」という言葉から僕がまず思い出すのは、日本国憲法の前文、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」である。ここで表明されている国際社会に対する認識こそ、日本が依拠すべき「大勢」であると僕は考える。

「人間を知る」ということ

わたなべ ひろし (2005年11月12日 11時17分)

昨年の11月、当研究所の日本社会研究部会において、都立の知的障害児の施設で働いている明田義男さんに報告をしてもらった。そのときの報告で僕が 一番印象に残ったのは、「世話をする側とされる側という関係が、ある時点を境に変わりました。子供たちの世話をしているつもりが、私の方が世話になってい ることに気がつきました」という彼の言葉であった。「そう気づくことによって、自分が変わったように思います」彼はこう続けた。先日、政治社会学者である栗原彬さんの新著『「存在の現れ」の政治―水俣病という思想』を読んだ。この本の最初の方で、栗原さんは次のような水俣病者の方の「思想」を紹介している。

「漁師であり水俣病者の杉本栄子さんは、水俣病は『のさり』だという。『のさり』とは、向こうからやってくる賜物のこと、また受難のこ と。水俣病のおかげで人間のことを知ることができたという栄子さんにとって、受難は同時に贈り物であり、絶望は絶望のままに魂の救済につながっていく。」

自分にとって「受難」である水俣病が、同時にこの人にとっては、その「おかげで人間を知ることができた」「賜物」だと言うのである。これを読んだとき、僕は先の明田さんの言葉を思い出した。彼も子どもたちの「おかげで人間を知ることができた」ということなのであろうか。

栗原さんは、今から5年前『証言水俣病』という本を編集している。この本は1996年に水俣病公式確認から40年目に開催された「水 俣・東京展」における、水俣病者10人の講演を集めたものである。この本には講演者の略歴が、それぞれの冒頭に添えられており、これを読んだ当時は、内容 もさることながら、これらの略歴から「人間を知ること」の恩恵を受けたような気がする。お二人ほどここにあげてみる。

荒木洋子 1933年生まれ。37年、生後間もない弟が原因不明の疾病で急死。その後、妹、弟も相次いで死去。54年、父発病。この頃、自身も発病。57年、父認定される。64年、結婚。65年、父が激症型で死去。69年、水俣病裁判第一次訴訟に遺族原告として提訴。

大村トミエ 1933年、現在の水俣市湯堂生まれ。53年、結婚。流産・死産を繰り返す。夫の死去後、父親、自身も発病。72年、半身麻痺となる。74年、父死去。

この略歴を見ていて、自身や肉親たちの発病と死去に挟まれて出てくる「結婚」や「流産・死産」の文字に、そのとき目を引き付けられた。例 えばここにある「激症型」の水俣病の症状というものは、本書を読んだ限りでも生半可な苦しさではないようだ。そういうものに自身も発病し、身のまわりの親 兄弟姉妹も発病し、ある者は苦しみながら亡くなっていき、生き続けられたとしても完治することなど無く、一生を苦しむことになる。そういう中に当り前のよ うになされる結婚や出産という人の生の営み。10名全ての略歴が、皆が皆こんな具合なのである。

僕はここから、「人の生」というものの力強さみたいなものを教えられた気がする。そしてそのことで、随分と励まされたことを憶えている。

話しは飛ぶかもしれないが、例えば現在戦時下にあるイラクなどにおいても、人々の生活というものは、同じような強さをもって営まれているに違いない。そしてそのことにも、僕は随分と励まされるのである。派兵当事国の人間としては、まことに申し訳ない話しではあるのだが。

会社とサラリーマンはどのように変わったのか

わたなべ ひろし (2005年10月29日 23時15分)

ビジネスセミナーで、渋谷109に出店しているブランドショプの社長の話しを聞いたことがある。このショプの売り上げは当時とても好調ということで、セミナー参加者がそのあたりのことを質問したところ、その社長さんは大要次のように答えていた。

「私どもはマーケティングの類は一切行なっておりません。そんなことをしなくても、お店のある渋谷109周辺を毎日観察しておれば、お客様(10代後半~20代前半の女性)の間で何が流行っているかすぐわかります。当方はその流行に合わせて商品を作れば良いわけで、私ども独特のデザインを開発して流行を生み出すなどというつもりは、最初から持っておりません。」

今の日本企業における人の採用のスタンスも、このブランドショップの商品開発のスタンスとよく似ている。つまり、すでに技術や営業先(顧客)を持っている「即戦力」、ということはつまり他社が育てた「人材」を中途採用や派遣社員で採用し、賞味期限が切れたらそれでおしまい。この就職難、替わりはいくらでも労働市場から調達できる。自社で人を育てるという意識など最初から持っていない。

僕がサラリーマンになった1990年頃の会社は、こんな感じではなかった。

その頃、仕事で50人ぐらいのサラリーマンにインタビューをして歩いたことがあった。1990年頃といえば、いまだ「バブル経済」華やかなりし頃で、「世界に冠たる日本企業の生産性の良さ」といった神話がまことしやかに流布していた。しかし実際企業の現場で数多くのサラリーマンに会って話しをきいてみると、いかに企業内の仕事量というものが、不均等に配分されているかということを痛感したのをおぼえている。会社の要所要所で、自分の仕事とはあまり関係ないような、しかしその会社にとっては間違いなく必要な仕事を、それこそ身を粉にして「勝手に」やっている一部の社員がいるからこそ、「世界に冠たる日本企業の生産性の良さ」などというものが成り立っているのだということを、そのとき知った。

しかし2005年の現在、会社というものも変わった。身を粉にして働いている人は以前よりも増えたかもしれないが、それはあくまでも自分の数字のためだけである。

だいたいサラリーマンの「仕事」などというものは、最終的には売上金額という数字に換算されて評価されるわけであるが、そこに至る過程は、そりゃもう多種多様さまざまなレベルの雑務の複合体であり、期限と予算があるから完了しているようなものの、完璧な「終了」などというものはなく、当人が何を自分の「仕事」として了解するか、その内容で個々人の仕事は量的にも質的にも全く異なってくるのである。

各自が自分の目先の数字が上がる仕事しかしない、そういう社員だけの会社・組織などというものが果たして成立するものなのかどうか。

この15年間で、解雇(辞職)に対するハードルは、企業慣例・企業風土の面でも、法的・制度的にも、個々人の意識の上でも、極めて低くなった。本当に会社は「簡単に」人を辞めさせるようになった。また社員の方も簡単に辞めるようになった。どうせ辞めるのならば、何も人の仕事まで背負い込んでやっていられるかと思うのはしょうがないことなのであろう。しかしそういう働き方では、仕事というものが本来持っている自分の人生に対する意味、とでもいったものは細るばかりである。

給与労働者、いわゆる月給取りというのは、労働人口の8割を占めている。僕が就職した頃は、何か他によっぽどやりたいということがなければ、とりあえず皆サラリーマンになったのである。しかし今の時代、なりたい人が「努力と才能」の結果初めてなれるものに、サラリーマンが変わったということなのであろう。これって、当り前といえば当り前のことではある。日本のサラリーマンも、ようやく「真っ当な仕事」になっただけのことなのだろう。それはそれで良い。しかしそれでは、サラリーマンになれなかった人間、努力したが追いつかなかった人間は、どうすればよいのであろうか。それは100%その個人の問題ということで構わないのであろうか。

「自己の完成をあせる人間は、他人の人生には冷淡である。」これは中国文学者の吉川幸次郎さんの言葉である。

「イラク」抜きの平和論

わたなべ ひろし (2005年10月15日 23時26分)

フリーライターの永江朗さんが、自著である『批評の事情』の文庫化に伴い、その「あとがき」で、「9.11」に関連して次のように書いている。

同時多発テロの犠牲者は気の毒ですが、しかし、パレスチナではイスラエル軍によって毎日のように非戦闘員が殺されているのだし、キューバでは長期にわたるアメリカの経済封鎖によって人々は困窮しています。不幸なのはアメリカ人だけではない。(中略)正直いって私は、同時多発テロの犠牲者だけ特別に同情したりする気になれません。もちろん「ざまあみろ」とはいわないけれども、「そういうこともあるか」という程度なのが正直な気持ちです。そしてそれは、アメリカの同盟国である日本に住む私や私の妻や友人がテロの標的にされても「そういうこともあるか」と考えるしかない、ということでもあります。私たちはそういう時代に生きている、ということをあの事件は考えさせてくれました。

先ごろのロンドンでの「連続爆破攻撃」(僕はあれをテロとは言わないことにしている)の報道に接した際、僕が感じたことは永江さんと全く同じであった。ただ永江さんとのニュアンスの違いが若干ある。「私たちはそういう時代に生きている」のは確かかもしれないが、それはとりもなおさず僕たち自身が選択したものなのだということである。もし「日本に住む私や私の妻や友人がテロの標的にされても」、それは「アメリカの同盟国」としての道を選択した僕たち日本国民の責任だということである。

例えば今回の衆院選挙結果などを見たら、国内的にはイラク問題など全く争点にもならなかったが、国際的には「アメリカの同盟国」としてイラク派兵への道をあらためて支持するということを日本国民が表明したものとして受け取られるに違いない。だってイラク状況がこれだけ混乱している中での派兵当事国の国政選挙なのだから、それが争点にはならなかったなんて国際的にはきっと考えられないことだと思う。

もちろん僕自身、彼等の攻撃対象などになりたくはない。しかし僕たちは現在の消費生活を享受するために、数ある選択肢の中からイラクへの派兵を選び覚悟の上で「参戦」したのであるから、「日本に住む私や私の妻や友人」が彼等の攻撃対象になることは、全く理にかなった正当な行為なのである(極めて残念なことではあるが)。なぜなら、ブッシュ米大統領が言うように、これは「戦争」なのだから。そしてもちろん彼等の「爆破攻撃」は、イラク派兵に反対している日本人と、賛成している日本人とにえり分けて行なわれるわけではない。

僕はイラクにおける現在の戦争状態とそこに日本の軍隊が参戦しているという事実、そして日本国民全員が、「私や私の妻や友人」がいつ彼等の攻撃対象になるかわからないという形で日常的にその代償を負っているという事実を前提にしない反戦や平和の言論は信用しない。

月刊誌の『第三文明』が、解散総選挙決定直後の10月号で総選挙についての「緊急特別企画!!」を組んでおり、そこに政治学者の河合秀和さんが見開き2ページほどの談話を載せている。河合秀和という人は、例えばイギリスにおける政治哲学の泰斗である、I.バーリンの日本版選集の編訳者であり、日本におけるリベラリズムの最良の一人であると僕などは思っていた。

その河合秀和さんによると、「自民党は財界に支えられ、左翼政党は労働組合に支持を得ていた」のと同様に、公明党は「家庭の主婦たち」に支持された政党だという。なぜなら彼が公明党の講演会に招待された際、役員も誘導係もお茶をだしてくれたのも女性だったからそう考えるというのである。そして公明党に望むこととして、河合さんは福祉と共に「平和の推進」をあげ、公明党は平和を愛する女性を支持基盤にしている政党であるのだから、平和のために貢献できることは多いと述べていた。

いったいこれは何かを言ったことになるのであろうか。

河合秀和のような「立派」な政治学者が、与党である公明党と極めて関係の深い月刊誌の、解散総選挙決定直後の特集記事において、平和について語った文章の中に、イラクのイの字も触れられていないのである。

日本の偉い学者がこんな文章をヘラヘラ書いている間にも、イラクの状況は深刻化し、日本の派兵責任も抜き差しならない大きなものになっていっているのだ。そしてその代償を負っているのは、繰り返すが日本国民全員の「日常生活」そのものなのである。

今の大学における学問

わたなべ ひろし (2005年10月1日 16時36分)

先日次のような新聞記事を目にした。

日本学術会議が、参加している1481学会を対象にアンケート調査を実施。全体の約5割に当たる838団体が回答した。研究者として倫理的に問題がある行為が、1999年以降の5年間に学会の役員会などで話題になったケースがあるかどうか尋ねたところ、113学会が「ある」と回答した。不正の内容で最も多かったのは、論文の二重投稿で67学会。論文やデータ盗用の23学会がこれに続き、データのねつ造、偽造は6学会であった。(読売新聞 7月5日 一部要約)

職場の同僚の話しによると、論文やデータの盗用などまだかわいい方で、例えば彼の専門である生物学の分野では、学術誌の審査員(レフリー)を務める大学の教授が、審査対象である未発表の諸論文それぞれのアイデアやデータを盗用して組み合わせることによってより「完成」された論文を作成し、先に発表して自分の成果にしてしまったりするというのである。

この話しを聞いて僕は絶句してしまった。

日本学術会議というのは、科学技術系の学会の団体なので、人文・社会科学系の学会ではこんなことはないと思いたいのだが、当コラムでの木村英亮さんの文章などを読んでいると、それも怪しいものである。

先週、「大学の後輩」という人から自宅に電話があった。「大学の卒業者名簿から渡辺さんに電話をかけさせていただきました。」という前置きの後、彼が話し始めたのは「投資」の勧誘、具体的には「金(ゴールド)」の先物買いのことであった(と思う。なにぶんこれ系のお話しにはうといので)。彼によれば、なんでもアメリカが近々金相場への介入を計画しており、そのため金の相場は間違いなく上がるとのことで、例えば今600万円の投資をすれば半年後に最低でも(!)1600万円にまで増えると言うのだ。

普段なら「投資」の話しが出た段階ですぐにきるのだが、なんといっても「愛校精神」旺盛な僕なので、少し彼と話しをしてみた。

「君はいくつになるの?」
「24才です。」
「じゃあまだ卒業してあまりたってないんだ。今うちの大学の就職率ってどれくらい?」
「私のときは60%ぐらいで良かったです。」
「60%ぐらいで良いんだ!僕のときはほぼ100%で当たり前だったけどなぁ。学部はどこ?」
「経済学部です。」(ちなみに僕は文学部)
「ゼミの先生は君の就職先のこととか知っているの?」
「就職が決まったときはとても喜んでくれました。」
「お金を投資してお金を儲けるというのようなことは、僕はあまり好きじゃないんだ。君の仕事について、ゼミの先生や大学の先輩は何も言わない?」
「このような仕事をしているおかげで、いろいろな方とお知り合いになれてとても楽しいです。投資された方にも非常に喜ばれていますし。」

彼との電話をきった後、僕が最初に考えたことは、彼のゼミの先生のことであった。

大学の後輩ということを看板に突然相手に電話をかけ、半年後には600万円が1600万円になるともちかけて「金」の先物買いを勧誘して歩くような彼の仕事を、僕の感覚では「まとも」だとは思えなのだが、その先生はどう思っているのだろうか?就職の段階で、教え子がどのような種類の会社に入り、どんな仕事をすることになるのか、いやしくも大学の経済学部の教員であればわかりそうなものであろう。それとも自分の教え子として恥ずかしくないまっとうな会社に入ってくれたということなのであろうか?あるいは教え子の人生は教え子自身が決めることなのだから、就職先などは本人が決めればそれで良いということなのであろうか?

今大学においてどのような研究・教育が行なわれているのだろうか。それは少なくとも、憧れの対象としてあのような本を書きたいとか、あの先生のような研究者になりたいとか、学生時代僕が想っていたものとは全く別物になってしまっているようだ。

僕は学問というものは、全人格的なものであると思っている。しかし、今の大学においては、自身の学問と自身の「人格」は切り離されたものになってきているのであろう。

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